第18話
的場薫が『QPS-P04』の奪還に成功した頃の事である。
簡素な執務室で幾つもの映像が流れるディスプレイを眺めていた白髪の将校、咲浪霧也大佐は、眼前に直立不動の姿勢で佇む健康的な褐色肌にブロンドの髪をショートに纏めたスレンダーな女性を一瞥する。
彼女はクララ・クラーク・クラン技術少尉と言って、『QPS計画』の人工知能の研究開発を任せている技術者だ。『エインヘリアルシステム』を造った張本人でもある。
「君のプログラムは負けたよ。奪われた『QPS』は奪還されて、めでたしめでたしだ」
咲浪大佐はブラックアウトして“NO.SIGNAL”の表示だけが浮かび上がるモニターを眺めながら、嫌味のように言い放った。
クララ少尉は遠くを見詰めた目をして、「そうですか」とだけ呟いた。
暫くの間、重たい沈黙が二人に覆い被さる。
「誰に負けたのか、どうして負けたのか、知りたくは無いのかい?」
沈黙を破ったのは咲浪大佐の方だった。
大佐はノートパソコンを閉じ、クララ少尉へ目をやる。
「三科凛子上等兵、でしょうか?」
「外れだ。『エインヘリアルシステム』は三科凛子どころか、『不死人』でも他の『ハイヒューマン』でもなく、普通の高校生に敗れ去ったようだ。まぁ、多少の協力はあったようだが」
「間違いありませんか?」
「あぁ、ずっとモニタリングしていたからね。間違い無いよ」
咲浪大佐は『QPS-P04』が奪われ、『エインヘリアルシステム』が起動した時から『QPS-P04』の行動をリアルタイムでモニタリングしていた。
千本木琴乃が一度は停止させた発信器と盗撮、盗聴器は、『エインヘリアルシステム』によって再起動させられて、彼女の行動を逐一咲浪大佐に報せていたのだ。
全ては咲浪大佐の指揮の下、描かれたストーリーであったのだ。
何処から咲浪大佐が描いたストーリーだったのか。
千本木琴乃が『エインヘリアルシステム』を起動させる事からか、或いは的場薫が『QPS-P04』を奪われる所からなのか。それは誰にも分からない。
一つ言える事は、このシナリオは的場薫が『エインヘリアルシステム』の使用を拒んだ為に描かれたものだと言うことだ。
「誰に殺られたのですか?」
「殺されてはいないよ。『QPS』を強制的に停止させて、装着者も無事だ。今頃、増援に向かわせた部隊に逮捕されている所だろう。二人とも」
「ダメージコントロールして、私の『エインヘリアルシステム』を倒したという事ですか? 普通の高校生が?」
「多少の協力はあったようだが、と言った。千本木琴乃は思いの外、強力な『ハイヒューマン』だったと言うことだ」
「誰に、一体誰に負けたのですか?」
いつも無表情にして無感情なクララ少尉には珍しく、感情を露にした。
咲浪大佐はそれを面白がっているようだった。
「的場薫だ」
この時、初めてクララ少尉は咲浪大佐の顔を見返した。
「君達には及ばずとも『QPS』に精通し、人工知能にも負けないエゴイストと言えば彼しか居ないだろう」
「薫が、何故そんな無茶を?」
「責任感と正義感からだろうね。ただ君達の造った『QPS』が奪われ、悪さに使われている事が、彼を無謀な挑戦に駆り立てたのだろう」
咲浪大佐は愉しげに言った。
対してクララ少尉は、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「まぁ、実験は概ね成功と言えるだろう。『ハイヒューマン』との戦闘データが三科凛子だけというのは惜しかったけど。あの双子、何て言ったっけ?」
「戸嶋兄弟ですか?」
「そう、それだ。あの双子がまさかあれほど腰抜けだったとは思わなかったよ。ろくな戦闘も出来ず撤退したなんて、二人の父親の面目丸つぶれだな」
咲浪大佐は愉快そうに笑った。
実際、権力を笠に着た馬鹿息子共が戦果を上げられなかった事は、愉快痛快であろう。
「これも、貴方の筋書き通りという事ですか?」
「筋書きを立てるまでもない。『QPS』を奪われ力を無くした的場薫は、果たして大人しく引き下がるだろうか? いいや、必ず取り戻そうとするだろう。どんな危険を冒してでも。彼はそう言う男だ。だから、君達も気に入っていたのだろう?」
「それは…………」
「まぁ、このデータは“戦闘用ロボット”を開発している部署に回そう。あぁ、勿論、君の名前付きでね。これでまた、昇進に近付いたね」
「…………退出しても?」
「許可しよう」
クララ少尉は踵を返すと、ドアへ向かって歩み始めた。
「あぁ、そうそう。新しいテストパイロットだけど、今週中に手配出来そうだから」
咲浪大佐の報告に、クララ少尉はお辞儀だけで返答すると執務室を出ていった。
「おっと、民間に『QPS-P03』を払い下げるってのを言い忘れたな。まぁ、後でメールすれば良いか」
そんな事を言いながら、咲浪大佐はノートパソコンを立ち上げ一人の兵士の軍歴をディスプレイに呼び出した。
兵士の名前は雨竜毬耶。
『人類統一連邦政府軍統合本部』で、『QPS計画』とは別のパワードスーツの試験運用に携わっていた人物だ。
「キャリアもあるし、彼女が適任かな。後はどう口説き落とすか、だね」
咲浪大佐はそう一人ごちると、ディスプレイに写る荘厳な面持ちをした女性を見詰める。