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第68話「私の問題」

有璃栖と夏希、勝負する。そして新しいフリーキック。

決勝戦まであと三日と迫った日の午後。

私たちサッカー部は、視聴覚室で試合映像を見ていた。

対戦カードは、春瀬高校対阿東工業。こないだのもう一つの準決勝だ。


5-0という圧倒的なスコアで春瀬が完勝した試合。


映像を撮ってきたのは、放送部の古市君。背番号ドラフトからの縁で、早い時期から私たちを応援してくれている奇特な人。今回の映像も、頼んだわけではないのに自主的に撮影しに行ってくれたみたい。


今朝古市君は、メモリーカードを私に差し出して、気まずそうに言った。

「ごめん、中途半端な時期になって。迷ったんだ。見ない方がいいんじゃないかって」

何でそんなもったいつけたことを、とその時は思った。

映像が終了する。古市君が迷った意味が、ようやくわかった気がした。


誰も口を開かない。


それほどに、春瀬のサッカーは圧倒的だった。

特別なキック力やスピードがあるわけじゃない。派手なゴールシーンも無かった。

でも。

相手選手がボールを持った瞬間、春瀬の中盤が三人で取り囲む。抜きにかかっても、パスコースを探しても、どこに行っても春瀬のブルーのユニフォームが待ち構えている。一つ一つの動作にムダがなく、パスミスやトラップミスもほとんどない。面白いようにショートパスがつながり、いつのまにかボールが相手ゴール前に運ばれている。


何も知らない人が見たら、サッカーってこんなに簡単なスポーツなんだと思うかもしれない。


「あれ、どういうフォーメーションなんですか?FWが全く前に張ってませんでしたけど」

黒須君が未散を振り返って聞いた。そこは私も気になったところだ。細かいパスをつないで組み立て、最後の局面では毎回違う選手がゴール前に顔を出す。特に一番多かったのが、あのイヤミな倉石。

認めたくないけど、やっぱりうまい。

未散は腕組みをしたまま言った。

「あれはいわゆるゼロトップというやつだな。はっきりとFWを置かずに、流動的にゴール前に選手が入って来る」

「ボールの出しどころが難しくならない?」

私が疑問をぶつける。一年のみんながうなずいてくれる。

「出しどころがなくても平気なくらい、中盤の技術に自信があるんだろう。というか、そうじゃなきゃ実現できない戦術だ」

「対策は?」

「ない」

あっさりと答える未散に、私は目を細めた。

「やる前からあきらめる気?」

「そんなことは言ってない。大体ちょっとやそっとの対策で勝てるくらいなら、インターハイでどっかの高校が春瀬に勝ってるだろ」

「それはそうだけどさ」

「それに、俺の読みが少々甘かったところもある」

言うと、未散は渋い顔をした。

「何」

「俺はインターハイに優勝するようなチームは、冬の選手権に向けてあまりチームを変えてこないと思ってた」

「うん、言ってた」

「春瀬は変化こそ少ないけど……確実に進化してる」


何となく重い雰囲気のまま、対春瀬作戦会議は終わった。空も真っ暗だ。

決まったことと言えば、今までどおりシュートコースを限定する守備を徹底すること。

未散と冬馬にボールを集めて少ないチャンスを速攻で生かすこと。

セットプレーを最大限活用すること、というものだった。

つまり今までと同じ。


確かに決勝だからと言って特別なことをするのは私も反対だ。でも、これで本当にいいんだろうか。春瀬だってうちを研究しているんじゃないかな。あの三蔵監督は学校を名前だけで見くびるような人じゃない気がする。


「芦尾、コード巻いて」

視聴覚室の後片付けは、マネージャーの私と芦尾と島君の担当になった。

「何で一年が先に帰って、二年の俺らが後片付けなんだよ。不当だ」

芦尾がコードを巻きながらブツブツ言っている。私は言った。

「あんたどうせベンチなんだから、エネルギー有り余ってるでしょ?少しは動きなさいよ」

「うわ、ひっでえ。チーマネひっでえ。島、聞いたか?今の。ひどい言いようだぜ」

「異論はない」

「ないのかよ!いや、確かにこの言葉責めはそんなに悪くないが」

文句を言いつつも、芦尾はテキパキと片づけをこなしていく。意外とマメなヤツ。


「そういえばさ、一度聞いてみたかったんだけど」


芦尾と島君が私に注目する。

「んー?彼女ならいないぜ」

「それは聞くまでもないから。ずっと不思議だったんだけどさ、芦尾と菊地君て、未散とそんなに仲がいいってわけじゃなかったでしょ?」

芦尾が片方の眉を上げる。

「何すか、今さら」

「なのにどうして、キャプテンになった未散にここまでついてきたのかなって」

「……」

芦尾が黙り込む。島君が静かに言った。

「確かに。俺は、お前と菊地は部を抜けると思っていた」

しばらく間を置いて、いつもよりぶっきらぼうな口調で芦尾は言った。

「……別に、険悪だったわけじゃねえし。ただちょっと、藤谷は一年に甘いところがあるから、そこで言い合ったりしてただけで。嫌ってたわけじゃねえよ」

「へー」

「キャプテンになってからも、特に偉そうにはしねえし、プレーにゴチャゴチャ口出しもしないしな。特にやめる理由がないね」

「ふーん」

「それに、結構のせるのがうまいっつーか。お前の武器はキック力とキープ力だとか言われて、頭から信用されて戦術に組み込まれちまったら、いやでもがんばるしかねえっつーかさ」

「ほー」

芦尾が私のニヤニヤ顔に気付き、ほほを染める。

「な、何笑ってんだよ!あれか?新手の羞恥プレイか?悪くない、悪くないぞ!」

「島君、スクリーンしまっちゃって」

「うむ」

「無視すんなよ!」

後ろでわめく芦尾は置いといて、私は思った。


つまり藤谷未散には、リーダーとしての器が元々あったということ?


七時半を過ぎた。

部のみんなは軽い練習をこなしてすでに帰宅。私は古市君と色々話しているうちに、すっかり遅くなってしまった。厚手のコートを着て来てよかった。吐く息が白い。


私はある場所に向かっている。真っ暗になったいつものせまい練習場から、ボールを蹴る音が聞こえてくる。

誰がいるのか確認するまでもなく、私は声をかける。


「よっ」


ボールを手に持った影がこちらを見る。

「おう。まだ帰らんのか?」

「それはこっちのセリフ」

未散は「そうだな」と言ってボールをセットする。私はベンチに腰を下ろした。冷たい。

「そろそろやめないと、決勝前に風邪ひくよ」

「わかってるよ。これで最後」

ふと気がついた。ボールをセットしている位置が、いつものフリーキックの練習よりも遠目だ。何の意図があるんだろう。

未散は大きく息を吐いて、ボールに向かって踏み出した。右足がムチのようにしなり、ボールを巻き込んでいく。


薄明りの中に描かれた白い放物線に、私は思わず立ち上がった。

それはヒザからバッグが落ちたのも気付かなかったほどのフリーキックで。


「……すごい」

つぶやく私に、未散は笑ってVサインを送った。

「やっと完成したぞ。新しいフリーキック」


いつもの帰り道。いつもの曲がり角。

毎日ではないけれど、私と未散は学校からの一本道を半年間二人で歩いた。そして今日も。


この時間が、いつまで続くのかなんてわからない。でも、いつか無くなるなんて考えたことない。考えたく……ないのかな。


「お父さん、決勝に来てくれるの?」

「いや。もうアメリカ帰った」

「えっ!何で。いつ?」

「現地の工場でプログラムの不具合が起きたんだと。他に直せる人間がいないからって、墓参りから帰って、その晩慌てて空港行ったよ」

「なーんだ。残念」

「何でお前が残念がるんだよ」

「何となく」

うちのお父さんとは正反対な感じの、優しい雰囲気のおじさん。もっと色々話したかったな。


「じゃ、また明日な」

曲がり角にさしかかり、未散が片手を上げて歩き出す。私は思わず声をかける。


「ねえ」

「んー?」


未散がバッグをかついだまま振り返る。

「春瀬に……本当に勝てると思う?」

「やる前からあきらめるなって言ったのはお前だぞ。何言ってんだよ」

「それは……そうだけどさ」

口ごもる私に、未散は笑う。

「勝って当然のプレッシャーに比べたら、うちはダークホースだから気楽なもんだ。負けて失うものが多いのは春瀬の方だ」

「うん」

「じゃあな」

「うん」

背中を見送りながら、私は少々自己嫌悪に陥った。


私が聞きたかったのは、本当はそんなことじゃない。


決勝が終わったら……私はどうなるんだろう。私はどうしたいんだろう。

そんなこと、キャプテンに聞けるわけないじゃない。


数分後、自宅の玄関前に着いた時だった。


「こんばんは」

「わあっ!」


暗闇から突然表れた人影に、私は思わず声をあげた。

ポニーテールに吊り目の美少女が、黒いベンチコートを着て小脇にサッカーボールを抱えている。

「……あ、有璃栖ちゃん?」

「驚かせてすみません。お母様に聞いたら、もうすぐ帰るとおっしゃったので、ここで待たせてもらいました」

すみませんと言いつつ、特に悪びれた様子も無く有璃栖ちゃんは言った。多分、お母さんが中で待てと言ったのを断ったんだろう。そういう子だ。


「連絡してくれれば良かったのに」

「いえ、急に思いついたので。それにダメならすぐに帰るつもりで来ました」

電柱の側に有璃栖ちゃんのものらしき白い自転車が停めてある。

「どうしても、今日じゃなきゃダメな用事?」

「はい」

「電話やメールでもダメなの?」

「はい」

言うと、有璃栖ちゃんは脇に抱えていたボールを私に差し出した。

「私と、勝負してください」



一旦部屋に戻って荷物を置き、私はジャージを着て戻って来た。スパイクがないので、足元はスニーカー。有璃栖ちゃんもトレーニングシューズなのでそこはこだわってないみたい。


特に何も話さないまま、私たちは歩いた。有璃栖ちゃんとは、夏の合宿以来仲良くしてたつもりだけど、なぜか紗良ちゃんとウマが合うみたいで私とは今はそれほどでもない。

色々わかり合えたと思ったんだけどな。


「ここで勝負しましょう」


着いた先は、あの公園だった。私と未散が二人でリフティングして、仲直りしたあの小さな公園。

「さっきから勝負勝負って言ってるけど、そもそも何の勝負なの?何で勝負しなきゃいけないの?」

「理由は秘密です。でもルールは簡単です」

有璃栖ちゃんはダウンを脱いで自転車に引っ掛け、ボールを足元に落とした。

「私から、ボールを奪ってください」




白い息が絶え間なく空へ放出される。

仰向けに見る夜空に星は見えない。今週はずっと天気が悪いと予報で言っていた。決勝戦、降らなきゃいいけど。


「もうおしまいですか?」


視界に入って来た有璃栖ちゃんが私を見下ろす。私はゆっくりと体を起こした。頭を振って髪に付いた砂を払う。

「ちょっとは手加減してよね。こっちはブランクあるんだから」

「手加減されて喜ぶタイプとも思えませんけど。それに、ブランクがあるにしてはよく動けている方ですよ」

「それはどう……もっ!」

言い終わらないうちに体を起こし、スライディングのような態勢で有璃栖ちゃんの足元のボールを狙う。


「ほっ」


有璃栖ちゃんは右足で自分の左足にボールを当て、浮いたボールをジャンプした両ヒザで上空へ蹴り上げた。私の足がむなしく空を切る。

「まったく、油断なりませんね、広瀬さんは」

着地して、落ちてきたボールが足元に吸い付くように収まる。

この子、本当にうまいんだな。

「油断する方が悪いの!あー、悔しい。今のは行けたと思ったんだけどなー」

「少し危なかったです。身体能力と負けず嫌いは一流ですね」

「それ誉めてるの?」

「一応」

私はもう一度地面に座り込み、有璃栖ちゃんに言った。

「そろそろ教えてくれない?これ何の勝負なのか。現役バリバリの未来のなでしこが、元選手のマネージャーをいじめにきたの?」

有璃栖ちゃんはスススと近寄り、私の横に腰を下ろした。そして地面をにらみつけてポツリとつぶやく。

「半分は、腹いせです」

「……はっきり言うね」

「広瀬さんが悪いんですよ。はっきりしないから」

「何の話?」

「藤谷さんの話です」

私は何げなく顔をそらす。

「ほら、すぐそうやって逃げる」

「逃げてません」

「広瀬さんは、藤谷さんのことどう思ってるんですか?」

「どうって……」

愛想が無くてぶっきらぼうで、肝心なことは秘密にする、いつも一人ぼっちの男。


なのになぜか後輩たちには慕われてて、反発してた同級生までここまで引っ張って来たキャプテン。


すぐにスネるひねくれ者で、意外と打たれ弱くて、そのくせ負けず嫌いで。


フリーキックを決めた時と試合に勝った時は、子供のような笑顔を見せるあいつ。


「私は……どうだろう。ごめん、わからない」

「何をそんなにこだわってるんですか?」

「え」

思わず顔を上げる。

「いいじゃないですか、キャプテンとマネージャー。ありがちですけど、一つの目標に向かって一緒にがんばって、長い時間を共に過ごすんですよ。特別な感情が生まれたって何も不思議はありませんよ」

そう言った有璃栖ちゃんの顔は、ここに来た当初の怖い顔とはまるで別人で。

「そんなことは、気にしてない」

「じゃあ何ですか?やっぱりもっとイケメンがいいとか?」

「それもない。ていうか、あいつもそんなに悪くない方だし」

「付き合う前からのろける気ですか?」

「だからちがうって!もう。大体何で私がそんなに詰問されなきゃいけないの?私の問題でしょ!」

言ってから段々腹が立ってきた。そう、これは私の問題なのだ。人にあれこれ指図されることじゃない。


なのに、何で。


「私、伊崎君とお付き合いしようかなって思ってます」

「え」

今、何て。

「それ、本当?本人には?」

「まだです。最近会えてませんし。もしかしたら、私の方が愛想尽かされてるかもしれませんけど」

「ないない、それはない。言ったら裸で走り回って喜ぶよ、きっと」

「それは遠慮します」

二人でクスリと笑う。伊崎君、君はラッキーボーイだよ。


それからしばらくして、有璃栖ちゃんはボールを抱え、サッと立ちあがった。

「ありがとうございました、私のわがままに付き合ってくれて。帰ります」

え、何?話が見えない。

「ここで帰られたら、私全然納得できないんだけど」

「私は納得できました。これで前に進めます」

「何それ」

「最初から、気持ちをはっきり聞けるとは思ってませんでしたから。でも藤谷さんのことを話すときの顔で、わかりました」

思わず自分の顔を触る。手に付いた砂がザラつく。

「私、どんな顔してた?」

「内緒です。おやすみなさい」

自転車にまたがる有璃栖ちゃんに、私は立ち上がって言った。

「ねえ、さっき勝負の理由の半分は腹いせって言ったでしょ?もう半分は?」

有璃栖ちゃんは今夜初めて、年相応の無邪気な笑顔を見せた。

「もう半分は、気晴らしです」


いつか絶対泣かしてやる。


2019年11月16日、土曜日。


とうとう決勝戦当日。と同時に今日、私は十七歳になった。

昨晩は家族が一日早い誕生パーティーを開いてくれた。一日早めた理由は、「当日負けて帰ってきたら気まずいから」という後ろ向きなものだったけど、兄さんが久しぶりに帰ってきてくれたからよしとしよう。


こないだからうちにいた兄さんは、母親と妹三人からの「ニート」「無職」「昼あんどん」「ごくつぶし」という毎日の言葉責めに耐えかねて、少し前から市内のアパートで一人暮らしをしている。最近はめったに顔を見せなくなっていたけど、決勝戦はスタンドで見ててくれるみたい。何となく心強い。言わないけど。


家を出る時、兄さんは私を見送りながら言った。

「藤谷君に伝えておいてくれ」

「何て?」

「愚かな一貫性は、子供の空想が生んだバケモノだと」

「何それ。誰の名言?」

「エマーソンっていう詩人だ」

「ふーん。わかった」

愚かな一貫性。

その時の私には、その言葉の意味がよくわかっていなかった。


集合時間の十時半丁度に学校に着いた。どうせ電車で行くんだから駅集合の方がいいのに、校長先生が何か激励会みたいなのをやりたがっていると古市君に聞いた。一番不快な顔をしていたのは言うまでも無くキャプテンだ。


校内に入ると、私の目は一台の車に釘付けになった。

バス。赤い大型バス。

「お、広瀬。おはよう」

先に来ていた菊地君が、上機嫌で声をかけてきた。

「おはよ。何、あのバス」

「俺らのバスだ。今日、あれで県営まで行くんだと」

運転席の上部には、はっきりと「本河津高校サッカー部」というプレートが掲げられていた。


つづく

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