第49話「フリーキックで虹を描くんだって」
三回戦、スタート。
「えっ」
キャプテンが今日のスタメンを告げた時、私は思わず声が出てしまった。みんなもざわついている。
スタメンは二回戦と同じだった。
2トップの一角が、芦尾から伊崎君になったのを除いては。
「えー、急で悪いけど、これは芦尾本人とよく話し合ったうえで決めたことだ。ちなみにケガとか、急病じゃない。あくまで戦術的理由だ。でも基本的な戦術そのものに変更はない。伊崎、開始からガンガン飛ばして行け」
未散が言った。伊崎君が「わっかりましたあっ!」と敬礼して気合を入れる。
「紗良ちゃん、未散に聞いてた?」
隣の紗良ちゃんに私はささやき、そして後悔した。未散は、戦術のことは真っ先に紗良ちゃんに相談するんだった。聞いてて当たり前だ。
「ううん、何も聞いてないよ。私も今知った」
彼女は本当に意外そうな顔で言った。紗良ちゃんにも言ってなかった?
「キャプテン」
私は努めて冷静に、グラウンドに出ようとしている未散を呼び止めた。
「もう試合始まるんだから、怒るのは勘弁してくれ」
未散が渋い顔で振り返る。私がキャプテンと呼ぶと、怒られるかと警戒するクセがついてきている。
私、そんなに怒ってばかりいるかな。
「私にも紗良ちゃんにも相談無く勝手に決めたことは、急な事情があったとして許してあげる。でも、理由は教えて」
確かに芦尾はそれほど練習熱心とは言えない。スキあらば手を抜こうとすることが一番多い部員だ。私に対しては口を開けばセクハラばっかり。
それでも二回戦で初得点を決めたばっかりだし、前線のタメやつなぎでいつも地味にがんばっていると思う。こんな外し方って、あんまりだ。
「理由は、芦尾本人に聞いてくれ。あいつから言い出したことだ。こばっちー」
未散が紗良ちゃんに声をかける。
「相談しなくてごめんな」
紗良ちゃんは笑顔で応える。
「謝らなくていいよ。私の仕事はほぼ守備戦術だからあまり影響ないし、何か事情があったんでしょう?」
「事情ってほどでもないがな。そう言ってもらえると助かる」
言うと、未散はもう一度私を見た。
「じゃ、行ってくる。タオルとかベンチコートとか、頼むな」
「はい。戦術に関係ない仕事は任せてください」
「すねるなよ。悪かったって」
未散は言い残し、チームに少し遅れてベンチを出て行った。
そして一瞬の後、私は頭を抱えた。
……最悪だ。試合直前に、当てつけ言って送り出してしまった。最低のマネージャーだ。
「未散ー!」
私は立ち上がり、手メガホンでキャプテンの背中に呼びかける。
「何だー」
振り返る未散に、私は言った。
「えっと……とにかくがんばって!」
未散は一瞬目を大きく見開き、「おう」と少し笑って右手を上げ、センターサークルへダッシュしていった。
「さあ、紗良ちゃん、気合入れて応援しよ!」
ベンチに座り、隣の紗良ちゃんに声をかける。
「う、うん。あの、夏希ちゃん。何でかな?私今、ほんのりダメージ受けた気がするよ」
「え、何で?」
言うと、紗良ちゃんは「何でもない。応援がんばろうね!」と気を取り直したように言った。
センターサークルで、未散と国際大付のキャプテンがコイントスをしている。相手のキャプテンは、確か三年の実松さんという名だ。背番号は2。長身で面長で、きっちり整った顔にさわやかなスマイル。文化祭に乱入してきた桜律の久里浜ってヤツとは大違いだ。ああ、変なヤツのこと思い出しちゃった。
「オイ」
そして菊地君が言っていた、国際大付で一人だけちょっと背が低い選手、二年の外木場。ちょっと垂れ目で前歯が出てて、さっきからずっと口が開いている。本当にすごい選手なのか、見た目だけではにわかには信じがたい。でも菊地君が言うには、何でもフリーキックで虹を描くらしい。笑われるから言わないけど、そういうエピソードは嫌いじゃない。だって、かっこいいし。
理想は外木場君の虹を描いたフリーキックを、梶野君がガッチリとキャッチすることかな。
「オイ」
国際大付のフォーメーションは、オーソドックスな4-4-2。虎谷という監督が用いる固い守備からのカウンターが持ち味だと、木曜の戦術会議(部室)で菊地君が言っていた。ウチもカウンター狙いのチームだから、点の取り合いにはならないかな。ああ、でも先制点はぜひほしい。
「オイ」
彼と2トップを組むのが左右田という三年の選手。それほど大きくないけど、長めの髪をオールバックにしていて、ギラギラした目をしている。
そして。
「うう、夏希ちゃん、向こうのキーパー、何か迫力あるね」
紗良ちゃんが国際大付のゴール前を見てうなる。
GKは三年の千賀航さん。長身でひょろっとして、腕がとても長い。まだ試合前だというのに、味方DFと何か激しく言い合っている。
「オイって」
「うん。細いけど、気が強そう。何かケンカしてるね」
「ケンカしてる相手、さっき夏希ちゃんに声かけてきた人?」
「あ」
国際大付が試合前の練習をしていた時、こっちのベンチに転がってきたボールを取りに来た選手。背が高くてモミアゲも長くて、眠そうな半目をジロジロと私の胸に向けてきたイヤな感じの人。彼は、
「俺、国際大付の山寺。センターバックだ。君、ポスターの子だろ?あれ見た時も思ったけど、エロい体してるよねー。俺の背番号5だから、注目しててよ」
と一方的にまくし立ててきた。
私は、
「あなたにもあなたの背番号にも一切興味ありませんけど、うちの攻撃陣があなたをやっつけるところは注目しておきます」
と言い返した。山寺は「ニヒヒ」と変な笑い声をあげて戻っていった。
私は自分の腕をさすって、
「すっごいイヤな目つきだった。女を性の対象としてしか見てない感じ」
と顔をしかめて言った。紗良ちゃんはそんな私ににっこりとほほ笑む。
「モテる女は大変だね、夏希ちゃん」
「何か発言に悪意があるー」
「ないない」
「オイッ!お前たちいっ!」
背後からの大声に、私と紗良ちゃんが思わず振り返る。そこにはなぜか思いっきりご機嫌ナナメな芦尾が仁王立ちしていた。
「何?後ろからいきなり大声出さないでよ。心臓に悪い」
「そうだよ、芦尾君。びっくりしたよー」
二人でプンプン抗議する。この男は一体何を怒り出したんだろう。
「おかしいだろ!この流れなら、まず俺に何か聞くだろう!」
私は紗良ちゃんと顔を見合わす。
「何て?」
芦尾は両手を胸の前で祈るように組んで、気持ち悪い声を出し始めた。
「芦尾君!どうして!?どうして自分からスタメンを譲るなんて決断をしたの!?とか、そういうやつ!ほら、来いよ!」
「聞いてほしければそう言えば?」
私はあくまで突き放すように告げる。
「藤谷君にはあまり影響無いって言ったけど、本当は私、直前で計画変更させられるのゴキブリの次に嫌いなの。芦尾君、謝って」
紗良ちゃんも珍しくキツい口調だ。芦尾が一瞬たじろぐ。
「わ、悪かったよ。小林に迷惑かけたのは謝る」
「へー。じゃ、私はどうでもいいんだ」
私の言葉に、芦尾は露骨にうろたえた。
「どうでもいいってこたあないざんすよ!ダテにチーマネって呼んでるわけじゃないでがんす!」
「どうだか」
私はプイとグラウンドへ向き直る。
すると、
「広瀬さん」
島君がいつも通りのしぶい声をかけてきた。
「何?島君も芦尾の味方?」
島君はちらっと芦尾を見た。
「いや、味方をする気は全くないが」
「フンガー!」
芦尾の抗議を放っておいて、私は島君に向き直る。
「じゃあ、何」
「選手は誰だって試合に出たい。せっかくスタメンをもらえてるのに自分から手放すなんて、普通はしない。君もマネージャーなら、話くらいは聞いてやるべきだ」
「でも」
「試合に出たい気持ちは、俺も同じだ」
島君の顔はいつも通り軍人を連想させる無表情だけど、今日は少しだけ違って見えた。
私は大きく息をつき、センターサークルに目を向ける。国際大付の二人がすでにボールをはさんで立っていた。
「芦尾。試合きちんと見たいから、10秒で説明して。何でスタメンを直前で譲ったか」
「短えよ!」
「9、8」
「もう始まってんのか!え、えーと」
「7、6」
「だ、だからだな、その。直前になっちまったのは、やっぱり出た方がいいんじゃないかとか迷ってたってのもあってだな」
「5、4」
「で、伊崎に譲った理由は」
「3、2」
「藤谷の」
「1」
「藤谷のパスについていけねえんだよおおおおっ!!」
一瞬ベンチが静まり返る。芦尾の顔が真っ赤だ。興奮したせいかな。それとも。
「どういうこと?ちゃんと説明して」
紗良ちゃんが芦尾に聞いた時、試合開始のホイッスルが鳴った。
芦尾が紗良ちゃんの隣に座って、ポツポツと話し始めた。私は顔をグラウンドに向けたまま、耳をかたむける。
「二回戦でよ、俺、初ゴール決めただろ?でもあれって、完全にフリーでさ。それでやっとこさだ。そのあと、ちょっとマークされたら俺は一本もシュート打てなかった。伊崎もずっとマークされてたけど、あいつは最後に自力で結果出した。これから相手が強くなる中で、伊崎のスピードはすごい武器になる。それに、藤谷は伊崎をスーパーサブと思ってるみたいだけど、あいつのめげないメンタルはむしろスタメン向きだと思う」
芦尾の声はいつになく真面目だ。
試合の方は共にカウンター狙いのチームらしく、無難に探り合う立ち上がり。まだゴール前までボールは行っていない。雨は試合直前に止んで、空には晴れ間も見えてきた。
「あとはよ、最後に藤谷が銀次に出した左サイドへのダイレクトパスだ。ヘディングでつないだボールを、後ろを見もしないで振り向きざまでダイレクトスルーパスなんて、全然予想してなかった。一歩も動けなかったんだ。一歩もだ。銀次も菊地も伊崎も、ちゃんと反応してたのに」
話し始めた時は、腹が立って芦尾を見たくなかったけど、今は違う理由で芦尾が見られない。
そんな情けない声、出さないでよ。
「自分より伊崎君が出た方がチームのためになるって考えはわかった。それで、直前まで言わなかった理由は?」
私は前を向いたまま言った。芦尾はしばらく黙った後、おもむろに口を開いた。
「……後輩やお前らの前で、スタメンの自信が無いから譲るなんて、言えるかよ」
そう言って口をとがらせた芦尾に、黙って聞いていた江波先生が近づく。そして芦尾の後ろに立つと、頭にポンと手を置いた。
「芦尾、よく言った。それでこそ男の子だ。やり方は正直ヘタだったが、お前が考えて決断したこと自体に価値がある」
「江波先生……」
芦尾はぽかんと口を開けて先生を見上げる。江波先生は私を見て優しく微笑む。
「広瀬さん、小林さん。君たちも芦尾も、グラウンドでがんばっている藤谷君たちも、みんなまだ子供だ。迷うことも間違うこともある。違うか?」
「……違いません」
私はジロリと芦尾をにらんで、グイッと顔をつかむ。
「な、何だ、チーマネ。キスか?キスがほしいのか?」
「バカなこと言ってないで、ちゃんと試合見て応援して。一年は、何だかんだ言っても先輩を頼りにするものなんだから」
「い、いいのか?」
「スタメンはあきらめても、部の一員でしょ?だったらできることやって」
「おう!」
芦尾は立ち上がって、大きな声で声援を送り始める。
その横顔を見ながら思った。私は、この芦尾陸という男をちゃんと見ていたのかな。あんなことを一人で考えていたなんて。知らないうちに傷つけてしまっていたかもしれない。後できちんと謝ろう。
「なあ、チーマネ」
「ん?」
芦尾は真剣な顔で、私の目を見つめた。
「江波先生って、俺のこと好きなのかな?」
前言撤回。こいつは放っておいても大丈夫だ。
雨上がりのスリッピーなグラウンドのせいか、両チームともパスミスが目立ち、得点の気配のする場面はなかなか作れていない。ねんざから復帰した冬馬も、必要以上に足元を気にしている感じで動きは冴えない。完治はしてるはずなんだけど。
未散がボールを持っても、パスを出すスペースがDFラインに見つからない。背番号5のセクハラ男山寺も、口だけではなく本当に、憎たらしいほどうまいDFだ。そして中盤で背番号10をつけている、三年の松内さん。左サイドバックの背番号3、安藤さん。この二人の技術も正確だ。とにかくミスが少ないし、当たりにも強い。未散も黒須君も、プールトレでたくましくなったはずなんだけど、局面でかなり押されてしまっている。
試合は次第に国際大付ペースになっていった。
「よしっ!」
芦尾が声をあげる。
相手FWの左右田さんがペナルティエリア外から打ったシュートが、梶野君に弾かれる。その瞬間、モト高サッカー部が走り出す。
金原君が浮き球を頭で競り合い、リベロの茂谷君に落とす。茂谷君がワントラップから右MFの皆藤君へ。皆藤君は未散にダイレクトでボールを送る。未散は自分に二人がついているのを見て、ダイレクトでいったん後ろの黒須君に戻す。そして自分はゴールへ向かって走り出した。
ボールを受けた黒須君のロングパスが、左サイドの菊地君に渡る。菊地君は、さらに外からものすごいスピードで上がっていく銀次君をちらっと見て、おもむろに中へ切り込んでいく。ゴール前には冬馬、伊崎君、そして未散。
菊地君が流れるようなドリブルで二人をかわし、右足を振りかぶる。そこへ背後から敵の選手が迫った。
「危ないっ!」
私は立ち上がり、何となく隣にあった柔らかいものをつかんだ。
「痛い痛い痛い!チーマネ、爪食い込んでる!これ、そういうプレイ?」
「あ、ごめん」
パッと芦尾の二の腕から手を放した時、主審のホイッスルが響く。菊地君がシュートを打とうとした場所でうつぶせに倒れていた。
「お、フリーキックだ。チャンスだぜ!」
芦尾が拳を握りしめる。
フリーキック。
ボールを持った未散が、何となく浮かない顔に見えるのは気のせいかな。
ゴールから大体25メートルくらい。真ん中やや左から。右利きなら巻いて蹴ることができる、理想のポジション。
でも、今の未散には。
フリーキックがスランプの彼には、どうなんだろう。
未散がボールを置いて、数歩後ろへ下がる。国際大付が作った壁がピリッと緊張する。
主審がホイッスルを吹いて、未散がボールへ踏み出した。
ボールの少し後ろに左足を置き、右足をムチのようにしならせて振りかぶる。戻る右足はボールの斜め下に入り、こすりあげるようにボールを持ち上げ、ジャンプした壁スレスレを飛んでいく。そして曲がりながらゴール右スミへ向かう。今日こそ、今度こそ。
「ああっ!」
ポストの内側にボールがぶつかる直前、相手キーパーの千賀さんがちょうどボールに飛びついた。千賀さんに弾かれたボールはゴール前に落ちて、こぼれたところを山寺に大きくクリアされた。ボールがラインを割って、狩井君がスローインへ走る。
その時、相手の16番外木場君が、未散にとことこ近づいていった。二、三言、言葉を交わしてまた離れていく。何だろう、気になる。
前半二十分過ぎ。うちのフリーキックのチャンス以来、特に攻め手の無かった試合がようやく動いた。
ゴールから二十七、八メートルの距離だろうか。うちのファウルで、国際大付がフリーキックを得た。蹴るのは、16番外木場。
「あの人、フリーキックで虹を描くんだって」
言うと、芦尾は露骨に悔しそうな顔をした。
「くっ……俺にもそんな特殊能力があれば」
「信じないでよ。ただの例えでしょ」
外木場君がボールから離れる。立ち位置からすると左利きだ。うちは生粋の左利きがいないからうらやましい。
壁になった金原君、茂谷君、菊地君、皆藤君が身を引き締める。
一条の光が、雲の隙間からグラウンドに差し込んだ。雨上がりの濡れた芝に、ボールに、そして選手たちに日差しが降り注ぐ。
外木場君の左足から放たれたフリーキックが、壁の横を巻いていく。
そして私は見た。
濡れたボールが日差しに反射して、確かにフリーキックが虹を描いたところを。
つづく
多分しなくていい名前の由来解説
国際大付属……インテル・ミラノ
実松……サネッティ
左右田……ルベン・ソサ
千賀航……ワルター・ゼンガ
山寺……マテラッツィ
松内……マテウス
安藤……アンドレアス・ブレーメ
虎谷監督……トラパットーニ監督




