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第58話「お疲れさま」

ベスト4を賭けたPK戦。そして、決着。

体が熱い。

鼓動が鳴り止まない。


金原君のヘディングシュートが決まった瞬間、多分私は意味の分からないことを叫んでいたと思う。今、ものすごく喉が痛い。

久里浜にフリーキックを決められた時、ベンチは雪の日の朝のように静まり返っていた。誰も一言も発しない。口を開くのが怖かった。何か言ったら、それが現実だと認めたことになって、本当に全てが終わってしまいそうで。


でも、終わっていなかった。あきらめていなかった。少なくとも、左腕に兄さんのお古のキャプテンマークをつけた、あの男だけは。


こんなことが起こるなんて。そうだ、サッカーはこういう競技なんだ。ちゃんと思い出していたはずなのに、私は忘れていた。


「広瀬先輩!俺、俺、もうダメだと思ってましたー」

伊崎君の涙腺が決壊している。私は笑って彼の頭をなでてあげる。

「すげえ。鳥肌立ったぜ」

菊地君が自分の腕をさすっている。

「あと何分!?」

時計を見る。まだ延長戦終了まで三分近くある。

もどかしい。私はベンチで祈ることしかできない。マネージャーだからそれは当たり前だけど。

でも、それでも。


今すぐ白線を飛び越えて、チームのために走りたい。


主審の長いホイッスルが競技場に鳴り響いたのを聞いて、私はベンチに脱力して腰を下ろした。2-2のまま、延長戦も終了。

「PK戦か……」

菊地君が複雑な顔でつぶやく。私も同じ気持ちだ。最初から分かっているルールとはいえ、何となくモヤモヤする決め方だ。でも私は評論家じゃないし、監督でもない。やるべきことは、みんなを迎えてねぎらうこと。PK戦に万全の状態で選手を送り出すこと。それがマネージャーの仕事だ。


選手たちがベンチに戻ってくる。勝てなかったけど、負けなかった。みんなの顔は、どこか誇らしげに見える。

一人眉間にシワを寄せている、キャプテンを除いて。


「金原君!」


私は真っ先に、今日のヒーローにタオルとドリンクを持っていく。

「おお、サンキュ。広瀬、のど枯れてるぞ」

照れくさそうに受け取って、ドリンクをがぶがぶとあおる、

「すごく高かった。本当、頭一つ抜けてたよ」

「いやー、正直ヘディングシュートは自信無かったけどな。練習でもあんま決まったことなかったし」

言って、タオルを頭からかぶり、ベンチに座る。そして右足で二、三度地面を踏んづけた。

「足、どうかしたの?」

「ん?ああ、さっきの着地の時にな。軽くひねったみたいになって」

「足ひねったのか」

金原君の後ろから、未散が難しい顔でひょっこり現れた。手にはペンと白い紙。

「ああ、ひねったっつっても、ほんの軽くだ。ボールは蹴れる」

「念のため11人目に変えとくぞ。よっぽどそこまで回らんだろうが」

言って、未散が私の視線に気づいた。

「何か言いたげだな」

「ううん。何も」

私は首を振って答えた。


半分本当で、半分ウソ。言いたいことはたくさんあるはずなのに、面と向かうと何も出てこない。


「順番、もう決めたの?」

私は横からメモを覗きこんだ。そこには選手たちの名前と、何度も二重線で消された数字。

「蹴る五人は決めたけど、順番が決まらん。みんな一番手はイヤだって言うし」

そう言って、未散はポリポリとおでこをかいた。

さっきあんな見事なトリックプレーを決めたばかりなのに、すぐ次の仕事に頭を悩ませている。苦労性なキャプテンだな、まったく。

「貸して。私が順番決めたげる」

私が手を出すと、未散はしばらく迷ってからメモとペンを手渡した。

「わかった。頼む」

「ありがと」

何も注文は無かった。「頼む」だって。

ほほがゆるむのを必死にこらえ、私はメモに目を落とした。


最終的に決まった順番は、一番手冬馬、二番手茂谷君、三番手黒須君、四番手狩井君、そして五人目がキャプテン藤谷未散。銀次君が蹴りたそうな顔でアピールしてきて迷ったけど、キックの精度とサッカー経験を優先した。彼がまだ不満げな顔をしているのは見ないフリ。


「藤谷君」


紗良ちゃんが未散に呼びかける。

「何だ?何かすごいデータでも見つかった?」

「そこまでではないけど。もしコイントスで勝てたら、絶対に先攻選んで」

「先攻の方が勝率いいのか?」

「そう。60%。後攻より1.5倍も勝率が上がるんだよ」

「マジでか!そりゃ絶対先攻だ」

未散が笑って紗良ちゃんとハイタッチする。

私には険しい顔しか見せないくせに、紗良ちゃんにはいつも優しい。


私はみんなと離れたところに一人で立っている、GK梶野君の横顔を見つめる。彼はさっきから、ゴールと自分の手を何度も交互に見ていた。さりげなく梶野君に近づく。

「梶野君」

「ん?」

「緊張してる?」

梶野君は奥目を細めて、薄い唇を開いて笑った。

「少しね。責任重大だ」

「うん」

梶野君自身が割と無口なこともあって、二人で長く話したことはほとんどない。菊地君とは同じクラスということもあって、結構話してる印象があるけれど。


「不思議だよな」

黙っていたら、梶野君の方から口を開いてくれた。

「何が?」

「五月に藤谷が、サッカー部でキーパーやってくれって誘いに来た時、俺ちょっと迷ったんだ」

「え」

初耳。未散からは、最初から乗り気だったって聞いてたけど。

「先に茂谷から話だけは聞いてたんだけど。バスケ部辞めてから、何もしてなかったし、新しい部活に誘われること自体は嬉しかった。でもキーパーってさ、やっぱり地味じゃないか?」

「うーん……そう言われちゃうと否定できない」

「結局やられ役っていうか、やっぱどこかゴール決める選手の引き立て役みたいなイメージがあったんだ。バスケ部ではかなり攻撃寄りのポジションだったし。どうせやるからには、勝利に直結するポジションがやりたかった。だから体験入部の一回だけやって、また考えようかと思ってたんだ」

「でも続けた」

「うん。藤谷の、シビアなのに理想主義な矛盾したところも面白かったし、いい選手も多かった。何より、部活の時間が楽しかったね」

「楽しいのはわかる」

「続けてよかったと思ってるよ。だって」

言って、梶野君はゴールを見つめた。


「今日、やっと勝利に直結する役が回ってきたからな」


梶野君が両手をグッと握りしめる。

「相手はインハイ予選準優勝の強豪、しかも延長戦で劇的な同点ゴールの後のPK戦だ。ここで燃えなきゃ男じゃねえよ」

声に熱がこもる。失点して悔しがる姿は何度も見ているけど、こんなに前向きに熱い梶野君は初めてだ。

「うん、がんばって!桜律のPK全部止めちゃっていいから!」

認めよう。嬉しそうに語る梶野君の横顔がまぶしかったのは、西日だけのせいじゃないって。いいな、そんな気持ちになれて。


しばらくして梶野君は急に顔を赤らめて、鼻をポリポリとかき始めた。

「あ、あとさ、マネージャー」

「ん?」

「PK戦に勝てたら、島に恩返しできたことに、なるかな」

「え」

聞き返すと、顔を赤くしたまま梶野君は続けた。

「あいつ、俺が入ってきたせいで自分は試合に出られなくなったのに、付きっ切りでキーパーの基礎から教えてくれてさ。いつか何かの形でお礼したいって、ずっと思ってたんだ」

「……」

「何だよ、何か言ってくれよ」

私は黙ったまま二度うなずき、彼の背中を二度叩いた。

「島君喜ぶと思うよ」

「そ、そうか」

「男前だね、お兄さん」

「からかうなよ」

くすくす笑う私を恨めし気に梶野君がにらんだ。男の子は可愛いな。


両チームのメンバーが、ペナルティエリアから少し離れたところにそれぞれ固まっている。

観客が席の最前列に密集しはじめる。

私たちのベンチの真上には、モト高の生徒たち。子安先輩の姿も見える。


「夏希ちゃあん」

隣の紗良ちゃんが、泣きそうな声で私のジャージを引っ張ってきた。

「何、情けない声出して」

「私ずっと下向いてるから、結果だけ教えて。とても見てられない」

「そんなのダメ。ちゃんと見なきゃ」

「うう、夏希ちゃん厳しい」

私は紗良ちゃんの小さな顔を両手ではさみ、毛利先生の方に向けた。

「ほら見なさい。あの毛利先生だって、微動だにしないで勝負の行方を見守ってるんだよ」

「広瀬さん」

後ろから江波先生が声をかける。

「はい」

私が振り返ると、江波先生は首を横に振った。

「あいつは後半の猛攻に耐えてる時から、座ったまま意識を飛ばしてるよ。ずっとね」

「何ですか、それ」

「あまりの緊張に耐えられなくなって、現実逃避したんだろう」

「すごい技ですね」

「人間の脳は、生き延びるためなら大抵のことには適応するんだよ」

それにしたって、自在に意識を飛ばす技は簡単には身につかないと思う。どんな人生を送ってきたんだろう、毛利先生。


両キャプテンがコイントスをしている。しばらくして、未散がこちらに向かって小さくガッツポーズした。


「先攻取れたんだ!」


紗良ちゃんがグッと拳を握りしめる。PK戦は先攻が勝率60%。でもそれって高いと言えるのかな。丁半バクチよりちょっと割がいいだけじゃないかな。


桜律のGK蟹江がゴール前に立つ。一人目の冬馬がボールをセットする。

「広瀬、何で冬馬を一番手にしたんだ?」

菊地君が聞いた。私は、

「チームで一番点取ってるし、ゴールを決めるイメージが一番はっきりしてるかなと思って」

と答えた。

「へえ。そこまで考えてたのか」

「もちろん。だてに半年間マネージャーやってません」

「よく冬馬OKしたな。一番手イヤそうだったのに」

「二回戦、出場停止で迷惑かけた分をチャラにしてあげるって言ったら、快く承諾してくれたよ」

ほとんど脅迫に近かったけど、選んだ理由は本当だ。やなヤツだけど、選手としてはやっぱりすごい。さっきの金原君の同点ゴールの場面、あいつは芦尾の強烈なキックを涼しい顔で壁の逆サイドに折り返していたけど、あんなことができるのはうちでは冬馬か未散だけだと思う。


冬馬がボールから二歩離れる。蟹江が両手を広げて体を沈める。主審がホイッスルを吹いた。

「冬馬先輩!決めてください!」

伊崎君が私の後ろで祈る。


冬馬はボールから少しだけ離れた位置で立ち、そのまま一歩踏み込んだ。助走しない気?

素早く右足を振り下ろし、冬馬のキックはゴール左上に突き刺さった。蟹江は反対側に飛んでいた。


「よしっ!」


1-0


嬉しいというより、ホッとする。冬馬本人は何事も無かったようにみんなとおざなりのハイタッチをして、ドスンと芝生に座り込んだ。可愛げのないヤツ。でも頼りになるヤツ。


「桜律は神威か」


桜律の一番手は神威君。未散と同じくフリーキックを得意にしているMFで、未散の数少ない友達だ。最初に決められたゴールも彼のコーナーキックからだったし、セットプレーに穴が無さそう。多分PKもうまいんだろうな。いや、私がそんな弱気なこと考えちゃいけない。梶野君がきっと止めてくれる。


主審のホイッスル。

梶野君が一度大きく両手を広げ、キッカーの足元に視線を集中する。ベンチから出ていく前に、未散から何か耳打ちされてたけど、必勝法でも教わったのかな。


神威君が十分な助走を取り、右足を振り抜いた。

梶野君は左側に飛び、ボールも同じ方向に飛ぶ。つかまえようと伸びる手の、少し上をボールは通り過ぎた。ネットが揺れて、桜律サイドの観客席から野太い声が上がる。


1-1


笑顔で自軍に戻る神威君。爽やかなイケメンだけに、余計に腹が立つ。

「梶野先輩、惜しい!」

照井君が足をバタバタさせて悔しがる。芝から立ち上がった梶野君は、不思議にもいつもの悔しがり方が見られない。何だろう。急に切り替えがうまくなったとか?まさか。


うちの二人目、茂谷君がゆっくりボールをセットする。彼を二番手に置いた理由、それは。

「広瀬、茂谷を二番手にしたのは?」

再び菊地君が私に問う。私は答えた。

「安定感」

「それだけかよ」

本当にそれだけ。だって何やっても余裕でソツがない人だから、二番手にピッタリだと思う。

主審のホイッスルとともに、茂谷君が助走を始める。綺麗なフォームから放たれた、コントロールされたボールがゴール右側へ。


「あーっ!」


肉食獣のような俊敏な動きで、蟹江が茂谷君のキックを横っ飛びで弾き飛ばした。桜律サイドの客席がさらに沸く。茂谷君は腰に手を当て、天を仰いだ。

数字は1-1のまま、動かない。

「うう、何で何で?茂谷君完璧だったじゃない!」

絶対決まったと思ったのに。何あの反応。

「ちょっと綺麗すぎたかー」

菊地君が髪をかきむしる。

「綺麗の何が悪いの?」

ちょっとキツ目に言ってしまった。菊地君が口をとがらせる。

「俺に当たらないでくれよ。キッカーの想定より上に伸びたり、意外と低かったりしたら入ったかもしれないってことだよ」

「そ、そういうことね。ごめん」


二人目には芦尾を置くことも考えた。でも勢いだけで精度に欠けるところがあるから茂谷君にしたんだけど。裏目に出たみたいだ。


「広瀬さんのせいじゃない」

島君が私の肩に手を置いた。大きくて温かい手。

「そうかな?」

「PK戦とはそういうものだからだ。世界でも、過去に何人もの名選手たちがPKを外している。そこに誰が悪いという理由は無い」

「それはそうかもしれないけど」

「広瀬、桜律が蹴るぞ」

菊地君が呼んだ。考え込んでいるうちに、桜律の二人目がボールをセットしていた。

17番の入辺、左利きの選手だ。体も顔もゴツいし、強烈なボールを蹴りそう。

入辺がホイッスルを聞いて、その場でジャンプする。そしてボールに向かって一直線に走り込み、左足を一閃する。ゴール右側にボールが飛ぶ。

梶野君も同じく右側に飛んでいる。ボールは梶野君の手を音を立てて弾き飛ばし、ネットを強く揺らした。


1-2


「今ボール触ったのにー!何なのあのゴリラ」

コースを読まれても力で押し切るなんて、反則だ。

「広瀬さん。そういう中傷は、よくないと思う」

島君に静かに諭され、私は赤面する。

「ごめん」

「それよりも、もし俺の考えが正しければ」

「え」

島君の視線を追う。梶野君が未散と何か話している。相手に二人連続で決められて、こちらは一人外したのに、二人とも妙に落ち着いている。


「藤谷は、何か考えてる」


島君が言った。


考えてるのはいいけど、考えてるうちに負けないよね?


モト高三人目は黒須君。菊地君はもう私に理由を聞いて来なくなった。黙ったまま、こわばった顔でゴールを見つめている。

私が黒須君を三人目にしたのは、高い技術と落ち着いた性格、そして目配りの良さ。PK戦にもっとも向いている選手だと思う。

「茂谷君が外した後の黒須君か。よくないな」

ずっと腕と足を組んで黙っていた江波先生が、ふいに口を開く。

「よくないって、どういう意味ですか?」

「黒須君は、周りをよく見て考えるタイプだ」

ホイッスル。黒須君が一歩踏み出す。

「茂谷君の正確なキックでもダメだったと考えて、厳しく狙いすぎるかもしれない」

黒須君の蹴ったボールがゴール右側ギリギリに飛ぶ。逆をつかれた蟹江が慌てて右側に戻り横っ飛びする。


「決ま……あーっ!」


ガインッ!という空虚な音とともに、ポストに跳ね返されたボールがペナルティエリアに転々と戻ってくる。黒須君が両ひざに手を置いて、ガックリとうなだれる。


1-2。うちの数字だけが増えていかない。


島君は、PK戦とはそういうものだって言ってくれたけど、やっぱり責任を感じる。蹴る順番を決めたのは私だ。私のミスだ。力になりたいと思って買って出たけど、出しゃばるんじゃなかった。


ギュッと目を閉じ、私はいつのまにかうつむいていた。


「夏希ちゃん」

不意に、小さな冷たい手が私のほほを両側から包み込む。顔を上げると、紗良ちゃんが真剣な顔で私を見つめていた。

「紗良ちゃん……」

「夏希ちゃん、私に言ったでしょ?ちゃんと見なきゃって。まだ勝負は終わってないよ」

言って、彼女は優しく微笑んだ。

「うん、そうだね。ごめん」

私も笑って、もう一度ゴール前を見つめる。

もう絶対に、目は背けない。


桜律の三人目、佐美がボールの前に立っている。黒須君と似たタイプの守備的MF。試合中もパスミス、キックミスはほとんど見なかった選手だ。これを決められたら1-3。うちの四人目狩井君が決めても、その裏で決められたら自動的に敗北が決定する。

「うー、梶野君、そろそろ止めてよー」

両手を組んで祈る。だってそれしかできないから。


笛を聞いて佐美が踏み出す。梶野君は微動だにしない。佐美が右足でボールを蹴った瞬間、刹那の迷いも無く梶野君はゴール左側に横っ飛びした。ボールは吸い寄せられるようにゴール左スミに低く飛び、梶野君の両手はボールをしっかりとキャッチしていた。


「やったっ!」


1-2


まだいける。望みがつながった。梶野君、偉い!

「よっしゃああっ!」

「梶野先輩すげー!」

ベンチが熱を取り戻す。こちら側の観客も初めて盛り上がってきた。

「わかった」

紗良ちゃんがポツリと言った。

「何が?」

「梶野君、最初から全部、同じ方向に飛んでるの」

「二人目の時は違ったよ」

「そうじゃなくて、蹴る足の対角線の方向。右利きなら左に、左利きなら右に。全部その方向に飛んで、ちょっとずつ思い切りがよくなってる」

そう言われれば。

「それ考えたのって」

「そうだ」

島君は言った。


「理由はわからないが、そんな極端でおかしなことを考えるのは、藤谷だけだ」


モト高の四人目は、右SBの狩井君。うちで一番インサイドキックが正確な選手。いつもやかましい伊崎君とは対照的に、あまり存在感がなくて顔色も悪い。


それでも私は知っている。


銀次君と一緒に練習するようになって、走るフォームも変わってスピードが上がったこと。同じ右サイドの皆藤君が少し下がり目のポジションを取るようになってから、常に攻撃参加のチャンスを伺うようになるほど積極的になってきていること。

そして、笑うと結構かわいいこと。


狩井君がボールに向かって静かに走り出す。GK蟹江が左右に揺れている。


狩井君の右足インサイドで丁寧にコントロールされたボールは、直前に桜律の佐美が止められたコースをなぞるように、綺麗にゴール左スミに収まった。蟹江は逆サイドに行きかけ、そのままへたりこんでいた。戻った狩井君をみんなが祝福している。

「よおっし!」


2-2追いついた!ベンチがさらに盛り上がる。


「行ける!行けます!」

「狩井、さっきと同じコースあえて狙ったぞ!あいつ結構ふてぶてしいな」

心臓が忙しく動き続ける。のどがかわいたけど、何も飲む気にならない。ああ、早くこの時間から解放されたい。


桜律の四人目、村本がボールをセットする。後半、コーナーキックから同点ゴールを決めたセンターバックだ。PK戦に出てくるってことは、セットプレーにも自信があるのかな。


梶野君は動かない。さっきの紗良ちゃんが言ったことが本当なら、もう最初から飛ぶ方向を決めている。村本は本当にその通りに蹴ってくれるのかな。

「広瀬、いいジンクスがあるぞ」

「え?」

菊地君が前を向いたまま言った。

「試合中に得点を決めた選手は、PK戦でよく外すらしい」

「そんな」

そんな都合のいい話。


村本がゆっくりと歩を進める。慎重に梶野君を見ながら、蹴る直前だけスピードを上げて、右足を振り抜く。

ゴール左上に飛んだ強いボールが、同じ方向に飛んだ梶野君を越えていく。


「ああっ!」


しかしさらに上昇したボールはそのままクロスバーに当たり、衝撃音とともにゴールの裏側に転がっていった。

外した!


2-2


並んだ!並んだ!都合のいい話が本当にあった!

「菊地君!ジンクス通りだよ!」

「お、おう。まさか本当に外すとは思わなかったけどな」


そして私は、再びゴール前に注目する。

モト高五人目、キャプテン藤谷未散。五人目にした理由は言うまでもない。

キャプテンだから。ここ一番で決めてくれると信じてるから。


ベンチが静まり返る。未散がボールをセットして、数歩後ずさる。ホイッスルが鳴り響く。

蟹江が両手を大きく広げる。未散はそれをチラッと見て、ボールに向かって走り出す。

糸を引くような、という表現がぴったりなそのキックが、ゴール左側に向かう。左に飛んだ蟹江が伸ばした手と、ゴールポストの間。すり抜けたボールがポストの内側に当たり、そのままシュルルとゴールネットに収まっていく。


「やった!」


3-2


一度ポストの内側に当てるあたり、うまいけど根性が悪い。一瞬ドキッとさせられた。後で叱ろう。

でも初めて、初めて私たちが優位に立った。これで桜律が外せばモト高の勝ち。でも決められたら6人目以降はサドンデス。

「PK戦が先行有利って、こういう状況だとよくわかるね」

江波先生が言った。確かに現時点で、後攻の桜律の結果に関係なく私たちの負けはまだ決まらない。でも桜律は5人目が外せば負け。すごいプレッシャーだ。それに耐えられる高校生なんて。


「あ」


桜律の五人目、ボールを持って久里浜が立っていた。フィールド上の誰よりも、自信満々な顔をして。


延長戦で同点に追いついた後、俺は島と代えられると思ってた。多分この後PK戦になるだろうし、だったら経験者の島を出す方が勝利に近づける。合理的だ。

でも藤谷は俺に任せてくれた。そしてPK戦に臨む前に、おかしな必勝法を俺に授けた。


「相手の利き足の対角線に飛べ。誰でもプレッシャーのかかる状況に追い込まれたら、保険をかけたくなる。コースが読まれても、スピードと勢いでカバーできると思って、利き足で一番力が入る対角線に蹴ってくるやつがほとんどだと思う。全員とは保証できないけど、五人蹴ったら二人はそれで止められる」


それを聞いた俺はイマイチ信じきれなくて、最初の二本は思い切り悪く飛んでしまった。でも結果は藤谷の言う通りで、そのおかげか三人目と四人目は決められずに済んだ。

そして今目の前には、桜律の7番、久里浜が立っている。こいつには延長戦でフリーキックを決められた。妙に回転の少ないおかしな変化をしたボールだ。藤谷のフリーキックともまた違う、クセのあるキック。

とにかく俺は、こいつに借りがある。


自分が決めて戻ってきた藤谷は、俺に言った。

「五人目も今まで通りでいいけど、もし久里浜が出て来たらさっき行った必勝法は忘れてくれ」

「また別のがあるのか?」

「ああ。あいつは自分大好きなナルシストだ。そういうヤツは、弱気な保険なんてかけない。自分が最高にかっこよく見えるキックを決めると思う」

「具体的には?」

聞くと、藤谷は笑いながら答えた。その答えを聞いた俺も、つい笑ってしまった。

藤谷、お前は面白いヤツだな。やっぱりサッカー部に入ってよかったよ。


梶野君は動かない。ピクリとも動かない。久里浜がボールをセットして後ずさる。決められたらサドンデス。止めたら勝利。もう祈る手が痛い。


PK戦十回目のホイッスル。久里浜がボールに向かって走り出す。


初めて、梶野君が先に動いた。


左に体が傾いていく。久里浜の右足がボールをとらえ、力強く一閃する。

ゴールのど真ん中に突き進むボール。左サイドに傾き、そして飛ばなかった梶野君が左手を上に伸ばす。


バシンッと弾かれたボールが高々と宙に舞い、そのままバーの上を越えていった。


みんなが梶野君の元に駆け出す。ベンチはもうお祭り騒ぎだ。私は一人、力が抜けた状態で座っていた。


「勝った……?」


勝った。あの桜律に、勝ったんだ。

「夏希ちゃあん。勝ったよー」

紗良ちゃんの涙腺がすでに崩壊している。

「うん。勝った。みんな、すごい」

そして初めて、紗良ちゃんと抱き合った。何だか照れくさいけど、ちっちゃくてふわふわして気持ちいい。

「来たよ、みんな」

江波先生が笑顔で言った。赤いユニフォームの選手たちが、最高の笑顔でベンチに走ってくる。私は泣いちゃいけない。みんなを笑顔で迎えるんだ。お疲れさまって。


着替えを終えて競技場の出口へ向かう途中も、みんなのテンションは下がらない。菊地君は合流した子安先輩とだらしない顔でおしゃべり。その近くで芦尾が般若のような顔をしている。


PKを外した茂谷君と黒須君はちょっとおとなしいけど、元気になるまでそっとしておこう。男の子には、そっとしておいて欲しい時があるということも、マネージャーをやって学んだことの一つだ。

それでもつい構ってしまうのは私の悪いクセだけど。


「あ」


ポツン、と一人で入場門の側に立っている、桜律高校のブレザー。

久里浜だ。

「ごめん。ちょっと行ってくる」

「え、あ、おい」

未散に一言告げて、私は久里浜の元に走った。

「やっ」

足元の一点を見つめていた久里浜が、弾かれたように顔を上げる。

「広瀬ちゃん!」

一瞬顔がパッと輝き、そしてすぐに真面目な顔になった。

「できれば、あんなかっこ悪いところは未来のヨメに見せたくなかったな」

「ヨメじゃないから。それに、勝つために必死にやった結果なんだから、かっこ悪くはないでしょ」

「それはなぐさめ?それとも付き合うって意味?」

言われて私は笑った。

「ごめんね。君とは付き合わない。それをはっきり言いに来たの」

「PK外して負けた直後に!?広瀬ちゃんドSなの?」

「そうかも」

言って、私は続けた。

「こないだカフェで、久里浜君言ったでしょ。サッカー選手は年を取っていいことなんてないって。若くてもトップで即戦力としてやれるって」

「ああ」

「でも君は、ユースをやめた後、また高校に入り直した」

「それは」

「私ね、どんな小さなことでも、自分の言った通りにする人が好きなの。だからもし君がユースをやめた後、一人でヨーロッパに行ってがんばってたら、かっこいいなってファンになってたかもね」

黙って聞いていた久里浜は、小さく口を開いた。

「桜律に来たことは、後悔してない。それにもしヨーロッパに行ってたら、君には出会えなかった。無理のある仮定だ」

「うん」

久里浜が私に向き直る。

「藤谷に伝えてくれ。PK戦は記録上は引き分け扱いだから、負けたわけじゃないって」

「君も相当負けず嫌いだね」

私は笑った。

「それじゃあ、私戻るね。さよなら」

「広瀬ちゃん!」

立ち去りかけた私を、久里浜が呼び止める。

「ん?」

「もし藤谷がいなかったら、俺と付き合ってたか?」

とても悲しそうな、真剣な顔。私は改めて、彼にきちんと向き合った。

「もし藤谷未散と会ってなかったら、私は今サッカーの世界にいない。無理のある仮定」

「うん。そうだな。そりゃそうだ」

「でも、ありがとう。真面目に好きになってくれて」

「うん」

「君なら、きっと世界で通用するよ。一人だけキックの強さが違ったし」

「もういいよ、行けよ」

急にそっけなくなって、久里浜は横を向いた。余計なことを言ったかな。

「それじゃ」

「ああ」

私は振り向いて、みんなの元に駆け出す。

チクリと胸が痛んだ。


モト高の一団に合流した時、ちょうど桜律の壁口監督が未散と何か話していた。隣には意識が戻って来た毛利先生もいる。私はさりげなく、話が聞こえる位置まで近づいていく。

「結果的に、君らを一度も崩せなかったな。まだまだ各ラインの連動は未完成でね。決して君ら相手に手を抜いたわけじゃないんだ」

壁口監督がメガネの位置を直しながら話している。

「いえ、そんな」

未散が緊張気味に答えている。イヤな指導者には強気だけど、相手が礼儀正しいと緊張するみたい。

「一つ教えてくれ、藤谷君」

「はい」

「延長後半のトリックプレー。あれはいつ思いついた?」

「ええと、久里浜……君がフリーキック決めた時です。この後、もしうちがいい位置でファウル取れて、金原を前線に張らせなかったら、多分俺が直接狙うと思うだろうなって。そこから金原にジャンプの助走時間を作るために、ちょっとややこしいことはさんだというか、そんな感じです」

「そうか……君はそこまで」

壁口監督がうなずく。敗軍の将なのに、その顔はどこか嬉しそうで。

「うちの選手には、中盤の守備はスマートに、しかしゴール前は激しくとずっと教えてきた。そのゴール前のファウル二つで負けたようなものだ」

「たまたまですよ。保積君と村本君のセンターバックには、今でも勝てる気がしませんし」

「だがそれでも君は勝った。うちに君のような選手がいたらと、心から思うよ」

監督が手を差し出す。未散は赤面しながらその手を握る。

そして、

「良いチームを作りましたね。お若いのに大したものだ」

言って、隣の毛利先生とも握手をかわす。部員たちがにわかにざわつきだす。

「いえ、あの、僕は何も」

しどろもどろになる毛利先生に、壁口監督はニヤリと笑って指をさした。

「テレビでも言ってたでしょう?何もしてないって。でも私はそんな言葉を信じるほどお人よしじゃありませんよ。近いうちに再戦をお願いします」

「はあ、いや、本当に僕は」

「では、失礼します。藤谷君、期待してるよ」

「は、はい。ありがとうございます」

言いたいことを言って、とても満足げな顔で壁口監督は去っていった。


「あの人、毛利先生のことマジで名監督だと思ってるぞ」

「きっと戦術のことしか頭にない変態なんだよ」

「ある意味バカだな」


みんなでひそひそとささやき合っている。失礼だけど、大体合ってる気もする。

「よーし、みんな」

疲れ切った顔の未散が、現時点での精一杯の声を出した。

「帰るぞー」

「おー」

みんなの声もそれなりだ。私も声が時々かすれているし、すごく肩がこっている。早くお風呂に入りたい。


「君たち!」

聞き覚えのある、ムダに大きく通る声が帰りかける私たちを呼び止める。

まさか。

私たちの視線の先に、文芸部部長エリュアール北斗先輩が立っていた。目にいっぱい涙をためて。

「ほ、北斗先輩。ちゃんと最後まで見ててくれたんですね」

引きつった顔で未散が対応する。試合前のポエムを思い出し、部員たちが露骨に警戒した顔になる。

「私は今、猛烈に感動している!これこそドラマだ、これこそ青春だ!」

「あ、ありがとうございます。あの、俺たちかなり疲れてるんで、これで」

「そういうわけで、私から君たちに勝利のうたを捧げたいと思う」

後ろに控えている二人のお付きが、私たちに手を合わせて頭を下げている。止めようと努力はしてくれた、と信じたい。

「あの、祝ってくれるお気持ちは本当に嬉しいんですけど、俺らめちゃくちゃ疲れてるんで、後日にお願いできませんか?」

再度未散が説得する。北斗先輩は「そうか」と言って詩集を閉じた。

よかった、助かった。

「実は君たちの疲労を考慮して、ショートバージョンを用意していたのだが、そういうことなら後日フルバージョンを持ってそちらの練習に伺おうかと」

「今すぐ、ショートバージョンでお願いします!」

その後私たちは、残された最後の力を全て腹筋に集中して北斗先輩の勝利のポエムを乗り切ったのだった。


夜八時。お風呂から上がって部屋に戻ると、スマホに着信ランプが着いていた。

「さっきポキポキ鳴ってたよ」

机に向かったまま秋穂が言った。受験勉強も終盤に入ってきて、最近ちょっとピリピリしている。こういう時、同じ部屋はイヤだなあ。かといって露骨に部屋から退避したらすねそうだし。


ベッドに倒れ込んでスマホを確認する。

「あ」

未散からのLINEだ。


『今日はお疲れ。PK戦の人選と順番、やってくれてありがとう。あれでベストだった。直登と黒須はそのうち立ち直るから大丈夫だ』


……何だろう、胸のあたりがポカポカと温かい。こんなに素直な感謝のメールは初めてだ。

そして時間を空けずにもう一通。


『別にすごく気にしてるわけじゃないけど、久里浜と何話してたんだ?』


私は笑いをこらえながら、返信を打った。


『お疲れさま。今日はすごい試合だった。PK戦は、出しゃばったの後悔するくらい緊張した。もうPKはやめてよ』


一旦送信。そしてもう一通。


『久里浜には、真剣に口説かれたから、きちんと振ってきたよ。以上』


しばらくして、未散からの返信。


『そうか、わかった。明日はゆっくり休んでくれ。おやすみ』


何、急にそっけなくなって。気にしてたくせに。何か返してやろうかと考えているうちに、私はそのまま意識を失った。寝落ちともいう。


日曜全休明けの、翌月曜日。

私と未散は、朝からたくさんのクラスメイトに囲まれていた。


桜律が強い、というのは普段高校サッカーの記事を見ない生徒でも知っていることらしく、改めて私たちがすごい相手に勝ったのだと実感する。


「いやー、しかし藤谷君がねえ」

前の席の園田さんが、いすに横座りで私の隣の席を見た。

未散が気付いて、

「何がさ」

と聞き返す。

「私さ、藤谷君みたいな人は、何もせず、何も成し遂げないまま卒業していくんだろうなーと思ってたんだよね。それが桜律倒しちゃうとはねえ」

未散はずいと手を伸ばして、園田さんの手首をつかんだ。

「よっしゃソノティ、廊下に出ろ。ケツ蹴っ飛ばして口の利き方矯正してやる」

「ちょっと離して!素直に感心してるんだってば!それに、お前はやる男だと思ってたって手のひら返されるよりいいでしょ」

「そりゃまあな」

手を放し、未散は座りなおした。

うちのキャプテンは、朝からあまり機嫌がよろしくなかった。今までサッカー部に見向きもしなかった人たちが、笑顔で近づいてくる。確かに白ける気持ちはわかるけど、オリンピックでも毎回そういう光景はテレビで見るし、スポーツの世界はそういうものだと思う。その辺は割り切ってると思ってたんだけど、難しいヤツ。


準決勝の相手は、川添西かわぞえにし高校に決まった。


男子校の川添工業と、女子が大半を占めていた川添商業が数年前に合併して普通科の高校が誕生した。サッカー部は川添工時代に何度か全国に出たことがあり、いわゆる古豪と呼ばれる存在だ。今年はうちと同じくダークホースだったみたいで、あまり情報は無い。その辺は紗良ちゃんがうまくやってくれると思うけど。


今日の午後練は、珍しく盛田先生がやる気まんまんで現れた。ベンチ入りが江波先生だけになってすねちゃったのかと思ってたけど、盛田先生は盛田先生で色々忙しかったらしい。


盛田先生はみんなを集め、高らかに宣言した。

「えー、今日から試合前日の金曜日まで、みんなには疲れを抜く練習だけをやってもらいます」

部員たちがどよめく。

「先生、普段の練習でも、大会中は軽めにしてますけど」

未散が言うと、盛田先生はビシッと指をさして答えた。

「それよりもっと軽く!はっきり言えばコンディションが戻ったと私が認めるまで、ボールは触らせません」

「えーっ!」

さらにどよめきが大きくなる。

「安心して。前日にはちゃんと全体練習していいから。私が言いたいのは、今までずっと出ずっぱりの人たちに、休養が必要だってこと」

言って、手元のタブレットに目を落とす。

「茂谷君、金原君、狩井君、銀次君、皆藤君、黒須君、藤谷君。君たち7人は、今日から三日間、ボールに触るのも全力で走るのも禁止です。私の作った特別メニューをこなしてもらいます」

「先生、マジですか!?」

「私はいつだって本気の女よ!」

盛田先生の目に冗談の気配は無い。

「あと藤谷君、君はどうせ家にあるボールで練習しちゃうと思うから、しばらく没収ね」

「なっ……それは横暴です!子供にも人権があるんですよ!」

「広瀬さん、今日の帰り、藤谷君の家に寄ってボール回収してきて」

「了解しました」

盛田先生の指示に素直な返事を返す。私を見る未散の目つきは、それはそれは恨めし気なものだった。


午後の練習を終えると、もう六時になっていた。空は真っ暗で、寒い。風も出てきた。

更衣室を出て校門に向かう。

今日はボールを没収するために、未散と帰らなきゃ。

めんどくさいけど、しょうがないなー。


「あ、おーい、夏希ー」

先に着替えて待っていた未散が、大声で手を振っている。やめてよ、恥ずかしい。

「何ー!?」

やめさせようと、早めに大きな返事をして走る。

「お客さんだー!お前に会いたいってさー」

お客さん?私に?誰だろう。

駆け寄ると、未散の陰に女の子が立っている。見慣れないセーラー服。


「今度当たる川添西高のマネージャー、野呂さんだ。練習終わるのずっと待ってたんだと。一応尋問したけど、スパイ目的ではないらしい」

私はその女の子の顔を見て、野呂、という名前と組み合わせた。


血の気が引く。

心臓が早鐘を打つ。

その女の子は、野呂という女の子は。


「あ、あの、広瀬、さん?お、お久しぶりです」

消え入りそうな小さな声で、彼女はあいさつする。男の子みたいなショートカットで、小柄でどこかおどおどした顔つき。髪は短くなった。でも、変わってない。

「夏希、どうした?」

「何でもない。帰ろう。私、あなたに用事無いから」

彼女の横を素通りして、私は速足で歩きだした。後ろで未散が何かしゃべった後、走って追いかけてくる。

「夏希!待て!止まれって!何だよ、あれ。失礼だろ」

私はピタリと止まり、未散を振り返った。

「あの子」

「へ?あ、ああ、昔の知り合いなんだろ?」

「あの子なの」

左足首が泡立つような感覚になるのは、何年ぶりだろう。胸に黒いモヤがかかる。いやだ、こんなのは。


「六年前、試合中に私を後ろから削った選手があの子なの」


つづく

多分しなくてもいい名前の由来解説


川添西高校……リバプール

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