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第7話「がんばって」

一年生たち登場。

日が落ちてから一時間もした頃、俺は自転車をこいでいた。カゴの中のサッカーボールが道のデコボコに合わせて揺れている。


五分ほど走っていつもの公園に到着。薄暗い街灯の真下に自転車を停めて鍵をかけると、ボールをカゴから取り出して軽くリフティング。

暗闇の中、あまり音を立てないように、小刻みにボールを浮かせる。


グレーのパーカーに擦り切れたジーンズ。靴はスパイクではなくトレーニングシューズだ。本格的に練習をするという服装ではない。



住宅街の外れにある、小さな公園。以前は子供がすべり台やブランコで遊んでいるところをよく見たが、新興住宅地ができてからその中心地に新しい公園ができて、こちらには誰も来なくなってしまった。野球ができるほどには広くなく、フットサルならギリギリできそうな狭いスペース。小学生の頃からの、俺のお気に入りの場所だ。



そして、落ち込んだ時に来る場所でもある。



住宅街の外れとは言っても近くに家はある。フェンスに向かって力一杯シュート練習なんてしたら即うるさいと怒られてしまうだろう。だからこの公園ではフェイントやステップの細かい練習しかできない。最後がシュートで終われないのは何とも消化不良だ。


俺はリフティングをやめて、割れたベンチに腰掛けた。




あの後。

軽部銀次は意外にも真摯に話を聞いてくれた。サッカー部の現状、やりたいサッカー、軽部の能力が必要だ、という話を全部。君が必要だと言った時にはさすがに照れていたようだが。


軽部は一通り黙って聞いた後、わざわざ来て誘ってくれたことは感謝するが、自分は陸上部で優勝することしか考えていない。それに一度始めたことを途中で投げ出すのは嫌いだ、と答えた。こちらを馬鹿にするでもなく、あきれるでもなく、真っ直ぐな目で答えた。


少し前に読んだ、中国を舞台にした小説を思い出す。

君主がある武将をスカウトしに行ったら「男として二君には仕えない」と断られて、「そういう人間だからこそ欲しいのだ」と返す場面。今、同じ気持ちだ。


とりあえず練習を見ていく許可はもらって、広瀬と二人でスタンドから見学した。軽部のスピードは予想以上で、一気にトップスピードに入って最後まで衰えない。それは二百メートルでも、八百メートルでも同じだった。あんな選手がサイドにいたら、スルーパスを出すのがどんなに楽しいか。考えても虚しいと分かっているのに、考えずにはいられない。


帰り道、広瀬に「一目惚れした相手に、その日のうちに振られたような顔してる」とからかわれた。俺は何も言い返せず、うなるしかなかった。


ちなみに、帰ってから直登に事の顛末を電話で伝えたところ、何で自分を呼ばないのか、と珍しく不機嫌になった。俺としては前日新メンバーを二人も揃えてくれたことに対する感謝もあって一人でがんばってみたつもりなのだが、その辺りの気持ちは伝わらなかったようだ。男のくせに難しいやつだ。



ポケットのスマホがブルッと震える。LINEの着信だ。



『焦ってもいいことないよ。いつまでも済んだことにクヨクヨしてないで、明日からの活動に集中するべき。』



広瀬からだった。何で、焦ってクヨクヨしてるのが分かったんだろう。やはりエスパーか。



『わかった。今日はわざわざ付き合ってくれてありがとう。』



送信ボタンを押して、ベンチから立ち上がる。再びリフティングを十分ほど続ける。途中からボールを足の裏で転がす切り返しや、アウトサイドで細かく操作する練習に移行。


何度も、何度も、繰り返す。


繰り返しているうちに、息が切れてくる。頭に血がのぼってくるのが分かる。冷たい空気はさらに鋭さを増して俺の頬に斬りつける。


何度も、何度も、何度も。


こうしていれば、何も考えずに済む。習慣と反射が思考を追い抜いていく。



この世につらいことなど何も無いのだ。



そして運命の金曜日。


落ち着かない時間をソワソワとやり過ごしていると、昼休みにD組とE組の間の掲示スペースに人だかりができているのを発見した。何とか隙間から覗くと、そこには進級直後に行われた実力テストの順位表が貼りだされていた。この実力テストは前年度の春休みの宿題をしっかりやったかどうかを見るという、実に根性の悪いテストで、提出の義務無しと言われた春休みの宿題を早々と放り投げた俺には厳しすぎる内容だった。テストをやるならやると言えばいいのに。


全教科総合点を見ると、二十位くらいに広瀬夏希の名があった。春休みの宿題、提出不要なのに真面目にやってたのか。大したもんだ。教科別を見ると、広瀬の名は英語の上位にも載っている。なぜあんな異国の言語が理解できるのだろうか。それが理解できない。


……何で俺は、さっきから広瀬の名前ばかり探してるんだろう。不毛だ。


気まぐれに数学の順位表を見る。一位には、女子の名前が載っていた。小林紗良こばやし さら。隣の表を見ると、物理も二位だ。理数系がこんなに得意な女の子が、同じ学年にいたんだ。何組だろう。



「よお、サッカー部」


後ろから声が掛かる。名前は呼ばれていないが、ごく最近聞いた声から自分のことだと分かった。

振り向くと、昨日会ったばかりの軽部銀次が立っていた。

どことなく、ばつが悪そうに見える。俺も何となく視線を外して赤面する。


「お、おお軽部。昨日は急に押しかけて、悪かったな」

「い、いや、気にすんな。俺の方も悪かったな。期待にそえなくて」

「いやいや。俺が無茶言ったから」

「いいって、いいって」


赤面男子二人の、まるで近所のおじさん同士のような会話が続く。


「で、藤谷はどっかに載ってんのか?」


軽部が話題を変える。


「まさか、ただの野次馬だ。それよりさ、あの数学一位の小林って子、すごくないか?物理も二位だし」

「ああ、小林か。うちのクラスだぞ」

「マジでか、何組?」

「D組」


覚えとこう。今日はやめとくけど、いつか会ってみたい。俺の戦術や考えに、数学的な裏付けをくれるかもしれない。あとできれば、広瀬ほどは無理にしても、そこそこ可愛らしくて愛嬌があればなおよし。今日はやめとく、と言ったのはすでに忘れかけていた”直登の三戒”の一つ、広瀬の返事が保留中の間は他の女の子を誘うな、を思い出したからだ。


「藤谷」


軽部が左端の順位表を指差した。


「お前、載ってるぞ」

「え、うそ」


軽部の指す方を慌てて注視する。現国だ。順位表の一番下、学年三十位に『藤谷未散』の名があった。




午後の授業も終わり、ついに新生サッカー部始動の時が来た。

一年の伊崎発菊地経由の情報によれば、一年生の入部希望者が何人かいるらしい。あまり動揺させたくないという理由から、一年には部員を探してくれとは言わなかったのに。誰か水面下で動いてくれたのだろうか。


本音を言えば、紅白戦のために二十二人は欲しいところだが、贅沢は言っていられない。せめて十五人も揃ってくれれば御の字としよう。


よし、行くか!と、ちょいと気合を入れてバッグをかついで席を立つ。


「藤谷、サッカー部に直行する?」


絶妙のタイミングで広瀬が声をかけてきた。気合が抜けてコケそうになる。


「お、おお。そのつもりだけど」

「私も行く。後からだと、一人で男子の中に乗り込むことになるでしょ」


言って、広瀬もバッグを持って立ち上がる。

小汚い野郎共の中に颯爽と単身で乗り込む広瀬夏希。絵になる。


「それはそれで、かっこいいと思うけど」

「別にかっこよくなくていいから」


広瀬はさっさと教室を出る。俺も慌てて続く。先に立ったのは俺なのに、どうして追いかけてるんだろう。




廊下を並んで歩いていると、周りの視線がイヤでも分かる。

広瀬は、俺と並んで歩くことをどう思っているんだろう。俺としては、何の努力もしないで優越感に浸れるので嬉しいんだけど。そもそも並んで歩くところをジロジロ見られるのがイヤだったら、自分から一緒に行く、とは言わないかな。


「藤谷、現国に名前載ってた」


しばらく黙って歩いていると、不意に広瀬が口を開いた。極限まで省略されているが、昼に見ていた実力テストの順位表の話だと思い当たる。


「おお、あれな。現国は昔から勉強しなくても点取れる唯一の科目だ。答えがそのまま書いてあるから」

「それ、得意な人がよく言うけど、本当?あんまりいい点取ったことないし、苦手」

「へー」


俺は広瀬を見た。


「何」

「広瀬にも、苦手な科目ってあるのか。総合でも上位なのに」

「だって、おかしくない?この時の作者の気持ちとか、正解例を作者が見て『こんなこと思ってない』って言ったらどうするの?不正解にするの?納得いかない」


子供のように口をとがらせる。一教科とはいえ俺にテストで負けたのが悔しいのか、そもそも現国が嫌いなのかは分からないが、実に子供っぽい屁理屈。常に大人っぽい雰囲気のある広瀬の違った一面を見た気分だ。


「別に、作者の気持ちを知るのが目的じゃないからな、あの手の問題は。この中にある答えを見つけ出せるかどうか、の文章読解力を見るわけだから」

「それはそうだけど」

「俺には、広瀬の英語の成績の方がすごいと思えるけど」


広瀬がなかなか引かないので、俺はさりげなく話題を変えた。


「今、露骨に話題変えたでしょ」


ばれてた。


「いや、本当だって。だってさ、最後まで読まなきゃ意味が分からない長文なんて、どうやって訳すんだ。俺には理解し難い」


言うと、広瀬は少し得意げな顔になって人差し指を立てた。


「あれはね、単語をどれだけ知ってるかが勝負なの。すぐに全文は分からなくても、単語の意味がいくつか並ぶだけで、大体の内容は見えてくるでしょ」


さも当たり前のように言う。それができたら苦労は無いのだ。



その後も各教科のコツや悪口などを言い合って、俺はふと思いついた疑問を口にした。


「広瀬ってさ、入学した時から帰宅部なのか?」


広瀬は口をつぐんだ。あれ、地雷踏んだかな。


「……美術部」

「え?」

「半年間、美術部にいた」


特に怒っているわけでも、暗い顔でも無い。それでも文化部を一年のうちに辞めるというのは、あまり良い出来事がなかったことを意味している。

聞かない方がいいのかな。人間関係のトラブルかな。もし色恋絡みだったら、むしろヘコむから聞きたくないな。


「理由は…聞いてもいいのか?」


恐る恐る聞くと、広瀬はしばらく思案顔になって、やがて口を開いた。


「調子に乗ってるとか、思わないでよ」

「何だ、いきなり」

「先輩に、デッサンのモデルばっかり頼まれて全然絵を描かせてもらえなかった。だから辞めた」

「あー」


世界的な名画を見ても、描かれているのは美人ばかりである。美人には芸術家の創作意欲を刺激するものがあるらしい。それに、入ったばかりの一年が先輩たちにモデルを頼まれたら強硬に断るのは難しいだろう。


広瀬はため息をついて続けた。


「モデルって大変なんだよ、結構。ちょっとでも動いたら怒られるし、無理なポーズで十五分固定させられたり。バイト代もらっても、もうやりたいとは思わない」

「なるほど。美人には美人の悩みがあるんだな」


俺は何気なく相槌を打つ。ふと、視野から広瀬が消えた。


「ん?」


振り返ると、同じペースで隣を歩いていた広瀬が立ち止まっている。


「どうかしたか?」

「そういうこと、軽々しく言わないでよ」


顔は怒っているが、声は小さい。何だか恨みがましい視線。


「何が?」


何だ、いつどんな地雷を踏んだというのだ。俺は頭をフル回転させて考えた。考えて、ピコンと豆電球が光る。なるほど。


「ああ、すまん。俺、全然美少年じゃないのに、美人の気持ちが分かるみたいなこと言って」

「そうじゃなくて!」


ちがった。じゃあさっきの豆電球は一体何だったのだろう。

広瀬は早足で歩き出し、俺を追い抜いていった。


「あの、何か俺怒らせるようなこと」

「言ってないし、もういい」

「もういいって言われても」


やっぱり女の方が難しい。途中、職員室に寄って部室のカギを取りに行ったりしたが、とうとう外に出るまでしゃべってはくれなかった。





モト高サッカー部の練習場は、グラウンドの端っこのスペースを割り当てられている。お世辞にも広いとは言えない。何年か前まではフルコートのスペースを中央付近で使っていたようだが、極端な成績不振と歴代先輩たちのやる気の無さが相まって年々扱いが悪くなり、辺境に追いやられた格好だ。不幸にも水飲み場から最も遠い場所になってしまい、去年の夏にはドリンク用の水を汲みに行き、戻ってくる途中に自分で半分飲んでしまって先輩にド叱られるという切ない思い出を作ってしまった。


「あ、もう集まってる」


広瀬が言った。ゴールに向かって右側にある部室の前に、すでに十人近くが制服でたむろしていた。部室のドアはキャプテンである俺がカギを持って来ないと開かない。


遠目にも、皆がこちらを見てざわつき始めたのが分かる。普段女っけの無い俺が広瀬ほどの美人を連れて登場したのだ。なかなかのインパクトであろう。


「藤谷せんぱーい!早く早く!カギ開けてくださーい!」


伊崎が両手を大きく振って呼んでいる。


伊崎風いさき ふう。一年、FW。裏へ抜ける一瞬のスピードとこぼれ球への嗅覚は抜群で、スルーパスを出してて楽しいヤツである。まだまだ足元の技術がチョロく、こすられると簡単にボールを失うところがあるのでスタメンで使うのはためらってしまうものの、スーパーサブとして投入されると負け試合をひっくり返してくれそうな、そういう期待を抱かせてくれる存在だ。今年ひょっこり編入してきた一学年上の冬馬をFWとして強烈にライバル視しているが、冬馬の方は全く気にしていないようなのが気の毒だ。


俺は広瀬にサイドライン際のベンチで座っててくれるように言うと、部室の前に走った。


「悪い、待たせたな。みんながこんなに早いと思わなかった」

「あの綺麗な女子、キャプテンの彼女ですか?」


伊崎がキラキラした目で聞いてくる。後ろの黒須や皆藤も興味津々の顔だ。

俺はカギを開けながら言った。


「残念だが、違う。これから俺たちのマネージャーになってくれるかもしれない人だ」

「マジすか!?あんな綺麗な先輩がマネージャーやってくれるんすか?」


一年たちが歓声を上げる。俺が一年の時も、こんなだったかな。絶対違うと思う。


「あの人がマネージャーになってくれるかどうかは、今日のお前たちの練習態度にかかっているからな。ちゃんとやれよ」

『ハイッ!』


初めて聞く、一年全員の揃った良い返事。何て気持ちに正直なヤツらだ。



ぞろぞろと部室に入る。何日ぶりだろう。三年がいなくなったせいか、ちょっとだけ広く感じる。まだまだムダなものが棚の段ボール箱に入っているので、そのうち大掃除してさらにスペースを広げたい。


ゴソゴソ着替えていると、二つ隣のロッカーの菊地が制服のボタンを外しながら言った。


「藤谷、お前マジで広瀬夏希連れてきたんだな。ちょっと見直したぞ」


信じられない、という顔で首を振る。同時に長髪がファサファサ揺れてうっとうしい。


「まだ、正式な返事はもらってないけどな。とにかく練習真面目にやってるとこ見せて、ムダにご機嫌損ねないようにして、帰りに入部届を書いてもらう方向で行きたい」

「了解だ。広瀬がマネージャーになってくれれば、野球部のヤツらを見返せる。あいつら、俺らのことバカにしてくるからな」

「そうなんだ」


知らなかった。野球部って、サッカー部のことバカにしてたのか。去年の夏、県でベスト4に残ってからやたら態度がデカくなったとは思っていたが。自分たちがうまくなることだけ考えて、弱小サッカー部なんて放っといてくれればいいのに。


何にせよ、広瀬にはとても聞かせられない本音のボーイズトークだが、美人がマネージャーになれば男子は練習をがんばる、という不純な動機込みで広瀬を誘った身としては何も言えない。



着替え終わって外へ出ようとすると、ドアのあたりで初めて見る顔の二人の少年が所在無げに立っている。まだ制服のままだ。


「君ら、一年の入部希望者?」


二人は互いに顔を見合わせ、コクコクとうなずいた。


「ぼ、僕は、一年A組の狩井昴かりい すばるです。中学三年間、右サイドバックやってました」


狩井、と名乗った方は、俺より少し背が高く、ひょろっとしたおとなしそうな子だ。頬がコケているように見えるほど、顔色が悪い。いいぞ、こういう暗いヤツは嫌いじゃない。


「おお、右サイドの経験者か。ありがたい。すぐ試合に出してやれるぞ」

「本当ですか?」


声だけ聞いたらパッと顔が明るくなっているはずだが、顔色が暗すぎてよく分からない。そのうち彼なりの法則が見てくるのかな。


「僕は、国分涼こくぶ りょうといいます。同じ一年A組です。中学時代はボランチやってましたけど、キーパー以外の全ポジション、経験あります」

「マジか。それは助かる」


国分も狩井とつるんできただけあって、おとなしそうな雰囲気は共通している。国分の方がちょっとだけ背が低く、ガッチリしているように見える。顔は、これが何とも形容しがたい、ブサイクでも男前でもなく、これといって特徴の無い、似顔絵の書きにくい地味なヤツだ。地味だろうが何だろうが、しっかり役割をこなしてくれれば構わないけれど。


「とりあえず、奥の方のロッカー空いてると思うから、適当に使って着替えてきて。ジャージか体操服は、持ってきた?」


二人で何度もうなずく。一度で分かるというのに。


俺はドアから振り返って、皆に言った。


「着替えたら、センターサークルに集まってくれな」


うーい、ちょーうなどの、意味不明の声が帰ってくる。こういう時、自分は運動部にいるのだなと実感する。



ドアを開けて外に出ると、俺は大量にボールが入ったカゴから適当に一つ取り出し、脇に抱えてセンターサークルへ向かう。実際にはハーフコートなのでセンターではなくエッジだ。


量販店で買ったユニフォーム風の青い練習着に、下はユニフォームの白いパンツ。その下にはパツパツの黒いスパッツ的なものをはいている。最初はしめつけられそうで敬遠していたが、そのフィット感にいたく感動して今では必需品になってしまった。練習環境が土のグラウンドなので、滑っても擦り傷ができにくいのもありがたい。シャツは完全に外に出して、ソックスもゆるめに。これは俺なりの、体育会系へのせめてもの反抗だ。


ふと、俺は広瀬が待ちくたびれてイラついていないか、気になってベンチを見た。

ベンチに座っている広瀬は、女子高生らしくスマホをいじるでもなく、ベンチに静かに座っていた。

ただフィールドを静かに見つめている。


その横顔は、いつもの孤高のクールビューティーではなく、普段はあまり見せない複雑な顔だった。何を思っているんだろう。


そういえば、今日ここに来る前、俺はかなり緊張していた。

新キャプテンとしての初日。

自分がスカウトした新メンバー。

そして広瀬が本当にマネージャーになってくれるのかどうか。


色々な心配事と悪い妄想が頭の中をグルグル回っていた。でも今は頭もスッキリして、すっかりほぐれている。ここまで広瀬と他愛無いおしゃべりをしてきたせいだろうか。もしかしたら教室からここまで彼女が一緒に行くと言い出したのは、緊張している俺を話して落ち着かせようとしてくれたんじゃないか。


……考え過ぎかもしれない。こんなこと本人に聞いたとしても、「自意識過剰」とからわれるのがオチのような気がする。だけど、このままじゃいけない気もする。


俺は部室に取って返し、奥から冬用のベントコートを持ちだした。数が全員分無いのに、俺がほぼ専用で使っていたものだ。ホコリをしっかりはたき、ダッシュでベンチに戻った。


「これ。ひょっとしたら、風が出て涼しくなるかもしれないから」


我ながらあきれるほどぶっきらぼうな口調で、コートを突き出す。いかん、耳が熱くなってきた。

広瀬は一瞬弾かれたようにこちらを向いた。いつもの彼女だ。手を伸ばしてコートを受け取る。


「ありがと。これ着るほど寒くはならないと思うけど」

「じゃあ、ひざかけとして使ってくれ、ちょっとモコモコしてるけど」

「だいぶね」


少し笑いながら、広瀬はコートをひざに置いた。太ももが隠れてしまったのは誤算だったが、気分はスッキリした。



「おい、藤谷」


つっけんどんな声が後ろからかかる。振り向くと、制服姿の冬馬がポケットに手を突っ込んで歩いてきた。大物らしい最後の到着だ。


「何だよ。早く着替えて来い。お前が最後だぞ」


冬馬はそれには答えず、ベンチに座っている広瀬を指さして、大声で言った。


「このデカい女、新しいマネージャーか?どうせなら、もっと小回りのきく愛想のいい女連れてこいよ」


世界に静寂が訪れる。学校の外の通りをトラックが走る音が聞こえる。この学校は結構街中にあるんだな、と実感してしまうくらいクリアに。どうせなら、そのトラックがここに突っ込んできてくれれば、大パニックになって全てをうやむやにできるのに。


俺は背中に走る冷や汗を感じながら、ゆっくりと広瀬を見る。広瀬はいつものクールな表情をさらに無機質にまで進化させ、バッと立ち上がった。そして冬馬の前に仁王立ちする。広瀬のほうが五、六センチ高い。今はもっと大きく見える。


「ちょっと、人をいきなりデカい女呼ばわりするのやめてくれる?そこの中坊」


中坊。冬馬の身長と子供っぽい口の悪さを同時に表し、極限までムダを省いた侮辱の言葉にして至言。俺は頬の内側を噛んで必死に笑いをこらえる。


「あぁん?」


今度は冬馬が下から広瀬をにらみ上げた。


「おい、コラ。誰が中坊だ」

「あら、ごめんなさい。今年入学の一年生だったかしら?あんまり可愛らしいから間違えちゃって」


言葉遣いは不自然に上品で、目は一切笑っていない。数日話しただけの間柄だが、俺には分かる。広瀬は今MAXでブチ切れている。中坊と1年生の二段構えとは、やるな広瀬。さすがは俺が見込んだ女。


……いや、褒めてる場合ではない。これで広瀬がヘソを曲げてやっぱりマネージャーやるのやめる、と言い出したら困る。キャプテンとして何とかしなければ。


「おい冬馬、いい加減にしろ。せっかく来てくれたのに失礼だろ」


俺が言うと、


「藤谷は黙ってて!」


なぜか広瀬ににらまれた。あれ、何で俺今怒られたんだろう。


「大体、小回りがきくって何?あんたみたいにチョコマカ動く人間のこと?私はあんたと違って足長いけど、ちゃんと動けますし」


身長や足の長さの話題ではやや分が悪いと見たか、冬馬が話題を変える。


「はん!お前みたいに愛想の無い女にマネージャーができんのかって言ってんだよ!」

「そんなに愛想のいい女の子にチヤホヤされたければ、キャバクラ行って牛乳飲んでれば!中身は男尊女卑のオヤジみたいだし」

「ぐ……」


広瀬の圧勝である。冬馬はフンと鼻を鳴らしてバッグをかつぎ直し、部室へ歩いて行った。負け惜しみの言葉も無い。あいつは一体何がしたかったんだ。

俺は思った。今後何があっても、広瀬と口ゲンカするのはやめとこう、と。


結局なぜか俺が広瀬にペコペコ謝るハメになり、とにかく最後までいてくれとお願いして、センターサークルへ向かう。


ゾロゾロと部員が集まってくる。自然と俺を中心に集まるようになり、副キャプテンのはずの直登はその他大勢の中にまぎれている。俺の新キャプテンとしての初あいさつを観客として楽しむ気だ。

俺は大きく深呼吸して、ちょっとむせた。


「ゴフッ…えー、新キャプテンになった藤谷です」

「声ちっちぇーな、おい」


菊地が野次る。こいつはサッパリとしたいいやつだとずっと思っていたが、そろそろ評価を変える時期かもしれない。


滑舌を意識して、再び俺は皆に言った。


「新キャプテンの藤谷です。先日、三年が引退して、今は二年と一年しかいない状況です。新しい監督もまだ決まってません。埋まってないポジションもあります。マネージャーも、まだいません」


俺はいったん言葉を切った。


「以上のことを踏まえて、今年度の目標を発表します。す。秋の県大会、優勝です。冬の全国大会へ行きます」


しばしの静寂の後、部員たちが一斉にざわつき始めた。「正気か?」「ギャグ?」「ヤバイ薬やってる」など、ひどい言葉がヒソヒソ話にすらならずに聞こえてくる。

前列にいた、丸顔の男が手を上げた。


「はい、芦尾君」


俺が指すと、芦尾は真剣な顔で言った。


「優勝したら、モテるか?」


芦尾陸あしお りく。2年。FW及びMF。丸顔でほぼ坊主に近い髪型で、ちょっとぽっちゃり。攻撃の選手ではあるが、ムダにこだわる性格のせいでシュートは滅多に打たない。しかも冬馬という決定力の権化のようなFWの加入で、ますます得点から遠ざかっている。そこそこ動けるし、何より軽量の冬馬には無い重いキックや意外に柔らかいボールキープなど、使える要素は多いのだが、普段からのムッツリスケベな言動もあってか、部員からの人望は薄い。


「モテるという約束はできないが、結果よりも優勝に向かって真剣に打ち込む姿を好ましく見る女子はいる、と思う」

「なるほど」


俺が綺麗事でごまかしたことを気にもせず、芦尾は黙った。


「他に質問は?」


皆を見回すと、金原が手をあげた。


「はい、金原君」

「俺、ほぼ入部するつもりで来たんだけど、素人だぜ。素人が出られるチーム状況で、優勝なんて本当に目指せるのか?」


至極もっともな疑問だ。隣の梶野もうなずいている。一年の国分、狩井も不安げだ。


「それは、話すと長くなるんだけど、守備に一つ策がある。今からミニゲームで証明する」


再びざわつきが広がる。証明する、か。勢いで言っちゃったけど、大丈夫かな。




俺は梶野、金原、国分、狩井の今日初参加の四人を自分のチームにし、五対五のゲームをハーフコートでやると伝えた。ゴールは一つしかないので、反対側はコーン二つでゴールの代わりにする。ちょっと貧乏くさいけど仕方ない。メンバーに今日初参加の四人を選んだのは、デキレースの疑惑を生まないためと、うまく行った時のインパクトを強めるためである。


チームは以下のとおりに編成した。


黄色ビブスチーム

GK梶野、CB金原、MF国分、右SB狩井、FW藤谷。


青ビブスチーム

GK島、CB茂谷、MF黒須、MF菊地、FW冬馬。


外されてブーたれる伊崎を仮ゴール側の球拾いに追いやり、俺はメンバーを集めた。しゃがませて、地面に指で図形を描く。


「梶野は、ゆるいシュートはなるべくキャッチして、国分に転がしてつなげてくれ。冬馬のシュートは速いから、とにかく触ること目標で。あと大事なのは、常に金原との位置関係を気にしててくれ」

「位置関係って、どの」


梶野と金原が俺の描いた絵をのぞきこむ。


「誰だって、キーパーのいるところにわざわざシュート打つやつはいない。かと言って、ディフェンスがいるところも同様だ。じゃあなぜ点が入るのかと言うと、キーパーとディフェンスの間にズレが起きるからなんだ。なぜズレが起きるのかと言うと、ボールがゴールに近づけば近づくほど、ボールを押さえるのか、人を押さえるのか迷いが出てくる。これはもう、ランダム要素が多すぎてどっちが正解とは完全には言えない。だから、その選択はしない」


「じゃ、どうするんですか?」


狩井が聞いた。


「コースを消す、の一択だ。ボールを持っているヤツが正面からゴールに向かってきたら、金原は無理に取りに行かずにゴール枠の同サイドのコースを消して逆サイドを開ける」

「で、俺が逆サイドを埋めるのか?」


梶野が聞く。俺は首を振った。


「最終的には、止めるために飛んでもらうことになるけど、すぐには埋めない。わざとシュートコースを作って、そこしか見えないようにする。罠を張るんだ。どんな強烈なシュートだって、来るとわかってるコースなら準備ができて、止められる確率が上がるはずだ」


国分が口を開いた。


「あの、キャプテン。でももし、その罠が見抜かれたら、誰もシュート打ってこないんじゃないんですか?」


もっともな疑問だ。


「確かにそうかもしれない。でもな、国分。サッカーは、例え罠だと分かっていても、チャンスに見えれば突っ込まざるを得ないスポーツなんだ。開いてるシュートコースを罠だと気づいて何もしなかった選手は、監督にどう説明するんだ?そんな言い訳、監督は信じない」


梶野が笑った。


「なるほどな。罠だとわかっていても、突っ込まざるを得ない。入らないとわかっているシュートでも、打つしか無い」

「そうだ。そして、そんな妥協まみれのシュートが、体重の乗った良いシュートになるわけがない。まだ見てないけど、多分梶野の反応ならキャッチまで行ける」


俺が話し終えると、金原も笑った。


「お前、本当に根性悪いな。よくそんなひねくれたこと思いつくよ」


国分と狩井も、何となく興奮した表情になってきた。


「キャプテン、すごいです!諸葛孔明みたいです!」

「これぞ戦略って感じです!」


ありがたい。口下手な俺の説明にノッてくれている。一度も実践していない、口だけの戦略なのに。もしこれが全然違う結果になったら、こいつらはみんな、潮が引くように離れて行ってしまうのかな。


ゲーム開始が近づき、メンバーが散らばる。


俺はひとまず左サイドに位置し、すぐ近くのベンチに座る広瀬に話しかけた。


「退屈か?」


広瀬は首を振った。


「そうでもない。それより、藤谷がちゃんとキャプテンらしく見えるのが不思議」

「何だそりゃ。褒めてるつもり?」

「一応ね」

「そんなひねくれた褒め言葉より、月並みでもがんばれの方が嬉しいですな」


俺が皮肉交じりに言うと、


「わかった」


と、向き直る。

そしてまっすぐな瞳を俺に向けて、言った。


「がんばって」


その一言は、皮肉や当て付けのカケラもなく、からかう響きもなく、ただ率直に発せられ、隙だらけの俺の心臓にダイレクトに届いた。


「お、おう」


それだけ言って、俺は大きく息を吐いた。広瀬にそんなこと言われたら、もうがんばるしかないじゃないか。



つづく

たぶんしなくていい名前の由来解説


狩井昴……ギャリー・ネビル

国分……フィリップ・コクー

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