第27話「恨まないでくれよ」
イケメンの幼なじみとスポ根
昨日コーチがドリブル大会を開催したことに、一体どんな意図があったのか。
そしてどんな効果があったのか。
意図は分からないが、効果は間違いなくあった。
頑固に左足の練習をしなかったあの菊地が、練習を始めたのだ。クロスはもちろん、左SBの銀次と頻繁に言葉のやりとりをして、連携も目に見えて良くなっている。どういう心境の変化なのか。
聞いても菊地は、
「別に、何もねえよ」
と答えてくれず、でも機嫌は良いという謎すぎる状況であった。わからん。
意図、と言えば。
俺はちらりと広瀬を盗み見る。
てっきり芦尾にドリブル大会で負けたことを根に持ち、今日再戦を挑むのかと思っていたが、そんなことはなく、部員のみんなが熱中症にならないように朝から冷たいタオルやドリンクで一生懸命ケアしてくれている。
……昨日、何でハグなんてしてきたんだろう。
割と律儀な性格だし、優勝賞品だという理屈はわかる。でも、相手のことがイヤだったらあんなことはしないはずだ。もしかしたら、広瀬も俺のこと。
いや、と俺は別の可能性を考える。
今までクラスの女子が、男子の誰かを好きだと言う話を何度か小耳にはさんだことがある。彼女たちは好きな人の前だとなぜかそっけなくなったり、避けたり、実に素直じゃない反応をしていた。そう考えると、広瀬が俺に対して後ろからハグしたあの行為は、恋愛対象として意識していない友達、という可能性が急浮上してくるのだ。そして広瀬が今一番そっけなくしたりキツく当たったりしている相手は。
「……芦尾?」
いや、ないない。それはない。絶対ない。
「どうした?頭ぶんぶん振って」
見上げると、コーチこと広瀬春海さんがニコニコして俺を見下ろしていた。今はお昼休憩。俺は色々考えたくて、みんなから少し離れた場所に座って一人で弁当を食べていたのだ。
「いえ、あの、戦術のことを色々考えてて」
まさか「あなたの妹さんが俺のことを好きか考えてました」なんて言えるわけがない。
コーチは俺の隣に腰を下ろした。そして俺の手元をチラリと見る。
「まさか、帰ってきたら僕の弁当箱が取られているなんて思わなかったよ」
コーチは笑った。
「す、すみません!」
「いや、冗談だ。使ってくれ」
まだ俺には別世界の人だ。冗談と本気の区別がつかないからいちいち焦ってしまう。
横顔を盗み見る。テレビやスタジアムで見た時より少しふっくらした気もするけど、垢抜けた男前であることは間違いない。でも、広瀬と似ているかというと、あまり自信はない。お父さんの方に似てるのかな。
「藤谷君は、茂谷君とは付き合い長いのか?」
いきなりコーチが言った。
「はい?ええ、まあ」
「良ければ、どうして友達になったのか教えてくれないか。君らはタイプがかなり違うから、興味があるんだ」
「はあ」
聞いてどうするんだろう。俺は記憶を一生懸命たぐりつつ、話しだした。
小学校四年生の時、茂谷直登という生徒と初めて同じクラスになった。そいつは顔が良くて背が高く、体育の授業でどんなスポーツをやっても勝つ方にいるヤツで。と言っても、ただ勝つ方に立ちまわっていたわけじゃなくて、実際何をやってもソツなくうまかった。
そんなヤツが所属するグループはやはり女子から一番人気のあるグループで、俺が密かに憧れていた一番かわいい子もそいつらにベッタリだった。俺はといえば、ほぼ一日誰とも口をきかず、消しゴムのカスを丸めるか、机に突っ伏して寝たフリをしているかのどちらかで時間をつぶす毎日だ。あまり思い出したくない。
今でも忘れない。
あいつが俺の席の側を通った時のこと。体がぶつかって、俺の消しゴムが床に落ちた。俺は手を伸ばして消しゴムを拾おうとした。
その場に立ち止まるあいつの足。なぜ進まないのか。俺は何気なく、消しゴムを拾いながらヤツを見上げた。
「……」
上から俺を見下ろす、冷たい目。侮蔑するような、汚いものでも見るような。ああ、こいつは俺を見下してるんだ、とその時気づいた。
一ヶ月後、体育でサッカーの授業が行われた。11対11を作るために、隣のクラスとの合同授業になり、友達のいない俺は他クラスに人数調整で回される要員に選ばれた。送り出すクラスメートはクスクス笑い、迎える隣のクラスの連中も「何だアイツ」と笑っている気がする。でも俺は気にしない。
ボールがあればそれでいい。
試合が始まる。小学四年生の割には、みんながボールに密集することもなくそこそこ試合らしい形にはなっている。両方のクラスにスクールに通っているヤツがいたのだ。あいつはどこにも通っていなかったようだけど、万能ゆえか、FWとして出て、周りにパスを出させて自分がシュートを打つパターンをすでに作っている。自分が主役じゃなきゃ気がすまないタイプだ。やなヤツ。
俺は冷めた目で相手チームのあいつを見つつ、下がり目のポジションでチャンスを待った。
体育の授業なので、上手いやつも下手なやつもいる。俺は早々に相手チームの下手なやつを見極めて、今日だけのチームメイトとボールを取りに行く。意外にも下手は下手なりに抵抗し、ヤケクソで蹴ったボールは誰かの足に当たって大きく舞い上がった。誰かが競り合いに来たみたいだったけど、俺は自ら相手に体をぶつけに行き、落ちてくるボールをヘッドで進行方向に落とす。即座に自分でボールを拾い、ドリブルを開始する。
遅い。
相手チームの全てが止まって見える。普段俺の存在にすら気づかない連中も、バカにしてるヤツらも、俺には追いつけない。
ボールさえあれば、俺は無敵だ。
何人か抜いたところで、ゴールが見えた。キーパーは、クラスで一番運動神経が悪いヤツ。多分ジャンケンで負けたんだ。そいつにぶつけないようにシュートコースを選ぶ。
と、背後に気配を感じた。
俺はシュートを中断し、キックフェイントのような形で右へスライドする。直後に、誰かがものすごい勢いで俺が立っていた場所に滑り込んできた。俺は慌ててシュートを打つ。
「あ」
間の悪いことに、俺のシュートコース上にわざわざ逃げてきたキーパーは、顔面にボールを当てて、そのままボールと一緒にゴールへ転がり込んでいった。
俺は半泣きのキーパーにかけよって謝りながら、ひどいスライディングをかましてきたヤツをチラッと確認する。
茂谷直登、あいつだ。
今思えば、浮き球の競り合いにぶつかった相手もヤツだった。立ち上がって、体操服のズボンについた砂を払っている。バッチリと目が合ってしまう。
「うわ」
恐ろしい目でにらんでいる。たかが授業のサッカーじゃないか。手を使う球技の時は、俺は何の役にも立たない。お前はどんな競技でもいつも大活躍じゃないか。たった一つ、サッカーくらいゆずってくれてもいいじゃないか。
その後もあいつは、ゲーム中ずっとしつこく俺からボールを奪おうとし、俺は勝利を続けた。最初はその執念深さと怖い顔にびびっていたが、何度か続くとわかってきた。体操服を引っ張るとか、足を引っ掛けるというインチキはしない。ただ勝負に勝とうとしている。
俺もまた、途中からあいつとの勝負を楽しみ始めていた。
授業が終わり、俺は鼻にテッシュを詰めたキーパーをしぶしぶ保健室に連れて行った。
教室への帰り道、途中の廊下であいつが待っていた。一瞬身構える。仕返しに殴られるかもしれない。
「……何だよ」
俺は精一杯虚勢を張って、ヤツをにらむ。するとヤツは意外にも、フッと穏やかな顔になって右手を差し出した。
「藤谷がサッカーうまいなんて、知らなかった」
「……どうも」
俺は恐る恐る手を握り返す。握った瞬間、引っ張られて殴られることも想定していたが、どうもそういう雰囲気じゃないみたいだ。
「どこか、スクールかクラブに入ってるのか?」
さらに聞いてくる。何なんだよ、一体。
「今までは、どこも。今年から、どこかに入りたいとは思ってる」
「そうか。決まったら教えてくれ」
「何で」
「僕も、そこに入る」
「え」
手を離すと、あいつ、茂谷直登は振り返ってスタスタと歩き出した。
次の日から、茂谷は今までいたグループのやつらとは全くつるまなくなり、なぜか俺にしょっちゅう構うようになった。休み時間は毎日一緒にサッカー。
俺があいつを直登と呼ぶようになるのに、それほど時間はかからなかった。
「……ていう感じです」
俺が話し終えると、コーチはあごに手を当てて、うんうんとうなずいた。
「小四で同級生に握手を求めるとは、いけ好かないガキだな。僕なら友達にならない」
「気になったのそこですか?」
「もちろん他にもある」
コーチは大きくため息をついた。
「当たってほしくない時ほど当たるものなんだ。嫌な予感って」
それがどういう意味なのかは、聞いても教えてくれなかった。その代わりに、コーチは俺に質問をした。
「藤谷君。良い指導者とは、どういう人をいうと思う?」
全く予想しない話の飛び方に、俺は少々考える。結構気まぐれな人だ。
「そうですね。やっぱり、勝つために何が必要かを考えて、そのための練習をしてくれる人ですかね」
俺は答えた。ちょっと偉そうだったかな。
「そうだね。その考えは正しい。だが実践できている指導者は少ない」
「どうしてですか?」
「人を指導するにも、技術がいるからだ。そしてその技術はなかなか身につかない」
コーチは続けた。
「これは教えるという行為そのものが抱える矛盾なんだけどね。例えば、藤谷君が先生や監督に何か伝える時、まわりくどいとか声が小さいとかあれこれ注意されたことが一度はあるだろう?」
「ええ、何度も」
いやな記憶だ。部員の前で話す時、菊地や芦尾にも言われる。
「その注意されたことを元に、次は少しはっきりしゃべったり、結論から話してムダを省いたりしたことは?」
「あります。何度も言われるのはイヤですから」
「それが上達なんだ」
コーチは笑う。少し意地悪な笑顔だ。
「対して、先生や監督の話が分かりにくかったり、何を言ってるか分からなかったりした時、直接の聞き手である選手たちから同じような苦情がポンポン出るだろうか?」
「それは……」
多分、言えない。大人への反抗心豊かな俺だが、理不尽なことには反発してもそういう個人攻撃はしてこなかったつもりだ。
「だから、自分の欠点が分からずいつまでたっても指導する技術が上達しない。良い指導者がなかなか生まれない理由の一つだ」
なるほど。
「一つってことは、他にもあるんですか?」
「色々ね。例えば、高校の部活。何だかんだ言っても、学費を出すのは親だ。親は子供の将来を一番に考える。だから上手い選手に複数の学校がスカウトに来た時、どの学校が強いとか、どの監督が勝つために一番優秀な指導者か、なんて考えない。そこで定番の『うちはサッカーだけではなく人間教育にも力を入れています』という売り文句が出る。そこに飛びつく。結果、そこの監督が精神論だけの素人でも、優秀な選手が集まってそこそこの結果は出る。名監督の誕生だ」
「ほぼ詐欺じゃないですか」
「そうだよ。そんな監督が本当に良い指導者になろうと一念発起して努力するなんて、まずありえないね。結果は出てるんだから」
少し感情がこもっている。過去にそういう監督の下でプレーしたことがあるのかな。
「あとは選手たち聞き手の問題もある」
「はあ」
「どんなに言ってることが正しくても、何の実績もない知らないおじさんの言うことなんて、聞きたいと思わないだろう?だが元選手の話なら、内容はともかくとりあえず聞こうと思う。そこに指導者としての能力は関係ない」
「ええと、つまり」
俺は混乱しつつある話を必死に整理する。
「良い指導者になるためには、どうすれば伝わるかを技術として考えて、選手たちからの聞きたくない苦情も上達のためと聞くことができて、教育を口実にせず、なおかつ元選手が望ましい、と」
「それに、選手としてトップレベルから下のレベルまで全て経験していて、レギュラーと控え両方の経験もきちんと積んでいることも重要だ。ついでに言えば、ケガで試合に出られなかった経験もムダにはならないだろうね」
待てよ。それどっかで聞いたことある経歴だ。
コーチは親指を自分の方に向けた。
「つまり、僕だ」
「それが言いたかったんですか!?」
何て人だ。自分大好き人間だ。俺の中のスマートでかっこいい広瀬春海像が音を立てて崩れていく。
「夏希から聞いてる。君は僕をすごく評価してくれてるって」
「え」
やだ、どうしよう。本人の目の前だ。急に恥ずかしくなってきた。
「そ、その通りです。ファンというか、何というか」
コーチはふと真剣な顔になり、俺を見た。
「今日、君をガッカリさせることになるかもしれないが、恨まないでくれよ」
「……はあ」
恨むなんて、大げさな。俺はその言葉の意味を、その時はまだ分かっていなかった。
午後になると、夏らしい強烈な日差しがグラウンドに降り注いでくる。遠くで野球部が、何を言っているのかわからない声を出して練習している。
練習開始前に、コーチが直登をベンチに呼んだ。
「何でしょうか」
やってきた直登は、側にいる俺をちらりと見た。一体コーチは何を言うつもりなんだろう。
「茂谷君だね。実は昨日今日と、桜女との練習試合の動画をじっくり見させてもらった」
「……はい」
直登の目がほんの少し険しくなる。最初の試合で食らった二失点は、直登が直接プレーに絡んでいたのだ。思い出したくないのだろう。
「それが、どうかしましたか?」
ちょっとだけケンカ腰に聞こえる。コーチは気にする風もなく続けた。
「あの二失点は、もう少し粘れたんじゃないか?」
「僕が手を抜いているように見えましたか」
「そこまでは言わない。だが、少々見切りが早過ぎるように思う」
「見切り、ですか」
直登は一度繰り返し、再び口を開く。
「ご指摘はありがとうございます。でも僕は僕できちんと考えてプレーしているつもりです。二失点に非があるのは認めますが、プレースタイル自体をどうこう言われたくありませんね」
一瞬、二人が無言でにらみあい、空気がピリッと張り詰めた。
双方イケメンだけに妙な迫力があって、部員たちは一言も発せず見守っている。
自慢じゃないが、俺はこういう気まずい雰囲気が大の苦手だ。よし、トイレに逃げ込もう。ゆっくりと、音を立てないように後ずさる。
すると、誰かが腕を引っ張った。
「どこ行く気?」
広瀬の手だった。小声でささやきつつ、俺をにらんでいる。
「……トイレ」
「そんな嘘はいいから、キャプテンはどっしり構えてて」
「はい」
勘のいいヤツめ。俺はしっかり広瀬の監視下に置かれ、この心臓に悪い場面からの脱走をあきらめた。
直登も直登だ。臨時コーチ相手に負けず嫌いを発揮してどうする。お前が頼りになる守備の要なのは間違いないんだから、いちいち突っかかるなよ。
「もし僕が監督なら、センターバックは金原君と照井君を使うね。照井君は経験は浅いが、チームのために体を張れる男だ」
聞いていた照井が鼻の下をこすってそっぽを向く。古いぞ、照井。
「体を張る、とはまた古い体育会系の発想ですね。経験の浅い指導者が頼りがちな精神論ですか」
直登がフン、と鼻で笑った。ほんの一瞬、コーチの頬がピクリと動いた気がした。
「……やばい」
広瀬がつぶやく。俺は小声で、
「何が」
と聞いた。
「兄さん、今のでキレたかも」
「え」
若さゆえの発言一回でキレるって、その沸点も大人としてどうなんだ。
「キレるとどうなるんだ?」
聞いても、広瀬は答えなかった。兄を侮辱されて怒るかと思ったが、そういうわけでもない。ただひたすら心配そうな顔だ。ただその心配の相手が兄か直登かまでは分からない。
「止めるか?」
もう一度聞く。今度は答えが帰ってきた。
「無理。手遅れ」
実にそっけない答えが。
「勝負しよう」
しばらくにらみあった後、コーチはベンチから立ち上がり、おもむろにジャージの上を脱ぎ捨てた。このクソ暑いのに今まで着てたことが奇跡だ。
「おおー」
部員たちの間で声が上がる。スリムに見えたコーチの上半身は、Tシャツ越しにもしっかりと筋肉が付いた大人のアスリートの体であることがわかる。
盛田先生は目を輝かせ、「YES!」とガッツポーズした。何がYESなんだ。
「冬馬君。ちょっといいか」
コーチがつまらなそうに立っていたエースを呼んだ。「うす」と一言答えて、冬馬が歩いてくる。
「今から、僕と冬馬君の二人でそちらのゴールに攻撃を仕掛ける。茂谷君、君は金原君、照井君を加えた三人で守れ。もちろんキーパーも入れて。僕らが十点決める前に三回止めたら君の勝ちだ」
「一人分はハンデですか?」
「均等にしたつもりだ。一人穴がいるからね」
直登の眉間にシワが寄った。
「兄さん、大丈夫なの?」
広瀬がコーチに近づいて言った。そういえば、コーチは靭帯を切る大ケガをしていたんだった。リハビリはちゃんと完了しているのだろうか。
「大丈夫だ。ほぼ回復してる」
「そうじゃなくて、茂谷君の方。本当にコーチとしての行動?私情はさんでない?」
コーチはちょっとだけ傷ついたような顔になり、
「少しくらい脚の心配もしろよ。それに、臨時とはいえコーチだ。感情だけで動いてはいない」
と言った。
「どうだか」
広瀬は兄に言い残して、俺の隣に座った。
「茂谷君て、いつもあんなだった?負けず嫌いなのは知ってたけど」
俺はゴール前に向かう直登を見ながら言った。
「あいつ、自分のやり方にケチつけられるの大嫌いなんだ」
昔からそういうヤツだ。俺も頑固なヘソマガリという自覚はあるが、あいつはさらに面倒くさい。
「でも、コーチの言うことは少しわかる気がします」
こばっちがタブレットを操作しながら言った。
「何で?」
俺はこばっちの手元をのぞきこむ。
「桜女との練習試合だけじゃなくて、普段のミニゲームでも、相手選手と一緒に転んで防いだり、最終ラインで体で止めたり、茂谷君がそういうプレーをした記録はありません」
そういえば。直登は泥臭い、根性あふれるプレーが昔から嫌いだ。それはスマートなプレーヤーであるという利点でもあるのだが。
広瀬が気乗りしない様子で立ち上がり、ホイッスルを控えめに吹いた。
冬馬がセンターサークルからゴール前に走り、右サイドへ流れる。コーチはゆっくりドリブルを開始する。さっき二人で何やら打ち合わせをしていたようだけど、どんな策があるのだろう。
ペナルティアークに迫るコーチの右足が、軽やかに振りぬかれた。ジャンプする金原の頭上を通って右サイドの深いところへボールが落ちる。冬馬がボールを受け、突進してくる照井をワンフェイクであっさりとかわす。そのまま左足で巻くようにクロスを上げた。
金原が頭一つ分抜けたジャンプでクロスに対応する。その体を押さえつけるように、コーチが体を入れてくる。
直登は、その後ろで動かない。
コーチの頭がボールをとらえ、逆サイドに流すようにヘディングシュートを放つ。キーパー梶野の右手と、直登の足をすり抜けて、ボールはゴールポストの内側に当たって入っていった。
「すげえ」
俺は思わずうなる。ジャンプ力だけなら金原が勝ってた。飛ぶタイミングと体の入れ方で、完全に主導権を握っていた。金原も貧弱なタイプじゃない。でも完全に押し込まれた。
「コーチ、強いっすねー」
金原が立ち上がりながら悔しそうに顔をしかめる。
「これでもプロでやってたんだぞ」
コーチが笑う。
「でも、ヘディング得意なイメージないですよ」
「プロは総合力が高いんだよ」
言うと、コーチは直登を振り返った。
「今の、もう少し足を伸ばせばどこかに当たったんじゃないか?」
「……それは結果論です。次、行きましょう」
直登はゴールの中から、ボールを拾い上げた。
その後も展開は一方的なものになった。あの傍若無人な冬馬がコーチの指示に忠実に動いたこともあり、二人で面白いようにボールを回し、どんどんゴールを決めていく。
途中、照井がライン上で腹にシュートを受けて一回ストップ。もう一回はタイミングをつかんできた金原が、初めてコーチにヘッドで競り勝ち、シュートを止めることに成功した。
現在ゴール九回、守備成功二回。次で勝敗が決まる。
直登だけは、一度も止めることができていなかった。みんながちょくちょく水飲み休憩している時も、一人だけ考えこむようにグラウンドに残っている。俺はそんな直登の悲壮感ただよう背中と、呆然とした顔を見ながら、ある考えに至って体をぶるっと震わせる。
「どうしたの、夏風邪?だったら休んだほうが」
「広瀬」
「何?」
なぜか体調の心配をしてきたマネージャーに、俺は言った。
「お前の兄ちゃん、厳しいぜ」
「キレると手加減ってものを忘れちゃうの」
広瀬がため息をつく。
違う。
「そうじゃない」
「え?」
「コーチは、わざと止められるシュートを打ってる」
広瀬がこばっちと顔を見合わせる。
「どういうこと?」
「あと一歩、泥臭いプレーで対応すれば止められるような微妙なコースに、わざと打ってるんだ。でもそれをすることは、直登にとってスタイルの変更を迫られることになる。でもこのまま十点決められると、あいつの大嫌いな負けを認めることになる」
広瀬の顔が曇る。
「それは、茂谷君にとってどうなの?」
「地獄だ。地獄に通じる道が二つあって、好きな方を選べって言われてるようなもんだ」
止めるか。今なら間に合う。
でも、俺は本当に直登のあのプレースタイルに不安を覚えていないかったか?
もっと最終ラインの最後の砦として、必死に守ってほしいと願ってなかったか?
それをコーチに指摘してもらって、ホッとしていなかったか?
だとしたら、俺はとんだ偽善者だ。
「茂谷君!」
広瀬の叫び声に、俺は我に返った。
炎天下。水分補給無しでミニゲームの連続。考えるべきだった。
直登はガクンと両膝をつき、グラウンドに倒れこんだ。
つづく