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第69話「このビリビリはクセになる」

選手、入場。

ウソみたいだ。

口では期待しているとか何とか言いながら、サッカー部のためには一円も使わなかった学校が、まさかバスをチャーターしてくれるなんて。


他の部活の連中も、練習を中断して校門付近のスペースに大勢集まってきている。

今までは「どうせまぐれだろう」と様子見だった生徒たちも、さすがに決勝ともなると素直に注目してくれるようだ。


「おお、来たか藤谷。久しぶりだな」


口を開けて赤いバスを眺めていた俺に、懐かしい顔が話しかけてきた。

「鈴木先輩!どうしたんですか?」


俺にキャプテンの職を押し付けて自分はさっさと引退してしまった前キャプテン。鈴木……何だっけ。別にいいか、鈴木先輩で。


鈴木先輩は胸を張ってバスをさした。

「どうしたじゃねえよ。すごいだろう、このバス。俺たち元サッカー部の三年であちこち掛け合ってやっと手配したんだぞ」

「本当ですか!?」

「ウソなんてつかねえよ。今観光シーズンだから、なかなか見つからなくて大変だったんだぞ。色が赤になったのは偶然だけどな」

見ると鈴木先輩の後ろに、逃げ……引退した先輩たちが全員得意げな顔で勢ぞろいしている。入部した頃から、ヘタなくせに態度が偉そうな先輩たちには一切興味が無かったので、イマイチ顔と名前が一致しないが適当に合わせておこう。


「先輩、俺、俺……」


鈴木先輩は俺の肩をポムと叩く。

「いいっていいって。お礼なら結構だ」

「俺……鈴木先輩のこと、キャプテンのくせに10番を後輩の俺に押し付けたり、能力に関係なく何でも三年最優先にしたり、メンバー足りない状態で無理やり俺をキャプテンにして、さっさと引退して逃げた最低なクズ野郎だと、さっきまで思ってました」

先輩のほほがピクリと引きつる。

「お、おう、そうか。別に、思ってること全部言わなくてもいいんだぞ」

「あと、今さらどのツラ下げて出てきたんだとか、最後のおいしいところだけ一枚噛んできた偽善者とか一瞬でも疑ったり、もらったキャプテンマーク焼却炉で燃やしたりして、すみませんでした」

「えっ、そうなの?それちょっとショック……。いや、もういい!お前は本当に可愛くない後輩だ!今日くらい気持ちよく見送らせろ!」

なぜか怒り出した鈴木先輩が、話題を変えるように俺の肩越しに視線を送る。


「それはそれとして、だ。藤谷君」

「はあ」

藤谷君?


「その……サッカー部始まって以来初の美人マネージャーに、そろそろ俺たちOBを紹介してくれてもいいのではないか、と思うんだが」


ははあ、そういうことか。

俺は一年たちとしゃべっている夏希をこちらに呼んだ。


「何?」

特にめんどくさそうな顔もせず、夏希がトコトコやってきた。そして先輩たちに気付く。

「誰?」

「俺をキャプテンにした、前キャプテンの鈴木先輩だ。他は三年のOBのみなさん。このバスをチャーターしてくれた人たちだ」

「えっ、そうなの?」

夏希を間近で見て、先輩たちがざわつきだす。そういや一度も会ったことなかったっけか。


「チクショウ、引退早まったぜ」

「俺もあんな美人に応援されたかった」

「今からでも復帰するか!」


俺がキャプテンになってなかったら、夏希はマネージャーになっていない。そんな基本情報も彼らは忘れている。


夏希は気を悪くした様子も無く、さわやかな笑顔で頭を下げた。

「はじめまして、先輩方。サッカー部マネージャーの広瀬夏希です。今日は素敵なバスを用意してくれて、ありがとうございました。すごく嬉しいです」

OB連中が「おおー」とか「かわいいー」とか言ってひとしきり盛り上がる。

相変わらず外ヅラはいいな、外ヅラは。俺にはキツいのに。


「あ、鈴木先輩。一つ聞きたいことがあるんですけど」

スマホ撮影会を終え、夏希が鈴木先輩に言った。

「おーおー、何でも聞いてくれ。ちなみに彼女はいないぞ」

「その情報はいいです。私が聞きたいのは、先輩が藤谷未散を次のキャプテンに選んだ理由です。どうして彼だったんですか?」

「んー?えーと……何だったかなあ」

鈴木先輩はアゴに手を当てて考え込んだ。

ちょっと待て。忘れるほどの軽い理由か。


「夏希、そういう話は俺がいないところでしてくれ。何か気まずい」

俺が抗議しても、

「えー、何でよ。いいじゃない」

と知らん顔だ。


鈴木先輩は手をポムと打って、

「思い出した!」

と大声で言った。

「何ですか?」

夏希が目を輝かせて身を乗り出す。恥ずかしいからヤメテー。

「部で一番うまかったし、一年に好かれてたから」

「……それだけですか?」

夏希が露骨にガッカリした顔になる。一体どんな理由を期待していたんだ。この適当な先輩のことだから、そんなところだと思った。

「あ、あともう一つ」

鈴木先輩は俺の顔を見てニカッと笑った。その笑顔は、俺にキャプテンを押し付けた時と同じ笑顔だった。


「あのフリーキックを目の前で見せられて、こいつなら任せても大丈夫だって思ったな」


校長の妙に熱の入った激励スピーチを五分ほど聞かされて、俺たちはようやくバスに乗り込んだ。

バスのチャーターもタダではないので、スポンサーへの敬意の表れとしてあくびは我慢した。


窓から見える空は灰色だ。雨はイヤだな。何とかもってくれ。


一番前の窓側に陣取る。すると、

「隣、よろしいですか?」

夏希がよそよそしい物言いで隣に座った。

「こばっちは?」

「ふられちゃった」

「へ?」

背もたれ越しに後ろを見る。こばっちは……銀次の隣の窓側に、なぜか恥ずかしそうに座っていた。

銀次と目が合う。ヤツはさりげなく、俺に親指を立てて見せた。そうか、そうなんだ。ついにやったか。

「そういうことか。やるなあ、銀次」

「私も今さっき聞いたの。びっくりしちゃった」

「いやー、でも良かったな。こばっちも幸せそうだし」

「……そうだね」

答える夏希の横顔に、言葉以上の何かを感じた。でもそれが何だかわかるほど、俺の経験値は高くない。

状況を察した部員たちに「足も速いが手も早い!」と銀次がしつこく冷やかされている。俺も後で言おうっと。


バスに部員と先生たちが無事乗り込み、ドアがプシューと閉まる。モト高の生徒と先生たちがいつのまにか大勢集まり、動き出したバスに手を振っている。

夏希の話では、後で全校生徒に近い規模で県営まで応援に来てくれるらしいが、話し半分に聞いておこう。


それでもまさか、俺の人生にこんな日が来るとは。

昔から、自分が正しいと思ったことはみんなに否定された。

否定されない時は無視された。

後で俺が言った通りの結果になっても、誰も謝りに来なかった。いつのまにか、俺は自分の考えを口にしなくなっていた。付き合う人間も減っていった。


周りの人間に無関心になることで、仕返しした気になっていたのかな。


「ほら、キャプテン!」

通路側の夏希がこちらに身を乗り出し、窓を上に持ち上げる。そして俺を無理やり窓に追いやり、自分も脇から顔を出す。ギャラリーが一斉に沸き立つ。


「行ってきまーす!応援に来てくださーい!ほら、未散も」

「えっ!え、えーと……が、がんばってきまーす」

耳が熱くなるのを感じながら小さく手を振ると、女の子たちの「キャーッ!」という声が聞こえた。いわゆる黄色い声援というヤツか。


……俺の人生にこんな日が来るとは。


「良かったね、モテて」

夏希の視線が心なしか冷たい。

……もし調子にのって勘違いしてたらすごく恥ずかしい。でも、そろそろ賭けてみてもいいんじゃないだろうか。


これは夏希のヤキモチだって。


「あ、誰か手を振って追いかけて来てます」

黒須が後ろを振り向いていった。そんな熱狂的なファンがうちにいたのか?どんどん遠ざかっていく校門から必死にバスを追いかけてくる、スポーツバッグを持った男子生徒。


「あ、国分だ!忘れてた!」


「ぐすっ……ひどいですよ……キャプテン」

「だからごめんってば。俺も初めてのチャーターバスで舞い上がっててさ、点呼すっかり忘れてたんだよ」

運転手さんに緊急停車してもらい、半泣きの国分をバスに乗せたまではいいが、乗った途端半泣きが本泣きになってしまった。確かにあれは誰だって傷つく。普段から存在感が無いとは言え、悪いことしたな。


「藤谷君、あまり自分を責めるな」

江波先生がひょこっと顔を出して言った。

「でも」

「本来なら、顧問の毛利先生が点呼を取るのがスジなんだ。あいつは酔い止めのおまじないとやらに夢中だったんだから」

確かに毛利先生は胸の前で印のようなものを結んで謎の呪文をとなえていた。あれ、酔い止めのおまじないだったんだ。

「しゅ、しゅみませ~ん」

その毛利先生は一番後ろの長い座席に、すでに横になっている。呪文の効果は無かったようだ。

江波先生は続ける。

「国分君も、いつまでもメソメソしない。大体時間通りに集合場所に来なかった君も悪いんだよ。何で遅れたの?」

国分は少し口をとがらせ、

「……寝坊しました。緊張して、眠れなくて」

とふてくされたように言った。

「それは君の責任だ。キャプテンに遅刻を謝りなさい」

「……すいませんでした」

「い、いや、いいよ、もう。とにかく今日は、必ずお前も出番あるから、しっかり準備しといてくれ」

「ぐすっ……はい」

何となく収まったようだ。さすが江波先生。年の功って言ったら怒るよな、きっと。


「ありがとうございました」

小声で江波先生に言い、頭を下げる。

「忘れてるかもしれないけど、これでも先生なんだよ。通常業務だ」

「土曜なのに?」

わざと意地悪く言うと、江波先生は俺のおでこをピンと弾いた。

「可愛くないこと言ってないで、席に戻りなさい。あんな綺麗な子を放っておく気?」

「……はい」

何も言い返せないまま、俺はすごすごと席に戻ろうとした。


「あ」


江波先生はポケットから、書類とペンとホッチキスを取り出して何やら作業を始めた。

「江波先生、何してるんですか?」

「仕事が残ってるんだ」

言いながら、テキパキと書類をホッチキスでまとめていく。

「そんなに手際がいいのに、何で今日までずれこんだんですか?」

江波先生の無言の視線に射られ、俺は席へ戻る事にした。わざわざ今日の移動にまで持ってくるなんて、一体何の書類だろうか。


席に戻ると、俺が取ったはずの窓側は夏希が何食わぬ顔で陣取っていた。

「おかえり」

「窓側俺の席だぞ」

「油断したね。通路側あげる」

「何だそりゃ」

不満げな俺の顔を見て、なぜか嬉しそうに笑う彼女。俺はどっかりと通路側の席に座る。


マネージャーに誘う前までは、隣の席のクールな美人としか思わなかった。憧れの気持ちもあったかどうかわからない。ロクに話したこともなかったし。


でも勇気出してマネージャーに誘って、ケンカして、仲直りして、また怒らせて、デートして、登校も下校もしょっちゅう二人で歩いた。


ルックスだけじゃない。もちろん美人なのは良いことだけど、俺がどんどん好きになっていったのは、むしろケンカしてからで。


すぐに俺をからかったり、文句言ったり、よせばいいのに言い返して余計なケンカ買ったり。そのたびに、俺は彼女から目を離せなくなっていた。いつのまにか、彼女がモテるとか身の程知らずとか、そんなことが些細なこだわりに思えるほど、俺は広瀬夏希に夢中になっていったんだ。


「なあ」

「んー?」

夏希が窓から外を見たまま返事をする。

「決勝戦が終わったらさ」

「うん」

「結果に関わらず、話したいことがある」

「えっ」

夏希がこちらを向いた。大きな黒目がまっすぐに俺を見つめる。

「だから……ちょっと時間あけといて」

「……うん」

夏希の目が急に優しくなる。

「私も、あるんだ。話したいこと」

「そ、そうなのか」

「だから、待ってる」

そう言って微笑む広瀬夏希は、もう隣のクールビューテイーではなく、間違いなく今日17歳になったばかりの普通の女の子だった。


バスが県営サッカー場に近づくごとに、ある不思議な現象に気付いた。


沿道を歩く人が、やたらと赤いコートや赤いセーターを着ているのだ。赤いユニフォームのプロ野球チームのスタジャンの人もいる。

偶然だよな。

確かに夏希がテレビカメラに向かって「赤い服を着て応援に来てください」って先週言ったけど、それだけでこんなに?まさか。


「すげー、道歩いてる人、ほとんど赤着てるぞ」

菊地が窓にへばりついて声をあげる。

「本当に……赤い服着た人みんな、スタジアムに行くのか?」

夏希に言うと、

「多分ね。今週頭からずっと、古市君と相談してね。モリエリちゃんともメールでやりとりして、スポーツニュースのたびに告知してもらったり。古市君は家が駅前商店街のカメラ屋さんで、あちこち顔がきくからって宣伝してもらったの」

「マジでか」


最近帰ってからテレビもパソコンも起動しない生活だったから、全然知らなかった。

「でも何でそこまでしてくれるんだ?古市は」

「将来実況アナウンサーかスポーツ記者になりたいんだって。そのためには、後追いじゃなくて自分から関わって伝説の証人にならなきゃって言ってた」

意外とギャンブラーだな、古市。


バスが最後の交差点にさしかかる。運転手が大きなハンドルをゆっくりと回し、視界に県営サッカー場が少しずつ入って来る。


「……おい、マジか」


入場門の前に、ここでは見たこともないほどの人数が行列を作って開門を待っていた。

そのほとんどが、赤い服を着て。


バスを降りると、ギャラリーが一斉に俺たちの周りに集まって来た。みんなスマホを高くかかげている。俺たちもついに有名人か。写真撮られるのは恥ずかしいなあなどと思ったが、よく見ると撮影者達の狙いはほぼ夏希に集中していた。一人でキメ顔を作っている芦尾に教えてやるべきだろうか。いいや、放っておこう。


「ふーじたにいいー!」

人ごみを抜けると、どこかで聞いたような声が俺の名を呼んだ。

「あ」

そこにいたのは、赤いダウンジャケットを着た背の高い男と、クリムゾンレッドのロングコートを羽織った背の低い七三分けの男。


「柏木さん!お久しぶりです。あ、サレンコも来たの?」

「やあ、久しぶり」

「ちょっと待て!俺はサレンコじゃない、篠浦だ!それに俺と柏木は同じ三年だ!等しく敬語を使え!」

二回戦で戦った厚尾高校の2トップ、柏木さんと篠浦がやってきていた。

「その……まさか、応援に来てくれたのか?」

「だから敬語を……もういい!勘違いするなよ。俺はお前らが春瀬にコテンパンにやられるところを見に来たんだ!」

チラリと柏木さんを見る。

「先週から応援に行くってうるさくてね。雨が降ったらモト高のカウンタースピードが落ちるとか言って、ずっと天気を気にしてたくらいで……ふぐっ」

篠浦が両手を一杯に伸ばして柏木さんの口をふさぐ。

「お前は余計なことをペラペラしゃべるんじゃない!」

「サレンコ……お前って実はいいヤツだったんだな」

「だからサレンコと呼ぶな!」


しばらくにぎやかな時間を過ごし、そろそろロッカーへ行こうかという時。

水色のバスが太いエンジン音を響かせて会場に入って来た。門へ歩いていく観客も思わず足を止める。

「ハッ、余裕の後入りか」

冬馬が吐き捨てるように言った。

ブルーのジャージを着た春瀬の選手たちがバスを降りて来る。大きな三蔵監督のさらに後、一番最後に倉石が姿を現した。

「監督より後に降りてきたな」

直登がポツリと言った。

「たまたま後ろにいただけじゃないのか?」

俺が言うと、

「だろうね、多分」

直登はそれ以上何も言わなかった。


自慢の長髪を後ろにまとめる。ピッチリ、ゆるみなく。束ねた部分をキツめのゴムでしばり、五色に編み込まれた幅のあるヒモで前髪が落ちないように額からグルリと後ろへ巻いていく。完璧。


眼前に広がるのは、綺麗に刈り揃えられた緑の芝生。空は曇っているけど、芝の輝きは変わらない。そのまぶしさは、インハイ予選決勝を見に来た春と同じだ。


「調子はどうですかな?切り込み隊長」


藤谷がアップを終えて、わざとらしく声をかけてきた。まったく、こういう気づかいは相変わらずドヘタだ。だからこいつがキャプテンになるって聞いた時、俺は反対したんだ。

スカしてて、マイペースで、カッコつけて後輩ばっかりかばいやがって。どっかで俺たちのこと見下してるって、ずっと思ってた。


「切り込み隊長は銀次だろ」

「ご謙遜を」

藤谷がニヤリと笑う。でも、こいつもキャプテンになってからだいぶ変わったよな。俺が言うことじゃないけど、こいつはこんなにも他人に関心を持つヤツじゃなかった。

「藤谷、覚えてるか?春にあそこの観客席で話したこと」

俺につられて藤谷も振り返る。


『俺たち、本当に壁のあっち側に行けるのかな』


俺は聞いた。あの時の俺は、まだ藤谷を信じていなかった。優勝なんてどうせ口だけで、とりあえず新チームをまとめるために言っただけだと。俺はお前を試したんだ。


『必ず、行ける。俺がみんなを連れて行く』


お前はそう言ったよな。


「覚えてるよ。本当に壁のこっち側に来ちゃったな」

「ああ。本当にな」

「ありがとな。菊地のおかげだ」

「は?」

いきなり何言いやがる。

「お前や芦尾が文句言わずについてきてくれたから、一年たちも自然とついてきてくれた。もし俺たちがギスギスしてたら、みんな気いつかっておかしくなってたよ」

俺は言葉を失った

藤谷は口をとがらせ、そっぽを向く。

「な、何か言えよ。こういうのってすっげー恥ずかしいんだぞ」

お、耳が赤い。

「似合わねえことすんなよ、バカ。俺も芦尾も、面白くて勝手にやってただけだ」

きっと俺の耳も赤いだろう。

「そっか、それならそれでいいや」

ありがとうは、俺が言うはずのセリフだ、バカヤロウ。

今お前に言われたら……俺は勝って言うしかなくなっちまったじゃねえか。

「あ」

ポツン、と額に小さな衝撃を感じる。

「あーあ、もたなかったか」

藤谷が顔をしかめて空を見上げる。

決勝は、雨か。


両チームの試合前練習が終わった。


通常はそのままベンチで待機して中央で整列なのだが、今日は趣向が違うらしい。

マネージャーたちはベンチで待機。俺たち選手は一旦入場通路に引っ込み、両チーム同時に入場してくるという、プロの試合でよく見るアレだ。テレビの人は分かりやすいキザな演出が好きなんだな、きっと。一旦引っ込んでまた出て来るとか、ムダにもほどがある。


「お」


入場通路には春瀬の選手たちが先に準備していた。うちより後から現地入りして先に準備を終えるとは、まるでうちがモタモタしていたみたいじゃないか。イヤミな連中だぜ。


「ねえねえ、ポン高のキャプテン。あの可愛いマネージャーさんは?」

人懐っこく声をかけてきたのは、春瀬の9番、飯嶋。確か同じ二年だった。背は俺と同じくらいで、さらに同じく童顔だ。桜律とのインハイ予選では、ダメ押しの五点目をわざとヒールで決めて挑発するという、子供っぽい勝ち誇り方をしていた選手だ。俺はそういうヤツって……意外と嫌いじゃない。でもポン高と呼んだのでやっぱり嫌いだ。

「マネージャーはベンチで待機だよ。あと、ポン高じゃない。モト高だ」

「えー、ポン高の方が呼びやすいのにー」

「バカにされてるみたいだから、変えてくれ」

言うと、飯嶋は俺を見て無邪気に笑った。

「今日うちに勝ったら変えてあげるよ」


十二時五十分。

薄暗い通路の向こう側が、さらに真っ暗になった。


「停電?」

「落雷?」

「予備電源は?」


ざわつく通路の選手たちに構うことなく、係員が俺たちを誘導していく。そのまま入場しろということか。

一歩踏み出すごとに、グラウンドが近づいてくる。決勝に来るだけで、もっと達成感があると思ってた。


違う。

怖い。

このまま逃げ出したい。


負けて今までの過程が無に帰すところを見たくない。何よりみんなが……俺から離れて行ってしまう。

通路を出るまで後一歩。ひざの震えが止まらない。隣を歩く倉石は、何でそんなに平気な顔なんだ。


唐突に、夏希の言葉を思い出した。

一回戦の直前。人知れずびびっていた俺に彼女が言ってくれた言葉。


『明日もし負けても、練習場に誰も来なくても、私だけは、そばにいてあげる』


ひざの震えがピタリと止まり、俺は最後の一歩を踏み出した。


先頭の俺が通路を抜けた途端、まぶしいライトが俺たちを一気に照らす。大音響のBGMは……確かファットボーイスリムのライトヒアライトナウとかいう曲だ。

でも耳に入ったのはそれだけじゃなかった。BGMをも凌駕する大歓声がスタジアム中から沸き起こったのだ。

「藤谷……やべえ、俺泣きそうだ」

菊地が口をへの字にして客席を見つめる。

地元チームの試合でもめったに満員にならないスタジアム。その観客席が、真っ赤に染めつくされていた。


俺は観客の存在は勝敗に関係ないと思ってる。それは変わらない。

でも。

俺は鳥肌の立った腕をさすった。


「このビリビリはクセになるぜ」


つづく

ブログの方はミスが多かったので、だいぶ直しました。

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