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第65話「体温」

藤谷未散の過去と、フリーキックの秘密。

私はコートを脱いで脇に置き、静かにコタツに入った。


未散のお父さん、藤谷有人ふじたにありひとさんが、

「未散ももうすぐ帰ってくると思うから、入って待ってて」と優しげな声で言ってくれて、私も私でコタツの誘惑に負けてノコノコ部屋に上がってしまった。

だって外はかなり寒かったのだ。誰も私を責められない。


藤谷さんはしばらく奥に引っ込んで、スーツからセーターとスラックスに着替えて戻ってきた。

そして、

「コート貸して。ハンガーにかけるよ」

と手を差し出した。

「あ、どうも。ありがとうございます」

脇に置いたコートを渡すと、藤谷さんは丁寧に壁のハンガーにかけてくれる。私はその横顔をじっと見つめた。


雰囲気が穏やかで、マメで優しい。武骨なうちのお父さんと交換したいくらい。でもこの人は未散のお父さんであって、お父さんじゃない。育児放棄された未散を引き取って育てた叔父さんだ。

未散は私に話してくれたけど、サッカー部で知ってるのは私の他は茂谷君だけだと言っていた。未散にとって積極的に話したいことじゃなかったろうし、私の方からペラペラ話すことでもない。この話題には触れずにやり過ごそうと決めた。


藤谷さんは、今はアメリカで新しい工場の技術指導をしていること、奥さんの墓参りのために休暇を取って今朝帰ってきたことなどをずいぶん気さくに話してくれた。初対面の女子高生相手に。

それとも、初対面だと思えないくらい……その、ヤツが私のことをたくさん話してるとか?そんなわけないか。


「お墓参り、未散……君と一緒に行かなかったんですか?」

「私は明日行くんだ。命日は明日だからね。未散には一日くらい変わらないって言われたけど、そこはこだわりたくて。あ、お茶とコーヒー、どっちがいい?」

いつのまにかキッチンに移動し、戸棚を開けている。

「いえ、お構いなく」

「……何でおしるこドリンクがあるんだ?」

不思議そうに缶を手に取る。

「あの、そのおしるこドリンクでお願いします」

「え、いいの!?」

「はい。好物なんです」

「君がそう言うなら……」

まだ信じられないといった顔で、マグカップを取り出す。

はっ!いけない。確かに今は客の立場ではあるけど、のんびり座って友達のお父さんを働かせるのは女子としてダメな気がする。

「私、やります!」

コタツから出てキッチンに向かう。

「いやあ、悪いよ。座っててよ」

「動いてる方が落ち着くんです」

お母さんが聞いたら「どの口が?」って言われそうなセリフを吐いて、私はマグカップにおしるこ缶の中身を空けて電子レンジに入れる。

藤谷さんは「悪いね」と言って自分のコーヒーをいれ始める。


……恐れていた沈黙が訪れる。私も人並みの社交性は備えている自負があるけど、初対面の相手でも臆せず話題をリードする技術は無い。どうしよう。何か話さなきゃ。


「あ、あのー」

私は白々しく口を開く。

「何?」

「意外とって言ったら失礼ですけど、未散君と似てるんですね」

言うと、藤谷さんは大きく目を開いた。

「そりゃ親子だから……って、ん?あれ、もしかして」

しまった、自爆した!

レンジの「チーン」という音が憎らしいほどタイミングよく鳴った。

「未散から聞いてるの?その、本当は叔父だって」

「え、えーと、はい、すみません。前に、ちょっとだけ」

「どこまで?」

「家庭の事情で、小さいころ叔父さん夫婦に引き取られたって。本当に、それだけです」

育児放棄、という言葉は言わずにおいた。

「ふむ」

藤谷さんは考え込むような顔になった。

あ、この顔すごく似てる、なんてのんきなことを思っていると、

「チッ」

と確かに舌打ちをした。聞き間違いじゃない。そんなに怒らせちゃった?どうしよう。


しかし藤谷さんは私にギリギリ聞こえるような声でつぶやいた。

「……バカだな、あいつ。そんな重い話したら引かれちゃうじゃないか。せっかくのチャンスなのに」

え、何て?

今すごくゲスなこと言った気がするけど。うん、聞かなかったことにしよう。

藤谷さんは再び温和な笑顔に戻り、レンジの扉を開けて私にマグカップを手渡した。

「熱いから気を付けて」


二人でコタツに戻ると、藤谷さんは静かに口を開いた。

「あの子はね、僕の兄さんの子なんだ。兄夫婦が、ある事情であの子を育てられなくなってね。三歳の時、私たち夫婦が引き取った」

「は、はい」

神妙な顔になった私に藤谷さんは笑いかける。

「そんなに気にしなくていいよ。別に秘密にしているわけじゃないしね。ただ未散が、自分から人に話すなんて珍しいと思って」

私はおしるこを一口飲んで言った。

「未散……君は、どんな子供だったんですか?」

「そうだねえ」

藤谷さんはしばらく空を見つめ、言った。

「おとなしくて、あまり自己主張はしなかったね。言ってもムダって、最初から決めつけてるようなところがあった」

「そうなんですか」

今は……うん、確かにそんなところはある。

「ただ、小学校に入ってサッカーを始めてからは、少し変わった」

「明るくなったんですか?」

「いや、しょっちゅう怒るようになった。特に上級生や監督に対して」

変わってない。いや、早い段階ですでに出来上がっていたと言うべきか。

「それはつまり、子供らしいワガママが遅れて出てきたってことですか?」

「だと良かったんだけどね」

言って、藤谷さんはため息をついた。

「あの子は上級生や監督を正論で批判して、ケンカして帰って来るんだよ。あれは弱った」

「なるほど」

わかる。目に浮かぶ。

「ワガママなら我慢を教えることで済むんだけど、話を聞くと確かに未散の言うことが理にかなっていて、監督や上級生の子が、いわゆる体育会系の上下関係で理不尽なことを言っているんだよ。何て言えばいいか困ったなあ」

「わかります」

「正しいことを言う息子に対して、まるで社会人一年生に教えるような処世術しか言えないんだから。今も、先生に反発して君たちに迷惑かけてないかい?」


私の脳裏に、初めて銀次君を競技場までスカウトに行った時のことが思い浮かぶ。斉藤先生とケンカしかかってたっけ。


「以前は少しだけ、先生に反発するところがありましたけど、最近はパッタリなくなりました」

「そう。それは良かった」

藤谷さんはホッとした顔になり、コーヒーを一口飲んだ。

「それにしても、あの小さくてやせっぽちだった未散がサッカー部のキャプテンを任せられて、しかも県大会決勝まで行くとはね。いまだに信じられないよ」

「そうですね。私はベンチで見てますけど、それでもやっぱり信じられないです」

チラッと掛け時計を見る。あとちょっとで未散が帰ってきそうな時間。

私がいたら、多分不機嫌になるだろうな。ボールを置いて、早めに退散しよう。


「ごちそうさまでした。そろそろおいとまします」

おしるこを飲み干し、立ち上がろうとした。

「いやいや、まだいいじゃないか。あ、そうだ。向こうに送った段ボールの中にずっとしまってあって、やっと発見したんだ」

「はあ」

藤谷さんはいそいそと立ち上がり、スーツケースを開けて赤い冊子を取り出した。

「これ、未散が子供のころのアルバム。見るかい?」

「あと三十分くらいは大丈夫です」

私は即座に座りなおし、コタツに置かれたアルバムをめくった。


自転車が止まる音がした。

しばらくして、カンカンカン、と階段を昇る音が聞こえる。かなり速い。

時計を見ると、アルバムを夢中で見始めて二十分は経っている。

私は二杯目のおしるこドリンクを飲み終え、ふうと息をつく。


逃げ遅れた。


バン!と音を立てて玄関のドアが開き、慌ただしい足音が迫って来る。

「父さん!近くで綺麗な女の子見なかった?うちのマネージャー……」

「……」

「……」

コタツに入っている私と、部屋の前に立ちつくす未散。見つめ合ったまま私たちは固まった。

「おかえり。広瀬さん来てるぞ」

「来てるぞじゃない!え、何で夏希が父さんとコタツ入ってくつろいでるの!?そして何でどっか行ったと思ってたアルバムを夏希が見てるの!?何なの、これ!?」

未散は一気にまくしたて、ダッシュで部屋の入ってきてアルバムを取り上げる。

藤谷さんは言った。

「帰るなりやかましいヤツだなあ。広瀬さんは父さんの大事なお客さんなんだぞ。失礼じゃないか」

「じゃないか」

私が笑顔であいづちを打つと未散は、

「くっ……」

と赤面して悔しそうに黙った。私は立ち上がり、言った。

「そんなに怒らないでよ。もう帰るから。お邪魔しました」


未散のアパートを出て、自転車を引きながら歩く。隣を未散が黙って歩いている。


帰りがけ、藤谷さんが未散を呼び寄せ、「ちゃんと送っていけ。そういうのが大事なんだ」と生々しいことを耳打ちしていた。全部聞こえているのに聞こえないフリは、なかなかつらいものがある。

しかも送ってくれてる本人は不機嫌に黙ったままだし。


「あのさ」

不意に未散が口を開いた。

「ん?」

「父さんが言ったこと、気にしないでくれよ」

「何が?」

「だから、その……多分、お前を彼女か、彼女候補みたいに思って勝手に突っ走ったようなこと言ったんじゃないかって」

「別に言われてないよ」

「そっか。ならよかった」

心底ほっとしたように未散は言った。


ちょっと待って。よかったってどういう意味?


「ふーん、私が彼女だと思われるとイヤなんだ。よくわかりました」

「そんなことは言ってない」

「だってそういうことじゃない」

「本人不在で勝手な事言われるのがイヤなだけだ。だいたい父親との話のネタにされて、アルバムまで見られて恥ずかしい思いしたのは俺だ。何でいつのまにか俺が責められてるんだよ」

「そっちだって、うちにお見舞いに来た時私のアルバム見たでしょ。おあいこ」

「ぬ……それは確かに」

意外とあっさり引いてくれた。機嫌も直ったかな。

「でもさ、子供のころからカメラ嫌いだったんだね」


さっき見たアルバム。カメラに向かって仏頂面をした可愛らしい男の子が、いくつもの賞状やトロフィーを抱えて映っていた。小学生の茂谷君もついでに発見して、一人でニヤニヤしていたのは内緒だ。


「あれはカメラマンが悪い。笑顔を取りたいのなら、芸人魂を発揮して笑わせればいい。はい笑ってーって言われても、何も面白くないじゃないか」

「それはわかるけど」

あのお父さんと亡くなった奥さん、息子のこういう理屈をずっと聞きながら育ててきたんだ。子育てって大変だな。

「未散。答えたくなかったら、答えなくていいんだけど」

「おう、何だ?」

未散のアルバムを思い出す。一ページ目が幼稚園の入園式だった。それ以前の写真は無い。

「今のお父さんたちに引き取られる前の記憶って、本当に何も無いの?」

「無いよ」

あっさり言われた。

「サイコサスペンスに出て来る心理学者なら、あなたはつらい記憶を心の奥に封印していますとか言って催眠療法ででも呼び覚ますんだろうけど。本当に覚えてないんだ」

「そう。ごめんね、変なこと聞いて」

「いや。あ、でも体には何か後遺症みたいなのがあったな」

「え、何それ」

後遺症。すごく不吉でイヤな言葉。

「後遺症っつっても、トラウマとか病気じゃなくて、骨がね」

「骨がどうなったの?」

「栄養を取らなきゃいけない時期に取れなかったのが原因で、ヒザの関節の成長が遅れてるって医者に言われたことがある。同じ年齢の子よりくっつき方がゆるいって言われたな。幸い痛みは無かったけど」


ヒザの関節。

ゆるい。


「……フリーキック」

思わず口をついて出る。

「え?」

未散が立ち止まる。

「何でいきなりフリーキック?」

「あ、ううん、ごめん。ただ、未散のフリーキックの不思議な落ち方って、もしかしたらそのゆるいヒザが原因だったのかなって。ただの思いつき」

「……そうか」

私の言葉を聞いて、あごに手を置いて考え始めた。余計なこと言っちゃったかな。


「夏希。俺、明日午後から学校行く」

「え?」

何?何言ってるの?

「試合中のケガの診察って名目なら、サボりにならないだろう」

「診察って、病院行くの?」

「ああ。ついでにヒザも診てもらう。フリーキックが落ちなくなった原因がわかるかもしれない」

何か楽しいことを思いついた子供のような目になっている。

私のせいだ。確実に余計なことを言ってしまった。どうしよう。

「だったら……」

私は言った。


「だったら、私も一緒に行く。ケガ人なら、付き添いが必要でしょ?」


「……別に構わんけど、多分待ってるだけでつまんないぞ」

「それでもいい。行く」

「お、おう。じゃあ頼む」

話しているうちに、いつもの分かれ道にさしかかった。

「ここでいいよ。ありがと」

「ん。あ、夏希」

「何?」

未散は後頭部をポリポリかきながら、

「あー、そのー、さっきは怒って悪かった。ちょっとパニックになって」

と小さな声で言った。

思わず笑いがもれる。

「別にいいって。私もちょっとやりすぎたし」

「あとな」

「まだ何か?」

「そのコート、いいな。似合ってる」

「……あ、ありがと」


頬を撫でる風が冷たい。風はさっきと同じ。

変わったのは、きっと私の体温。


「い、いや、別に。じゃ、俺は帰る」

「う、うん。また明日」


今日聞いた言葉が脳内を駆け巡る。


『未散からしょっちゅう聞いてるよ。芸能人みたいに綺麗な子がマネージャーになってくれたって』

『父さん!近くで綺麗な女の子見なかった?うちのマネージャー』


自転車にまたがり、私は頭をぶんぶん振った。


「おかえり。早かったね」

家に着くと、丁度お母さんが買い物に出るところだった。

「うん。ちょっと用事済ませに行っただけだから」

「ふーん。光冬から服まで借りて?」

「そう。ただの用事」

「で、用事って何なの」

「うちのキャプテンに、ボール返しに行ったの」

お母さんが不思議そうな顔で自転車を指さした。

「じゃあ、何でカゴにボールが入ってるの?」

「あ」


置いてくるの忘れた。


つづく

多分しなくてもいい名前の由来解説


藤谷有人……アルド・プラティニ (ミシェル・プラティニの父)

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