ラジコン、走る
星屑による星屑のような童話です。
ひだまり童話館第18回企画「ひらひらな話」参加作品です。
5月22日――。
それは、小学三年生の佳那にとって待ちに待った九歳の誕生日だった。
いつもは仕事で帰りの遅いお父さんが、その日ばかりは息を切らして早く帰って来る、特別な日。
けれどいつもと違うのは、それだけではない。
普段のこの時間ならお茶碗とお味噌汁が並ぶテーブルに、佳那の顔ほどの大きさもあるピンクリボンのついた大きな箱があって、その横に火の点いた九本の蝋燭が立つ白いケーキが置かれているのだ。
融けかかったアイスクリームのように垂れ下がった目尻を見せて笑う、お父さんが言う。
「ハッピーバースデー、佳那。これは、約束の誕生日プレゼントだよ」
「よかったわね、佳那。早速、開けてみたら?」
お父さんの誕生会開始の掛け声に、お母さんの声も弾む。
「わあ、ありがとう!」
プレゼントの入った箱に跳びついた佳那は、ワクワク感満載の顔でツルツルした紙のラッピングを急いで破き、箱を開けた。
中から出てきたのは、かねてからの約束通り、おもちゃの電動ラジコンカーだった。
それも、とびきり早そうな赤いスポーツカー。
「やったあ、ラジコンだ。早速、走らせようよ!」
テーブルの上の御馳走もそっちのけ、ラジコンを抱えてすぐにでも家を飛び出そうとする佳那。お父さんが、慌ててひき止める。
「ダメだよ、佳那。今日はおうちでお誕生日会をするんだ。お母さんもたくさん御馳走を作ってくれたんだし」
「ええ……そんなあ」
「明日は土曜日でお休みなんだし、早起きして朝から公園で走らせたらいいじゃないの。それでどうかしら?」
「……そうだね。うん、わかった!」
ちょっと不満げだったけど、頷いた佳那。
唐揚げや綺麗なちらしずし――お母さんの作ってくれた御馳走をたっぷりと食べた佳那は、ラジコンの入った箱を枕元に置くと、いつもより少し早めに眠りに就いたのだった。
☆
次の日の朝。
朝ごはんをいつもの倍の速さで済ませた佳那は、お父さんを引き摺るようにして公園にやって来た。
もちろんその手にあるのは、ラジコンの黒いコントローラー。右と左に一本ずつ、車を操るレバーがついている。
真っ赤なラジコンの車は、お父さんに抱えて運んでもらった。
まだ早い時間とはいえ、天気の良い休みの日だというのに公園には誰もいなかった。それならそれでラジコンを思いっきり走らせられるからいいのだけれど、何となく寂しい気持ちになる。
でも、それも一瞬のことだった。
お父さんが、佳那にやる気満々の声で言ったのだ。
「早速、走らせてみよう!」
「うんっ!」
持っていたラジコンカーをお父さんが地面に置くと、佳那はゆっくりとコントローラーのスイッチを入れた。
もちろん、ラジコンを動かすのは佳那にとって初めての事だ。どきどきして、その手が少し震えている。
「レッツ・ゴー!」
ここに来る前、家でお父さんから教わったように、佳那が左のレバーをグイッと押した。
きゅるる、という軽快な音を立て、ラジコンカーが走り出す。
「あれ、あれれ?」
けれどラジコンカーは、なかなか佳那の思った通りには動かなかった。
車を左右に動かすための、右のレバーの使い方が難しい。ラジコンカーは、ぎっく、ごっくと音を出して、ときどき立往生した。
そんなときだった。
(だれかに見られてる)
ふとそんな気がした佳那が、あたりを見回した。
すると、自分と同じくらいの年頃の少女がひとり、公園の隅からこちらをじっと見つめているのに気付いた。佳那には見覚えのある顔だった。
(たしかあの子、最近引っ越して来たばかりの……)
ラジコンの操縦をやめ、お父さんに近づいた佳那が小声で言った。
「ねえ、お父さん。あの子、最近引っ越して来た隣のクラスの美穂ちゃんだよ」
「そうかあ……。なんだかひとりで淋しそうだなあ。よし、わかった!」
お父さんが女の子の方に駈け寄り、声を掛けようとした。けれど、少女は逃げるようにどこかへ行ってしまった。
「あーあ。あの子、行っちゃったよ」
「うん……」
しばらく黙っていた佳那だったが、
「お父さん、お願いがあるの。ラジコン操縦の特訓をしてほしい。それでね……」
と言うと、お父さんの耳に小さな口をくっつけた。
それから何やらぼそぼそ、ないしょ話。
「よし、わかった。任せとけ!」
大きく頷いたお父さんが、嬉しそうに笑った。
その日、佳那のラジコン猛特訓は、お昼ご飯の時間まで続いたのだった。
☆☆
そんなこんなで、一週間が過ぎた。
土曜日になり、公園では一台の赤い車のラジコンがきびきびと走りまわっている。それはもちろん、佳那の操るラジコンカーだった。お父さんとの特訓により、操縦の腕が上がっていたのだ。
(やっぱりいた。あれは美穂ちゃんだ!)
ちらり、公園の隅を見遣った佳那がそう思ったときだ。
それを察知したお父さんが、声を張り上げる。
「佳那、今がチャンスだ!」
その言葉は、二人の間で予め決めておいた合図だった。
佳那が、コントローラーのレバーをぐいと押し、ラジコンカーのスピードを上げる。風を切り、きゅるきゅると音をたてて走るラジコンカー。
公園の隅で佇む美穂に向かって進んでいく。
真っ赤なラジコンカーは、美穂の目の前でぴたりと停まった。
何が起こったのか分からない美穂が、あたふたと周りを見回した。けれど、佳那のラジコンカーを見て、そのままじっと動かなくなった。
(よし! 美穂ちゃん、きっと気付いてくれたよ)
目をまん丸にして美穂に笑いかける佳那。
でもその笑顔は長く続かなかった。美穂が急に後ろを向いて、どこかへ行ってしまったからだ。佳那が、がっくりと下を向く。
「あーあ、行っちゃった」
「なあに。きっと、佳那の気持ちは通じたよ」
「そうかなあ……」
お父さんが、佳那の肩をぽんぽんと優しく叩いた。
そのときだ。小さなつむじ風が公園を舞った。その風で赤いラジコンカーに貼られていた小さな紙がひらひらと宙を舞って、地面に落ちた。
その紙には、佳那の字でこう書いてある。
『ミホちゃん、いっしょにあそぼう!』
佳那には聞こえないくらいの小さな溜息を吐きながら紙を拾い上げたお父さんが、ズボンのポケットにそれを入れる。
「佳那、そろそろ帰ろうか」
「うん……そうだね」
佳那は、うつむいたまま返事した。
家に帰ろうと佳那がラジコンカーを持ち上げたそのとき、お父さんが不意に声を出した。
「佳那、あそこを見て!」
一台の青いラジコンカーが、公園の隅から佳那たちに向かって颯爽と走って来た。そして、佳那の赤いラジコンカーに、こつんとぶつかった。
「……いっしょにあそぼう、カナちゃん」
顔を真っ赤にして公園の入り口から現れたのは、美穂だった。
その手にはラジコンカーを操るコントローラーがある。
「実はね……私も、ラジコンを買ってもらったの」
「それなら一緒に遊ぼうよ、ミホちゃん」
「うん」
「やったね、佳那。作戦、大成功だ!」
佳那とお父さんは思わず顔を見合わせ、大はしゃぎ。
その後しばらくの間、青と赤、二台のラジコンカーが公園の中を走り回った。
それはまるで楽しそうな女の子たちの声に合わせて踊っているかのように、いつまでもじゃれあい続けていた。
<おわり>
お読みいただき、ありがとうございました。