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第29話「最後までやり遂げろ」

インハイ女子決勝戦、観戦。

楽しい時間は速く過ぎると言うとおり、広瀬コーチが見てくれる一週間は、あっという間に過ぎてしまった。

今日は最終日。


その間、劇的にプレーの質が向上した菊地や直登はもちろん、一年たちもそれぞれ具体的にアドバイスを受けている。

だけど俺だけは、いまだに何も言われてはいなかった。それとなく広瀬に聞いてみても、「注意するところが無いならいいんじゃない?」とそっけない。でもそれならそれで、そう言ってほしいんだ。直すところはないと。


今日は午後の立ち上がりから、部室でコーチを交えてある会議を行うことにした。

テーマは夏の合宿地。7月下旬に、8月中旬の日程で合宿地に予約を入れようというなかなか無謀なプランである。空いてるわけがない。普通なら。

だが俺は見つけてしまった。丁度お盆の時期に、四泊五日で使える合宿所を。


俺はみんなを周りに集め、こばっちから借りたオンライン用のタブレットを見せる。そこにはネット上で俺が見つけた合宿所、というより研修所の無機質な白い建物の画像が映っていた。

「ここなんだけど、どうかな。部の予算だけじゃとても足りないけど、ユニフォームの時よりは少ない額で何とかなると思う」

みんなが「おおー」とうなる。そこは隣県の海沿いの研修所で、駅からはバスで三十分と遠いが、歩いて十分の距離に芝のグラウンドがあり、コンビニも一件ある。もうちょっと歩くと小さめの海水浴場まである。まさに理想の場所だ。


「最高じゃないですか、キャプテン!」

伊崎がすでにハイテンションだ。チラリと広瀬を見ると、ちょっとだけ目を細めている。まるで「そんなうまい話があるわけない」とでも言いたげだ。

「そんなにいいところなら、何でまだ空いてるの?」

若干表現を変えて、広瀬が予想通りの疑問を呈した。みんなも「そう言えば」と何となく不安げな目で俺を見つめる。

「何というか、その、ちょっとだけワケアリというか」

「もしかして、心霊スポットですか!?」

こばっちが血相を変えて迫ってきた。霊的なものは苦手なのか。

「いや、違う。そんな話は無い」

「古くて耐震使用じゃないとか?」

坊主頭の直登も続く。

「それもない。建ったのはそれほど前じゃないし」

パイプ椅子に座って黙って聞いていたコーチが、ここで口を開いた。

「藤谷君。そこってもしかして、去年火山の避難勧告が出たすぐ近くじゃないのか?」

鋭い。部室内がにわかにざわつき始める。

「そうなの?」

広瀬が言った。目が険しい。俺は観念した。

「実は、その通りだ。でもそもそも、去年火山が煙を吹いた時だって、ここは避難地域から外れてたんだ。ただ火山が近いってだけで、客足が減った地域だ。ある意味風評被害なんだ」

別にこの地域の回し者でもないのに熱弁しすぎだろうか。でもせっかく調べて出てきたんだから、行けるものなら行きたい。


コーチが言った。

「妹を送り出す身としては、危険な地域には行ってほしくないけどね。ただ、土地のイメージだけで実際には危険が無いなら反対する理由はない」

広瀬が隣でほっぺをぽりぽりとかいている。照れているのだろうか。

「キャプテン」

伊崎が手をあげた。

「何だ」

「もしその研修所案がポシャッたら、合宿は中止ですか?」

「いや、合宿自体はやりたい。泊まる場所が学校になるだけだ」

「えー」

みんなのテンションが一気に下がる。学校に泊まるというのはそれはそれで非日常ではあるが、目に映る風景が代わり映えしないのは確かだ。


「藤谷」

芦尾が言った。こいつが会議で積極的に発言するのは珍しい。しかもキリッとした真面目な顔だ。

「おお、芦尾。何かあるか?」

「二つ、確認したいことがある」

言って、こちらにVサインを出す。

「近くに海水浴場があると言ったが、そこに行く時間は取れるのか?」

「天気が良ければ、どっかで半日くらい行こうと思ってる。もちろん遊びにじゃなくて、ビーチサッカーとか単純に砂浜走ったりとか」

「メニューはどうでもいい」

芦尾の目がギラリと光る。

「問題は、チーマネが水着になるかどうかだ」

全員の目が広瀬に集まり、すでに身構えてしまっている。

このまま黙ってても仕方がない。聞くだけ聞いてみようか。

「えーと、広瀬、どうだ?」

何て間抜けな聞き方だろう。どうだもへったくれもない。

しかし意外にも広瀬は、

「泳げるんなら、そりゃ水着になるけど」

とあっさり言い放った。

男前だ。

「おおー!」と歓声があがる。みんな、そのマネージャーの身内が同じ室内にいることを忘れていないか。恐る恐るコーチを見るが、特別不機嫌な様子もない。さすが、器が大きいなあ。


「もう一つは?」

俺はとりあえず芦尾をうながす。

「火山があるということは、つまり近くに温泉があるということか?」

言われてタブレットを確認する。確かに、マップに温泉宿らしき建物がちらほら見える。

「そう言われればあるな。日帰り温泉だったら練習終わった後行けるな」

「露天風呂ですか?」

なぜかこばっちが食いついてきた。

「温泉にもよるけど、大抵あるんじゃないかな。好きなの?」

「はい!」

言って、目をキラキラさせる。意外だ。

芦尾と伊崎が「ちょっと話し合う」と言って二人でヒソヒソ話しだした。伊崎はちょっと前まで菊地によくくっついていたが、最近は芦尾と仲良くなりつつある。芦尾なんかと気が合ってしまうと、岸野さんへの片想いはますます成就から遠ざかってしまうと思うんだが。


「すみません、しょうもない会議で」

俺は何となくコーチに謝った。

「いや、楽しんでるよ。僕のいたサッカー部はこんな明るい雰囲気じゃなかったからね」

コーチが笑う。

「それに、いつもと環境を変える合宿には賛成だ。運が良ければ、地元の高校や近くで合宿してる他県の高校と練習試合が組めるかもしれないしね」

「おお、その手がありましたか」

言われてみればその通りだ。他県の高校なら、戦術を知られても県大会には影響ない。そしてそれはお互いのメリットにもなる。


「藤谷」

芦尾が言った。伊崎との話し合いが終わったらしい。

「その合宿所に決めよう」

「おお、そうか。みんなは?」

他の部員たちの顔を見回す。火山への不安をコーチが理知的に排除してくれたこともあり、みんな前向きにうなずいている。何とか行ける方向になりそうだ。気が変わる前に予約しよう。


ひとまず会議は終了し、午後の練習に入る。練習場に出てすぐ、コーチが芦尾を呼び止めた。

「何すか?」

呆けたような顔で芦尾が答える。コーチは爽やかな笑顔を浮かべた。

「芦尾君には、うちの妹にセクハラを働いたペナルティとして特別メニューを組むことにしたから」

「ちょっと待ってくださいよ!ただのシャレじゃないですかー!」

血相を変えて逃げ出す芦尾を、島がガッシリと捕まえる。

「離せ、島!この裏切り者!」

「手を組んだ覚えはない。コーチ、どうぞ」

「ありがとう、島君」

芦尾が「いやーっ!」と叫びながら連行されていく。コーチ、やっぱり妹へのセクハラを根に持っていたのか。

器は普通サイズだった。


キープ力を高める練習、という名目で、芦尾はボールを持った状態でDF三人にガシガシ削られる特訓をコーチから課せられた。時間内に取られた回数だけ後でダッシュするという鬼のようなルールだが、実際芦尾のキープ力はこの一週間でどんどん上がっている。それどころか、ラストパスを通した回数でダッシュを減らすというルールが追加されると、狭いエリアで立ちまわって冬馬や伊崎に決定的なパスまで通すようになった。あの芦尾でさえレベルアップしているのだ。

なのに最終日も、俺には何もない。もう、上がり目が無いと見切られているのかな。


日が傾いて暑さもやわらぐ頃、とうとうコーチとお別れの時がきた。コーチはみんなの前に立ち、言った。

「たった一週間ではあったけど、みんなのおかげでとても楽しく価値のある時間を過ごすことができた。感謝してる。今後もし正式にライセンスが取れたとしたら、それは君たちのおかげだ」

菊地がグスッとしゃくりあげた。クールなやつかと思ってたけど、意外と情にもろいところもあるんだ。

「正直言って、最初は県大会優勝というのは無謀じゃないかと思っていた。でも練習を見るうちに、考えが変わった。県大会のトーナメント優勝、という一点に限定すれば、例え相手が強くても不可能じゃない」

コーチは言葉を切って、ふいに俺を見た。その目は何だかとても優しくて、俺はあわてて目をそらす。

「でもそのためには、キャプテンの藤谷君をもっとみんなで支えてやらなきゃいけない」

……あれ、これってちゃんと見てくれていたってことなのかな。やばい、目頭が少しだけ熱くなってきた。

「最後にこれだけ言わせてくれ」

コーチは仕切りなおすように言い、両手を大きく広げた。

「お前たちはー」

一瞬、間が空く。


「俺の選手だ!」

「コオォォォォォォォチィィィィッ!」


一年たちだけでなく、菊地や金原ら二年までコーチの周りに集まって、全員で熱く抱き合っている。何だこれは。クールマンの直登まで一緒になっている。


……完全に出遅れてしまった。どうしよう、今さら入りづらい。

と、背中がちょんちょんとつつかれた。

「ん?」

振り返ると、広瀬がため息を付きながら、

「行ってあげて。兄さん、こういうノリ好きなの」

と言った。

「そ、そうなのか」

これは体育会系というより、学園ドラマのノリだ。

「お前がそういうなら」

俺は遅れて、しぶしぶみんなの輪に加わった。

「わっ!」

近づいた途端、コーチの腕が俺の肩をグイッと抱いた。

「がんばれよ、キャプテン」

「は、はい」

俺の肩を抱くその腕は、当たり前だが大人の男性のたくましい腕であり、その感触に俺はいやおうなく自分がまだ子供なのだと実感させられた。


今日の練習が終わり、コーチがもうすぐ帰る、という際に俺はずっと気になっていた質問をぶつけに行った。失礼なのは重々承知だ。でも、どうしても聞きたかった。

「あの、コーチ」

「ん?」

コーチはベンチに座って練習場を眺めていた。

「一つ、質問があります」

「うん。どうぞ」

座っている隣をポンポンと叩く。俺は少し離れて腰掛けた。

「コーチは、どうしてプロ入りした時、東京に行ったんですか?」

コーチが俺の顔を見た。

「何でそんなことを聞く?」

「いえ、その、コーチほどの選手なら、どのチームでも中心選手になって、代表にも選ばれたと思うんです。でも、東京だと」

「なるほどね」

コーチは笑ってさえぎった。

「君は、同じポジションにスターがいるチームにわざわざ入るのは馬鹿だと言いたいのか?」

「と、とんでもないです!」

俺は焦って手をブンブン振った。コーチはそんな俺を見て、一際楽しそうに笑う。

「冗談だよ」

「じょ、冗談ですか」

「でも、東京に行ったのにはちゃんと理由がある。一つは、お金だ。声をかけてくれたどのチームより提示額が高かった。大学に行って少し家計に負担をかけたからね」

「孝行息子ですね」

「だろう?なのに広瀬家の女たちは僕を全く評価してないんだ」

コーチは何かを思い出したようにため息をついた。実家でどんな扱いを受けているんだろう。長男なのに。

「他には、当時一番強かった東京で優勝したいって気持ちもあったし、単に都会に出てみたいっていう気持ちもあった」

「コーチにも、そういうところがあるんですね」

「おかしいか?地方に住んでる人なら一度は東京に出たいと思うんじゃないか。僕はそのチャンスに乗ったんだ」

「俺はてっきり、ひ、えーと、な、夏希さんに全国ネットで活躍する姿を見せて、元気づけようとして東京に入ったのかと」

コーチは一瞬きょとんとして、そして声を上げて笑い出した。

「な、何で笑うんですか!」

俺の抗議に、コーチはむせながら謝った。

「ごめんごめん。あんまりにも突拍子もないこと言うから」

「そんなにですか」

「ケガでサッカーをやめてからあいつが暗くなったのは事実だし、また元気になってほしい気持ちはもちろんあったよ。でも、それだけで自分の人生を決めたりしないよ」

「そ、そうですよね」

恥ずかしい。言わなきゃよかった。

コーチは少々人の悪い笑みを浮かべ、

「それは僕がやったことじゃなくて、君が夏希にしてやりたいことなんじゃないのか?」

と言った。俺は赤面したまま固まる。

「そこまであの愛想のない妹を想ってくれていることは、兄として感謝するよ」

「コーチ!今の絶対あいつに言わないでくださいね!」

「さあ、どうしようかな」

コーチが意地悪く笑う。チクショウ、こんなところは兄妹そっくりだ。


俺は続けて言った。

「コーチ、お願いがあります」

「ん?」

「うちの監督になってもらえませんか?」

俺の顔を見て、コーチも笑いをおさめた。

「藤谷君。今このタイミングで大人に甘えるのは、得策とは言えないな」

「そんなつもりは」

「君はキャプテンとしてよくやってる。君がそれだけがんばっているから、みんなもついてきているんだよ。今さら大人に頼ったら、みんなが白ける」

「そういう、ものでしょうか」

「そういうものだ。もっとも、それ以前にB級ライセンスを取らないと高校サッカー部の監督にはなれないけどね」

コーチがベンチから立ち上がった。

「自信を持て、藤谷未散。君に足りないのはそれだけだ」

「え」

俺は思わずコーチの顔を見上げる。

逆光でどんな表情をしているのか見えない。

「君はプレーヤーとしても、キャプテンとしても、僕が持っていなかったものをたくさん持っている。正直言って、嫉妬を覚えるほどにね」

「そんな」

「最後までやり遂げろ。そしてできれば」

言って、コーチの視線はこばっちとしゃべっている広瀬夏希に注がれた。

「あの愛想の無い妹を、勝って笑顔にしてやってくれ」


八月。コーチが去ってから、十日余りが過ぎた。今頃コーチは指導者になるための研修合宿に行っているはずだ。

俺達の合宿もあと三日後に迫っており、みんな休憩時間に「花火は誰が持って行くか」とか「ビーチバレーのボールはどこで売っているのか」などサッカーとは何ら関係の無いミニ会議を繰り返していた。こんなんで大丈夫だろうか。


今俺たちは、昼の休憩の後からクソ暑い部室に集まってこばっちのタブレットを取り囲んでいる。今回のタブレットはテレビ機能付きバージョンである。こばっちの家には一体何種類のタブレットが転がっているのだろう。そして古い扇風機しかないこの部室でオーバーヒートの心配は無いのか。


「岸野さんだ!」


伊崎が画面を見て叫ぶ。今俺たちが見ているのは、インターハイ・サッカー女子の部決勝。公共放送の地上波で運良く中継があり、「全国レベルの試合を見て戦術の向上をはかる」という名目で試合観戦をすることになった。今日は盛田先生がいないので、大人は毛利先生だけだ。その毛利先生は八月の日差しにやられて、部室で横になっている。あの人はこの先どうやって生きて行くんだろう。大人なのに。


ともかく、今画面には桜律女子高校の白地に花吹雪のユニフォームと、対する莉蓉学園りようがくえんの濃いピンクのユニフォームがそれぞれグラウンドに散っていくところが映っていた。中継スタッフも心得たもので、両チームで一番可愛い岸野さんをしょっちゅうアップにして映している。伊崎はタブレットの真ん前に陣取って近づき、みんなに「見えない」と引っ張られていた。


「あ」


俺はあることに気づいて声をあげた。スタメンに一条さんがいない。

「一条さん、カード累積?」

こばっちに聞くと、

「違います。準決勝で負傷して途中交代したんですけど、それがまだ治ってないみたいです」

と答えた。

そうだったのか。最近はスポーツニュースをまとめたサイトもさっぱり見なくなったし、かなり情報にうとくなった。こばっちに頼りっぱなしだ。でも、コーチにも「もっとみんなを頼れ」って言われたし、それはそれでいいのかもしれない。


「菊地。相手の莉蓉学園て強いのか?」

俺は聞いた。

「最近急にな。何年か前に経営者が変わって、スポーツに力入れるようになったらしいぞ」

菊地はサラリと答えた。さすがサッカー雑誌を複数購読しているだけはある。もっとも、最近は買って満足してしまってあまり読んでいないらしいが。


桜女ボールで、キックオフのホイッスルが鳴った。

岸野さんは中盤やや下がり目でボールを受けて、ドリブルで攻め上がるプレーを得意としている。一条さんも似たタイプだが、周りをうまく生かしながら攻撃を組み立てる一条さんに対し、岸野さんはよりゴールに直線的だ。本来なら攻撃に専念させた方がいい選手だけど、今日は一条さんの代役らしきポジション。少々不安は残る。


序盤は両チームとも様子見といった展開で、シュートも一本ずつ。枠に飛んだ鋭いものはまだ無い。

岸野さんも一生懸命ボールを散らして中盤を作ろうとしている。でも、それは彼女の持ち味ではない。

「岸野さん、何か無理してない?」

いつのまにか隣に来ていた広瀬が、おもむろに口を開く。綺麗に整った横顔が至近距離に迫り、思わず叫びだしそうになる。心臓に悪い。

「い、一条さんの、代役を果たそうとしてるみたいだな」

俺は平静を装って言った。

「そんなの、岸野さんのスタイルじゃない」

「でも、桜女は一条さんが実質監督なんだから、それも一条さんの指示じゃないのか」

「うーん。るいちゃんは負けるの大嫌いだけど、そういう子じゃなかったのに」

広瀬が納得行かない、といった顔でうなる。確かに、子供の頃からの気質というものは成長してもあまり変わらないと聞いたことがある。だとしたら、岸野さんがあまり攻め上がらずパス中心のプレーに徹しているのは自分の判断なのか。


「あっ!」


伊崎が声をあげた。岸野さんが出したパスが、莉蓉学園にカットされたのだ。次の瞬間、『怒涛』といった言葉がピッタリのカウンターが始まった。

淀みなく、迷いなく、必死に戻る桜女をあざ笑うようにダイレクトにパスがつながっていく。すごい。こういうカウンターをやりたいんだ、俺は。


「あああっ!」


伊崎の声が一際大きくなる。頭を抱えてイスから立ち上がり、「見えない」とみんなに無理やり座らされた。

中途半端に前に出てしまった桜女キーパーを、莉蓉のFWがフェイントでかわす。インサイドキックで転がされたボールは、桜女DFのスライディングも間に合わず、ゴールラインを割った。


0-1。


カメラが非情にも、直接のパスミスをした岸野さんを映す。眉間にしわを寄せて、自責の念にかられているような厳しい表情。ミスはミスだが、これくらいのパスミスは試合中に必ずある。問題はパスを出した方向にゴールへ向かう目的や意図があったのかということだが、膠着状態だったあの場面でそこまで完璧を求めるのは酷だ。彼女が自分に対して何をどこまで求めているのか分からないが、画面から伝わるのは自分への厳しさを超えた悲壮感だけだった。


試合が再開する。先制して自信を深めたのか莉蓉学園の動きが目に見えて良くなっている。桜女は終始受け身である。岸野さんはパス中心のプレーは変わらないものの、ドリブルで攻め上がる場面が増えて、同時に倒される場面も増えていった。

前半残り5分。ペナルティエリアやや左で岸野さんが倒された。ホイッスルが鳴る。

「岸野さん、フリーキック狙うと思う?」

広瀬が聞いた。

「練習で何度蹴ってもなかなか落ちないって、よくメールで愚痴ってたけどな。でもこの展開なら意地でも蹴る子だ」

「ふーん」

広瀬の目が細まる。

「ずいぶん岸野さんにお詳しいことで」

「フリーキックの一番弟子だからな」

「それだけ?」

「何だよ。何が言いたいんだよ」

「別に」

出た、別に。こうなったらもう何聞いても答えてくれない。

俺は気にしてないフリをしつつ、ボールをセットする岸野さんに注目した。


莉蓉学園が壁を作る。でも三枚だけだ。岸野さんがフリーキックを蹴るというデータは持ってないんだ。

「キャプテン、何ボンヤリしてるんですか!みんなで岸野さんを応援するんですよ!」

伊崎が拳を握り締めて言った。熱い。暑苦しい。

「ちゃんと応援してるじゃないか」

「気合が足りません!はい、き・し・の!き・し・の!」

何やら一人でコールを始めた。やめてくれ。

「やめろよ、恥ずかしい。俺そういうの苦手だ」


『き・し・の!き・し・の!』


「お前らもかよ!」

いつのまにか他の部員たちも、タブレットの前でコールを始めていた。こんなやつらじゃなかったはずなのに。意外と熱かった広瀬コーチの影響か。


コールはともかく、主審のホイッスルが鳴り、岸野さんがボールに向かって足を踏み出した。二、三歩軽やかに、弾むように駈け出して、右足を大きく振りかぶる。


「おおっ!」


振りかぶった右足は、俺が教えたフリーキックよりも素早い戻りでボールに向かい、体ごとひねるようにボールを蹴りあげる。

左端の壁の頭上スレスレを通り、ボールがゴール左上へ向かう。

落ちない。が、速い。

あえて壁のある方に蹴るとは思っていなかったのか、莉蓉のキーパーの反応が一歩遅れた。

ボールはグローブの先を少しかすめて、見事にゴール左上に突き刺さった。


1-1。


「うおおおおっ!」

伊崎が立ち上がって雄叫びをあげる。みんなも大騒ぎだ。俺も気づけば立ち上がっていた。

俺の教えたフリーキックじゃなかった。でも彼女は彼女なりに考え、大舞台で最高の結果を出した。師匠としてこんなに嬉しいことがあるか。

「良かったね、師匠」

広瀬がニヤニヤ笑いながら、俺の肩をポンと叩いた。


何だよ、さっきは不機嫌だったくせに。


前半は1-1で終了。十分のハーフタイムの後、後半に入った。

練習もしてないのに、部屋の暑さと緊迫した試合展開のせいでのどが乾く。結局広瀬とこばっちが、室内の部員のためにスポーツドリンクをタンクに作るハメになった。「練習してないのに何で」と広瀬が文句タラタラだったのは言うまでもない。


後半戦は桜女の攻撃が目立つ展開になった。連携がイマイチだった岸野さんのパスも徐々につながるようになり、ゴール前で何度もチャンスを作る。逆転ゴールは時間の問題に思われた。

しかし莉蓉学園も決勝まで来るだけあって、守りは固い。


1-1のまま、時間が刻々と過ぎていく。


頻繁に画面に映る岸野さんが、再び険しい顔になっていく。これが焦りというものか。まだ同点なんだから、焦る必要なんてないのに。

「あっ」

残り十五分。桜女のベンチ前で一条さんがアップを始めた。太もものテーピングが痛々しい。あれでプレーできるのかな。広瀬も露骨に心配そうな顔をしている。

「八十分で決める気でしょうか?」

黒須が聞く。

「多分な」

俺は答えた。でも何だろう、このイヤな感じ。一条さんが出ることがプラスになるならいいけど、この流れでは焦っているようにしか映らないのではないか。


そして代役を任された岸野さんだって。


「あーっ!」

伊崎が大声を上げた。桜女のシュートがDFに当たり、こぼれ球を莉蓉学園が拾う。下がり目にいた岸野さんが必死にゴール前に戻る。

莉蓉は先制点の時と同じくゴール前に迫ったが、さすがに桜女も二度同じカウンターは食らわず、コーナーキックに一旦逃れた。

桜女のFWの一人がベンチへと戻っていく。アップを終えた一条さんが交代で入るようだ。


「広瀬。こういう時の一条さんはどうなんだ?」

俺が聞くと、広瀬は首を振った。

「分からない。でも、もし予定になかったとしたら、ちょっとらしくないと思う」

「どういう意味ですか?」

こばっちが聞いた。

「だって、こんなタイミングでケガ持ちのエースが出ていったら焦ってるのが見え見えだし、岸野さんに代役を任せたのも中途半端になる」

広瀬は答えた。俺とほとんど同じ感想だ。戦術には詳しくないと言っていたけど、そういうところはちゃんと見ているんだな。


フィールドに入った一条さんは、一言岸野さんに声をかけ、コーナーキックの守りに参加する。

莉蓉学園の右サイドからのコーナーキック。キッカーがちょこんと近づいてきた味方に渡す。ショートコーナーで来たか。パスを受けた選手が、反転してペナルティエリアに流す。

詰める桜女DFの鼻先で、莉蓉の選手がもう一度ボールをダイレクトでサイドに戻す。ショートコーナーの最初のキッカーが走りこむ。


まずい。


右利きかと思われた莉蓉のキッカーが、左足を一閃する。放たれたグラウンダーのシュートは、ゴール前に集まる選手たちの足元を抜け、桜女ゴールに飛び込んだ。


1-2。


残り五分。歓喜に湧く莉蓉学園。

対照的に、ガックリとひざをついている桜女。まだ終わってないのに、もう負けたようなムードだ。まずい。非常にまずい。


莉蓉学園は完全に守りを固めはじめた。部員たちは「きたねーぞ!」と文句を言っている。気持ちはわかる。でも俺たちだって、桜女との練習試合で同じようなことをやった。勝つために有効で、必要なのは確かなのだ。


アディショナルタイム。大味なクリアボールを岸野さんが拾う。一条さんが、見たからに本調子じゃない動きでゴール前へ走る。一人、二人とかわして岸野さんが左サイドからゴール前へ迫っていく。そして、角度の厳しいシュートコースと、一条さんへのパスコース、二つの道が彼女の前に開いた。


時間にして一秒も無い時間、岸野さんはボールをキープして、一度左足で中へ切り返し、右足でシュートを打った。


「あああーっ!」


見事にキーパーの逆をついたファーサイドへのシュートは、「ゴン」という非情な音を立て、ポストに弾き飛ばされてしまった。


試合終了のホイッスル。


莉蓉学園のベンチから、歓喜の集団がグラウンドへなだれこむ。桜女の選手たちが芝に座り込んでいく。しかし岸野さんだけは、座ろうとしなかった。

彼女はペナルティエリアに立ったまま、ずっとゴールポストを見つめていた。足を引きずる一条さんが声をかけるまで、ずっと。


翌日。

合宿まであと二日となった日の練習中に、広瀬の携帯に俺あての電話がかかってきた。とすると、人は限られてくる。

「あ、もしもし藤谷です」

「やあ、藤谷君。久しぶり」

やはりというか、桜女のキャプテン、一条さんだった。

「ど、どうもお久しぶりです。昨日、みんなで試合見てました」

「そうか。すまなかったな。無様な試合を見せてしまって」

心なしか、声に元気がない。インターハイ準優勝なら大したもんだが、優勝目前で負けて終わる悔しさは一回戦負けより大きいだろう。

「そんな。みんな、かなり刺激されてましたよ」

事実だ。昨日、試合を見終わった後の練習はいつになく気合のこもったものとなり、特に伊崎は特別入れ込んでいた。片想いの相手の挫折を目の当たりにして、何か思うところがあったのかもしれない。

「岸野さんは、落ち込んでますか?」

「それなんだ、用件は」

スマホの向こうで一条さんがため息をついた。

「岸野がひどく責任を感じて落ち込んでしまってね。周りはベストを尽くしたんだから気にするなって言ってるんだが」

「真面目な子ですからね」

「サッカーを辞めるとまで言い出した」

「えっ!」

そんな極端な。でも、彼女なら言い出しかねない。

「ど、どうするんですか?」

「そこで、君に頼みがある」

一条さんは言った。


つづく

たぶんしなくていい名前の由来解説


莉蓉学園……リヨン


次回、合宿地へ。



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