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第54話「傷つけてごめん」

二度目のケンカ。また一歩、二人の距離が縮まる。

なぜ私は今、この男と差し向かいでカフェラテを飲んでいるのだろう。


場所は駅前のカフェ。時間は夕方六時半。十一月の空はすでに真っ暗だ。


全国にチェーン展開しているこのカフェはコンセントが設置されている席が多く、ノートパソコンを置いて長時間滞在する客がたくさんいる。もちろん、私のように学校帰りに寄り道している高校生もいる。ほとんどはカップルだけど。私とこの男も、カップルに見られてるのかな。よりによって窓際座っちゃったし。


「あのさ」

私の正面の席に座る男、久里浜尚之くりはまなおゆきが言った。

「ん?」

私はストローをくわえたまま返事をする。

「なぜそんな険しい顔でカフェラテを飲んでいるのかな」

「普通だけど」

今度はストローを放して答える。

「できたら、もうちょっとさわやかな笑顔でいてほしいね」

「やだ」

私はもう一度ストローをくわえなおした。久里浜はため息をついて、両腕をテーブルに乗せ、身を乗り出してきた。反射的に私は体を後ろにそらす。

「ま、いいけどね。こうやって、君の綺麗な顔をずっと独り占めできてるわけだし」

久里浜が嬉しそうに笑う。そんな恥ずかしいこと、よく平気で言えるな、この人。

「君、気持ち悪いとか距離が近いとか言われない?」

「言われないし、言われても気にしない」

言って、久里浜は両手を広げて周りを見回した。

「それより周りを見てみなよ。幸せそうなカップルばかり。俺たちだけこんな険悪な雰囲気じゃ浮いてしまうよ」

「何言われても気にしないんじゃないの?」

「う」

久里浜は少しの間考えたような顔になった。

眉毛が太くて、目も大きい。顔立ち自体は整っている方だけど、とにかくクドい印象が勝ってしまっている。インドかパキスタンの人みたい。

あいつとは正反対のルックス。

「広瀬ちゃん、過程はどうあれ、君は俺の誘いをOKしてここにいるわけだ」

「うん」


ここに来る前、「ヨメ」はいい加減やめてくれと抗議したら「広瀬ちゃん」になったわけだけど、それでもまだ馴れ馴れしい。


「だったら、少しは楽しい時間にするために協力してくれてもいいと思うんだ。俺は一目惚れした女の子を誘うという、男子としてまっとうなことをしただけで、何も悪いことはしていないんだから」

なるほど。筋は通ってる。

「じゃあ」

私はテーブルに片ひじをついた。

「君の話、してよ」

久里浜の顔がパッと輝く。分かりやすいヤツ。こういうところは似てるかも。

「初めて俺に興味を持ってくれたね!どこから話そうか」

「私が気になるのは、何でわざわざユースから桜律に入り直したのか」

一瞬、久里浜の顔から笑みが消えた。こんな顔もするんだ。

「まあまあ、そこは追い追いね。まず、俺は元々千葉県で生まれた」

「生い立ちから話す気?もっとはしょってよ」

私の抗議に、久里浜はしぶしぶ話を中断した。

「ざっくり言うと、小学生の時親父の転勤で沖縄に引っ越して、そこで地元のクラブチームから沖縄ジュニアユースに入った」

「で、そのままユースに上がったと」

「そう。一年だけ」

私はぴしっと久里浜を指さした。

「それがわからない。何か事情があったとしても、高校のサッカー部に入り直すと半年も出場停止期間があるんだよ。よく我慢できたね」

「いろいろあってさ」

「何、いろいろって」

久里浜は困ったように笑った。

「食い下がるねえ、広瀬ちゃんも」

「適当にごまかされるの、嫌いだから」


しばらく思案顔になった後、久里浜は続けた。

「じゃあ聞くけど、広瀬ちゃんはユースって何のためにあると思う?」

急に質問を返され、私は言葉に詰まった。何だろう。

「えっと……地元の優秀な子供たちの囲い込み、青田買い、効率的な育成、とか?」

「意外とドライな発想だね。それで大体合ってるけど」

「君は違うの?」

「俺は、ユースは即戦力の補給源であるべきだと思っている」

即戦力の補給源?

「どういうこと?」

「トップで必要なポジションに人材が足りない時、すぐに補充できるように備えておくところ。トップチームで通用する選手を常に数人用意しておくこと。それがユースの役割だと思う」

ユースからすぐにトップチームに?しかも常に数人。

「ちょっと望みすぎじゃない?体は高校生だよ」

「いや、むしろそれくらいから出てこなきゃいけない。本来は」

急に真剣な顔になり、久里浜は続けた。


「オランダやブラジルなんて、才能がある選手は十五歳からトップの試合に出てる。十八歳になったらすでにヨーロッパのビッグクラブか、未来の移籍金目当ての中堅クラブからオファーを受けてさっさと移籍するんだ。日本の選手は出てくる年齢が遅すぎる」

「それって、元々がサッカー人口の多い国だからできることじゃない?体だって人種で違うだろうし」

「もちろんそれもあるだろうね。でも、俺が言いたいのはそういうことじゃないんだ。広瀬ちゃんも覚えがない?二十代前半で世に出てきて大活躍して、二十五、六から急に消えた日本人選手」


ふいに兄さんの顔が浮かぶ。


「きちんと調べたわけじゃないけど、日本人選手はピークが短い。サッカーに限って言えば、年を取っていいことなんて一つもないね。二十代半ばで大ケガして一年休んだりしたら、戻ってきたところで使い物にならない。はっきり言えば、十六歳から二十五歳の十年間が選手としての勝負だ。だから早く出てくるに越したことはない」


黙ったままの私を気にせず、久里浜は続ける。


「俺がいたユースでは、指導者も選手も、誰一人すぐにトップでプレーすることを現実として考えていなかった。それどころか、十八歳になった選手に対してまだ素質がどうだの、どこかで武者修行だの、のんきなことばかり言っていたんだ。補充どころの話じゃない。当の選手たちも、ユースに上がっただけで満足してるような、燃え尽きたようなヤツが多かったよ」

「それに失望して、ユースやめたってこと?」

「そう急かさないでくれよ。まず俺の一つの理想として、トップから下部組織まで一つの戦術、もしくは哲学を共有するべきっていうのがあるんだ。トップで監督が変わって表面的には別のチームになったように見えても、中心をつらぬくサッカー観は変わらない。だからこそ、年が若くても才能のある選手はすぐに上のチームに入ることができる。そうすれば、肉体が若い貴重な時期をムダにしなくてすむ」

「でもトップチームは移籍がつきものだし、必ずしも同じ哲学を共有できるとは限らないんじゃない?」

「後から浸透させればいい。馴染めない選手は去るだけだ。監督も同じ。優先順位は、チームそのものの哲学であるべきだ」


久里浜にまっすぐに見つめられ、私は何も言えなかった。未散も色々と理屈や理想論を言う方だけど、ここまで明確な意見はあっただろうか。どちらかと言えば目先の勝負に勝つ方法論が多い。でもこの男は、何か違うところを見ていると感じた。


「当てちゃおうか?」

私はもう一口カフェラテを飲み、言った。

「それをユースの監督に言って、ケンカした」

「正解だ」

久里浜が笑う。自説を長々と披露できて気分が良さそうだ。

「一度、俺がいたユースと春瀬が練習試合をしてね。倉石が二年でいたかな。最初は俺も、高校のサッカー部なんてユースに入れなかったヤツらの受け皿だと思ってた。バカにしてたよ」

「でも負けたの?」

「ああ」

その時のことを思い出したのか、眉間にしわを寄せて窓の外を見る。

「監督は怒り狂ってたけど、それは自分のメンツのためだ。選手たちはヘラヘラ笑って本気じゃなかったって言い訳ばっかり。その時、俺は悟った。こんなところにいたら腐るだけだ。ユースに上がっただけで満足してる連中と、トップチームで通用するための練習に無関心な指導者。それに比べたら、教育っていう薄っぺらい建前の裏でチームカラーをしっかり作って生きるか死ぬかの一発勝負をしてる高校サッカーの方が上だって」


極端、と言ってしまってはいけない気がした。これは焦りだ。才能があるゆえの、焦り。

冬馬がいつもイライラしてるように見えるのも、同じ理由なのかな。


「ユース間の移籍ってできなかったの?他のユースチームはまた違ったかもしれないじゃない」

「ルール上できなくはない。ただ、前のチームも、移籍した俺自身にも、悪い評判がつくことになるって止められたよ。俺はいいチームがあれば評判なんて構わなかったけど、親が嫌がってね。所詮俺もただのガキだし、スポンサーの意向には逆らえないよ」


言って、大げさに肩をすくめる。ああ、暑苦しい。


「ふーん。でもさ、その話の流れなら、普通春瀬に入るはずだけど」

「あそこは学力が高すぎる。無理だ!だからライバル校である桜律にした」

かなり遠回りしたけど、やっと答えがもらえた。つまりユースより高校サッカーの方が、高いレベルへの近道という結論に達したのだ。今の話を聞いたら、未散は何て言うだろう。


私はカフェラテを飲み終えて言った。

「ユースに入ってプロへの近道を通ったつもりが、結果遠回りになったんだ。意外と要領悪いね」

「キツいなあ」

久里浜が笑う。

「そういえば、そっちの9番つけてるチビ、あいつも同じセレクションで見たよ」

「え」


冬馬が。合宿の時、練習試合をした黒板科技高の人に、春瀬と東京のユースを両方受けてたって話は聞いたけど。


「あいつ、春瀬だけじゃなくて桜律も受けてたんだ」

「春瀬も受けてたの?ま、落ちるだろうね」

久里浜が唇の端を上げて笑った。


何だろう。冬馬には腹が立つことも多いけど、人にバカにされるとカチンとくる。


「何でそう言えるの。小さいから?」

「違う。あいつは確かにうまいけど、プレースタイルは逃げだ。筋トレも全然してないでしょ?センスと立ち回りだけで点を取ろうとする小柄な選手なんて、少なくとも桜律は取らない。春瀬は伝統的に監督の力が強いから、指導者の言うことを聞き入れるタイプじゃないって判断されて落ちたのかもね」


悔しいけど当たってる。何も言い返せない。


「でも不思議なのは、春瀬や桜律は無理だったとしても、その下くらいの高校なら引く手あまただったはずなんだけどな、あのチビ。何でポン高なんかに」

「ポン高って呼ぶのやめて」

目を細めて抗議したけど、久里浜は悪びれることなく笑っている。憎たらしいヤツ。


私はこっそり深呼吸をして、言った。

「じゃあ、君の目から見て、うちのキャプテンはどんな選手?」

「ふむ」

久里浜はチラッと窓の外を見て、言った。

「うまいね。技術だけなら県内でも五本の指に入る。スピードもあるし、パスもうまい。こないだの国際大付属戦で見せたヒールリフトはちょっとしたもんだ。ただの曲芸じゃなくて、実戦の中で効果的に使ってた」

意外。誉めてる。ていうかプレー見てるんだ。

不破野さん、春瀬しか意識してないって言ってたけど、こないだの試合に撮影班派遣してたんだな、きっと。

「うんうん、それで?」

「でも、人間的には嫌いなタイプだ」

「……理由は?」

「理由の一つは、俺と広瀬ちゃんの仲を邪魔しようとするところ」

「冗談はいいから」

「ぐっ……ひどいな。他には、そうだな。藤谷は、本来もっと前目の選手じゃないのか?」

「うーん……小学生の頃はFWやってたとは聞いたけど、詳しくは知らない」

本当は聞いてるけど。

「やっぱりね。中盤にしてはゴール前への動きが鋭いと思った」

「で、何で嫌いなの?」

「出し惜しみしてる。本人にそのつもりは無いだろうけどね」

久里浜もアイスカフェモカを飲み干す。


ちょっと待て。今のは聞き捨てならない。


「出し惜しみどころか、毎回試合後はヘロヘロになって帰ってきますけど」

「それはスタミナの問題。俺が言ってるのは、得点に対する意識だよ。藤谷は、本来もっとゴールに貪欲なタイプだと思う。それなのに、ボールを持つと常に誰かを探してる。何て言うか、自分が一番したいことを常に我慢するクセがついてるように見える」


ズキン、と私の喉元に衝撃が走る。何だろう。未散の話なのに。


「それって……嫌う理由になるのかな」

私はかすれた声で聞いた。

「俺は嫌いだね。対戦相手に失礼だ。全ての選手は、試合で常に全能力を発揮する義務があると思ってる」


しばらく無言の時間が続く。


「そういえば」

久里浜が話題を変えた。

「広瀬ちゃん、あそこに藤谷がいるの気付いてなかった?」

「え、どこ?」

反射的に店内を見回す。

「違う、外」

窓の外に視線を向けると、人影が隠れるように、道向かいのビルの陰にサッとひっこんだ。

あれは確かに、うちの制服だ。


「……ついてきてたんだ」


バカじゃないだろうか、あの男。確かに校門でイヤな別れ方をしたし、思い出しても腹が立ってくる。


私をデートに誘った場所に、他の女の子と後からこっそり行くなんて!


しかも私が見てない夜のイルミネーション。これじゃまるで、手近な私を予行演習として誘って、本命を後から誘ったみたいじゃない。バカにしてる。


……でも、じゃあ何でコソコソと尾行してきたの?


「ごめん、私、もう帰るね」

私は空になった容器とバッグを持って立ち上がった。

「広瀬ちゃん」

久里浜が言った。

「何?」

「俺は、君が好きだよ」

言って、まっすぐに私の目を見る。周りの客が数人、何事かと振り返る。

いきなり何を言い出すんだ、恥ずかしい。

「それはもう聞いてる」

「そうじゃなくて。本気だってこと」

私もまっすぐ久里浜の目を見つめた。

「ありがと」

「それは何のお礼?断りの意味?」

「好意を持ってくれたことへのお礼と、断りの意味」

「俺の何がダメ?」

「ダメとか、そういうんじゃないの。私、ぶきっちょだから、一度にたくさんのことができなくて。君のことまで考えられない」

「うん。わかるよ」

「最初の、暑苦しい筋肉バカのイメージは無くなったけどね。色々考えてるんだなって」

「ひどいな」

久里浜は動じた様子も無く笑っている。

「じゃあ今は、サッカー部と藤谷のことで手一杯ってこと?」

「未散は関係ない」

「未散、ね」

思わせぶりに繰り返し、久里浜も立ち上がった。

「今日はこれくらいにしとくよ。しつこい男になりたくないし」

「もう十分しつこいけどね」

「バッサリ斬るなあ」

「ごめんね」

私は言った。

「何が?」

「校門で、腹が立った当てつけに使っちゃって。今も」

「気にしてないよ。他のどんな男も成しえなかった、ポン高の広瀬夏希をお茶に誘うというミッションを成功させたんだ。結果がすべてさ。そして俺は結果を出す男だ」

言って、暑苦しく胸を張る。


私は久里浜に言った。

「当てつけに使ったお詫びに」

「え、何?」

「文化祭で君がダメにした私のクッキー二枚分、チャラにしてあげる」

「まだ根に持ってたのか!」

「そうだよ。感謝してよね」

ダストボックスに空容器を入れて、私は店員に声をかける。

「あきらめないからな!」

後ろで何か叫んでいるけど、聞こえないフリをしておこう。


ビルの裏路地はもっと暗いと思ってた。

実際はしっかり街の明かりが届いていて、足元が危ないということも無い。私は足音を立てないように静かに歩く。

ビルの陰から、さっきまで私と久里浜がいたカフェを背伸びしながらのぞいている背中。


私は背後からゆっくり近づいた。


「誰探してるの?」

「ぴょっ!」


甲高い声を上げて、藤谷未散が振り返った。幽霊でも見たような顔だ。

「ひ、広瀬!お前、あの店にいたはずじゃ」

「店員さんに、ストーカーが待ち伏せしてて怖いから裏口から出してくれって頼んだの」

未散は私が歩いてきた裏路地に目を向けた。

「それで、裏から回り込んだのか」

「そう」

「本当にいい性格してるな。あと、俺はストーカーじゃない」

「コソコソと尾行してたら、似たようなものでしょ。本当にコソコソするの好きなんだね」

「う」

皮肉が伝わったのか、未散が沈黙する。私は舌打ちしそうになる気持ちをおさえて続ける。

「言い訳もできないの?そんなにその女の子の名誉が大事?私の気持ちよりも」

「違う!そうじゃない!俺がデートに誘ったのは、一緒に行きたいと思ったのは広瀬だけだ!それは信じてくれ」

「肝心なこと何も言わないで、ただ信じろっていうの?そういうの、ムシがいいって言うんだよ」

「それは……わかってる。俺が悪い」

未散がうつむく。

「俺が、バカで、優柔不断で、ずるくて、卑怯なせいで、みんなを傷つけたんだ。最低だ」

今度は、舌打ちが止められない。

「そんな言い方されたら、私が一方的に理不尽にいじめてるみたいじゃない!私がバカにされたんだよ!どうせ、本命の前に手近な女で下見って考えだったんでしょ」

未散は目を大きく見開き、口をパクパクさせた。

「そんな……そんな風に思ってたのか。思いつきもしなかった」

「どうだか」

言い捨てて、私は大通りに歩いて出た。

「帰る。ついて来ないで」

「だ、だめだ!送っていく」

「ついて来ないで!」


結局未散は、いつもの曲がり角まで五メートルほど離れてついてきた。何となくそうするんじゃないかと、ちょっと期待してしまっていた自分にも腹が立つ。


こんな時だけ期待通りにする彼にも。


家に着いて、「遅かったね」と声をかけるお母さんに適当な返事をして、自分のベッドに倒れこむ。秋穂はいない。お風呂かな。


スマホの着信音が鳴った。電話の方だ。未散が何か言い訳しにかけてきたのかも。


「え?」


表示されていた発信者の名は、「岸野アリス」だった。

「もしもし、どうしたの?」

慌ててベッドから起き上がり、私は送話口に問いかける。珍しい、有璃栖ちゃんから電話なんて。アドレス帳には漢字を探すのが面倒で「アリス」で登録してあることは内緒だ。


「こんばんは。厚尾戦以来ですね」

相変わらずクールな声。

「うん、久しぶり。元気?」

「はい、おかげさまで」

「もう準決勝だっけ?」

女子の県大会は、参加校が少ないこともあって男子より遅く始まって早く終わる。シードの桜女ならもっと試合数は少ない。

「ええ、日曜です。そちらの準々決勝は土曜ですよね」

「そうだよ」

しばらくサッカーの話題が続く。


「それで、ですね。今日電話したのは」

いつもキッパリしている有璃栖ちゃんが、言いにくそうにしている。

「うん、何?」

「今日、友達からLINEが入ったんです。広瀬さんが、桜律の久里浜って人と駅前のカフェで楽しそうにしゃべってたって」


「え」


しまった、窓際になんて座るんじゃなかった。テレビに出た直後だし、顔を覚えられてても仕方ないな。

「うん、ちょっとね。あの男、わざわざモト高まで誘いに来たんだよ。距離感おかしいよね」

あえて軽く言うと、有璃栖ちゃんは語気を強めた。

「ちょっとね、じゃありませんよ!何で週末戦う相手の誘いなんて受けたりしたんですか!藤谷さんの立場が無いじゃないですか!私だって、何のために」

「立場って……何で私がそんなこと言われなきゃいけないの?むしろ私が立場を無くされた方なんだけど。それに、私が誰とお茶しようが勝手でしょ?」

ついカチンときて、強めに言い返す。

今有璃栖ちゃんは「私だって何のために」って言った。どういう意味?

「何ですか?立場を無くされたって。藤谷さんは、広瀬さんにそんなひどいことをする人じゃありません!」

まったく、何も知らないくせに。

「じゃあ、聞かせてあげる」


私は合宿の最後の夜に未散からデートに誘われたことから、別の女の子と同じ商店街に行ったということまで、一気に有璃栖ちゃんにまくし立てた。


「私、特別心せまい?普通怒るでしょ」

「広瀬さん」

「ん?」

有璃栖ちゃんの口調が少しだけ変わった。何か大事なことを話そうとしている、と私の勘が告げる。

「落ち着いて、聞いてくださいね」

「うん。落ち着いてる」

「その、藤谷さんが一緒にイルミネーション見た女の子ですけど」

「うん」

「それ、私なんです」


『プラスフォート河津』の202号室。表札には「藤谷」の文字。

小さな天井灯だけがドアの前を照らしている、夜八時過ぎ。私はゆっくりとインターホンを押した。

少し時間が空いてから、「はい」と露骨に警戒した未散の声がスピーカーから返ってくる。

「広瀬だけど」

「えっ」

ドタドタっと大きな音がして、慌ただしく玄関が開く。立っている私を見て、未散は口をポカンと開けた。

「広瀬。お前、何で」

「入れてくれる?ちょっと寒い」

パーカーの上から腕をさする。コートにすればよかった。

「お、おう。もちろんだ」

未散に続いて部屋に入る。


「あ、コタツ」

まだ十一月上旬なのに、もうコタツが出ている。


寒がり。軟弱者。


「おう。朝晩結構涼しいしな、さっさと出したよ」

私は黙ってコタツ布団を持ち上げ、足を差し入れて座りこんだ。自転車を必死にこいできた足が、ほっこりとした熱に包まれる。思ったより足が冷えていたみたい。

「おしるこドリンク、あっためたら飲むか?」

「どこの?」

「井村屋」

「飲む」

キッチンにいる未散に背中を向けたまま、私は答えた。


「ほい」

しばらくして、おしるこが注がれた白いマグカップが湯気を立てて私の前に運ばれてきた。正面に未散が座る。

「熱いぞ」

「見ればわかる」

私は両手でカップを包み込むように持ち上げた。


あったかい。


「何でおしるこがあるの?」

一口すすって、私は聞いた。

未散はそっぽを向いて、鼻の頭をかいた。

「広瀬の影響で、たまに飲むようになってな。色んなメーカー試してみた。今のところは井村屋推しだ」

「私も井村屋好き」

「そっか」

「さっき有璃栖ちゃんから電話があった」


「え」


私はカップを抱えたまま未散を見つめる。彼は黙ったまま自分のカップを手元に引き寄せた。

「全部聞いたよ。一緒にイルミネーション見たの自分だって。県の広報に私の写真が載ってて、デートしたことがわかってわざと同じ場所にしたって」

「そうか」

「当てつけがましいことしてごめんなさいって、半泣きで謝られた」

「うん」


本当は半泣きじゃない。有璃栖ちゃんは、電話口ではっきり泣いていた。合宿で四日間も一緒だったのに、全然気づかなかった私も私だ。「もう済んだことですから」って鼻声で言ってたけど、思い出して泣くくらい、未散のことが本気で好きだったってことで。


「告白、されてたんだね。だから言えなかったの?」

「それもある。ずっと連絡しないで放ったらかしにしてた負い目もあったし……あと、次に連絡する時は傷つける時だってわかってたから、先送りにしたようなもんだし。何も言い訳できないよ」

「それでも、言い訳してほしかった」

「……ごめん」

未散の指がテーブルの上でせわしなく動く。

「でも、保身のために有璃栖ちゃんのことペラペラしゃべるような人だったら、嫌いになってたかも」

「許して……くれるのか?」

おずおずと、上目遣いに私を見る。母親にしかられた子供じゃないんだから。

「もう怒ってないけど、一つ納得いかない」

「な、何が?この際何でも言ってくれ」

「有璃栖ちゃんに告白されたの、合宿の帰りなんだってね。他の女の子に好きって言われた次の日、何食わぬ顔で私とデートしてたの?」

「それは日程上仕方がないだろう!お前を誘った方が先だったんだし、それを理由に中止になんてできない。してたまるか!」

しゃべりながら言葉に熱がこもってきた。

「大体、俺がどれだけ緊張して誘ったと思ってるんだ。心臓が口から飛び出そうって、比喩じゃなくて本当に思ったくらいだぞ。それをお前は、本命前の下見なんてとんちんかんなことを」

「とんちんかんって何!イルミネーションは私の時はなかったんだから、そう考えたっておかしくないじゃない」

「イルミネーションは十月限定だ!お前と行った八月はまだやってなかった」

「そういう問題?」

「スケジュールの問題だ」

大きく息をついて、二人で黙り込む。


しばらくして、未散がボソッと言った。

「大会終わったら、何かイベント探して埋め合わせするから、それで勘弁してほしい」

「それじゃ足りない」

「うっ……じゃ、どうすればいい?」

私は自転車でここに着くまでに、何となく考えていたことを口にする。


「私も、有璃栖ちゃんみたいに名前で呼んで」


「えっ!」

未散が固まる。

「イヤ?」

私は上目遣いになって聞いた。

「い、イヤじゃない!全然。で、でも、前はそっちが恥ずかしがったし、今さらっていうか。また、みんなにいちいち説明するのしんどいぞ」

ぶんぶん手を振って、一気にまくしたてる。

この動揺を見られただけで、もう大部分スッキリしてるんだけど。

「みんなはどうでもいいの。私の気が済めば。どう解釈されようが、もう放っとく」

「ほ、本気で言っているのか?」

「くどい」

「わ、わかった。そこまで言うなら、じゃあ、コホン、行くぞ」

「うん」

わ、どうしよう。自分で言い出してドキドキしてきた。


「……夏希、傷つけてごめん」


聞いた途端、首から上が一気に熱くなり、私はコタツの中で未散の足をゲシゲシと蹴飛ばした。

「いたっ!何だよ!お前が呼べって言ったんだろ。サッカー部の足蹴るなよ」

「言ったけど、いつもよりちょっと低い良い声出したし、何か余計なのくっつけた!」

「サービスです」

「しなくていい!」

文句を言いながら、私は自分の胸の内から黒いモヤモヤが少しずつ晴れていくのを感じた。


胸元が熱いのは、コタツだけのせいじゃないってことも。


土曜日のお昼前。


私たちサッカー部は、準々決勝の会場であるN市の県営陸上競技場にやってきた。ここは県内でも芝生が綺麗なことで有名なスタジアム。実は来られて嬉しい。

ベスト8ということで、学校関係者以外の観客もチラホラ見える。TVクルーもやってきている。モリエリちゃんも来るのかな。


「夏希。あの人たち、うちの生徒じゃないか?」


未散が言った。夏希、と聞いて芦尾や一年生たちが毎回ざわつくけど、それは今週ずっとそうだった。クラスでも散々冷やかされた。でもなぜだろう、あんなにイヤだった周りの好奇の目が、今はあまり気にならない。本人たちが気にせず薄い反応に終始すると、周りも自然と引いていくんだと、私は今身をもって学習している。認めたくないけど、久里浜の周りを気にしない態度に少し感化されたのかもしれない。


「どこ?」

未散が指す方向に目を向ける。正門前に、うちの制服を来た男子生徒が三人立っている。

三年生かな?知らない人だ。


「誰か知り合い?」

部員たちに聞いても、みんな首を横に振る。

「とりあえず行ってみようよ。応援に来てくれたのかもしれないし」

みんなで正門に行くと、向こうがこちらに気が付いた。

「やあ君たち!待っていたよ!」

三人の中の真ん中にいた男子生徒が、妙に響きのいい声を張り上げて私たちの前に立ちはだかった。


長身で、そこそこ男前で、長めの髪を整髪料でピッチリ固めている。高校生というよりは三つ揃いのスーツが似合いそうなルックスだ。


「あの、すいません。モト高の人ってことはわかるんですけど、誰ですか?」

未散が露骨に警戒した顔で聞く。

「僕は本河津高校文芸部部長、エリュアール北斗。今日は君たちに、戦いのうたを贈りに来た!」


エリュアール北斗。思わず未散と顔を見合せる。

文化祭で、同人誌にポエムを書いてた人だ!

これはやばい。


「あ、ちなみに部長の本名は斉藤博昭っていいます」

後ろに控えていた文芸部員らしき生徒が補足する。

「その名は捨てた!いちいち言わなくて良い!」

斉藤先輩、いや詩人エリュアール北斗は一つ咳払いして、ハードカバーの本を手元に広げた。表紙には、


『エリュアール北斗詩集 ため息ハリケーン』


と書いてある。

あ、もうやばい。


「未散、止めないの?」

私が小声で言うと、

「無理だ。もう読む気マンマンだ」

と、あきらめた顔になっていた。他の部員たちは、


「よくわからないけど、戦いの詩ってカッコイイですね」

「いいじゃねえか、応援に来てくれたことには変わりねえんだろ」

「早く聞きたいです!」


と歓迎ムードだ。

みんなわかってない。エリュアール北斗の恐ろしさが。

「では」

北斗先輩がタイトルを読み上げる。


「チェリー・ウォー」


私は島君の後ろに隠れようと決心した。


つづく

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