自分を極めた猫のものがたり
平和な小樽市の祝津魚港で暮らす猫たちに、突然札幌の猫衆が祝津漁港に制圧に来るという噂が流れる。猫達は会議をするし、その真偽を確かめるために二匹のメス猫が選ばれた。偵察を終え戻り際に不思議な空気の歪みに遭遇。二匹が視た空間の歪みのむこうの世界は・・・似てはいるが異質な雰囲気の町。思案にくれた知恵者アマテル行動は?
途中で知り合うコークシャーテリアとのやりとりや不思議な隣の町で知り合った動物とのエピソード。人間世界でありながら、人間はひとりも登場しない猫目線での日常を描いた作品。
【猫のアマテル】全十夜
あらすじ
平和な小樽市の祝津魚港で暮らす猫たちに、突然札幌の猫衆が祝津漁港に制圧に来るという噂が流れる。猫達は会議をするし、その真偽を確かめるために二匹のメス猫が選ばれた。偵察を終え戻り際に不思議な空気の歪みに遭遇。二匹が視た空間の歪みのむこうの世界は・・・似てはいるが異質な雰囲気の町。思案にくれた知恵者アマテル行動は?
途中で知り合うコークシャーテリアとのやりとりや不思議な隣の町で知り合った動物とのエピソード。人間世界でありながら、人間はひとりも登場しない猫目線での日常を描いた作品。
【猫のアマテル】全十夜
第一夜「祝津の猫」
北の町小樽にある祝津漁港。イカ漁を終え色とりどりの大漁旗を掲げた船団が帰港してきた。
港では、帰港船を待つ家族が、網下ろしの準備をしていた。
漁協の裏手で一匹の三毛猫が「お~い皆の衆、ちょっこら集まってくんねぇだか!ミャァ……」
声の主は、この漁港を仕切る猫の大将ニャン吉。 一番先に駆けつけたのはオス猫のジン平。
「ニャン吉大将どうかしましたニャ?」
「おう、ジン平か、相変わらずおまえは速いのう……みんなが集まってから話するだで、ちょっこら待っとってくれ……ニャ」
「ニャッ!」
ニャン吉のひと声で十数匹の猫が集まってきた。
「おう、突然すまんニャんだ。今日はみんなに相談があって集まってもらったんじゃ」
ニャン吉はいつになく真剣で、仲間達はただ事ごとではないと感じた。
「じつは昨日の夜なんだが、赤岩のヤング親方が突然ワシのところにやってきてこんなこと言ったんじゃ。
そのヤング親方もカモメ集から聞いた話らしいが、 なんでも札幌方面から三十匹ほどのガラの悪い猫の集団がこの祝津方面を目ざしてきているらしい。 それも途中の港を力で制圧しながら移動してるという話しじゃ。 奴らは、この赤岩や祝津を占拠し、奴らの息の掛かった若衆の配下にしようと企んでるらしい。 目的は札幌と小樽方面を一手に仕切ることで、縄張りの拡大を図るらしい。 銭函や朝里も陥落され、あと二日以内にはこの辺まで攻め入るのではないかという話だ……」
小柄なメス猫のメグが毛繕いしながら「……なんで?」
ハマが「そんなことハッキリしてるミャ…占拠だニャ!。
この祝津を縄張りにして食べ物や土地を自分らのものにする企みだべ」
メグが「なんでニャ?」
ニャン吉が「メグ、それはあとでハマに個人的に説明してもらえ。 オラが言いてぇのは、我らの対応をどうするかっていうことだニャ」
ミミが「占拠されたらどうなるミャ?」
ニャン吉はうつむきかげんに「これはわしの憶測だが、今までのようにのんびりとこの辺を歩いたり、毛繕いするわけにいかんべな……場合によってはここを去ることになりかねない。 わしらや男衆は殺されるか、よくてこの地から追放だろうな……」
クニオが「そっだらこと許されねぇだ・・・おら嫌んだ」
ニャン吉は視線を下に向け黙って聞いているメスの
アマテルに声をかけた。
「アマテルはどう思うニャ?」
うつむいて聞いていたアマテルが顔を上げ口を開いた「ハイ、私は基本的に戦いは好みません。 というか先祖の代から何十年も平和にやってきました。 なんで人間界のような戦いをするのか意味がわかりませんミャ」
ニャン吉が「それもそうだが銭函や朝里が……」
アマテルが「わかりましたニャン吉大将。私が朝里までひと走りして、どんな状況か見てまいります。 その上で対応を考えてはどうでしょうか? 半日もあれば戻れます。 必ずもどりますミャ……」
「う~ん……そっか……そうじゃのう……それも一理あるニャあ、 アマテルがそういうのならそうしようかのう。
そうだ、ハチも一緒に連れて行け。 知っての通りハチは足が速い。 俊敏で飛び跳ねる力も優れておる、きっと役に立つはず」
視線をハチに向け「ハチ!頼めるか?」
黒猫のハチが「はい、ニャン吉大将」
側で黙って聞いていたアマテルの母猫マミが「アマテルこれを持っておいき」小さな固まりを手渡した。
「これなに?」ハチが聞いた。
「深海鮫の肝臓を乾燥させて粉末にしたものなの。 万が一傷を負うようなことがあったら、これを直接患部にふりかけなさい。 傷が速く癒えるのよ。 疲れたときや空腹時には食してもいいの…すぐ活力が出るから。 我が家に伝わる万能の秘薬ニャ」
アマテルが「かあさんそんな大事な薬ありがとう。 わたし頑張るニャ!」
「いいかい、おまえ達は女の子なんだから、やんちゃするんじゃないよ。目的は現状を見て報告すること。 無理しないようになさい」
ハチが「おばさんありがとう。 絶対無理しませんから」
こうしてアマテルとハチは海岸沿いを朝里に向け走り出した。 祝津を出て一時間。 小樽築港にさしかかり二匹は足を止めた。
アマテルが「ハチ、少し休憩しようニャ」
「うん、そうしよう」
「ねぇハチ、わたし走りながら考えたんだけどね。 今回のことでどうしても解らないことがあるニャ」
「わからない? ……なにが?」
「なんで、このタイミングで札幌からわざわざ小樽に? まして小樽の外れの小さな祝津漁港に来るの?」
「なんでってやっぱり食べ物が豊富だからでは?ミャ」
「それだったら石狩港の方が札幌に近いし、望来村や厚田村のほうが絶対近いはず。 おなじ港町で食べ物も豊富にあるはずだニャ」
「う~ん? わたしにも、よく分かんない」
「どう考えても向こうの方が近いし楽なんだよね? ミャ」そう言いながらアマテルは首を傾げた。
ハチが「とにかく急いで朝里に行こうよミャ」
また二匹は走り出した。 アマテルは走りながら、やっぱりなにか腑に落ちないと考えていた。
ハチが「いよいよ朝里だね」
アマテルは「ここからは気を引き締めて行こうね」表情険しく言った。
高台で二匹は足を止め漁港を眺めていた。 そしてあることに気がついた。
「ねぇハチ、なんかわからないけど……どこか変」
「そうね、なんか普通に猫たち歩いているし、惨劇の跡って感じがしない……」
「ハチ、ここで待っててほしい。 わたしが確かめてくる。
夕まずめの頃になっても戻らない場合は、祝津にひとりで戻って欲しい。 そん時はくれぐれも気をつけて戻ってねミャ」
「アマテルどういうこと?なにを確かめるニャ?
わたし解らない・・ミャ」
「見た感じ・・・この漁港は普通に穏やかなの。 ヤング親方の話しのような惨劇があったと思えない。 だから、それを確かめにわたしが直接行って確かめてきたいの!」
「じゃあ、ヤング親方の話しはデマなの?」
「そこがわからないの……だからわたしがとりあえず港に下りてみるミャ」
「うん、わかった。 夕まずめまでわたしここで待つから絶対に帰ってきてね……ミャ」
「行ってくる」アマテルは一気に駆け下り漁港に向かった。
漁港は特段と変わった気配は感じられない。 猫達の集まりそうな軒下を様子を伺いながらゆっくりと歩き始めた。 草陰から一匹のメス猫がアマテルに声をかけてきた。
「あんた誰だい……どこから来た。 なんか用?」
「初めまして、わたしは祝津から来たアマテル。 ちょっと確かめたいことがあってここに来ました」
アマテルが話してる間に三匹の猫が、アマテルをとり囲んでいた。
一番大きく強そうな黒猫が「なにが聞きたい……!」威厳のある声。
「はい、ことの発端はカゴメ衆の噂で……」アマテルはことの経緯を説明した。
「なに? 我々朝里猫が札幌から来た猫衆に陥落させられただと…ハハじつに面白い。 シッポの毛が抜けそうだわい……ニャ」
一斉に他の猫達も笑った。
黒猫が「そのはなしはデタラメじゃ。 なんで我々が札幌の猫なんぞに負けるものか……ふざけおって」
「そうでしたか・・・わかりました。 ありがとうございました」
「だが、なんでその赤岩の大将はそんな嘘を付くのかのう?」
「そこです。わたしも理解できないでおりますニャ」
「祝津猫と赤岩猫では確執があるのか?」
「近年では聞いたことありません。 何十年も昔はニシンのことで諍いがあったいうはなしは聞いてますけど……ミャ」
「まっ、はやいとこ祝津さ帰って、このことをみんなに報告しなされ」
「はい、ありがとうございました」
こうしてアマテルは朝里漁港を後にしハチと合流した。
ハチは「案外速かったのね!で、どうだった?」
「札幌の猫衆による襲撃の事実はないの全部デタラメ。 いったい何のために……? とりあえず早足で戻って、みんなを案心させましょ」
「嘘なの!信じられないミャ」
その時だった。 上から海鳥の鳴く声が耳に入った。
「ねぇ、あなた達もしかして祝津の猫じゃないかね?」
二匹は上に視線を向けた。 そこには一羽のカモメが滑空していた。
ハチが「今私たちに声かけたのカモメさんあなたなの?」
「そう僕。あんた達祝津で見かけたことあると思ったから声をかけたけど・・・違うかい?」
アマテルが「はい、そうです私たちは祝津猫ですけど・・・」
「どうしてこんな遠くまで来たの?」
「色々と事情がありまして……ミャ」
「これから海が荒れるから気をつけなね」
「はい、ありがとうございます。 カモメさんも気をつけてください」
その時ハチがあることを思いついた
「カモメさん、これからどちらに?」
「祝津方面に戻るけど」
「頼みがあるのですけどお願いできませんでしょうか」
「なんですか?」
「わたしはハチと申します。祝津にニャン吉という猫の大将がおります。 その猫に『札幌猫衆の襲来ばなしは全部嘘です』って伝言お願いできませんでしょうか?」
「それだけでいいの?」
「はい、それだけ伝えてもらえればわかります」
カモメは瞬時に風に乗って祝津の方へ消え去った。 それから四十分ほどして上空にあのカモメの声がした。
「お二人さん、祝津に行ってニャン吉さんに報告したよ」
ハチが「ありがとうございます助かりました。 今度お礼させてください」
「じゃあ気をつけて」カモメは飛び立っていった。
二匹は休憩をとらず一目さんで祝津方面に走りだした。 来たときよりも心なしか足取りが軽やかに感じられた。
ところが祝津に戻ってすぐ、港の雰囲気がどこかおかしいと感じた。 一見、普段と変わりない漁港の景色。 でも、あの慣れ親しんだ漁港の雰囲気と何かが違う。
アマテルが呟いた「……?なにかがちがう!」
ハチも「アマテル、この雰囲気どう思う? なんかおかしいよ……ニャ」
「うん、わたしも感じる、 なんだろう……?
いつもなら四六時中誰かが毛づくろいしてるのに・・・ここは誰もいない???間違いなく変? わたし赤岩のヤング親方に会ってくる。 彼の襲撃の話しからこんなことになったのだから、その辺のところ詳しく聞いてくるね」
二人は休まずに赤岩のヤング親方を訪ねた。
事情を聞いたヤング親方は「そうか・・・そんなことがあっただか。 ニャン吉親方がおめえ達の伝言をカモメから聞いたとわしに知らせに来てくれただけんども、それ以上のことは知らニャイ。 別に変わった様子もなく普通だったけどのう。 まさか祝津の衆が消えるとは、わしもビックリだ……
おぬしアマテルといったな、わしも協力するから何なりと言ってくれ。 とりあえず赤岩の猫衆にはなしを聞いてみるから、何かあったら祝津に部下を走らせるで、お互い情報を交換するニャ!」
「親方ありがとうございます。よろしくお願いしますニャ」
二匹は赤岩をあとにした。結局なんの手がかりもつかめないままアマテルとハチは不安な一夜を過ごした。
第二夜「ゆらゆら」
ニャン吉がハマ、ミミ、マミを呼び寄せた。
「アマテルとハチから連絡あったか?」
ハマが「まだです、予定の時間を過ぎてもなんの音沙汰もありません」
ミミが「わたし、イヤな予感がする……」
「ど、どんな?」母親のマミが不安そうな顔で言った。
ミミが「どちらかが災難にあってもどちらかは必ず報告してくるはず。それがないということは、二匹一緒になにかあったと考えるべきかと・・・・」
ニャン吉が「また誰か銭函に向かわせようかのう」
ハマが「待ってください。 もし二匹が災難にあったのなら、同じことを繰り返さないように二の手、三の手を考えましょう」
ニャン吉が「例えばどんニャ?」
「わかりませんニャ……」ハマが下を向いてしまった。
ミミが「わたし、とりあえず一匹で銭函に行ってみるニャ!なにか手がかりがあるかもしれませんニャ」
ニャン吉が「いや、わしが行く。二匹に指示したのはこのわしだから!」
ミミが「ニャン吉さんはここに残ってください。何かあったときの指示はニャン吉さんじゃないと出せません。銭函へ行くのはこのミミに任せてください」
マミが「ミミさんよろしくお願いします」深々とシッポを下げた。
そしてミミは銭函に向け走り出した。
銭函の町に着いたミミは猫の集まりそうな場所を探したが、なんの手がかりも掴めないまま小高い場所に腰を下ろした。
「フ~、二人はどうしたんだろう……この町は猫が争った形跡は一切ない。 たぶん二匹も同じ見解だったはず。 ということは祝津へ帰る途中で、ふたりになにかがあったと考えるべきか?」
ミミは戻ることにした。 警戒しながら帰路を急いだ。 祝津にさしかかったそのときだった。
「ん…あれは?」
祝津漁協に二匹の猫と一匹の犬が視界に入った。 アマテルとハチそして犬の伝助。
犬の伝助もアマテル達と一緒だった。
「お~い! アマテル。 ハチ!」ミミは力一杯叫んだ。
三匹は声のする方を振り返った。
アマテルとハチが同時に「ミミさ~ん」喉を鳴らしながら声をはり上げた。
「二匹とも無事戻ってきてたニャン…よかった、よかった」
「えっ? 戻った…どういうこと?」アマテルが呟いた。
ハチが「ところでミミさん、みんなどこいったニャン? 警戒してどこかに隠れたニャン?」
「なに? なんのことニャ?」
アマテルが今までの経緯を説明した。
ミミは「嘘、嘘でしょ、ニャンかの間違いでしょ! あんた達わたしをからかってるニャン?」
伝助が「いや、アマテルの話しは本当のことだワン」
アマテルは直感した。
「たぶん、私たちと同じ現象だと思われます。 話しを整理すると、送り出した祝津のみんなは普通通りなの、つまり私たちが帰ってこないことになってる。 ミミさんもここにいるということは、なんかの経緯でこっちの別世界に紛れ込んだ可能性がある……ニャン」
伝助が「なに?どういう事か解りやすく、説明して欲しいワン」
アマテルが続けた「たぶん私たちは別空間というか別世界のこの祝津に、なんらかの原因で戻って、いや紛れこんだのかもしれニャイ」
伝助が「その辺のところが解らんワン……?」
アマテルは「同時に平行する別の世界がこの祝津にはあると、死んだ婆さまに聞いたことがあります。 なんらかの事情で私たちは似たような、でも違う世界に迷い込んだのかもしれニャイ……! 当然仮説ですけど」
ハチは「つまり、もとの世界では私たちの帰りを待つみんなが、普通に存在するっていうことなのかい?」
「そうなのよ、だから向こう世界から私たちを探しに出たのがミミさんなの。 でも銭函の帰り道どういうわけか私たちのようにこっちの世界に来てしまったというわけ」
伝助が「なるほど……アマテルの話しは何となく理解できた。でっ! どうやって元の世界に戻るワン?」
アマテルは下を向いて「……解らニャイ」
全員、耳とシッポを垂らした。
ミミが「とにかく祝津のみんなは普通どおりだってこと。
私たちが別世界に来てしまったてこと、解ってるのはとりあえずそれだけだニャン・・・」
ハチが「あとは私たちが戻る方法を考えればいいのね」
伝助が「それが問題だワン」
アマテルはその場に座り込んで毛ずくろいをはじめた。
祝津ではハマが「どうしよう、ミミまで帰ってこないよ。三匹とも絶対なんらかのアクシデントに遭遇したに違いニャイ」
ジン平も「ハマのいう通りだニャ。 あいつらいったいどこに行ってしまっただ?……ニャン」
そこに犬のミノルが声をかけてきた「ねぇ! 猫さんたち、伝助見なかった? 昨日から見あたらないダニよ」
ハマが「伝助さんもなの? うちらのハチ、ミミ、アマテルも帰ってこニャイの」
「えっ? おたくらもか? ……ダニダニ」
ハマが「伝助さんがいなくなる前、なにか変わったことはなかった?」
「全然普通だワン。そういえば運河の方に用事あるって言ってたけんども、行ったかどうかは知らない
ここだけの話し、伝助さんは運河の近くにプードルの若い彼女がいるらしい。 これ、奥さんには内緒にしてね…ワン」ミノルは口が軽かった。
ハマが「まったく、男ってやつは猫も犬も一緒かよ………
ほんとうにおばかさんダニ」
ジン平が「なんか言ったか……?」
「なんでもニャアよ。 そんなことより伝助さんもいなくなったという事はもしかしてう、ん? さっぱり解んニャイ?」
全員シッポを垂らした。
ジン平が呟いた「神隠しかも?」
その頃アマテルはある仮説をたてていた。
「わたし聞いたことあるの、パラレルワールドっていう考え方なんだけど、平行して同時進行の世界が複数存在するっていう話なの。 そのいくつかの世界にはやはり幾人かの自分が存在していて、お互いがなんらかの形で別の自分や社会に影響し合ってるっていうの」
伝助が「アマテル、申しわけねえけんど、もうちっと解りやすく言ってくんえぇかな? ワン」
「今いるこの祝津と隣り合わせの祝津が同時に存在するの」
「同時にったって…… 見えねっぺよ、それどこだ? どこにあるんだ? その祝津は? どら……?」
「それが目に見えないのです……」
「目に見えないものをどやって確認するだ?」伝助は憮然となった。
「そうですよね……でも、今回の件は間違いないと思うんです」
ハチが口を挟んだ「ひとつ聞いていいニャ? そしたらこっちの祝津にも別の私たちがいるっていうこと?」
「そういうことなの、ただ、ひとつの空間というか同次元にふたりの自分が同時に存在するかどうかわからないけど」
伝助は「う~~ん。アマテルの言いたいことは少し理解できるが……? で、どうやってここに来ただ?」
アマテルが「……解りません。 でもひとつ提案があります。わたしとミミとハチさんが朝里からの帰り道のどこかでこちらの世界に迷い込んだと思うの。 だからもう一度同じ道を戻ったらもしかしたらって……」
伝助が「それなら運河の辺りかもしれない」
全員伝助の顔を見た。
ハチが「なんか根拠でも?」
「うん、わしは昨日、運河のオルゴール店の辺りに野暮用で出かけたんだが、それ以上向こうへは行ってないからさ。
その辺から祝津の間かも……」
アマテルが「いいことを聞きました。じゃあみんなでその辺まで行ってみましょう」
全員運河に向かって歩き出した。 期待と不安を胸にオルゴール店の辺りに到着した。 注意深く辺りを見回した。
アマテルが「じゃあ、このまま祝津に向けて戻りましょう。空間の歪みには特に気をつけて歩いてください」
ミミが「空間の歪み……それどういうことニャ?」
「これもわたしの憶測ですが、次元と次元の狭間では空間に歪みが生じると思うんです。 晴れた日の空気の揺れみたいな、うまく説明できないけど暑い日の逃げ水のような陽炎な歪みかも」
ミミが「う~ん、なんとなくわかるニャン。 みんな気をつけようニャン」
四匹は来た道を戻り始めた。
歩き始めてから10分ほどした頃、アマテルが声を張り上げた「みんな止まって!」
ミミが「どうかしたミャ?」
「そこ、なんか?」 アマテルが恐る恐る近寄った。 そこにはアマテルの仮説の通り微な空気の歪みが存在した。
ハチが「この感じ知ってるミャ……こんな感じのところを通った時少し目眩がしたから覚えてるニャ」
伝助が「どうするワン?」
ハチが「とりえず誰か通ってみようミャ」
「じゃぁ、わたしが先に通るニャン」そう言ってミミは歩き出した。 次の瞬間ミミはその場から幽霊のようにす~っと消えてしまった。 同時に空間の歪みも消失した。
ハチが宙を見つめながら「あっ、空気の歪みも消えた……」
伝助が「アマテルどういうことワン?」
アマテルが「きっと……きっと……たぶん……? なんだかわからニャイ……すみません……」
全員シッポを垂らした。
そのころミミは「あれ? みんないない……もしかしてもどったかも?」
そのまま祝津に方面に一目さんに走り出した。
漁村ではハマが「ハチまで帰りが遅いけど大丈夫だろうか?」
その時、遠くから急ぎ足で走ってくる猫が視界に入った。
誰かが「あれはミミ? ミミだ、ミミが無事戻ってきたよ。
みんな~ミミが戻ってきたミャ」
ニャン吉が「誰か水の用意してくれ」
ミミは水を一気に飲んだ。
「おう、よく無事に戻ったのう、早速だがアマテルとハチは?」
ミミは「ハイ、おります。 今まで一緒でした。 だけど…」
アマテルの母親マミが「あの子達は無事なのかい?」
「はい、無事です」聞いた瞬間マミの目には涙が溢れていた。
ミミが経緯を説明した。
マミが「じゃぁ、その空間の歪みが別世界との出入り口になるのね?」
ミミは「たぶんそんな気がします・・・ミャ」
「じゃぁ、あの子達が戻るのは時間の問題ね・・・」
マユは「あの空間が出入り口ならそう思います。 いや間違いないと思いますミャ」
その頃アマテルは空間の歪みが消えた……?どういこと?自問自答した。
伝助が「どういうことだワン」
「……さっぱりわかニャイ」アマテルは即答した。
ハチが「移動したのかもニャ」
アマテルが「移動? それも一理あるかも……移動するためにはエネルギーを必要とするはず。 それが一匹分しかなくって、ミミで使い果たしたから消えたのかも、わたしの仮説ですけど」
伝助が「またわからなくなったワン。 アマテル説明どうぞ」
「空間の歪みはなんらかのエネルギー場というか地場の歪みなのかもしれません。 ミミさんが通ったことでエネルギーが消滅したか変化したから消えたのかも?」
ハチが「ということは?」
アマテルが「ミミも違う場所に移動したと考えられるニャ
もとのこの場所か別の異空間かはわからないけど」
伝助が「何でわかる?」
「その歪みは何度も見え隠れしてるからです」
「だから、何でわかる?」
「私たちは同時にこの世界に来たわけではないからです。 みんな別々のタイミングで別々の場所から来たの、そういうことから分析しましたミャ!」
伝助が下を向いたまま「あんた、それって一瞬でわかったのか?」
「ハイ、仮説ですけど……」
「アマテルは何歳?」
「3歳ですけど……ニャにか?」
「わし15歳」
第三夜「潮」
異世界に紛れ込んだ三匹は空間の歪みを探し、小樽から祝津にかけて何度も何度も往復した。食以外の時間を空間の歪み探しについやした。
祝津のみんなと別れてひと月が過ぎた。
伝助が「のう、アマテル、他に方法はないのかなぁ」
「ええ、わたしも最近そのことを考えてます。 もっと効率のよい方法はないのかニャって?」
ハチが「ミミは本当にラッキーだったニャン」
アマテルは母親の顔を思い浮かべながら「本当だよね……」
いつものように手宮交差点を三匹が歩いていると突然雑居ビルの横から大きな黒い犬が出てきた。
「おい、こらっ。おまえら最近この辺を頻繁にうろついてるようだがいったいなんなんだ?」少し威圧的な態度だ。
伝助が「僕たちは祝津のものです。ある物を探してますワン」
「探し物? それはなんだ、言ってみろ?」
「いえ話すほどのものではありません」
「嘘いえ、お前ら三匹、毎日必死になって探してるのを俺は知ってるぞ言ってみろ。 言わねえと噛み殺すぞこらっ!」
アマテルが「歪みです。 空間の……」
「歪み? 空間の? おまえら俺を馬鹿にしてるのか? 噛み殺されたいかこらっ!」
ハチが「本当です。それ以外に表現のしようがないのです。……ミャ」
「とりあえずそこの三匹ちょっと俺に着いてこいや!」
ハチが恐る恐る聞いた「どこ行くんですか?」
「う~るせっ、つべこべ云わねぇで黙ってついてこい!」
三匹は渋々と犬のあとをついて歩いた。 五分ほどでショッピングセンター跡地に着いた。 突然物置小屋の上から声がした。
「おいクニオ、そいつらはなんだ?」威圧感のある黒いシェパード。
「頭、こいつら最近この界隈をうろついてるし、なんか訳ありみたいなんで連れてきました……ウスッ」
頭のトシユキは「おう、俺も何度かこいつら見かけてる。 おい、そこの雄犬どういう魂胆だ? 云ってみろワン」
伝助はアマテルとハチの顔を見た。 二匹は軽くうなずいた。
「はい、じつはですね……」今日までの経緯を淡々と話した。
「そ、そ、それってカゲロウみたいなユラユラした空気か?」
三匹は目を丸くして驚き「えっ、それです。 知ってるんですか?」伝助が言った。
「おう、晴れた時の道路のゆらゆらみたいなやつだな」
アマテルが「はい、それです」
「今年に入ってから何度か見たぜ 。曇り空なのに空気がユラユラ変だなって思ってたけど……それのことか?」
伝助が「たぶん我々が探してるものかもしれません。 ワン」
クニオが「頭、もしかして坊ちゃんが消えたのと、なにか関係があるのかも知れませんね……」
「うん、俺も今おなじことを考えていた」
アマテルが「もし宜しければ事情を話してくれませんか?」
「ひと月前なんだが突然息子のゲンがいなくなり、ここら界隈の犬仲間や猫衆にも頼んで探し回ったんだが、見つからなかった」
クニオが「それから、姉さんが寝込んでしまったってわけだワン」
伝助が「たぶんおなじ現象かもしれません。 話の流れからすると別世界で生きていると思われます。 その歪みを一緒に探しましょうよ」
「おう、そういうことなら話は早い、クニオみんなに号令をかけてその歪みを探させろ。 そして見つけたら……どうするの? ワン」アマテルの顔を見た。
アマテルが「とりあえず事情を知ってる私たち三匹と、息子さんの顔を知ってるそちらの誰かが、向こうの空間に一緒に行くんです。 そして、その世界でユラユラを探し息子さんをこちらに連れ戻す」
トシユキが「おう、そういうことだ。 クニオお前が行け」
「えっ、わたしですか? 本当にこっちに戻れるんでしょうね?」
アマテルが「大丈夫です私たちも向こうからこちらへ来たのです。 すでにミミという仲間が先に戻ってますから、向こうの祝津でも事情は把握してるはずです。 必ず応援してくれます」
トシユキ親分の号令で数十匹の犬と猫がユラユラを探し回った。
そして三日が過ぎ、一匹の白犬がクニオの元に駆けつけた。
「頭、ユラユラだと思われるものを色内小学校上の神社で発見しました」
「おっ、そっか、でかした!」
横にいた子分のポチが「よかったですね親分」
「おう、すまねえがクニオと祝津の例の3匹を急いで探してきてくれ」
色内小学校の裏手にポチとクニオの二匹だけでやってきた。
トシユキは「ポチあいつらはどうした」
「見あたりませんでした。 とりあえずクニオさんだけお連れしました。 もう一度探してきます」
「そっか……行くな! 行かなくいい、ほうっておけ」
「えっ? だって頭……」
クニオが「馬鹿野郎、頭がそう言ってんだからそれでいいの、
黙ってハイって言えばいいのわかった?」
「あっ、はい……」
トシユキは「クニオわかってるな。必ず探しだして戻るんだぞ。 無事戻ったときにはへへッ、長橋方面の縄張りはお前に任す」
「あ、ありがとうございます」
「ポチお前も一緒に行け、頼んだぞ」
「ワン」
クニオとポチがユラユラに入っていった。
「クニオ兄さん、なんも変わりありませんね」
「ポチお前は馬鹿か、後ろ振り返ってみろや」
「あっ……れれ? 親分がいない?」
「違う次元に入ったんだ。 急いでゲンを探しに行くぞ」
二匹は一目散に手宮交差点に向かった。
クニオが「よしここで別れよう。 お前はここから山側を探せ。俺は海側を探す。 夕方ここで会おうぜ」
「クニオ兄さん、で何を探すんですか?」
クニオはその場に倒れた。
「お前ここになにしに来たのかわかってねぇの?」
「?……なんとも?」
クニオは心の中で「頭、こんな大事な任務になんでポチだったんですか?」
気を取り直したクニオは「よく聞けよ、ゲンぼっちゃんを探して連れて帰るの。 そして帰える為のユラユラを探してそこから帰る。 わかったか?」
「はいわかりました」
ポチはクニオに背を向けて歩き出した。
十メートルほど歩いたところでクニオは「ポチこれから何を探すんだ言ってみろ」
笑顔で「ユラユラの坊ちゃんです」
クニオは肩を落としシッポを下げた。
「俺ひとりで頑張ろう」呟きながら歩き出した。
その頃ゲンは行く当てもなく痩せこけ、民家の軒下でうずくまっていた。 そこを通りかかったポチに発見されクニオと合流した。
クニオが「ゲン坊ちゃんお体の具合は大丈夫ですか? もう安心してください我々がついてますから。 このクニオが必ず親分のところにお戻しします。 とりあえずなにか腹一杯食べやしょや! ポチお前もよく見つけたな、頭からご褒美もらえるぞ」
こうして三匹はユラユラを探して小樽の町を歩き出した。
アマテルとミミは相変わらずユラユラを探し歩く毎日。 赤岩を歩いていると頭のトシユキと出くわした。
ハチが「トシユキさんどうですか?」
「おう、見たっていう証言はあるが、行ってみると消えていたよ。 ありゃあ、タイミングが必要だな」
「タイミング」そう呟くとアマテルは下を向いた。
ハチが「また頑張ります。 トシユキさんも頑張ってください」
「おう、なにかあったらいつでもこいや。 力になるからお互い頑張ろうぜ」
三匹はトシユキと別れた。
伝助が「アマテルどうかしたワン?」
アマテルが重たい口を開いた「この辺に神社か祠ある?」
ハチが「色内神社なら小学校の上の方にあったはずだけど、
それがどうかした?」
「なにか気になるの、何かわからないけどユラユラと鳥居……上手く説明出来ないけどなんか似てるのよ……」
伝助が「じゃあ、とりあえず色内神社に行ってみよう」
こうして三匹は色内神社の前で足を止めた。
ハチが「アマテル着いたよ、どうするニャン」
アマテルは鳥居の下で目を閉じて瞑想に入った。 伝助とハチは境内をとりあえず見て回った。 一時間ほどしてが立ち上がった。
「祝津のトンネルに潮の満る頃までに行きましょう」
ハチと伝助はアマテルが絶対何かを感じ取ったに違いないと、少しの期待を胸に秘め祝津に向かった。
伝助が「もしかして、このトンネルにユラユラが出るのかい?」
ハチと伝助はすがるような目でアマテルの言葉を待った。
「ハッキリとわからないニャ、この辺りで潮が変わったとき
何か起こるような気がしたニャン」
三匹は潮の変わり目をじっと待った。 辺りの空気が止まった。 その時、洞窟の片側の入り口付近で空気がカゲロウのようにユラユラ歪んで見えた。 ちょっと見、気づかないような小さな小さな歪みだった。
伝助が叫んだ「出た、ユラユラついに発見!」
すかさずアマテルは「ハチと伝助さん先に二人で入って」
ハチが「アマテルは行かないの?」
「わたし、頭に報告するからここに残る。 先に行ってて。
そして、向こうで頭の息子さんを探してこのこと説明して、わたしのお母さんにも伝えて、必ず帰るからって」
ユラユラは徐々に消えていった。 そこにはハチと伝助の姿が陽炎のように揺らいで消えていった。
戻ったハチと伝助は脇目もふらず祝津漁港に向け走り出した。 二匹が一番先に目にしたのが、先に帰省したミミだった。
ミミが「ハチ! 伝助さん戻ったのね。 アマテルはどうしたの? 元気なの? アマテルになにかあった?」
伝助が「今、説明するからとりあえずみんな集めてくれる?」
ハチがみんなの前でこれまでの経緯を説明した。 横ではアマテルの母親が涙しながらじっと聞いていた。
ハチが「そういうことで、わたしはこれから手宮方面に行って、息子さんを探して向こうの世界に送り届けるの、またアマテルとこっちの世界に必ず戻ってきます……ニャ」
アマテルの母親が「ハチちゃんごめんね、ありがとうね」
「アマテルがいなかったら、こっちに戻れませんでした。 感謝するのは私です 。最後までやりとげます。 心配しないでくださいニャ」
ハチはみんなに説明を終えると息つく暇もなく、頭の息子を捜しに手宮に向かって走り出した。 手宮の交差点を中心に探し回り、三日が経過した時だった。 前方から笑いながら歩いてくる三匹の犬が目に入った。 ハチは三匹の前に走り寄った。 三匹もその場に足を止めた。
クニオが「おう、ハチか、戻ってきたのか?」
「えっ、クニオさんもこっちに来てたの?」
「おう、なんだ偶然ユラユラに出くわして、すぐにお前達
三匹を探したんだが見あたらず。 そうこうするうちにユラユラが消えそうになってしかたなく、俺とこいつが来ることになったんだ。 そしてこの子が頭の坊ちゃんだ。 ワン」
「まっ、話しはわかりました。 で、向こうの世界に戻せるかもしれないの……わたしに従ってもらえますか?」
クニオは「それなんだが……もういいよ!」
「……? いいって、なにがいいの?」
「なんだ、俺たちこのままここで暮らすよ」
「……?」ハチはクニオの言う意味が理解できなかった。
「だから、俺たち三匹は向こうには戻らねぇの。 向こうに戻ってまた頭にどやしつけられる生活よりも、こっちで若い連中をどやして暮らす方がいいって、そう決めたんだ」
「だって、息子さんだっているじゃないの……」
「坊ちゃんも、ここだけのはなし、いつも頭に怒鳴られ、噛まれて育ったんだ。 こっちで俺たちと気楽に暮らしたいとさ……これ本人の希望だ!」
ハチはクニオの思いもよらない言葉に驚いた。
「そうですか……解りました」
「ハチ、あっちに行ってもこの事は内緒にしてくれ。 そして頭を信用するなよ。 ユラユラを見つけたときも、頭はあんた達三匹を見捨てた奴なんだ」
ハチはこの時、この犬たちの世界を理解出来ない、いや理解したくないと思った。 その場を離れトンネルの前で潮の流れを待っていた。
空間移動したハチは、アマテルを探してトンネルへ一目散に走った。 案の定トンネルの端に腰掛け、毛繕いに一生懸命なアマテルがそこにいた。
「アマテル、戻ったよ」
「おかえり、みんなに報告してくれた? 頭の息子さんはどうだった? 元気だった……ニャァ?」
「それが……」
祝津のみんなのこと、アマテルの母親のこと、頭の息子のことやクニオの思わぬ言動のことをハチは話した。
アマテルは「もう頭に会わずに、このままこっちの世界から
出ようよか」
こうして二匹の猫は元の世界に戻っていった。
第四夜「天狗山の老犬ミル」
あの出来事があって三ヶ月が過ぎた。 不可思議なあのことを思い出す猫はもう誰もいない。 ただ一匹をのぞいて。
そう、アマテルだけは心の片隅に今も鮮明に残っていて、ことあるごとに色内神社やトンネルの側で一日中ぼんやり佇んでいる姿があった。
「みんな、もう忘れたのだろうか? 絶対不思議だよね……
もう誰もあのはなしをしない。 そんなに簡単に忘れること
できるのだろうか? それとも思い出したくない?」
頭の中は複雑に思いが募るばかり。 こうして、色内神社やトンネルの辺りを何度も何度も通った。
そんなある時神社の鳥居のところでユラユラを確認した。 ほぼ三ヶ月ぶりの感覚だった。 懐かしくさえ感じた。
アマテルはなんの躊躇もなくその中に入っていった。 出た先はやはり色内神社の鳥居。
「この世界は? ニャ?」
アマテルは祝津の港を目指し走り出した。
「この世界の祝津はどんなんなってるかニャ? 楽しみ…」
いつもと空気感が違うような気もするけど、全体の景色に変わったところは感じられない。 漁協の裏手では見慣れた顔の猫たちが漁のおこぼれを食べていた。 いつもの風景。
「確かに私はユラユラを通った。 でもこの祝津はいつもとおなじ……ハチも伝助も変わりない」
「ねえ、アマテル」どこからかアマテルを呼ぶ声がする。
アマテルは声の方向を見た。 一羽のカモメがアマテルの上でホバリングしていた。 声の主は銭函からの帰り道で世話になったあのカモメ。
「カモメさん、あの時は本当に世話になりました。 おかげさまで祝津に戻ることができました」
「なんで? 戻ったはずのアマテルがまだここにいるじゃないか?」
「はい、また来たみたい……」
「なんでまたこっちの世界に戻ってきたの?」
「はい、それが……」
アマテルは、あの不思議な事があったこと、誰も口にしなくなったこと。 あの体験がどうして起こったのか? いまだに納得がいかないで、毎日神社の鳥居のところに通ったことなどはなして聞かせた。
「それは、忘れたのではなく、思い出したくないのかもよ」
「どういう事ですか?」
「私も詳しくは話せないよ、もし興味があるなら天狗山スキー場のリフトの下辺りに、ミルという老犬がいるから聞いてごらん。 彼なら知ってるかも?」
アマテルはカモメに礼を言い、天狗を山目指し走り出した。
天狗山は山坂の多い小樽の中でも特に標高があり、町に近いこともあるため冬は市民のスキー場があり、夏場はロープウェーイが絶景の観光スポットになっていた。
見下ろす小樽の夜景は宝石をちりばめたように綺麗で、若者のデートスポットでもあった。
天狗山についたアマテルは鉄塔の下にいる一匹のヨークシャーテリアに声をかけた。
「あの~すみませんけど」
「……ハイ、なにか?」
「この辺でミルという犬を知りませんか?」
「ミル?……犬種は?」
「犬種?」
「犬種だよ犬種」
「犬種ってなんですか?」
「……お前は犬種も知らんのか? 種類のことじゃ! 秋田犬とか柴犬とかあるじゃろ、猫にもペルシャとかシャムっていう種類があるだろうが……ワン」
「三毛です」
「三毛は猫だろ」
「ヨモです」
「ヨモも猫」
アマテルは少しいらついた「必要あるんですか? 名前だけじゃだめですか?」
「名前でもいいけど・・・」
アマテルは口調を荒く「知ってるんですか? 知らないのですか? ……ミャ」
「知ってるけど。 ワシがミルだから。 で、あんたは?」
「はっ、失礼しました。 私は祝津のアマテルという猫です。
カモメさんからミルさんのこと聞いて、ぜひ話を聞いてもらいたくてきました」
「わしが、あんたの体験話しを聞いてどうするのじゃ?」
「ミルさんの見解を聞きたいのですが……」
「わしの見解を聞いてどうするのじゃ?」
「どうするって言われても? わかりません……ニャ」
アマテルは頭を垂れたまま黙ってしまった。 頭を垂れたまま一時間ほど時間が経ち、なおもじっとしてるアマテルに
「アマテルとやら、熱冷めたか?」
「熱ですか? 私熱などありませんニャ」
「その熱ではない。聞きたい。 すぐにでも聞かせてほしいという心の面倒くさい熱のことだ。 ワン」
「何を聞きたいのか? 聞いてどうしようというのか? なんだか解らなくなってます」
「うん、じゃあ、あんたの話しでも聞こうかのう」
「えっ……?」
アマテルはあっけにとられた。 そして不思議とどこか落ち着いている自分に気がついた。 ゆっくりと話し始めた。
「はい、それは三ヶ月前のことでした……」
今までの経緯そして今日ここに来た理由を説明した。
黙って聞いていたミルが口を開いた「うん、たぶんそれは
パラレルワールドじゃな」
「やっぱりパラレルワールドなんですね」
「そうじゃ、この世界と同時にいくつかの世界が平行して存在するというあれじゃ」
「ミルさんはどこでその考え方教をわったんですか? ニャ」
「昔から心のどこかで思ってたんじゃ漠然とだけど。 ある時わしは車にはね飛ばされたんじゃ。 三日間意識不明で四日目に目が覚めた。 そんなことがあって以後、生活してても今までと何か違和感を感じたんじゃ。 気がついたらいろんな事がわかるようになってた。 誰にも教わってないのに、考えというか答えが自分の中から勝手に湧き出してくるんじゃ。 そのうち、色んな動物がわしの意見を聞きに来るようになった。 相談内容はたくさんある。 わしの知らない分野の相談も当然あるのに、そのどれにも即答できる自分があったんじゃ。 わしにも不思議なんじゃが、たぶん心の奥深いところで、なにかと繋がったんじゃないかと思う。 そして今がある……ワン」
「以前の自分と事故後の自分とどういう変化がありましたか?」
「より自分らしくなった事かな」
「どういうことですか?」
「以前の自分は、自分らさの中にもどこか、他人の目を気にして装っていた自分があったんじゃ。 つまり分裂症のような他を見ている、心定まらない自分じゃ。
簡単に言うと、こうやったらこう思われるからこうしようとか、いつも他の目を気にしてたんじゃ。 でも事故後はそんな他人の目はまったく気にしなくなったんじゃ。 生きる上で他人の目は必要なくなった。 そのことに気がついた。 本当の意味で自分らしくなったのかもしれん」
「本当の意味で自分らしくですか?」
「そう、本当の意味で純粋に自分らしくじゃ! ワン」
「他に何か変わりましたか?」
「大きく変わったのが全部一緒だったってことじゃ」
「またわかりません。 すいませんがわかりやすく頼むニャ」
「みんな、ひとつの中で生きているっていうこと。 わしもおぬしアマテルも、他の動物も五十歩百歩。 なんにも変わりはしないし例外もない。 個性と表現の仕方が違うから、違うように見えるだけじゃ。 みんな一緒じゃ! 特別なモノはひとつもない、始まりも終わりもな!」
アマテルは今まで出会った動物の中でもミルには独特なものを感じていた。 もっと話を聞きたい……ミルさんを知りたい!
「もうひとついいですか?」
「なんだね?」
「私をミルさんの側に置いてくれませんか? もっと色んな事を教えてください。 お願いしますニャ」
「お前の家族はどうする? もとの世界に戻りたくないのか?」
「戻りたいです。 でも、せっかくこの世界に来たのですから楽しんでみたいです。 もっと知りたいです。 ワタシ自身を……」
「自分を知ってどうする?」
「本当はミルさんをもっと知りたいのです。 でも、それにはまず自分を知ることだと思いいました。 ミルさんが『みんな一緒だからっ』て仰ってたから……だから……」
「プッハッハッ……面白い猫よのう! わしは気ままに生きとるけん弟子はとらん主義だ。 そんな、たいそうな器でもない。 あしからず」
「お願いします。私の周りの猫衆は、食べること、寝ること、毛繕い、ただ生きることを目的としてます。 私はそんな一生を過ごしたくないのです」
「わし以外にもお前の期待に添える動物はたくさんいる、だからそこを訪ねなさい……」
「いえ、私はミルさんの下で学びたいのです。 何でもしますから一日一匹のネズミも捕ってまいりますから! ニャ」
「わしの言いたいのはそんなことでない。 わしは型にはまった教義なんぞ持ち合わせておらんから、なにも教えることがない。 わかってもらえたかのう! ワン?」
「そこがいいのです。 そのミルさんの自然体が良いのです。
わたしも自然体でいられるようになりたいのです! ミャ」
「ミャ~といわれても困るワン」
「お願いします」
それから三日間アマテルはミルのそばを片時も離れずつきまとった。
四日目の朝「どうしてもというならお前の勝手にしろ……免許皆伝のようなものは無い。 それでも良いなら好きになさい。 そうじゃ、授業料は必要じゃ! 犬には捕獲できない獲物を食べさせてくれ。 ただし、ネズミは食ワン。 どんなことがあってもネズミは食ワン」
こうして猫と犬の生活が始まった。
第五夜「ミルとアマテル」
天狗山に住むことになったアマテル。 犬のミルに弟子入りし身の回りの世話もするようになった。
「アマテル! 毛繕い頼むワン」
「はい、ミル様承知しました」
ミルは母猫が子猫の毛繕いをするように、丁寧にミルの毛繕いを始めた。
ミルは目を細めながら「猫の毛繕いは気持ちいいのう……猫の舌は格別よの!」
「ミル様は毛が抜けませんね?」
「その、ミル様はやめてくれんかのう」
「じゃあなんとお呼びすれば?」
「ミルさんでよい」
「わかりました」
「我々テリア系の犬は一枚毛だから、一年中少しずつ毛替わりするんじゃ。 柴や秋田犬のように二枚毛のやつらは一度にどさっと抜け替わる」
「猫族と同じですね」
「そうかもしれん。動物は誰に教えられんでも、ちゃんと自然界の法則に順応して生きておるでのう。 雷鳥は冬になると雪のように白い羽に覆われる。 夏は岩のように茶色に変わる。 北海道の自然界に同調するように……すごいのう」
「私たち猫族もヨモやトラ柄がおります。 藪に身を潜めて獲物を狙うのです」
「ネズミは食ワンぞ」
「ハイ」
そこに、後ろからメスのマルチーズが声を掛けてきた。
「あの~、ミルさんですよね」
「はい、ミルですがあなたは?」
「あの~、ジョンといいます。長橋の犬仲間に聞いて来たんですけど、相談がありまして」
「そうですか、遠いところ大変でしたね。 そこの銀杏の木の根本にどうぞ」三匹は移動した。
「わしがミル、この猫はアマテル。 では、話を聞かせて下さい」
マルチーズは自分の置かれている環境や境遇について長々と話し始めた。 二匹はじっと話を聞いた。 ミルはマルチーズの顔色をじっと伺い、話が一息つくタイミングを見計らった。
マルチーズが「そういうわけなんですね……」
ミルは「そうですか、でもあなたの話を聞いていると、もうあなたなりの結論が出てるように思うのですが、それでいいと思いますよ」
「あら、そうですよね。 失礼しましたワン」そのままマルチーズは帰って行った。
アマテルが「どういうことですニャン?」
「今の方は、既に自分で結論をだしてるんじゃ。 その結論とそれまでの過程をわしに聞いて欲しくて、わざわざここに来た。 悩みなんて本当はなかった。 自分なりに解決できていたことに気がついたんじゃ。 それだけのこと」
「でも、わざわざここまで来るのはそれ以外に何かあるのではニャイかと」
「ない、ここに来て長々と話したと同時に、総て解決されたんじゃ。 よくあるケースよ! 解決の糸口は決まりはない千差万別。 本当は最初から問題なんて存在してなかった。みんな問題をつくる癖があるんじゃ」
「あのジョンさんは答えを知ってて来たんですか?」
「ここに来る半数以上はそうじゃ」
「半数以上もですか?」
「そう、半数以上。 いや、大方かもしれんのう」
「なぜ? なぜわざわざ?……ニャ」
「自分の結論に同意して欲しい、自分の結論を確認したい。そんなところかのう」
「でも、普通に自分の思うとおりで良いと思うニャ。 なんで?」
「そこじゃ、そこなんじゃ。 アマテルの云うとおりなんじゃが、そこに彼らの逃げがあるんじゃよ」
「逃げ……? 何処にですか?」
「わしのところに来たという言い訳よ」
「言い訳? すいませんよく理解できませんニャ」
「一応わしのところに来て相談したという事実作り。 自分で出した結論通りに行動して、思うようにいかなかった場合の言い訳作りだよ。 失敗しても原因はわしのせいにすればすむと思ってるんじゃ。 失敗したのは自分の意向でなかった。 そう考えてる場合も意外に多いのよ」
「じゃぁ、なんで言わないのですか?」
「言ってどうなるものでもない。 だから言わない」
「つまり、失敗したときの逃げ道みたいな……」
「全部が全部ではないぞ、考え抜いたあげく意見を聞きに来る者も当然いるからのう」
「さっきのマルチーズもですか?」
「うん、名前も名乗らず一方的に好き放題いって帰って行っただろう。わしと話した事実がほしかったんじゃ! ワン」
「なんか……不思議な気持ちです。ニャア」
「そんなものじゃ、わしも知った上でやってるからなんとも思わワン」
「ミルさん、やっぱりすごいですね!」
「べつにすごくはない……経験だよ経験」
それから何度か同じような相談事を受けるミルの応対の仕方を見て、アマテルなりに理解できるようになった。
ある時アマテルはミルに「先日、『答えを出してから相談に来る』というはなしなんですが、ミルさんは相談者のどこを見て判断するんですか?」
「一瞬の目の動きだけど」
「そんな一瞬でわかるんですか?」
「知るのに時間が必要か? どのくらいの時間が必要かな?」
「すみません。 愚問でしたニャ」
「ことのついでに言っておこう。 時間が必要だという思いがアマテルにある限りお前の生涯において、いつも時間が必要になる。 いつも時間が前提になる。 つまり時間に縛られる。 本来は時間なんてものは要らない。 というか無いのじゃ。 即、今だ、今しかない。 時間は錯覚。 自分やこの社会がでっち上げたイリュージョン」
「つまり幻影ですか?」
「そう幻影。 その幻影に惑わされてる」
「じゃあ、その幻影から覚めるにはどうすればいいニャ?」
「アマテルは自覚したからもう覚めたよ。 あとは幻影と戯れるのじゃ。 幻影を楽しむのも面白いもんだぞ。 ワン」
「覚めた自覚がないのですが……?」
「一度魂の領域で覚えたことを、忘れることできるか? 頭で理解したものは忘れることがよくある。 が、ここ胸で覚えたことは忘れない。 ワン」
こうして二人の問答は幾度となく繰り返された。
秋の日差しが熱い日だった。
「のう、アマテル……」
「はい」
「ここに来てどのくらいになるかのう?」
「半年ほどですニャ」
「お前は、元の世界に帰る方法を知ってるよな?」
「はい、ユラユラを探せば……それが何か?」
「アマテルの母親に会ってきなさい。 そして今の生活を説明してきなさい。 心配してるはずじゃ」
「?……あっ、はい」
こうしてアマテルは色内神社の鳥居の前でユラユラを待つことにした。
「ミルさんはどうして急に母親に会えと言ったのかな?」
そしてユラユラから母の待つ世界へ戻ってきた。 半年ぶりの祝津である。 磯の香りが懐かしく感じた。 漁協の裏手にさしかかったとき後ろから声をかけられた。
「アマテル、アマテルじゃない?」
振り向いた先にいたのは黒猫のマユだった。
「マユただいまニャン」
「ただいまじゃないでしょ、今までどこに行ってたニャン?」
「ユラユラでむこうの世界だよ。 ミルさんというヨーキーに」
アマテルの話を途中で遮った「なにそのユラユラって? そんな事はあとでいいから、早くお母さんのところに行ってあげなさい」
「早くってどういうこと?」
「アマテルがいなくなってから、心労で体調崩し寝込んでるニャ」
「えっ、お母さんが……」
急いで母のところへ向かった。 漁協から一〇〇メートルほど離れたところにある民家の車庫に住居はあった。 そっと土台基礎の隙間から入った。 人間の着古したスエットを寝床に横たわっている母親がいた。
「お母さんただいま戻りました。 心配かけてごめんなさい」
毛が半分ほど抜け落ち、今にも死んでしまいそうなくらい衰弱した母親が横たわっていた。 その変わり果てた様子にアマテルは心配かけたことを申し訳なく思った。
「わたし帰ったからね、もう心配しなくていいから。 だから早くよくなってね……ごめんね」
「アマテルかい? お帰り。 どこ行ってたの? 元気にしてたのかい? ちゃんと食べてたのかい?」
母の第一声がアマテルを気遣う言葉だった。
「うん、ちゃんと食べてたよ」
「そっかい、また行くのかい?」
アマテルの頭は混乱した。どうしよう……なんて言おうか?
「いや、もう行かないよ……ずっとここにいるから」
「そっかい、そりゃよかったよかった」
アマテルはそれ以外返す言葉は思いつかなかった。 こうして母親の介護に精を出し数ヶ月が過ぎ、母親の体調も少しずつ快方にむかった。
「お母さんすっかり外は冷えてきたね、ここ寒いから違う寝床探そうね!」
「お母さんはここでじゅうぶん。 ここの家の人は私たちのこと知ってて住まわせてくれてるの。 魚や肉もくれるのよ。
じっとお母さんのこと見守ってくれてるの。 こんな家ほかに無いよ。 お母さん本当に感謝してるの……」
「うん、わかった。じゃあ越冬用に暖かい布を探してくるね」
アマテルはそう言って越冬に手頃な布を探しに出かけ、漁師が船の脇に捨てた手ぬぐいを持ち帰ってきた。
「ただいま~。 これ持ってきたよ」
母親は寝ていた。持ってきた布を母親にそっとかけまた外出した。
今のお母さんの体で、本当にあの車庫で越冬できるのかな?
そんなこと考えながら漁港に餌を探しに出かけた。
久々に形のいい新鮮なサバを手に入れ急いで帰った。 サバは母親の大好物の魚だった。
「ただいま帰りました。 ニャン」
いつもなら「おかえり」といういつもの母の声がない。 魚を置いて母親に近寄った。
「お母さん。 お母さん帰ったよ。 ただいま?」
横になったまま何の反応もない。 母親は眠ったまま目覚めることは二度となかった。 アマテルは母親体を丁寧に毛繕いし無言で見送った。
三日が過ぎ「お母さんありがとう」最後の別れを告げ家をあとにした。 とりあえず漁港で心配しているニャン吉大将とみんなに報告した。
ミミが「アマテルこれからどうするの?」
「わたし、ユラユラを探してむこうの世界に行ってくる。 相談したい犬がいるからこれからのこと相談してくる」
「ユラユラってなに? 犬って誰なの?」
「ユラユラ知らないの? 一緒に銭函の帰りに二人で迷い込んだ世界を知らないの? ニャ?」
「なにそれ? アマテル大丈夫なの? 母親のことで疲れてるんだよ。 もう少し休んだら?」
「……どういう事? わたしが変?」
アマテルの頭は完全にパニック状態になった。
翌日、色内神社の鳥居の前でユラユラを待つアマテルの姿があった。
第六夜「心身脱落と親方」
「ミルさんただいま戻りました」
「おう、戻ったか」
「母親が亡くなり、見送ることが出来ました」
「そっか、お母さん亡くなったか。 心ゆくまで母親を偲んであげなさい」
「はい、ありがとうございます。 そうさせてもらいます」
そしてアマテルは自分の住居に籠もってしまった。 幾日も幾日も外に顔を出さない。 アマテルは絶望の淵にいた。
身も心も疲れ果て、生きる気力も死ぬ気にもなれない。 そんな絶望の日が何日も何日も続いた。
もはや、頭の中は「死か生か」この選択しか無かった。
ハッキリ言ってそのどちらもどうでもいいと思った。 表に出て死のう。 死んでどうなるのでもないけどとりあえず死のう。 お母さん、ミルさん、祝津のみんなありがとう……。
わたし旅立ちます。
この辺で一番高い場所を探した。 この上から飛び降りよう。一本の背の高いポプラの木を見つけた。一番てっぺんに登った。 アマテルは死を選択したのだった。
「本当にみんなありがとう」手足の爪を納め、目を瞑り、足を踏ん張って飛ぼうとした次の瞬間。
アマテルの胸にどこからか声が響いてきた「アマテル!」
心の奥深くから聞こえる声だった。 その瞬間、こみ上げるような熱いものが胸を突き上げ、弾けた。 生まれてから今日までのこと。 今回の生まれる前の猫生や、これから生まれる予定の猫生と場所。 猫族の仕組み。 犬族の仕組みそのほかのことが一気にアマテルの中を過ぎっていった。
……なんか全部理解できる……
世界が変わった。
次の瞬間涙が流れだした。 ポプラの先端で一匹の猫が大泣きしてると、顔見知りのスズメがミルに報告に来た。
ミルはポプラの先端を眺めた。
「超えたな……」ミルは呟いた。
しばらくしてアマテルは木から下りてきた。 下ではミルが待っていた。 アマテルが地に足をつけたのを見計らい声をかけた。
「やったな、おめでとう・・・」
「ありがとうございます。きっかけを与えていただき感謝します」
「超えたあとの世界をゆっくり楽しみなさい」
「はい。 そうさせていただきます」
それが二匹の最後の会話だった。
数日間籠もったアマテルは、今まで疑問に思っていた事の答えを一つ一つ味わい、そして仕組みを楽しんだ。
七日目の早朝、住居から出てミルの休む住居の方角に頭を下げ、そのまま天狗山を下りた。
今のアマテルは恐れや不安など一切感じられない。 あるのは歓喜だけ。
総てはあるがままにある。
あるべくしてある。
世界は実に上うまくできている。
なんの問題もない。
すべてが完璧。
これが今の心境。
このまま他界して元の世界に戻ろうか。 そう考え始めた。
そこに一匹の老犬が通りかかった「のう、そこの猫さん」
「はい」
「この辺にミルというヨークシャーテリアは知らんかね?」
「ああ、あの天狗山のスキー場のリフトの下に行ってください。あの辺にいつもいますよ」
「そうですか、ありがとう」
「気をつけて下さいね」
「猫さん……何があったかわからないけど、生きてくださいな」
そう言い残し老犬は天狗山の方に歩いていった。
「あっ、ハイ、えっ?」
アマテルが振り返るとその老犬は既に消えていた。
「……生きろということか」同時に心の奥底から笑いがこみ上げてきた。
とりあえず行く当てがないから、もとの世界に戻ろうと色内神社の鳥居のところでユラユラを待つことにした。 前回来たときと今回の自分ではまったく違う。
港を歩き始めてすぐに呼び止める声がした。
「おい、アマテル。 アマテルじゃねえか」声の主は犬のクニオだった。
「久しぶりだな、その節は世話になったな。 元気にやってるか?」
「クニオさん久しぶりです。 はい、わたしは元気です」
クニオは職業上相手の態度や口調から、相手の心境を読み取るのが早かった。
「アマテルさんよ、あんたにいったい何があった? 尋常じゃねえなその目。 話してみねえか?」
アマテルはうっすらと笑みを浮かべながら「自分が見えたんです」
「なんだい? 坊主の問答みてえな言い方だな。 俺には難しいこと解らねえけんど、お前さんには世話になったからなんか困ったことあったら言ってくれ。 俺に出来ることなら何でもすっからよ」
「はい、ありがとうございます。いまのところ間に合ってます」
「そっかい、いつでも言ってくれよ。じゃあな」
そう言ってクニオは去っていった。
祝津に戻ったアマテルは岸壁でたたずんでいた。
「アマテル…アマテルさん」
空の方から声がした。 声の主は例のカモメだった。
「アマテルさん久しぶりだね」
「はい、お久しぶり」
「アマテルさんの雰囲気が前と違うので、どうしたかなと思い声をかけました」
「なにも変わりません……今も昔も」
「そうですか、海がしけて高波になります。 気をつけて下さいな」
「はい、ありがとうございます」
みんな気にしてくれてありがたいニャ。 その足で漁協に顔を出した。
ハチが「アマテル元気になったかい。 お母さんは残念だったね。あんたはお母さんの分まで長生きしなさいね」
「はい、ありあとうございます。ハチさんも」
数匹の猫がアマテルの周りに集まってきた。
「みなさん、母が生前大変お世話になり、本当にありがとうございました」
ニャン吉が「なに、堅苦しいことは抜きだ。 また一緒にここで俺たちと暮らそうニャン」
アマテルにたいする純粋な思いやりと気遣いが感じられた。
それから数日が過ぎ、祝津に三十匹ほどのガラの悪そうな猫達が突然現れた。 いきなりジン平を取り囲み顔に傷のある体の大きな猫が威嚇してきた。
「おい、この港の頭は誰が仕切ってるニャ?」
ジン平が「ニャン吉さんですけど、ニャン」
「ニャン吉さんてか? けっ、ちんけな名前だぜ。そのニャン吉さんとやらををここに呼んでこいや……」
「あ、あ、あんたは誰だ?」
「雑魚は黙ってろ! そいつに話すから、ここに呼びな」
「お、お、俺はあんたの手下でも何でもねえぞ」
「今はな、とっとと呼んでこいや。 毛抜くぞ! 髭も全部取っちまうぞオラ」
ジン平はシッポを下げたままニャン吉を探しに行った。 しばらくしてニャン吉がその猫たちの前に現れた。
「おう、あんたがニャン吉さんかね」
「あんたは?」
「俺はゲン、今日からこの港を仕切らせてもらう」
「なに? ゲンとやら、なに寝言いっとる。 お前は馬鹿か」
「ニャン吉ちゃんさあ……俺の云ってること聞こえなかったようね、ちゃんと聞こえるようにしてやろうか? 聞きたくないならその耳必要ないから食いちぎってやろうか? どうする? 返事しろオラッ!」
沈黙が続いた。
「お前らさっさと札幌に帰りな!」ニャン吉の威厳のある声だった。
ゲンは「おいっ!」周りにいた数匹の猫に合図をした。
待機してたその猫達が一斉にニャン吉を取り囲み噛みついた。 一瞬のことにニャン吉は抵抗出来ず、血だらけになりその場に倒れ込んでしまった。一瞬の出来事だった。
ジン平が「ニャン吉大将」側にかけ寄ったがすでに虫の息。
ゲンは淡々と「おい、ジン平よ、俺たちが何を言いたいのか
理解できるよな。 聞こえてるニャ?」
「はい、わかります」
「じゃあここの港の猫をみんな呼んできてくれるか?」
「はい」ジン平はシッポを下げたまま歩き出した。
二十数匹の猫が集まってきた。
ゲンの前には血だるまになったニャン吉が放置されていた。
「みなさん、俺はゲン。 今、札幌から来たところなのね、ここ祝津港はこのニャン吉さんから俺が任された。 今からここは俺たちが仕切るニャン。文句ある猫いる?」
横たわっているニャン吉に後ろ足で砂をかけた。
「俺に従ってくれないニャン子ちゃんは、ニャン吉さんみたいにこうなるかもね……どうするニャ」
「なぜそんなことをする!」群衆の後ろから声がした。
群衆の前に出てきたはアマテルだった
「おや? 聞こえない猫ちゃんがいるのね……感心、感心。
……オイお前ら!」仲間の猫たちに目配せをした。
猫たちはアマテルを一瞬で取り囲んだ。 アマテルはその場に座り込んみ、取り囲んだ猫たちの目をじっと凝視した。
すると取り囲んだ猫達が徐々に後ずさりを始めた。 そのうち震えて逃げ出す猫も出てきた。
ゲンが猫達に向かって「おい、おまえら何やってやがる。
さっさとけりつけんかいオラ」
ゲンが話し終わる前に、取り囲んだはずの猫は全員いなくなっていた。 その様子を見たゲンはアマテルに向かって歩き出した。
「おい、こら」
アマテルはゲンを凝視した。
アマテルをみたゲンはその目が異様に思えた。 大鷲が小動物を狙うような鋭い眼光。 同時にアマテルの顔がデコボコに見えたり鬼の形相にも見えた。
ゲンは足がすくみ始め、そして「おい、お前らこの島はやばい、とりあえず帰るぞ……」
こうして猫の集団は退散した。
みんながニャン吉大将のところに駆け寄った時には、既に息絶えていた。 何が起こったのか? どうしてあの悪猫たちが退散したのか、理解できないまま呆然としていた。
一匹の子猫が「お母さん何があったの? 親方どうしたの?」
母猫は返事をしなかった。 正確には母親も何が起こったのか理解できない。
アマテルは「さっ、親方を家に運んであげてください。 奴らは戻らないと思うけど念のため私がここに残って番をします」
こうして祝津の悲惨な一夜が明けた。
アマテルは「なんでこんな惨いことを……なんのために」
この世の無常を感じていた。
第七夜「無法猫とユラユラ」
ヤング親方の悲惨な死のあと、港は静まりかえっていた。
次期、祝津の猫衆を治めるのはハマに決定した。 港には祝津の全猫が集合した。
ハマが「今日からわたしがニャン吉親方の後を引き継ぐことになった。 いつ札幌の猫達が襲撃してくるかわからない。
だから周囲の異変には気を配ってください。 異変を感じた場合は自分だけで判断しないで、必ず報告してください。 これからはカモメさんも協力して祝津を守っていきます。 空からの目はとっても役に立つニャン。 そこでみんなにお願いがあります。 みんなが食べる食事の中から新鮮な魚を少しでいいから、カモメさん達にも分けてほしいの。 人間の手の届かない漁港の倉庫の上に置いてほしい……」
マユが「共存共栄ってやつね」
「そういうこと。 もう、二度とニャン吉親方のような目に遭うわせたくないの……一匹も」
こうしてハマが次期親方となった。
アマテルはいつも岩の上から遠くを眺め、カモメたちと会話を楽しんでいた。 ミミが岩の上にやってきた。
「アマテルはハマの言うことどう思うにゃ?」
「問題は襲撃を察知してからの対応ね」
「対応って……戦うか従うかってこと?」
「そう、阻止するということは戦うってこと。 共存を選択した場合、数の上で札幌猫が有利だから、祝津は札幌猫が仕切ることになるよね」
「当然よね」
「戦った場合も向こうが絶対数多いから結果はしれてる」
「ニャ……また、アマテルが出て行って追い返すってなわけにいかないの?」
「無理ね、この前は不意だったから何とかなったけど、今度はそうはいかないよ」
「でも不思議なんだけど、なんでアマテルを見てみんな逃げてしまったの?」
「うん、あれは簡単、あの猫たちの今の自分の気持を見せてあげたの」
「どういうこと?」
「人間の使う鏡みたいなもの。 私を見た瞬間すごく怖い顔に写ったのよ。 何故なら自分たちの負の心が、そのまま私の顔に反映されたからなの。 つまり自分自身に怯えてしまったの……逆に優しい目で私を見たらすごく優しい顔に見えるの。 でも、今度は私の目を見ないでかかってくると思うよ、そしたら以前のようなわけにいかないの!」
「アマテルが何でそんなことできるの?」
「それは今度ゆっくり説明するニャ」
「今度はできないのかぁ……じゃあ私たちどうなるの?」
「わたしにもわからないニャ」
二匹は遠くに目をやった。
そのころ札幌であの悪猫達の集会がなされていた。
ゲンが「前回はあのバケ猫が邪魔しに入った。 が、今度は問答無用一気にたたみかけるニャ。 あいつの目は絶対に見るな。 悪魔が取り憑いてるかもしれニャイ。 いや、きっと取り憑いてる」
ゲンはなぜ仲間達や自分までが、一匹のメス猫ごときに尻込みしたのか理解できないでいた。 未だ見たことのない恐ろしい形相の顔が目に浮かぶ。 まったく理解できない。 不安をかき消すためにも、一気に押し込む方法を考えた。
その頃アマテルは無事に解決できる方法を岩の上で考えていた。
ミミが「ところではなし変わるけど、以前アマテルが留守していて祝津に戻った時のことなんだけどね」
「なに?」
「色内神社でユラユラがどうのって言ってなかった?」
「うん、覚えてるよ……うっ? ちょっと待って、そっか、そういう考えもあるか……ミミありがとう。 いいヒントになった……わたしと付き合ってくれない! 面白いもの見せてあげる」
こうして二匹は色内神社に向かって歩き出した。 歩いている途中でユラユラのことや、以前あったことを話して聞かせた。
「えっ、そんなことあったの? 全然覚えてないけどどうしてなの?」
「ミミの防衛本能が働いたのよ。 全然理解できないことが起きると頭がパニックになるの、そして本能的に忘れ去ることを選んだのよ。 ミミは死は怖くない?」
「別に怖くないニャイけど」
「死は必ず来ること知ってるでしょ。 でも怖くないということは本能的に死を遠くに置いてるの。 それが持って生まれた防衛本能なの。 だから怖くないの……解る? でも、ニャン吉親方が殺されたとき死に対してどう考えた?」
「怖かった」
「それは、死が近くに感じたからなの」
ミミは首を傾げながら「その防衛本能ってなに?」
「生きる力。 生命力と関係してるの」
「ふ~~ん、生命力か? わからないニャイ。 アマテルなんだかお母さんの死後変わったよね……」
「うん、大きく変わったよ、大きく……」
ミミはアマテルのことが遠い存在に感じた。 二匹は色内神社の鳥居の前に立った。
ミミが「なんか不思議と懐かしくかんじる……この感覚
なんだろう?」
アマテルは黙って微笑んだ。
ミミが「鳥居と札幌の襲撃となんか関係あるの?」
「うん、札幌の連中が小樽に攻め入ってきたら、事前にカモメさんから連絡が入るようになってるの。 そしたら祝津の全猫がこの鳥居から避難できないかなって思ったの。 カモメから連絡受けて半日の時間的猶予があれば、必ず避難できるの。 あとは潮の満ち引き次第」
「それって逃げるっていう意味?」
「そう、多勢に無勢で傷つくより避難した方がよくない?」
「なんでシッポ巻いて逃げるのよ」
「勝ち目がない戦をする気なの? 相手は無法者。 手段を選ばないの。 それよりも一回避難して時間をかけてよい方法を練り直す。 それから戦っても遅くはない。 本当は血は流したくない」
「アマテルの考えはわかった。 でもなんで鳥居に来たの?」
「むこうの世界を一度見せておかないと、かってに私たちが集団で乗り込んだら、今度は向こうの猫集がパニックおこしちゃう」
二匹はユラユラから入ってむこうの世界の猫たちの了承を取ることに成功した。 但し、滞在期間を三ヶ月にするという条件付だった。 こうして、祝津に戻りハマと他の猫たちに報告した。
ジン平が「それって逃げるって事だろ……百年以上続く祝津猫のプライドが傷つくことになるミャ」
ミミが「絶対勝ち目がないのに戦うんですか? 雄猫が全滅したら祝津猫の血が途絶えてしまうかもしれません」
「だから、その思考が祝津猫が負けることを前提に考えてるんだ……!ミャ」
ミミは「だったら、他の方法を教えて下さい。 ハマ大将はどう思いますか?」
「う~ん、今の段階では多勢に無勢。 他に攻略を考えてる暇はないニャ。 ここはミミとアマテルの案に同意した方が良さそうだニャン。 向こうにいる間に体制を整えて期を待つ。 ここで祝津猫の血を絶やすわけにいかニャイな」
こうしてカモメに見張りをたのみ、まんじりとしない日を過ごすことになった。
カモメが「お~い、アマテルさん札幌から三十匹近くの猫が小樽に入ったよ。 あの早さだと一時間でここに着く」
「カモメさんありがとう。 必ず祝津に戻ってくるからね。
素性の悪い猫達に気をつけてくださいニャ」
こうして祝津の猫は別世界に避難することになった。 札幌猫は一時間後祝津に入った。
ヨモ猫のジョーが「ゲン大将、猫一匹おりません」
「きっと我々がくることを察知して、どこかに潜んでるかもしれんから油断するな。 ここに五匹残って他の猫は徹底的に祝津のまわりを探せ。 見つけたらここに連れてこいニャ。
抵抗する猫はその場で噛み殺せ。 ここは今から我々のもの」
その頃、祝津の猫達はユラユラを待って鳥居の前に待機していた。
潮が満ちてきた頃ユラユラが出現した。
アマテルが「みんな、このユラユラから入るのよ。 ミミの後について入って下さい。 私は最後に入ります急いで下さい……」
ミミに従って順々に入った。 最後にアマテルが入ろうとした刹那。 アマテルのシッポを噛んで、入る事を阻止する何者かがいた。 アマテルが振り返るとそこにいたのは札幌猫のジョー。 すぐ数匹の札幌猫も現れた。
「お前、あんときの猫だな。 この前は世話になったな……
たっぷり仕返しさせてもらうニャ」
こうしてアマテルだけが取り残されてしまった。
「ゲン大将、一匹見つけました 。例の変な猫です」
「チッ、あれか! 一匹だけか? 他の猫はどうした?」
「それが……幽霊みたいに消えました?」
「消えた?幽霊?馬鹿かお前は、ジョーを呼べジョーを」
「もうすぐその猫を連れて戻ります」
そこにアマテルを連れてジョーが戻ってきた。
「ゲン大将ただいま帰りました」
アマテルに向かって「おう!お前か……」ゲンは目を合わせずに言った。
「私はアマテル。なぜこんなまねをする!」
「無用な問答はしニャい。俺たちはここに住むそれだけだ」
「ここは我々祝津猫が昔から住みついている場所。 住みたいのならそれなりの挨拶というものがある。 あなた達のやってることは強奪よ!」
「何とでも言え。 今日からここは俺たちのもの」
「なぜ札幌を追われたかわかるの」
アマテルの言葉に取り囲んだ猫たちは、お互いの顔を見合わせた。
一匹のヨモ猫が、隣のネコに小さい声で「あの猫、どうして我々が札幌を追われたことわかるの? だれか言ったのかな……?」
側にいた猫が「しっ、聞こえるから黙ってなさい」
アマテルが「言ってあげましょうか」
「うるさい、お前には関係ない黙れ、黙れ」
「あなた達は最低の礼儀を知らないから、札幌の猫仲間から
厄介猫扱いされたの。 地方への制圧でもなんでもないの。そのことを知らない猫への体裁を考えたのよ。そして追われた者同士が群れをなして、札幌から離れた場所に住もうということになった。 それだけのこと。 あなたの統率力でここまで来たわけじゃない……だからあなたはいつ自分が襲われるか解らない……心配で。 しまいには一匹で安心して寝ることもできないの。 まだ言ってほしいの?」
ゲンはシッポの毛がだんだん逆立ってきた「うるせえ! おい誰かこのメス猫を噛み殺せ。 ジョーお前やれ」
ジョーは下を向いたまま動かない。
からだじゅう傷だらけのヨモ猫タマが「なら、ゲンさんあんたがやれば……」ゲンの力量を試すか、逆らってるような口調だった。
その言葉にいらついたゲンは威圧的に「タマ、今、何って言ったおい」
「もう一回聞きたい? 自分でやればって言ったんだ。 今度は聞こえたか? えっゲンさんよっ」完全に挑戦的だった。
「まあ、お前のことは後で話しつける。 ジョーはどうなんだ?」
「ゲンさんこの猫なんか、不気味なんですけど……」
前回祝津でアマテルを取り囲んだ数匹の猫は皆頷いた。
「なんだ、なんだ、お前らは、じゃあ俺がはなし……」
言い終わらぬうちにアマテルに飛びかかった。
その瞬間アマテルは姿を消していた。 そして音もなくゲンの後方に立っていた。 まわりは、目の前でなにがおきてるのか見当がつかない。 ただ瞬間的にアマテルがゲンの攻撃をすり抜け後ろに回っていたということだけは理解できた。
ハッキリ言って目で追うことができなかった。 後ろに回ったアマテルがゲンの耳に囁いた。
「あなたが私と戦うのは無理です。 勝ち目ありません。
これ以上争いは辞めましょう……」
ゲンはもう引けなくなっていた。 それを判断したアマテルは、次の矛先をもう一匹のメメに向けた。 瞬間メメの後ろに回り込んだ。
メメがとっさに身を伏せ、アマテルの足に牙を向けた。 アマテルは間一髪でかわし、また後ろにまわった。 そしてメメの首の付け根にアマテルが牙をかけた。
「これ以上やると食いちぎるわよ、どうする……」
すべてが一瞬の出来事だった。
三匹の猫が三つ巴になった。 不思議な静寂の中アマテルが「わたし争いは嫌い! あなた達がやるというなら相手になるけど。 もう解ったでしょ。 あなた達は一度死んだのよ。私が手加減してあげたの……今のあなた達に私は倒せない」
メメが先にシッポを下げ。 そして、ゲンがシッポを下げ爪を引っ込めた。
「解っていただいたようね……さあ、どうします? 祝津猫の仲間に入るか。 このまま札幌に退散する? 仲間になる場合はハチというボス猫の下になることが絶対条件」
ゲンのもくろみがすべて音を立てて崩れ落ちた。
「みんなと相談させてくれ……」
ゲンがみんなのもとに歩み寄り事情を説明した。 一部始終を見ていた仲間の猫は、アマテルの迫力に圧倒され、そして従うことを全員一致で決定した。
「それで決まりね。じゃ私が祝津のみんなを呼んでくるからその辺で待ってて。 潮の変わり目には戻るから」
ハチと仲間達に事情を説明してみんなの意見を仰いだ。
ハチが「アマテルに任せようと思う 。我々も祝津を離れるのは辛いし、戦うこともしたくない。 双方が歩み寄って暮らすのが最善だと思う……」
意見はまとまった。 双方が歩み寄り、ひと月が経ち祝津漁港の猫たちは、前以上に活気づいた。 猫が急に増えたため人間はたくさんの雑魚を与えてくれた。 餌の奪い合いは一度もなく。 札幌猫も古くからここに住んでいた仲間ように無理なく溶け込んでいた。 その光景を見ながらアマテルは祝津を離れる決意をした。
アマテルが「ミミ、わたし旅に出る」
「なんで?」
「何かが待ってるような気がするの。 今の段階では解らないけど、何かが私を待ってる気がする。 みんなには黙って行くけどごめんね。 ミミも元気で……」
「アマテル、ありがとう。いつでも戻ってきてね。 あんたはここが故郷なんだから。 祝津猫なんだから……」
ミミは胸が熱くなり、それ以上言葉が出てこなかった。
第八夜「不思議な町」
祝津をあとにしたアマテルは海岸沿を西に移動した。
オタモイ、塩谷、桃内、蘭島と漁港を探索しながら、小樽の西の外れまで足を伸ばした。 蘭島の小さなトンネルを抜けるといきなり視界が開け、砂浜が続き遠くに切り立った岬が目に入った。 小樽とは異質で独特のバイブレーションを感じた。
ここはなんていう町? その小さなトンネルが異世界を繋ぐゲートのようにも思えた。 あのユラユラと少し違うけど共通する空気感があった。
さらに足を進めると民家の数が次第に増えてきた。
歩きながらさっきの空気感はなんだったの?
以前のアマテルなら感じないことでも、今のアマテルは感覚が研ぎ澄まされ、ちょっとした異変を見逃さない。
町に入ったところで一件のほったて小屋が目に入った。
歩き疲れた体を横にして砂浜の波を見てるうちに寝入ってしまった。
目が覚めたときには辺りが暗くなっていた。
海には水平線にイカ付け漁の明かりが横一列に並び、空には満点の星空。 こんな穏やかな気持ちで観る景色はひさしぶりだった。
子供の頃母親と祝津で経験して以来。 いや、景色が穏やかではなく観ている自分が穏やかなんだ。 心の穏やかさが受け止める景色も変えて観せるるんだ。 アマテルは思った。
「ねぇ、そこの猫さんここでなにやってらの?」声の主はマメ柴。
「景色を見てました。ニャ」
「楽しい?」
「はい」
「なんで?」
「綺麗だから」
「綺麗なの好きなんですか?」
「はい、あなたは?」
「どうでもいい……」
「毎日見る当たり前の景色だからそう思うのよ」
「今日ここに泊まらない?」
「ありがとう。 でも、今まで寝てたからもう眠たくないの」
「なんだ、つまんない……」
「どうして?」
「わたし、知らない動物のはなし聞くのが好きなの」
「どんな話ししたらいいのかな? あなた猫の友達いるの?」
「いない、噛みつかれたことならあるもん」
「あら……ぷっ!」
「猫は何であんなに運動神経がいいの?」
「犬だって鼻が良いじゃない」
「猫はジャンプ力も凄いよね」
「犬は噛む力が猫の数倍強いじゃない」
「……」
アマテルは笑顔で「動物というのはそれぞれ特性というものがあるのね、トンビや鷹さんは走るの遅いけどその分空を飛ぶことが出来るし、遠くまで見える目がある。 爪も鋭い。フクロウやテンは暗闇でも目が見える。 だからみんな自分の特性を心得て上手に生きてるの」
「そっか・・・おねえちゃん頭いいね」
「あなたもすぐに分かるわよ。 動物の中でも犬、猫は昔から人間に飼われて食事を与えられているけど。 カラスをごらん。 毎朝人間の捨てたゴミをあさって生きてるのよ。 人間に嫌われながら……どう思う?」
「かわそう」
「でも、私たちと違い大空を自由に遠くまで飛んで、好きなところに自由に行けるよ」
「そっか、猫さんはなんでも知ってるね!」
「あなたより少し多く生きてるからね。 せっかく人間に飼われてるのだから人間の生き方も楽しんだらいいのに」
「ワン、ありがとう。 私、猫さんと話せてよかった」
「楽しんでね、さようなら」
「あっ、そうだ猫さんこれからモイレの辺り行くと楽しいことあるかもね」意味ありげに言った。
「モイレね、分かった。 行ってみる、ありがとう」
歩き出したアマテルは立ち止まり振り返った。 今話したばかりのあの犬が消えていた。
「えっ? どういうこと……なんなの?」
少し歩くと、ただならぬ気配を感じていた……今まで感じたことない悲しみが伝わってくる。 その瞬間「死」の感覚を味わった。 ここは豚の食肉加工場だった。
初めての感覚を感じながら歩き続け、民家を抜けた辺りで大きな川にぶつかった。 そこを跨ぐ大きな橋を渡り小高い山の陰を歩いていると大きな蛇が声をかけてきた。
「猫さん、どこ行く?」
「モイレというところですけど」
「ここがモイレ」
「そうですかここがモイレですか、ありがとうございました」
「モイレになんの用?」
「分かりません。 今さっき柴犬さんに『モイレで面白いことあるかも』って聞いたので寄ってみました」
「この辺は面白いことなんかなんにもない。 あるのは防波堤とヨットハーバーと昔の番屋と夏場の海水浴場ぐらい」
「そうですか、急ぐ用事がないからゆっくり見て回ります。ありがとう、さようなら」向きを変えて歩き出した。
「ちょっと待って」
「まだ、なにか?」
「僕がなにも無いって言ってる、なんで行く?」
「理由がないと行ってはいけないの?」
「僕はここで色んな動物と話している、この先なにもないって説明したら、普通はみんな引き返す……」
「引き返す理由がないから行くの。それがなにか?」
「うん確かに、でも、行く理由もない……」
「理由はないけど、私の足が行きたがるから行くの」
「行っても意味がないのに行く?」
「行く意味があるか無いか、なぜ分かるの?」
「今までもそうだったから」
「今まではそうかも知れない。 でもこれからは違うかも知れないよ」
「なんで?」
「未来は決定してないから」
「だって今まではなにもなかったんだから、確率的にこれからもないはず……」
「なぜ決めつけるの?」
「確率的に1」
「今こうして私があなたに会った確率は? 北海道の全部の猫と、全部の蛇の中から私とあなたが出会う確率は?」
「………」
「確率だけでいうと天文学的確率よ。 こんな出会いは確率で解決できないよ」
「………」
「だって二匹がこうして出会ったのは、偶然じゃなく必然だから」
「必然……?なんで?」
「あなたはここから離れることが出来ないでいる。 あなたをここから解放してくれる誰かを待ってたからよ。 そこに私がタイミング良く通りかかった。 あなたが引き寄せた必然的確率なの」
「私は解放を望んでない」
「そう、それはよかった。 じゃあなぜ私に声をかけたの?」
「通りかかったから」
「あなた、ここを通りかかったものには全員声をかけるの?私に声をかけたのは無意味なお節介なの?」
蛇は返答に困った「……」
「本当はいろんな地方を旅して、見聞したいのでしょ。 その一歩が踏み出せない。 本当はあなたを縛るものなどなにもないのよ。 初めから……」
「ないの?」
「そう、ない」
「初めから? 本当に?」
「本当にっていうか最初からなかったのよ。あなたが自分で作った幻影なの」
「自分で作った幻影……?」
「そう、幻影。 最初からなにもないのに、あなたはその幻影をでっち上げてしまったの。 そして自分自身を縛りつけてしまった。 でも、もう大丈夫。 そのことに気づいたあなたは自由にどこへでも行ける。 長い間お疲れ様でした」
「ありがとうございました」蛇の顔が明るく輝いた。
蛇はこの場から一瞬で姿を消してしまった。
また消えた……この町はいったいなんなの? 今のもわたしの幻影なの?
アマテルはまた歩き出した「まだまだ理解出来ないことがあるんだ」ワクワク感をおぼえた。
砂浜を歩いているとヨレヨレの一匹のカラスが、人間のゴミカゴをひっくり返していた。 次の瞬間カラスも一緒に転げ落ちてしまった。
「いでで……」
通りかかったアマテルが声をかけた。
「カラスさん、大丈夫?」
「ありがとう。わしは大丈夫だで、ほらこのとおり」
カラスは羽をひろげてみせようとしたが、右の翼が思うように開かない。
「いででで」
アマテルはそっと駆け寄り「大丈夫?」
「いででで。 年を取ると動きが鈍くてかなわんのう、猫さんありがとうね」
「いえ、本当に大丈夫ですか? 巣まで私が運びましょうか?」
「どやって運ぶんじゃ?」
「私の背中に乗ってくれたらいいですよ」
「わしがお前さんの背中に乗って、隙を見て首にくちばしを立てたらお前死ぬぞ……それでも乗せるのか?」
「いいですよ」
「なにがいいのじゃ?」
「くちばしを立ててもいいですよ」
「お前は馬鹿か? カラスが背後からくちばしを立てるということは、殺すということぞ、そんなことも分からんのか?」
「カラスさんは私を殺したいの?」
「わしだって年老いてもカラスじゃ、猫の一匹や二匹やろうと思えばまだまだやれるで」
「やるって、殺すっていうこと?」
「そうだ」
「わたしを殺すの? カラスさんが?」
「……?」カラスは返答に困った。
「ねっ、だから背中に乗ってもいいわよ」
「お前さんは変わった猫よのう」
カラスは未だかつて出会ったことのないタイプの猫に興味を覚えた。
「わしが乗ると背中に爪を立ててしまう。 背中に傷がつくのでできる限り歩くから、その横をトンビや鷹から護ってくれんかのう」
「はい、わかりました。気をつかってくれてありがとうございますニャ」
(今度は、こいつの方から礼を言った。 こいつなに者? 馬鹿猫?)カラスは心の中で呟いた。
「はい、ただのメス猫です。馬鹿猫もあってますニャ」
カラスは立ち止まりアマテルの方を向いて「わしの心が読めるのか?」
二匹は山の方角に向かってしばらく歩いた 。大きな鉄塔の下を通りかかったその時だった。 後方から黒い影が爪を立ててカラスに襲いかかってきた。
「あぶない」叫びながらアマテルは猫パンチで相手を威嚇した。 襲いかかってきたのは大きなトンビ。 トンビはそのまま舞い上がり、上空から鋭い目で隙を狙い、円を描いて飛んでいた。
「猫さんありがとうね、あいつは昔からわしと仲悪いのよ。隙を見せたらいつも襲いかかってくるんじゃ」
アマテルはカラスを巣に送り届けた。 もどる途中で空から声がした。
「おい、おまえさっきはなんでカラスをかばった?」
声の主はカラスを襲ってきたあのトンビ。
「だって、カラスさんがケガしてたから、私が巣まで送る約束したニャ」
「お前は猫だろがなんでカラスを守る?」
「だから、守る約束したからニャ」
「あいつは悪いカラスなんだぜ・・・」
「私には悪いかどうかなんて関係ありません 。ケガをしてたから送り届けたそれだけニャ」
「じゃあ私がケガしたら同じことするのかい??」
「希望とあればします」
「なんで?」
「断る理由がないから」
「普通断るでしょ。 私は猫の天敵なんだから」
「あなたもカラスさんと一緒ね」
「失礼な、私とカラスを一緒にするな!」少し威圧的な口調になった。
「なぜ怒るの?」
「当たりまえだろ、わたしをカラスごときと一緒にするな。今度いったら殺すぞ!」
「殺す? どうぞ」
「本当に殺すぞ1」
「だから、どうぞ」
トンビはアマテルの目の前に勢いよく降りた。
「怖くはないのか?」
「べつに」
「お前は死ぬんだよ」
「はい」
「変わった猫だねえ……」
そこにもう一羽のトンビがやってきた。
「お母さんどうしたの?」トンビの息子だった。
「この猫殺されてもいいっていうのよ」
「そうなんだ。 母さんよかったね、殺そ!」
アマテルが「どうぞ殺してください」
母トンビが息子に「ねっ、言ったでしょ」
息子は「じゃあお言葉にあまえていただきま~す」
そう云ってアマテルに近寄ってきた。
第九夜「死への意識」
トンビの子供がその鋭い爪でアマテルに襲いかかろうとした。 その瞬間黒い影がさえぎった。
「殺すならこのわしを殺しなカァ~」さっきのカラスがトンビとアマテル間に割り込み、翼をひろげアマテルの盾になって立ちはだかった。
アマテルが「カラスさんどうして?・・・」
「どうせ、わしはもう長く生きられないからさ、あんたの代わりに死んでもいいかなって思ったんじゃ」
母のトンビが「あんたも、ようやっと覚悟を決めたのかい、じゃあ二匹とも頂こうかね」
カラスは「それは、わしが許さない」
トンビの息子は「お母さん僕は猫食べる」
その時だった不穏な気配を感じた母トンビが上に目をやった。 上空には数十羽のカラスが下の様子をうかがっていた。
そのうちの一羽が勢いよく両者のあいだに降りてきた。
「そこの二羽、お前達なにをやろうとしている。 なんなら私たちが全員相手になろうか?」
子供のトンビが母親に「お母さんこの状況って、とってもまずくない?」
「チッ、行くよ」二匹のトンビは飛び立った。
そのカラスが「猫さん、さっき、その爺さんを助けたところからずっと観察してたけど、あんたやるねぇ~! 本当に死が怖くないんだね。 どうやって死を克服したんだい?」
アマテルは「わたし自殺を考えたときに死を見つめたんです。そして死を素直に受け止めました」
「どうりでね、私たちカラスは死というものにたいして敏感なのさ、死に行ゆく者は死の臭いがするんだ。 あんたは臭いがしないのに死を受け止めてる。 そんなこともあるんだねぇ? 不思議な猫だ。 爺さんが世話になったな」
その場からカラスはいなくなった。 アマテルは何事もなかったようにまた歩き出した。
丘を越え平地に広がるリンゴ畑の下をのんびり歩いていると、今にも息絶えそうな死直前の狐と出くわした。 狐は横になり死を待っていた。
「狐さんどうしました?」
「?猫さんかい、私はここで死を待ってるんだ」
「リンゴ畑が好きなんですか?」
「そうだ、甘い香りを嗅ぎながら死ぬのもいいかなって……」
「甘酸っぱい、いい香りですね」
「いいだろう、死ぬにはもってこいの場所だ。 この辺では見かけない猫だけど、あんたはどうしてここに?」
「私はアマテルっていいます。 小樽の方から来ました。 この町がちょっと不思議な感じがするので散歩してます」
「そっかい、小樽からわざわざここに……気をつけなさいよ。ここらは山犬が多くいるから。 あいつら凶暴だから」
「はい、ありがとうございます」
次の瞬間、狐は大きく息をして旅立っていった。
アマテルは地面に落ちているリンゴをひとつ、狐の顔の所にそっと置いてその場を立ち去った。
喉が乾いたので近くの小川に水を飲みに下りた。 今まで感じたことのない獣の臭いがした。
「おい!」いきなりアマテルめがけて襲いかかる犬がいた。
アマテルは反射的に攻撃をかわしたが、犬の勢いに対処できず、木に頭を打ち付けて気を失ってしまった。
体から抜け出たアマテルの意識は、死んだ母親と一緒に祝津漁港で海を眺めていた。
「母さん、ただ今」
「おやアマテルかい、毛繕いでもしてあげようか?」
「ありがとう。でも自分でやるからいいニャ」
「そっかい、じゃあ母さんの毛繕いやってちょうだい」
「は~い」
「ところで、お前はまだまだやることある。 お前を必要としてる動物がいるんだから、もうすこし頑張りなさい」
「必要としてる動物ねぇ……?」
「生きてるうちは、みんな助け合って生きるんでしょ」
「そうだよねぇ、戻ろうか……」瞬間意識が戻った。
アマテルは気がついた。 あの獣くさい臭が鼻をさした。 野犬の巣に運ばれていたのだった。
「ここどこ?」
側で子犬が一匹寝ていた。 瞬間すべての記憶が蘇った。 そうだ犬に襲われそうになって避けたとき頭を打った。 ここは……犬の巣?
「ねこのお姉ちゃん、おきた?」子犬の声だった。
「ええ……?」
「ぼく、お姉ちゃんをもらったんだ」
「誰から?」
「お母さんからだよ。 僕の自由にしなさいって」
「そうなの?」
「うん、だから遊ぼうよ」無邪気に言った。
「いいけど、なにやって遊ぶの?」
アマテルに野犬の巣から逃げようとする気はなかった。
「ぼく、おっかけっこ大好き・・・」
「いいけどその前に、私はアマテル。 あなた名前は?」
「ぼくはフォーだよ、フォー」
「フォーくんか、強そうな名前だね」
「うん、僕お父さんみたいに強くなるんだ」
「そっか~強くなってね。 じゃあ鬼ごっこしようね」
二匹は畑に出た。
「どっちが鬼になる?」
「お姉ちゃん」
「はい、分かりました。 じゃああそこの木の所まで行ったら追っかけるね」
こうしてアマテルとフォーはしばらく鬼ごっこをした。 二匹は疲れるまで走りまわった。
フォーが「あ~楽しかった。 僕早いでしょ?」
「フォーくんすごく早いね、私、何回も捕まったもんね」
「僕、そろそろ眠くなってきたから帰るもん」
「はい、分かりました。じゃあ巣に送るね……」
二匹が巣に戻ったときだった。 母犬が勢いよく飛び出してきた。 そしてアマテルの後ろに回り込み首をくわえた。
相変わらず無抵抗のアマテルだった。
「私の子をどうしようというんだい」
「お母さん、このお姉ちゃんたくさん遊んでくれたんだよ。お姉ちゃんを殺さないでお願い……」
母犬はアマテルを解放した。
「おまえ、いつでも逃げる隙があったのになんで逃げない?」
「わたし、フォーくんを家まで送る約束したから」
「おまえは馬鹿かい? こんな子供との約束なんかどうでもいいだろう。 食われるかも知れないというのに」
「フォーくんとの約束ですから」
「……?わたしは、おまえの言ってることが理解できない。気持ち悪いからさっさと行ってしまいな」
アマテルは「フォーくんまたどこかで会おうね。楽しかったよ。 さようなら」
「お姉ちゃんどこ行くの?」
アマテルは振り返らずに無言で歩き始めた。
「お母さん嫌いだ。 いつも僕が友達作ると首を噛んで僕から離すんだもん。 いつまでたっても友達できないじゃないか」
「私たちは家畜や家で飼われてる動物と違い、嫌われ者なの仲良くしたらだめなの」
「いつもそう言うけど。 僕だってみんなと遊びたいもん」
「親の言うこと聞かないと、あんたも噛み殺すよ。 私たちはその辺の犬と違うんだ 。覚えときな!」
その頃アマテルは、ここに来てたった数日だけど、いろんな動物と巡り会ったことなど、思い起こしながら歩いた。 途中の橋の下で腰を下ろしていた。 今日はここで休もうと決めた。 一晩明かしたアマテルが水を飲みに川辺に来た時だった。 いきなり魚が空から落ちてきた。 上を見上げるとカラスが旋回していた。
「カラスさん、魚落としましたよ……」
「いいや、君に上げたのさ」
「ありがとう。 でも、どうして?」
「きのう仲間の年寄りカラスを助けてくれたお礼さ」
「ありがとう……」
「そっちに下りてもいいかい?」
「どうぞ」
カラスはアマテルの前に下りた。
「僕はカイだよ」
「私はアマテルです」
「僕は昨日、君と野犬が遊んでるところを見たんだ? 不思議な二匹だなって思ったんだ。 普通、犬と猫は仲が悪いだろ。 特に野犬ってやつは凶暴なんだ。 なのに一緒に楽しそうに遊んでるんだもの、君はいったいなに者?」
「私はただのどこにでもいる普通の猫」
「僕をからかうのかい、普通の猫がカラスをかばったり、野犬と仲良くしないぜ!一瞬で食われておしまいさ」
「私は魔法使いでもなんでもありません」いつもの口調で淡々と答えた。
「あれだけ生き死に関わることをやっておきながら、なぜそんなに落ち着いてられるの?」
「なんででしょ……死が怖くないからかな」
「それってどういうこと?」
「私たち動物にとって最大の問題は死。 どんな動物も例外なく死にます。 それを知りながら誰もが、その死に逆らって生きてるの、厳密に言うと逆らうというよりも死を遠くに置いてると言った方が分かりやすいかしら。 でも、その死を超越することができるの私のように。 たったそれだけの違いかな」
「どうやって超越したの?」
「色々あるけど私の場合は、死のうと木から飛び降りようとしたのその瞬間死を飛び越えたの」
「僕も死を超越出来るかな?」
「出来るかもしれないし、そのまま死ぬかもしれない」
「死ぬのが怖いな……僕には出来ないよ」
「わざわざ超越しなくてもいいと思うけど。 時期が来たら自然と受け止めるから」
「そっか、じゃあもう考えない」
「そうよ、いつかそういうときが必ず来るよ、今から焦らないの。 楽しく今を生きてくださいな」
「うん分かった。 でも君って不思議な猫さんだよね」
「不思議でもなんでもありません。 ただの普通の猫です。もし、違うとしたら自分らしく生きてるっていうことかな」
「自分らしくって…みんな自分らしく生きてるでしょ」
「他の目を気にしないで生きていますか? 誰かに合わせようとかしてない? 私が言ってるのは本当の自分らしくっていうことだけど」
「本当の自分らしくね、そっか……そういえば仲間のカラスに合わせてるかな、合わせないと自分だけ取り残されそうで不安かも……なるほどね。 もう一つ質問していい?」
「はい」
「アマテルはこれからどこへ行こうとしてるの?」
「決まってません。 風の吹くまま」
「僕もそうやって生きてみたいな……」
「生きてみたらいいじゃない」
「僕たちカラス仲間にはしがらみが多くてね……」
「そのしがらみはみんな自分で作ってるのよ。 そこも私と違うところかな?」
「だって僕だけ勝手なこと出来ないじゃないか」
「あなたは何のために生まれてきたの? 自分を楽しむためじゃないの? 他人に合わせたり、しがらみに従うために生まれたの……?」
「でも、そうしないとカラス社会で生きていけないよ」
「そこなのよ、そこが私とちょっと違うところかな」
「猫社会で生きられるの?」
「はい、ちゃんと猫社会で生きてます」
「だって一匹で行動してるじゃないか」
「今は一匹で旅を楽しんでるの」
「旅してどう? 楽しい?」
「いろんな動物と話せて楽しいよ。 ここであなたと会話してることも旅の途中の楽しみ」
「僕もできるかな、ひとり旅」
「旅をしたければ、まず一歩を踏み出すのよ、簡単なこと。旅は誰でもできます」
「……」
「今、わたしが言ったでしょ、しがらみからの解放」
「考えてみます。今日は話ができて楽しかった。 気をつけて旅してください」カラスは空へ消えていった。
さて、ここらで小樽へ戻ろうかな……
来たときのトンネルをくぐって小樽へ戻っていった。
第十夜「嫌だ」最終話
小樽に戻ったアマテルは、地元祝津で暮らし数年が過ぎた。札幌から来た猫達もすっかりうち解け、小樽猫との間に子供ができた。 今は二代目三代目が育っていた。
札幌衆という言葉もここでは、敵対語から友情語に表現が変化し、次第に死語となりつつあった。
アマテルも九歳をむかえた。 暇なときはいつも岸壁の上で水平線を眺め、瞑想するのが日課となっていた。
いつものように瞑想していたアマテルのところに一匹の猫が近づいてきた。 親友黒猫ミミの孫娘マメだった。 マメはアマテルが大好きで身の回りの世話係も務めていた。
「アマテルさん」
「マメどうしたの?」
「アマテルさんに会いたいっていう猫が、漁協に来てますけどどうします?」
「うん、分かった。 夕日がとっても綺麗だからここに来て一緒に見ましょうって伝えてくれる?」
「はい、分かったニャ」
それからマメは一匹の猫を連れてやってきた。
「アマテルさん連れてきましたニャ」
「マメありがとうマメ」
猫はもじもじしながら、アマテルの顔をじっと見ていた。
「こんにちは」アマテルが優しく語りかけた。
「こ、こ、こんにちは、わたしミロです」
そのまま下を向いて黙ってしまった。 二人の間に沈黙が続いた。 夕焼けが色を増し赤く燃えるような空が三匹を包んだ。
マメが「ミロさん、なんか言いなさいよ」
「しっ!」アマテルがマメの言葉を制した。
そのまま沈黙は続いた。辺りは夕闇が濃くなり水平線に浮かぶイカ付けの明かりが独特の静寂を誘った。
ミロが「あの~う……」
アマテルが「はい」
「わたし、嫌なんです」
アマテルは穏やかな声で「なにが?」
「わたし自身が……キライ……大嫌いなんです」
「あなたのどこが嫌なの?」
「ぜんぶ」
「そう、じゃあ、ひとつだけ好きなところは?」
「ひとつもありません」
「そう、じゃあひとつだけ好きなところが出来たら、またここにいらっしゃい。 今、わたしからお話しすることはなにもありません」
「ど・どうしてですか?」
「はい、あなたが全否定してるうちは、話すことはひとつもありません。 帰ってください」
「だって……」ミロは黙ったままうつむいてしまった。
「マメ、帰るよ」
そういいながらミロをその場に残して立ち去った。
マメが「アマテルさん彼女一匹残して大丈夫ですか? なんであんなこと言ったのですか?」
「彼女は今すべてが嫌になってる状態なの、そして何でもいいからなにか逃げ道を探してるだけ。 そんなときにどこからか私の噂を聞きつけ話をしてみたくなった。 そんな彼女にかける言葉はないの……」
「じゃあ、彼女はこれから?」
「他に逃げ道を模索するか、もう一度自分を見つめ直すか、そのどちらか、どちらも選択は自由……自分次第」
「逃げ道を探したらどうなるのですか?」
「気がつくまで永遠に逃げるかもね。 自分からも社会からも」
「見つめ直す方を選んだら?」
「そりゃあ、そう気づいた瞬間今までの迷いは即解決する」
「どういう事ですか? 彼女は迷いじゃなく、逃げって」
「逃げも迷いのひとつの表現よ」
「もうひとつ、アマテルさんが今言った『気づいた瞬間今までの迷いは即解決』っていう意味が今ひとつ分からないニャ」
「なにかひとつの問題が解決した場合、同じ問題で悩むことは無いの。 なぜなら解決方法も答えも知ってるから。 万一似たようなことがあっても解決する手だてを既に知ってるから」
「問題が無くなる事ってあるの?」
「当然問題の種類にもよるけど、同じ事で囚われなくなることはあるよ」
「アマテルさんは?」
「当然あるよ。 ただし、私の場合問題というよりも制約かな。肉体がある以上は制約があるの。 この肉体があるうちは総てに囚われなくなることはありません」
「彼女はこの先どうなるの?」
「わからない、自分で決める」
「マテルさんでも分からないの?・・・ニャ」
「さっき言ったでしょ、彼女次第って。 未来は今の自分が創作するの。 決まってなんかいない」
「どういうことニャ?」
「この先、彼女にすばらしい未来を選ぼうと、いろんな囚われの中を不平不満だらけで生きようと、どちらも本人次第」
「だって、決められた運命があるのでは?」
「そんなのないよ。 可能性はあるけど決まってはいない。 未来は自由意志だから」
「アマテルさんが、今ある姿も自由意志?」
「当然!」
「じゃあ、なにやってもいいの?」
「お望みなら」
「私がここでアマテルさんを殺しても?」
「はい」
「殺す側は自由意志だけど、殺される側の意志はどうなるの?」
「殺されてもいいという意志が働いたら、殺されるのも自由。拒否して逃げるもよし。 戦うもよし」
「殺されるも自由意志か……」
「もう一度言うよ、未来は未確定。 どの道を選ぼうが選択は自由。 ただし、選択する場合において表面意識で選択する場合と、潜在意識が選択する場合がある。 どちらで選択するか分からない。 色んなことが複雑に絡み合ってるくるから。 だから未来は面白い、どちらにしてもこの世はよくできてる」
「じゃあ、運命論とか宿命論とかっていう言葉は?」
「そういう意味では、あるとも言えるし、無いとも言える。
そんな小難しいことを考えた昔の猫は、なにか言葉の表現したかったじゃないのかな……
学者風の猫さん達はそういう表現や言葉遊びを考えるの好きだから……」
「話戻るけど何もかも嫌だって言ってましたけど、ミロさん大丈夫ですか?」
「何か気づきがあるよ。 その嫌だ病があるとき急にパッと癒える瞬間があるの、そうなってほしいわね」
「また、よく分からニャイ」
「嫌だってどこからくると思う?」
「嫌だ、い、や、だ、ですか? 自我? 恐れ?」
「例えば自我の場合」
「自我ですか…」
「つまり、彼女は自分という自我と向き合ってるのよ」
「はあ?」
二匹は夕闇の中に消えていった。
それから二日が経ちアマテルは岸壁にやってきた。 ミロはまだ下を向いたままその場にいた。
アマテルは声をかけずにその横で瞑想に入った。 二匹が瞑想する岸壁は、秋の北風が吹きはじめ、その勢いを徐々に増してきた。
アマテルが来てから三時間ほど経ち、ミロが瞑想を解き、その直後アマテルも瞑想を解いた。
アマテルは黙ってミロを見つめた。
ミロが笑みを浮かべながら「ありがとうございました」
「私はなにもしてない、それよりお腹空いてないかい?」
「あっ、はい」
アマテルが空に向かい「ミャ~~」と叫ぶとカモメが大きな魚を放り投げてよこした。
アマテルがカモメに向かって「ありがとう」
ミロは「どうしてですか?」
「なに、お腹が空いたろうと思いカモメさんに頼んでおいたの」
「あっ、ハイ。 ありがとうございます」
「挨拶はいいから、まずは食べなさい」
ミロが食べ始めてまもなくして食す口を止めた。
「どうかした?」
次の瞬間ミロは大泣きしてしまった。 アマテルはずっと見まもっていた。
「わたし、本当は迷いなんかなかったのかもしれません。 でも、アマテルさんに会って、私の不甲斐なさが身にしみて分かりました。 そしたら急に胸のつかえがとれて気がついたら全てが……問題が……なくなってました。 あるのは私だけでした。 その私も次第に消えてしまい、最後に残ったのは完璧な空虚」
言い終えるとまた泣き出した。
「好い経験しましたね。 でもそれはあなたがした経験。 経験は経験でしかないの。 経験してるあなたがいるの。 それを超える経験もあるのよ。 楽しみにしてね」
「ハイ……」
その晩、アマテル、マメ、ミロの三匹は朝まで、マタタビ酒を飲みあかした。 翌朝ミロは深々と二匹に頭を下げ、祝津を去っていった。
ひと月後、アマテルは住み慣れた祝津を離れることにした。
アマテルが祝津から去った理由は、祝津の岸壁から見る月があまりにも綺麗だったから……
小樽を出たアマテルは、余市を経由し、積丹半島の神威岬で余生を終えた。
THE END