第53話「また明日」
藤谷とサッカー部、浮かれる。そして恋のライバル再登場。
大人は嘘をつく。
俺は改めて確信した。モリエリちゃんの「本河津高校、快進撃の秘密は?」という質問に、確かに俺はマネージャーのおかげ、とは言った。でもあの発言の前後に、他のみんなへの感謝もきちんと述べていたのだ。
しかし放送ではそれらはカットされ、まるで俺が照れながら広瀬にだけ感謝の意を述べたような映像に仕上がっていた。それは別に嘘じゃない。今ベスト8まで勝ち進めている全ての原動力は、広瀬夏希がマネージャーの誘いに乗ってくれたところから始まった。それは正しい。
でも。
だけど。
だからって。
電波に乗せて言わなくたっていいことなんだーっ!
翌月曜日。
昨日の帰り、広瀬はこばっちと帰り、俺はフリーキックの居残り練習。そして今朝はいつもよりちょっと遅れて家を出た。ええ、わざと。
別に、昨日ギャラリーに冷やかされたせいで広瀬を避けてるわけじゃない。ただ昨日は、何となく一日中広瀬の視線が気になったのも事実だ。気付いたら目が合い、パッと向こうが目をそらすといったことが何度もあり、その結果俺の頭に一つの可能性が浮かんだ。
広瀬は、俺の告白を待っているんじゃないだろうか。
いや、でも今告白してどうなる。広瀬はあれでかなり責任感が強い方だし、自分のせいでチームに迷惑がかかるのを嫌う。成功か失敗か、返事がどちらにせよ、マネージャーに誘った時と同じく「考えさせて」で保留にされそうな気もする。そんなことになったら、俺は気になってサッカーどころじゃなくなってしまう。そして彼女はそんな状況にした自分を責めて、何となく気まずくなって全てがダメになってしまうかもしれない。
そもそも俺があんな美人に惚れられるなんてこと、中学時代を考えたら絶対にありえない。「ただの友達だから」とバッサリ斬首されてしまう可能性だって大いにありうる。
やはり告白は、大会の結果が出てからにしよう。それまでは余計なことで広瀬を怒らせたり、嫌われたりしないように、現状維持で。
別に振られるのが怖いわけでも、今の関係が壊れるのが怖いわけでも……いや、やっぱり怖いな。
階段を昇り、廊下の角を曲がって、B組の教室を目指す。
「ん?」
教室の前で女子生徒が三人、教室をのぞき込んでる。
ははん、広瀬目当てか。あいつは背も高くてキリッとしてるから、女子にも人気があるんだよな。のぞいてるのは一年生か。なかなか可愛らしい三人組だ。
と、女子生徒の一人がチラッと歩いてくる俺を見つけた。
「藤谷先輩だ!」
「本当だ!かっこいー」
「えー、どっちかっていうと可愛くない?」
全部聞こえてるよ、と言う間もなく、俺は一瞬で三人の女の子に取り囲まれてしまった。
「先輩、昨日ユーワク見ました!」
ショートカットの女の子が目を輝かせて言った。
「そ、そう。ありがとう」
「フリーキックとかー、すごくかっこよかったですよー」
ロングヘアの子も続く。
「今度の試合、私たち見に行きます!」
ポニーテールの子が力説している。
「お、おう。えっと、チームのみんなでがんばるから、応援してくれ」
「写真取りたいんですけど、いいですかー?」
「写真!?」
人に写真を頼まれるなんて。観光地で外国人カップルにカメラを渡されたことが最新の記憶である俺が。
はっきり返事をする時間すら与えられず、俺の両脇に女の子が立ち、そして。
「ぬおっ」
両腕に、女の子が二人が組み付いてきた。
まさか、まさか自分の人生で、両腕を二人の女の子に組まれる日が来るなんて。コツコツサッカーやっててよかった。じーんとむずがゆい感覚が鼻の奥をつく。
スマホを持ったショートカットの子が、両腕をホールドされた俺の前に立ち、少ししゃがんで胸に寄りかかってきた。少女の髪が俺の顔の真下に来て、シャンプーのにおいが鼻をくすぐる。何で女の子って、こんなにいい匂いするんだろう。男子に内緒で秘密の香水を国から支給されているのだろうか。
「撮りますよー。はい、マヨネーズ!」
謎のコールとともに電子音が鳴り、俺の両腕は解放された。三人はキャッキャ言いながら軽いお礼を残して嵐のように去っていった。
三人の女子を見送った後、両腕に胸の感触を残しながら俺は教室に入る。
「おおー」
普段仲良くもないクラスメートの男子たちが、俺を見て歓声を上げる。そういや何人かは視聴覚室で見た顔だ。あれこれ話しかけられるのを何とかやり過ごし、席について、ふうと息を吐く。テレビの力ってすごいな。フリーキックの動画の時より反応が露骨だ。
隣の席では、広瀬が数人の女子に囲まれていた。前の席の園田さんも輪に加わっており、俺に声をかけてくる。
「藤谷君、おはよー」
「おはよう、ソノティ」
俺が返すと、園田さんは引きつった顔になった。
「何でその呼び方……帯根沢先輩か!」
「いいじゃないか、ソノティ。似合うじゃないかソノティ。ティがどっから来たのか知らないけど」
「それは裁縫部内での呼び名なんだから、クラスに持ち込まないで!」
園田さんとやいやいやり合っていると、広瀬の周りの女子がやっと立ち去りはじめた。小さく手を振ったり、「がんばってね」と広瀬に小声で言い残したり。
いつも思うんだが、女子ってその場で思いついた無計画なゴマカシが本気で通用してると思っているんだろうか。全部バレてるけど、いちいち指摘して嫌われたくないから黙ってるだけなんだぞ、といつか穴を掘って叫びたい。
「おはよ」
広瀬がいつも通り小さくあいさつする。
「おす」
俺はチラッと広瀬を見て、おとなしく一限目の用意をする。
「今日、遅かったね」
広瀬が前を向いたまま言った。別にいやみったらしくないし、あてつけがましくもない。ただの話題だ。落ち着いて返そう。
「おう。ちょっと寝坊しちゃってさ」
「へー」
「やっぱ、多少疲れがあったのかな」
「うん。みんなもそう言ってた」
「そっか」
テレビの撮影ということで、確かにいつもの練習とは勝手が違った。もちろんいつもの練習を放送されたら困るけど。
「で、廊下で何してたの?」
バサササッ、と教科書が机から落ちる。落ち着け。適当にかわして先生が来るのを待つのだ。
俺は静かに教科書を拾い上げた。
「あー、何か、一年の子たちが昨日ユーワク見てたみたいで、色々聞かれたよ」
「そう」
「そうそう」
「で、廊下で何してたの?」
逃げられん!
俺は観念して写真を頼まれたことを話した。
考えてみれば写真頼まれたことぐらい隠す必要は無いのだけど、どうにもこの両腕に残るおっぱいの感触が罪悪感を生んでしまうのだ。
「ふーん、良かったね。女の子のファンができて」
話を聞いた広瀬は、めったに見られない爽やかな笑顔で俺に言った。
それはドキッとするほど可愛くて。でもなぜだろう、すごく怖い。
「お前はどうなんだよ。また朝から撮影会か?」
何とか形勢を逆転したい。その結果出てくるのが、片思いの相手への憎まれ口というのも情けない限りだ。
広瀬は頬杖をついて、ついでにため息もついた。
「写真は、もう慣れた。笑わなくても何も言われないし」
「なるほど」
撮れるだけで満足して帰っていくのか。
「ただちょっと」
「何だよ」
広瀬が珍しく言い淀む。心なしか顔が赤い。
「……朝から三年生二人に、告白された」
バササササッ!ガチャッ!
教科書とノート、そしてペンケースまでが一気に床に散らばっていく。斜め前の園田さんが、かがんでケシゴムを拾ってくれた。ニヤニヤしながら俺に手渡す。
「なーに動揺してるのー?藤谷くーん」
「いや、動揺ナンテしちゃいないサ」
礼を言ってケシゴムを受け取る。さっきソノティと呼んでからかった分をしっかり返されている気がする。
「そ、それで、何て返事したんだ?」
教科書と散乱したペンたちを拾い上げて、俺はつとめて冷静に聞いた。本当に冷静だったかどうかは定かではない。
広瀬は少し首をかしげて、じいっと俺の目を見つめた。
「気になる?」
「そ、そりゃ、そんなこと言われたら普通結果聞くだろ」
「断ったよ」
さらりと言って、広瀬は前を向いた。一瞬で緊張がほぐれる。
「そうか。良かっ……」
ため息とともに言いかけて、あわてて口をつぐむ。良かったなんてはっきり言ったら、好きだと言ってるようなもんじゃないか。
広瀬の様子を盗み見ると、俺の失言は聞こえなかったようだ。セーフ。
「広瀬。差し支えなければ、その、断った理由を教えてくれないかな」
「何で」
何でと来たか。
「そうだな、今後、告白でしくじらないための参考というか、後学のためだ」
「後学ね」
ちょっとうさんくさげに俺を見て、もう一度前を向いて、広瀬は教えてくれた。
「今は部活に集中したいので、誰とも付き合う気はありませんって」
昼休み。
俺と広瀬と伊崎は弁当箱を持って放送室のイスに座っていた。放送部の古市が「鉄は熱いうちに打てと言うじゃないか」と言い出し、テレビ放送翌日の今日、昼の放送のゲストに急きょ三人で呼ばれたのだ。
広瀬母の心づくしのお弁当を一食たりとも逃したくない俺が「じゃあ昼飯は放送室で食わせろ」と要求し、長机を引っ張り出して食卓にして、放送室に設置している。放送前にはいろいろ準備があるようで、俺はその間黙々と絶品のおかずを胃に収めていく。
「広瀬せんぱーい、俺緊張してきたー」
テレビ収録の時もそうだったけど、伊崎は普段の姿とは裏腹に、結構本番前にびびるタイプだ。今日も貧乏ゆすりをしながら広瀬のブレザーを引っ張っている。
「引っ張らないでよ、もう。聞かれたことに答えればいいだけだから、心配ないって」
「先輩は何でそんなに落ち着いてるんですかあ?」
「前に、国分君呼び出すのに使わせてもらったから」
そんなこともあったな。あれは呼び出しというよりほとんど脅迫だったが。
俺が食べ終わらないうちに、ちょうど放送の準備が整った。古市がブースと呼ばれている部屋でマイクの前に座り、スイッチを入れる。
放送部員からキューが出る。
「ヴァモラ!古市達也の激ヤバデスヌーン!」
唐突な怒鳴りから入り、タイトルコールで放送は始まった。とんでもない番組名だ。昼の放送なんて今まで一度もまともに聞いてこなかったけど、こんなことやってたんだ。いや、どうせ誰も聞いてないという開き直りが生んだノリかもしれない。
かなりロックな出だしとは裏腹に、内容はいたって普通の校内放送だ。季節の話から行事のお知らせ。曲のリクエスト等々。考えてみれば平日お昼のローカルラジオ番組も、内容は似たようなものだ。俺は古市の途切れないしゃべりに「へー」と感心しながら聞いていた。同じ年とはとても思えない。
いや、へーじゃない。早く弁当を食べてしまわなければ。
「さてみなさん、お待たせいたしました。お待たせしすぎたかもしれません。昨日のユーワク、みなさんご覧になったでしょうか。今日のゲストは、我が校開闢以来初のベスト8入りを決め、今週土曜にあの強豪桜律高校と戦うサッカー部から来ていただきました!二年でキャプテンの藤谷未散君、一年でレギュラーFWをつとめる伊崎風君、そして県大会ポスターモデルにしてチーフマネージャー、二年の広瀬夏希さんです!」
放送部員たちから拍手が起こり、俺たちは三人まとめてブースへ呼ばれた。机が四つ、向かい合わせになっているようなスペースで、古市から時計回りに、俺、伊崎、広瀬と座る。
話しの内容は、昨日モリエリちゃんに聞かれたことの繰り返しが多いものの、古市のしゃべりに乗せられてそれなりに盛り上がった。最初は緊張していた伊崎も次第にまともに話せるようになってきた。さすがは古市だ。
緊張度合いで言えば実は俺も似たようなものだったが、やはり後輩と片思いの女の子が見ている前だ。何度か詰まりながらもきちんと答えていく。がんばれ、俺。
でも、こんなことが桜律を勝つのに何の役に立つのか、考えてみればムダなことをしている。部員たちはこの放送を聞いて喜んでいるのかな。
広瀬は広瀬で、いつこんなに慣れたのか、と言いたくなるくらいハキハキと愛想よくしゃべっている。こんな愛想のいい女だっただろうか。
「さてここで、番組開始からウェブの掲示板で募集していた、全校生徒からの質問コーナーに移りたいと思います」
古市が声の調子を変えて言った。
何だと?聞いてないぞ。俺は向かいの伊崎に聞いた。
「おい、そんなのいつ言ってた?」
「キャプテンが弁当食べてる時、言ってましたよ」
聞き逃した!
全校生徒から質問。何だろう。ウケ狙いでおかしなこと聞いてくるヤツがいないといいが。というか、どれを選ぶかは古市のさじ加減なんだから、頼むぜ。
「それでは最初の質問。えー、これはキャプテンにですね。送ってくれたのは一年生女子、Kさん」
「は、はい」
何を聞かれるんだろう。ドキドキしてきた。
「同じサッカー部の茂谷先輩とは、友達以上の関係なんですか?」
古市ーっ!何選んでんだ!
目の前では広瀬と伊崎が二人そろって大笑いしている。
「どうなんですか?藤谷君」
「そんな質問選ぶなよ。ただの友達だ。ついでに言うと、俺はちゃんと女の子が好きだ」
思いっきり不機嫌に答えると、さらに放送室内で笑いが起こる。俺は真面目に答えてるだろうが!
「はい、えー、キャプテンの思わぬ女好き宣言が出てしまいましたが、次は伊崎君への質問です。また一年生女子からですね。Sさんから」
「バッチ来い!」
「伊崎君は今付き合ってる人いますか?立候補したいんですけど、というものですが」
「なっ、マジですか?何組?可愛い?」
「伊崎君、全部放送されてますよ」
「しまった!いや、しかし、今俺には……心に決めた愛する女性がいるんです」
ことさらにシブい顔を作って語る伊崎。放送だというのに。
「それはこの学校に彼女がいるということですか?」
「いや、この学校じゃないんすけどね。それに、彼女かと言われるとまだ何とも」
だんだん声が小さくなる。
「何だ、伊崎。まだデートしてないのか?」
そういや、有璃栖とは二回戦以来会っていないし、連絡も取っていない。てっきり伊崎とうまくやっているものだと思っていたが。
「そのうち行きますよ!そのうちね!」
ムキになって言い返す。広瀬が笑いながら、
「そのうちって言って先延ばしにする男は、永遠に何もしないと思うよ」
と伊崎をさらにへこます。
あれ、何でだろう。俺にも刺さってる。
「広瀬マネージャーから手厳しい一撃が出たところで、最後はその広瀬さんへの質問です」
「はい」
広瀬がイスに座りなおす。
「えー、これは同じ質問が十人くらいから来てますね。広瀬さんと藤谷君はつきあってるんですか?というもの。それと、俺と付き合ってくださいという書き込みが大量に届いております。あ、女子からも何通か」
来ると思った。どうせ広瀬は「つきあってません」ときっぱり答えるんだろう。
しかし、意外にも広瀬は俺をちらっと見て、
「その質問には、ノーコメントということで」
と言った。
ノーコメント!?何だそれは。
「それは気になるお答えですね!つまり、全く無い話ではない、と」
古市が興味深げに食いついた。
俺も「別にー」という顔を作りつつ、広瀬の答えを横目で待つ。
広瀬は落ち着いた口調で、
「うちのキャプテンも含めて、一つの目標に向かってがんばってる人はかっこいいと思います。だから今は、サッカー部のみんなが大好きです」
と言った。
「なるほど。何でしょうか、この何かを答えたようで答えていないような、そんな狐につままれたような感じ」
「あ、それとですね」
広瀬が手を上げて続ける。
「そうやって、ネットを通じて遠くから伝えようとか、そういう姑息な人は全員タイプじゃありません」
「おおっと、バッサリいったーっ!」
一つ参考になった。
広瀬に告白する時は、メールや電話は絶対やめとこうって。
「何であんな答え方したんたんだよ」
放送終了後、教室への廊下を二人で歩きながら、俺は広瀬に言った。
「バッサリ斬り捨ててほしかった?」
広瀬がシレッと返す。
「そうは言わないけどさ」
「あの手の質問は、ムキになって否定すると逆効果になると思ったから、無難な方に逃げたの。そういう戦略はそっちが得意でしょ?」
「そ、そうだな。すまん」
確かにその通りだ。あれは一体どういう意味だ、と深く考え過ぎてしまっていた。何のことはない、放送用の愛想だ。
広瀬は唐突にため息をついて、
「それにしても、伊崎君があんなに腰抜けだと思わなかった。まだ有璃栖ちゃんとデートもしてないなんて」
「あいつも意外と繊細だからな」
「厚尾との試合後に誘ってたのに、あれどうなったの?」
「知らんよ。本人に聞いてくれ」
「そうする」
教室に戻ると、昼休み中のクラスメイトやよそのクラスの連中からも一斉に冷やかされた。気にしないようにしても、顔をしかめてしまう。
広瀬は話しかけてくる女子生徒や男子生徒たちとも適度に会話して、時々笑顔も見える。あんな社交的なヤツだったか?
それに、何であんなに自然でいられるんだろう。冷やかされてるのは、俺との関係なんだぞ。
夕方の練習に来た部員たちは、みなニコニコと上機嫌な顔で、口々にテレビの効果を語っていた。ギャラリーが来ることを心配して競技場の方を使わせてもらうという生意気な判断をしてしまったが、実際観客席には見かけない女の子たちが結構な人数集まっている。正解だ。
さっきから、銀次、菊地、狩井、国分らが集まって何やら話している。
「おい、菊地。おめーのドリブル、テレビだとキレキレに見えたぜ」
「それ誉めてんのかよ」
「今日、クラスで一番かわいい子に初めて話しかけられたー」
「すげえな、何て?」
「おはよう、昨日ユーワク見たよって」
「それもう付き合えるんじゃね?」
本来ならキャプテンとして一度気を引き締めたりするべきなんだろうけど、言ってる内容がしょーもないので厳しく言う気になんてなれない。それに。
精神論だけで強豪に勝てたら誰も苦労しないのだ。
俺はベンチで一人、タブレットをいじっているこばっちの隣に腰かけた。
「おっす。桜律のプレスに突破口は見つかった?」
こばっちが画面から顔を上げる。そして何とも情けない顔で、
「そんな簡単に言わないでよー。全然見つからないのー」
と、こぼした。
「そんなにか」
「うん。だって今までの二試合、失点ゼロは当然としても、打たせたシュートも二本と三本なんだよ」
マジでか。
「そりゃ……すごいな」
「そうなの。もうくじけそう」
戦術的なことはこばっちに一任しているとはいえ、仕事内容はあくまでもパターンの試算とシミュレーションがメインだ。どうやって桜律の固い守備を突破するかは選手が考えなくてはいけない。実際に芝の上に立つ、選手が。
「そうだ、こばっち。桜律の守備はこっちで何とかする。だから週末までに、何で桜律は圧倒的に試合を支配しながら大量得点を取らないのかを分析してくれ」
こばっちは不思議そうに俺を見つめた。
「守備に力を入れた結果、攻撃力が低いのならそれほど警戒しなくても」
言いかけて、ハッとした顔になる。
「もし本来攻撃力が高いのに、大量得点を取れない戦術的理由があるなら、そこが狙い目になるかもってこと?」
「そういうこった。ちょっと調べてみてくれ」
「うん、わかった」
言って、こばっちが笑顔で俺を見つめる。久しぶりに八重歯が見えている。
「何だよ、ニコニコして」
「ううん。やっぱり、藤谷君はすごい人だよ。私が保証する」
「お、おう。照れるから、あんまり誉めないように」
そそくさとその場を立ち去る。
こんな時、もし広瀬より先にこばっちに出会っていたら、俺はこばっちを好きになっていただろうかと考える。
そんなの、考えても分からないな。
「未散。そろそろビシッとしめたら?」
広瀬がウキウキのみんなを眺めて言った。
「今日くらい別にいいだろ。もともと昨日練習休みにする予定だったし」
「そういう問題じゃない」
「何でさ」
「みんな、テレビに出てチヤホヤされたことで満足して、試合前に燃え尽きちゃったらどうするの?」
抜かった!それは困る。
「確かにその通りだ。サンキュー、広瀬」
「いーえ」
俺はみんなを集め、あえて一番地味な基礎練習を始めることにした。
地味な練習にこだわったせいでギャラリーの評判は芳しくなかったが、みんなはそれなりに冷静さを取り戻したようだった。
ギャラリー受けする練習なんて、大体役に立たない。どうせヤツらは飽きたら消えるのだ。
練習を終えるとすでに空は薄暗くなっていた。俺は日が落ちるのが早くなった九月頃から、広瀬と帰る回数をひそかに増やしていた。ボディーガード、というには少々頼りないが、やはり夜道を一人で歩かせるのは、何かあった時自分が後悔しそうで怖い。何せ広瀬は美人なのだ。
校門に向かう途中、更衣室から出てきた広瀬と落ち合う。
「おう、相変わらず女子の割に着替えが早いな」
「それは偏見です。でも私も、みんな何でさっさと着替えないのか不思議に思う時はある」
「みんな何やってて遅いんだ?」
聞くと、広瀬は拳をあごに当ててうなった。
「うーん。髪とか、色々いじってるかな。後でやればいいのにってことをちまちまやってる」
「なるほど」
他愛もないことを話しながら二人で校門を出る。
「あ」
俺の視界に、見たことのある男の顔が入る。もう見たくないと思っていた顔。
「ヨメッ!」
桜律の久里浜が、なぜか校門の前に立っているではないか。俺は広瀬の前に立ち、
「久里浜か!お前何しに来やがった!」
と、露骨に壁になる。
「お前に用事は無い!ヨメをお茶に誘いに来た」
「だからヨメじゃないって」
背後から広瀬が顔を出す。久里浜の顔がパアッと輝く。同じ男として気持ちはわかるが、こいつは何か腹が立つ。
久里浜はその長身を折りたたむことなく、道路に長い影を伸ばしている。そして右手を払った。
「どけよ、お前。別に彼氏じゃないんだろ?邪魔するな」
「部員がストーカー行為を受けていたら、キャプテンとして守らねばならん」
「キャプテンとして、ね」
久里浜はフン、と鼻息を抜いた。そして俺を指さした。
「お前は嘘つきだ」
「何がだよ」
「キャプテンとして守る、なんて嘘だ。俺のヨメに気があるくせに」
「なっ」
何で本人の前でそんなこと言うんだ!こいつ最低だ!
「お前には関係ない!」
「それに、お前はもう彼女がいるじゃないか」
久里浜が予想外のことを言いだした。何?何の話?
「ねえ、どういうこと?」
広瀬がブレザーの袖を引っ張って、ささやく。俺はそれを手で制した。振り返らないのは、何となく怖いからだ。
「何だよ、それ。意味わかんねえ。彼女なんてできたことねえよ」
かっこ悪い告白だが、事実だ。
久里浜はさらに勝ち誇ったように続けた。
「先月、桜ノ宮商店街で夜のイルミネーションがあっただろ?」
え?イルミネーション?
俺の頭に岸野有璃栖の顔が浮かぶ。
「それが何なんだよ!」
「俺の連れで、その日彼女と見に行ったヤツがいたんだよ。そしたら、あのフリーキックの動画のヤツが、髪の長い女の子と並んでイルミ見てたって」
……俺の背中に、一筋の汗が流れ落ちた。
それは多分、いや間違いなく俺と有璃栖だ。告白されて二か月後に、彼女を傷つけに行った場所。
合宿の後、広瀬と初めてのデートをした場所でもある。
しばらく沈黙してしまった俺に、正面に回り込んだ広瀬が言った。
「ねえ、今のどういうこと?」
恐る恐る広瀬の顔を見る。
その表情は、今まで見たことがないものだった。
ケンカした時の怒りや悲しみでもなく、何だろう。
しいて言えば、不安。
「それは……確かに俺だ」
「相手は?」
広瀬が静かに続ける。俺も静かに口を開く。
「相手は、彼女じゃないのは確かだ。でも誰かは、名誉のために言えない」
「……そう」
広瀬はくるりと振り返ると、スタスタと歩いて久里浜の腕を取った。
「行こ、久里浜君。お茶飲むんでしょ?」
「おおっ!それでこそ俺のヨメッ!」
「あんまりくっつかないで」
「お、おい、広瀬!本気か!?そんなやつと行くな!」
引き留める俺を広瀬はジロリと振り返り、
「また明日、キャプテン」
と言った。
つづく




