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第64話「遅かったな」

倉石との再会。つかのまの休日。

終わりのあいさつを終えて、みんながベンチに帰ってくる。

伊崎君が黒須君と肩を組み、反対側から菊地君にこづかれたりしている。そういうノリは苦手だと言っていたけど、今日だけは嬉しそう。

先生たちも一緒になって選手たちをねぎらい、もちろん私も、自分のことのように嬉しい。ずっとドキドキしている。黒須君の頭もたくさん撫でてあげた。


でも、何だろう。


冷めてるわけじゃない。マネージャーとして喜ぶ気持ちの隣に、もう一つ。小さなモヤモヤがチクチクとうずいている。


「黒須」

未散が立ち上がった。

「ふじ……キャプテン、あの、すみませんでした。全然いいプレーできなくて。僕のせいで追いつかれそうになっちゃって」

黒須君が気まずそうに目をそらす。

未散は笑って、黒須君の頭をくしゃっと撫でた。

「確かにちょっと危なっかしかったけどな。それでも終盤持ち直したし、最後のスーパーロングシュートでお釣りがくる」

「あ、ありがとうございます!」

人って本当に嬉しい時はこんな顔をするんだ、という笑顔で黒須君はじんわり涙ぐんだ。私も兄さんにプレーを褒められた時、同じくらい嬉しかったかな。


茂谷君が左腕のキャプテンマークを外しながら私に言った。

「広瀬さん、金原の具合は?」

「盛田先生と一緒に医務室に行ったけど、まだ帰ってこない」

「そうか」

うなずいて、茂谷君はキャプテンマークを未散に差し出した。

「ほら、返すよ。やっぱり僕は器じゃなかった」

未散は受け取り、

「いいじゃないか、勝ったんだから。役割は果たした」

と言った。

「どうかな。後半だけなら1-2だ。負けてる」

「細かいヤツだな」

「あ、おい!」

菊地君が目を見開いて声を上げ、みんなが視線を同じ方に向ける。

サブグラウンドの電光掲示板に、もう一つの準決勝の結果が表示されていた。


春瀬高校 5-0 阿東工業 


「キャプテン、多分あれっすよ。阿東工業がケギよわだったんですって」

伊崎君が乾いた笑いを交えて未散に声をかける。

でも、

「そうかもな」

と、キャプテンの返事はそっけない。

まるで、春瀬がそれくらい強いのはわかっていたと言わんばかりに。


着替えて会場の出口へ向かう途中。部員たちはみんな初の決勝進出ということでとにかくやかまいしくらいに明るい。

でもキャプテンの未散だけは、喜ぶどころか難しい顔で考え込んでいる。私は未散の隣を歩き、しかめっ面をした横顔を見つめた。


今、未散の頭の中は、きっと春瀬をどう攻略しようかで一杯だ。今から悩んだって仕方ないんだから、今日くらい素直に喜べばいいのに。苦労性なキャプテンだ。


「あ」


出口付近に人だかりができている。その中からひょっこりと、モフモフの毛がついた長い棒が見えている。テレビ局の大きなマイクだ。多分モリエリちゃんが待ってる。

「キャプテン、スマイルスマイル。きっとモリエリちゃんのインタビューがあるよ」

私は未散の背中をバシバシ叩いた。未散は私をしかめっ面でジロリと見た。

「痛い。あと、テレビは信用できないから関わりたくない。夏希が出てくれ」

「そんなわけにはいかないでしょ」

モリエリちゃんに川添西と二股かけられたのをまだ根に持ってる。しつこいなあ、まったく。

「キャプテン、あのジャージ」

黒須君が指をさす。

見ると人だかりの中に、薄いブルーの綺麗なジャージを着た集団が談笑しながら固まっている。あのジャージは。

「ちっ、丁度春瀬が居やがる」

銀次君が吐き捨てるように言った。未散は眉を片方上げて、

「そういうことか」

と不機嫌な声を出した。

「何が?」

「準決勝二試合が、同じ会場で同じ時間に始まった理由だよ」

「何か狙いがあったっていうの?」

「運営がテレビ局と組んで、あそこで勝った二チームを直接会わせる映像を撮ろうとしてるんだ、きっと」

なるほど。確かにテレビっぽい演出。でもボクシングの試合前会見みたいで、ちょっと燃えるかも。


モリエリちゃんが私たちを見つけ、大きく手を振る。それを見た春瀬の人たちも一斉にこっちに注目する。

そしてニヤニヤしながらヒソヒソ話を始めた。ヤな感じ。


「……ヤツだ」


未散が心底イヤなものを見たような顔になる。

死神のような暗い目つきでこちらを見つめている、痩身長躯の男。


倉石洋介が立っていた。


ディレクターさんの要望で、私たちも春瀬と同じ場所にとどまっている。だいぶ風が出て寒くなってきた。早く帰って温かいおしるこを飲みたい。

ポスター撮影の時も思ったけど、経験豊富な大人たちがたくさん集まっているのに、どうして準備に時間がかかるんだろう。もっと事前に打ち合わせてテキパキ進めればいいのに。


うちと春瀬が左右に分かれ、真ん中にテレビカメラがスタンバイしている。ちょうど真ん中に未散と倉石が立つ構図だ。


「ずいぶん遅かったな、藤谷未散」

隣の未散をチラリと見て、倉石が言った

「待ち合わせをした覚えはない」

正面を向いたまま未散が言い返す。

「後半引っ込んだみたいじゃないか。ポン高が10番を温存とは、偉くなったものだ」

「うちは少数精鋭なんでね。そちらと違ってやりくりが大変なんだよ」

「なるほど。俺はてっきり君がケガでもしたのかと心配してたよ」

「敵を心配するとは余裕ですな」

未散が冷めた調子で言うと、

「100%思いやりとは言わないが、どうせやるのならベストの状態の相手とやりたいと思っている。これは本当だ」

倉石は淡々と言った。

「それはどうも。心配してもらわなくても、万全で臨む予定だ」

不機嫌な未散がそっぽを向く。倉石は気を悪くした様子も無く、今度は私の方を向いた。


「やあ、久しぶり、美人マネージャーさん。それとも、ポスターモデルの方がいいかな?」

言って、私の全身を頭からつま先まで素早く眺めた。初めて会った時もジロジロ見られた覚えがある。

ポスターモデル、と聞いて春瀬の部員たちが私の顔を見てまたコソコソ話し出した。


軽口はあえてスルーし、目一杯口角を上げて私は言った。

「お久しぶりです。準決勝、圧勝だったみたいですね」

「圧勝かどうかは見る側が決める。我々にとっては普通だ」

まだ話して一分も経ってないのに、もう腹立つ。何なのこの人。

倉石は続ける。

「川添西くらいなら、もと楽に勝ってほしかったところだ。桜律よりは劣った相手だろう」

「うちは強豪じゃないんで、一戦ごとに必死なんです」

テレビの人たちが私たちを待たせたまま、春瀬の監督にインタビューしている。


三蔵みつくら監督だ。


菊地君によると、桜律とほぼ互角だった春瀬が頭一つ抜けたのは三蔵監督が就任した五年前かららしい。

グレーのスーツで包んだガッチリした体格に、白髪交じりの短髪。吊り上がった細い眉の下に小さな垂れ目。インタビューに答えている声も大きくて豪快な話し方だ。うちのキャプテンが一番苦手なタイプの監督かも。


「……そういうわけで、私は勝利と教育は両立するという信念の元、子供たちを指導しております」

「わかりましたー。ありがとうございます、決勝戦を楽しみにしています」

モリエリちゃんが三蔵監督へのインタビューを終えて、ようやく私たちのもとへやってきた。


「ごめんねー、待たせちゃって」

「いえ、お気になさらず」

倉石が意外な外面を発揮してにこやかに答える。いや、単なる女好きかも。


「だいぶ待ちました。寒いんで、早く済ませてください」


未散が無表情で言った。モリエリちゃんは困ったように私を見る。私は小さく手を合わせて頭を下げた。

「それでは、たった今準決勝を勝ちぬいたばかりの両チームに来ていただきましたー。まずは優勝候補筆頭、今年のインターハイで見事日本一に輝いた春瀬高校のキャプテン、倉石洋介君です!快勝でしたね!」

カメラが倉石に向けられ、モリエリちゃんがマイクを向ける。

「ええ、ありがとうございます」

「倉石君自身も二得点を決めて、攻撃陣も絶好調。守備もここまで無失点できていますね」

「そうですね。でも、我々は攻撃と守備とを分けるという考え方はしません。あくまでチーム全体としての結果なので、うまく機能していることは確認できています」


確認できています?真剣勝負を挑んでくる相手に確認作業で5-0ってこと?ヤなヤツー。


「決勝の相手は、今一番勢いのある本河津高校ですが、対策は?」

私は見逃さなかった。倉石が一瞬、「フッ」と鼻で笑ったのを。

「我々のフットボールは、どこが相手でも変わりません。練習の成果が出せるよう、正しい準備をするだけです」

言ってることは優等生ぽいのがまた腹が立つ。心にもないこと言っちゃって。


その後しばらくインタビューが続き、モリエリちゃんがこちらにマイクを向けた。

「では、今大会最大のサプライズにして最強のダークホース、本河津高校のキャプテン、藤谷未散君です!ついに決勝まで来ましたね!」

未散は静かに口を開いた。

「トーナメントですから、五回勝てばそうなります」

沈黙。

モリエリちゃんが再び笑顔を作る。

「えーと、下馬評をくつがえして勝ち進む姿に、今かなり注目が集まっているんですが、知ってましたか?」

「知りませんし、特に知りたいとも思いません」

沈黙。

モリエリちゃんの目の下がピクピクと引きつり始めた。

「そ、それでは最後に、インターハイ王者に挑む決勝戦に向けて意気込みを一言!」

「いつも通り戦うだけです」

モリエリちゃんが青くなる。番組作りのノウハウは知らないけど、これでは締まらないということはわかる。でもみんなプロだし、何とか編集して見られるものにはするんだろう。

「そしてもう一人!みなさんこの美少女に見覚えは無いですか!?」

突然マイクとカメラが私の方に向けられる。


え、何なに?


固まる私にモリエリちゃんがぎゅっと両目を閉じる。それはどう見てもお願いのサインだった。

「ど、どうも、マネージャーの広瀬夏希です」

とりあえず自己紹介は言えた。

「みなさんが駅や商店街で見かけた今大会のポスター!そのモデルに抜擢された謎の女の子、実は本河津高校のマネージャーさんだったんです!」

未散の無愛想のせいで、とんだとばっちりだ。後で絶対何かおごらせよう!


あれこれ質問に答えること数分、最後にモリエリちゃんが言った。

「それでは最後に、決勝へ向けての意気込みをカメラに向かってお願いします!」

「え?えーと、はい」

どうしよう。何を言えばいいんだろう。

「……私たちは、三年生が一人もいないチームですし、実績も何もありません。選手も十五人しかいません。でも、キャプテンの優勝したいっていう気持ちに引っ張られてここまで来ました」

私の頭に、川添西の応援スタンドがふと浮かんだ。

「たとえ相手が日本一のチームでも、同じ高校生です。やってやれないことはないと思います!絶対私たちが勝ちます!だから決勝戦は、このスタジアムに赤い服を着て応援に来てください!」

後ろの部員たちも、春瀬の選手たちも両方一斉にどよめきだす。


ちょっと……突っ走りすぎたかな。


しかし意外にも、モリエリちゃんは目を輝かせてカメラに向き直った。

「みなさん、お聞きいただけましたかー?広瀬さんのいる本河津高校を応援したというあなた!十一月十六日土曜、午後一時までにこの県営サッカースタジアムに赤い服を着てきてくださーい!」


「えらいことになったな」

未散がつぶやいた。テレビクルーが撤収準備を始めている。モリエリちゃんたちクルーはあの後、側に春瀬がいるにも関わらず、即座に私たちを応援する企画を立ち上げた。

倉石も三蔵監督も大人の対応をして、何事もなかったようだ。ホッとしたけど、それはそれで王者の余裕を感じて腹立たしい。


いや、それよりも今の取材。てっきり収録だと思っていたけど、ユーワクの拡大版で生中継だったと後から聞かされた。急に顔が赤くなり、心臓がドキドキしてきた。ヒザもガクガク震えている。


何て大それたことをカメラに向かって言ってしまったんだろう。


そして今、私は島君の背中にこっそりと隠れていた。

「おい島、あんまり夏希を甘やかすな」

未散が不機嫌な声で言った。

「女子に頼られて断るのは、男らしくない」

島君がきっぱりと言い返す。いいぞ、かっこいい。

「そういう問題じゃないよ、まったく」

「まあまあ、いいじゃないっすか、藤谷さん。インハイ優勝のチームに挑むんだぜ。真っ赤なスタンドに応援されるのも悪くないと思うぞ」

芦尾が珍しく私を擁護してくれる。一年たちも口々にキャプテンにブーイングを浴びせる。


「そうですよ、キャプテン。今日の川添西の応援もすごかったじゃないですか」

「後半追い上げられたの、応援の力もありますよ、きっと」

「何だよ、俺一人悪役かよ。俺はただ、変な目立ち方したくなかったってだけで……」


形勢不利になり、未散が口をとがらせる。今日は多分、彼にとっては何を見ても不機嫌になる日だ。一番の理由は後半試合に出られなかったストレスだろうけど。


ふと未散がバッグを探り、スマホを取り出す。無音でブルブルしている。

「ちょっとみんな静かに。金原からだ」

未散が画面をタップして耳に当てる。みんなが口を閉じて未散を見守る。「おお」とか「そうか」しか言わない、男子の短い会話がもどかしい。


しばらくして「わかった、ちゃんと休めよ」と言って、未散は通話を終えた。

「未散、金原は大丈夫か?」

茂谷君がじれたように聞いた。

「安心しろ。確かに痛んだ場所は古傷だけど、プレーに支障はない。一時的な痛みだと」

部員たちから口々にため息がもれる。

「でも、今度の土曜までに万全の状態に戻れるかは、正直わからん」

「そんな」

金原君、五月からあんなにがんばってきたのに、決勝に出られないなんて。


「藤谷君」

江波先生が言った。

「はい?」

「金原君は、タクシーで家まで送っていくと、今盛田先生から連絡があった」

「金原、歩けないほどひどいんですか?本人はそこまでとは言ってなかったですけど」

「違うよ。医務室からここに出てこようとしたら、テレビ局がいたからやめたんだとさ。決勝の相手にわざわざケガ人を見せてやることはないからって」

確かに。さすが盛田先生。

「電話の様子じゃ、盛田先生も結構落ち込んでたみたいだね。二人もケガ人を出したのは、フィジカルトレーナーの責任だって」

「そんなことは」

江波先生は小さく笑った。

「大人の世界ではね、そういうことになるんだよ。だから私もタクシーの方に同乗する。あの子は落ち込むとキリがないから、愚痴を聞いてやらないと。みんな、お疲れ。あ、毛利先生、しっかりみんなを引率するんだよ」

「ぎゃ、ぎゃんばります」

突然話を振られて、毛利先生の声が裏返る。今からこの人に引率されるのか。ちゃんと帰れるかな、私たち。


「あ」


春瀬の選手たちが専用バスに乗り込んでいくところ。一人の選手が、こちらに走ってくる。あれは確か。

「……谷の野郎だ」

銀次君がつぶやく。


彼の陸上部時代のライバル(本人は否定してたけど)、春瀬の右サイドバック谷が息も切らせず私たちのところへやってきた。

未散曰く、「鼻から上は男前だけど、口元が猿」という顔。

的確すぎて笑ってしまいそうになるのを何とかこらえる。


「軽部、お前やっぱり東中の軽部だろ!」

そして銀次君に声をかける。

「そうだよ。よく覚えてたな」

銀次君がそっけなく言い返す。

「大会で何度も会ってるんだから、忘れるわけないだろ!いやー、でもすごい偶然だよな。まさか二人して、高校からサッカーに転向するなんて」

見たところ、本当に懐かしい顔を見つけて会いに来たようだ。そんなに悪い人じゃないかも。

「お前はな。俺は今年の五月からだ。そこの藤谷に誘われた」

谷君は未散をチラリと見て、

「へえ。俺も倉石先輩に、入学してすぐ声かけられたんだよ。サッカーやらないかって」

と言った。

やっぱり倉石だったんだ。一年前に未散と同じ考えに至って、そして実行していた。

「そうかよ。でも俺はともかく、お前はもったいなかったんじゃねえのか?陸上でもいいとこ行けただろ」

「県レベルならな。全国に行けば、まだ上がいる。倉石先輩に言われたんだ。このまま陸上を続ければ、全国で入賞はできる。でもサッカー部に入れば日本一になれるって」

「……その通りになったな」

「インターハイのことか?あれは前哨戦だ。やっぱり本命は冬の全国大会だよ。注目度が違う。そこで優勝してこそ、真の日本一だ」

言うと、谷君はバスの方向を振り返った。

「やべ、監督が呼んでる。じゃあな、軽部。決勝で」

「おう」

「あと、悪いな」

「何がだよ」

銀次君が聞き返すと、谷君はニカッと笑った。

「またお前を二位にしちまう」


みんなでぞろぞろと駅のホームに降りていく。


谷君が走り去った後、みんなは口々に怒りをあらわにした。


「何だアイツ、自分らが勝って全国に行くのが当たり前みたいに言ってやがった」

「失礼ですよ、あの人」

「ファッキン、ガイ!」


私もちょっと腹を立てていた。彼の態度に、じゃない。

何も言い返さなかった銀次君に。


「一言くらい言い返せばよかったのに」

私が不満をぶつけると、銀次君はプイと横を向いた。

「実際一度も勝ててねえからな。言い返したってムダだ」

「らしくない」

「俺のことそんなに知らねえだろ」

そりゃそうだけど。


黙った私に、銀次君はポリポリとほっぺをかいて言った。

「言い返さなかったからって、やり返さねえとは言ってねえぞ。勝負はフィールドでつけるってだけだ」

「ふーん」

私は少し離れたところを歩く紗良ちゃんに聞いた。

「ねえ、紗良ちゃん。データ上では、銀次君はさっきの谷君に勝てそう?」

「へっ!?は、はい!えーと、あの、そ、そうだね。スピードはほぼ互角だと思うよ」

紗良ちゃんがアタフタしながら答える。

怪しい。なぜこんな質問でパニックに?こないだからずっとこうだ。


「あっ」


ホームに降りると、私だけは見覚えのある制服の集団。

川添西高の部員たちが、私たちとは反対側の線で電車を待っていた。

「よう、そっちもバス無しか?」

学ランを着たキャプテン瀬良君が、人なつっこく声をかけてきた。

「そっちもか。お互い雑な扱いだな」

未散が笑って答える。性格は違うけど、境遇が似ているせいか意外とウマが合うみたいだ。未散は最初苦手なタイプだって言ってたけど。

こうやって男の子同士が仲良くなりかけてるところは、ちょっとムズムズするけど好き。しかもさっきまで敵同士だった関係だ。


「足、大丈夫か?」

「えっ」

瀬良君がサラリと言い、未散は明らかに動揺した。ヘタクソ。

「……何でわかったんだ?」

あ、隠すのあきらめた。

「最初は露骨な温存だと思って腹立ったけど、お前ずっとベンチで太もも叩いてたからな。ありゃバレるぜ」

「そんなに叩いてた?」

「ベチベチな」

少し離れたところに、野呂さんが立っている。何となく嬉しそうに瀬良君を見つめている。その視線は恋する乙女そのもので、見ている私が照れてしまうほど。


私は近づき、大きく深呼吸をした。

「野呂さん」

「え?は、はい」

私に呼ばれ、野呂さんが身を固くする。恋する乙女の顔が、一瞬で緊張感にあふれる顔になる。そんな顔にさせているのが私だと思うと、少しだけ胸が痛む。

「今日の今日で、ムシのいい話かもしれないけど」

私は言った。

「……うん」

野呂さんがうなずく。

「決勝戦、良ければ応援に来てほしい。あと、その、野呂さんと色々話したいから、また、会えないかなって」

「……」

呆然とした表情の野呂さん。しばらくして、彼女の目にじわりと涙が浮かんできた。

「ど、どうしたの?」

「ごめんなさい。私、嬉しくて。絶対行くよ、応援。赤い服来て」

急に泣き出した野呂さんに川添西のみんなが気付き、私は危うくいじめっこ扱いされるところだった。

やっぱりこの子に関わると、割に合わない気がする。


家に帰ってからしばらくして、未散からLINEが届いた。


『やせ我慢は健康に悪いぞ。あんな女、許す必要はない』


私は部屋でゴロゴロしながら一時間考えた後、返事を送った。


『許せてるかどうかはわからない。でも私のために、足を痛めてまで怒ってくれた人がいたから、彼女に優しくしようと思えたんだよ』


伝わったかな。野呂さんを許そうとすると必ず頭をもたげてくる、割に合わない気持ち。でも未散が私の代わりにとても怒ってくれた。それがどれだけ救いになったか。

彼は多分気付いてない。


返事が届く。


『よくわからんけど、夏希が無理してないならいい。お疲れ』


……今から一発殴りに行こうかな。


翌日曜日。

空は真っ青だけど、サッカー部の練習は全休。一回戦の頃は「練習してないと不安」と言って出てきた一年たちも、今は「疲れたから寝たいです」と素直に休むようになっていた。

休養のためにはいい傾向だけど、スポ根的にはどうなんだろう。


私は未散に電話をかけた。今は朝十時。さすがに起きてると思うけど。

「もしもしー」

意外にもはっきりとした声で電話に出た。

「あ、起きてた?」

「起きてるし、今は出先だ。何かあったか?」

さらに意外だ。え、もう外出してる?

「ちょっと待って。足は?出歩いて大丈夫なの?」

「走らなきゃ大丈夫だ。もうピクピクしてないし。それより、何かあったんじゃないのか?」

「ああ、うん。ボール借りっぱなしだったから。今日返しに行こうかと思ってたんだけど」

「別にいつでもいいよ」

「そういうのはダメ。ダラダラ先延ばしになって、そのうち忘れちゃうから」

「じゃあ、午後からにしてくれよ。午前中は用事があるんだ」

「私に言えない用事?」

「言ってもつまらない用事だ。墓参りだよ」

「あ」

「明日、母さんの命日なんだ。平日は厳しいから今日にした」

「そうなんだ。ごめん」

「別にいいって。あ、電車来たから切るぞ」

「うん。足、無理しないでね」

「はいはい」

通話を終えて、私はクローゼットを開けた。無言のまま閉じて、私は部屋を出る。

「姉さーん、ちょっと服貸してー」


腕時計を見る。十二時五分。

私は未散の住むアパート、『プラスフォート河津』にやってきていた。202号室のドアの前に座り、もたれかかる。

バカみたいだ。午後と言われて十二時五分に来るなんて。

着いてから連絡を入れたら、


『今帰りの電車に乗ったところだから、あと40分くらいかかる。風邪引くから一度帰った方がいいぞ。俺が取りに行ってもいいし』


と、実に合理的な返事がかえってきた。

でももし今帰ってしまったら、せっかく姉さんから借りたふわふわ襟つきダッフルコート(茶色)と白と黒のチェックのスカートの感想を聞けなくなってしまう。

何のために、姉さんに冷やかされながら服を借りたのか。ムダにはしたくない。「似合うよ」までは望まないけど「いいんじゃないか」くらいは言わせたい。


『いい。待ってる。近くに来たら教えて』


と返事を送り、私はぼんやりと鉄柵の向こう側を眺めた。


幸い私のお母さんは健康だ。病気も無いし、事故によるケガもない。もしある日突然いなくなったら、なんて考えたこともないし、考えたくもない。

でも未散は、お母さんを病気で失った。しかも生みの母に育児放棄されて、その後引き取ってくれた育ての母だ。つまり彼はお母さんを二度失ったことになる。想像もつかない世界だ。


本人は生みの母のことは覚えてないと言っているし、亡くなったお母さんのことは「最後までよそよそしい人だった」としか言わない。

それでも決勝戦前だというのに、わざわざお墓参りに行くことが彼の気持ちを表しているように、私には思えた。


「ん?」


カンカンカン、と誰かが階段を昇って来る音がする。何となく緊張する。未散だったら、先に連絡が来るはずだ。そう頼んだし。隣の201号室の人?確か隣は空いてるはず。


「うちに何かご用ですか?」


立ち上がった私に声をかけたのは、黒っぽいスーツを着た中肉中背のおじさん。年は四十くらい。その割にサラサラした髪で、メガネをかけているその顔には、何となく見覚えがあった。

「あ、あの、私、みち……藤谷君と同じサッカー部のマネージャーで、広瀬夏希っていいます」

おじさんは目を大きく見開いて、笑顔になった。

「ああ、君が。未散からしょっちゅう聞いてるよ。芸能人みたいに綺麗な子がマネージャーになってくれたって」

「そ、そうなんですか」

何てことを言ってるの、あの男は。恥ずかしい。

おじさんは優しい表情を崩さずに言った。


「初めまして、広瀬さん。未散の父、藤谷有人ふじたに ありひとです」


つづく

多分しなくてもいい名前の由来解説


三蔵監督……ミケルス監督

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