第55話「今さらびびんなよ」
ポエムテロ&準々決勝スタート。
「自分だけ逃げられると思うなよ」
俺は夏希の腕をガッシリとつかんだ。
文芸部部長エリュアール北斗先輩の出現に、夏希はちょっとずつ後ろに下がろうとしていた。きっとまた島の後ろに隠れる気だ。ワンパターンなヤツめ。
「放してよ、バカ!」
夏希は小声で、しかしハッキリと抗議し、俺がつかんでいる腕を振りほどこうとする。
「君たち、どうかしたかい?」
北斗先輩の後ろに控えるもう一人の文芸部員が、いぶかしげに言った。北斗先輩も一度詩集を閉じてこちらを伺っている。まずい。こんな小競り合いで変な雰囲気にしてはいけない。一応とはいえ俺たちを激励しにわざわざここまで来てくれたのだし、文化祭で同人誌を読んでケラケラ笑っていた負い目もある。
「あ、いえ。大丈夫です。お願いします……ぐっ」
俺が言うと、後ろで逃げ遅れた夏希が、俺の背中にパンチを見舞う。ソフトなネコパンチで助かった。試合前だから気をつかってくれたんだろうか。
北斗先輩は一つ咳払いをして、改めて『ため息ハリケーン』をめくりなおす。
「では、聞いてくれ。『チェリー・ウォー』」
タイトル繰り返さないでくれ!たまらん!
こちらの気持ちに一切関わりなく、北斗先輩のムダに良い声が言葉をつむぎ始めた。
「エマージェンシー エマージェンシー 深夜に恋の空襲警報」
「あ、部長。ページが違います。それは『恋するスーパーホーネット』の方です」
「あ、そうか。すまん。今のナシナシ」
あんたたちわざとだろ!絶対笑わそうとしてるだろ!というか『恋するスーパーホーネット』もすっげー気になる!
部員たちが一斉に下を向いてプルプル震えだす。こういう方面に鼻が利く芦尾が一番つらそうだ。こばっちと銀次だけは、なぜか真面目な顔で聞いている。
「では改めて。『チェリー・ウォー』」
タイトル三回目だ!もう聞いたと言うのに。
「エマージェンシー エマージェンシー 僕らの周りを 白き巨人が取り囲む」
出だし一緒かよ!そりゃ間違うわ!
北斗先輩は続ける。
『崩れ落ちる足元は 僕らに何も与えてはくれない
果てしなく広がる草原は 終わりを教えてはくれない
歩みを止めない巨人たちは 容赦なく僕らを踏みつぶす
僕らはひざをつくだろう 僕らは悲嘆にくれるだろう
そしていつか気付くのだ
空の果てが見えないからこそ 僕らは高く飛べるのだと
赤き勇敢な牡牛たち 汝らに 翼をさずける』
まさかのレッドブル!あの先輩CMパクッた!
後ろで部員たちも「どっかで聞いた」とヒソヒソ言いあっている。途中まで意外といいかもと思ってしまった自分を殴りたい。
「以上だ。諸君の健闘を祈る」
北斗先輩はパタムと詩集を閉じて、つつと夏希に歩み寄った。
「マネージャーの広瀬夏希さんだね?」
「は、はいっ」
夏希がなぜか緊張気味に返事をする。ちょっと新鮮な反応だ。
「君のような美しい人に泣き顔は似合わない。月曜日には笑顔で登校してほしい」
「……はあ。努力します。ひっ!」
北斗先輩はおもむろに夏希の右手を取ると、チュッと手の甲にキスをした。
「では試合後に会おう!客席で見ているぞ」
つけてもいないマントをひるがえす仕草で、北斗先輩は立ち去っていった。お付きのもう一人が両手を胸の前で合わせてペコペコ頭を下げていった。常識のある人も文芸部にいたことを知ってちょっと安心する。
「うわあ、何あれ。生まれて初めて手の甲にキスされたあ」
夏希が困惑顔で、手の甲をジャージでゴシゴシとこすっている。本来なら片思いしている俺は怒るべきなのだろうが、いきなりすぎたのと、あまりにクセが強いのとで嫉妬する気にもならない。とんでもない先輩だ。
俺たちはそれぞれがグッタリしながら、ゾロゾロと控室に向かう。
「おい藤谷さんよ。何なんだよ、あの人。腹筋ちぎれるかと思ったぜ」
芦尾がお腹をさすりながら抗議してきた。
「俺も面識は無いぞ。文化祭で面白ポエム目当てで文芸部の同人誌買っただけだ」
「それで部員に顔覚えられたんじゃねえのか?」
冬馬がジロリと俺をにらんで言った。
う、確かにその可能性はある。
こいつの笑顔はあまり見たことがないが、今ので笑っていたのだろうか。
「笑いをこらえるのが、こんなにつらいとは思いませんでした。試合前から疲れましたよ」
「そうっすよ、反則ですよあの詩人。絶対狙ってますって」
黒須と照井も珍しくブーブー言っている。俺を責められても困るんだけど。
「こばっちと銀次は全然笑ってなかったな?」
聞くと、彼女は拳をグッと握りしめて言った。
「藤谷君。私、詩の朗読を聞くのって初めてだったけど、何かこう、熱いものを感じたよ」
「そ、そうか。それは良かったな」
やはりこばっちは変わってるな。
「俺も今の詩で気合入ったぜ!」
パン、と拳を手のひらに当てる銀次も相当変なヤツだと思う。
試合前のアップも終わり、そろそろ整列の時間だ。北斗先輩のポエムテロのせいで、強豪と戦う緊張感もクソも無くなってしまったが、結果的には良かったのかもしれない。
着替え中、ポエムをネタにしてしゃべっているうちは、少なくとも桜律の強さを考えて不安になることはなかったのだから。
「藤谷君」
江波先生が、桜律のユニフォームに負けないくらい真っ白な白衣をひるがえらせてベンチに座る。
「はい」
「その後、ヒザは何ともない?こないだフリーキック決めてたけど」
普段は眼光鋭い美女だか、こういう話題の時の先生はどことなく雰囲気が優しい。
「ヒザはもとから何ともないですから。フリーキックはたまたまですね。一番いい時の落ち方はまだ戻りません」
「そうか」
江波先生がうなずく。
「けど、だからと言って焦って猛練習なんてしないように。君はただでさえ、今までの三試合でフル出場なんだから」
そういえばそうだな。俺だけじゃなく、黒須や直登もずっと出ずっぱりだ。
「やっぱ休んだ方がいいんですかね?」
「うーん」
先生は腕組みをしてうなった。
「これがリーグ戦で、Bチームを作れるくらい部員がいればそれもアリだけどねえ。一発勝負のトーナメントじゃ難しいね。休んで疲れが取れたって、負けたら次が無いんだから」
全くその通りだ。
「でも、体は全然へばってないですし、意外と大会中は勢いでもつ気がしますよ」
「ならいいけど。油断はしないように」
「はい」
何となく照れくさくて、慌ててグラウンドの方を見て美しい緑の芝生に足を踏み入れる。
ふと見ると、菊地が両手を腰に当ててぼんやりと遠くを眺めていた。何を見てるんだろう。
「どした、菊地」
「おお、藤谷。いや、別にな」
「珍しいな、お前がぼーっとするなんて」
「別にぼーっとしてたわけじゃねえよ。桜律の方を見てた」
「そうか」
しばらく並んで立っていると、菊地がポツリと口を開いた。
「インハイ予選の決勝でよ、俺客席で言ったよな?本当にグラウンドで戦う側に行けるのかって」
「言ってたな」
「ここは県営サッカー場じゃないし、相手も春瀬じゃないけどよ。あのキラキラした白いユニフォ-ムと」
言って、菊地は自分のユニフォームのすそを引っ張った。
「こんな真っ赤なユニフォームで戦うことになるなんて、あの時は思わなかったな」
「確かに」
俺はうなずいた。
「でもそういうセリフは、決勝で春瀬とやる前に言ってほしかった」
「そりゃそうだ」
菊地と二人で笑い合う。こんなこと、初めてじゃないかな。
今日のスタメンも、三回戦の国際大付戦と同じ。GKは梶野。DFは左から銀次、直登、金原、狩井。中盤は底に黒須、下がり目の右に皆藤、左の上がり目に菊地、右の上がり目が俺。そして冬馬と伊崎のツートップ。芦尾はもうスタメンで出る気は毛頭無いようで、このまま辞めるとか言い出さないか、密かに心配している。
そろそろコイントスの時間だ。俺はセンターサークルに向かう前に、チラッと夏希の顔を盗み見ることにした。用事は特に無い。試合前に片思いの相手を見てエネルギーを補充しようというスケベな理由である。
「あ」
思いっきり目が合ってしまった。どうしよう。気まずい。ドキドキしてきた。
しかし夏希は気にした様子もなく、むしろ上機嫌な顔で右拳を二度こちらに突き出した。ゴーゴーってこと?
俺はごまかすように親指を立て、慌ててセンターサークルへと走り出した。
あんな可愛い仕草、反則だ。
「何でお前なんだよ」
桜律サイド。
センターサークルにキャプテンマークを巻いてきたのは、不破野さんではなかった。
「次の世代を背負うのはお前だと言われてな。不破野先輩から直接渡された」
自信満々な顔でそう言い放ったのは、背番号7、久里浜尚之。
夏希の前で、俺が有璃栖とイルミネーションを内緒で見に行ったことをバラし、その後夏希とカフェでお茶した男。
今現在、俺がこの地球で最も嫌いな男である。
「なるほど。前キャプテンの不破野さんが決めた人間なら、人望の無い嫌われ者でもみんな文句言えないだろうな。可哀想に」
両手を広げ、大げさに首を振る。久里浜は眉間にしわを寄せた。
「ほんっ……とにムカつく野郎だな。お前なんかに広瀬ちゃんはもったいない」
広瀬ちゃん、だと?馴れ馴れしいヤツめ。
「夏希はお前のこと、生理的に無理って言ってたぞ」
言い返すと、久里浜は顔色を変えた。
「な、夏希だと?お前いつの間に名前で」
「あー、君たち。私語は控えめに。はい、握手して」
主審のおじさんが魚の死んだような目で言った。
「イヤですよ、こんなヤツと」
俺が言うと、
「俺だってごめんだ」
と久里浜も応酬する。
「……君たち、いつまでも馬鹿なこと言ってると、カード出すよ」
俺と久里浜は同時に右手を差し出した。
「良いゲームにしような、覗き魔」
「同感だ、チクリ魔」
ガッチり握手して、ギリギリと握り合う。
離した後、俺は手をぶんぶん振りながらみんなが溜まっているところへ戻った。
あの野郎、思いっきり握りやがった。
「向こう、キャプテン変わったのか?」
銀次が両足を広げて芝に座り込み、ストレッチをしながら聞いてきた。
「みたいだな」
「あの7番、そんな器にゃ見えねえけどな」
よくわかってるじゃないか!
「メンバーも、だいぶ変わってますね」
黒須が桜律サイドをじいっと見つめながら言った。
「そうだな。インハイ予選からかなり変わってる」
DVDで見た試合はかなり遠目だったので、戦術的には分かりやすかったものの、その分選手の顔は分かりにくかった。だから半分くらい、いや半分以上が初めて見る顔だ。インハイ予選でスタメンだった神威君は、ベンチスタート。
春瀬に惨敗した後就任した壁口監督は、サッカーの監督と言うよりはメガネをかけた大学教授のような風貌で、結構な年であろうに冷酷な雰囲気さえ漂っているクールなおじさんだった。。その新監督がチームをガラリと変えて堅牢な守備を構築した。神威君はその構想からもれたのだろう。何となく寂しそうに座ってるように見えるのは、友達のひいき目だろうか。
「集合!」
声をかけ、みんなで円陣を組む。
「いいか、昨日の最終ミーティング通り、前半はとにかく失点しないことを最優先。無理して点を取りに行かないこと。DVDを見る限り、先制されたら取り返すのは至難の業だ」
「チャンスがあれば、狙ってもいいですか?」
伊崎が勢い込んで言った。
「あればな、あれば」
俺は正面の梶野を見据える。
「梶野。多分、今日は今までで一番忙しくなると思うけど、がんばってくれ」
「おう、任せろ。そのためにここにいる」
普段はうっすら笑っているような、何を考えているか分からないところのある梶野だが、勝負になると急に頼もしくなる。やる気も十分だ。
みんなが自分のポジションに散らばり、俺と冬馬がセンターサークルに入ってボールをセットする。
目の前に居並ぶのは、日差しに反射してキラキラする、光沢感あふれる白いユニフォームの集団。半年前まで、準々決勝で当たるなんて思ってもみなかった強豪校。
あ、やばい。今さら緊張してきた。余計な事考えなきゃよかった。
「藤谷」
冬馬が言った。
「ん?」
「今さらびびんなよ」
言うと、唇の端を上げてニヤリと笑った。何でバレたんだ。
キックオフのホイッスルが鳴り、準々決勝が始まった。
俺は冬馬からのボールを一旦黒須まで下げ、ちょっとずつ押し上げて相手の出方をうかがおうとする。
しかしなぜだろう。桜律が思ったより前線からガツガツプレスをかけて来ない。割とオーソドックスに中盤でチェックされるだけ。
俺には背番号6の牧村という小柄で色黒な選手がガッチリマークについてきた。こいつがまた、すばしこくて距離が近い。国際大付の松内も手ごわかったけど、こういうタイプもうるさくて苦手だ。というか、俺をマークするやつは全員苦手だ。
ボールが両チームを行ったり来たりするうちに、立ち上がりから十分が過ぎた。
前線の冬馬に菊地からボールが通る。振り返ろうとするも、4番の村本、5番の保積が前を向かせてくれない。
冬馬は一旦俺にボールを返し、DFラインに走っていく。
俺はボールを受け取ろうとしたが、牧村がしっかりついていることに気付き、ダイレクトで皆藤に渡そうとする。
「イヤッ……あっ」
ほんの少し、皆藤との呼吸がズレた。皆藤の脇をボールが通り過ぎる。
その時だった。
皆藤の近くにいた桜律の選手たちが、一斉にボール目がけて走り出す。左サイドバックの3番がボールを奪い、もう一人のセンターハーフ、14番にボールが渡る。14番は左サイドに速くて強いロングパスを送る。
待っていたのは、7番久里浜。
簡単にトラップして狩井をかわすと、センターに張っていた10番不破野にボールを預けて自分はゴール前に走る。不破野がダイレクトでゴール前やや左にリターンを送る。金原が久里浜と並走してコースをしぼる。ボールに追いついた久里浜が左足を振りかぶる。
しかしボールに触れる直前足を止め、左足で素早く切り返してそのまま右足でシュートを放った。
助走無し、その場で立ったまま打ったとは思えない、振りが速くて強いシュート。
直登がジャンプした頭を越えて、ゴール右ヘとシュートが放物線を描く。
「ふおおおっ!」
ボールがゴールポストの内側を捉えようとした直前、梶野の左手がボールに触れた。
「よしっ!」
シュートは梶野の左手に叩き落とされ、こぼれ球を銀次が大きく蹴りだして桜律のスローインになった。
……あっぶねー!今のは完全にやられたと思った。何ちゅう速くて厳しいショートカウンターだ。
俺は慌てて梶野の元にかけつける。
「ナイスだ、梶野。俺のミスですまん」
俺が差し出した手をつかんで、梶野が立ち上がる。
「気にすんな。それもサッカーのうちだろ?それよりあの7番、かなりエグいとこ狙ってくるぞ。茂谷がコース限定してくれなかったらやばかった」
「キャプテンすいません。あっさり抜かれました」
狩井がただでさえ青白い顔をさらに落ち込ませている。あれだけ簡単に抜かれたらさぞショックだろう。
「まだ始まったばかりだろ。何度でもやり返せ」
「は、はい」
とは言ったものの、これじゃ皆藤にも守備に専念してもらって、狩井と二人で久里浜をおさえるしかない。右サイド、あの牧村を背負って俺が一人でがんばるのか。
どうしよう。
考えもまとまらないうちに、桜律のスローインで試合が再開する。
俺は桜律ベンチを見た。壁口監督は気難しい顔で腕組みをして微動だにしていない。何考えてるんだろう。うちの毛利監督なら、何も考えてない、で正解なんだけど。
それからしばらく、俺たちは何度もピンチに見舞われた。反応のいい罠のように、パスミスが確実にショートカウンターを発動させる。パスミスをしなくても、少しでもボールを持ちすぎて迷っていると、一気に囲い込まれてボールを奪われる。そしてショートカウンター。
すでに決定的と言えるシュートを五本は打たれており、前半三十分を過ぎてまだ無失点なのは奇跡的と言えた。
前半三十五分。
桜律でただ一人、ボールを持つタイプの選手が右サイドにいる。8番の肥後だ。菊地と同じくドリブラーで、同型で直接当たるサイド。そのせいか、菊地は試合開始から何度も肥後につっかかっている。
そしてそのトライが今、実った。
肥後がボールを持って中央を見る。不破野、そして新顔の9番がゴール前に走る。肥後はパスを出すと見せかけて右サイドへのドリブルを開始する。
「おっしゃあっ!」
読んでいた銀次が並走して、肥後の行き先をせまくしていく。肥後は一旦切り返してセンターの14番にパスを出す。
「だああっ!」
必死に足を延ばした菊地がそのパスをカットして、こぼれ球を黒須が拾う。俺は右サイドから中央に走り、黒須から縦パスを受ける。牧村をおさえつつ、前線に走りこむ伊崎に左足でスルーパスを出した。
「あふっ」
直後につっこんできた牧村と一緒に芝に転びながら、俺はパスの行方を見守る。
「いよっしゃああっ!」
伊崎が叫びながらボールを追う。タイミングはいい。コースも悪くない。行けるか!?
「ふんぬっ!」
ものすごいスピード、しかしあまりにもアバウトな守備で5番の保積が伊崎をなぎ倒した。ほとんど体当たりだ。
あれ、今のボールに行ったか?
直後、主審がホイッスルを鳴らしながらゴール前に走ってきた。そしてペナルティエリア内のある一点を指さす。
「……え、PK?」
前半三十六分。俺たちはPKによる先制点のチャンスをもらったのだ。
つづく
たぶんしなくていい名前の由来解説
壁口監督……カペッロ監督
牧村……マケレレ
村本……セルヒオ・ラモス
保積……ペペ
肥後……フィーゴ




