第35話「忘れ物」
そして合宿は花火とともに終わる。
練習試合の二本目と三本目が終わった。
こばっちが必死に走って持って来たアイディアは、車のプラネタリーギアに似た構造という話だった。そんなギアがあること自体初耳だが、こばっちによると大きな太陽ギアが中央を回り、その周りを小さなギアが惑星のように連動して回る。そのさらに大きな周囲をもう一つのギアが回る。
中央の太陽が黒須、周りの惑星がサイドの選手。今のところ守備のポジション取りやカバーリングでしか使い方が分からないが、とりあえず続きは帰ってからさらに考えよう。合宿でやってきた動きがそのまま連動して使えると、こばっちも言っていたし。
俺はちらりとこばっちを盗み見る。今は直登と談笑している。本当に立ち直ったのかな。女の子は終わったことをあまり引きずらないと聞いたことがあるけど、こばっちにも当てはまるんだろうか。さっきは気まずさもあって過剰に頭をクシャクシャしてしまったが、ちょっとわざとらしかったかな。
……ダメだ、サッカーの話に集中しよう。俺はブンブンと頭を振る。
二本目は、新しいアイディアをぶっつけ本番で試したこともあり、おろおろする場面が多く結局0-2であっさり負けてしまった。
しかし黒須が慣れてきた三本目は、相手が少しメンバーを落としてくれたこともあって面白いようにカウンターが決まり、冬馬が十分間でハットトリックを達成して3-1で完勝。特に三点目が圧巻だった。
空いた左サイドに渡ったボールを銀次が一旦後ろに戻って近づいてきた黒須に渡す。その後、直登、もう一度黒須、皆藤、俺へとほぼダイレクトでつないで、最後は俺の縱パスを冬馬がワントラップからの鋭いターンで相手DFを置き去りにして一瞬でゴールを陥れた。実戦で初めて理想的なカウンターが決まったように思う。いかん、顔がゆるむ。引き締めてベンチに戻ろう。
「ご機嫌だね、キャプテン」
広瀬が俺の顔を見てニヤニヤ笑う。普段鈍いところもあるくせに、余計な時に鋭い。
「そりゃ勝てば嬉しいよ。練習試合でも」
俺はそっけなく言い返し、少し離れたところでアップをしている有璃栖を見る。一条さんから頼まれた、有璃栖を何とかする、というミッションはいまだ解決していない。
二日目の朝、なぜか広瀬が「私も協力する」と言いだしたけど、広瀬が練習に参加したところで、有璃栖のプレーに変わった様子はない。
シュートかパスか。
その状況自体がトラウマになってしまって一瞬動けなくなるところは治らない。練習試合くらいならいいが、レベルの高い実戦では命取りになるロスだ。
元々生粋のFWというわけじゃなく、中盤から前ならどこでも、という選手なのだから、そこまでシュートにこだわらなくてもいいと思うんだけど。
「広瀬」
「ん?」
「有璃栖のことなんだけど、どうしたもんかな」
広瀬もアップ中の有璃栖を見つめる。
「こればっかりは本人次第だからねー」
「何だよ、協力するって言ったくせに」
俺が言うと、
「協力するとは言ったけど、解決するとは言ってない」
と、シレッとのたまった。ひどい女だ。
俺はしばらく考えたのち、
「よし」
とベンチから立ち上がった。
「何か思いついたの?」
「いや、何も」
「何それ」
「分からない時は、その道の専門家に聞く」
俺はきょとんとする広瀬を置いて、ドリンクをグビグビあおっている冬馬の元へ行く。
「冬馬」
「おう」
相変わらず無愛想だ。でもハットトリックを決めたばかりとあって、多少は機嫌がいいと思う。多分。
「ちょっと聞きたいんだけど。あくまで仮の話だぞ」
「何だよ。回りくどい」
冬馬は少し顔をしかめた。後ろにいつのまにか広瀬も来ている。
「あのさ、あと一点決めなきゃチームが負けるって状況で、自分がシュートするか味方にパスするか、選択を迫られる時ってあるよな?」
「それがどうした」
「それで、もしシュートを選んで外して負けたとしたら、お前どうする?」
冬馬はいぶかしげに俺を見た。そしてちらっと有璃栖を見る。
「そんなこと怖がってたら、FWなんてできねえよ。選んで、出た結果が全てだ」
確かに。でもそれじゃ、話が終わってしまう。
「それでもさ、後悔を引きずることってあるじゃないか」
冬馬はしばらく考えて、言った。
「五月のインハイ予選で、終わり間際にお前はシュート打たずに俺にパスしたけど、あれ後悔してるか?」
インハイ予選。
0-3から二点追い上げ、同点を狙った最後のチャンスで、ゴール前の俺は冬馬にパスを出した。冬馬のシュートはポストに嫌われて外れ、そして試合はうちが負けた。
「後悔はしてない。お前に任せた方が確率がいいと思ったし、シュートに自信もなかったから」
俺は言った。広瀬が後ろで「それ、初耳」とつぶやいている。
「しいて後悔するとしたら、もっといいパスが出せたかもってことかな」
「そういうことだ」
冬馬は言って、それ以上何も答えなかった。そういうこと。どういうこと?
「そうか、分かった」
広瀬がすっとんきょうな声をあげた。
「びっくりしたなー」
「未散、分かった。分かったよ!有璃栖ちゃんに言ってあげられること」
おお、こんなにテンションの高い広瀬は初めて見たかも。ちょっと幼く、というか普段大人っぽいから年相応に見える。
「あ」
ラスト四本目の時間が迫っている。
「広瀬。俺はどうすればいい?」
聞くと、広瀬は俺の耳元に口を近づけた。シャンプーのいい匂いと、彼女の息づかいを間近に感じる。ちょっと緊張する。
「……なるほど」
広瀬の話を聞いて、考える。そんなの、どうやって伝えればいいんだ。
四本目。
FWは冬馬と芦尾の2トップで、有璃栖は菊地に代わって左MFに入っている。
「私、できればFWの方が良かったんですけど」
有璃栖が不満気に言った。確かに迷わずシュートを打てるポジションの方が気は楽だろう。でもそれじゃ意味が無いんだ。
「悪い悪い。冬馬と芦尾は公式戦でも先発の予定だからさ。連携を確認したくて」
嘘じゃない。ただ、今日それは二番目の理由ってだけで。
「分かりました。すみません、わがまま言って。出してもらえるだけで感謝ですね」
有璃栖が笑う。うーん、やはり伊崎にはもったいないほど可愛い。
「あのさ、有璃栖。この試合で心がけてほしいことが、一つだけあるんだ」
「何ですか?」
「自分の持ち味を忘れるな」
「……えーと、はい」
いまいち解せないといった顔で、有璃栖はうなずいた。難しいな。おせっかいになってもいけないし、突き放しすぎても伝わらない。あとは有璃栖を信じるしかないな。
四本目を前に選手たちがコートに散らばる。黒板科技もほぼ一本目のメンバーに戻している。こちらはゲストの女子を出したのに、露骨に手を抜かないとは紳士的な監督だ。
「ねえねえ、藤谷君」
センターサークルに冬馬と立っていると、背のでっかい佐藤がやけに馴れ馴れしく話しかけてきた。
「何?もうすぐホイッスル鳴るよ」
「あの子、桜女の子なんでしょ?インターハイの決勝に出てたよね。何でここにいるの?」
「……プレー中に話すには、長すぎる。後でね」
「いいなあ、美人のマネージャーだけじゃなくて、あんな可愛い子とも知り合いで。もう一人のメガネの子も結構可愛いじゃない。俺も普通科行けば良かったかなあ」
佐藤は情けない顔で言った。戦う前から違う理由で負けている。この勝負、もらった。
ホイッスルが鳴る。
黒板科技がどんどんロングボールを放り込んでくる。放り込みの戦術はつなぐサッカーよりも一段下に見られがちだが、その攻め方に合った選手がきちんと揃っていれば立派な戦術だ。特に一発勝負のトーナメントでは大きな効果がある。
左サイドの田淵が右SB狩井と競り合いながらクロスを上げる。
ファーサイドに佐藤、ニアに白井さん。ボールはニアへ。
体をひねったような白井さんのヘディングシュートが、待っていた梶野を避けるようにファーサイドへ流れていく。
ゴールライン上には、直登が待ち構えていた。直登は白井さんのヘディングシュートを胸トラップで防ぎ、詰める佐藤を股抜きでかわす。危ないことすんな。
「未散!」
走りだす俺に、直登がロングボールを出す。銀次と有璃栖が左サイドを駆け上がる。俺に黒板科技のMFがマークにつく。それほど大きくないが、やたらと顔が老けたヤツだ。背中にEMORIとある。江守?
「渡さんよ」
自信満々な顔をして俺の前に体を入れる。そしてその前に、黒須がさらに体を入れた。
「ぬおっ」
黒須にさえぎられた江守が声を上げ、体を入れなおそうとする。俺はそのスキにセンターへ走り、フリーになる。ボールを奪った黒須が俺にパスを出す。俺はダイレクトで左サイドの有璃栖に流し、自分は中央やや下がり目に位置する。前線には冬馬と芦尾。
有璃栖を銀次が追い越していく。相手の右SBが一瞬迷った間に、有璃栖が左サイドから中央に切り込む。
狙える位置だ。でも、冬馬もいる。シュートか、パスか。
有璃栖は冬馬にパスを出した。ほんの少し、迷った。その時間のせいか、相手DFの足がパスをカットした。
「戻れ!」
カウンター直後の逆カウンター。俺たちは必死に戻ったが、意外と足元も器用な佐藤からのパスを白井さんが決めて、あっさり先制された。
0-1。
有璃栖が青ざめた顔になり、うつむいた。どうしよう。練習試合だから勝敗はいいんだけども、これじゃ何も解決していない。自分の持ち味を忘れるな、だけじゃ足りなかったか。
「すみませんでした」
自陣に戻る途中、有璃栖が側に寄ってきて言った。
「気にするな。悪いパスじゃなかった」
「でも、カットされました」
「そりゃ、読まれたからだろう。判断が間違ってたわけじゃない」
「……間違って、ないんですか?点取られたのに」
「そうだよ」
「じゃあ、私の何が悪かったんですか?!最悪の結果が出て、判断が間違ってないなんて、私には分かりません!」
声が大きくなる。すれ違う黒板科技の選手が思わず振り返るほど。
有璃栖は必死にもがいている。
俺は優しく両手を差し伸べたい気持ちを、何とか押し殺して言った。
「あのな。サッカーは細かい判断の連続で成り立ってる競技なんだ。お前一人の小さな判断で左右されるようなものじゃない。それは、うぬぼれって言うんだ」
有璃栖が一瞬息を飲むのが分かった。びっくりした顔で、俺を見て、ふっと目をそらす。
今までお客さんだって気をつかいすぎて、ちゃんとぶつかって来なかったツケが今回ってきた。これじゃ、きつい言い方でただ単に傷つけてるだけじゃないか。情けない。
俺は有璃栖から逃げるように、自陣へ急いだ。
その後はなかなか有璃栖に渡すボールが出せずにいたものの、カウンターから冬馬が憎たらしいループを決めて同点に追いついた。スコアは1-1のまま、時間は残り三分。
「冬馬」
試合再開までのわずかな時間。俺はいちるの望みをかけて、本日絶好調のエースに声をかける。
「何だ」
「有璃栖が出てた、インターハイ決勝の最後の場面、覚えてるか?」
「おお。それが何だ」
「もしカウンターが発動したら、あの場面を再現したい。協力してくれ」
冬馬は眉間にシワを寄せた。
「何やれっつうんだよ」
「そんなにおかしなことはやらない。有璃栖が左サイドで切り込んだら、俺が中央に走りこむから、場所譲ってくれ」
「あのな、藤谷」
あきれたように、冬馬が言った。
「桜女に借りがあると思ってるかもしれねえけど、そこまで人に構ってる余裕あるのか?」
確かに冬馬の言う通りだ。でも。
「余裕なんてない。でも、やらなきゃ俺が前に進めないんだ」
ずいぶんぼんやりした言い方になってしまったが、本心だ。冬馬はしばらく俺を見つめた。そして、
「……右に流れるくらいはしてやる」
とポツリと言った。
「ありがとう。それでいい」
試合再開のホイッスル。
有璃栖のプレーは相変わらず冴えなかったが、それでもゲームは進む。何度目かのロングボールを金原が弾き、皆藤が体を張ってこぼれ球を何とか奪う。皆藤からセンターの俺にボールが渡る。左サイドを走りだした有璃栖にスルーパスを出して、俺はゴール前中央に走る。それを見て、冬馬がセンターを空けるように右サイドへ流れていく。銀次が有璃栖の外側を上がっていく。有璃栖がもう一度、左サイドから中へ切り込んでくる。
走りこむ俺と目が合う。有璃栖はDFが詰めてくるのを見て立ち止まり、今度はフェイントを入れて再び加速し、中央付近までドリブルを続ける。そして。
「ふんっ!」
有璃栖がDFを腕で押さえながら、右足を振り切った。DFとキーパーの間のわざわざ狭い方に打たれたシュートは、読み違えて戻ってきたキーパーの手をすり抜け、ゴール左上のネットを揺らした。
2-1。
「よおっし!」
俺は思わずガッツポーズする。それだ、それなんだ、有璃栖。お前の持ち味は、鋭いスピードと思い切りの良さ。足りなかったのはそれなんだ。
有璃栖がみんなとタッチしている。でも俺には、ぺこっと小さく頭を下げただけだった。
「ありがとうございましたー!」
みんなで整列してあいさつする。三十分×四本の練習試合は、通算二勝一敗一分け。得点六失点五という成績になった。きわどい勝負だったが、ちょっとだけ勝ち越せた。六月に桜女のフルメンバーにこてんぱんにやられた時に比べれば格段の進歩だ。合宿やって良かった。
「冬馬、ありがとな」
俺が声をかけると、
「お前がグダグダくすぶってると、パスの質が落ちるからな」
とぶっきらぼうに返ってきた。素直じゃないヤツ。
「あ、ちょっと。藤谷君」
ベンチに戻ろうとした時、黒板科技の樽宮監督が俺を呼び止めた。
「あ、どうも。今日はありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ。少しいいかな?」
「はい」
小さなベンチ以外、特に座るところもないコートなので、俺と樽宮監督はフェンスに寄りかかることにした。
「君たちのチームは、監督はいないのか?」
いきなり核心を突かれた。
「一応、あの毛利先生ですが」
「彼はただの顧問だろう。ハーフタイム中もずっと、ベンチで遠くを見つめてミーティングに参加してないから、変だなと思って」
しまった。カモフラージュのバリエーション不足が露呈した。緊急にハーフタイムバージョンも考えないと。
「すみません。だますつもりはなかったんですが、選手たちだけでやってるって最初から言っちゃうと、試合受けてくれないかと思って」
樽宮監督は渋く笑った。
「確かにね。でも、なかなか見事な守備だったよ。特にゴール前は、まるでシュートが来る場所がわかってるかのように7番に何度も読まれてしまった。うちの佐藤も白井も、ずっと首をひねってたよ」
ぬふ。よしよしそれが狙いだ。
「彼は読みで勝負するタイプなので」
「確かにね。でも、それだけじゃない気がするんだよなあ」
監督は腕を組んでしきりに首をひねっている。
「それはそれとして、オファーを受けてちょっと調べたんだけどね。君たちがずっと勝ててない高校なのが信じられないんだ。何があった?」
俺は五月のインハイ予選後、三年が全員抜けてからのてんまつをかいつまんで話した。
「なるほど。確かに地元チームのユースが募集停止したら、県内の高校レベルは上がるだろう。いい読みだ」
「ありがとうございます」
「でも、一つ読み違いがあるよ」
「何でしょうか」
何だろう。急に不安になる。
「君のとこの代表の春瀬高校、インターハイで決勝に進んでる」
「えっ」
マジでか。ベスト8までは追ってたけど、そこから見てなかった。樽宮監督はニヤリと笑った。
「案外、今年が春瀬の最強世代かもね」
いや、そんな。それはマズい。樽宮監督は話を変えた。
「うちにも、君や4番君みたいな中盤がいてくれたら、放り込みだってバカにされないチームを作れるんだけどね。質のいいMFから順にユースに取られたらやってられないよ」
どうもグチっぽくなってきた。俺ってグチられやすい顔なのかな。
「でも、あの2トップがいるんなら、チマチマつなぐよりは効率的だと思いますが」
「そうなんだけどねー」
言って、樽宮監督はうちのベンチに目を向けた。
「おい、お前ら!何やってんだ」
樽宮監督のいきなりの大声に、弾かれたようにベンチを見る。
黒板科技の選手たちが、広瀬を中央に囲んでスマホで写真を撮っていた。心なしか広瀬の笑顔が引きつっているように見える。
「白井!お前まで一緒になって。こちらに迷惑かけるんじゃない」
「すみません。でも監督、女子マネですよ!しかも芸能人みたいな美人」
試合中でもクールな物腰を崩さなかったキャプテンの白井さんが、妙にハイテンションだ。やはりこの人も高校生なんだなと、こんなところで実感する。
監督はため息をついて、広瀬に爽やかに笑いかけた。
「うちの部員が失礼しました。お嬢さん」
「あー、いえ、ちょっとくらいなら別に」
「そうですか、では」
言って、樽宮監督はポケットからスマホを取り出し、広瀬の横に並んで顔の前にかかげた。
「あ、監督きったねー!自分だけツーショット撮ってる!」
黒板科技の選手たちからブーイングの嵐が巻き起こる。
「うるさい、大人の特権だ!ガキはさっさと帰る準備しろ!」
広瀬とのツーショットを撮り終え、満足気に樽宮監督は戻っていった。何かわからんがすごい人だ。
「悪かったね、お騒がせして。うちの監督、たまに子供っぽくなるんだ」
自分を棚に上げた白井さんは、急にキリッとした顔に戻り、右手を差し出した。
「今日は良い試合だった。今度は冬の選手権で会おう」
「え、は、はい。ぜひ」
あまりにも青春全開の言葉に、俺は赤面しつつ握手を返した。さすが三年のキャプテンともなると言うことが違う。よく恥ずかしくないな。
黒板科技の選手たちは、バスの窓から身を乗りだして何度も何度も手を振って帰って行った。手を振っていた相手は主に広瀬であったが。
「モテモテだったな、広瀬」
俺がからかうように言うと、広瀬は眉間にギュッとしわを寄せた。
「私のことはいいの。有璃栖ちゃんに、何か言ってあげないの?せっかくいいゴール決めたのに」
有璃栖は上機嫌で部員のみんなと話している。
「今は、いいや。後でな」
「ふーん。じゃ、そこは未散に任せる」
「うん。あれで吹っ切れてくれればいいんだけど」
「そうだね」
俺たちはしばらくの休憩に入る。時間はもう三時を過ぎたが、練習は続行だ。実戦の後の練習が一番やる気に満ちてて効果が大きい。試合とは、練習の成果を出すだけの場ではなく、いかに練習の成果が出ないかを実感する場でもあるのだ。
「直登。何で撮影会なんてさせたんだ。副キャプテンなら止めてくれよ」
少々の八つ当たりも込めて、俺は直登に言った。広瀬がああいうノリ苦手なの、知ってるはずなのに。
しかし直登は悪びれもせず、
「仕方ないよ」
と軽い調子で言った。
「何でさ」
「あの人数が、一斉に九十度のお辞儀して頼んできたら、断りづらいだろう」
異様な光景が頭に浮かぶ。確かにすごい迫力だ。俺が樽宮監督と話している間に、そんなことが。
「それは、確かに」
そこまでして広瀬と写真撮りたかったのか。工業系の執念、恐るべし。
合宿最後の晩ご飯を終えた頃、部員たちが部屋でそわそわし始めた。
窓から外を見て、「行ける?」「まだ早い」と言い合っている。
ちなみにせっかく部屋を学年で分けてやったのに、「ヒマです」と言って一年たちが結局二年の部屋に全員溜まっている。これじゃ部室と変わらない人口密度だ。
「これから何かあるのか?」
聞くと、伊崎は目を輝かせて両拳を握った。
「何言ってるんですかキャプテン!花火ですよ、花火!最後の夜にやろうって言ってたじゃないですか!」
「おお」
そういやそんなことも言ってたか。
そろそろ暗くなってきたのを見計らって、全員でぞろぞろと海岸へ向かう。江波先生も一緒だ。毛利先生は「火が怖い」という理由で来なかった。何だ、火が怖いって。
花火は何人かが色々持ち寄ってきたようで、手持ちから噴出式、打ち上げからロケットまで各種取り揃えてある。なぜこいつらは遊びの準備だけ万全なのか。
夜の海岸は、砂浜が昨日来た時よりもせまくなって、別の場所に来たような錯覚を覚える。ノイシュヴァンシュタイン城を作ったのは、どの辺りだったかな。
何となく、こばっちとバッタリ目が合った。お互いにあわててそらす。元通りにはまだまだ時間がかかりそうだ。胃と胸が痛む。
「カモン!マイドラゴン!」
一番手、芦尾が噴出式の筒型花火をブリッジした股間に置いて、芸術的なアーチを見せる。いや、魅せる。あいつ熱くないのかな。
「トリプルルッツ!」
伊崎が手持ち花火を両手に4本ずつ持ち、全部に火をつけてクルクル回りだした。
即、広瀬にド叱られている。当然だ。
少し離れたところでは、照井がロケット花火を数本砂の発射台にセットしていた。花火が向く先には、梶野と島が立っている。
「おい照井。梶野と島に当たるぞ。危ない」
言うと、照井は俺を見上げて、
「どっちがロケット花火を先に手でつかめるか、男の勝負ですって。燃えますよね!」
と言って親指をグッと立てた。何のグッだ。GK二人も密かに張り合っていたんだな。
江波先生は注意するどころか、缶ビールをクーラーボックスに入れて数本持参して来ている始末で、教師としての職務を放棄している。俺は誰一人花火の使用上の注意を読んでいない惨状を嘆きつつ、手持ち花火の山をあさった。こうなったら、何も考えずに俺も遊ぼう。
「お」
線香花火だ。渋い。小さい頃、あの火の玉をいかに落とさずにもたせるか、がんばった記憶がかすかにある。久しぶりにやってみよう。
一本手に取り、火を探す。丁度女子三人が手持ち花火でキャッキャ言っているところだ。
「おーい、火いくれ」
広瀬がこちらに花火を向けた。
「はい」
「あつっ!おい、足にかかってるぞ!」
「じゃ、早くつけてよ」
俺はほどほどに距離を取りながら、線香花火に着火する。
「いきなり線香花火?」
広瀬があきれたように言う。
「いいじゃないか。渋くて好きなんだ」
これ以上いたら頭から花火を浴びせられそうだ。俺は少し離れたところに移動して、線香花火をつまんでしゃがみこんだ。極小の溶岩のような玉がぶら下がり、ジジジ、とかすかな音を立てて火花が散る。
うーん、渋い。
「ご一緒していいですか?」
見上げると、有璃栖が立っていた。手には二本の線香花火と、チャッカマン。
「いいけど、欲張りだな。二本いっぺんにやる気か?」
「違います!一緒にやろうと思って持ってきたんですよ!」
心外だ、といった様子で有璃栖が隣にしゃがみこむ。
俺の一本目はあっという間に玉が落ちてしまった。有璃栖から二本目を受け取る。
暗闇の中のかすかな光に、有璃栖の少し吊った切れ長の目が浮かび上がる。何もしてなくても怒っているように見える損な目つきではあるが、何もしてなくても涼しげで綺麗という美点もある。今は美点の時間だ。
「藤谷さん」
「お、おう」
いきなり話しかけられてビクッとしてしまう。見てたのがバレたわけじゃないよな?
「私、ずっと考えてたんです。今日のゴールがどうして決められたのか」
俺は黙って線香花火を見つめる。
「ずっとインターハイ決勝の場面が頭にこびりついてて、自分の判断ミスでチームが負けちゃったって、思ってました。でも、そこじゃなかったんですね」
「……」
「あの最後に外したシュートそのものが、私の持ち味じゃない、コースを狙った中途半端なシュートだったんです。あんなの、練習もロクにしてないのに入るわけがないんです。考えるべきは、シュートかパスかの選択じゃなくて、シュートを選んだ後、ベストを尽くせたか」
火花が一際大きくなった。さっきよりも、かなり長くもっている。
「今日のゴールは本当に見事だった。向こうのキーパー、女の子に負けたってかなり悔しがってたな」
「どうでしょう。気をつかって、DFの当たりがソフトだった気もします。それに」
「それに?」
「藤谷さん、冬馬さんに頼んでくれたんですよね?決勝のあの場面を再現できるように」
ポトリ、と俺の線香花火から火の玉が落ちた。
「何のことかな」
「とぼけてもムダです。冬馬さんみたいな人が、何の理由もなくあんないいポジション空けてくれるわけありませんから」
有璃栖が笑う。全てお見通しである。
「すまん。だます気はなかったけど、他に浮かばなかった。きつく当たっちゃって、声もかけづらかったし」
「いいんです、もう。ありがとうございました」
有璃栖の玉も、ポトリと砂浜に落ちた。
今、彼女は暗闇の中でどんな顔をしてるのだろう。
笑ってくれてるといいけど。
最後の夜の花火大会は、噴出型を口にくわえた伊崎がほっぺを一部やけどしたことと、打ち上げ式のちっちゃいパラシュートを追いかけた芦尾が海でおぼれかけるという被害を除けば、奇跡的に無事に終わった。いや、ビール五缶を空けてずっとケタケタ笑っていた江波先生が、明朝二日酔いの被害を出すかもしれない。
海から合宿所までの帰り道、しんがりを歩く俺の隣に、広瀬がゆっくり歩みを合わせてきた。
「何話してたの?有璃栖ちゃんと」
街灯に照らされた広瀬の顔は、息を飲むほどに綺麗で、俺はしばらく言葉を忘れる。
「……その沈黙は、内緒ってこと?」
途端に不満気な顔になる。俺はあわてて言った。
「別に内緒にすることじゃない。かっこよくて素敵なキャプテンのおかげで、吹っ切れましたって話だ」
「月が綺麗だねー」
「聞けよ」
しばらく黙ったまま、二人で歩く。後ろの俺たちを冷やかしたりからかったりするヤツはいない。いつのまにか、俺が広瀬と並んで歩くのは当たり前になっている。もし関係を一歩進めようとしたら、この当たり前も消えてなくなるのだろうか。
「私、ちょっと考えてた」
「何を?」
「私がケガしてふさぎ込んでた時、もし未散みたいな人がいてくれたら、今でもサッカー続けてたのかなって」
「……ややこしい仮の話だな。兄さんじゃダメだっだのか?」
「兄さん、その時大学で県外にいたし、あれで結構修羅場とか瀬戸際に弱いタイプだから、頼りにならないの」
「それは知りたくなかった」
憧れの広瀬選手像がどんどん崩れていく。
「終わっちゃうね、合宿」
広瀬がしんみりした口調でつぶやく。
「終わるな」
「夏ももう、終わりかな」
「夏休みは、まだあるぞ」
俺は少しムキになって言った。
「そうだけど」
俺の頭に、全く予定にない、無謀な行動が浮かび上がる。それは考えたり迷ったりする間もなく、一足飛びで口を開かせた。
「広瀬。あさって、合宿の疲労回復のために一日休日にしたよな?」
「うん。そうだけど」
「どっか行かないか?」
広瀬が立ち止まる。まだ蒸し暑い夜のはずなのに、背筋が寒い。やっちまったか。菊地の言うことに流されすぎたか。
「どっかって、どこ?」
「え、えーと。一度も行ったことない駅で降りて、近くの商店街で食べ歩きしたいなって考えてる」
とっさに浮かんだのは、先日見たテレビ番組。芸人さんが肉屋のコロッケやみたらし団子を食べながら商店街をレポートしていたものだ。ロマンティックな行き先が浮かばないのが悲しい。
「二人で?」
広瀬が言った。声の調子からは、イエスかノーか、好感触か嫌がっているかが全くわからない。もっとわかりやすい女を好きになればよかった。
「そ、そうだ。二人で」
再び広瀬が歩き出し、早足で俺を追い越していく。
……これは、ノーか。俺はバカだ。その場の勢いで、好きな人と並んで歩ける幸せを手放すなんて。誰か俺を狙撃してくれ。死んだと気づかないくらい一瞬で死にたい。
「いいよ」
「えっ」
俺は顔を上げて、広瀬の背中を見つめる。肩にかかる長さの黒髪が、ふわりとひるがえった。広瀬は笑っていた。
「だから、いいって。面白そう、その企画」
「そ、そうか。良かった。行き先は、また連絡する」
「わかった。楽しみにしてる」
夢じゃなかろうか。生まれて初めて好きな人をデートに誘って、OKをもらえた。足元がふわふわする。
「みんなに置いてかれるよ。急ご」
広瀬が走りだした。
俺もあわてて追いかける。いかん、こける。
翌朝。
合宿最終日は、午前中だけ軽く戦術練習をして、お昼を食べて合宿終了、というスケジュール。ありがたいことに、空にはほどよく雲が出ており、今までで一番マシな暑さになった。
練習を終えて風呂で汗を流し、すっかり飽きてしまったそうめんを食堂ですする。タダだから文句は言えないが。
「お世話になりましたー!」
そろっているのかバラバラなのかわからない、俺たちの雑なあいさつ。しかし管理人さんはそんなことも気にせず、合宿所を後にしようとする俺たちとの別れを、泣いて惜しんでくれた。
「本当に、こちらこそありがとうね。お客さんが来なくなって、もう閉めようかって話になってたんだけど、もうちょっと続けるから。来年も来てね」
「はい、必ず」
本当はもっといい条件の場所があればそっちに変更したいけど、バカな発言で広瀬を怒らせてデートがポシャったら困る。
「最後に、みなさんの写真を撮らせてください」
管理人さんが、妙にデカいレンズのついたカメラを持ち出してきた。写真が趣味らしい。玄関の前にみんなで並ぶ。定位置の右端に行こうとした俺の腕を広瀬がつかむ。
「どこ行く気?キャプテンは真ん中」
「えー。俺はいいよー」
そんな抗議が通るはずもなく、俺はド真ん中にしゃがまされた。写真は後で学校にも送ってくれるらしい。仏頂面に仕上がってなきゃいいけど。
帰りの電車では、ちょうどいい冷房のせいか、さすがの伊崎もおとなしく寝てしまっていた。みんなも同様だ。毛利先生は最寄り駅で電車を待っている時からすでに睡眠薬を飲んでしまい、結局再び島にかつがれるハメになっていた。何という学習能力のない大人だ。
俺はもう一人の大人、江波先生に声をかける。
「江波先生、ありがとうございました」
「何だ、急に。気持ち悪い」
ポッキーをかじりながら、先生は顔をしかめた。
「いえ、保健室の先生が合宿に同行してくれるなんて、異例ですから」
江波先生は、口を空けてだらしない顔で寝ている毛利先生をちらりと見て、
「あいつ一人で引率できるとは思えなかったしね。それに、私は温泉に入りに行ったようなもんだから」
と言ってポッキーをもう一本かじりだした。
「毎晩行ってましたね」
「そこに温泉がある限りね」
あと酒ね、と先生は付け加えた。
「ところで、藤谷」
「はい?」
「サッカーに集中するのも結構だけど、他のこともきちんとしなきゃダメだよ」
俺は先生の顔を見た。意図が読めない。
「どういうことですか?」
「わかってるだろう?」
質問に質問で返す人は苦手だ。答える気が無いから。俺はそれ以上追求しなかった。
心当たりに、気付きたくなかった。
三時間電車に揺られ、やっと見慣れた地元の駅に帰り着いた。
「五日間お世話になりました」
ロータリー前の広場で、白いセーラー服の有璃栖が俺たちを前に頭を下げる。意味なく拍手が起きて、有璃栖が恥ずかしそうに笑う。合宿所の管理人さんにももらい泣きしなかった伊崎が、今は涙目になっている。
気持ちはわかるぞ、伊崎。結局何も進展しなかったもんな。
「一条さんによろしく」
俺が言うと、
「はい。伝えておきます。みなさん紳士だったって」
と、有璃栖は言った。
「そう、そんな感じで一つ」
わいわい談笑しているうちに、一番最初に来たバスに有璃栖が乗りこみ、彼女は大きく手を振りながら帰って行った。
「寂しい?」
見送る俺に、広瀬が笑みを浮かべながら言った。俺の脳内に赤いランプがグルグル周り、「エマージェンシー、エマージェンシー」の放送が流れる。
これは、高度な罠だ。
「……五日も一緒だと、そりゃね」
「うん。私も寂しい」
広瀬は意外なほど素直に言った。罠じゃなかったらしい。
バスの接続が良い順に部員たちが次々と帰っていく。そしてとうとう俺一人が、停留所に待つことになった。何で俺の家の方だけ接続が最悪なんだ、まったく。
時刻表を見て時計を見る。あと二十分。バスの本数も年々減っている昨今、最寄りの停留所があるだけマシなのか。
古い木のベンチに座っていると、じわじわ汗が流れてくる。停留所には屋根があるが、熱気までは防いでくれない。しかし周りには喫茶店も無く、あってもお金が無い。一旦駅に戻るか。
バッグを持って立ち上がると、遠くから足音が聞こえてきた。タッタッタッと、大股に走ってくる。
振り返ると、大きなバッグを下げた有璃栖が、ポニーテールを揺らしてこちらに走ってきている。
「有璃栖!どうした」
俺もあわてて走りだす。丁度さっきのロータリー辺りで合流する。有璃栖はひざに両手をついて、肩を大きく上下させる。
「ど、どうした。何か忘れ物か?」
「はあ、はあ、はい、忘れ物です」
しばらく息を整えて、有璃栖は背筋をピンと伸ばした。
「合宿所に何か忘れたのか?だったら電話すれば」
「藤谷さん」
有璃栖がまっすぐに俺を見つめる。
「何?」
「言い忘れたことが、あるんです」
「はあ」
「私、藤谷さんが好きです」
「……え」
言葉の内容を理解するのに、思考が追いつかない。有璃栖はペコリと一礼すると、来た道を再び走っていってしまった。
「……え、何、何?」
それからどうやって家まで帰ったのか、俺の記憶にはない。ただ考えていたことは、明日のデートに俺はどんな顔で広瀬に会えばいいのかということだけだった。
つづく
たぶんしなくていい名前の由来解説
江守……トゥガイ・ケリモール




