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最終話「血と砂」

ボーイミーツガール。藤谷未散と広瀬夏希。

伊崎君たちが未散に向かって走っていく。

観客席から押し寄せる大歓声の中、私はふと芝の上で立ち止まり、周りを見回した。


うちのみんなが未散を取り囲んで大騒ぎしている中、春瀬の選手たちが呆然とした表情で、立ち尽くしたり座り込んだり、地面に突っ伏して泣いている人もいる。

そうか、と私は当たり前のことに思い至る。

私たちが勝ったってことは、インハイ王者の春瀬が県大会で敗退したってことなんだ。


「ん?」


そして赤い輪から少し離れたところで、ぼんやりと立っている選手を見つける。

赤いユニフォームの背番号6。


「国分君、おめでとう」


駆け寄って声をかけると、私を見た国分君は急に情けない顔になり、ぽろぽろと涙を流し始めた。


「ひっ、ひっ、広瀬せんぱーい。僕、やりましたあ」


あ、だめだ。もらい泣きしそう。練習ボイコット事件の時も、こんな顔で泣いてたっけ。


「よくボール拾ったね。最後の作戦、いつ聞いたの?」

「ぐすっ、フリーキックの直後です。僕、僕、こんな責任重大な仕事初めてで、めちゃくちゃびびりましたあー」


さらにわんわん泣き出した。私は持っていたタオルで国分の顔を拭いてあげる。


「ずびばせん」

「ほら、一人で泣いてないで、みんなのところに行っておいで。勝利の立役者なんだから」

「はいっ!」


再び流れてきた涙と鼻水をぬぐいもせず、国分君は赤いユニフォームの輪に走って行った。


「……あ」


かたわらにもう一人、誰とも言葉をかわさず、腰に手を当ててぼんやりと立っている男がいた。


青いユニフォーム、10番。

倉石洋介。















電光掲示板を見上げる。


春瀬 4-5 本河津


夢がかなう瞬間って、もっと大声上げたりするかと思ってた。それから大泣きするんじゃないかって。

でも実際に優勝が決まって思ったことは、もう走らなくていいんだってことと、頭の傷口が急にジンジンしてきてどうしようってことだった。


それでも、抱き合ったり、泣きじゃくったり、観客席に手を振ったり。

それぞれの形で喜びを表すみんなを見ていると、みぞおちの辺りがほんのり温かくなってくる。

俺は良い仕事をしたんだな。


「藤谷」


冬馬が首を押さえながら歩いてきた。


「冬馬、首はどうだ?病院行かなくていいのか?」

「包帯巻いてるヤツに心配されたくねえよ」

「そりゃそうか」


俺が笑い、冬馬も笑った。


「最後のボレーは、まあまあだったな」

「あれでまあまあかよ。厳しいな」

「俺にパスしても決まってたからな」

「それ今言う?」


ひとしきり話した後、冬馬は「ベンチで冷やしてくる」と言って歩いて行った。

念願の全国行きなんだから、もうちょっと喜んでもよさそうなものだが、あいつらしいか。


「藤谷くーん、私、ひぐっ、私、嬉しいよお」


フィールドに入ってきたこばっちが、ひときわ顔をくしゃくしゃにして大粒の涙を流している。


「こばっち、泣きすぎだ」


俺は笑った。頭をくしゃくしゃっとやりたいが、銀次に怒られそうだからやめとこう。


「だって、仕方ないよお。あ、あんなすごいシュート決めたのに、どうしてそんなに冷めてるのー?」

「ちゃんと喜んでるよ」


冷めて見えるのかな。すごく喜んでるつもりなんだけど。


「直登」


こばっちを銀次に任せ、金原と喜び合っている幼なじみに、俺は声をかける。直登より先に金原が笑顔で反応した。


「おい藤谷!結局お前一人でおいしいとこ持ってっちゃったじゃねえか!」


軽いパンチが胸に飛んでくる。

俺は笑いながら言った。


「金原がいなかったから、セットプレーのパターンが無くて何とかひねりだしたんだよ。早く復帰してくれ」

「おお、任せろ!全国ネットでヘディング決めてやるよ!あ、いた。梶野ー!」


金原は梶野を見つけると、そちらへ足をひきずりながら歩いて行ってしまった。


「よく決めたな、未散」


直登が俺に向き直って言った。二人で軽くハイタッチする。


「春のインハイ予選の時、最後冬馬にパスして負けたのもあんな形じゃなかったか?」

「だから今度は打ったんだよ」

「何でわかった?倉石が後ろから来てるって」


直登の問いに、しばらく記憶をさかのぼる。

確かに俺は後ろを見ないまま、その場でジャンプしてボレーを打った。倉石が俺を削りに来たことなんて知らなかったのに。


「……よく覚えてないけど、何となく来そうな気がして」

「それでもいいよ。あの状況であのスライデイングをまともに食らってたら、足首をやられてた。サッカー生命も危なかったかもしれない」

「そんなに?」


言われて一瞬、背中がひやっとする。

と同時に、俺の目が自然と我がチームのチーフマネージャーを探す。

直登が指さした先に、彼女はいた。


「キャープテーン!僕やりましたー!」


国分が涙と鼻水を流しながらこちらに走ってくる。その向こう側で、夏希がこちらには目もくれずツカツカと前方に歩き出していた。

その先にいるのは、倉石だった。


「おい、夏希!」


夏希のまとうただならぬ雰囲気に、俺は国分をさりげなくかわして思わず駆け出していた。

気づいた倉石が夏希に何か話しかけた。

立ち止まった夏希の右腕が、おもむろにバックスイングに入る。


「やめろ!」


振りかぶった手が倉石の顔に当たる寸前、俺は夏希の右手を握ってスイングを止めていた。すごい力だ。

彼女は目に一杯の涙をためて、止めた俺をにらみつけた。


「何で止めるの!?真後ろからのファウルで削られかけたんだよ!?取り返しのつかないことになるかもしれなかったんだよ?」

「わかってる。でも結果勝てたし、俺は頭のケガ以外は無事だ。それでいいよ」


夏希はもう一度倉石をにらみつけた。

当の倉石は、いつもの人を食ったような雰囲気はみじんもなく、ただ無表情に俺を見つめている。

そしてポツリと口を開いた。


「……すまなかった。謝る」

「へ?あ、ああ、いいよもう」


俺は夏希の前に立ち、手出しできないように倉石と距離を取らせた。

マネージャーによる暴力行為で優勝取り消しなんて、絶対にごめんだ。


「……うらやましかったんだ、君が」

「は?」


この男はいきなり何を言いだすんだ?名門春瀬の、インターハイ優勝チームのキャプテンが。

しかもあんないい監督がいて、抜群に恵まれた環境のクセに。


「一つ、聞かせてほしい」


倉石が真剣な目で俺を見つめた。


「な、何だよ」

「最後のボレーシュート。あれはジャンプしたことで、丁度いい角度になってゴールに届いたように俺には見えた」

「それが?」

「もしも俺がスライディングに行かなかったら、君のボレーは決まっていたか?」


俺は黙って倉石を見つめる。

そして彼の目の奥にあるものを考えた。


「……もしもあんたが削りに来なかったら」


俺は言った。


「俺はジャンプなんかしないで、もっとかっこいいボレーシュートを決めてたはずだ。それをあんたに邪魔された。だから俺は、あんたに怒る権利がある」


倉石はほんの少し目を見開いて、しばらく沈黙した後口をを開いた。


「モト高のみんなが、君についてきた理由がわかった気がするよ」

「……そ、そう?」


何なんだ、この人は。


「広瀬さん」


倉石が今度は俺の後ろにいる夏希に声をかけた。


「何?」


夏希の声はまだ不機嫌だ。


「言い訳になるけど、彼を傷つけるつもりはなかった。何とかしたかったんだ。延長戦の失点は、すべて俺のせいだから」

「……許さないけど、わかった」


倉石とは目を合わせないまま、夏希は答えた。


「あー君たち」


声の主は、主審だった。


「はい?」

「もうすぐ表彰式始まるから、先に観客席にあいさつしてきなさい」

「わかりました」


今までは勝っても各自バラバラに帰ってきてたけど、俺たちは優勝したんだ。最後くらい、綺麗に並んであいさつに行こう。


「おーし、みんな。客席まで行く……おおうっ!」


突然足をつかまれて、体がふわっと宙に浮いた。股間に何か固いものがはさまる。


「おい、島!やめろ!高い!恥ずかしい!」

島が俺を肩車しようとしている。必死に抵抗するも、腕力ではかなわない。

結局島に担ぎ上げられ、そのまま客席前に来てしまった。俺は三メートルのシャイな巨人になった気分で、観客席におずおずと手を振った。


「あっ」


真っ赤なスタンドでひときわ大きく両手を振っている赤いコートの女の子。秋穂ちゃんだ。隣で広瀬コーチが笑顔で拍手している。

コーチ、見ててくれたんだ。

そしてその斜め後ろに座っている、ハンカチで顔を押さえている中年男性。あのシルエットは。

「……父さん?」

アメリカに帰ったはずなのに、何でいるの?この試合を見るために?連絡もしないで?

「未散」

島の隣に来た夏希が、目を赤くしたまま笑顔で俺を見上げる。

「良かったね、来てくれて」

まったく、目ざとい女だ。

「そうだな」

俺は精一杯そっけなく答えた。親が見に来たくらいで泣いてたまるか。

「さっき、ありがとな」

「え?」

俺の言葉に、夏希が首をかしげる。

「いや、その……倉石に怒ってくれて」

首筋をポリポリかきながら言うと、夏希もそっぽを向いた。

「お礼言われることじゃないよ。半分は……自分のためだし」

「う、うん」

参った。恥ずかしい。

夏希の照れた顔が可愛すぎてまともに見られない。こんなことで告白なんてできるんだろうか。

「藤谷、人の頭の上でイチャつくとは良い度胸だ」

島が俺の体をグラグラ揺する。

「わっ!おい、やめろ!お前が勝手に持ち上げたんだろ!悪かった!怖いから揺らすな!やめてえええっ!」


表彰式が終わり、みんなは誇らしげに首にかけられた金メダルを手に取っている。確かに自分の人生で、金メダルをかけられる日が来るなんて思いもしなかったな。


少し前までは優勝校は優勝旗を渡されていたけど、数年前からデカい優勝カップと銀色のこれまたデカい皿が渡されるようになった。カップには歴代優勝校の名を書いた赤いリボン。皿は優勝校が決まった瞬間にスタンバイしていた職人さんがその場で校名を彫ってくれたらしい。


シンプルなデザインの皿のふちに、「2019 Motokawatsu High School」と彫られている。


……俺たち、本当に優勝したんだ。


「モト高のみんなー、写真取るから並んでー」

カメラマンの声がかかる。

ん?この声は。

俺は皿を直登に渡し、声の主に駆け寄った。

「尾藤さん!」

県大会のポスターモデルに、夏希をスカウトしたあのカメラマンだ。すでに夏希と何か話している。

「やあ、藤谷君。おめでとう。すごい試合だったね」

「あ、ありがとうございます。でも、何で尾藤さんがいるんですか?」

「仕事だよ。県だけじゃなく市からも頼まれてね」

かたわらにいた芦尾が聞いた。


「藤谷、カメラマンの知り合いがいたのか?」

「ああ。尾藤さん。商店街で夏希をポスターモデルにスカウトして撮影した人だ。その道じゃ知られた人なんだぞ」

「いや、チーマネが知ってるのは当然としてもさ。何で藤谷まで知ってるんだよ」

「そりゃ、スカウトされた時一緒に」


あ、しまった。

思わず夏希の顔を見る。口の動きで「バカ」と言っているのがわかった。

芦尾が口を大きく開け、わなわなと震えだした。

「お、お、お前、自分だけ出し抜いて、チーマネとデートしてやがったのか!?」

部員たちが騒然となる。慌てて夏希に助けを求めようとする。

彼女は知らん顔で島の後ろに隠れた。さっき倉石に怒ってくれたのは何だったんだ!

「そんなことは言っていない」

シラを切ろう。切り通そう。

「言ったも同然じゃねえか!チクショオー!」

俺は走り出そうとする芦尾の襟首をつかみ、引き戻す。

「ぐえ」

「後で説明するから、今は写真だ。ほら、並べ」


芦尾がまだブーブー言っているが、多分何を言ってもムダなので放っておくことにした。


ベンチの前にみんなが並ぶ。俺ははしっこに行きたかったが、みんなに押されていつのまにか真ん中に座らされていた。足の間に優勝カップを抱える。雑誌で見たことある構図だ。


「あ」


なぜか俺の隣に、夏希が座っている。彼女は赤面し、周りはニヤニヤしている。夏希も押されてきたのか。

「あー、そのー。い、一緒に持つか?」

俺はカップを夏希に差し出す。

「……うん」

少しはにかんだような笑顔で、夏希はカップの反対側を持つ。

やばい、可愛すぎて傷口が開きそうだ。


「じゃ、取るよー」

尾藤さんがカメラを構える。

「キャプテン!何かポーズ決めましょうよ!」

伊崎が俺の真後ろでそわそわしながら言った。

「よし、それじゃあ」

俺は空いた右手をまっすぐ上げ、人差し指を立てて天をさした。

みんなもそれにならう。


「行くぞー!ウィーアーイチバーン!」

『イッチバーン!』


俺はもともと鈍い方なのかもしれない。みんなからちょっと遅れて、今さら涙腺が緩んできた。


ああ、優勝っていいな。


カップの向こう側で笑う夏希に、俺は彼女だけに聞こえる声で言った。


「誕生日おめでとう」


夏希は目を大きく見開き、そしてとびっきりの笑顔を見せた。


「ありがとう。人生最高の誕生日かも」














優勝後の高いテンションを保ったまま、俺たちは更衣室からスタジアムの外へ出た。帰りのバスが待っている。

赤い服を着た観客が、いわゆる出待ちをしていて、大きな拍手と歓声で迎えられる。


すげえ、スターになった気分だ。


藤谷はテレビカメラの前で、モリエリちゃんのインタビューを受けてる。ちゃんと話せてるかな、あいつ。また意地悪言ってなきゃいいけど。

俺はしばっていた自慢の長髪をほどき、風にさらす。試合中に痛めた足は普段通りに歩けるくらいには回復していた。


子安先輩、どこかで見てくれたかな。


誘ったら「行けたら行く」くらいのそっけない返事だったし、来てないかもな。俺なりにがんばったつもりだったけど、やっぱ高嶺の花だったか。


「菊りん。優勝おめでとう」

「え?」


バスの前に、子安先輩がいた。

赤いピーコートに赤いマフラー。可愛い!


「き、来てたんですか!?」

「もちろんだよ。決勝戦だもん」

「でも、行けたら行くって」

「そうだよ。だから、来れたから来たの」

さも当然と言った顔で子安先輩は言った。

待てよ。見てた?今日の俺のプレーを。

「……優勝はしましたけど、俺、今日いいとこ無かったですよ」

「そう?」

「はい。ドリブルもシュートも、春瀬には全然通用しませんでした。ボール追いかけ回す役回りになって、途中ケガで交代したし。最後は結局藤谷の力で決まったようなもんですから」

何で俺はこんなにも自虐的なんだろう。普段はそんなこと絶対言わないのに。


子安先輩は優しく微笑んだ。

「そんなことないよ。チームのために必死に走る君は、すごくかっこよかった」

「……先輩」

口をぽかんと開ける俺に先輩は近づき、俺の髪を指ですいた。

「もうちょっと、さっぱりしたヘアスタイルにしてくれたら」

「え、あ、はい」

「彼女になってあげる」

……え?何?今何て言った?

「え、えーと、あの、子安先輩?」

先輩は分かりやすくほっぺをぷうとふくらませた。

「もう、これでも結構勇気出して言ったんだからね。返事は?」

「も、もちろんOKです!いやもう、俺がOK出すなんて想定してなかったんで!マジですか?マジでいいんですか?」

「うん」

「いよっしゃああああっー!」

ありがとう、藤谷。お前についてきて、本当に良かった。













「あ」

バスの近くに岸野さんがいる。隣には一条さんも。二人そろってしっかり赤い服来てる。

あんなに恋焦がれた岸野さんに会えたのに、会いたいはずなのに。

今日は顔を合わせたくない。

だって今日の俺は、最高にカッコ悪かったから。


「伊崎君」

広瀬先輩が肩を叩き、俺の顔をのぞき込む。

「何ですか?」

「行かないの?有璃栖ちゃん来てるよ」

「……今日は、やめときます」

会えるわけがない。シュートの一本も打てずに前半だけで引っ込んで、トイレでメソメソしてたFWなんて。想い人に会う資格無いっすよ。


「あのね、伊崎君。そりゃ女の子は、スポーツで活躍してる男の子をかっこいいと思うかもしれないけど、プロのスカウトじゃないんだよ?活躍できたかどうかで好きになったり嫌いになったり、そこまでバカじゃないよ」

「いや、別にバカと思ってるわけじゃ」


「思ってるでしょ」


「え」

いつのまにか、目の前に岸野さんが立っていた。広瀬先輩が手をひらひらさせて去っていく。

ど、どうしよう。

「あー、ど、どうも、久しぶり」

何となく顔を伏せてしまう。

「うん。優勝おめでとう」

「……俺は何もしてないです」

「ちゃんと応援してたじゃない。どんな形だろうと、優勝チームのメンバーでしょ」

「それは、そうですけど」

岸野さんは、怒っているのかな。ふがいない俺に。

「君の気持ちはそんなもの?」

「え?」

俺は思わず顔を上げた。俺が一目惚れした切れ長の吊り目が、まっすぐ俺を見つめている。

「試合で活躍できたかどうかで、私が好きかどうかが変わっちゃうのって聞いてるの」

「そ」

そんなこと。

「そんなことない!俺、俺、岸野さんに一目惚れして、ずっとずっと好きで」

「声が大きい!バカ」

周りの人たちがクスクス笑っている。

何で笑うんだろう。俺にとっては人生の一大事なのに。

「……本当に、大事にしてくれるんなら」

「え?」

「いいよ、付き合ってあげても」

何て、今何て言った?

「あの、今何て」

「何度も言わせないでよ、バカ!」

岸野さんが耳まで赤くなってそっぽを向く。

「大事に、する。なぜなら俺は、君を愛しているから!」

「だから声が大きいって!」

クスクス笑っていた人たちが、今度は拍手をし始めた。


何だ、本当は俺たちがうらやましかったんだ。












「ポン高のキャプテン」

バスに乗り込みかけた俺に、後ろから声がかかる。

「あ」

春瀬の9番、飯嶋だった。何も面白くないといった感じの仏頂面だ。無理もない。

「よう。春瀬のバスはあっちだぞ」

「知ってる」

言って、飯嶋は口ごもった。俺はステップから一旦降りる。

「何だよ、さわやかに祝福を言いにきてくれたのか?グッドルーザーだな」

「ルーザーって言うな!今日負けたのは」

飯嶋は春瀬のバスをちらりと見た。

「俺たちが、倉石先輩を見切るのが遅れたからだ」

「……」

「インターハイが終わったあたりから、あの人は変わった。勝手なことばかりするようになって。何ていうか、あんたみたいなプレーが増えたんだ。それで三蔵監督としょっちゅうぶつかるようになってた」

「……」

そんなことがあったのか。

「チームのために走れない人間は、春瀬に必要ない。監督の教えだ」

「うん。いい監督だ」

三蔵監督がお節介を焼かなかったら、冬馬はうちに来ていないんだから。

「じゃあな、モト高のキャプテン。俺たちに勝ったんだから、一回戦であっさり負けたりしたら許さねえぞ!」

威勢よく言い残し、春瀬の天才ドリブラーは走って行った。














伊崎君が有璃栖ちゃんと話している間、ちょうど兄さんと秋穂が帰るところに出くわした。二人とも律儀に赤い服を着てくれている。


「何、あんたも来てたの?勉強は?」

言うと、秋穂は露骨に顔をしかめた。

「優勝を祝おうとしてる可愛い妹に、最初に言うことがそれ?信じられない」

「それはどうも」

言って、私は兄さんを見る。

「未散のお父さんは?何か話したんでしょ?」

「ああ、少しね。職場に無理言って、アメリカから大急ぎで来たらしい。表彰式の途中で呼び出しがあったみたいで、慌てて空港に向かったよ」

「えー、そうなの」

忙しい人だ。少しくらい話したかったな。


兄さんは急に顔をしかめて私に言った。

「お前、藤谷君の家に上がり込んで、おしるこ二杯も飲んだそうじゃないか。俺は兄として恥ずかしかったぞ」

「う……ごめんなさい」

藤谷さん、何で余計なことしゃべるの?

「そういえば光冬お姉ちゃんは、今日テレビ局のオーデションに急きょ参加することになったんだって。赤い服まで用意して、来る気まんまんだったんだけどね」

「そうなんだ」

すごいな、姉さん。夢に向かってがんばってる。


兄さんはもうすぐB級ライセンスが取れそうだし、秋穂は女子アナになる夢に向かって受験勉強をがんばってる。


私は。


私の夢って、何だろう。














帰りのバスは、残念ながら夏希がこばっちの隣を所望したので、俺は銀次の隣の席になった。

優勝した直後は大声を上げて喜んでいた銀次だが、バスが出発してからは妙に無口になっている。

やっぱりこばっちの隣が良かったのかな。


「なあ」


窓の外を眺めながら、銀次が言った。

「ん?」

「このスパイク」

言って、シューズ袋を持ち上げた。


「ずっと借りてて悪かったな。返すぜ」


「え」

スパイクを、返す。

……ああ、そうか。つまり、そういうことか。

いつのまにか、サッカー部の練習に、試合に、銀次がいるのが当たり前になっていた。

ずっと前から一緒にやってきたみたいに。

でも銀次は陸上部員だ。サッカー部へ期間限定のレンタル移籍。その約束だ。


ああ、この穴をどうしようか。左サイドバックとしての穴だけじゃない。もっと大きな穴。

俺は銀次から黙ってシューズ袋を受け取り、スパイクを取り出した。


あんなに綺麗だった青い限定スパイクは、砂にまみれて薄茶色くなっていた。

特に左足の先の方。インステップキックを何度も何度も蹴らないとできない跡がある。

「それ、レア物だったんだろ?もう価値無くなっちまったな」

銀次が言った。俺は左足の蹴り後をそっと触る。


「いや、そんなことない。ただ飾っとくインテリアなんかより、何倍も価値があるよ」

「本当かよ」

「うん。俺の宝だ」


俺は再びシューズ袋にスパイクを仕舞い込む。銀次の顔はまともに見られない。優勝が決まった時でさえ泣かなかったんだ。泣いてたまるか。

「陸上部、もうすぐ試合解禁になるんだろ?がんばれよ」

俺は必死にやせ我慢しながら言った。最後くらい、笑って送りたい。


「はあ?何言ってんだおめー」

「え?」


何?俺何か変なこと言った?

「陸上部に戻るんじゃないのか?」

「もう戻んねえよ。戻ったところで居場所ねえしな。それに、谷とはまだ負け越したままだ。勝ち越すまでは絶対やめねえ」

……何だ、そうか。早とちりした。

あれ?でも。

「じゃあ、スパイクは」

「やっと小遣いが溜まったからよ、自分のを買うんだ。実はもう、あの駅前のショップのオッサンに予約済みだ」

「そう……だったのか」

肩の力がどっと抜ける。あ、やばい。安心したら泣きそうだ。

「じゃあ……全国でも、その後も、卒業までずっと左サイドを頼むぞ」

「おお、任せろ」

銀次が照れくさそうに笑った。

「ああ、そういやよ。藤谷に一度聞きたかったんだ」

「何だ?」

「俺は右利きなのに、何で左サイドバックにしようと思ったんだ?」

「今さらそれ聞く?」

「いいだろ、別に。何か理由があったのか?」

「そこまで大した理由は無いけどさ」

俺は言った。

「俺がどっちかというと右に流れる方だからさ。逆サイドをすごいスピードで上がるサイドバックがいたら、何かいいなって」

「……それだけか?」

「それだけだ」

銀次は小さく笑った。

「それで、俺は合格か?」

「もちろん。ぶっちぎりだ」

銀次が鼻をかいて窓の外に視線を向けた。俺もつられて窓の外を見る。


「ん?」


行きとは明らかに違った風景。でも見覚えがある建物。

ここは、確か。


「……病院?」


夏希と二人で、三蔵監督に出会った病院。何でバスがここに。

「はい、藤谷君降りてー」

バスが駐車場に停まり、江波先生が俺の腕をつかんで引き上げる。すごい力だ。

「え、え、先生!何でですか?」

「何でですかじゃない!ホッチキスで傷口止めたまま帰宅なんて、私が許せるわけないだろ!」

「ぐ、具体的には!?」

「ホッチキスの芯を外して、ちゃんと縫合してもらうんだよ」

「やだーっ!何か痛そう!」

江波先生と俺、そして夏希の三人がバスを降り、みんなとはここでお別れになった。芦尾が特に嬉しそうだったのが腹立たしい。


事前に江波先生が病院に連絡してくれていたようで、救急外来扱いですぐに診察室に通された。

担当の先生は、以前来た時に診察してくれた久賀先生だ。白衣の下に赤いセーターを着ている。


久賀先生は包帯を解き、傷口を一目見るなり、

「バカか君は!?何を考えているんだ!」

と大声を上げ、その後こっぴどくしかられてしまった。消毒液で芯とホッチキス本体を洗浄したとはいえ、相当無茶な応急処置だったようだ。


「じゃあ、すぐに縫合するから。痛みは我慢しなさい」

「え、麻酔は?」

聞くと、久賀先生はさも当然のように言った。

「頭部の傷の縫合は、麻酔が使えないんだ。知らなかった?」

「やだ!帰る!離して、離してくださあああああーい!」


今日初めて、俺は泣いた。













傷の縫合が終わった後、未散は優勝したチームのMVPとは思えないほどゲッソリとした顔になり、その日は何もなくそれぞれが家に帰ることになった。


寝る前、未散からLINEが入る。


『明日の午後1時、学校の方の練習場に来てくれ。大事な話をしたい』


……来た。


私はしばらくベッドでゴロゴロして、うーんとうなりながら返事を送る。


『わかった。私からも、話したいことがあるから』


ちょっとそっけなかったかな?でも、あんまりクドクド打つのも何か違うし。


私はスマホをベッドに放り、本棚の前に立った。辞書を取り出し、奥に手を伸ばす。

出てきた小さなトロフィーには、


『第10回Y県 小学生女子サッカークラブチーム選手権 最優秀選手 広瀬夏希殿』


の文字。


私は辞書を奥に押し込み、トロフィーを本棚の前面に置きなおした。













翌日、午後十二時五十分。

俺は練習用のジャージを着て、学校のサッカー部練習場に一人でそわそわしながら立っていた。


来るかな?来るよな。いや、でもいっそ来ない方がいいかも。決勝前だってこんなに緊張しなかった。


好きだって、ただ一言いうだけなのに。


「未散」


弾かれたように振り返る。

同じく練習用のジャージを着た夏希が、練習場の入り口に立っていた。

心臓が忙しく動き出す。

落ち着け、落ち着け俺。


今までの二人の雰囲気を総合すると、勝つ確率は決して低くないはずだ。春瀬に勝つ確率よりよっぽど高いはずなんだ。俺たちは春瀬に勝った。それより高い確率なら絶対大丈夫だ。


「お、おう。悪いな、練習休みなのに呼びだして」

「ううん、いい。私も、ちょうどよかったから」


向かい合って沈黙。


いかん、ここは俺ががんばらなくては。

俺が口を開こうとした時、夏希がそれを制した。

「あの、私から、先に言わせて」

「お、おう。わかった」

「ありがと」

俺はドキドキしながら夏希の言葉を待つ。もしかして、本当にもしかして、夏希も俺と同じ気持ちだったとか?


「あのね」


「う、うん」

早く言ってくれ!心臓がもたない。

「私」

「うん」


「マネージャー……やめようと思う」


……え?

……今、何て?

や……める?


「別に……ってわけじゃない……その……考えて……」

夏希の言葉が途切れ途切れに耳に入る。何かしゃべってるけど、聞こえない。聞きたくない。


「えっと、聞いてる?」


夏希が一歩近づいて言った。

俺は一歩、後ずさった。


「……って言った」


のどが張り付いてかすれた声しか出てこない。

「何?」

「ずっと……いるって……」

「えっと、未散?何?」

ほほに何かが触り、くすぐったい感覚になる。

俺の涙だ。

「ちょ……どうしたの!?やだ、泣かないでよ!」

「私だけは……ずっとそばにいてあげるって……言ったじゃないか」

「あ……」

夏希が口を開け、下を向いた。

「それは、嘘じゃない」

「嘘だ。嘘ついた」

「ねえ、聞いて。まだ話終わってない」

俺は大きく息を吸い込んだ。


「がんばって優勝までしたのに!何でまた俺が捨てられるんだよ!これ以上、どうしろっていうんだ!」


「……未散」

呆然とする夏希の横をすり抜け、俺は全速力で走り出した。


バカだ、俺はバカだ。

一人で舞い上がって、勘違いして。

誰も、誰も俺のことなんて。


両親にすら愛されなかった人間が、恋なんて最初から無理だったんだ。















ものすごいスピードで、未散は走り去った。我に返った私が校門まで追いかけた時、彼の姿はもうどこにも見えなくなっていた。

私は両ひざに手をつき、つぶやく。


「……バカ」


彼が?違う、私だ。

昨日何度も考えたのに。今日ここに来る前だって考えたのに。

話す順番が最悪だった。


どうしよう。


このままお別れなんて、絶対にイヤだ。

私はスマホを片手に走り出した。

初めてケンカして、仲直りしたあの小さな公園。きっとあそこにいるはずだ。


少し走っただけで息が切れる。だいぶ体がなまってる。でも休んでる暇はない。

今日を逃したら、私は失う。


私を何もない日常からすくい上げてくれた人。


私の内面を一生懸命理解してくれようとした人。


お人好しで、お節介で、部員たちからなめられてるのに、なぜか後輩からは慕われてる人。


普段は頼りないくせに、ここ一番ですごいゴールを決める人。


私のために怒って、私の誕生日のためにケガを押して日本一のチームに立ち向かった無謀な人。


そして、そして、勝利をプレゼントしてくれた人。


そんな人を、私は自分がバカなせいで失おうとしている。


「……はあ……はあ……いない」


やっとの思い出で着いた例の公園に、人影は全く無かった。私は公園の入り口でへたりこんだ。

他の場所。未散が行きそうな場所。

私は気づいた。


私は、彼のことを何も知らない。


家庭の事情は聞いた。どういう人かはわかってる。でも、藤谷未散は何が好きとか、どこによく行くとか、そういうことを私は何も知らないんだ。


念のため、未散の番号にコールしてみる。公園のどこからも、着信音は聞こえなかった。

あと行きそうな場所は。


学校そばの陸上競技場。大会前はしょっちゅう練習させてもらっていた広い場所。

今日は陸上部が練習で使っている。これだけ人がいたら、まず来ていないだろう。


もう足がガクガクだ。ずっと帰宅部でいたツケが持久力にまわってきている。

私は出口の門扉にもたれかかり、スマホで番号を呼び出した。


「もしもし、広瀬さん?」

聞こえてきたのは、未散の幼なじみの茂谷君の声。いつもはキザに聞こえるソフトな声が、今はありがたい。

「あ……ごめんね、いきなり。ちょっと、教えてほしいんだけど」

「うん、何?」

私は細かいことは伏せつつ、未散とケンカして、どこかへ行ってしまったことを告げる。

「そうか……あいつは複雑だからね。何を言ったのか知らないけど、何かがトラウマに触れたんだろうね」

「うん……たぶん」

「とりあえず、今どこ?行くから待ってて」


十分ほどして、茂谷君が自転車でやってきた。気のせいか、初めてデートした時の未散の服装に似てる。

「ごめんね、わざわざ」

「それはいいけど……大丈夫かい?ひどい顔してる」

「大丈夫じゃない」

鏡が無いからわからないけど、きっと疲労と自己嫌悪で相当ひどい人相になっていると思う。でも、そんなことは言ってられない。


「未散が行きそうなところ、心当たりない?」

聞くと、茂谷君はあごに手を当てた。

「僕も、実はそんなに学校以外で会うことはなかったんだ。高校に入ってからは特にね」

「そう……」

「でも、これだけはわかる。未散は何だかんだ言って、サッカー中心の人間だ。サッカーに何一つ関係ないところには行かない」

「うん。でも公園はダメだった。電話もしたんだけど」

「そう?でも未散はフェイントが得意だよ」

「あ」

そうか。

「一番最初に公園に探しに来ることを見越して、電話の電源を切って隠れるくらいのことはきっとやる」

「そっか……一度探した場所は、二度は探さない」

「そういうこと。もう一度行ってみたら?」

「うん、ありがとう!……え?」


走りかけた私の腕が、ぐいっとつかまれる。

そのまま、私は茂谷君の腕の中に抱かれていた。


「あの……茂谷君?」

「……探しに行かない、っていう選択肢も、ある」

「茂谷君……何言ってるの?」

押しのけようとすれば簡単にできるくらいの力。それでも私が抱かれたままになっているのは、きっと疲れているから。

「気づかなかった?僕だけじゃない。部員たちは、みんな君が好きだよ」

「……それは、どういう好きかによる」

「証明しようか?」

顔を上げると、少し伸びた坊主頭の美男子がそこにいる。その目はなぜかとても悲しそうで。


私は。


「……ごめんね」

両手でそっと、彼の体を押しのける。

「僕の方こそ、驚かせてごめん」

「ううん、私も。知らなかったとはいえ、無神経だった」

「そんなことない」

「行くね、私。来てくれてありがとう」

「ああ。疲れてるみたいだから、気を付けて」

「うん」

私はうつむいたまま、全速力で走り出した。

ほほを伝う涙をぬぐう。


何で、こんな。


これも全部、未散のせいだ。



しばらく走ると、再び公園が近づいてくる。一本曲がれば私の家に通じる道にさしかかる。

私はあることを思い出し、道を曲がって走り出した。















公園のブランコをこいでいる。小学生の時と違って足が地面につくから、実はそんなに面白くない。

ただ今の気分は、ブランコに乗って揺れるくらいがお似合いだと思った。


夏希は……何を言おうとしてたのかな。


トラウマなんて、無いと思ってた。親に捨てられたことなんて、小さくて何も覚えてない。

なのに。

俺は一人でパニくって、大好きな女の子をまた傷つけたかもしれない。最低だ。


「ん?」


カササササっと、地面に何かが触れる音がした。

顔を上げると、見覚えのある青いサッカーボールが俺の足元に転がってきた。

これは、確か。


「……夏希」


ボールを拾い上げ、ブランコから立ち上がる。

白いジャージの広瀬夏希が、すごい人相で歩いてくる。

怒ってる?いや、泣いてる?

ちがう、両方だ。


俺はボールを持って歩き出した。

公園の真ん中で、距離を取って向かい合う。

夏希が俺をまっすぐに見据えて言った。


「やっと見つけた」

「……ごめん」

「ごめんじゃない!どんだけ走り回ったと思ってるの?話の途中で急に怒鳴りつけられる方の身にもなってよ!」

「うん……ごめん」

それしか言いようがない。


夏希は大きく息をついて、ポケットからカシャカシャと音を立てて一枚の紙を取り出した。

「これ」

「ん?」

差し出されるままに、俺は紙を手に取った。

「本河津高校……女子サッカー部……創部願い。……創部だと!?」

マネージャーをやめるって、つまり。


「お前……現役復帰するのか?」

「うん」

「来年は受験だぞ。三年生から新しい部活作るなんて、無謀だ」

「春瀬に挑戦するより?」

夏希がニヤッと笑う。

「そりゃ話が違う。でも……でも……何で」

「君のせいだよ」

「え?」

夏希は言った。

「ケガでサッカーあきらめて、もう私には何も無いなあって思ってたのに、君が私を引き戻した」

「う、うん。それはそうだけど」

「何度か練習に参加してみて、意外と体が覚えてるんだなって思った」

「うん」

「でも一番大きかったのは……プレーする君とみんなを、ベンチで見てたこと。ピンチのたびに、どうして自分は芝の上にいないんだろうって、いつも思ってた。勝って喜んでいる輪に、私も入りたかった。マネージャーの仕事を軽んじてるわけじゃないよ。でも私は、プレーする喜びを一度知ってるから」

「……うん」

ベンチで、そんなふうに思ってたのか。


「私もね、未散とみんなみたいな、仲が良くて、一つの目標にまっすぐで、みんなで勝利を目指せるチームで、もう一度サッカーをやりたい。それが私の、新しい夢」

「……わかった」

俺は言った。

「応援するよ。部員も最初はなかなか集まらないだろうし、練習スペースだって無い。第一お前がまずブランクを取り戻さなくちゃいけないしな」

「……人の夢をいきなり現実に引き戻さないでくれる?」

口をとがらせる夏希を見て、俺は笑った。


いいじゃないか、恋じゃなくたって。高嶺の花が、いい友人になることだってあるんだ、きっと。


「えっと……ね。話は、それだけじゃなくて」

急に夏希が、指をモジモジさせてブツブツ言いだした。

「うん、他にあるのか?」

「今まではさ、キャプテンとマネージャーってことで、その、色々自重してたわけじゃない?」

「ん?自重?」


何の話だ。


「えーと……と、とりあえず続けてくれ」

「だ、だから、その、マネージャーをやめて、女子サッカー部の人間に私がなったら、そういう周りへの気遣いはいらないというか」

「……はあ」


何だ?何が言いたい?


その時俺の頭に、まだ言及されていない重要な項目が浮かんだ。

「ストップ!その前に」

「え?な、何?」

「女子サッカー部を作っても、こばっちはやらんぞ」

夏希は目を大きく見開き、そしてキッと俺を見据えた。

「紗良ちゃんとは友達だもん、一緒に来るに決まってるでしょ!」

「ダメだ。こばっちは代えのきかない人材だ。絶対にやらん」

「じゃあ私の仕事は代えがきくって言いたいの!?だからやめても引き留めないの!?」

夏希が声を荒らげる。


しまった、一回くらい引き留めればよかった。もう遅い。


「そ、そうは言ってない。ただ、こばっちの仕事は特殊だから」

「どうせ私の仕事は平凡です。いつでも代わりが見つけられるでしょ」

夏希がむくれてそっぽを向く。


代わり。


広瀬夏希の、代わり。


気が強くて、いつも俺を小馬鹿にして、からかって。


ケンカっ早いのにそのくせ心配性で世話焼きで。


意外と後輩思いで、黙って寄り添う優しいところもあって。


そして何より、とびっきり綺麗な、俺の理想の女の子。


「代わり……なんて」

「え?」

夏希がこちらに向き直る。

「代わりなんて、いない」

「……未散?」


「俺が、俺が、世界中で一番惚れてる女に、代わりなんているわけないだろ!」



二人の間を、十一月の風が通りすぎた。



永遠にも思えた沈黙の後、夏希が口を開く。

「ねえ、ボール上げてよ」

「え?」

へ、返事は?まさかのスルー?

「お、おい」

決死の告白に何のリアクションもなく、夏希は俺から数歩離れていった。

「いいから上げてー」

夏希が手メガホンで言った。

「わかったー。どんなボールだー?」

もうヤケクソだ。とことん付き合ってやる。

「昨日の、最後のジャンピングボレーの時と同じボールー」

「わかったー」

あれは確か、直登がヘッドで折り返したボールだったな。


俺はあまり強すぎないボールを山なりにして、夏希に向かって蹴り上げた。


「ほっ」


夏希が胸トラップから、左足で真上に高くボールを上げる。


「未散ー!」


口を開けてボールを見ていた俺に、夏希が叫んだ。



「私の方が、もっと好き!」



「へ?」

次の瞬間、夏希の左足が地面を蹴って、彼女は宙に浮いていた。

そして落ちてくるボールを右足でとらえ、振りぬく。


「うおっ!」

「がふっ!」


ボールは綺麗な放物線を描いて俺の立っている場所に戻ってきた。

一方夏希は、変な声を上げて地面に落下した。俺はボールを持ったまま、慌てて彼女に駆け寄る。


「おい、大丈夫か!?今顔から落ちなかったか?」


夏希は「うー」と声を上げながら、むくりと上半身だけ起き上がった。

俺の惚れた綺麗な顔が、砂にまみれている。唇の端には血までにじんでいる。

俺はひざをつき、顔の砂を払う。


「何考えてるんだよ、お前は。俺は芝の上だからまだよかったけど、土の上でやるヤツがあるか」

「飛べたよ」

「え?」

「君が教えてくれた。また足を削られるのが怖いんなら、足から力が抜けて踏ん張れないのが怖いんなら、飛んじゃえばいいんだって」

そう言って、彼女は砂まみれの顔で無邪気に笑った。


そんな彼女に、俺は。


「夏希」

「ん?え、あ、ちょっと……んっ」

そのまま身を乗り出して、俺は自分の顔を夏希に重ねた。

自分にこんな行動力があったなんて、驚きだ。


好きな女の子との初めてのキスは、血と砂の味がした。


男と女はこうも違うものか、と俺は夏希の横を歩きながら実感する。

告白して、両思いになって、そのままキスまでしてしまった俺は、夏希の顔をまともに見られないほど恥ずかしい。天にも昇るほど嬉しいけど。


一方夏希は、何ごともなかったかのように頭でリフティングしながら隣を歩いている。

いまだ砂がついている顔を、妙にキラキラさせて。


「な、なあ、夏希」


俺は一つ咳ばらいをして言った。

「何?」

ボールを手に落として、夏希が答える。

「その……お、俺たちは、その、これからいわゆる付き合っている、という状態に突入すると思うんだが」

「うん、そうだね」

「だから、そんなお前にしかできない頼みごとがあるんだ」

「何?」

小首をかしげて俺を見る。くう、俺の彼女は世界一可愛いぜ。

「来月、全国大会で日本中の猛者たちが東京に集まる」

「うん。集まる」

「そんな中で、俺は今のままでいいのかと。レべルアップが必要なんじゃないかと」

「春瀬に勝ったのに?」

「それはそれとして。こう、大舞台の経験値というか、雰囲気に飲まれちゃうというか」

「あー」

夏希がうなずく。

「それで?」

「つまり、ここからが本題なわけだが」

「うん」

「今のままじゃ……男として、ガキのままでは全国のライバルに勝てないと思う」

「……それ、どういう意味?」

雲行きが変わってきた。いかん、ここは一気に。


「つ、つまりだ、夏希!こうして彼氏彼女になったわけだから、思い切って俺を男にしてくれないか!」


夏希の顔がみるみる赤くなる。

「バ……ッカじゃないの!?このスケベ!変態!告白して両思いになった当日に、普通そんなこと言う?」

「あうっ!」

投げつけられたボールが俺のみぞおちに当たる。夏希はスタスタと先に歩いて、そしてピタリと止まった。

「いや、あの、ごめん。で、でも、ふざけたりからかったりしたわけじゃない。俺はマジだ。相手が夏希だから言ってるんだ」


しばらく背中を向けていた夏希は、くるりと振り返った。顔を真っ赤にして、腕組みをしている。

そして、いつか聞いたセリフをまた言ってくれたんだ。



「考えさせて」



おわり

延長戦へつづく

約三か月間読んでいただいた皆さま、ありがとうございました。

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