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第43話「パワー送ったから」

二回戦、開始。一年生FW伊崎、初スタメン。

俺たちが歴史的な一勝を飾った次の日。

日曜日なので休みでも良かったが、みんなが集まりたいというので結局朝から練習ということになった。


朝学校に来た時から、他の運動部のヤツらに初戦突破について何か言われるかとついソワソワしてしまったものの、誰も話しかけてはこなかった。考えてみれば、俺だって他の部活の大会日程は知らないし、よっぽど勝ち進まないと活躍は耳に入ってこない。反響なんてなくてあたりまえか。


でもその中でも唯一、桜律の神威君がLINEで「一回戦突破おめでとう!僕たちはシードだから二回戦からだよ。準々決勝で会おう!」と祝福の言葉をくれたのは嬉しかった。

しかし本音を言うと、祝ってくれた相手に思うことじゃないけど、桜律は途中で負けてくれないかなと密かに願っていたりする。できれば強豪とはやりたくない。ヤツらは勝ち方を知っている。うちに一番足りないものだ。


今日は練習と言っても、やることは守備の再確認や一回戦での失点シーンの再現と復習。そして対策。サッカーに同じ場面は二度無いが、似た場面はこれから山ほどあるはずなのだ。

練習前は、みんなが勝利の余韻をもう少し引きずるかと思っていたけど、二回戦のスタメンが決まっている伊崎一人だけが朝から妙に張り切っており、他のみんなはそれを見て何となく不安そう、という雰囲気の練習になった。


一回戦は何だかんだ言っても冬馬の決定力で快勝できたことは否定できない。もっと言えば、そもそも俺が本気で優勝を狙おうと思った理由は冬馬を抜いて語れないのだ。俺の作ったチームは、果たして冬馬抜きでも機能するのだろうか。


俺はトーナメント表に目を落とす。二回戦の相手は厚尾あつお高校に決まった。ずいぶん前、春瀬と桜律が谷間の世代に一回だけ全国に行ったことがあるらしい。ちなみに元陸上部の佐々木さん(小柄で巨乳)が転校していった学校でもある。

一回戦は5-3というなかなか派手なスコアで勝っている。得点者は篠浦しのうらが三点、柏木かしわぎが二点。二人とも聞いたことのない三年の選手だ。

いや、篠浦はどっかで聞いたことあるような気がする。どこだったかな。そうある苗字じゃないんだけど。とにかく、詳しい情報はこれからだ。


午前の練習が終わり、休憩に入る。いつも通り一年とわいわいやりあっている広瀬を、俺はつい横目で見てしまう。


(かっこ……良かったよ)


昨日の電話で、確かにそう言った。体育祭の部活対抗リレーの時も言われたけど、あの時とは格段に嬉しさが違う。広瀬も何となく照れながら言っているように思えた。

つまり、これはその、ちょっとは期待していいということなのかな。


「ねえ」

「はひっ!」


突然その広瀬に話しかけられ、思わず声が裏返る。しかし彼女は特に気にもせず、

「昨日、兄さんと何話してたの?」

と聞いてきた。何だ、そのことか。

「色々だよ。主に戦術面の注意が多かったかな。本人に聞かなかったのか?」

「男同士の秘密だって、教えてくれなかったの。誉められた?」

「勝ったことは評価してくれた」


昨日の試合終了後、広瀬コーチが競技場の外でわざわざ待ってくれていた。そして言われたことは、「ボールを取る場所がゴール前だけだと、失点のリスクが高すぎるし、センターバックの負担が大きい」というのが一つ。実際に二失点してしまったのだからもっともだ。

もう一つは俺にとっては意外なもので、

「もう少し黒須君を信頼しろ」

というものだった。

別に俺は黒須を信じてないわけじゃない。むしろすごく頼りにしてる。でも、客席で見てて何か足りないと感じたからコーチはそう言ったのだ。

どうすればいいんだろう。


かいつまんで広瀬に話すと、

「それは私も思った。未散は、黒須君を単なる守備的MFとしてしか見てないと思う」

と、少々不満気に言った。

「そうかな」

「扱いが悪いとまでは言わないけどさ、黒須君、攻撃のセンスも結構あるんだよ」

「そりゃ知ってるよ。けど、中盤の守備の要だ。そう頻繁に上がらせられない」

実際黒須は精度の高いミドルシュートも打てるし、長めのスルーパスも出せる。でもそうなると……。

「……俺か?」

俺が前線に出るのが形としては一番良さそうだ。でも今更FWの仕事するのもなあ。中盤も薄くなっちまうし。これも後でこばっちと相談しよう。


「キャプテン!」

伊崎がニコニコした顔でダッシュしてきた。上機嫌だ。全く正直なヤツ。

「何だよ」

「冬馬先輩、今日来てないんですか?」

「呼んだけど、すること無いから行かないって」

「えー」

と、露骨にガッカリした顔になった。

「何かアドバイスくれるかと思ったのにー」

ほっぺをふくらませてブーブー言っている。

「来たところで、あいつは後輩にアドバイスするようなタイプじゃないと思うけどな」

俺が言うと、

「あ、そうだ」

と、広瀬が思い出したように言った。

「昨日の帰り際、冬馬から伊崎君に伝言があったんだった」

「何ですか!?」

伊崎が身を乗り出す。広瀬は手のひらでぐいっと顔を押しのけて、

「近いって。冬馬が言ったのはね」

「はいっ!」

「お前に俺の代わりは無理だって」

伊崎が固まる。

「……それだけですか?」

「うん、それだけ。あと未散にも」

何だと。

「俺にもか。何て?」

「余計なことはするなって」

何だと。

「それだけか?」

「それだけ」

俺は伊崎と顔を見合わせ、二人で「うーん」とうなってしまった。


五日後の午後一時。


俺たち本河津高校サッカー部は二回戦の会場であるT大学にやってきていた。県内でも一番体育系の学部が充実している大学で、オリンピック出場選手もちょくちょく出している。サッカー部も大学リーグでまあまあ強い方。当然、今回使うサッカーグラウンドは天然芝だ。一回戦に続き、二回戦もグラウンドの運がいい。良すぎて怖いくらいだ。


「大学って広いなー」

構内をキョロキョロ見回し、誰に言うでもなくつぶやく。土曜なので人は少ないが、ちらほらとジャージ姿の学生は見かける。そのうち視界に、茶髪の男子学生と話している広瀬が目に入った。


ナンパか!?


俺はくるりと振り返り、ツカツカと歩み寄る。そして二人の間にずいっと身を入れる。

「あ、あのっ!」

声が裏返らないように、必死にやせ我慢する。自慢じゃないが、俺は人見知りだ。男が目を丸くした。

「こ、この子はうちのマネージャーで、今から試合なんです。だ、だから、ナンパとかそういうのはご、ご遠慮いただきたく」

しばらくきょとんとしていた男は、声をあげて笑い出した。

「いやいや、ナンパなんてしてないよ。駅に貼ってあったポスターの子に似てたから、もしかしたらって思って聞いてみたんだ」

「え。そ、そうだったんですか」

しまった、勇み足だ。急に顔が熱くなる。学生さんはニコニコしながら俺の肩をたたき、

「誤解させて悪かったな。試合がんばれよ、彼氏君」

と言って去って行った。

後には俺と広瀬が取り残された。


どうしよう。広瀬の顔が見られない。


「恥ずかしいなあ、もう。このおっちょこちょい」

広瀬が後ろから、俺の顔をひょいとのぞきこむ。あきれたような言い方だが、怒ってはないようだ。

「すまん、つい」

男と話しているのを見た途端、頭に血がのぼってしまった。これが独占欲というものか。彼氏でもないのに。

「と、とにかく行こう。みんな待ってる」

顔をそらして慌てて歩き出すと、広瀬の手が俺のジャージのスソをくいっとつかんだ。

「ん?」

振り返ると、広瀬は無表情と笑顔の中間くらいの微妙な顔をしていた。

「守ろうとしてくれたの?」

心臓の動きが速くなる。俺は努めて平静を装う。

「いつものおせっかいだよ。今日はおっちょこちょいもトッピングしてな」

そして精一杯ぶっきらぼうに答える。我ながら白々しい。

しかし広瀬はそこには触れず、今度は俺の二の腕をつかんで歩き出した。

「うわっ。おい、引っ張るなよ」

「ありがと。見直した」

広瀬が前を向いたままポツリと言った。

「お、おう」

「あと、今の人に彼氏君て言われて、否定しなかったでしょ」

う。

「あれはほら、一方的に言い残して行っちゃったからさ。わざわざ追いかけて否定するのも変だろ。誤解されたままがイヤなのはわかるけど」

必死過ぎる言い訳。本当はちょっと嬉しくて、あえて否定しなかった部分もあることは内緒だ。


「イヤじゃないよ、別に」


「え」

どういう意味だ。歩きながら聞こうとした時、待っていた部員たちの視線に気づく。

「お、悪いな。待たせて」

「悪いな、じゃねえよ」

普段温厚な芦尾が、珍しく大魔神のような顔になっていた。

「これから男の戦場に向かおうって時に、何いちゃついてやがんだ。ああぁん?」

「すまん、だが、いちゃついてたわけじゃない。それは信じろ」

「どうだかな」

芦尾の後ろで、菊地と直登が親指を立てて俺にサインを送っている。よくわからんが、広瀬の目にも入るかもしれないんだから、変なマネしないでくれ。


と、遠くの方から大きなエンジン音が響いてきた。大型バスが大学構内のバス停付近に停車する。バスのフロントガラスに「厚尾高校サッカー部」というパネルがはまっている。

「キャプテン、専用バスですよ!」

「うちには無いんですか?」

「そんないいものは無い」

一年たちがピーチクとうるさい。まったく、見せつけやがって。厚尾は確かに実績あるけど、全国行ったのなんて一回だけじゃないか。


……正直に言おう。専用バス、めちゃくちゃうらやましい!


バスのドアがプシューと開き、薄い水色のジャージを着た選手たちがぞろぞろと降りてくる。水色は厚尾のチームカラーだ。ジャージまで揃えやがって、チクショウ。


選手たちの中に俺の知った顔はいない。しかし、向こうはそうでは無かったようで。

最後の方に降りてきた、背の低い選手と高い選手の凸凹コンビ。その小さいほうが、俺をめざとく見つけてズンズンと近寄ってきた。遅れて大きい方もついてくる。

「久しぶりだな、藤谷未散」

小さい、と言っても冬馬よりは若干大きいか。高校生のくせになぜか七三分けで、タレ目で鼻が高い。いわゆるバタくさい顔だ。でも男前と言うなら、後ろに控えている大きい選手の方がまだかっこいい。


うちの部員たちがざわつきだす。「誰?」「キャプテンの知り合い?」などなど。


「……」

「何か言えよ」

俺が答えずにいると、ピッチリ七三鼻デカタレ目君はいぶかしげに俺をにらんだ。

「お、おーおー、久しぶり。元気そうだなー。ちょっとやせたー?」

思わず棒読みで答える。


やばい、全然覚えてない。どこで会ったっけ。


「お前覚えてないだろ!篠浦だよ、篠浦!五年前、Y市で少年クラブの大会やった時、お前がいたFCスパーダと決勝で戦った篠浦純平しのうら じゅんぺいだ!」

篠浦、と名乗った選手はプリプリと怒りだした。


怒ったって、覚えてないもんは……いや、待てよ。決勝?


五年前。こないだユニフォームを注文に行った時、ショップの嘉藤さんに見せられた昔の雑誌。得点王を相手チームの選手と分けあって、優勝したのに泣きべそかいてた俺。

得点王を分けあった選手の名は……。

「篠浦、そうだ!篠浦だ!思い出した!」

篠浦はどう見てもちょっとホッとした顔になり、そっくりかえって腕組みをした。

「やっと思い出したか。あと、先輩なんだから敬語使えよ」

「えー、めんどくさい。学校違うし」

「何だその理由は!」

再び怒り出すと、今度は後ろにいた背の高い方が篠浦を羽交い締めにした。

「やめろよ、みっともない。みんな見てるぞ。悪いね、うちのキャプテンが」

こっちは少し大人なようだ。え、こいつキャプテンなの?

「僕は三年の柏木零士かしわぎ れいじ。この篠浦と2トップ組んでる」

「ああ、一回戦で二点決めてましたね」

俺が言うと篠浦が、

「おい、俺はハットトリックだ!あと何で柏木にだけ敬語使うんだ!おかしいだろ!」

とわめきだした。めんどくさい人だ。


「そんなことよりな、藤谷。俺はお前に貸しがあるんだ」

羽交い絞めから解放されて、篠浦は急に話題を変えた。意外と切り替えが早い。

「何ですか、貸しって」

広瀬がひょこっと顔を出し、口をはさむ。篠浦は広瀬を見ると、一瞬あんぐり口を開けて、赤面した。そして一つ咳払いをする。

「ご、五年前の大会で、俺はお前と並んで大会得点王になった」

「うん。二人とも六点でね」

「お前は全部の試合でまんべんなく取って、決勝でも二ゴールだ。けど俺は決勝の一ゴール以外は、一回戦の弱いとこから取った五点だったんだ」

「でも、ゴールはゴールじゃないですか」

広瀬がもっともな意見を口にする。

「俺もそう思ってた。得点王になった直後はな」

篠浦はプルプル震えながら拳を握りしめている。


「けどあの後、俺は小学校卒業まで、まぐれで得点王になったって言われて『サレンコ』ってあだ名つけられたんだぞ!この屈辱がお前にわかるか!」


言って、俺をビシッと指さす。

「……それ、俺に関係ある?」

「ある!お前が決勝で交代せずに、七点目を取って単独得点王になってれば、俺はサレンコなんて呼ばれずに済んだんだ。全部お前のせいだ!」

「知るか!単なる八つ当たりだ!」

何てヤツだ。こんなアホには絶対に負けたくない。負けてたまるか。


試合前から両チームでギャンギャン騒いでいたところ、バスの出口からジャージ姿の女の子が降りてきた。そして、

「キャプテーン!何やってるんですかー?迷惑かけちゃダメですよー」

と手メガホンで叫び、こちらに小走りでやってくる。


あれ、この声。聞き覚えがある。でも、あんな髪の長い女の子、知り合いにいたかな?


思い出そうとすつ俺の視界に、衝撃的な映像がカットインする。その女子が走るたびに、大きな胸がバインバインと上下しているのだ。その場にいる全員が無口になる。

そして俺は、一人の女子の名を呼んだ。

「佐々木さん!」

忘れもしない、あの巨乳。陸上競技場の放送室で、俺が生まれて初めて生で見た女の子のおっぱい。白くて大きくて、先端が薄いピンクで。ああ、久しぶりに思い出してきた。

「未散、顔がやらしい」

広瀬が低い声で俺にささやく。一応チラリと確認すると、すごく冷たい目をしている。怖い。俺は聞こえないフリをして佐々木さんに手を振った。男子陸上部の顧問とつきあっていることがバレて、厚尾に転校したのは知ってたけど、でも何でここにいるんだ?


佐々木さんが息を切らせてやってきた。

「藤谷先輩!お久しぶりです。広瀬先輩も」

そしてペコリと頭を下げる。前屈みの巨乳もなかなか風情がある。広瀬も優しい笑顔で手を振ってこたえる。さっきは怖い顔してたくせに。

「何だ、うちのマネージャーと知り合いか」

篠浦が俺と佐々木さんを見比べて言った。柏木が、

「佐々木さんはモト高からの転校生なんだから、知ってても不思議はないよ」

と、極めて冷静に答える。

彼が言うには、佐々木さんは転校してきてすぐにサッカー部のマネージャーになりたい、と希望してきたという。さほどやる気がなく、練習の参加率も下がり気味だったサッカー部が、佐々木さんの入部以来見違えるように熱心に練習に取り組むようになったということだ。気持ちはわかる。俺が広瀬を勧誘した理由もそれが狙いだった。


「でも、何でまたサッカー部のマネージャーに?ハードルはやめちゃったの?」

俺が聞くと、佐々木さんはなぜか恥ずかしそうにうつむいた。

「えっと、陸上はもう、やめようって決めてたんです。それで、今度は応援する側に回ろうって思って。サッカー部を選んだのは、その、何となくですけど。すみません」

「ああ、いや謝らなくていいよ。でも良かった、元気そうで。そういや髪伸びたね」

話題に困って、一目でわかる違いに話を振る。

「はい。ええと」

佐々木さんは髪を手でいじりながら、チラッと広瀬の方を見る。

「広瀬先輩みたいな、素敵なマネージャーさんになりたいなって思って。伸ばしてるんです」

「え、私?!」

自分を指さして、心底驚いたような顔になる。なぜか動揺しているようだ。

「それじゃ、また後で。今日は敵ですからね、負けませんよ!」

佐々木さんは力強く言って、篠浦と柏木を連れてバス停の方へ戻っていった。厚尾の選手たちが固まっている。真ん中立っている、白髪交じりのおじさんが何か話している。


監督かな。


「こばっち。あの人が監督……こばっち?」

こばっちは自分の胸を両手でおさえ、

「同じ生物なのに……同じ人類なのに……同じ人種なのに……」

と、うつろな目でブツブツ繰り返していた。質問は後にしよう。


控室に行くまでがまた面倒で、芦尾や一年たちが「なぜ自分をあの子に紹介してくれなかったのか」とブーブー文句を言ってきた。この辺は予想通りだ。

でもいつもと違うことが一つだけ。


ここに着いてから、伊崎が妙に無口でおとなしいんだ。


二回戦の会場、T大学サッカー場は期待通りに手入れが行き届いた美しい芝生で俺たちを迎えてくれた。グラウンド周りは高いフェンスで囲まれていてメインスタンドに当たる部分だけプラスチックの長椅子が階段上に設置してあり、そこが観客席となっている。


今日はコーチも秋穂ちゃんもいない。そしてチームドクターの江波先生が用事があるということで、代わりにフィジカルトレーナーの盛田先生がベンチ入り。前回はスタンド観戦でいじけていたので、今日は機嫌がいい。


「冬馬」


もうすぐ整列の時間だ。俺は出場停止及びねんざ治療中のエースストライカーに声をかける。

「あ?」

露骨に不機嫌だ。昨日の夜集合場所を連絡したところ、「行ってもしょうがない」という理由で来ないつもりだったようで、何とか説得して一緒に来させたのだ。そりゃ確かに試合には出られないけど、冬馬の鋭い分析力は絶対今後の参考になるはずだ。

「今日は、お前をマネージャー補佐に任命する。つまり、広瀬の助手だ」

「何だと」

冬馬が広瀬の方を振り返る。当のマネージャーは勝ち誇ったように腕組みをして、

「ふふん、冬馬あ。今日は私があんたの上司なんだからね。ちゃんと言うこと聞きなさいよ」

「はっ、誰が。くだらねえ」

「逆らったら、その足、全治一ヶ月に延長してやるからね」

「お前それでもマネージャーか!」

広瀬のムチャクチャなおどしが効いたのかはわからないけど、冬馬はしぶしぶ広瀬を手伝い始めた。新鮮な光景だ。


「ねえ、藤谷君」

盛田先生が、失礼ながらいつになく真剣な顔だ。

「はい、何ですか?」

「何もなきゃいいんだけどさ、その、ヒザが痛むとか、そういうことはない?」

「ヒザですか?」

俺は何度か芝生を踏んでみる。

「なんともないですけど。何でですか?」

「あ、ううん。何でもないならいいの。ごめんね、試合前に。ただほら、藤谷君のヒザ、人より柔らかいから、ちょっと気になって」

「ああ」


前も言ってた。俺のヒザは異常に柔らかくできているようで、曲がってはいけない逆方向にへこむように曲がると言われた。自覚は無いんだが、どうもそれがフリーキックの落ち際の動きに関わっているらしい。これもしっかり実験したわけじゃないので仮説の段階だけど。


「大丈夫ですよ。俺、昔からちょっとでも痛いと思ったら無理せず休むタイプなんで」

「あ、そうなの。でもそんなことじゃ、スポ根マンガの主人公にはなれないよ」

「元からなる気ないですよ」

ライン際に立ち、緑のフィールドを眺める。トラックとスタンドに囲まれた競技場も好きだけど、こういう何もないグラウンドもいいな。


「よーし、そろそろ行くか。伊崎?」

今日初スタメンの後輩に振り返って声をかける。

「あ」


……伊崎の唇は真っ白で、歯がカチカチ鳴っている。目の焦点も合っていない。


これは、やばいな。


「おい、伊崎、大丈夫だ。お前ならやれる。お前ほどスピードのあるFWは県内にもそういない。自信を持て」

「ふぁ、ふぁい」

俺に愛想笑いだか何だかわからない変な顔を向け、続いてベンチに座っている広瀬を見る。

「ひ、ひろしぇしぇんぱーい」

「はいはい、どうしたの」

持っていた大量のボトルを冬馬に押し付け、広瀬が伊崎のそばに駆け寄る。

「あの、あの、一つお願いが!」

「何?」

伊崎は今にも泣きそうな顔で両拳を握りしめ、

「お、お、おでこにチューしてください!そしたら緊張が解けると思うんです!」

ベンチが静まり返る。


この野郎。


「おい、いさ」

俺が口を開くより前に、他の一年たちが一気に伊崎に詰め寄った。


「てめ、ふざけんなよ!自分だけそんないい目が見られると思ってんのか!」

「緊張なんてみんなしてんだよ!」

「お前おでこにされるフリして唇奪う気だろ!」


いかん。試合直前にチームワークが崩壊しかけている。こういう時こそ、キャプテンが何とかしなくては。


でも。


俺はチラッと広瀬の唇を盗み見る。薄いピンク色の柔らかそうな唇。おでこにキスだったら、俺もしてほしい。

「ちょっと静かに。君たち黙りなさい」

ふがいないキャプテンに期待するのをやめたのか、広瀬が一年たちをぴしゃりと黙らせる。そして両手で伊崎のほっぺを優しく包んだ。

「目、つぶって」

「え、は、はいっ!」

ベンチにどよめきが起きる。俺も何か言おうとしたが、広瀬のひとにらみで黙らされてしまった。

伊崎が目を閉じて、なぜか唇を突き出している。今日のことは、後で有璃栖に報告してやろう。


「えいっ」


ベチッ!と痛そうな音がした。伊崎がきょとんとして目を開ける。

「いっ……たー!何するんですかあ」

おでこをさすりながら抗議している。キスを期待してたらデコピンが飛んできたのだ。最悪だ。

「キスなんてするわけないでしょ。バカなこと言ってないで、さっさと行ってきなさい。はい、むこう向いて」

「はーい」

ぷう、と膨れっ面をして、伊崎がグラウンドの方へ回れ右する。


「……え?」


俺は我が目を疑った。広瀬が伊崎の後ろから両手をまわし、背中にぐっと体を押し付けたのだ。ベンチ全体がどよめきに包まれる。

「ひ、ひ、広瀬しぇんぱい」

「こっち向くな!今、パワー送ったから。しっかり点取ってきて」

パッと体を離し、背番号17をポンと叩いた。

「は、はいいいいっ!」

伊崎が全力疾走でグラウンドへ駆けていく。


「待て伊崎っ!背中触らせろッ!」

「ほおずりさせろっ!」

「誰が触らせるかっ!来るなっ!」


他の一年たちもダッシュで続く。菊地と金原が「やるねえ」と広瀬を冷やかす。芦尾はまた大魔神のような顔になっている。俺の脳裏には、広瀬のバックハグが焼き付いてしまっていた。


……今の絶対、おっぱい当たってたよな。チクショウ、何で、何で伊崎だけ。


気持ちが顔に出てしまっていたのか、広瀬が俺に言った。

「何て顔してんの。キャプテンもやってほしい?」

「え、いいのかっ?」

つい前のめりになる。広瀬はニヤッと笑い、指をぴんと弾いた。

「デコピンでしょ?」

「……いや、そっちはいい」

「じゃあどっち?」

「そ、それは」

そこまで言って、ようやく俺もからかわれていることに気がついた。

「もういい。行く」

「あ、待ってよ」

広瀬がぱたぱたと俺のそばに走ってくる。

「何だよ」

「キャプテンマーク、忘れてる」

「あ」

そうだった。キャプテンの自覚が無いみたいで恥ずかしい。

「悪い、忘れてた」

俺が手を出すと、広瀬は渡さずに俺の左側に回る。


「つけてあげる。左手上げて」

「いいよ、自分でやるよ」

「いいから」


こういう時、この広瀬夏希という女は絶対に引かない。俺はしぶしぶ左手を上げて黄色いキャプテンマークをつけてもらう。見ている芦尾が大魔神の顔から、すべてを悟った大仏のような顔に変化している。ある意味一番怖い。


「何かさ、キャプテンマークつけてもらうのって」

俺が鼻をポリポリとかきながら言うと、

「な、何?」

と、広瀬も目をそらした。

「病院で、血圧はかってもらう時みたいだなって」

「他に例えは無いの?」

あきれたようにため息をつかれてしまった。照れ隠しとは言え、くだらなすぎた。

「ほんじゃ、行ってくる」

「うん。しっかりね」

パン、と背中の10番を叩かれる。スナップが効いてて痛い。

それでもこの一発で、俺はどこまでも走っていけるのだ。


こばっちの調査によると、厚尾の監督は是満これみつという人で、指導者歴は三十年以上というベテランだ。

にもかかわらず、名将と呼ばれる存在ではなく、知名度も低い。

その理由を、俺達は開始五分で知ることになる。


モト高のキックオフから試合が始まった。

上が水色一色で、パンツとソックスが白というさわやかなユニフォーム。赤いキャプテンマークをつけた篠浦と、大きい柏木が2トップ。一回戦はこの二人で五点取っている。相手が弱いにしても、得意な攻撃の型ができていなければ2トップで五点なんて芸当はできない。


厚尾高校はタテに速いパスをガンガンつなぎ、何度も戻しながらスキを探す、という少々荒い攻めを序盤から繰り返してきた。立ち上がりは完全に受け身になってしまっている。

まずい、どこかでボールを奪いたい。

「キャプテン!」

黒須がボールを奪い、俺に渡す。

俺は前線を見た。

伊崎がライン際で飛び出す準備をする。しかしセンターサークルからは遠すぎる。俺はもう一度黒須にボールを戻し、

「伊崎だ!」

と叫びながら走りだす。

芦尾がスルスルと下りてきて、俺とポジションを変わる。右サイドから皆藤が走る。黒須は右に目を配りつつ、ゴール前やや左側の伊崎に精度の高いロングスルーパスを繰り出した。


「よしっ!」


走る俺の左側を黒須のパスが走っていく。いいボールだ。あとは伊崎が。


「あっ!」


伊崎のトラップが、ちょうどつま先に当たってボールがはるか前方にこぼれていく。厚尾のCBがすかさずこぼれ球を前線に蹴りこむ。ボールは一気にモト高ゴール前へ上がる。

CB金原に競り勝った柏木が、ヘディングでボールを落とす。厚尾MFが左FWの篠浦にパスを出す。

狩井が篠浦に張り付く前に、篠浦は左足でフワッとした短いクロスをゴールから遠ざかる方向に上げた。ゴール前を固める金原と直登は、ペナルティエリアギリギリの柏木をフリーにしていた。


「ふっ!」


送られた浮き球を、柏木は右足でダイレクトにとらえる。

対角線に弾かれたボールは、梶野の手をすり抜けてゴールバーの真下を叩き、地面に落ちてから背後のネットを揺らした。


本河津高校 0-1 厚尾高校 得点 厚尾高校 柏木。  


……やられた。

俺は両手を腰に当てて、ふっと息をついた。

きっかけは伊崎のトラップミスとは言え、CBからのロングフィード一本で一気に決める攻撃は速かった。悔しいが見事だ。きっと練習や試合で慣れてる形なんだろう。しかも攻撃にかける人数が半端じゃなく多い。

是満監督があまり評価されていないのは、攻撃偏重なところなんだろう、と俺は推測した。


伊崎が一人、呆然とした顔で自陣に歩いてきた。何て言葉をかけようか。

「伊崎。まだ始まったばかりだ。引きずるな」

「……はい」

励ましの言葉としては、ありきたりすぎたか。多分何も届いてない。


俺は何気なく観客席を眺めた。


「……ん?」

観客席の一番上。

ピンクのジャージ上下に紺のスポーツバッグをかついだ女の子。

ポニーテールに切れ長のツリ目。


岸野有璃栖きしのありすが、立っていた。


つづく

たぶんしなくていい名前の由来解説


厚尾高校……ラツィオ

篠浦純平……ジュゼッペ・シニョーリ

柏木零士……ピエルルイジ・カジラギ


是満監督……ゼーマン監督

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