第63話「一番の後輩」
黒須秀太、ブレイクスルー。そして準決勝、決着。
再び担架が持ち上がり、金原が医務室へ運ばれていく。スタンドで応援していた盛田先生が同行してくれている。見送る俺たちにできるのは、ケガが軽いものであるよう祈ることだけだ。
俺はライン際で出番を待つ照井に声をかける。
「照井」
「はいっ」
元気の良い返事がかえってくる。
俺より10センチほど背が高い後輩で、トラック野郎が似合いそうな風貌の男。普段は銀次や直登、同じ一年なら皆藤とつるむことが多い。
俺はと言うと、いつも控えにしている負い目もあり、照井と親しく話したことは少ない。顔も怖いし。.
「あんまり緊張してないな」
「緊張してますって!でもそれ以上にどこまでやれるか楽しみですよ。やっといい場面で出番が回ってきましたからね」
「そっか、頼もしいな」
良かった。恨まれてはいないようだ。その前向きさがまぶしいぜ。
「楽しみついでに、伝言を頼まれてくれ」
「いいっすよ」
俺は二、三言照井の耳元に告げると、ポンと背中を叩いてフィールドへ送り出した。
「ふー」
息をついて前列のベンチに座る。脇を見ると、いつも無言でいい顔を作っている毛利先生が少々動揺した顔をしている。
「先生、毛利先生。大丈夫ですか?」
声をかけると、先生は唇の端をピクピクさせながらこちらを向いた。
「ふ、ふ、藤谷くん?金原君は本当に大丈夫なのかな」
「ええ、多分。バレーやってた時の古傷ってのが気になりますけど、骨折とかそういんじゃなさそうなんで」
「そう……金原君、ずっとがんばってたから落ち込んでなきゃいいけど」
優しいのか気が弱いだけなのか。イマイチ区別がつかないが、とりあえず「そうですね」と言っておいた。
「先生、顔、顔」
「ん?あ、ああ、ふんぬっ」
毛利先生の顔が再び渋面に戻る。黒いベンチコートを着こんでいることもあり、本当に雰囲気だけは名将っぽい。雰囲気だけは。
「未散」
「ん?」
逆側の隣を見ると、夏希がじいっと俺を見つめていた。
「何だ?」
「照井君に何て伝言頼んだの?」
「別に。大したことは言ってない」
「すぐそうやって内緒にする」
口をとがらせ不機嫌になる。いかん、これはすねてしまう流れだ。本当に大したことは言ってないんだけど。
「あーそのー、あれだ。黒須にな、常に周りと適距離を取って三角形を作れって伝えろと」
「それで?」
「それだけだ」
「それだけ?」
「そうだよ」
「そんなのいつも通りじゃない」
「迷った時の支えってのはシンプルな方がいいんだ」
そう、黒須は迷っている。俺のミスだ。
練習でも試合でも、俺が出るのが当たり前で、後ろに黒須がいるのも当たり前だと思ってずっとプレーしてきた。結果、黒須が中盤を一人で引っ張らなきゃいけない場面を一度も経験させられなかったのだ。
「……ごめんね」
ポツリ、と夏希がつぶやくようにこぼす。
「何が?」
「金原君の足、気が付けなくて」
「そ」
そんなこと気にしてたのか。
「お前のせいじゃない。人工芝のせいだ」
「でも、マネージャーなら気を配っておくべきだった」
きっぱりと言い切る。律儀というか、難儀というか。
確かに金原は、準々決勝延長後半にヘディングシュートを決めた後、着地で軽くねんざをした。でも本当に軽いもので、実際三日ですっきり治っていたのだ。フィジカルトレーナーの盛田先生もしっかりチェックして、GOサインを出している。本人が気にして逆足の古傷に負担をかける、というところまで予測するのは誰にも不可能だっただろう。
「繰り返すけど、金原のケガはお前のせいじゃない。でも何かしらの責任を感じてるんだとしたら、今フィールドにいるやつらを目一杯応援してくれ。梶野を除いたら、フィールドプレイヤー十人中六人が一年生なんだから。お前が応援すれば一年たちは特にがんばる」
「……うん、わかった」
夏希は立ち上がった。そして手にしたメガホンを口に当て、
「みんなーっ!逆転されたらおしおきだからねーっ!」
と叫んだ。
それは応援ではなく脅迫だ、夏希。
「お、おしおき……」
後ろで一人、芦尾がほほを染めている。こいつにはもう、何も言うまい。
「芦尾、お前も一応準備しといてくれ。もう交代で出せるのお前だけなんだから」
「俺も出るのか?」
「他に誰がいるんだよ」
言うと、芦尾は立ち上がり、
「おおーっし!ちょっとやる気出てきた」
と、ダッシュでベンチを飛び出して行った。
ちょっととか言うなよ。
うちの照井と同時に、川添西の大江が深浦と代わって入って来た。
夏希曰く、「限りなく伊崎君っぽい」という一年生だ。確かにダッシュで入って来た動きには、小柄ながらスピードを感じる。
もう一人のFW岸ヶ谷も速いし、イヤな2トップになりそうだ。大江が後半からの理由はきっと経験不足かスタミナ不足だろう。
俺たちのキックオフで試合が再開する。
川添西のスタンドは相変わらず大盛り上がりだ。同点に追いついたのならわかるが、まだ二点差だ。何でこんなに盛り上がれるのか分からない。
フィールドを見る。黒須のプレーが多少はマシになってきている。
頼むぜ、黒須。今はお前だけが頼りだ。
国分もトップ下で何とか踏ん張っている。もう少し攻めのアイディアを主張してほしいところだが、急なことだし、そこまでは求めまい。どのポジションでもソツなくこなすのが国分の長所だし。
再開してから数分が過ぎた。川添西の大江が何度もカウンターから飛び出して、何度も危険なシュートを打っている。梶野がしっかり反応し、直登と照井も相手FWのスピードによくついていっている。
このまま何事もなく時間が過ぎてくれればいいんだが。
後半18分。川添西ベンチが再び動く。左サイドをドリブルでかきまわしていた久江が引っ込み、善田という選手が入って来た。
俺と同じくらいの体格で、おかっぱ頭をセンター分けにしているクセのある髪型だ。そのまま左サイドに入っていく。
俺は相手ベンチの紅林監督を見つめた。メガネをかけた、神経質そうなおじさんだ。どういう意図の交代なんだろう。二点を追いかけるなら、スピードがあってドリブルもうまい久江はそのまま出しておけばいいじゃないか。実際、狩井が必死に食らいついて何とか止めていたほどうまい選手だ。
代わった善田は同じ左サイドでもやや下がり気味に構えている。突破するタイプじゃないのか?
わからん!
俺は思わず頭をかきむしった。
「ねえ」
いつのまにか、夏希が俺の顔をじっと見つめていた。
「何だよ」
「私の姉さん、ミステリーハンターになるのが夢なのね」
「何の話だよ、いきなり。試合中だぞ」
「聞いて。それでね、姉さんは自作のVTRを作ってしょっちゅう局に送り付けてたんだけど、そのVTR作ってる時、行き詰ると必ず私と秋穂に見せて感想を聞くの」
「そりゃ感想くらい聞くだろ」
何が言いたいんだ。
「でも姉さん、私たちの意見なんて何も聞かないんだよ。そのくせ私たちと話した後、スッキリした顔してまた撮影に行っちゃうんだけど」
「はあ」
つまり、その。
「……一人で思い悩んでないで、相談しろって言いたいのか?」
「そう思ったんなら、聞くよ?」
ふふん、と勝ち誇ったように笑う夏希。
周りくどいの嫌いって言ってたくせに。
少々カチンと来るが、さっきの落ち込んだ顔より今の勝ち誇った顔の方がずっと可愛いと思ってしまうのが情けない。
「向こうの監督がさ、今の選手交代を何のためにしたのか、イマイチ読めないんだ。何が狙いだと思う?」
夏希は口元にこぶしをあてて「うーん」うなった。
「あの久江って人がバテたとか」
「そんな風には見えなかった」
「じゃあ、大江君が入ったことで攻め方が変わった?」
「それはありえる。でも、だったら二人同時に変えればいい。この時間差は何だ」
「そうか、そうだよね」
夏希も考え込んでしまった。確かに話したことで疑問点と順序ははっきりしたが、まだ狙いは見えない。
「藤谷君」
俺たちの会話を黙って聞いていたこばっちが、フィールドを見つめながら言った。
「ん?」
「黒須君のパス成功率が、また下がってきてるよ」
「マジでか」
そう言われれば確かに、さっきから黒須の縦パスが瀬良や浜に何度もカットされている。一度国分をはさむとか、冬馬にぶつけるとかしないと単調になって読まれてしまう。
本人はまだ気づいていない。そろそろ何とかしないと、狙われるぞ。
「あ」
そうか。そうかもしれない。
「芦尾、次にボール出たら伊崎と代わるぞ。準備しろ」
「おっ。待ってました」
アップから戻ってきていた芦尾が、いそいそとジャージを脱ぎだす。
「黒須君が原因?」
夏希が聞いてきた。
「いや、原因てわけでもないけど。向こうはもう、攻撃は大江のスピード一本槍で追い上げる気だ。カットしたボールを、こぼれ球も含めて確実に中盤で拾うつもりなんだと思う」
多分、大江の相棒になるFWもそのうち代えて来るだろう。テクニシャンの岸ヶ谷から、大江のために体を張るタイプに。狙いがはっきりしてる割に交代がいっぺんじゃないのは、意図を読ませないためか?だとしたら、あの監督はなかなかの策士だ。ただの顧問だという話だけど、本当だろうか。
それを夏希に伝えると、
「交代のタイミングは、いっぺんにやっちゃうと故障者が出た時のリスクもあるからだと思うけど」
と、しごくまっとうな意見を返された。夏希が続ける。
「でも、狙いはそれで合ってると思う。芦尾を入れるのは、黒須君のサポートを増やすため?」
「そうだ。間に合えばいいけど」
交代を待ってる時に限って、ボールがなかなかラインを割らない。直登も気づいているのか、何度か黒須に声をかけている。内容までは聞こえない。直登も目ざとい方だから、同じことに気付いていると信じたいが。
「あっ」
その黒須がこぼれ球を拾い、相手が詰めて来る直前に縦パスを出す。今度はカットされることなくDFラインの裏に出た。伊崎がボールを追いかけて走る。日比谷も唐川も追いつけない。
よし、これは。
「えっ」
そこにいるはずのない、もう一人のフィールドプレイヤーが伊崎よりも先にボールに触れた。黒須の長いスルーパスをダイレクトで蹴り返す。
「あそこまで出るか!」
キーパーがペナルティエリアを飛び出して守備をするのは、珍しいことじゃない。しかしだとしても、あんなに前に出るとは。ほとんどセンターサークルに近いぞ!
出久がクリアしたボールはただ適当に蹴られたわけではなかった。しっかりと右サイドのキャプテン瀬良に渡っている。
瀬良は一旦後ろの浜に戻し、自分は前方へ走り出す。浜は左サイドに入った善田に回し、詰めようとする国分をけん制する。善田はチェックする皆藤をかわすと、もう一度センターへボールを戻す。国分と黒須が止めようとするところを、先にボールに追いついた枕山がクネクネとかわす。
そして右サイドから内へ入って来た瀬良とスイッチする。瀬良はボールを一瞬だけ触り、おもむろにスルーパスを出す。
「ああっ!」
通されたか!?いや、照井が反応している。大江より先に走り出した。大丈夫だ。
大丈夫な、はずだった。
大江は後からスタートした。照井は決して足が遅い選手じゃない。それなのに。
何で大江は照井より前を走っているんだ?
「止めろおっ!」
思わず立ち上がって叫んでいた。いけない。ここで決められるのは最悪だ。特に、立ち直りかけていた黒須にとって。
必死の形相で追いかける照井の前で、大江がスルーパスに追いついた。梶野はゴール前に立ったままだ。飛び出す練習など、戦術に必要ないからさせていないのだ。
「あ」
遠目に大江の顔が見えた。
サッカーの楽しさも、自分の性能も、信じて疑っていない笑顔。
ペナルティエリアの線の上。左足でボールを右に巻き込み、次に右足をボールの真下に入れるようにして振り切らないシュートを放つ。
放物線を描くボールは梶野の伸ばした手を越えて行き、逆サイドのゴールネットにストンと収まった。
川添西高校 2-3 本河津高校 得点 大江
真っ赤なスタンドがさらに割れんばかりの大歓声を上げる。決めた大江がユニフォームのすそに手をかけ、一気にまくりあげた。
「あ」
裸になったらイエローだが、大江は下にもう一枚、同じユニフォームを着ていた。その手があったか!
俺はドスンと座り込み、空を見上げた。
まだ勝ってる。まだ勝ってるんだ。追いかけて焦ってるのは、相手のはずなんだ。
なのに。それなのに。
どうして俺たちはこんなに追い詰められてるんだ?
認めない、絶対に認めないぞ。
ヤツらの強さの源が、あの熱狂的な応援だなんて。
「黒須」
茂谷先輩が僕の肩に手を置く。両ひざに手をついてうなだれていた僕は、ゆっくりと体を起こした。
「はい。あの、すみませんでした。焦って狙うなって、何度も言われてたのに」
僕のせいだ。あれだけセンターバックの守備範囲が狭かったら、キーパーがサポートのために出て来ることも十分ありえる。不用意だった。
3-0の試合がいつのまにか3-2にまで追い上げられている。全部藤谷先輩が交代してからだ。
「謝らなくていい。さっきのプレー自体は正解だ。キーパーがあんなに出て来るなんて、未散だって予測してなかっただろう」
茂谷先輩は怒らない。いつもクールでかっこよくて、怒ったところは見たことが無い。
でもそれだけに、優しい言葉がつらい。
「チックショー、うまいことやりやがって」
伊崎が大江を見ながら悔しそうにぼやいている。それはシュートのことなのか、ユニフォームの重ね着のことなのか。
主審が小さくホイッスルを吹いて、僕たちのベンチの方を指した。
表示板にはIN 13 OUT 17とある。
伊崎が出て芦尾先輩が入るんだ。ということは、残り時間は冬馬先輩を生かすことだけ考えろってことなのかな。
「えーっ!また俺代わるのーっ!?」
伊崎が大げさに嘆きながら、とぼとぼとベンチへ向かって歩きだす。伊崎とは中学のサッカー部から一緒だけど、こういうところは全く変わっていない。
しばらくして、芦尾先輩がゆっくり入って来た。
「皆の者、メッセンジャー芦尾がお伝え申す」
「前置きいらねえからさっさと言えよ」
菊地先輩が舌打ちをする。芦尾先輩は気にした様子も無く、
「相手の応援に飲まれるな。応援で上手くなることはないし、応援で点は入らん。だとさ」
と言った。
「何だそりゃ。もっと具体的なアドバイスは無えのかよ」
銀次先輩が眉を片方上げて不満げに言った。芦尾先輩は口をとがらせ、「しょうがないだろ、これしか言わなかったんだから」と抗議している。
でも確かに川添西の応援はすごい。負けていることを感じさせない熱狂的な応援。藤谷先輩の目から見て、僕らが相手の応援に押されているように映ったんだろうか。いや、実際圧倒されている。
まるで自分たちが悪役になったみたいに。
「おい、黒須」
ずっと黙って聞いていた冬馬先輩が、唐突に僕の名を呼んだ。
「は、はい」
僕より背は低いけど、目つきが悪くて怖い先輩だ。
「お前、いつまでそんなフヌケたプレーするつもりだ?」
「い、いつまでって……」
「冬馬、よせ」
茂谷先輩が間に入ってくれる。
「黒須は黒須でよくやってる」
「そういう問題じゃねえよ。こいつが単なるヘタクソなら最初から何も求めやしねえけどな。でも、黒須はこんなもんじゃねえだろ」
「冬馬先輩……」
冬馬先輩は、僕に、期待してくれてる?
ジロリと僕をにらみつけ、冬馬先輩は続ける。
「あのな、黒須よ。お前が藤谷にベッタリなのは見りゃわかる。ずっと背中を見てたのもな。でも藤谷は来年卒業だ。その後、お前はどうするんだ?」
「その後って……」
わからない。考えたこともない。
「その後はお前が、後輩たちに背中を見せる番になるんだぞ。誰だって、永久に後輩ではいられねえんだ」
「……」
僕が、藤谷先輩みたいに後輩を背中で引っ張る?
「想像……つきません」
「つきませんじゃねえよ!考えろ!俺は決勝目前で大逆転負けなんてごめんだ!」
大きな声についビクッとする。考える?何を?
「もっとも、今日みたいなプレーが続くようじゃ、今後誰が監督やろうがお前はレギュラーにはなれねえだろうがな」
言うと、冬馬先輩はプイと背中を向けて自分のポジションに戻って行った。
茂谷先輩が、
「気にするな。あいつも後半、思うようにいかなくて気が立ってる」
と言って、僕の背中をポンと叩いた。
「は、はい」
みんなが自分のポジションに戻る。僕も行こう。
「あ、黒須!」
少し離れたところから、芦尾先輩が僕に手メガホンで叫んだ。
「何ですかー?」
「藤谷からお前に伝言があったんだ!忘れてた!」
心臓がドクンと鳴った。冷汗が背中をつたう。藤谷先輩の目には、後半の僕のプレーはどう映ったんだろう。きっとガッカリしてる。聞くのが怖い。
「黒須、聞いてるかー?藤谷はなー、お前の持ち味を思い出して、好きなようにやれとよー」
再び俺たちのキックオフ。
直前に川添西は、三人目の選手交代を行った。FW岸ヶ谷に代えて、同じFWの葉月。
体格が良く、真っ黒に日焼けしているごっつい男だ。さほどテクニシャンには見えない。
俺の予想では、こいつは大江を生かすための交代だ。俺が伊崎に代えて芦尾を入れたように。
ベンチに戻って来た伊崎は、珍しくご立腹だった。自分と似たタイプの一年生にゴールを決められ、しかもユニフォームを脱ぐパフォーマンスを、重ね着でイエローカードを回避するところまで見事に見せつけられたのだ。一番悔しいタイミングで引っ込めてしまったのは否定できない。でも変にご機嫌を取ろうとしたら余計にスネる気もする。根が寂しがりやなヤツだから、しばらく放っておいたら向こうから来るだろう。
ボールがうちのサイドで回りだす。黒須の動きは、十分持ち直しているように見える。無茶は言わない。このまま一点差のままやり過ごしてくれ!
「ねえ、未散」
「ん?」
夏希が心配そうにフィールドを見つめている。
「黒須君への伝言、ちゃんと伝わったかな?」
すぐ内緒にする、と怒られるのを避けるために、今度は事前に報告した。
今の黒須に必要なのは自立心だと。
たった一年先輩なだけで偉そうに言えることでもないし、俺は俺で今まで黒須の従順さに頼りっぱなしだったのも事実だ。だけど黒須は選手としてのスケールなら俺よりはるかに上だと思う。1ステージ上がるなら、今日しかない。
「多分な。あいつは頭がいい」
「でも、突き放されたみたいでかえって落ち込まないか心配。大丈夫かな」
夏希が言った。その気持ちは俺も同じだ。でも今は、信じるしかない。
そこからの十五分間は、まさしく心臓に悪いという表現がピッタリな時間だった。瀬良のパスから、枕山のドリブルから、そして伊勢のロングスローから、川添西のシュートがモト高ゴールを容赦なく襲う。
黒須の動きは悪くないところまで戻って来たし、国分も高望みしない堅実なプレーで中盤を支えている。芦尾も冬馬と久々の2トップで息の合ったところ見せている。
冬馬を使って一発カウンターでも決まらないかと思って見ているが、相手も大江という飛び道具を常に発射準備している。うかつには動けない。
それでも俺の目には、黒須の目が何かを狙っているように見えて仕方が無かった。あの目は後半が始まった頃の、自信なさげな黒須ではない。
何だ?何を考えてる?
後半三十九分。
川添西のコーナーキック。蹴るのは瀬良。
後一分少々こらえれば、俺たちは決勝に行ける。夏希はすでに両手を祈るように組んでいる。こばっちも同じポーズだが、目をつむったまま試合を見ていない。
瀬良が左サイドから巻くようなボールをゴール前に入れる。直登が頭で弾き返す。ペナルティエリアの外に、浜と黒須が待っている。二人がボールに突進する。
黒須が先に追いついて、一旦自陣にヘッドで戻す。と同時に、振り返ってセンターサークルへ走る。ボールはペナルティエリア付近の冬馬の前へ。
冬馬は一人かわして、前方の黒須へロングパスを送った。
前にDFはいないが、センターラインを越えるまではオフサイドにならない。
黒須は冬馬からのパスを胸トラップで浮かせる。
そして、体をゴールの方向へひねった。右足を思い切り振り上げて。
冬馬先輩の言ったことは、いずれわかる日が来ると思う。甘えてちゃいけない。自立しなきゃいけない。でも僕はまだ、藤谷先輩の背中を見ていたい。藤谷先輩と一緒にプレーしたい。
藤谷先輩の、一番の後輩でいたい。
だからそのためには、このまま終わっちゃダメなんだ。「すげえな」って言わせるプレーをしなきゃいけないんだ。
僕の持ち味の中で、藤谷先輩が絶対しないプレーで。
胸トラップで浮かせたボールが落ちてくる。僕は振り向きざまに目一杯、右足を振り抜いた。
生まれて初めての、センターラインより後ろからのロングシュート。前に出ていたキーパーが必死に戻って行く。
これが入ったら、藤谷先輩は誉めてくれるかな?
「おおっ!」
黒須の放ったスーパーロングシュートが美しい放物線を描いてゴールへ向かう。キーパー出久が必死に戻る。
ロングシュートの終着点は、ゴール正面。ワンバウンドしたボールがネットを揺らし、遅れて出久もゴールネットへ転がり込んでいった。
静かだったモト高側の客席が一気に沸き立つ。もちろん俺たちのベンチも大騒ぎだ。
「やったやった!黒須君すごい!」
夏希とこばっちが手を取り合って跳ねている。
「当然だ!俺が見込んだヤツだからな!一番の後輩だ」
まるで自分がやったかのように、俺は胸を張った。そして自分の右足にそっと触れる。
チクショウ、何てすげえシュートだ。すっげーうらやましいぜ。
川添西高校 2-4 本河津高校 得点 黒須
終了間際の追加点で、川添西に反撃の余力はもう残されていなかった。
三分後、主審の両腕が天を指し、長い長いホイッスルがフィールド上に響き渡る。
喜びと安堵が同時に体へ広がっていく。
握る拳に力が入る。
やっとたどりついたんだ。
春瀬が待つ、決勝の舞台へ。
つづく
多分しなくてもいい名前の由来解説
善田……ゼンデン
葉月……ヘスキー




