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第67話「バタフライ・エフェクト」

春瀬の監督、冬馬の過去。こばっち、銀次の告白に答える。

「そこ、座らせてもらっていいかな」


三蔵監督が俺の返事も待たずに隣に座る。そこがこの長椅子で唯一のスペースなので仕方がない。

「君たち、本河津高校の藤谷未散君と広瀬夏希さんだね?春瀬高校サッカー部監督、三蔵竜之介みつくらりゅうのすけだ」

ガタイのイメージ通りのバリトンボイスを響かせ、右手を差し出した。俺はおずおずと握手に応じる。

でかくて厚くて、そして妙に温かい手だった。インフルエンザじゃないだろうな。


「ど、どうも。あの、何でフルネームまで」

いつのまにか俺の前に手を伸ばして、一つ隣の夏希とも握手している。触るなよ、スケベ親父。


「決勝で戦う相手だからね。メンバー、スタッフ、ほぼ全員頭に入っている」

言って、三蔵監督は俺の右足をちらりと見た。

「準決勝では、後半からベンチにいたようだが」

「ええ。3-0でしたし、後輩たちに経験を積ませようと思いまして」

「ほう。それはいい心がけだ」

三蔵監督はケガの話題に触れてこない。わざとか?わざとなのか?


「三蔵監督は、どこか悪いんですか?」

黙って聞いていた夏希が、唐突に三蔵監督に質問する。

あ、そんなズバッと聞いちゃうんだ。

「この年になるとね、悪くないところなんてないんだよ。特に監督という仕事は気苦労も多い。すっかり白髪も増えた」

言って、笑いながらグレーの短髪をするりと撫でる。急に優しい目になった。名監督でも可愛い女子には弱いのか。スケベ親父め。


「ところで」

三蔵監督が真顔に戻り、俺に言った。

「そちらの冬馬理生君だが、彼はなかなかよくやっているみたいだね」

「はあ、うちのエースですから。何か個人的に知ってるみたいな言い方ですけど」

「彼は去年の夏、春瀬の練習に参加したことがあるんだよ」

「あ」

そういえば。

合宿で練習試合をしてくれた黒板科技高の……そう、田淵。あいつが冬馬と一緒に東京ユースのセレクション受けたとか言ってたっけ。それからその後行われた春瀬の練習にも一緒に参加したとか。


「公立なのにセレクションみたいなのがあるんですか?」

夏希が俺の聞きたかったことをあっさり聞いてくれた。

「ほぼ非公式だけどね。主にユースに上がれなかったジュニアユース出身者のために、途中編入という形で受け入れている。もちろん、学力試験は免除にならないよ」

「でも、戦力になりそうなのに学力が一般入試のラインに及ばなかった場合、人材確保のためにゲタをはかせてるんじゃないですか?」

今度は俺が聞きにくいことをぶつけてみた。

監督は軽く口角を上げて、

「私はサッカーの実力を見る担当だから、そのあたりはわからないな」

と目をそらした。タヌキ親父め。

「だが、綺麗ごとだけでは強いチームは作れない、とだけは言っておこう」

「……なるほど」

この監督、口では「教育」ってしょっちゅう言ってるけど、その実プロの雇われ監督みたいな考えだ。

チクショウ、これが百戦錬磨の厚みというものか。


「そうそう、冬馬君だが」

監督は思い出すように壁を見つめながら続ける。

「私もその場に立ち会ったんだよ。小柄だが、ゴール前の動きやセンスは参加者の中でもズバ抜けていた。一番ゴールを決めていたのも彼だ。兵庫のジュニアユースにいたみたいだが、なぜこのY県に来たのかは言わなかったし、中学を卒業してから半年間、どこの学校にいたのかもわからなかった」


おいおいあいつ、ユースか強豪校に入るために、まさか中卒で浪人してたのか?いや、そんなことはないと信じたいけど。


「だがそれは些細なことだ。私は彼の、ギラギラしたゴールへの執念に魅力を感じた」

「じゃあ、何で落としたんですか?小さいからですか?」

夏希が俺の前に身を乗り出して聞いた。近い、顔が近い。


監督は少し笑って首を振った。

「いや。確かに小柄なことは決してプラスじゃない。だが生まれ持ったセンスというものは、体格のハンデくらい簡単に乗り越えると私は信じている。落としたのは別の理由だ」

「性格が悪いからですか?」

俺が聞くと、夏希がふいと顔をそらした。肩が震えている。


監督は今度は声を出して笑った。

「そんな理由で落としたりはしないよ。むしろそこを何とかするのが指導者の仕事だ。だが、全く的外れでもない。彼は走らなかったんだ」


確かに冬馬は。ゴール前に張ってパスとチャンスを待つタイプだ。

でも俺は思う。だからこそ、あいつにつなげば何とかしてくれる、という気持ちが苦しい時のモチベーションになるんだと。

「FWなんですから、別に走らなくてもいいんじゃないですか?点さえ取れば」

「そういう考え方もあるだろう。だが私の考えは違う。FWもGKも、フィールドプレーヤーとして等しくチームのために走って汗をかけること。それが私が、春瀬が求めている選手だ」

「……」


確かに映像の中の春瀬には、八十分間ゴール前でウロウロしている冬馬のような選手はいない。


「セレクションの結果を伝えた後、彼は表情を何一つ変えずに黙って帰ろうとした。意外だったよ。彼の性格なら食い下がって理由を聞きに来ると思ったからね」

「そうなんですか」


確かに意外だ。夏希としょっちゅうケンカしているあの気の強い冬馬の反応とは思えない。

「だからヤケを起こさないかと、少し心配になってね。落とした私が言っても逆効果だと思ったから、スタッフの一人に頼んで落とした理由を伝えた。そしてビデオを見せたんだ」

「何のですか?」

「県内の全サッカー部の公式戦と練習試合の映像だ」


そういや倉石が言ってたな。春瀬はたいていの試合はスタッフを送り込んで映像を集めているって。CIAみたいなことする学校だ。


「どこかに彼に合う学校があるはずだと思ってね。彼に最高のパスを出せるMFがいる学校が」

夏希がチラリと俺を見た。何だよ。

「暗くなるまでかかって一通り見終えた後、彼は帰り際に私に言った」

「何て言ったんですか?」

夏希が興味を抑えきれない顔で身を乗り出す。当たってる。胸が当たってる。時間よ止まれ。


「俺の10番を見つけた、と」


ピンポーンという音とともに、掲示板の番号が点滅する。手元の番号札を見て、三蔵監督が立ち上がる。

「やっと呼ばれたよ。では君たち、お先に失礼するよ」

言って、俺たちの前を横切っていく。


「あ、あの!」


俺は思わず立ち上がり、監督を呼び止めていた。

三蔵監督は振り返り、無言で俺の言葉を待つ。

「確かに冬馬は走りません。でも、必要なら冬馬の分まで俺が走ります。俺がバテたら、他のみんなが走ります。あいつは、それだけの価値があるFWです」

「ほう」

「冬馬をセレクションで落としたこと、決勝で後悔させてみせますよ」


ヒザがガクガクして、心臓がドキドキ鳴っている。

なぜ俺は、冬馬のためにこんなタンカを切っているのだ。


監督は目を丸くして俺を見つめ、笑った。

「もし君が去年、春瀬のセレクションに来て今大会のようなプレーを見せてくれていたら、私は間違いなく君を取るよう推薦していたよ」

「えっ」

「では、楽しみにしている」

言って、三蔵監督は病院の廊下を歩いて行った。

案内板には「内科・循環器科」と書かれていた。


三蔵監督が去ってから三十分後、やっと俺の番号が点滅した。夏希と連れだって外科へ向かう。


「ちょっと緊張してきた」

俺が言うと、

「人前であんな熱いセリフ言った人が今さら?」

と夏希がニヤニヤ笑う。


三蔵監督にタンカを切った後、待ち疲れた夏希が「キャプテンかっこいいー」とか「冬馬が恋人みたい」とか散々からかってきたのだ。やっぱり一人で来ればよかった。


「恥ずかしいからもう言わないでくれよ。部のヤツらにも内緒にしてくれ」

「それは口止め料次第かな」

「ガッチリしよって。後でおしるこドリンクでいいか?」

「君は、私がおしるこさえ飲んでいれば機嫌がいい女だと思ってない?」

「違うのか。じゃあ、おしるこは無しだな」

「いる」

しょーもない会話をしつつ、外科の前の長椅子に座る。

ドアの向こうからかすかに話し声が聞こえる。次が俺かな。

「私はここで待ってるから」

「え?あ、ああ、そうか」

アホか俺は。当然のように夏希も診察室についてくると思い込んでいた。母ちゃんじゃないんだから。


数分後、先客のおじいさんが診察室を出た後、俺の名前が看護師さんに呼ばれた。

「藤谷さーん。藤谷未散さーん」


外科の久賀医師は、見たところ三十代前半。色白でやせていて、メガネをかけている男性だ。評判がいいというからもっと気さくな感じなお兄さんかと思っていたが、無表情で気難しそうだ。どう評判がいいんだろう。


診察は、軽い問診、触診と続き、その後レントゲン室へ移動。角度を変えてヒザを何枚か取り、再び診察室に戻って来た。

「うーん」

久賀医師はレントゲン写真を見ながらうなった。


「結論から言いますと」


静かに久賀医師は口を開いた。

「は、はい」

「ケガ、という意味ではどこも悪くありません」

「そう……ですか」

一気に力が抜けた。

「先ほどお話の中に出てきた人工芝ですが、メーカー名で調べたところ、確かに使用者から固いという感想があるようです。太ももへの負担はそれで説明がつくでしょう。今は痛みやけいれんは?」

「ありません」

「でしたら大丈夫です。きちんと休養してケアすれば試合には影響ないでしょう」

「はあ、良かったです」

「もう一つ、ヒザについてですが」

「は、はいっ」

肩に力が入る。今日学校に遅刻の連絡を入れてまでわざわざ病院に来たのは、こちらがメインの理由だ。


俺のフリーキックが落ちなくなったのは、果たしてヒザのせいなのか。


久賀医師は二枚目のレントゲン写真に差し替えた。

「この上下の骨の隙間が軟骨という部分です。この軟骨があるから、骨同士がぶつからずに済んでいます」

「はあ」

「あなたの場合、軟骨自体は問題無いのですが、その周りを支える組織が少し遅れて成長してきたようです」

それが後遺症か。

「組織の成長が遅れると、どうなるんですか?」

「いわゆる関節がゆるい、という状態になります。藤谷さんも可動域が広い方だったかと思いますが」

「柔らかい、とは言われたことがあります。それであの、聞きたいんですけど」

「何でしょう」

「フリーキックがずっと得意だったんです。自分でも意図しない、不思議な落ち方をするボールで、試合でかなり有効な武器だったんですけど。最近落ちなくなって」

「ほう」

久賀医師は表情を変えずにうなずいた。

「その原因が水泳とかで鍛えた筋肉のせいなのか、ヒザが悪くなったのか、それともただのスランプなのか、さっぱりわからないんです。カウンセリングの場所じゃないってのはわかってますけど、どうしても一度専門家の話を聞きたくて」

「ふむ」


必死なもの言いが伝わったのか、どうなのか。判断に困る無表情だ。


「藤谷さん」

「は、はい」

久賀医師がレントゲン写真から目を離し、イスごとこちらを向いた。鋭い視線に緊張する。

「今から話すことは、医師としての診断ではありません。それでもよろしいですか?」

「え」

どういうことだろう。

「は、はい。お願いします」

「あなたのヒザは、少し成長が遅れていて、その結果ゆるくなっていたと、さきほど言いました」

「はい」

「実はそれ、とても危険なことなんです」

「えっ」

柔らかい、というのは大抵固いよりいいことだと思ってた。体だって頭だってそうじゃないか。

「ヒザへの大抵の衝撃は、軟骨というとても優秀なクッションが吸収してくれます。でもヒザの周りが柔らかいと、滑ってクッションとしての真価を発揮できないんです。その結果、周辺組織に負担が行くことになって、軽くて炎症、重いと骨棘こつきょくという、歩くだけで痛みが伴う症状になることもあります」

「……」

困る。それは困る。俺はあいづちを打つのも忘れ、一瞬恐怖におののいてしまった。

「しかし藤谷さんは、筋力トレーニングと同時期にちょうど組織の成長が伴ってきました。それによって、むしろヒザを守る力がアップしたと言っていいでしょう」

「なるほど」

よくわからんが、悪くなったという話ではなく、その逆だったようだ。

「次にフリーキックの件ですが、あいにくボールが落ちていた時期との比較ができないので、はっきりとした原因を特定するのは不可能です。ヒザだけが原因とは言い切れません」

「あ、そうか。そうですよね」

考えてみれば当たり前だ。

「ですが、こんな話があります」

「はあ」

今度は何だろう。


「ある若いプロゴルファーが、突然スランプになったんです。彼は理想のスイングを求めて何度もフォームを改造して、試合で勝てないまま三年経ちました」

「大変ですね」

どうやって食べてたんだろう。

「しかしある年、ようやくしっくりくるスイングを見つけ、久しぶりに優勝を飾り、暮れに実家へ帰省しました」

「良かったですねえ」

「喜んだ両親は客をたくさん呼んで宴会をして、余興に彼の子供のころの秘蔵ビデオを流したんです」

「うわー」

ひどい親だ。せっかく優勝したのにご褒美が羞恥プレイなんて。

「彼は映像を見て驚きました。画面の中の少年時代のスイングは、彼が三年かけてたどりついたスイングとそっくりそのままだったんです」

「……」

「……」


俺たちは黙って見つめ合った。


「え、今のがオチですか?」

「今のがオチです。キレがいいでしょう?」

「ええ、確かに。よすぎてフィクションかと疑うくらいです」

「実話です」

久賀医師は一つ咳払いして、再びレントゲン写真の方を向いた。

「この話には色んな受け取り方があります。幸せはすぐそばにあるという比喩にも見えますし、ムダな回り道をしたと思う人もいるでしょう。しかし私は、二つ確実なことがあると思うんです」

「何ですか?」

「一つは、一度身に付いたフォーム、あなたならフリーキックの蹴り方ですが、例え今は結果が伴わなくても変える必要はないということ。もう一つは、そのプロゴルファーが理想のフォームを目指した三年間は、優勝のために必要な練習も兼ねていた、ということです」

「……なるほど」

確かに理想のフォームは子供のころにできあがっていたわけだから、そこだけ抜き出せば回り道かもしれない。でもその過程ではしっかりゴルフの練習ができていた。だから三年後に優勝できたのもまた事実だ。

「ですから藤谷さんがこれからすべきことは、過去に成功した理由を探すことではなく、今まで積み上げてきた練習を信じて、土曜に最高の結果を目指すことです」

「は、はい。ありがとうございます」

何だろう。ここに来た時より体が軽くなった気がする。


……待てよ、今土曜に最高の結果をって言った?


「実は私、去年のクリスマスに恋人から服をプレゼントされまして」

「えっ」

話が変わった!しかも超プライベートな話題。というか恋人いるんだ。

「いつ着ようか悩んでいたんです、色が派手で」

「はあ」

「週末、その赤いセーターを着て県営まで応援に行こうと思っています」

「へ?」

久賀医師は鋭い目尻を急に優しく下げて、にっこりと俺に笑いかけた。

「決勝、期待してますよ、キャプテン」


病院を出てから学校へ着くと、丁度昼休みに入るところだった。

学校までの道中、久賀医師から聞いた話をしたり、医師が赤いセーターを着て応援に来てくれることなどを二人で話した。

今日の夏希は、いつもよりちょっとだけ優しく感じる。本人にそんなこと言ったら「じゃあいつもは優しくないって思ってるの?」と怒らせそうなので黙ってるけど。


それでも三十分ほどの二人歩きは、このまま学校サボってデートしてえ~と思うほどに楽しいものだった。夏希も同じ気持ちだったらどんなにいいかと思う。でも怖くて確認なんてできない。


クラスに入ると、「おおー」とか「ヒューヒュー」とか色んな声が俺たちに降りかかって来た。俺は何とかあしらって、そそくさとA組へ向かう。金原のケガの具合が心配だ。


A組には……冬馬もいるな。


昼休みということで、周りに気兼ねなくズカズカとA組に入っていく。窓際の後ろの席に、金原がつまらなそうに座っていた。

「おす」

金原がこちらを見た。

「よお。病院から直行か?」

「ああ。異常なしだ。そっちは?」

「ダメだ。全治二週間」

「……そっか」

決勝は今週の土曜日。一週間足りない。

俺は言った。

「スポーツにケガはつきものだから、しっかり治してくれ。お前が復活しないと強敵に太刀打ちできない」

「何だよ強敵って。全治二週間だって言ったろ」

金原がいぶかしげに俺を見る。

「全国大会は、周り全部が強敵だ。一回戦は万全の状態で出てくれないと困る」

しばらく口をポカンと開けた金原が、無言で俺の腹をパンチした。

「いたっ。何すんだよ」

「いちいちクサいんだよ、お前は」

そう言って窓の方を向いたきり、金原はこちらを向いてくれなかった。


「あっ」

自分のクラスに戻る途中、廊下で冬馬を見つけた。正確には、見つかってしまった。

やばい、緊張してきた。病院での三蔵監督の話が脳裏をよぎる。


そして当然のごとく浮かぶ疑問。


監督の話が本当なら、冬馬はモト高の試合映像を見てうちに編入を決めたことになる。俺は入部してから一貫して10番を付けさせられてきた。冬馬は「俺の10番を見つけた」と言った。

つまり……冬馬は俺がいたから本河津に来た、と解釈していいのだろうか。でもそんなこと本人に聞けやしない。聞いたところで、

「アホか。気持ち悪い」

とボロカスに言われるのがオチだ。いやそれだけならまだしも、「10番」はパサーの比喩で、実は別の先輩を見ていたかもしれない。もしそうなら恥ずかしい勘違いだ。恥ずかしさで死ねる。


「何だよ、ジロジロ見て。気味悪いな」

冬馬が言った。

「い、いや、何でもないよ。病院で、足は大丈夫だって言われてさ」

「そうか」

「冬馬のコンディションは?」

「はあ?そんなもん普通だ」

「うん。普通か。そうだな。エースは普通でいい。ナハハハハハ」

空笑いする俺に、冬馬は言った。

「アホか。気持ち悪い」














藤谷君と夏希ちゃんが無事病院から帰ってきて、今日の部活は全員そろって終えることができた。

金原君はケガで決勝に出られなくなったけど、ちゃんと練習には来てくれた。落ち込んでないか心配したけど、思ったより元気そう。練習中もベンチからずっとヤジを飛ばして盛り上げてくれた。


芦尾君は相変わらずで、夏希ちゃんが病院でしていた三次元マスクを「貸せよ、捨ててきてやる」と言って奪おうとして、二人で格闘していた。あれはあれで仲がいいと言えるのかな。

そうそう、肝心のキャプテン藤谷君は、足の具合は問題ないそうで、「色々あったけど、赤いセーター着た医者が応援に来てくれることになった」と意味不明のことを言っていた。大丈夫かな。


でも、今は人の心配をしている場合じゃない。今日は私が呼び出したのだ。

銀次君を。


夏希ちゃんに先に帰ってもらって、藤谷君からカギを預かった。私は部室で一人、パイプ椅子に座っている。


この前銀次君に……こ、告白された時と同じ椅子。


私は拳を強く握りしめた。今日は寒いはずなのに、手に汗をかいている。

ガチャ、と部室のドアが開いた。練習着のままの銀次君が入り口に立っている。


「よ、よお」

「あ、うん」


どうしよう。顔がまともに見られない。でも、ちゃんと言わなきゃ。

銀次君が部室のドアを閉める。私は椅子から立ち上がった。

「あ、ありがとう、来てくれて」

「お、おう。全然、何も礼なんていらねえよ」

気まずそうな顔でぶっきらぼうな言い方。

「えっと、今日呼んだのは、その、こないだ……の、お返事をしたくて」

「……そ、そうか」


銀次君の緊張が伝わる。私の今からの行動は、彼にどんな影響を与えるんだろう。チームにどんな影響を与えるんだろう。バタフライ・エフェクトと呼ぶには控えめすぎる、私の責任と罪。


「あのね、私……藤谷君が、好きだったの」

声が震える。改めて言葉にすると、顔が熱くなって、涙腺がゆるみそうになる。

銀次君はポツリと、


「知ってるよ」


と言った。

えっ!!!!

「どうして!?」

彼は横を向いて鼻をかいた。

「合宿の時に、何となく雰囲気でな。その……小林ばっかり見てたから、余計に気付いたっつーか」

「そ……そんな恥ずかしいこと言わないでよお」

「す、すまん」

私は大きく深呼吸して、脳に酸素を取り込もうとした。閉め切った部室の冷たい空気が全身に行き渡る。

「私、考えてみたの。自分で気づいてない部分で、自分は銀次君のことをどう思っているのか」

銀次君は顔をしかめた。

「……悪い、言ってることが難しい」

「いいの。私が勝手に思ってることだから。それでね、昨日一晩中、一生懸命考えたの」

今までの彼の行動、私の感想、想定される近未来のシミュレーション。

「それでその……結論は?」

銀次君が張り詰めた声で言った。私は両手をグッと握りしめ、導き出した答えを伝える。

「今はまだ、銀次君のことが好きかどうか、はっきりわからないの。でも、もし銀次君が他の女の子に乗り換えたら、多分ショックだし、絶対……後悔すると思う」

「後悔?」

彼は戸惑っている。私は今、きっとひどいことを言っている。自分がこんなにも理不尽なことが言える人間だなんて、昨日まで知らなかった。

「だから」

「だから?」

「私は、銀次君のことが好き……とみなしていいと思う」


沈黙。


銀次君の顔が怖くて見られない。失敗した。私は最低だ。大事な決勝前に、ひどい言い方で傷つけて、怒らせちゃった。優勝するために呼ばれたのに、優勝する確率を下げたんだ。


「なあ、小林」

「え?」


予想外の声の調子に、私は思わず顔を上げる。

銀次君は、口をぽかんと空けて私に言った。

「それはつまり、俺と付き合ってくれるってことか?」

「え?そ、そう……なるかな。うん、そう」

あれ、怒ってない?

「いよっしゃああああーっ!」

銀次君は今まで見たことのない、くしゃくしゃの笑顔で両腕を天に突き上げた。

「あー、もう、途中でぜってー振られたと思ったぜ。心臓にわりー」

「え!私そんな言い方した?」

好きかどうかわからないけど、データから見て多分好きなんだろう、なんて絶対怒ると思ったのに。全然気にしてないの?

「小林」

「は、はいっ!」

銀次君の手が私の頭に乗る。そしておもむろにくしゃくしゃっとかき回した。

「わああっ!やめてよおっ!」

「わはははは、悪い。ずっとやりたかったんだ」

笑う銀次君に、髪を直しながら私は言った。

「……お付き合い、考え直す」

「えっ!ちょ、ちょっと待ってくれ!悪い!謝るから!」

この世の終わりのような顔をして、銀次君がペコペコ頭を下げる。私は笑いをこらえながら後ろを向いた。


ありがとう、藤谷君。私をこの人に会わせてくれて。


あなたを好きになってよかった。


つづく

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