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第6話「広瀬がいたから」

兄と妹。

お風呂上がりの髪を拭きながら、私はベッドに腰掛けた。ミニテーブルの上で赤いマグカップが湯気を立てている。帰りに藤谷におごってもらったおしるこドリンクを、カップに移し替えてたった今温め直したものだ。


本当はあのちょうどいい温度ですぐに飲みたかったけれど、一人で缶のドリンクをグビグビ飲みながら歩くのは、ちょっと勇気がいる。


私は頭からタオルをかぶり、マグカップを両手にとった。うん、ちょうどいい。一口飲んで、ほのかに広がるあずきの香りに酔いしれる。


「げ。またおしるこ飲んでる」


秋穂が部屋に戻ってきた。手には白っぽい液体が入ったビンを持っている。


「別にいいでしょ、好きなんだから。あんたはそれ、何飲んでるの?」

「米麹で作った甘酒」

「それ、中学生が寝る前に飲むもの?」


あきれる私に、秋穂はビンを二、三度振ってフフンと笑った。


「ノンアルコールで砂糖不使用。栄養価も高くて肌にいいんだって」


二十代後半のOLと会話してるみたい。


「十四歳で肌気にしてどうすんの」

「今大事にするかどうかで、三十代の肌が決まるんだってさ」


まったく、ああ言えばこう言う。どうせテレビか雑誌の受け売りでしょうに。

それにしても、お風呂上がりにおしるこドリンクを飲む姉と、甘酒を飲む妹。こんな光景は誰にも見せられない。




 今日学校から帰って来た時には、姉の姿はすでに無かった。また旅に出たという。今度の行き先はマチュピチュ。念のため、ペルーの民族衣装をネットで調べてみると、キノコのコスプレのような赤くて大きな帽子をかぶった画像がたくさん出てきた。今度はこれをかぶらされるのかと思うと今から気が重い。

姉は姉なりに気をつかってくれているのだろうけれど、あの人はとにかくしつこいから困る。


私はマグカップを一旦テーブルに置き、スマホをバッグから取り出した。メールソフトを立ち上げ、宛先に兄のアドレスを指定する。




件名:心優しい妹より

『今日、同じクラスで兄さんのファンを見つけた。憧れるすごい選手だって。まだまだやれるって言ってた』




送信。つらいリハビリ中の兄を元気づけようとする、妹のけなげな気遣い。伝わるかな。

しばらくして返信が届いた。




件名:強く賢き兄より

『そのファンが男の子なら、出世するから捕まえておけ。女の子なら紹介してくれ』




脱力してベッドにつっぷす。伝わってない。こういう人なんだ、昔から。

ベッドから顔を起こし、兄のことを褒めてくれた隣人の顔を思い浮かべる。




件名:兄の行く末を心配する妹より

『残念ながら、男の子でした。出世しそうには見えない。もし女の子だったとしても、広瀬家から犯罪者を出したくないから紹介しません』




送信。また同じくらいの間隔が空いて、返信が届く。




件名:万事順調な兄より

『その男の子は、サッカーを少し変わった角度で見ているね。僕のファンなんて、かなりマニアックだよ』




シャイな兄さんらしい謙遜。でも、確かに藤谷はちょっと変わってるかもしれない。今日も興奮しておかしなことばっかり口走ってたし。


今朝、兄のファンだと聞かされてから、いつ広瀬春海が私の兄だと藤谷に告げようか、迷ってるうちに結局昼休み前にずれこんでしまった。後でちょうどスカウト活動に行く直前だったと聞いて、ちょっと悪いことしたかなと反省。反省と言ってるくせに、結局帰りにおしるこをおごらせた私の業も深い。




件名:繊細な妹より

『その男の子は隣の席にいる、サッカー部の新しいキャプテンで、マネージャーに誘われた。私の昔のことは、知らないみたい。どう思う?』




昨日は、聞けなかったこと。今は兄もつらい時期だし、ケガを治すことに専念してほしいから甘えてはいけないけれど、今日のやりとりの流れなら聞いても許される、と思う。


しばらく待っても、返信は届かなかった。私は待つのをあきらめて、洗面所に髪を乾かしに行く。やっぱり私は甘ったれだ。





部屋に戻ってくると、スマホの着信ランプが点滅している。兄からの返信。




件名:心優しい繊細な妹へ

『その男の子が今のお前の良いところをちゃんと見ていてくれたようで、兄として嬉しい。マネージャーとして、違った立場でもう一度関わってみるのはマイナスにはならないと思う。つらくなったらまた電話しろ。あと、お前はまだ昔なんて言葉を使う年じゃないだろう』




私は兄からの返信を何度も読み返した。いつもこうだ。私が励まそうとすると、最後は私が励まされる。キザで、おせっかいで、卑怯だ。

メールソフトを閉じようとしたら、着信があった。今度はLINEの方だ。

藤谷だった。



『広瀬が帰ったあと、いろいろあって俺もおしるこドリンクを飲むハメになった。意外といけた。また明日』



あの男は何が言いたいんだろう。わざわざ送る内容?やっぱり変わってる。



『飲んでみると、意外とおいしいでしょ。また明日』



しばらく考えて送信。そもそも内容が一方的で自己完結しているので、これくらいしか返事のしようがない。明日教室でしっかり説教しなきゃ。


「夏希ちゃん」


秋穂がニヤニヤしてこちらを見ている。机の前で真面目に勉強していたようだ。そういえば秋穂は受験生だった。本人が普段とあまり変わらないので

こっちもつい忘れてしまう。


「何、その顔。何か言いたいの?」

「そのLINE、男から?何か楽しそうだよ」

「うるさい。勉強しろ、受験生」


秋穂はそれ以上何も言わずに勉強に戻った。楽しそう?そんなわけない。

そんなわけはないけど、今日はちょっとからかい過ぎた気もするし。


明日は、ちょっと優しくしてやろうかな。




翌朝、教室に入ると藤谷はすでに席に座っていた。何かの本を、頬杖をついてパラパラとめくっている。


「おはよう」


声をかけると、藤谷はページをめくる手を止めて顔を上げた。


「おす」


ニコリともせず短く答えると、再び視線を本に戻す。私は席に座って、藤谷が見ている本をチラリと伺った。人名と数字が羅列してある、娯楽には見えない本。今日は予習じゃないみたいだけど、何だろう。気になる。気になるけれど、昨日は私から話しかけてばかりだったから、今日も私からというのは何だか癪に感じた。まだ保留中とはいえ、本気でマネージャーに誘ったんならメンバー集めについて相談してくれてもいいのに。別に邪険にしないし。


「広瀬」


そんなことをぼんやり考えていたら、唐突に藤谷が私を呼んだ。


「何?」


私は何でもない顔で返事をする。ちょっと、びっくりした。


「この軽部って選手、うちの陸上部の二年なんだけど、すごくないか?」


見ていた本を私が見えるようにひっくり返して、スッと寄せてきた。


「その本何なの」


藤谷は見ていたページに親指をはさみ、表紙を見せた。


『平成三十年度・Y県競技記録集』。


カバーがついていなくて、ラミネート加工がしてある。緑のラベルが貼ってあるので学校の図書室の本だ。


「さっきからそんなの見てたの」


もう一度、さっき見せようとしたページを開いて藤谷は言った。


「人探しを、直登……あの、よく遊びに来る茂谷。あいつに任せっぱなしだったから、自分でも人材を発掘しようと思って」

「茂谷君は知ってる。それで?」


私はページを覗き込む。去年の陸上競技の新人戦、市大会、県大会の記録が載っている。


「それで、この軽部銀次って選手なんだけど、すごいんだよ。市大会も、県大会も、二百、四百、八百メートルの三種目に出て、全部上位に入ってる。優勝はできてないにしても、これってすごいことだよ。一瞬でトップスピードに乗る瞬発力と、スピードを持続する持久力を兼ね備えてる。理想的なサイドバックだ」


すでに興奮気味だ。


「陸上部から引き抜くの?」


私が聞くと、藤谷は急に眉間にシワを寄せて渋い顔になった。


「現実的には、厳しいな。これだけすごい選手ってことは、陸上部にとっても貴重な戦力だから。手放すはずがない」

「確かにね」


どんな指導者だって、素質のある選手をわざわざ他種目に譲るわけはないと思う。でも、それはあくまでも指導者側の都合であって。


「でもさ、最終的には本人の気持ち次第なんだし、一度会いに行ってみたら?どんな選手か、実際に見てみる必要もあるでしょ」

「うん。それはそうなんだけど……俺、陸上部の斎藤、苦手なんだ」


陸上部の顧問である斎藤先生は、元陸上選手の体育教師でとにかく声が大きい。スポーツを通じた人間教育論を、よく全体朝礼で語っている。藤谷みたいな冷めた変わり者とは確実に合わないだろうな、と私は思った。


「そう?私は別にイヤな印象無いけど」

「あいつ、女子と男子で露骨に態度違うからな。俺みたいな声が小さい男子は特に狙われるんだ。一人で校歌唄えとか。最低だ」


眉間のシワはそのままで、吐き捨てるように言った。よっぽど嫌いなんだ。確かに私も同じことやらされたら斎藤先生を嫌いになるかな。


結局藤谷は「見つからないように、こっそり覗きに行く」という後ろ向きな作戦を立てて、記録集を机にしまった。私はのどまで出かかっていた言葉を言えないまま、一時限目の用意を始めた。




その後は隣人と話すこともなく、午前中の授業が終わった。

お昼休みは前の席の園田さんと何となく一緒に食べることになっている。別にイヤじゃないけれど、特に仲が良いということもない相手との会話は多少気疲れする。近くの席で敵を作りたくないから、という理由で、まだ十六歳なのに二十代後半のOLのような付き合いをしている。これでは妹を笑えない。


新しいクラスになると、みんな最初は「広瀬さんキレー」とか「カワイー」と言って話しかけてきてくれるけど、あまり話を弾ませるのが得意じゃない上に、愛想笑いが苦手な性格もあって段々話しかけられる回数は減っていく。自分から輪に入っていけばいいと周りにはよく言われるけれど、輪に入ることを目的にして、興味の無い話題に興味があるフリをするなんて、人間として間違っていると思う。


一度なんて、よくしゃべっていた女の子の好きな男子が、どうも私を好きらしいという話が出て、そ

れを知ってから急に私への態度が冷たくなったこともある。私にはどうにもならないことなのに。


ああ、面倒くさい。


そう考えると、今私の目の前でニコニコしてくれている園田さんは貴重な存在なのかも。


「広瀬さん、最近藤谷君とよくしゃべってるよね」


突然園田さんに聞かれ、私は思わず隣の席を盗み見た。藤谷は今日もカロリーメイトと野菜ジュースというひどい昼食を押しこむように食べて、すでにどこかへ消えてしまっていた。


「そうかな」

「うん、結構。でも何か、恋の予感はしないというか。姉と弟みたい」


そう来たか。


「サッカー部がね、今結構大変みたいで。一人で浮き沈みしてるから、ちょっとからかいたくなって」

「あ、それ分かる」


園田さんはカカカと笑う。


「藤谷君、冷めてるようで反応が素直だからいじられやすいんだよね」

「それ、分かる」


今度は私が笑った。あれ、お昼休みに笑いながらお弁当なんて、何日ぶりだろう。



午後の授業のあいだ中、藤谷はノートを取るそぶりも見せず、ずっと教科書をにらんでいた。

多分、教科書を読むフリをして何か考えているんだと思う。六限目が終わって藤谷にそう指摘すると、「エスパーか!?」と驚いていた。超能力なんてなくてもわかるというのに。


バッグをかついで席を立とうとする藤谷に、私は意を決して声をかけた。


「ねえ、藤谷」

「んー?」


ちょっと眠そうな声で藤谷が振り向く。


無愛想で、仏頂面で、変わり者のこの男に、何かを期待しているわけではないけれど。


「今から陸上部に見に行くんでしょ。一緒に行ってあげようか?」


今朝は言えなかった言葉。

藤谷は一瞬声を失い、つぶやくような声で、


「……いいのか?」


と言った。


「いいよ。一応、ちょっとはもうサッカー部に関わってるようなものだし、私は斎藤先生に悪い印象無いし。気を引いてごまかすくらいの役には立つと思う」


藤谷の仏頂面が、灯りがともったように輝く。良かった。これで昨晩の「藤谷にちょっと優しくする」という自分との約束が果たせる。


「いや、もう、来てくれるだけで助かる。一日中、どうやってこっそり見ようかずっと考えてて。本当に助かる」


だんだん身振りが大きくなる。これ以上エスカレートすると目立ってしまう。


「もうお礼はいいから、早く行こ。先生が来る前にアップだけでも見られるかもしれないし」


私はバッグを持って立ち上がり、早足で教室を出る。藤谷もあわててついてきた。




二人で廊下を歩いていると、周りの視線がいやでも分かる。藤谷は、こういう状況をどう思っているんだろう。


「そういや、ちょっと気になってたんだけどさ」


藤谷が間を埋めるように話しかけてきた。緊張してるのかな。


「何?」

「広瀬の兄さんは、今どうしてるんだ?」


真剣な顔。野次馬や興味本位ではなく、本当に心配してくれている。私にはわかる。


「今は、大阪でリハビリしてる。あと」

「あと?」


私は声のボリュームを下げて、


「誰にも言っちゃダメだからね」


と藤谷に言った。


「何か知らんけど、分かった。言わない」


素直に神妙な顔になる。


「指導者の勉強、始めてるって」


私が言うと、藤谷は何も答えなかった。しばらく黙ったまま廊下を歩く。下駄箱に着いて、ようやく口を開いた。


「広瀬の兄さんは、その、落ち込んでるのか?」

「全然。吹っ切れてるみたい」

「そうか」


藤谷は鼻をポリポリかいて笑った。兄さんも、こんな仕草をよくしてた。照れてる時に。




校舎から三分ほど歩いたところにある市の陸上競技場で、モト高の陸上部は活動している。かなり恵まれた環境だ。トラックの内側には土のサッカーコートがあって、藤谷の話ではうちより強い高校がよく利用しているらしい。モト高サッカー部はたまにしか使えない、と。

距離が近いのだからもっと使えばいいのにと言うと、大会実績を持ち出されると弱い、と藤谷は情けない声で答えた。


スタンドの階段を登って行くと、トラックが一望できる。少し前に改装されたばかりの赤いトラックがまだまだ色鮮やかで、準備運動をしている陸上部員も何だか楽しそうに見える。藤谷にそう言うと、赤は暖色だからそう見えるだけで錯覚だと答えた。つまんないヤツ。


「おう、どうした広瀬!」


不意に、大きな声がスタンドに響いた。見ると、日に焼けた顔にシワが寄っている長身痩躯の中年男性がジャージ姿で近寄ってきた。斎藤先生だ。


「すみません。ちょっと、用事があって」


私が言うと、


「何だ!陸上部に入ってくれるのか!広瀬なら大歓迎だぞ!お前スポーツ万能だからな!ガハハハハ!」


と、全て特大のボリュームで答えた。

斎藤先生は側にいた藤谷に目を留める。一瞬で、相手を軽んずるような、冷めた目つきに変貌した。


「何だ、藤谷も一緒か。サッカー部には使わせんぞ。がんばって弱いならともかく、やる気もない部活にあのコートはもったいない」

「人に会いに来ただけです。コートの話はしてません」


藤谷が無愛想に言い放つ。うわ、嫌いオーラ出しすぎ。


「相変わらずちっちゃい声しか出せねえヤツだな。男なら、もっとハッキリしゃべってみろ!」


藤谷は、今まで聞いたことのないハッキリとした発音で答えた。


「声が大きいのは、耳が悪い証拠です。耳が悪いのは、話を聞いてない証拠です。話を聞かないのは、進歩が止まった証拠です。進歩が止まった人間は、弱いプライドを守るために教える側に回ります」


斎藤先生の顔色がサッと変わった。まずい。藤谷のバカ!ここまで何しに来たと思ってるの!


「という話をこないだある心理学者が言っていましたが、僕は間違った偏見だと思います。その人が優れた指導者かどうかに、声の大きさなんて関係ないと思いますから。大切なのは内容と、信念です。斎藤先生も、そう思いませんか?」


斎藤先生は一瞬面食らったような顔になり、うなった。


「うう……ま、まあ確かに偏見はよくないし、指導者に信念は必要だな、うん」

「その優れた指導者である斎藤先生にお聞きしたいんですが、軽部君てどこにいますか?」

「軽部か。あいつなら、ほら、すみっこでストレッチしてる、あの青いシューズのやつだ」


斎藤先生が指した先。遠目に青いシューズの男子が見えた。


「わかりましたー。部活の邪魔はしませんし、すぐに終わりますから、少し彼と話しに行っていいですかー?」


私は精一杯の不慣れな愛想笑いで言った。ひきつってなければいいけど。


「おう!まだ五分くらい余裕あるからな!いいぞ!」

「ありがとうございます!藤谷、行こ」

「お、おう」


藤谷は目を合わせないまま、小さく斎藤先生に会釈して、私の後についてきた。スタンドの階段を降りて、赤いトラックへと歩く。


先生から適度に離れたことを確認して、私は藤谷をにらんだ。


「ハラハラさせないでよ!どうなるかと思った。ケンカになったらどうするつもりだったの?」

「ならないよ。ケンカってのは、同じレベルでするもんだ」


藤谷の顔には反省のカケラもない。私はため息をついた。


「でもびっくりした。藤谷、あんな声出せるんだ。私がついてこなくても良かったくらい」


言うと、藤谷は黙って両手を開いた。

両手とも、汗でびっしょり濡れていた。さっきは気づかなかったけど、唇がかすかに震えて、ヒザも揺れているように見える。


「……そんなに、怖かったの」

「うん」


濡れた両手を制服のズボンで拭こうとしている。私はポケットからハンカチを差し出した。


「悪いよ、汚れる」

「汚れりゃ洗えばいいの。ここで引っ込めたら私がバカみたい」


藤谷は遠慮がちにハンカチを受け取り、両手を拭いた。



「……広瀬が、いたから」



「え?」


また声が小さくなった。私がいたから、何?


「広瀬がいたから、あれだけ突っ張れたんだ。さっきのあれは、去年の体育の授業で俺があいつに言いたかったことだ」


拭き終わったハンカチを私に返す。


「すまん、俺一人暮らしだから、ちゃんと洗濯して返せる自信が無い」

「それは別にいいけど」


一人暮らし、なんだ。初めて聞いた。高2で?何で?気になるけど、今は聞かない方がいい気がする。


「急かすわけじゃないけどさ、やっぱり広瀬をマネージャーに誘って正解だったよ」


不意をつかれて、一瞬息がつまる。


「何、それ。私まだ返事してないけど」


つい、つっけんどんな言い方になる。これは藤谷の責任だ。


「広瀬はいいヤツだなって。会話も弾むし」

「それ皮肉?」

「ただの感想だ。あ、あいつだ」


顔をそらして、藤谷が話題を変えた。今、藤谷はどんな顔してるんだろう。確認したいけど、そうなると今の私の顔も見られることになる。


それは無理。


藤谷が指した先に、青いシューズの選手が立っている。キリリとした眉毛の、精悍な顔つき。兄がよく見ていた、古いロボットアニメの主人公のような雰囲気。背丈は藤谷と同じくらいだけど、太ももの張りや全身のたくましさは比べ物にならない。もっと鍛えよ、藤谷。


「あの、ちょっと、いいかな」


藤谷が近づいて彼に声をかける。軽部君はこちらを振り向いた。


「何だ、サッカー部が何でこんなとこいんだよ」


言うと、次に私に目を留めて指をさした。


「これ、お前の女か?」

「ちがいます!付き添いです!」


藤谷より先に私が声を張って答える。ムダな噂の芽は早めに摘んでおかなきゃ。


「で、何だよ」


軽部君は腰に手を当て、改めて藤谷に聞いた。どうやって切り出す気だろう。まさかいきなりは無いだろうけど。


「軽部、サッカー部に来て左サイドバックをやってくれ。頼む」


もし私の右手にスリッパがあったなら、力一杯藤谷の頭をひっぱたいていたと思う。


「……はっ?」


心底困惑した顔で、軽部君は聞き返した。誰だって同じ反応をするだろう。


でも、私は数日前を思い出す。


『サッカー部の、マネージャーになってくれ!』


あれがなかったら、今私はここにはいない。だから思う。

もしかしたら、この軽部銀次かるべ ぎんじという男も、数日後には思いがけない場所に立っているかもしれないって。



つづく

たぶんしなくていい名前の由来解説


軽部銀次……ロベルト・カルロス(・ダ・シルヴァ)

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