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第74話「ゼロ」

冬馬の過去。エースがエースである理由。

三蔵監督がなぜあんな大声を出したのか。倉石は何を言ったのか。ここからはわからない。

でもベンチに座った三蔵監督は顔を真っ赤にし、肩を大きく上下している。相当なご立腹だ。


「あ」


俺たちが自陣に戻ろうとした時、春瀬のベンチ前で選手交代のボードがかかげられた。


17 OUT

13 IN


17番は中盤左サイドの長谷。13番は……確か毒島ぶすじまってヤツだ。中盤でも下がり目だった気がするが。確かに直登のゴールで一点差まで追い上げた。でもだからって、あの春瀬が十人の俺たち相手に守備を固めるなんてこと、あるか?


「藤谷」


冬馬が春瀬ベンチを見ながら歩いてきた。

「おお冬馬、あの交代は何だと思う?」

「17番の出来が悪いからだろ。それより」

言うと、冬馬は俺をジロリとにらんだ。

「もっとパスをよこせ」

「出してるよ」

「足りねえ。もっとしびれるようなパスを出せ」

「……」

「何だよ」

俺は笑いをこらえながら答えた。

「インハイ予選の時も言ってたな。しびれるようなパス」

「覚えてねえな」

冬馬はプイと横を向いた。




















あの日。

一年前の十月にひっそりとやっていた春瀬のセレクション。三蔵監督から不合格を伝えられた日。


俺はサッカーを辞めるつもりだった。


今までなら、落とした監督に食ってかかって理由を問いただしていた。でもその時は、何もする気にならなかった。


どうすればチビに生まれたハンデをチャラにできるか。それだけを考えて、その日までボールを蹴ってきた。

そして俺は一つの結論に至った。


動き出し、体の入れ方、ジャンプ、すべてはタイミングだ。タイミングさえ合えば、体の大きなヤツらとも互角にやれる。

そして誰よりもゴールにこだわり、数字を出してきたつもりだ。

なぜFWか。

チビが分かりやすい結果を出せるポジションなんて、FWしかないからだ。


その結果が……不合格だった。


チャンピオンズリーグに出たいとか、ワールドカップに出たいとか、ガキの頃の夢はもうだいぶ前に一通りあきらめた。下方修正ってヤツだ。現実と寝たとも言うか。


修正して修正して、高校の強豪サッカー部で全国大会に出るところまで下げて、その夢も否定された。


何もない。


ゼロだ。


極限まで下方修正した妥協の産物を、夢と呼べるのか?


着替えて帰りかけた時、他のスタッフに呼び止められ、俺はテレビとDVDプレーヤーがあるせまい部屋に連れられた。


そこには県内のありとあらゆる高校の試合映像があり、好きに見ていいという話だった。つまりうちでは取れないが、他に目ぼしい高校を探せということだ。監督の指示だと、そのスタッフは言っていた。


くだらねえ同情だ。

偽善だ。

断って帰ることもできた。なのに言われた通りに映像を見始めたのは、まだ俺の中にくすぶっているものがあったからかもしれない。


そして見つけた。


あいつを、見つけたんだ。



















「広瀬先輩!キャプテンと冬馬先輩、何話してるんですかね?」

隣の伊崎君が大きな声で私に言った。


茂谷君の芸術的ボレーが決まり、一点差になった。今はやっとベンチでの大騒ぎが収まったところ。

茂谷君があんなに素直に笑うところは初めて見たかもしれない。普段のクールなイメージとはかなりギャップがあって、未散とのハイタッチの時ちょっとだけいい男だなと思ったのは内緒だ。

それにあんなかっこいいシュート、私だって一度も決めたことがない。マネージャーとしては嬉しいけど、何か悔しい。


「きっと、この勢いで同点に追いつくぞとか、そういうこと言ってるんだよ」

「ですよね!冬馬先輩、点は決めてないですけど、やっぱりすごいですよ!あの春瀬のDFラインをずっと一人で下げようとしてるんですから」


確かにそうだけど、冬馬一人で春瀬のCB二枚を相手にするのはやっぱり荷が重い。中央で何度もはじき返されている。

一人少ない状況で相手は格上。もっと波状攻撃を仕掛けたいところだけど、どうしても受け身になってしまうのが歯がゆい。


今の春瀬の選手交代は、守備的MFを一人増やす交代だ。

日本一の春瀬が、十人の私たち相手に守備固め?まだ三十分近くあるのに。どんな狙いがあるんだろう?


紗良ちゃんがポツリと言った。


「ねえ、夏希ちゃん。春瀬の監督と倉石さん、今ケンカしてなかった?」

そう、さっき三蔵監督の怒鳴り声がここまで聞こえてきた。内容までは聞き取れなかったけど。

「うん、してた。交代が気に入らなかったのかな」

「いや、その前からだ」

後ろから梶野君が言った。

「交代の前に、倉石が監督に何か言いに行った。それで怒った感じだな」

「何言ったんだと思う?」

「そこまではわからん。けど見当はつく」

「何?」

「多分……今のままじゃダメだって、監督に言ったんだ」

言うと、梶野君は目を伏せた。


そういえば、と私は思い出す。

梶野君がバスケ部を辞めた理由は、監督と考えが合わなかったからだと言っていた。

倉石も、もしかしたら考え方の違いで普段から監督とぶつかっているってこと?


私は後ろを振り返り、ハーフタイムからずっと無口になっている芦尾を呼んだ。

「ねえ、芦尾はどう思う?」

芦尾は弾かれたようにパッと顔を上げた。

「悪い、聞いてなかった。何だ?」

「人の話、ちゃんと聞いてよね。何さっきからムッツリ考え込んでるの?」

「ムッツリって言うな。俺だって考え事ぐらいするさ。特に今日はな」

いつになく、いや初めて見る真面目な顔だ。

「で、何考えてたんだよ」

金原君が、うさんくさい営業マンを見るような目で芦尾を見つめる。

「うちはもう、交代枠を二つ使った。残る枠は一つ。そして交代で出られるのは、あと俺だけだ」

芦尾は落ち着いた口調で答えた。

確かに。でも意外。

ちゃんとチームのことや試合展開を考えてくれてたんだ。


「それで?」


芦尾は真剣な顔を崩すことなく答えた。

「エレクチオンキャノン、アンラッキーバズーカに続く第三の必殺シュートを何て名前にしようか、ずっと考えていた」

……ちょっとでも見直した私がバカだった。

「しょーもないことで悩んでないで、アップしてきなさいよ。その必殺シュートだって、体がしっかりほぐれてないと威力が出ないんでしょ」

「お、チーマネ。わかってきたじゃないか」

「わかりたくない」

立ち上がり、伸びをしながらアップに向かう芦尾を見ながら、私は言いようのない不安に襲われた。

文字通りの切り札が、あの男で大丈夫なの?



















春瀬があちこちで撮った映像はバカみたいな量があった。全部まともに見てたらキリがねえ。

俺はケースに貼ってあるラベルを見て、聞いたことのある高校をいくつか取り出し、倍速で見ることにした。


桜律、国際大付、阿東工業、厚尾。

厚尾のFWは俺と同じくらい小せえヤツで、なかなかスピードがあった。でも一つのチームにチビのFWは二人もいらない。厚尾は無いな。


それから早送りの速度を上げて、流れ作業のように試合映像を見続ける。


時間のムダだ。


何で俺は律儀にこんなもん見てるんだ。仮に多少はマシなチームが見つかったとしても、この県で選ぶなら結局どこかで春瀬か桜律と当たることになる。そしたら全国大会なんて無理に決まってる。


これで最後にしよう。俺は山積みのDVDの中から適当に一枚を引っ張り出した。


「……ん?」


ラベルには『ポン高-藤井川』と書かれていた。ポン高?どこだ?何の略だ。

もう一度引き直すのも億劫で、俺はDVDをセットした。


ポン高、と呼ばれていたのは本河津高校のことだった。全く聞いたこともない。それも当然だ。

ポン高は今日見た試合映像で一番ひどいチームだった。チェックは遅い、マークもスカスカ。自己満足のプレーに終始して、大差で負けてるにも関わらずヘラヘラ笑っていやがる。こんなチームでプレーするくらいなら、俺はすっぱりサッカーから足を洗う。


あくびをしながら四倍速で映像を進めて、後半二十分過ぎ。


途中交代で背番号10が入ってきた。


10番なのに控えなのは、ケガか、スタミナがないのか。それとも俺と同じ一年だからか。


「……お」


意外にもその10番は、悪くないプレーをしていた。背番号から見て元々攻撃的なポジションだろうが、短い間に何度も相手からボールを奪っていた。まるでボールの行き先が分かっているように。


そして俺は見た。


両チームが入り乱れてこぼれたボール。ポン高の10番は一番最初にボールに追いついた。そしてバウンドしたボールをダイレクトで前に送る。


キックの技術、タイミング、スピード、全てが完璧だ。でもそのスルーパスは誰にも届かず、ゴールラインを割ってフィールドの外へ転がっていった。


あのパスを受けるFWが、このチームにはいない。10番も10番で、悔しがる素振りさえ見せず、自陣にチンタラ戻っていく。


胃袋のさらに下、はらわたがふつふつと煮えくり返ってくる。


ちがうだろ。


そうじゃねえだろ。


お前はあのパスを届けなきゃいけない。しっかりボールを見て走れと、相手が三年だろうと誰だろうと怒らなきゃいけない。お前のパスにはそれだけの価値があるんだ。


何であきらめてる。


何で自分を安く見積もってる。


許さねえ。


そんなの俺が許さねえ。


本河津の10番。お前のパスは、俺が全部決めてやる。


俺はDVDを出しっぱなしにして、校舎を出た。途中で三蔵監督を見つける。

「やあ、冬馬君。いい学校は見つかったかな?」

「ああ。感謝するぜ」

そういえば、あいつの名前は何だったか。どうでもいい。いずれわかる。

俺は監督に言った。

「俺の10番を見つけた」





















春瀬ボールのキックオフで試合が再開する。

すでに後半十五分近く。

あと二十五分で同点に追いつかないと俺たちは負ける。しかも追加点を許すことなく、だ。


冬馬へのスルーパスは前半からことごとくカットされている。うぬぼれているわけではないが、俺自身も研究されているのかもしれない。


だからって、どうすりゃいい?


長谷に代わって入った毒島が、今までの4番別府のポジション、つまり中盤の底に入る。

別府はやや上がり目のポジションになり、同時に倉石はさっきまでよりさらにFW寄りのポジションになった。


さっき監督を激高させていた倉石だが、いざプレーが始まると特にスタンドプレーもなく、おとなしくプレーに集中している。それはそれで不気味だが。


後半二十五分が過ぎた。スコアは2-3のまま。

ここで俺は、ある一つの事実に気が付いた。


春瀬が、シュートを打ってこない。


黒須と菊地がボールを取りに走る。

別府と家下がのらりくらりとパスを回し、カットされそうになるとすかさず毒島が現れ、再び春瀬ボールに戻る。


守備を固める、という予想はある意味外れた。三蔵監督はそんなことはしなかった。

狙いはおそらく、中盤の支配の強化。その結果、支配率が上がって点を取られなくする。もっと言えば、俺たちに攻撃させないようにしてるんだ。


ボールがサイドラインを割った時、俺は冬馬を呼び寄せて言った。

「冬馬、まずいぞ。あいつらこのままダラダラ試合終わらせる気だ」

「そんなことはわかってる。何とかしろ」

冬馬がさらりと言い放つ。

「簡単に言うなよ。そもそもボールが回ってこないんだ」

「別にいいじゃねえか。中盤でお前の足元にボールが来ないのがそんなに悪いのか?」

「え?」

俺は思わず冬馬をまじまじと見つめた。

「どういうことだよ」

「お前は黒須や銀次を買ってるんだろ?だったら背中を預けろよ」

言うと、手の甲で俺の胸をペシンとはたいて前線に戻っていった。




















後半二十九分。


真っ赤な観客席からの声援がひときわ大きくなってきた。あと十分と少し。

ベンチから見てる私にも、今の状況がよくないのはわかる。


春瀬が二人目と三人目の選手交代を同時に行った。CBの三年熊野に代わって一年の日下くさか

左サイドの須藤に代わって丸井。

日下は背の高いひょろっとした色白のタイプで、丸井はツンツンの髪形をした、やけに日に焼けたチャラチャラした一年生だ。


「あれ、どう見ても全国に向けて一年に経験積ませるための交代だよな」


金原君が不機嫌な声で言った。でも金原君が特別怒りっぽいわけじゃない。

なぜなら私はこの交代を見た瞬間、すでにブチ切れていたのだ。

「バカにしてる!許せない!まだ試合終わってないのに、何なの!?一点差に追い上げられたって気にしてないってこと!?」

紗良ちゃんが「夏希ちゃん、おさえてー」と、立ち上がる私を座らせる。


マネージャーになってからの半年間、桜女と練習試合したり、合宿やったり、みんなずっとがんばってきた。いろいろあったけど、桜律まで倒して決勝にやってきたのに。


こんな、大きな鳥かごみたいなナメたやり方で、次を見据えた選手起用されて。

腹立つ。許せない。


「あっ、あれ菊地君?」

赤いユニフォームの選手が一人、芝の上に座り込んでいる。髪を後ろに束ねているやせたシルエット。

間違いない、菊地君だ。

左のふとももを手でグッと押さえている。主審が短く笛を吹き、ゲームが止まる。


「さっき菊地が、着地する時一瞬ズルっと滑ったように見えた。濡れた芝のせいかもしれない」

梶野君が言った。

「それって……最悪肉離れになるパターンじゃ」


しばらくして菊地君がタンカで運ばれてくる。私と江波先生が真っ先に駆け寄った。

「菊地君!」

「おお、わりい。太ももビキッとやっちまった」

いつも通り軽く話す菊地君。

疲れているはずなのに。悔しいはずなのに。

「菊地先輩、何か突破口無いんですか?」

伊崎君が泣きそうな声で聞いた。

菊地君はフィールドを振り返り、言った。

「まともにやってたら、無いな。俺も黒須も、いいように振り回されてスタミナ削られただけだ」

「そんなあ」

「可能性があるとしたら、うちの左サイドバックしかいねえな。銀次のスピードに期待するしかねえ」

確かにスピードだけなら、通用してる。でも今日の銀次君は、どこかおかしい。クロスを上げたのは一点目のカウンターの時だけで、それからずっと谷の前に沈黙している。

つっかけてはボールを奪われ、前に出たボールを追いかけては取られるの繰り返し。


「紗良ちゃん、今日の銀次君のデータは?」

「……」

「紗良ちゃん?」

見ると紗良ちゃんは、口をまっすぐ一文字に結んでフィールドを見つめていた。その横顔はとても厳しく、知り合ってから初めて見る彼女だった。

「やっぱり、言わなきゃ」

「え?」


紗良ちゃんはスッと立ち上がり、サイドラインギリギリまでスタスタと歩いて行った。

あんなところまで出て良かったっけ?


彼女は両手をメガホンにして、大きく息を吸い込んだ。


「こらーっ!軽部銀次ー!君はもう陸上選手じゃなくて、サッカー選手なんだよー!」


……あんな大声出るんだ。

紗良ちゃんが線審に注意されてベンチにそそくさと戻ってくる。反対サイドの銀次君はしばらくこちらを見て、小さく右手を挙げて走り出した。


「小林さん、あんな大声出せるんだ」

江波先生が菊地君の足を診ながら笑った。

「あ、いえ、その、すみません。みっともないところを」

赤くなり、いつも通りの紗良ちゃんに戻っていく。

伊崎君が両こぶしをにぎりしめ、

「こばっち先輩!俺、感動しました。あれこそ愛の力ですね!」

「伊崎君、恥ずかしさで死ぬからやめてー」


フィールド上の未散が、こちらを見て指をくるくる回している。私はうなずき、前に立っている背番号13をポンと叩いた。

「芦尾、出番だよ。何て名前か知らないけど、新しい必殺シュートブチかましてきて!」

「おうよ!行ってくるぜ!」

気合いとは裏腹に、ひょこひょこした変な走り方でフィールドに入る芦尾。ポジションは今まで菊地君がやってた中盤センター。芦尾もキープ力はある方だけど、春瀬相手にどこまで通用するか。こればかりはやってみないとわからない。


そういえば第三の必殺シュート、何て名前にしたんだろう。





















芦尾が菊地と代わって入り、春瀬のスローインから試合が再開する。


また少し風が吹き始めた。


俺たちにとっては追い風の向きだけど、それはそれでパスが伸びすぎたりして意外とコントロールが難しい。


さっきこばっちからゲキを飛ばされた銀次が、何か考えている感じがする。今日は仕事をしたのは一回きりで、あとは谷に負けっぱなしだ。やっぱり陸上部時代勝てなかった苦手意識をずっと引きずっているのだろうか。


後半三十三分。あと七分で決勝戦が終わる。


メンバーが代わっても、春瀬のパス回しは変わらない。

無理に攻めず、守りに入りすぎず。絶妙なさじ加減で試合を支配し続けている。

直登がコーナーキックからのゴールを決めてから、俺たちのシュートはわずか二本。しかも両方とも枠を外した。


このまま終わっちまうのかな。

こんな、こんな不完全燃焼な終わり方で。


「藤谷」

うちのスローインのボールを取りに行くと、銀次が素早く駆け寄ってきた。

「おお、銀次。スローイン頼む」

ボールを渡して戻りかけた俺に、銀次は言った。

「おめえ、この風の中で好きなところにボール落とせるか?」




















後半三十九分。あと一分で試合が終わる。

やっぱ勝てねえもんは勝てねえよな。実際速えよ、谷は。

前半のカウンターは、俺が早くスタートを切ったから何とかなったけど、スタートが互角ならまずかなわねえ。陸上部時代に勝てなかったんだから当然だ。


それでも、俺は勝負しなきゃいけねえ気がしてた。さっきまでは。

好きな女に、普段おとなしい小林にあんな大声で怒られちゃ、違うやり方考えるしかねえよな。

サッカー選手として、谷に、春瀬に勝つ方法を。



















後半四十分。


とうとう2-3のまま、アディショナルタイムに入ってしまった。もう声が枯れるほど声援を送っている。

私も、ベンチのみんなも。

観客席の応援が少しずつ小さくなってきた。


終わっちゃうの?このまま、何もできずに。

せっかく二点返したのに。ここまでがんばったのに。こんな終わり方ってひどいよ。


「ふおおおっ!」


芦尾のおたけびがここまで聞こえてくる。あいつなりに必死にボールを追い回している。新しい必殺シュート、一度でいいから見せてよ、芦尾。


「あっ」


芦尾の迫力が効いたのか、4番別府がトラップを少しだけ大きめに弾いた。すかさず黒須君が拾い、左サイドの銀次君めがけてロングパスを出す。センターラインから少し伸びたあたりにボールが転がり、銀次君と谷が同時に追いかける。

思わず両手が祈りのポーズになる。


今度こそ、今度こそ勝って、銀次君。


「よし!」

ボールに先に追いついたのは、銀次君だった。そして内側に切り返し、中央へ切り込んでくる。谷が体を寄せてくる。センターからは毒島と、CBの日下が詰めてくる。


「銀次君!」


紗良ちゃんが立ち上がって叫ぶ。

でも私の視界には、別の影が見えていた。


ボールを持つ銀次君、集まる春瀬の選手たち。


銀次君はゴールに背を向けると、ヒールで真後ろに強いパスを出した。

左サイドに転がっていくそのパスに反応した赤い影。


背番号10。


伊崎君が叫ぶ。

「キャプテンだ!」

未散が左のサイドライン際を猛スピードで走っていく。谷が後ろから追いかけるけど、出遅れた分は取り戻せない。左サイドギリギリでペナルティエリアにはまだ遠い場所。


未散がフリーでボールに追いついた、その時。


「うわっ」


倉石が同じタイミングで走ってきていた。右から体を寄せてコースを消してくる。


「ああっ!」


未散はボールに追いついた瞬間、その場で左足を振り抜いた。


早すぎる!


アーリークロスにしてもタイミングが早い。この追い風で、小さい冬馬にピンポイントで?


「大きい!」


ゴール前に高々と上がったクロスは、風に乗って逆サイドに流れていく。

春瀬DFの頭上を超えて、ゴールからもそれていく。ボールは逆サイドの奥、ゴールラインまで届きそうな勢いだ。


……終わった。

















そうだ、藤谷。それを待ってた。


誰もチェックしない場所。予想しないポイント。そこに落ちてくる最高のボール。

今日この時のために、俺はお前のいる高校に来たんだ。


ボールが風に乗って逆サイドに流れてきた。

俺の待ってるサイドに。


複雑な回転がかかったクロスが、ゴールラインを越えそうなところでククッと曲がって落ちてくる。

俺の全身に鳥肌が立つ。体中の血液が逆流する。

ボールはゴールラインの内側に戻り、真横から見るゴールポストとボールが俺の視界で完璧に重なった。



角度ゼロ。



俺は落ちてきたボールに右足のアウトサイドをダイレクトで合わせ、そのままクロスバーめがけて振り抜いた。右足にかかるボールの回転は、俺の足に完璧にはまった。


ああ、俺は間違ってなかった。

藤谷。



お前に会えてよかった。














冬馬がラインを越えて体ごと外へ転がっていく。真横からの渾身のボレーは、キーパーの頭上をシュート回転して越えていき、逆サイドのネットに勢いよく突き刺さった。


一瞬の沈黙の後、聞いたことの無い大歓声がスタジアムを包んでいく。

呆然とした顔のキーパー杉崎とDFたち。腰に手を当ててゴールを見つめる倉石。

そして俺たちはありったけの声で叫びながら、芝の外に転がっているエースストライカーのもとへダッシュした。


春瀬高校 3-3 本河津高校 得点 冬馬


同点!同点!!同点!!!


「冬馬ーっ!」

あおむけに寝転がる冬馬が笑っているように見えたけど、きっと見間違いだろう。

主審の長いホイッスルが二度聞こえた。

一度目は俺たちの得点。二度目は八十分間の試合終了を知らせた。

まだ戦える。俺たちは延長戦を戦えるんだ。


つづく

多分しなくてもいい名前の由来解説


毒島……ブスケツ

日下……ピケ

丸井……ネイマール

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