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第34話「負けてらんねえよ」

地元校との練習試合。

合宿4日目。


今日は午後から、地元の高校と練習試合の予定。合宿が決まってから、未散が茂谷君とあちこちに電話して交渉した成果だ。初めて練習試合を申し込んだ時は電話を嫌がって私に丸投げしたくせに、今度はいつのまにか自分でやってしまっていた。全部やらされると一言文句言いたくなるけれど、全く任されないのもそれはそれで寂しい。戦術の話は、いつも紗良ちゃんを信頼して任せてるくせに。


紗良ちゃんと言えば。


私はキッチンで食器を拭いている彼女を見た。今朝から何となく様子がおかしい。

表面的にはいつも通りだし、話しかければ答えるけど、心ここにあらずというか。一点を見つめて黙りこむ時間も増えている。いつもタブレットやパソコンをいじって何か考えているイメージがあるから、ぼんやりしている紗良ちゃんは珍しく見えてしまう。心なしか、まぶたも腫れているような。何か悩み事があって眠れていないのかな。聞いてみようかな。でも紗良ちゃんて、あまり自分のこと話さない子だから、何も言ってくれない気もする。……それは私も同じか。


「あっ」


紗良ちゃんの声と、ガラスが割れる音。振り返ると、紗良ちゃんがコップを床に落として固まっていた。

「ご、ごめんなさい」

おろおろする紗良ちゃんに、

「破片があるから動かないで。今ほうきとちりとり取ってくる」

言って、私はキッチンを出た。


とりあえず二人で管理人さんに報告して謝ると、特に怒ることも弁償を要求することもなく、「いいのよー。大して高いものじゃないし」と大らかに許してくれた。


私はガラスが散らばった床を掃除して、食堂に出る。テーブルの前には、紗良ちゃんがぼんやりとした顔で座っている。ノートパソコンのフタも開いていない。

「大丈夫?」

私は彼女の正面に腰を下ろす。紗良ちゃんはパッと顔を上げた。

「ごめんなさい。ぼんやりしちゃって。片付けまでさせちゃって」

「ううん。それは別に構わないけど。それより、何かあった?」

「え?あ、ううん、何でもないの。ちょっと、疲れがたまってるかもしれない」

目を伏せて、紗良ちゃんは言った。本当に疲れのせいかな。

「練習試合は午後からだから、昼まで部屋で休んでたら?江波先生も今日の午前中はここに残るって言ってるし。みんなには私から話しとく」

「うん。そうしてほしい。ごめんね」

「何言ってんの。二人だけのマネージャーなんだから。もっと頼ってよ」

そう私が言うと、やっと紗良ちゃんは弱々しく笑った。


とりあえず紗良ちゃんを部屋まで送って、玄関で溜まっているみんなに合流する。

「おい、おせーぞ、マネージャー。モタモタすんな」

冬馬が険のある目つきで私をにらむ。私も負けじとにらみ返す。

「紗良ちゃんが体調悪いから、部屋に送ってきたの!文句ある?!」

冬馬は謝りもせず、「フン」とそっぽを向いた。

あいつはどうしてああいう物言いしかできないのか、まったく。いつかミニゲーム中に足ひっかけてやる。


「小林、熱中症か?」

銀次君が心配そうに聞いた。彼は見た目はキツくて無骨だけど、弱いものを守ろうとする男気がある。特に同じクラスの紗良ちゃんには優しい。

「熱中症ではないと思う。本人は、疲れがたまったんじゃないかって」

「そっか。でも、一人で置いといて大丈夫か?」

「江波先生が残るから大丈夫。忘れてるかもしれないけど、あの人保健室の先生だよ」

「おお、そうだったな」

大げさにうなずく銀次君を見て、私は笑いをかみ殺した。何だろう、この心配症な感じ。誰かに似てる。

「広瀬ー。出られるかー?」

先に玄関を出ていた未散がこちらに顔をのぞかせた。

「もう行けるよ」

「おし、じゃ行くぞー」


昨日、私たちがビーチバレーに夢中になっている間、紗良ちゃんは途中で抜けた未散と二人で、砂のお城を作っていた。結局下にトンネルを掘って崩れちゃったみたいだけど。

その後は私たちが帰り支度するまで海の家から戻ってこなかった。まさか未散が意地悪して、せっかく作ったお城を壊しちゃったから?いや、それで翌日まで落ち込むとは思えない。そもそも未散がそんな意地悪するわけない。だって、紗良ちゃんにはいつも優しいし。


練習場への道中、有璃栖ちゃんも「小林さん、大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いてきた。

「本人は大丈夫だって言ってたけど、原因は良くわからない」

「昨日、一人でお風呂入ってすぐ寝ちゃって、全然話してくれなかったんです。一緒にお風呂入ろうって約束してたのに」

言って、有璃栖ちゃんは口をとがらせる。そんな約束してたんだ。

「私、誘われてないけど」

「それはそうですよ。広瀬さんと一緒に入ると、自信喪失しますから」

「何それ。仲間外れは傷つくなー」

ちょっとわざとらしいかな。

「広瀬さんも、そういうの気にするんですか?」

有璃栖ちゃんが意外そうに目を見開いた。

「あのね、私にだって人並みの感情はあるんだから。一応、一声かけてよ」

「分かりました。ごめんなさい」

彼女が素直に謝る。本当にまっすぐで真面目な子だな。うちの秋穂と交換したい。


「そういやチーマネ、岸野ちゃんは今日の練習試合出られるのかい?」

芦尾が緊張感の無い顔で振り向き、言った。この男、私にはしょっちゅうセクハラするくせに、有璃栖ちゃんや紗良ちゃんには一切しない。理由を聞いたら、「あの子たちにすると、悪いことしてる気になるから」と私に対して極めて失礼な答えをよこした。その後、赤い手形がつくほどお腹をはたいてやったのは言うまでもない。私を何だと思っているのか。

有璃栖ちゃんが、無言で私をちらりと見る。

「私、出られるんですか?」

「男子の試合に一人だけ女子が出るって、難しいんじゃないかな」

「やっぱり、そうですよね」

有璃栖ちゃんが見るからにガッカリした顔になる。

「でも、キャプテンが相手の監督さんに頼んでくれれば、少しくらいは出られるかも」

フォローにしても無責任かな、と思いつつ私が言うと、有璃栖ちゃんは先頭の未散のところへすごいスピードで走っていった。

彼女が未散に何か話している。

未散は驚いたような顔をして、首をぶんぶん横に振る。

有璃栖ちゃんが頭を下げる。

首を横に振る。

それを3回繰り返し、とうとう未散が首をタテに振った。有璃栖ちゃんがこちらを向いて、頭上に大きなマルを作る。

……女の子に優しいキャプテンだこと、まったく。

私は笑って、有璃栖ちゃんに親指を立てた。


午前中は練習試合のための打ち合わせがメインになっている。試合は三十分×四本という変則日程。こちらも向こうも、県予選で戦わない他県の相手ということで、色々なパターンを試したいという利害が一致した格好だ。ちなみに相手校は地元の黒板くろいた科学技術高校。過去に選手権に出たことはないけど、過去三年で二度ベスト8に進んでいる。この県は激戦区だから、強豪と呼んでいい成績だ。


練習が始まってしばらくして、未散がベンチに引っ込んできた。代わりに国分君が入る。そして普段紗良ちゃんが担当しているビデオカメラをセットしだした。

「出ないの?」

私が聞くと、

「こばっちがいないから、代わりにな。ちょっと引いたとこで色々確認したいし」

と未散は答え、私の隣に腰を下ろした。

「広瀬」

「ん?」

「銀次見てて、何か思わなかった?」

私は左SBの位置にいる銀次君に目を向ける。動き出しのタイミングも良くなったように見えるし、何よりやっぱり速い。

「特には、何も。だいぶうまくなってるんじゃないかな」

「そうなんだけど」

言って、少々渋い顔になって私に動画を見せた。

「何これ」

「いいから見てくれ」

画面には昨日の練習風景が映っていた。銀次君が左サイドをぶっちぎり、クロスを上げる。ボールは速く鋭い弧を描き、詰めたFWたちをすり抜け、逆サイドのゴールラインを割った。

「ミスキックだとは思うけど、それがどうかした?」

「蹴り方だ」

未散が動画を巻き戻す。そして銀次君が左足を振りかぶってボールを蹴る瞬間で一時停止した。

「これ。インステップで蹴ってる」

「本当だ」

銀次君の蹴り方は、足の甲で蹴るインステップキックだった。

「何が悪いの?オーソドックスじゃない」

言うと、未散はより渋い顔になった。

「俺はインサイドで確実にゴール前に入れろ、としか言ってない。ましてやカーブかけて綺麗にゴール前になんて、素人に簡単にできることじゃない」

「じゃ、誰かにインステップで蹴れって言われたってこと?」

「いや、それもない。多分、自主的だ。向上心というか、何というか」

再び銀次君の動きを目で追う。そう言われれば、蹴り方も身のこなしも右SBの狩井君に似てきているように見える。狩井君はインサイドキックがチーム一安定している選手だけど、その他のキックも上手い。特に右サイドの浅い位置からのアーリークロスは驚くほど正確だ。彼を目標にしてるのかな。


未散は一つため息をついた。

「金原や梶野は、できることを楽しんでやってくれてる感じだから、そんなに壁に当たってないんだけどな。銀次は真面目でストイックだから」

「そうだね」

「かと言って、上手くなろうとやる気になってるヤツに、ムダだからやめろって言って、やる気をくじくのは最悪だ」

「確かに」

「何かいい考えないか?」

「何について?」

「銀次のやる気をくじかずに、インステップキックをやめさせる方法」

「無い」

私は言った。きっぱりと。

「即答だな、おい」

「だってそうでしょ。銀次君は一本気な男で、未散はそういうところも気に入って陸上部からスカウトしたんだから。ヘタな小細工は逆効果だと思う」

「ぬ。確かに」

未散は腕組みをしてうなった。

そしてしばらくして、ビデオカメラ用の三脚を組み立て始めた。余計なことを考えるのをやめたのかもしれない。

「ねえ」

「んー?」

未散が背を向けたまま返事をする。三脚の位置を微調整している。

「昨日、紗良ちゃんと何かあった?」

ガチャン、と三脚が倒れる。未散はこちらを振り返ること無く、ゆっくりと三脚を立て直した。

「何も無いよ」

「うそ」

「うそじゃない」

「後でうそだって分かったら、二度と口きかない」

「……ちょっとな、こばっちのプライベートな話になって、その、二人の見解が分かれたんだ」

「ふーん。それでケンカしたの?」

「ケンカはしてない。でも、今日こばっちが体調を崩しているのなら、それは俺のせいだ」

「何それ」

「俺に言えるのはそこまでだ。すまん」

それっきり、おどしてもすごんでも、未散は口を開かなかった。

でも一つだけ分かったことがある。


紗良ちゃんは、私にうそをついたって。


「銀次」

休憩時間。未散が銀次君に声をかけた。

「おう、何だ?」

銀次君は休憩時間にも、積極的にボールを蹴っている。確かにストイックで、向上心がある。それをやめろなんて、どう言えば納得してくれるんだろう。

未散は一つ咳払いをして、

「えーとだな、その、最近、左のインステップキックでクロスを上げようとがんばってるみたいだけど」

と少し早口で言った。すごく気をつかってる。いけない。笑っちゃいけない。

銀次君はニヤリと笑った。

「おうよ。インサイドで上げるだけだと、どうしてもスピードが落ちるし、高く上がらないからな」

銀次君の言っていることは正しい。

「いや、インサイドでも、ボールが動いている時にタイミングよく当てれば、上がる。それに、インサイドでこすり上げるように蹴ればコントロールもつく。インステップよりそっちの方が上達が早いと思う」

不自然にまくし立てている。言ってることは合ってるけど、ちょっとしゃべりすぎかも。

案の定、銀次君は眉を片方上げていぶかしげに言った。

「何か、俺にインステップの練習やめさせたいみてえだな」

小細工はダメだって言ったのに。未散は大きく深呼吸して、言った。

「やめろとは、言わない。だけど、実戦で使えるものにするのは、難しい」

「俺じゃ無理だってのかよ」

銀次君の声が低くなった。怖い。怒ってる?

「そ、そうじゃないって!」

未散は声が高くなった。かっこ悪い。

「お前はセンスもいいし、練習熱心だからいつか必ずモノにする。カーブをかけたクロスはもちろん、右のアウトサイドでだって上げられるようになる。だけど県大会の初戦までは、あと二ヶ月しかないんだ。とにかく時間が足りない。上達途上の半端な状態で、試合で蹴るのはまずい。だから今は、インサイドで蹴り方のバリエーションを増やすくらいにとどめてほしい」

銀次君は黙って聞いていた。顔がいかついから怒っているようにしか見えないけど、理不尽に当たり散らす人じゃない。

「あとどれだけだ?」

「え?」

「あとどれだけ練習すれば、インステップでカーブのかかったクロスが上げられる?」

未散は虚をつかれたような顔をしたが、すぐにあごに手をあててうなった。

「そうだなあ。毎日そればっかり練習して、三ヶ月後にやっと成功率五割ってとこかな」

「上等だ」

「上等じゃないって。県大会は二ヶ月後だぞ」

「でも、決勝戦は三ヶ月後だろ?」

銀次君はニヤッと笑った。

「そりゃ……そうだけどさ」

「何だよ、スカウトした時の優勝するって話、ありゃ嘘か?」

「嘘じゃない!ないけど」

「安心しろ。ゲームじゃもうインステップは蹴らねえよ」

銀次君は振り向き、右手をひらひらさせた。

「モノになるまではな」

そう言って、コートに走って行った。


「緊っ張したーっ」

未散がベンチにどっかりと座り込む。額を流れる汗は、どこまでが冷や汗なんだろう。

「お疲れ、キャプテン。よくがんばった方じゃない」

放心した顔で私を見る。

「何点?」

「七十点」

「おお、高得点」

「銀次君は、引き方がかっこよかったから百点」

「差別だ!部分点をくれ!」

わめく未散を放っておいて、私はコートで黙々とシュート練習をするポニーテールの選手を見つめる。

未散はキャプテンとしてがんばった。

私は有璃栖ちゃんに、マネージャーとして何ができるんだろう。


午後になって、練習試合の相手、黒板科技高が専用バスでやってきた。申し込みを受けてもらったのだからこちらが市バスで伺う、と未散が言ったのだけど、学校が契約してる中型バスがあるから行きますよ、と言われてお言葉に甘えることにしたのだ。

契約してるバス。うらやましい。あっても誰も運転できないけど。


サッカーコートに横付けしてバスが止まり、ドアが開く。

嫌がるのを無理やり引っ張ってきた毛利先生、未散、そして私が黒板科技高の皆さんを出迎える。

「どうも、初めまして。黒板科学技術高校監督、樽宮たるみやです」

見たところ四十代後半くらいの、白髪混じりのさらさらヘアーの男性が、先頭で降りてきた。鼻が高くてちょっとタレ目で、若い頃はモテたんだろうな、と思わせる、ちょっとかっこいいおじさまだ。

「本河津高校サッカー部顧問、毛利です。本日は、ご足労ありがとうございます」

黙っていれば雰囲気のある監督顔の毛利先生。最低限のセリフだけを口にして、監督同士で握手をした。よく見ると。目の端がピクピク動いている。もうストレスの兆候が出ているみたい。ボロが出ないように気をつけないと。

「このコート、もっと荒れてたと思ったんですが、そちらが?」

「ええ。選手たちが、がんばって整備してくれました」

「そうですか。そこまでして」

樽宮監督は、私たちが整備したコートを目を細めて見つめた。

「ありがたいことです。去年からずっと、火山の風評被害でなかなか他県のチームが来てくれなくなってしまって。こちらから伺おうにも、遠征費用が無限にあるわけじゃないですし」

「わかります」

毛利先生、今日は絶好調だ。絶好調でやっと普通の会話、というのもどうかと思うけど。


樽宮監督は、ふとそばにいた私に目を止めた。

「ずいぶん可愛いお嬢さんだね。君も試合に出るのかい?」

言って、柔和なスマイルを向ける。前言撤回。若いころモテた、じゃなくて今でもモテるおじさまだ。

試合に出るのか、と聞いたのはきっと私も赤いユニフォームを着ていたせいだ。

「いえ、応援用に揃いのユニフォームを作ってもらっただけで、私はマネージャーです」

「そうか、マネージャーか。うちは工業系で、女子が全体の一割もいないからねえ。うーん、女子マネ。いいねえ」

何かを思い出すように目を閉じて、うんうんうなずいている。私はとりあえず笑ってごまかし、未散を樽宮監督に紹介した。


未散が樽宮監督にあいさつしているうちに、バスの乗降口から黒板科技の選手たちがぞろぞろと降りてきた。青と白の二色が左右に配置されていて、とても綺麗なユニフォーム。今更ながら、私が注文間違えなかったら、うちのユニフォームも青だったんだな、と思ってしまう。


「わっ」


相手の選手たちが、降りた途端にわらわらと私を取り囲んだ。

「あ、あのっ!マネージャーさんですか!?」

飛び抜けて背の高い人が興奮気味に言った。百九十センチはありそうで、すごい迫力だ。私は一歩引きたい気持ちをこらえつつ、

「はい。本河津高校サッカー部マネージャーの、広瀬夏希です。きょ、今日は、よろしくお願いします」

と答えた。後ろの選手たちが「可愛い」「美人」とひそひそ話をしているのが聞こえる。褒められるのは嬉しいけど、今は珍獣になった気分。

「俺、佐藤って言います!FWやってます。いやー、可愛いっすねー。三年ですか?」

ちょっと天然パーマで、色白で、彫りの深い顔立ち。古いタイプの男前というのか。

「二年です。うち、三年がいないので」

「へー、そうなんだ。俺も二年」

急にタメ口になった。分かりやすいな。でも愛想がいいから許そう。


「佐藤。いい加減にしろ。困ってるだろう」

一番後ろから声がした。それほど大声じゃないのに、よく通る声。ざわざわしていた選手たちがぴたりと静まり返る。それだけで、声を発した主がチームの中でどういう存在かが分かった。

「うちの佐藤が失礼しました。キャプテンの白井です」

さっきの佐藤君ほどじゃないけど、それでもうちの茂谷君くらいは大きい。まだ若いのに、生え際がちょっとだけM字になりかかっている。口角は上がっいて目元も柔和なのに、唇が薄くて黒目が小さいので何となく冷たい雰囲気がある。うちの島君が前線で戦う軍人だとしたら、この白井さんは後方で指示を出す司令官タイプの軍人だ。

「いえ、気にしないでください。マネージャーの広瀬です。こっちは、キャプテンの藤谷」

「おお、君か」

白井さんはもじもじしていた未散に、自分から歩み寄った。そして手を差し出す。

「キャプテンの白井だ。君があの、フリーキック動画の10番か」

「え、知ってるんですか?」

未散が握手しながら目を見開いた。あの動画のことを言われるのは久しぶりだ。

「もちろん知ってるよ。うちでもずいぶん評判になったんだ」

「そ、そうですか。いや、恥ずかしいです」

「真似してたヤツもいたよ。誰も再現できなかったけどね」

「いやあ。でも、あのワンプレーよりもチームとしてこの県の上位に行ってる方がすごいと思います」

「優勝できなきゃ上位も何もないよ」

何だか盛り上がっている。認め合っているというか。こういう時、私も男に生まれたかったな、といつも思う。


それぞれのベンチに分かれ、試合前のアップを入念に行う。合宿の疲れもそろそろ出る頃なので、ケガだけは気をつけなくちゃいけない。何せ十五人しかいないチームなのだ。

今日は久しぶりに新ユニフォームを着用し、みんなのテンションも高い。そういえば未散がさっき白井さんに、「動画だと白いユニフォームだったけど、あれはセカンド?」と聞かれていた。結局何て答えたんだろう。


いい加減なアップをしないように目を光らせるため、私はみんなの中をうろうろと歩きまわっている。元選手だからわかるけど、こういう地道な運動はどうしてもめんどくさくてサボりがちになるものなのだ。実際私がそうだった。


樽宮監督と何か話していた未散が、ようやくこちらに戻ってきた。そして私たちに、

「有璃栖が出られるぞー」

と言った。

部員たちが歓声を上げる。

「……最後の一本だけね」

未散が小さく付け足した。でも当の有璃栖ちゃんは特に気にしていないようで、

「やった、ありがとうございます!」

と、未散の手を両手で握り、上下にブンブン振りまくっている。

「有璃栖。手が痛い」

「大丈夫です!」

「俺が痛いんだ!」

駅で合流した当初は硬かったけど、ずいぶんくだけたな。みんなも可愛い妹を見るように接している。


でも、特定の人とちょっと距離が近すぎるんじゃないかな。


ちらりと伊崎君を見る。わいわいじゃれあう未散と有璃栖ちゃんの方を見ているその表情は、普段見せないような神妙な顔だった。


そろそろ一本目を始めようかという時になって、黒板科技の選手が一人、こちらに走ってきた。

「何かありました?」

私が聞くと、

「君んとこは、マネージャーもユニフォーム着るのか?」

と私のユニフォーム姿を見て言った。

「はい、応援用です」

「ふーん」

言いつつ、チラチラと私の胸元を見ている。見ている本人は気づかれてないと思っているけど、意外とバレているのだ。

その選手は田淵と名乗った。背はそれほど高くなく、奥目でちょっと受け口だ。左MFのレギュラーだと、聞く前に話しだし、同ポジションの菊地君がピクッと反応する。対決する右MF皆藤君、右SB狩井君もチラチラ観察している。


「それで、何か緊急の用ですか?」

もう一度私は聞いた。まさか私の胸を見つつレギュラーだと自慢しに来たわけじゃないだろう。

「その、あそこにいるちっちゃいヤツ、冬馬って名前じゃないか?」

私は田淵君が指す方を見る。冬馬が少し離れたところで入念にストレッチをしていた。

「そうだけど、呼びます?」

「んー、じゃ頼むよ」

私はめんどくさそうな様子の冬馬を、腕をつかんで半ば強引に連れてきた。

「どうぞ。うちの冬馬です」

「どうぞじゃねーよ、手え離せ」

冬馬が私の手を振り払った。

「やっぱり」

田淵君は冬馬を見て何度もうなずいた。

「何がやっぱりなんだよ。誰だ、お前」

冬馬がぶっきらぼうに言い放つ。田淵君は驚いたような顔で言った。

「覚えてないのかよ、冷たいな。東京でユースのセレクション、一緒に受けただろ?ミニゲームでお前にアシストしたの俺だぞ」

東京で、ユース?みんなが冬馬に注目する。

そんなの、こいつは一言も言わなかった。

「終わった話だ。もう覚えてねえよ」

つれない冬馬に、田淵君はなおも食い下がる。

「そのあと春瀬の練習に参加した時も、お前見たぜ。東京でも、春瀬でも、お前一番点決めてたのに、何でこんな学校にいるんだ?」

こんな学校、と言ってから、田淵君はしまったという顔になった。もう遅い。でも、言われて当然の実績だし、いちいち腹を立てても仕方ない。


冬馬が何も答えないのを見て、田淵君は「失礼しました」と言って戻っていった。

しばらくベンチが静まり返る。


沈黙を破ったのは、キャプテンだった。

「冬馬。お前、東京ユースと春瀬両方受けてたのか」

「だったら何だってんだよ」

「何って、何もないけどさ」

冬馬は「フン」と言って一番にコートに出て行った。いつもは最後に出て行くのに。

「何あの態度」

私がつい憎々しげに言うと、茂谷君が静かに言った。

「そう言うなって。みんなの前で挫折体験をいきなり暴露されたんだ。あれでこらえてる方だろう」

「でも、私たちにも隠してた」

私が口をとがらすと、

「君だってサッカーやってたの隠してたじゃないか」

と、茂谷君がニヤニヤ笑う。

「それはいいの!」

髪型が坊主になっても、このイケメンの中身は憎たらしいままだ。


「キャプテン」

狩井君が、いつになくはっきりした声を出した。

「おう、何だ?」

「僕、さっきの田淵って人、完封します」

「え?」

「こんな学校っていう暴言、後悔させます」

おお、いつも地味な狩井君が燃えてる。


一本目の三十分。


黒板科技は自分たちの持ち味を存分に発揮した。いわゆるキックアンドラッシュ、と言われる戦い方で、前線にロングボールを放り込み、白井さん、佐藤君の2トップにぶつける、というとてもシンプルなものだ。

でも私たちだって負けてない。金原君が高さで対抗し、茂谷君が相手のポストプレーからの攻撃を事前に読んでつぶしていく。

それでも長身の2トップによる攻撃はかなり厄介で、うちはなかなかカウンターにつなげられずにいて、前線で冬馬が苛立つ展開になっていた。


試合は0-0のまま、残り五分。


完封宣言した狩井君が、その通りに田淵君を押さえ込んでいる。田淵君は狩井君につっかかるのをやめ、かなり浅い位置から左足でゴール前にアーリークロスを上げた。

待ち構えていた佐藤君が、長身をさらに跳躍させる。

金原君が目一杯ジャンプして競り合う。しかし佐藤君は頭を下げて、ボールをスルーした。

「まずい」

控えの島君が隣でつぶやく。

ゴール前を通り過ぎたボールは右サイドにいた白井さんの頭に届く。茂谷君のチェックをかいくぐるように、叩きつけたボールがゴール前に折り返される。

受けた佐藤君が金原君をキックフェイントでかわし、長い左足をハーフボレーで振り抜いた。

「あーっ!」

思わず声が出てしまう。放たれたシュートは反応した梶野君の右手を弾いて、ゴールに飛び込んでいった。


0-1。


金原君が芝をドスドス殴って悔しがっている。私も悔しい。茂谷君が梶野君に近寄って何か言っている。

「島君、今の防げた?」

私が八つ当たり気味に聞くと、島君はそのいかつい顔をこちらに向けて、

「シュートのことか。それとも、一連の攻撃のことか」

と冷静に言った。

私は「両方」と答える。

「シュートは、梶野だから反応できた方だと思う。まず防げない。最後金原がかわされたところは、経験者との差もあるし、責めては酷だ。むしろそれまで高さで負けなかったことを評価すべきだ」

「茂谷君は?」

「ちょっとうかつだった。何度も同じパターンを繰り返していたら、変えて来ることも想定すべきだった。結果論だが」

「そうだね。でも、もう一人いればケアできたんじゃないかな」

私と島君の視線が、4番の黒須君に注がれる。ちょうど未散に何か言われているところだ。

「銀次を上げて、左サイドをかなり空けている以上、こういうケースはこれからも起こる。黒須も体が二つあるわけじゃないから責められない。藤谷がどうするか」

「島君の考えは?」

「俺は藤谷に従う」

「それ、答えになってないよ」

「俺の仕事は分析じゃなくて、ゴールを守ることだ。分析は小林の仕事だ」

融通のきかないヤツめ。私は黙ってフィールドに目を向けた。


残り一分。


右サイドで得たフリーキック。未散がボールの前に立つ。金原君、茂谷君らがポジションを取りながらゴール前に殺到する。

守備にはFWの佐藤君も参加している。金原君でも頭一つ抜けるのは厳しい相手だ。


ホイッスルが鳴り、未散がボールに向かって踏み出す。蹴り上げられたボールは、ゴール前をはるか高く越えて、左サイドに流れて行った。


「おおっ」


私は思わず立ち上がる。左サイドに流れたボールを、走りこんだ菊地君が左足でダイレクトに折り返す。ニアサイドに低く出たボールに反応したのは、やなヤツだけど頼れるうちのエース、冬馬だった。右足のアウトサイドでちょこんと合わせたボールが、ポストとキーパーの間に飛び込んだ。


1-1。


「よしっ!」

「やりました!」

近くにいた有璃栖ちゃんとハイタッチする。直後に一本目の試合が終了した。


みんなが汗だくでベンチに帰ってくる。タオルやドリンクを次から次へと渡していく。有璃栖ちゃんが手伝ってくれてるからいいけど、夏はやっぱり仕事が多いな。

「冬馬、ナイスゴール。菊地君も、よくダイレクトで返したね」

冬馬はニコリともせず「おお」と返事をした。返事があるだけマシか。

菊地君は得意げな顔になり、

「藤谷が、普段からダイレクトで行けってうるせえからな。それに」

と、黒板科技のベンチを振り返った。

「あの田淵ってやつに先に仕事されたんだ。負けてらんねえよ」

おお、男の子だ。


私は最後に戻ってきた未散に声をかける。

「どうだった?」

「んー」

同点に持ち込んだのに、渋い顔だ。

「何か不満?」

「うーん。あれだけロングボールばっかり来るとは思わなかったけど、それにしたって攻め手が無かった。全然理想と違う」

眉間にシワを寄せたままボトルをあおる。次の試合は十五分後。メンバーも少し変える予定だ。

「おい、あれ小林じゃねえか?」

銀次君が言った。視線の先に、ノートパソコンを抱えた紗良ちゃんが必死に走っている。

私は思わず走りだした。


「紗良ちゃん!」

彼女はコートの少し手前で立ち止まり、ひざに手をついた。肩が大きく上下している。どこから走ってきたんだろう。

「大丈夫?」

「はあ、はあ、わ、分かった」

「え?」

とりあえず水分を、と私はベンチに紗良ちゃんを連れて行った。みんなも口々に「大丈夫か?」「何事だ?」とざわつきだす。

紗良ちゃんに水を渡すと、彼女は一気に飲み干して大きく息をついた。そして、

「藤谷君!」

「は、はいっ!」

呼ばれた未散が、妙に大げさに反応する。そんなに驚くほどでもないのに。

「私、午前中ずっとインハイ予選の決勝見てたんです。藤谷君からもらったDVD」

「は、春瀬と桜律の?」

紗良ちゃんはうなずく。

「それで、ずっと4番の別府って選手の動きを追ってたんです。試合中、どこにでも顔を出すのに、ずっとバテないのが不思議で」

黒須君が一歩前に出る。

「小林先輩、何か気づいたんですか?」

「そう。これで、左サイドの守備の穴もふさげるかもしれない」

「マジでか、こばっち!」

未散がにわかに色めき立つ。私たちは紗良ちゃんのヒザの上に開かれたノートパソコンを覗き込んだ。

そこには、サッカーコートの図形と、青と白の数字が書かれた丸。丸は選手だ。春瀬の4番にだけ、赤い色がついている。

紗良ちゃんがクリックすると、丸が自動的にあちこちに動き出した。

「すげーな、これ。シミュレーションってやつか」

銀次君が感心したように言った。

「そうです。シミュレーションで4番の動きを重点的に追った結果、分かったことがあります」

「そ、それは?」

みんなが固唾を飲んで紗良ちゃんを見つめる。

「あの、そんなに見られると緊張するんですけど」

「こばっち、じらすな」

未散が急かす。紗良ちゃんは咳払いを一つして言った。

「春瀬の4番は、確かにフィールド上のどこでも顔を出しています。でも決まった範囲、決まった状況でしか動いてません。自分が参加することで、均等な三角形が成立する時に限って動いてるんです」

沈黙。アブラゼミの音だけがやかましく聞こえる。

「紗良ちゃん、ごめん。意味わかんない」

私が言うと、

「そうか!でかしたぞこばっち!」

と、未散が唐突に大声を出した。そして紗良ちゃんの頭をわしゃわしゃと撫で回す。

「やめてー、髪がー」

未散は黒須君と茂谷君を呼び、三人で何かひそひそ話し始めた。すぐ内緒話するし。

「今のわかった?」

有璃栖ちゃんに聞くと、彼女も首を横に振った。部員たちもきょとんとしている。

何だろう。要するに、さっきの失点シーンみたいな場面が防げるってことなのかな。

「広瀬」

未散がさっきまでとはまるで違う顔になっている。

「何?説明してくれるの?」

「いや、時間がない。今からの二本目で試してみる」

「何を?」

未散はなぜか得意げな顔になり、

「左サイドの穴をふさいで、かつ強烈なカウンターにつなげる方法だ」

と胸を張った。


数分後、キーパーを梶野君から島君、金原君を照井君、菊地君を国分君、そして芦尾を伊崎君に変えて、二本目が始まった。一体何が変わるんだろう。

ぐしゃぐしゃになった髪を紗良ちゃんが直している。その顔は、今朝の彼女とはまるで別人のようにイキイキとしていた。


何か私だけ、バカみたい。


つづく

たぶんしなくていい名前の由来解説


黒板科技高校……ブラックバーン・ローバーズ

樽宮監督……ダルグリッシュ監督

白井……シアラー

佐藤……サットン

田淵……ダフ

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