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第77話「虹」

決勝戦、決着。

「キャプテン、すげー!」

「鳥肌立ちました!」

「本当においしいとこ持ってくよな、お前!」


みんなにもみくちゃにされながら、再びさりげなくベンチを見る。

夏希とこばっちが抱き合い、伊崎たちが大騒ぎしている。江波先生は脱いだ白衣をブンブン振り回し、毛利先生はベンチの周りをグルグル走り回っている。


そしてもちろん俺自身も、今まで感じたことのないような、熱いものを喉の奥に感じていた。

失ってなかった。

俺はまだ、フリーキックを失ってなかったんだ。


「やったな、未散」

直登が笑顔で右手を上げる。

「それでこそ、僕が惚れた男だ」

「やめろよ、そういうこと言うの」

俺が顔をしかめてハイタッチすると、みんなが笑った。ケガ人をからかうとは、ひどい幼なじみもいたもんだ。

「で、次は何をたくらんでるんだ?」

腕組みをした冬馬が、眉を片方上げて言った。

「何だ、その気取った顔は」

「お前のマネだ」

俺は額を押さえ、

「俺はホッチキスで皮膚が引っ張られてるからそういう顔になってるんだ!」

と抗議する。再びみんなが笑う。まったく、失礼な連中だ。

「知ってる。冗談だ」

冬馬がニヤリと笑う。

冗談だと?こいつが冗談言うなんて、もしかして初めてじゃないのか。


「ま、おめーのこった。どうせまた変な作戦でも考えてるんだろ?」

今度は銀次が笑いながら俺の背中を叩く。

「いたっ!何だよ変な作戦て。お前らさっきから何なんだ!もっと緊張感を持てよ。あと十分無いんだぞ!」

俺の言葉に、みんなは顔を見合わせて、そしてまた笑った。

「そんなこと知ってますよ、キャプテン」

照井がニコニコしながら俺の背中をバンバン叩く。

「痛いって。何なんだよ」

「あと十分くらいあれば、何回か藤谷先輩にボール回りますよね?」

黒須が言った。芦尾がうなずく。

「本来なら俺のビッグ・バビロンをズバムと打ち込んでやりたいところだが、藤谷に花を持たせてやるよ」

「結局不発だったじゃないか、そのビッグ・バビロン」

「おい、さっきのフリーキックは俺へのファウルからってことを忘れるなよ!」

うるさい芦尾のことはさておき、俺の胸元が何かジンジンしてきた。


何でだよ。

何でみんな、そんなに。


俺はこみあげてくるものを必死に抑え、つぶやいた。


「お前らは俺を……信じ過ぎだよ」


今までずっと、「買い被りだ」とか「本当に上手かったらユース行ってる」なんて言って、誰かに誉められても否定ばかりしてきた。


でもそれは美徳としての謙遜などではなく、期待外れのプレーをして失望されたくないとか、恥をかきたくないとか、そんなつまらない見栄であり。


俺は評価して信頼を寄せてくれる人を否定して、遠ざけて。一体何を守りたかったんだ?


両親に捨てられた過去が、他人からの失望を必要以上に恐れた?そんなの後からのこじつけだ。

俺は……俺は、自分自身を信じるガッツが無かった。要はびびってただけなんだ。


「みんなに残り時間の作戦を伝える」

俺は顔を上げ、チームメイトの顔を見渡した。

「冬馬は目一杯ハッタリかまして、DFを引きつけてくれ」

「おう。つっても、それしかできねえよ」

「芦尾はとにかく相手の邪魔をしろ」

「もっぱら!」

「狩井と銀次は、サイドの守備は忘れていいから、どんどん攻め上がれ」

「おお」

「はい!」

二人がうなずく。

「特に銀次は、一回くらい谷に勝てよ。せっかくレア物のスパイク貸してやってるんだから」

銀次は顔をしかめて頭をかいた。

「今さら恩に着せるなよ。あいつ速いんだぜ」

「泣き言はいいから、勝て。DF三人は、とにかく残り時間踏ん張ってくれ」

「わかってる」

「はい!」

「任せてください!」

「島には、ちょっと特別な仕事がある」

俺は島を手招きして、こっそり耳打ちした。

島は一瞬目を丸くして、口元に笑みを浮かべた。

「……わかってはいたが、本当にお前はムチャクチャな男だな」

「できるか?」

「とっくに、お前についていくと決めている」

島が力強くうなずいた。

最後に黒須を見る。

「黒須はとにかく、ボールを奪ったら俺にガンガン回せ。俺は残り時間、点を取ることだけ考える」

そしてもう一度みんなを見て、俺は言った。数か月前の俺なら、絶対に言わなかった言葉を。言おうなんて考えもしなかった言葉を。


「俺がお前らを、全国に連れてってやる!」



春瀬ボールからのキックオフ。何か集まって話していたようだけど、藤谷君はまた妙な作戦でも考えていたのだろうか?相手は春瀬だ。小細工が通用するとは思えないが。


「お兄ちゃん、どうしよう。トイレ行きたいけど、行けない」

隣の席で秋穂がこわばった顔つきをしている。今座っている席は正面スタンドの真ん中よりやや上の方。トイレまではかなり遠い。

「我慢しろ。行って帰ってきたら終わってるぞ」

「それはヤダ」


「あのう……」


後ろから声をかけられる。

「はい」

振り返ると、四十歳くらいの、メガネをかけた男性が息を整えながら石の階段に立っていた。小脇にコート、反対側の手にはチケットが握りしめられている。

「試合は、今どうなってるんですか?」

「ああ、今ちょうど、4-4の同点になったところです。あと十分で延長戦が終わりますよ」

選手の関係者かな?男性は斜め後ろの席に腰かけた。

「ありがとうございます。間に合ってよかった……」

そして大きく息をついた。

「おじさん、もうちょっと早く来れば、モト高10番のすごいフリーキック見られたんだよ!」

「えっ」

「やめなさい。失礼だぞ」

とっさに秋穂をたしなめる。まったく、こっちの妹は。少しは物怖じするという感覚がないものか。

「はーい。でも本当にすごかったんだよ!」

すると男性は、口をポカンと開けてつぶやいた。

「うちの子が……点を決めたんですか?」

「え?」

「うちの子?」

秋穂と顔を見合わせる。

「もしかして……藤谷君のお父さんですか?」

「え、ええ。そうです。未散の父で、藤谷有人といいます」

何て言おうか迷っていると、秋穂がズイッと前に出た。

「初めまして、お父さま。私、モト高サッカー部マネージャー広瀬夏希の妹、広瀬秋穂と申します」

やめろ、秋穂。恥ずかしい。何だお父さまって。

「ええと、私はこの秋穂と、ベンチにいるマネージャーの兄で、広瀬春海といいます」

言うと、藤谷さんは深々と頭を下げた。

「これはご丁寧に。夏希さんには、息子の部屋で会いましたよ」

「えっ!」


聞いてないぞ、藤谷君!お父さんに紹介しただと!?いつの間にそんな関係に!秋穂が隣でニヤニヤしているが,知ってたのか!?いや、僕だけが知らないのか?


「とても素敵なお嬢さんで。二人でおしるこ飲みましたよ。よっぽど好きなんですね、彼女。二杯も飲んでいました」

「本当に、お恥ずかしい限りです」

あいつは人の家で何をやっているんだ!


藤谷さんは目を細めてフィールドを見つめた。

「あの……うちの未散、頭に包帯巻いてますけど、ケガしたんですか?」

「え、ええ。ちょっと切ったくらいでしょうけど。プレーできていますから、大丈夫ですよ」

「でもベンチで治療してる時、すごい叫び声聞こえたよ」

「秋穂、トイレに行ってきなさい」

「えー、やだよー。終わっちゃうって言ったでしょ」

藤谷さんは心配そうな表情になりつつも、取り乱したりはしなかった。

それでも不思議と無関心なふうには見えず、むしろ息子に対する信頼のほどがうかがえた。


「失礼ですが、あなたがプロサッカー選手の広瀬春海選手ですか?」

「ええ、はい。引退したので元プロですが」

「ちょっと前に未散が言ってました。プロのすごい人に特別コーチしてもらったって。嬉しそうに」

「そうですか……」

すごい人、か。今じゃそう言ってくれるのは君くらいだよ、藤谷君。


藤谷さんに会釈して、フィールドに向き直る。

夏希にも言わなかったけれど、自分に指導者としてやっていくだけの情熱があるのか、正直自信が無かった。現役への未練を無理やり断ち切るための方便じゃないかって。


でも君たちと一週間練習して、僕は自信が持てたんだ。

良い指導者になれるかはわからないけれど、自分で選んだ次の仕事に打ち込める自信を。


藤谷君、君がうらやましいよ。こんなにいいチームをキャプテンとして率いて、自分の好きなようにやって、みんながついてきてくれるなんて。


君は自分がどれほど恵まれているか、気づいているのかな?



未散。

父さんはお前に謝らなきゃいけないことがある。

お前の両親である兄夫婦が離婚して、兄さんに引き取られた後、しばらくしてから家に様子を見に行った時だ。

お前はいつになく私にピッタリとくっついて、帰ろうとした時は泣いて引き留めたね。

その時はただ、母親がいなくなって不安なんだろうとしか思わなかった。


数か月後、私はその判断を一生悔やむことになる。


離婚して荒れた兄は、お前をロクに食わせもせず、イライラして当たり続けていたんだ。

言葉で、暴力で。


ガリガリにやせ細り、皮膚はボロボロになり、両足はひどく変形していた変わり果てたお前の姿が、今でも脳裏に焼き付いて離れない。どうしてあの時、無理にでもお前を連れて帰らなかったのか。


その後すぐに、兄からお前を強引に引き取り、妻と二人で大切に育ててきたつもりだ。

子供を授からなかった私たち夫婦には楽しい時間だったが、私自身には贖罪の時間でもあった。


幸運にも3歳までの記憶はお前には残っていなかったけれど、時折見せる不安げな目や、高圧的な男性への異常な敵意、そして意外なほどに早い他人への見切りとあきらめ。それらの行動は暗い過去の影響を私に思い起こさせ、不安にさせた。

せっかく打ち込んでいたサッカーも、一度の理不尽な扱いが尾を引いたのか、すっかりやる気を失って。その後は周囲にも無関心になっていたように思う。


そんな子が今。


「よくここまで……」

思わずつぶやく。

本河津に進学すると聞いた時点で、もうサッカーはあきらめたのだと思っていた。それが今、全国有数の強豪校相手に互角の勝負をしている。

しかも、キャプテンとして仲間を引っ張って。


お前はもう、大丈夫だ。あの頃の子供はもういない。

父としては寂しいことだけど、その何倍も嬉しいよ。お前の雄姿を一目妻に見せたかった。

……いや、もし見てたら「ドキドキするからイヤ」って逃げ出したかな、お前の母さんは。



延長後半八分。

私たちは全員ベンチから飛び出し、線審に怒られるギリギリまで出て声援を送っていた。

倉石は相変わらずスタンドプレーを続けているけれど、春瀬の底力はそれくらいで崩れるものじゃない。悔しいけど。


でもうちだって負けてはいない。

DF三人は体を張って必死に決定機を阻止しているし、黒須君と芦尾が中盤を支えている。両サイドはどんどん勝負に出て、冬馬は自信満々の顔でDFを引っ張りまわしている。首が痛くて何もできないくせに。


そして。


頭に包帯を巻いた、その姿を見るだけで、私は落ち着かない気持ちになる。勝ってほしいけど、無理はしてほしくない。でも、もし負けて帰ってきたら、私はどんな顔で彼を迎えればいいんだろう。


「大丈夫だよ」


紗良ちゃんの手が、私の手をそっと握る。

「え、何?」

「どんな結果になるかは、ランダム要素が多すぎてわからないけど、目一杯藤谷君を応援して」

「う、うん」

「藤谷君はね」

言うと、紗良ちゃんはフィールドを走る10番を見つめた。その目に映る感情は、私には読み取れないもので。

「統計的に、夏希ちゃんが見てる前だと一番いい結果を出すんだよ」

「……」

私はフィールドに向き直り、思いっきり声を張り上げた。

「未散ーっ!がんばれーっ!負けたら許さないからねーっ!」



延長後半十一分。


チクショウ、春瀬のヤツら、全然攻め上がってこねえでやんの。これじゃ俺の必殺シュートが打てねえじゃねえか。せっかくチーマネの度肝を抜いてやれるチャンスなのに。あれか、ヘタに攻めてカウンター食らうリスクは避けて、最悪PK戦でもいいって考えか。

インハイ王者にしちゃ弱気だぜ、春瀬。


「芦尾先輩!」


黒須の声がかかる。こぼれたボールを別府が拾おうとするところを、俺は微妙な距離を保って相手の視野をせまくする。


どうだ、うっとうしいだろう。うざいだろう。

うざがられるのは慣れてるさ。今さら自分が変われるなんて思ってねえ。

でもな、藤谷。これだけは覚えておけ。

お前が広瀬夏希に惚れてるように、俺だって人並みにはあの子に憧れてたんだぜ。


別府が後ろに戻そうとしたボールを、黒須が先読みして奪う。相変わらず抜け目のないヤツだ。末恐ろしい。藤谷の後はこいつがチームの中心になるんだろうな。


「芦尾先輩!」

「おおよ!」


黒須から俺にパスが来る。しかし春瀬相手に長々とキープするほど俺はバカじゃない。即座に藤谷を探す。


「藤谷いっ!」


左サイドに流れた藤谷にボールを渡す。


「あ」


やべ。あいつ囲まれた。

春瀬の青いユニフォームの五人が、赤いユニフォームの一人を取り囲んだ。

ここで奪われたら、今度は春瀬のカウンターが来る!


俺と黒須は同時に走り出し、藤谷がボールを奪われた場合に備えてコースを消しにかかる。これも練習で藤谷にうるさく言われた動きだ。


「……え?」


次の瞬間。

俺は自分の見たものが信じられなかった。

青いユニフォームの集団の中から、赤いユニフォームの10番が、ボールを持って飛び出してきたんだ。

おいおい、勘弁してくれよ。もうかなわねえよ。

俺はこれからもセクハラをがんばるから、お前がチーマネを幸せにしてくれよ。



延長後半十三分。


やばい。もうドキドキが止まらない。何であいつは、春瀬の選手五人にも囲まれて、そこから脱出できるの?相手はインターハイ王者だよ?

「すげえ」

菊地君がつぶやくように言った。

「広瀬、気づいてるか?」

「え?」

「あいつ、この試合中一度も春瀬にボール取られてないんだぜ」

「そう……なの?」

「そうだ。一度もな」

言って、菊地君は自分の腕をさすった。

「やべえ、鳥肌立ってきた。ひょっとして俺ら、めちゃくちゃすげえヤツとずっとサッカーしてきたんじゃねえか?」


延長後半十四分。


冬馬がDFをサイドに引き付け、ゴール前に一瞬だけ隙間が開いた。

「キャプテン!」

すかさず黒須君のスルーパスが、狭い空間目がけて走りだす。未散も同時に。

「あっ」

戻ってきた別府が体を合わせてくる。態勢を崩した未散が必死にシュートを放つも、力の無い放物線はGK杉崎にクロスバーの後ろに弾かれた。

未散は両ひざをついて、肩で息をしている。


「最後のチャンスかもしれねえな」

菊地君が言った。


「あれ?キャプテン、コーナー蹴らないんですか?」

伊崎君が指をさす。左のコーナーフラッグには黒須君が向かっていく。

そして。


「島ーっ!」


未散が自陣ゴールに向かって大声で叫んだ。呼びかけられた島君が、ゴールから走ってくる。

「ちょっとちょっと、あれじゃゴールがガラ空きになっちゃうじゃない」

江波先生がこよりになった白衣を戻しながら言った。

「玉砕覚悟で決めに行く気ですよ、あいつ。全員攻撃だ」

金原君が言った。


確かに島君は大きいし、金原君の代わりにセットプレーでその高さを使いたい気持ちはわかる。でも、本当に大丈夫なの?コーナーキックをクリアされて拾われたら、ロングシュート一発で終わりなんだよ?


ゴール前には珍しく未散が立っている。水泳トレでそれなりに鍛えたけど、やっぱり春瀬のDFに混ざると細い。いつもは自分でコーナーキック蹴るのに、何で今になってわざわざゴール前に。


島君が人込みから少し離れたところに立ってポジションを取り合っている。冬馬と照井君がゴール正面を一生懸命主張している。茂谷君はファーサイド。芦尾はこぼれ球狙いでペナルティエリアやや外側。

銀次君と狩井君はいつでも自陣に走れるよう、少し下がり気味に左右のポジションで控える。


ホイッスル。


黒須君がセットされたボールに踏み出した。


島君がDFを手で制しながらゴール前へ向かう。


……何だろう、この違和感。何か、何か大事なことを忘れているような。


黒須君のコーナーキックが、綺麗な放物線を描いてゴール前に上がる。


「ああっ!」


ベンチから悲鳴が上がる。

ボールは無情にも島君を通り過ぎ、春瀬の久城にヘディングでクリアされてしまった。

モト高ゴールの方向に。


芦尾と並走して別府がこぼれたボールに向かう。先に追いつき、そのまま右足を振りかぶった。

その時。


「蹴るなあっ!」


倉石の大声がここまで聞こえてきた。

蹴り終わった別府が倉石を見て、再びボールの行方を見つめる。

別府のロングパスに飯嶋が反応して走り出している。


そこに正面から走りこんだ赤いユニフォーム。


違和感。


キーパーの島君までもゴール前に上げた、全員攻撃。そこで感じた違和感。

誰か忘れてる。

そこにいるはずなのに、誰の印象にも残らない、座敷童のようなヤツ。

自分はどうでもいい存在なんだって練習をボイコットした意外とめんどくさいヤツ。

バスに置いて行かれて泣きべそかいてたかわいい後輩。


「国分君っ!」


全員攻撃じゃなかった。島君はフェイントだ。島君が上がった後に、国分君が後ろに控えていたんだ。

カウンター返しのために。



「お前にしかできない仕事がある」

すごいフリーキックを決めた後、キャプテンは僕と島先輩を呼んで言った。

必ずどこかでセットプレーのチャンスを作るから、お前は後ろでこっそり控えてろ、と。そして必ずボールを拾って前に出せ、とも。


初めて、初めてキャプテンに頼りにされた。

ただの便利屋じゃない。僕にしかできない仕事。

地味で目立たず、キーパー以外どこでもできる器用貧乏だけが特徴の僕に、キャプテンが与えてくれた大仕事。


春瀬の4番が出したボールに、9番の飯嶋が反応する。まともにやったら勝てるわけがない相手。天才っていうのはこういう選手を言うんだろう、と試合中飯嶋と対戦して思った。


僕とはモノが違う。だけど今は、今だけは。


君は僕が待ち構えていることを知らない。でも僕は知っている。

この日、この瞬間のために、僕はサッカーを続けてきたんだ。

センターライン上、飯嶋がボールに触れる寸前、僕は正面から滑り込んでボールをつま先で弾き返した。

キャプテン、僕は役に立ちましたか?背中が冷たいです。



国分君のスライディングが決まり、ボールは左サイドに流れていく。

拾ったのは、銀次君だった。

春瀬のDFはまだ態勢を立て直していない。


「あ」


銀次君がドリブルを開始すると同時に、青いユニフォームが重なった。

谷だ。


スタートは同時。


銀次君がボールを前に大きく蹴りだしてダッシュする。谷が同じスピードで並走する。

隣を見ると、紗良ちゃんは黙ってフィールドを見つめていた。

「紗良ちゃん、銀次君が」

「大丈夫」

「え」

紗良ちゃんはまっすぐ銀次君を見てうなずいた。

「さっき銀次君は、中に切れ込んで冬馬君の同点ゴールのきっかけを作った。谷君はそれがまだ頭にあるはず」


銀次君が一瞬、体を内側に傾けた。谷のスピードが、ほんの少し緩んだ。


「でも銀次君だけは、自分がまっすぐ走り続けるって知ってるの。だから絶対負けない!」

言うと、紗良ちゃんは手メガホンでフィールドに向かって叫んだ。

「銀次くーん!負けないでー!」

左サイドの深いところ、二人がボールに追いついた。谷が倒れこみながら足を伸ばす。


「行けえええーっ!」


ベンチまで聞こえる大きな声とともに、銀次君の左足が先にボールに触れた。

インステップキックのクロスボールが、大きく逆サイドに飛んでいく。

右サイドで待っていたのは、茂谷君。

左SBの虻田を制し、ヘディングでボールをゴール中央に折り返す。

ボールの行く先に待っていたのは。


「未散!」


ゴールほぼ正面。

茂谷君からの折り返しを、未散が胸トラップで宙に浮かせる。そして右足を振りかぶる。


あ。

いや。

いやだ。

同じだ、あの時と。


私の胸に黒いモヤモヤが湧き上がり、左の足首がざわざわと泡立ってくる。


右足を振りかぶった未散に、春瀬の選手が二人殺到する。

未散はポンとリフティングで二人を交わし、体を反転した。


私が大ケガをしたあの時と、同じ状況。


もし同じなら、この後は。


やめて、お願い。

誰も来ないで。


反転した未散が左足を振りかぶる。

その真後ろから、青いユニフォームの倉石が滑り込んできた。

体を支える、未散の右足めがけて。

私はありったけの声をふりしぼり、叫んだ。


「やめてええええええええーっ!!」



何が違う?

どこで間違えた?

藤谷未散。俺とお前とで何が違う?


ユースを蹴って、選手権で勝つために春瀬を選んだ。それで満足だった。何も間違ってないはずだった。

お前のプレーを見るまでは。

指導者のいないチームで、お前は自由奔放にプレーして、それでいてチームを引っ張り、周りは迷わずお前についてきている。


許せない。


間違いのないはずの俺の選択に、迷いなんてあってはいけない。

完璧な、本物のフットボールは俺が体現するはずなんだ。


ボールが宙に浮いている。お前はボールしか見ていない。


やめてくれ。


これ以上、俺を追い詰めないでくれ。


気が付くと、俺は真後ろから藤谷の足元に滑り込んでいた。



同じだ、あの時と。

インハイ予選一回戦。

2-3で一点ビハインドの終了間際。俺はゴール前で同じ状況に立っていた。


あの時の俺はシュートを選ばず、冬馬にパスをした。そして冬馬はシュートを外し、俺たちは負けた。

その後スコアボードを見て、俺の中で何かが変わったんだ。うまく言葉にできなかったけど、とにかく勝ちたいって思ったんだ。

今思えば、あの場面でシュートを選ばなかったことを悔いていたのかもしれない。それを取り戻したくて、今日までやってきたのかもしれない。

落ちてくるボールに左足を振りかぶる。


一瞬、俺の頭に夏希の顔が浮かんだ。



曇り空から、一条の日差しがフィールドを照らす。

「……えっ」

真後ろから倉石が滑り込んだ瞬間、未散は右足を踏み切ってジャンプしていた。


体を思い切り横に倒して、落ちてくるボールに左足を合わせて振りぬく。

真下をスライディングした倉石が通りすぎて、未散は芝の上に落下する。


誰も動かない。

私の視界だけ、時間がゆっくりと動いているような。


全員が目で追ったボールは、密集する両チームの選手たちの頭上を越えていく。


濡れたボールが描いた放物線は、日差しに照らされて美しい虹を作った。


ボールは音もなく右隅のサイドネットに飛び込み、そのまま真下にバウンドした。

主審のホイッスル。


春瀬高校 4-5 本河津高校 得点 藤谷


今日一番の大歓声がスタジアムを包み込む。

直後、主審が両手を上にあげ、長い、長いホイッスルを鳴らした。


「未散ーっ!」


私はフィールドに向かって駆け出した。


最終話につづく

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