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第66話「不毛」

初アリス視点。こばっち、恋に悩む。

やれやれ、と私はジャージのままベッドの上に寝転がった。

私たち桜律女子は、今日の決勝戦を4-0の勝利で終えて、危なげなく三年連続の全国大会出場を決めた。


週末に春瀬との決勝を控えたモト高の人たちには悪いけど、うちにとって県大会はただの通過点だ。


私にはやり残したことがある。


夏のインターハイ決勝。ケガで欠場した一条先輩にチームを託されたのに、私の力不足で準優勝に終わったあの日。

このままでは終われない。部の先輩たちには「岸野はまだ一年生だから、そんなに焦らなくても」ってしょっちゅう言われるけど、私からすればまだまだ焦りが足りないくらい。W杯に出て優勝する、という夢を叶えるには、本来なら今頃代表の合宿に呼ばれてなくはいけない。私はまだ実力が足りないのだ。高校生の全国大会くらい、世界への通過点にしないと。


むくりと起き上がり、私はスマホをバッグから取り出した。合宿でお世話になった本河津のみんなに、優勝の報告をしなきゃ。


そう……藤谷さんにも。


「あ」

思わず声が出る。知らないうちにLINEの着信が何件も溜まっていた。すぐにタップする。


広瀬夏希 『優勝おめでとう!!!私たちも春瀬に絶対勝つからね!土曜日赤い服着て県営まで応援に来て!絶対だよ!』


あのクールな広瀬さんが、「!」をこんなに多用するなんて。私への祝福よりも自分の用事が多い気もするけど。赤い服か。可愛いのあったかな。


伊崎風 『優勝おめでとうございます!知ってました!岸野さんは最高だって知ってました!俺たちも春瀬に勝って、東京まで岸野さんをエスコートしますよ!』 


相変わらずだ。知ってましたって言われても。日程違うからエスコートなんて無理だし。


合同練習で彼に一目惚れしたって言われてから、結構経つんだな、もう。

こないだのデートの約束も、私の練習の都合で結局うやむやになっちゃったし。何か進展したかと聞かれると、「何も」としか答えられない。私を好いてくれてることにウソは無いんだろうけど。


明るくて前向きで、一緒にいて恥ずかしくなるくらいハイテンションな男。私とは全く正反対。嫌いなわけじゃない。むしろ出会った時から考えれば、今は好感を持っている方だと思う。


でも。


私は伊崎君の上の段をタップした。 


藤谷未散 『ネットニュース見た。優勝おめでとう。つっても桜女は全国からが本番か。アリスは実力もルックスも抜群だから、全国区のスターになるぞ。俺たちも決勝がんばる。イケメン師匠より』


最後のは何の冗談だろう。照れ隠しだろうか。全然面白くない。

でもそれより気になるのは、『ルックスも抜群だから』の部分。

あの男、振った女のルックスを誉めて持ち上げるとか、ひょっとして天然?

うっすらと液晶画面に映る自分の顔。認めたくないけど、少しだけ嬉しそうで。


「……不毛だ」


私はため息をついて他のメッセージを確認し、全てに返事を打ち終えてからLINEアプリを終了した。


「ん?」


今気づいた。電話の着信が一件。

「小林さんだ」

モト高の小林紗良さん。

合宿で一緒に温泉に入ってから急に仲良くなった先輩。


そして……私の洞察力が鈍くなければ、の話だけど、私と同じく藤谷さんのことが好きだった人。


たまにLINEでやりとりはしてるけど、電話は初めてだ。

私は折り返しで小林さんの番号にかける。三コールしてから、細くて可愛い声が「もしもし」と聞こえてきた。

「もしもし、小林さん?どうしたんですか、電話なんて」

さっきのお祝いメッセージにも、電話するなんて書いてなかった。何かあったのかな。

「ううん、直接お祝いを伝えたかっただけだよー。有璃栖ちゃん、すごいよ!おめでとう」

「あ、ありがとうございます」

ストレートに、本当に嬉しそうにお祝いを伝えられる。不意打ちを食らったようにドキドキしてしまう。

「アリスちゃん可愛いから、スターになっちゃうねー」

藤谷さんと同じようなこと言ってる。

「そんなことないですよ。極端な話、女子は日本代表になって初めて注目されるくらいですから」

「そうかなあ」

「そうですよ」

私から見れば、小林さんも十分可愛い人だと思うけど。


それはそれとして、あれこれ話しながらも私の中に、小林さんへの違和感が生じた。彼女はデータ分析や計算が好きで、曖昧なものやムダなものは好まない。なのにこの電話は何だろう。

「あの、小林さん?」

「うん、何?」

「お祝いの気持ちは嬉しいんですけど、それだけ言うためにわざわざ電話かけてきたんですか?」

「……」

小林さんが沈黙する。どうやら核心に触れたみたいだ。

「別に小林さんとお話しするのが退屈とか、そういうことじゃないですよ。ただ普段から、目的のない行動はあまりとらない人だと思っていたので、意外で」

「……実はね」

小林さんは、小さな声をさらに低く落として言った。

「はい、何でしょう」

「有璃栖ちゃんに、相談したいことがあって」

「はあ」

私は言った。

「小林さんもなかなかひどい人ですね。お祝いの電話のフリして自分の用事とは」

「ち、ちがうよー!お祝いの気持ちは本当だよー!」

私が怒ったと思ってパニックになっている。ちょっと意地悪だったかな。

「冗談ですよ。怒ってません。それで、相談て何ですか?」

「心臓に悪いよー。有璃栖ちゃんの意地悪ー」

「すみません。そんなに反応してくれるとは思わなくて」

「むう……あ、あのね、相談て言うのは」

「はい」

「有璃栖ちゃん、銀次君て覚えてる?軽部銀次君」

「もちろん。覚えてますよ」


軽部銀次さん。本河津の左サイドバック。

藤谷さんがスカウトした元陸上部の人で、合宿での練習中もあのスピードには全くかなわなかった。少ししか話さなかったけれど、武骨で真っすぐで、それでいて仲間想いのところがある人、という印象だ。

伊崎君も中身がああだったら、私もちょっとは考えるのに。


「その軽部さんが、どうかしたんですか?」

「告白されたの」

「こっ……」

思わず絶句してしまった。

心臓がドキドキする。顔が熱くなる。他人事なのに。

「それは、あの、どうもおめでとうございます」

「あ、ありがとう」

何言ってるんだ、私。こっちが緊張してどうする。

「そ、そういう話は、私よりも広瀬さんか女性の先生たちに相談した方がいいと思いますけど」

「夏希ちゃんには……言えない事情があって」

「……そうなんですか」

その気持ちはわかる。私も広瀬さんとは今でも仲良くしている。それでも彼女に恋の相談はできない。あまり自覚したことはないけど、きっと私にも女の意地というものがあるのだ。

小林さんもそうなのかな。聞けないけど。


「先生たちは、何でダメなんですか?大人だから経験豊富そうですけど」

「無理だよー。あの人たちお酒飲むから、絶対誰かにしゃべると思うの」

確かに。

特に江波先生は露天風呂にとっくりを持ち込むほどのお酒好きだった。

「でもだからと言って、私に相談されてもですね。もう言っちゃいますけど、私男子とお付き合いしたこと無いんです。だからアドバイスなんて無理ですよ」

「私もそうだよー。だから見捨てないでー」

ついに泣き声になってしまった。私だって、恋愛経験が無いことをわざわざ白状させられて泣きたいくらいだ。


私は通話口から顔を離して、大きなため息をついた。

「わかりました。聞くだけ聞きます」

「本当?良かったー」

心底ホッとした声で喜んでる。こういうところは一年先輩だけど可愛いと思う。軽部さんも、彼女のこういう素朴なところに惚れたのかな。

「それで、小林さんは軽部さんのこと、どう思ってるんですか?」

「うーん……最初は見た目が怖いと思ったけど、接してみると優しくていい人だなーって」

「そうですね。私も合宿で会った時、大体同じ事を思いました」

「そうだよね?うんうん」

「じゃあ、好きなんですか?」

「そうはっきり言われると、自信がないの」

「嫌いなんですか?」

「嫌いじゃないよ、もちろん」

「どうしたいんですか?」

「どうしたらいいと思う?」

堂々巡りだ。ラチがあかない。

「うーん……」

うなったきり、私は言葉を失った。改めて、私の経験値では無理な話だ。


「……あのね、有璃栖ちゃん」

しばらく沈黙して、小林さんが再び口を開く。

「はい」

「私ね、どう返事しても、銀次君に対して罪悪感しか持てないような気がするの。こういうの、変かな?」

……ああ、そうか。

小林さんは優しい。そして真面目だ。断ったら傷つける。OKしても、多分藤谷さんの代用品として軽部さんを見てしまうかもしれない、と思っている。多分。

そんな先のこと、誰にもわからないのに。

……先のこと?

先って、いつ?何年後?


「小林さん」

私は仕切り直すように言った。

「ん?」

「小林さんて、怒りが遅れてくることってないですか?その時は何とも思わなかったのに、家に帰って考えているうちに、あれはおかしいって思ったり」

「何度かあるけど……それが何か関係あるの?」

「恋も……同じなんじゃないでしょうか」

「どうして?」

「その時は好きだと気付かなかったのに、後から振り返ったら、ああ好きだったんだなって思うような。でも気付いた時にはもう手遅れで」

ゆっくりと、確実に、自分の言葉が自分に刺さってくる。

「有璃栖ちゃん……」

「だから、しっかり分析するんです。小林さん、得意でしょう?軽部さんの行動と、それに対する自分の気持ちとを、しっかり比較検討するんです!」

「分析……」

「そうです!そうすれば、数学的な証明、っていうんですか?それで、今は好きかどうか分からなくても、ある程度客観的になって自分の気持ちを測定できるんじゃないかって。後悔せずに済むんじゃないかって、思うんです」

胸が詰まる。

藤谷さんががうちに合同練習に来た時、気付いていたら。

多分私はあの時から、あの人のプレーを見た時から。

わざわざ引き留めて、フリーキックの弟子にしてくださいなんて、口実だったはずだから。


もうあの時、藤谷さんが好きだったはずだから。


それでも結果的に広瀬さんにはかなわなかったかもしれない。だけど今より少しだけ、私は楽になれていたはずだ。


「ありがとう。有璃栖ちゃん」

小林さんが言った。

「いえ。お役に立ったかどうか、わかりませんけど」

「ううん。有璃栖ちゃんに相談して良かったよ。ありがとう」

そう言った小林さんの声は、とても優しくて。

さっきとは違う理由で、私は声を詰まらせた。

「いえ、私の方こそ」

「え?」

「何でもありません」

私も、そろそろあいつに答えを出さなくちゃ。













月曜日、朝九時三十分。

俺は市の総合病院の長椅子で、ぼんやりと待合室の電光掲示板を眺めていた。口には慣れない三次元マスクがはまっている。

俺は昔から顔に何かが触るのが不快で、風邪を引いてもマスクは避けてきたのだが、今日は風邪でもないのにマスクをしている。


「総合病院は色んな病気の人が来るんだから。決勝前にインフルエンザもらったらどうするの!?」


と、院内感染を過剰に恐れた夏希に有無を言わせずはめさせられた格好だ。

言っていることはわかるし、正しいと思う。でもこの、口元に触るマスクの紙っぽい感覚と、「俺の口ってこんなに臭かったの?」と自覚させられる匂いがイヤだ。

早く番号呼ばれないかな。総合病院の月曜日がこんなに混むと知ってたら、どっかの町医者にしたのに。


「聞いてきたよ」

同じくマスクをした夏希が戻って来た。

「おお、どうだった?」

「評判良かった。若いのにしっかりしてるって」

言って、夏希が俺の隣に腰を下ろす。


総合病院では曜日ごとに各科の担当医が決まっており、月曜の外科は久賀という医師のプレートが診察室の前にかかっている。

俺は別にいいと言ったんだけど、夏希が「いい医者かどうか聞き込みしてくる」と言い張り、患者や看護師さんに話しかけに言っていたのだ。ただでさえ制服姿は目立つのに、妙な動きはやめてほしいんだけど。でも、どうせ言い出したらきかないしな。


今朝、教師たちが出校し終えたであろう時間に、担任に電話した。


試合で痛めた足を診てもらいに病院に寄るので、登校は午後からにしたい、と。

すると、

「おお、そうか。しっかり診てもらってこい。何なら今日一日安静にしててもいいぞ。ついに決勝だからな。先生、お前はやるヤツだと思ってたよ!」

と特に問題なく話が通ってしまった。手のひら返しにももう慣れたし、今さらながら桜女の一条さんの言葉の正しさがわかる。

運動部は結果さえ出せばたいていの無理が通ると。全くその通りだ。それは私立でも県立でも同じらしい。


「若い医者ってのはいいな。オッサンは苦手だ。そういや、夏希はどんな理由で午後からの登校にしたんだ?」

聞くと、夏希の目が少しやわらいだ。マスクしてるから口元はわからないけど、多分笑ってる。

「キャプテンの藤谷君に、不安だからどうしても付き添ってほしいと言われたって」

「ふざけんなよ」

「いいじゃない。先生納得してたし」

「他人事みたいに言いやがって。午後から教室行った時、冷やかされるのは俺なんだぞ」

夏希に文句を言っていると、視界の端に大きな人影がヌッと現れた。思わず視線が吸い寄せられる。

「ん?君たちは……」

ガッチリした体をスーツに包んだ短髪のおじさん。


春瀬の三蔵監督が、俺たちの目の前に立っていた。


つづく

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