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第44話「落ちるはずなんだ」

芦尾、働く。

あっという間の先制点だった。


厚尾の柏木さんに、見事なボレーを決められた。見事なんて誉めてちゃいけないんだけど、あれはそう簡単に決められるものじゃない。うまい。梶野君がゴールポストを叩いて悔しがっている。


それに。


私は柏木さんと喜び合う、厚尾のキャプテン篠浦さんに視線を移す。

試合前は、逆恨みとしか思えない過去の出来事で未散にインネンを付けに来た変な人と思ったし、かなり怒りっぽい人という印象を持った。でもプレーは冷静そのものだ。得点王に執着を持っていたのだから、自分でゴールを狙ってもいい場面だったのに、しっかりフリーの柏木さんを見てパスに切り替えた。憎たらしいことに。


「まったく、あんなところでフリーにさせちゃダメじゃない」

つい愚痴がこぼれる。すると、耳ざとく聞きつけた冬馬が「フッ」と小馬鹿にするように笑った。

「何、フッて」

「アホだな、お前は。あんな綺麗なボレーは、フリーだからってめったに決まらん。むしろ茂谷と金原が、あの点決めたヤツにくっついてペナルティエリアから釣り出される方がまずい」

アホ、と言われてカチンと来たけれど、冬馬が他人のプレーを解説することはあまり無い。ここはぐっと我慢して聞こう。

「何がまずいの?」

「藤谷の戦術は、シュートをあえて思い通りの場所に打たせて、逆襲につなげるやり方だろ。だから打たれるところまでは予想の範囲内だ。その戦術を無視してCBが出て行ったら、その後DFラインが相手に合わせるようになってバラバラになっちまう」

「じゃあ、今のシュートを止める手立ては最初から無かったってこと?」

そんな冷めた考えはイヤだ。カウンター主体のうちのチームは、先制されて良いことなんてないんだから。


冬馬は自陣のゴール前を見つめた。

「しいて言やあ、キーパーに期待するしかないってとこだな」

「何それ。梶野君に丸投げじゃない」

私は口をとがらせて、反対側の島君に言った。

「今の聞いた?」

「聞いた。冬馬の言う通りだ」

「む。島君まで」

いつも味方だと思ってたのに。

島君は私の顔をちらりと見て、続けた。

「試合中、キーパーにできることは少ない。どんなすごいキーパーでもシュートが決まる時は決まる。でもだからと言って、最初からあきらめているわけではない」

「うん」

「選手、ベンチ、観客の全員が決まったと思うシュートでも、ただ一人だけ、最後まであきらめずにボールを弾き飛ばす可能性を捨ててはいけない。ビッグセーブはそこから生まれる」

「ビッグセーブ……」

つぶやいて、私は島君の横顔を見る。


軍人のような短髪にいかつい顔。無口だけどいつも優しくて、未散の無茶な指示にもいつも黙ってうなずいて実行する人。

彼は、試合に出たくないのかな。素人の梶野君のコーチも引き受けて、結局自分はベンチなんて。

きっと私なら、自分がバカみたいに思えてやる気がなくなってしまうと思う。


「今のシュート、島君なら止められた?」

ちょっと意地悪な質問かな。でも、聞いてみたい。

島君は、

「その質問は、どう答えても梶野に失礼だから答えられない」

と予想通りの真面目な答えを返した。固いやつ。

「そうだね。ごめん」

「だが」

「え?」

島君の横顔が、少し和らいだ気がした。そしてポツリとつぶやく。

「止めてみたいシュートではあった」

私はくすくすと笑って、彼の肩を二度叩いた。


モト高からのキックオフで試合が再開する。芦尾と伊崎君がセンターサークルに入っていく。

その時、未散が観客席をチラチラ見上げていることに気がついた。何気なく視線を追う。


「あ」


観客席の最上段に、良く知ったポニーテールの美少女が立っていた。

「有璃栖ちゃん」

ジャージ上下にバッグを持っているところを見ると、練習帰りだと思う。伊崎君の応援のために、練習を半日で切り上げてきたとか?

……それはないか。もし恋に進展があったら、伊崎君は態度に出ているはずだから。

じゃあ、まさか、もしかして。

私はフィールドの未散に目を向ける。いや、それもないかな。未散が伊崎君を裏切るわけない。


「あ、有璃栖ちゃん!来てくれたんだ!」

紗良ちゃんが観客席を見て嬉しそうに言った。来てくれた?

「紗良ちゃん、どういうこと?」

聞くと、

「私がお願いしたの。伊崎君が初スタメンだから、時間あったら応援に来てって」

と紗良ちゃんは嬉しそうに言った。

合宿の時に紗良ちゃんと有璃栖ちゃんはなぜかウマが合って、2人で連絡を取り合ってると言っていた。私も仲良くなったつもりでいたけど、最後まで壁を破れなかったみたいだ。

ちょっと疎外感。


「そういうことは、私にも言ってほしかったなー」

ちょっと当て付けがましく言ってみると、紗良ちゃんは予想を超える狼狽ぶりを見せた。

「ち、ちがうの夏希ちゃん!本当に何となく思いついてメールしただけで。練習があるから行けるかわからないって言ってたし」

両手をぶんぶん振って必死だ。

「うそうそ、気にしてないよ」

「本当?」

「本当だってば」

芦尾が伊崎君にパスをして試合が再開した。

伊崎君は気づいているのかな。片思いの相手が晴れ舞台を見に来ていることを。


再開後もうちは厚尾に押されっぱなしで、まるでいいところがない。

シュートを打ってくる相手はカウンター戦術の格好の獲物になるはずだけど、シュートがしっかり最後まで振り切られているせいか、ほぼゴールキックかコーナーキックになってしまう。畳み掛ける、という表現がピッタリの攻撃力。


特にキャプテン篠浦さんのスピードは脅威だ。冬馬よりちょっと大きいくらいの小柄な人だけど、とにかく加速力がすごい。特に左足のシュートは利き足だけあって強烈だ。うちには生粋の左利きがいないから、梶野君も練習できちんと経験しているとは言えない。心配だ。


時間は前半十五分。


頼みの未散にもぴったりとマーカーがついていて、なかなか伊崎君に決定的なパスが出せていない。たまにパスが通っても、受ける伊崎君の足元がおぼつかなく、シュートに持ち込めない。恥ずかしいのを我慢してハグまでしてあげたのに、全然パワーが伝わってない!

もしこの展開のまま追加点を取られてしまったら、すごくまずい気がする。


と、ボールがラインを割ってこちらのベンチに転がってきた。未散がスローインのために走ってくる。冬馬が立ち上がり、転がってきたボールを右足でチョンと真上に蹴りあげ、頭で未散に渡す。

「お、サンキュー」

「サンキューじゃねえよ。いつまで遊んでんだ。さっさと同点にしろ」

冬馬が苛立たしげに言い放つ。

未散はボールを手に持って、口をとがらせた。

「見てるだけだからって簡単に言うな。ちゃんと広瀬の言うこと聞けよ、マネージャー補佐」

「フン」

冬馬は可愛くない返事をして再びベンチに座る。

未散がスローインを入れてフィールドに戻っていった。


見た感じ、追い込まれているとか焦っているとか、そういう雰囲気は今の未散には無かった。ちょっと安心。どちらかと言えば、伊崎君の方が追い込まれた顔をしている。何とかならないかな。


私はもう一人のFW、芦尾を目で追う。一回戦の後、必殺シュート『エレクチオン・キャノン』が不発に終わったことがよほど悔しかったのか、

「第二の必殺シュートを二回戦までに開発する!」

と小学生みたいなこと言っていたけど、完成したのかな。とりあえず、働け芦尾。


もう一人。左サイドでアップダウンを繰り返す銀次君。一回戦で目の当たりにした狩井君の美しいクロスに大いに刺激を受けたみたいで、今週一番熱心に練習に取り組んでいた。珍しく芦尾と二人で話すことも多かった。何か作戦があるのかな。

一度芦尾に聞いたけど、「俺たちが意外と後輩思いだということがわかって、惚れるかもしれねえぜ」と寝言を返してきた。意味不明だ。


「ねえ、冬馬」

私は、組んだ足をせわしなくプラプラしているエースに聞いた。

「何だ。試合見ろよ」

「ちゃんと見てる。銀次君と芦尾が協力して、伊崎君のためになることって、何だと思う?」

「何だそりゃ」

険しい目つきで一瞬私を見て、フィールドに視線を戻す。だめか。

「おい、マネージャー」

「ん?」

冬馬はアゴで視線の先を指し、言った。

「藤谷が何かたくらんでるぞ」


前半十九分。

左SBの銀次君がセンターライン付近まで上がっている。左サイドの深いところはガラ空きだ。でもここまで厚尾は、あまりうちの左サイドを攻めてきていない。FWの篠浦さんが逆サイドを得意エリアにしているからかな。


未散がセンターでボールを持っている。マーカーがついている時は球離れが早い方なのに、今は珍しくモタモタしている。銀次君と菊地君が左サイドを上がっていく。未散はそれを見て菊地君にボールを出そうとする。

「あっ!」

つい声が出る。未散のパスはマーカーの足に当たり、ボールは厚尾のMFに渡ってしまった。

もう、何やってるの!

厚尾のMFが、ガラ空きのモト高左サイドにロングパスを送る。未散は……未散はどこ?


一瞬、銀次君が自陣に戻りかけ、再び前方に走りだした。


厚尾のロングパスは上がってきた右SBに渡る前に、茂谷君がカットしていた。ナイスタイミング!

茂谷君はワントラップしてセンターの黒須君に渡し、黒須君は厚尾の選手をフェイントで一人かわして前を向く。視線の先には。


「未散!」


パスをカットされたキャプテンは、マーカーが攻撃に意識を向けた瞬間、ペナルティアーク付近まですでに上がっていた。

黒須君からのロングパスが左サイドに向かう。前がかりになっていた厚尾の選手たちが慌てて自陣へ戻る。左サイドの菊地君がダイレクトでセンターの未散へ折り返す。


受けた未散が前を向こうとした瞬間、厚尾のCBが前方から詰めてきた。やばい!

未散はボールを右の足の裏で後方に転がし、詰めてきたCBに軽く体を預けると、今度は左足の裏でさらに速く後方にボールを転がして、CBを抜き去った。

「よしっ!」

思わず両拳を握りしめて立ち上がる。マルセイユターンがまた決まった!

「あっ!」

今度は紗良ちゃんも立ち上がる。未散のユニフォームを、抜かれたCBがつかんだのだ。未散は思いっきり足を伸ばし、左サイドの深いところにギリギリでスルーパスを送る。


主審は一度ホイッスルを口にくわえたものの、右手を伸ばしてアドバンテージの判定をした。未散が芝生に引っくりかえると同時に、ボールは上がってきた銀次君の前へ。厚尾の右SBが足を伸ばす直前に、銀次君は左足でダイレクトに折り返した。低くて、速いボールをインステップで。未散に禁止されてた蹴り方だ。


「ああっ!」


せっかくの速いクロスが、飛び込んだ伊崎君と微妙に合わない。ボールはそのまま右サイドへ流れていく。走りこんできたのは、皆藤君。


「イヤッホウっ!」


皆藤君が雄叫びを上げてボールに近づくと、厚尾DFがコースをふさぐように詰めてくる。皆藤君は大きく振りかぶった右足で、チョコンと小さく中央に折り返した。

バウンドしたボールは、待ち構えていた芦尾の前に転がっていく。芦尾は体を思いっきり左斜めに倒しながら、足をかぶせるようにボールに当てた。


「ボッフウウウッ!」


そして思いっきり右足を振り抜き、後方に飛んでそのまま尻もちをつく。

地面から少し浮いた高さで、DFの足の間を抜けてボールが低い弾道で走る。

ゴール左スミへ向かったシュートは、伸ばしたキーパーの手を弾き飛ばし、ポストの内側に当たってネットに飛び込んだ。

今度こそ、主審のホイッスル。


「やったあっ!」


紗良ちゃんと手を握り合ってその場で何度もジャンプする。同点、同点だ!しかもあの芦尾が!

赤いユニフォームの選手たちが、尻もちをついている芦尾を引っ張り上げて、みんなでお腹にタッチする。私も混ざりたい!


「冬馬!同点、同点だよ!」

「うるせえな。見りゃわかる」

返事は可愛くないけど、顔はちょっと嬉しそうだ。


自陣に戻る途中、芦尾がMAXの得意顔でベンチ前にやってきた。そして私を指差す。

「見たか、チーマネ。俺の必殺シュート第二弾!その名もアンラッキー・バズーカ!」

「アンラッキー?ラッキーじゃないの?」

私が聞き返すと、芦尾は人差し指を立てて顔の前でチチチと揺らした。何かムカつく。一言誉めてやろうとしたけど、どうしようかな。

「俺のシュートを食らうキーパーが不運って意味さ」

見ると、厚尾のキーパーがグローブを外して右手をブンブン振っている。たしかに痛そうだ。

「あんたらしい、ひねくれたネーミング」

でも、と私は伊崎君を遠くに見やった。まだあまり元気はないけど、自分のトラップミスから先制点を取られたことを引きずっていたとしたら、芦尾の同点ゴールにちょっとは救われたはずだ。

芦尾は練習中に言った。

「俺たちが意外と後輩思いだということがわかって、惚れるかもしれねえぜ」

と。惚れることは絶対無いけど、確かに芦尾は後輩を助けたのだ。


「芦尾」

立ち去り際、私は彼を呼び止めた。そして、

「ナイスシュート。見直した」

と親指を立てる。芦尾は返事代わりにウインクと投げキッスをよこして戻っていった。

やっぱり誉めなきゃよかった。


「冬馬」

私は再びエースの隣に腰を下ろす。

「さっき言ってた、未散が何かたくらんでるって、何だったの?」

冬馬はこちらを見もせず答えた。

「軽部と菊地をかなり上げて、左サイドをわざとらしいくらいガラ空きにしただろ。あれで、あそこにパスを出させて茂谷にカットさせる気だろうってわかっただけだ。その後の展開と、芦尾のまぐれシュートまでは知らん」

わざと空けたサイドにパスを出させる。でも、そのきっかけって未散のパスがカットされたからじゃ。

「……もしかして、未散はわざとパスミスしたの?相手を誘い込むために」

「それは本人に聞け。でも、ま」

冬馬はこちらをちらりと見て、ニヤッと笑った。

「それくらいのことはやるヤツだ」

ちなみに芦尾のシュートをまぐれと評した理由は、「パワーを残したまま枠に入れようとして、たまたまあの軌道になっただけ」とのことだった。


本河津高校 1-1 厚尾高校 得点 本河津高校 芦尾。


同点になってから、厚尾高校の攻撃は見るからに控えめになった。キックオフから飛ばしすぎてバテたのか。それとも点差や展開によって臨機応変に攻め方を変える意外と柔軟性のあるチームなんだろうか。

相手ベンチの是満監督の顔からは何も伺えない。わかることと言えば、マネージャーの佐々木さんの胸を時々チラっと見ていることくらい。もう結構な年齢なのに、まったく、男って。


「紗良ちゃん、今の状況は戦術的にはどう?」

紗良ちゃんは手元のタブレットから視線を上げた。

「守備は破綻してないし、こっちのパス成功率も悪くないよ。でも、さっきみたいな奇襲は二度も使えないから、攻め手が減っちゃったのは厳しいと思う」

「どうすればいい?」

「セットプレーがもらえれば、得点の可能性がかなりアップするんだけど」


そうなのだ。未散のセットプレーを警戒しているのか、厚尾は極力ゴール前でファウルを犯さないよう気をつけているように見える。ただの印象だけど。


冬馬にそう言ってみると、

「向こうは藤谷の知り合いが二人もいるんだから、それなりに研究はされてるってことだろ」

と、あっさり言われてしまった。ポン高って馬鹿にされるのは腹立つけど、警戒されて研究されるとそれはそれで困る。私がポスターモデルをやった時、未散が「できればダークホースの立場でいたい」と目立つのを嫌った理由が今更ながらよく分かる。


両チームとも決め手を欠いたまま、前半残り三分になった。

できれば勝ち越してほしいけど、ぜいたくは言わない。せめて同点のままハーフタイムに入れますように。


「おっ」


冬馬が身を乗り出した。主審がホイッスルを吹き、厚尾のCBにイエローカードを出した。さっき未散のユニフォームを引っ張って倒した選手だ。あの時は見逃されたみたいだけど、今度は見つかった。とにかく、待望のフリーキックだ。


場所はペナルティエリアから五、六メートル離れたやや左側。直接狙えないこともないけど、ちょっと角度がきついかもしれない。

ペナルティエリア内に、厚尾の水色の壁が四枚。

ボールの前には未散だけ。

茂谷君と金原君、そして伊崎君がいつでもゴール前に飛び込める位置で構える。


主審のホイッスル。


未散はゆっくりと歩き出し、左足をボールの側に踏み込む。右足をしなるように大きく後方に振りかぶり、巻き込むように一気にボールを蹴り上げた。

ボールはジャンプした壁の上ギリギリを越え、曲線を描いて逆サイドのゴールへ向かう。キーパーが一杯に手を伸ばしてジャンプする。

私は拳を握りしめて立ち上がる。未散は外さない。これで勝ち越し!

「え」

ガインッ!という大きな音を立てて、ボールがフィールドに跳ね返された。バーに当たった?何で?

「……外れちゃった」

私はドスンとベンチに腰を下ろす。冬馬の横顔も、少し険しくなっている。

こぼれたボールを先に拾ったのは、厚尾の選手だった。そして長い縦パスを一気に前方へ蹴りだす。篠浦さんが一気に加速して抜けだした。


「やばい!」


モト高の選手がまだ戻りきれていない。みんな未散がフリーキックを外すとは思っていなかったんだ。篠浦さんを追いかけるのは、いち早く戻った銀次君一人。

先にボールに追いついた篠浦さんが、巧みなステップと体の入れ方で銀次君を寄せ付けない。

ここに来て経験の差が!

「梶野君!」

頼れるのはキーパーだけ。ペナルティエリア左斜め四十五度。篠浦さんが左足を一閃した。


梶野君がニアサイドを守ろうと倒れこむ。ボールはそんな梶野君をあざ笑うかのように、逆サイドのネットに一直線に飛び込んだ。


本河津高校 1-2 厚尾高校 得点 厚尾高校 篠浦。


その数分後、前半終了のホイッスルが鳴り響いた。


ベンチに帰ってきたみんなは、お世辞にも元気とは言えない様子だった。特に伊崎君は重症だ。茫然自失、とはこのことを言うのだろう。言葉のかけようがない。


有璃栖ちゃんが見に来ていることも、どのタイミングで伝えればいいのかわからない。

とりあえず伊崎君は後回しにして、私はもう一人の落ち込んでいる選手に声をかける。

「梶野君、引きずらないでね。二本ともキーパー一人じゃ厳しいシュートだったし」

私のフォローに、梶野君は弱々しい笑顔でうなずいた。

思いっきり引きずってる。どうしよう。

「はいはい!みんな何しょぼくれてんの!」

パンパンと手を打ちながら、盛田先生が唐突に大きな声を出した。

「あんたたち、こないだ公式戦で初めて勝ったばっかりでしょう?何、こんなはずじゃなかったみたいな顔してんの。相手は実績のある私立なんだから、苦戦は承知の上だったはずだよ。ほら、伊崎君も梶野君も、顔上げなさい!」

先生のおかげでちょっとだけベンチが明るさを取り戻した。本当はマネージャーの私がやらなきゃいけない役回りなのに、情けない。


「広瀬」

未散の声に「何?」と振り返る。キャプテンは眉間にシワを寄せ、深刻としか言えない顔をしていた。私は持っていたタオルとドリンクを「えいっ」と投げつける。

「わっ。投げるなよ」

落っことしそうになりながら未散が受け取る。相変わらずサッカー以外はニブい。

「何て顔してるの。まだ負けたわけじゃないのに」

「顔は生まれつきだ。それよりさっきのフリーキック、どう見えた?」

さっきのフリーキック。左サイドから巻くようにカーブがかかって、あとちょっと落ちてくれれば入っていた。

でもフリーキックはPKとはちがう。外れて当たり前だ。

「ちょっとだけ落ち方が甘かったとは思うけど、フリーキックなんだからいつも決まるわけじゃ」


「落ちるはずなんだ」


さえぎるように未散がつぶやく。

「え?」

「いつもみたいに、落ちる蹴り方で蹴ったはずなんだ。でも、落ちなかった」

未散は右足をグイッと曲げて、戻した後、何度か地面を踏んだ。

「落ちなかったんだ」

そして、もう一度繰り返した。


つづく

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