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第26話 「何でもねえよ」

広瀬視点、続き。部内ドリブルキング決定戦。

悪役にはなりたくない。


そう言った兄さんは、私に菊地君を呼ぶように言った。私を使って呼べば、悪役をまぬがれるってわけでもないだろうに。


練習を抜けて、長髪の彼がベンチまでやってきた。

「えーと、あの、どうも」

菊地君が少し緊張した様子で会釈する。あまり見ない姿で新鮮だ。私は笑いをこらえて下を向いた。

「兄さん、私、席外そうか?」

私が聞くと、

「いや、いてくれ。チーフマネージャーなら全てを把握しておくべきだ」

と言って菊地君に向き直った。

「菊地君だね。初日から申し訳ないけど、少し聞きたいことがある」

「はい。何でも」

兄さんは私との間に菊地君を座らせた。

「こないだの練習試合のスコア、映像、そして今日の練習を見て思った」

「はい」

菊地君が固い表情でうなずく。兄さんは一つせきばらいをした。

「君のドリブルは、とても素晴らしい。足とボールがひもでつながっているんじゃないかと、そういう錯覚すら覚えるほどだ」

「ど、どうも」

少し赤くなってポリポリと鼻をかく菊地君。ああ、ダメだ。新鮮すぎて笑ってしまう。

「だが、その」

「はい」

兄さんが口ごもる。珍しい。いつも自信満々な兄さんが、何て言おうか迷っている。

菊地君が言った。

「あの、うちレベルの学校でプロの方に見てもらえるなんて滅多にないことなんで、俺すげー嬉しいんですよ。だから、何でもズバッと言って下さい」

「そ、そうか。すまない」

兄さんは気まずそうに顔をポリポリとかいた。そして真面目な顔に戻り、言った。


「じゃあズバリ言う。菊地君、君のドリブルは、ドリブル自体が目的になってしまって、意味が無い」


「ちょっと兄さん!」

ズバリにもほどがある。菊地君の顔をそっと見る。

「……」

兄さんの言葉をどう受け止めたのだろう。でもその顔は、怒ったようにも、傷ついたようにも見えなかった。

「少し酷かもしれないが、練習試合の映像を見る限り、途中から入った6番の国分君の方が、チームには貢献していたように見えた。君はドリブルにこだわりすぎて、どこかムキになっているようにさえ見える」

「……そう、見えましたか」

「ああ。もちろん、スピードやテクニックだけで言えば、国分君よりも君のほうが格段に上ではあるが」

私は思った。マネージャーはみんなを支える仕事だとはわかっている。でも、こんな気まずい雰囲気まで全部立ち会わなきゃいけないなんて、つらい。


兄さんは少しだけ優しい顔になり、言った。

「何かドリブルにこだわる理由があるのだったら、良ければ話してほしい。もちろん、初対面の人間にペラペラ話すことには抵抗があるとは思う。だけど、先入観が無いからこそフラットな気持ちで聞けるし、何より僕は一週間限定の身だ。むしろ話しやすい相手だと思う」

黙って聞いていた菊地君が、静かに口を開き始めた。私も姿勢を正す。聞かなきゃいけない。今度は席を外そうか、なんて言わない。


「別に、大した話じゃないんすけど。去年入部したばかりの頃、俺たち新入部員も交えてポジションの適正テストみたいなのやって。俺はドリブル得意なんで、コーンをクネクネ往復するやつでトップになって。で、二位が藤谷だったんです」

初めて聞いた。未散はあまり過去の話をしないタイプだから、こういうエピソードは何も知らない。

「それで?」

兄さんが先をうながす。

「その後、忘れ物して練習場に戻ったら、藤谷が一人で居残り練習してて。コーン並べてドリブルしてたんです。それが、ものすごく速くて」

「どういうこと?」

私が聞くと、兄さんも続いた。

「つまり藤谷君が、テストの時は手を抜いてたと?」

「そうははっきり言いませんけど。でも俺が我慢ならないのは、もし菊地がドリブル得意みたいだから花を持たせようとか、そういうこと思ってわざと二位になったんなら、俺はバカみたいだなって」

「それ、未散に確認したの?」

私も聞く。

「そんなことできるわけねえだろ。それに、どうせ聞いてもあいつは本当のことなんて言わねえよ」

と、菊地君はすねたようにそっぽを向いた。

私はちらりと兄さんの顔を見た。何か考えている。もとい、企んでいる顔だ。

「なるほど。事情は分かった。つまり藤谷君のドリブルが、本当に君より速いのかどうか、わかればいいんだな」

「え?」

思わず菊地君と顔を見合わせる。何を思いついたのだろう、この人は。


兄さんの一声で練習は中断し、私たちの目の前には赤いコーンが十個、二コース分並んでいる。

キャプテン未散は目を細めて小声で私に言った。

「何でいきなりコーンが並ぶんだよ。さっき何話してたんだ」

「内緒。だけど、チームのためにはなると思うよ」

私が答えると、

「本当かー?」

と言って、渋々といった顔で引き下がった。嘘は言ってないよね、うん。


周りに集まった部員たちを前にして、兄さんが高らかに宣言する。

「それではただいまより、本河津高校サッカー部、ドリブルキング決定戦を行う!」

一拍あって、部員たちの歓声が上がった。こうやって勝負事で盛り上がる時、やっぱりみんな男の子なんだなあと思う。


紗良ちゃんがタブレットでトーナメント表を五分で作り、みんなの名前を入力していく。組み合わせはランダムということにしてあるけど、未散と菊地君が決勝で当たるように一部不正をしたのは内緒だ。


「コーチ!質問があります!」

伊崎君が勢いよく手を上げた。本当に誰が相手でも変わらない子だな。

こういういいところが、桜女の岸野さんに伝わればいいのに。

「何かな」

「優勝商品はありますか?」

「そうだな……」

兄さんは少し考えて、私を見てニヤリと笑った。イヤな予感がする。

「優勝者には、うちの妹が祝福のハグをするというのはどうだ?」

「兄さん!」

「マジですか!?」

「イイイイイヤッホウッ!」

「風になれ!」

最悪だ。私は兄さんの腕をグイッと引っ張った。

「信じられない!実の妹を売る気!?」

「大げさだな。ただのハグじゃないか」

悪びれもせず、兄さんは言った。

「私、絶対やらないからね!」

「だったら、お前も出ればいい。自分が優勝すればナシだ。丁度十六人になるしな」

「なっ」

おおーっと周りから拍手が起こる。

サッカー経験者だとみんなに告白してから、何度か伊崎君たちにミニゲームに誘われた。でも私は、簡単なパス出しくらいしかまだできていない。

足はもう、治っているけれど。


「もし私が未散か菊地君に勝っちゃったら、二人の勝負はどうなるの?」

私は小声で兄さんに確認する。

兄さんはフフンと笑い、

「ロクに運動もしてこなかった今のお前に負けるようなら、その時点で負けだ」

と言った。何だろう。言ってることは正しいけど、腹立つ。

「分かった。紗良ちゃん、私の名前もどっかに入れて」

「は、はいっ」

紗良ちゃんが慌ててタブレットを操作する。ちょっと口調が強かったかな。ごめんね。


私は膝をついて、スニーカーの靴紐を結び直す。スパイクじゃないけど、土のグラウンドなら大差ないはず。やってやる。そしてハグをナシにする!

「大丈夫か?」

みんなの盛り上がりとは反対に、未散が心配そうな顔で声をかけてきた。イライラと波立っていた気持ちが、少しだけ穏やかになる。

「足?それともハグ?」

「両方だ」

「足は大丈夫。ハグは大丈夫じゃない」

「心配するな」

未散の言葉に、ちょっとだけ動悸が速くなる。

「どういうこと?」

「多分菊地か冬馬か俺が決勝に行くと思う。冬馬は勝ってもハグなぞいらんと言うだろうし、菊地は水泳部の子安先輩が好きだから、多分別にいいって言うだろう。俺が優勝したらナシにする。だから心配しなくていい」

「……」

「何だよ」

未散はこの短時間に、すごく私のことを考えてくれている。それは嬉しい。でも。

「未散は、それでいいの?」

「え?」

「何でもない」

未散に背を向けて、私は柔軟を始めた。せっかく穏やかになった気持ちは、また波立ってしまっていた。


絶対に俺が優勝する、くらい言えないのか、まったく。


一回戦。未散、菊地君、冬馬はあっさりと勝ち上がった。

スピードはあっても細かいボール扱いが得意じゃない部員は、やはりどこかでタッチミスをして時間をロスして負けてしまっている。


未散は普段から、このコーンを使ったドリブルの練習をあまりやりたがらない。理由は、「試合中にこんなに長くボールを持ってる時点で失敗だし、敵はコーンみたいに突っ立ってるわけじゃないから」というもの。確かにそうだけど、銀次君とか金原君とか、基礎的な練習が必要な選手にはそれなりに有効だと思うんだけどな。私も好きな練習だった。タイムを縮めたり、左足だけって制限したり。


「チーマネ。俺をハグする準備はできているか?」

私の一回戦の相手、芦尾君が通報一歩手前の顔で言った。

「だからチーマネはやめてって。あんたドリブル速かったっけ?」

「俺をただのポストプレーヤーだと思うなよ」

何だろう。この自信はどこから来るのか。

「はい、位置についてー」

盛田先生がホイッスルを口にくわえる。私は右足をボールの上に乗せた。

甲高い音が鳴り響く。

「はうあっ!」

芦尾君が妙な声を上げてダッシュよく飛び出す。私は少し遅れて一つ目のコーンへ。早めにトップスピードへ上げて、アウトサイドで右へ。足裏ですぐに戻して体重を左に移動する。次はその逆。隣は気にしない。ほぼ右足だけでボールをコントロールしてコーンをかわしていく。十個目のコーンを抜けて折り返す。

ターンすると、こちら側へ向かう芦尾君が視界に入る。よし、勝ってる。

私はペースをゆるめることなく、ラストのコーンをかわそうとする。

「あっ」

ガンッ、とボールがコーンに当たり、小さく浮き上がる。私の体がボールを追い越してしまう。

「ほっ!」

私はボールの下にヒールを当てて、自分の頭を越えるように蹴りあげた。落ちてくるボールをトラップしてゴールラインに入る。

私と芦尾君がラインに入ったのは、ほとんど同時だった。歓声と拍手が聞こえる。

「紗良ちゃん、どっち!?」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

きわどい判定用に、あらかじめライン上にビデオカメラを設置してある。紗良ちゃんが急いでカメラを操作する。


「その必要はないよ、小林さん」

兄さんが歩いてきて、言った。

「何で!?」

私は両膝に手をついた姿勢で、兄さんを下からにらんだ。

「夏希、お前の負けだ。最後のコーンを、お前はかわしてない」

「……あ」

そうだった。

ボールがコーンにぶつかって、浮いた後そのままヒールで前に運んでしまった。

「大体行けたじゃない。最後のヒールで、チャラにならない?」

「ならない。お前、小学生の時も同じこと言ってたぞ」

「そんなの覚えてません」

昔を知っている人がいるとやりづらいな。あんまり食い下がると何を曝露されるかわかったもんじゃない。私はそれ以上は何も言わず、おとなしくベンチに引き下がった。

「疲れた」

大きく息をはいてドスンと座り込む。昔は夢中でやってて気にならなかったけど、短時間に一気に動くと後からどっと疲れがくる。やっぱり運動不足かな。

隣を見ると、紗良ちゃんが妙にキラキラした目で私を見つめていた。

「どうかした?」

「すっ……ごくかっこよかったです!流れるようにスイスイすり抜けて行って、思わず見とれちゃいました」

拳を握りしめて、私より興奮している。何か照れくさい。

「ありがと。でも最後、悔しいな。何でミスったんだろ」

私が言うと、

「それはきっと、頭の中の感覚は小学生時代なのに、今の夏希ちゃんは高校生の体だからですよ。記憶とのギャップです」

理路整然と説明してくれた。

「そっか。だから思ったより足が出ちゃったんだ」

やっぱり練習なしでぶっつけ本番は無茶だったな。

紗良ちゃんが私を見て、嬉しそうに笑う。

「夏希ちゃん、楽しそう」

「え、そう?」

「はい。すごく」

コーンの間を、部員たちが駆け抜けていく。私は水筒をグイッとあおる。

久しぶりに、のどが乾いた。


決勝戦は、私たちの目論見通り、未散と菊地君の戦いとなった。菊地君がドリブル上手いのは知っていたけど、未散も負けてない。菊地君がボールと足を一体化したようなスラロームだとすると、未散はボールの行き先をコントロールして先回りするような進み方だ。こういうところにも性格が出るのだと私は知った。


「広瀬さん、どっち応援するの?」

盛田先生がゲス全開の顔で聞いてきた。この人本当に教師なんだろうか。

「どっちでもいいです」

「またまたー」

「未散は、俺が勝ったらハグはナシって言ってましたし、菊地君が勝ったら水泳部の子安先輩に報告するっておどしますから」

「えー、何それ。つまんなーい」

口を尖らせてブーイングする。まったく、他人事だと思って。


「じゃあ、決勝始めるよー」

盛田先生が立ち上がり、ホイッスルをくわえる。

未散も菊地君も、お互いに目は合わせない。ただまっすぐ前を見ている。部員たちも自然と口数が少なくなって、二人を見守る。私にまで緊張がうつりそう。


ピーッ!とホイッスルが鳴る。ほぼ同時に二人が飛び出す。未散は左足で蹴ってコーンの右から、菊地君は右足で蹴りだして左から入っていく。

スピードはほぼ同じ。タッチのタイプは違っても、ムダな動きは無い。しいて言うと、最初に利き足の右から蹴りだした菊地君がほんの少しリードしているように見える。折り返しからもスピードは衰えず、次々とコーンをすり抜けていく。


残り一つ。


ゴールラインに菊地君が到着する寸前、一気にスピードアップした未散が並びかける。

「ぬおおおおおっ!」


二人はほとんど同時に、ゴールラインに滑りこんだ。


「紗良ちゃん!」

「はいっ」

今度こそ、ビデオ判定の出番だ。私と紗良ちゃんはライン際のビデオカメラを回収し、タブレットに接続する。そして録画した動画をタブレットの大きな画面に表示する。いつのまにか部員たちも、周りを取り囲むように画面を覗き込んでいる。紗良ちゃんが動画を早送りして、ゴール前。先にゴールしようとした

菊地君の陰から、必死に歯を食いしばった未散が顔を出す。紗良ちゃんがコマ送りで再生する。

ボールではなく、先につまさきが届いた方が勝者。


白線の上に先に届いたのは、未散のスパイクだった。


「いよっしゃああああっ!」

いつも冷めてる未散が珍しく、両手でガッツポーズして雄叫びを上げる。菊地君は呆然とした顔で、もう一度動画の再生を頼んだ。

「菊地君」

兄さんが、スッと菊地君の隣に並ぶ。

「何で負けたかわかるか?」

「……正直、わかりません。途中まで勝ってたのに」

言って、髪をかきあげる。今日だけは、切ればいいのにとは思わないでおこう。

兄さんは続ける。

「君がリードしていたのは、最初の一歩を利き足の右から初めてスタートダッシュが効いたからだ。藤谷君は左から始めた」

「はい。それが?」

兄さんは紗良ちゃんからタブレットを借りた。そしてスコアを書くソフトをたち上げ、丸を十個描いた。

「十個のコーンをかわしていく場合、右足で蹴って左側から入り、折り返して帰ってくると最後が左足のタッチになる。だから菊地君の最後のタッチは利き足ではない左足になった。それが最後に追い上げられる原因になったと思う」

菊地君はタブレットを見つめた。そして、目を大きく見開いた。

「……藤谷は、最後のタッチが右になるように、わざと左足で蹴って右から入ったって言うんですか?」

「僕はそう思うよ。じゃ、本人に聞こうか」

言うと、兄さんは一年生とじゃれている未散を呼んだ。


「は、はい、何でしょうか」

まだ兄さんの前での緊張が取れていない。加えて菊地君の目を見ない。気まずそうだ。

兄さんは言った。

「藤谷君。君が最初のタッチを利き足じゃない左で入ったのは、ラストのタッチを右で蹴るためか?」

「え」

未散が固まる。

「何で分かったんですか?」

兄さんは笑った。ひときわ楽しそうに。

「まったく、君は本当に目的思考の子だね。そこまでしてドリブルキングになりたかったのか」

「そういうわけじゃないですけど」

未散が口ごもる。ちょっと待って。変なこと言い出さないでよね。

「普段、ドリブルじゃ絶対菊地に勝てないから、このコーンドリブルだけに限定すれば、何か勝つ方法があるんじゃないかって考えたんです。ほとんど苦肉の策ですけど、ラストタッチまでリードさせといて、勝ったと思った瞬間利き足のタッチと一緒に一気になだれ込めば際どい判定に持ち込めるかなって」

私はちらりと菊地君を見る。小さく口を開けて、未散をまじまじと見つめている。

今確かに、ドリブルじゃ絶対菊地君に勝てないと言った。

「藤谷。お前、去年サッカー部に入りたての頃、みんなでポジションテストみたいなのやったの、覚えてるか?」

菊地君が言った。未散は少し間をあけて答えた。

「ああ、あったな、そんなの」

「そん時、俺がドリブルで一番だった」

「そうだよ。だから俺は早々に、お前と同じポジションを争うのはやめたし、ドリブルよりパス中心で行こうと思ったんだ」

「でもその後、俺見たんだぞ。お前がすごいスピードでドリブル練習してるの」

未散は再び間をあけた。必死に思い出している。

「うーん、そう言われればやってたような気もするけど……。多分それは、どういう動き方をすれば実際より速く見えるかを研究してたんだと思うぞ。まともにやったらお前に勝てるわけないんだから」

菊地君はもう一度髪をかきあげた。

「そう……だったのか」

「それがどうかしたか?」

「いや。何でもねえよ」

菊地君は笑った。それは私が入部して以来初めて目にする、彼の屈託ない笑顔だった。


練習が終わり、私はいつも通り未散と夕暮れ時の帰り道を歩いていた。兄さんは律儀にも、帰りにもう一度職員室にあいさつに行くと言い残し、私を先に帰らせた。なぜ去り際に「がんばれ」と言ったのかは謎だ。


結局優勝賞品の私のハグは、未散が「後が怖いから辞退します」と言って部員たちから多大なブーイングを浴びつつ、うやむやにしてしまった。

まったく、これも全部兄さんのせいだ。

私は未散の横顔を見る。ビデオで見た、ゴール前菊地君に迫る顔。どこかで見たような必死な顔。

「ねえ」

「ん?」

「何でドリブル大会、あんなに必死にがんばったの?実戦につながらない練習は、あまりしたがらないのに」

未散は鼻をポリポリとかいた。

「勝負事だから、やるからには勝ちにいくさ。菊地と真剣勝負したかったってのもあるし」

「本当にそれだけ?」

「え」

私がじっと見つめると、未散は目をそらした。

「あとは、その、お前に心配するな、なんて偉そうに言ったからには、せめて決勝には行かないとと思った」

最初からそう言えばいいのに。素直じゃないヤツ。

「あ」

ようやく思い出した。あの必死な顔。


私をマネージャーに誘った時と、同じ顔だったんだ。


「そういやさ、広瀬のドリブル、初めて見たよ。速かったな」

唐突に未散が言った。私は少し慌てて、ぶっきらぼうに返す。

「そうかな。最後ミスったよ」

「そりゃブランクのせいだ。本当に速くて上手くて、ちょっと見とれてた」

「それ、ちょっと誉めすぎ。おだてても何も出ないよ」

どうしよう。顔が見られない。いたたまれない。

「ねえ」

「ん?」

未散がこちらを向く。

「向こう向いて」

「何で?」

「いいから!」

私が強めに言うと、何も言い返さずくるりと後ろを向いた。

「ひざカックンとか、子供っぽいことやめてくれよ」


私は未散の後ろから両手をまわし、

「えいっ」

と、ほんの一瞬、自分の体を彼の背中に押し付けた。


「なっ」

「優勝賞品の授与、終わり」

未散があわてて振り向く前に、私はぴょんと飛びのいた。

「い、いきなりすぎるぞ!心臓止まるかと思った」

未散の顔が真っ赤に染まっている。夕日のせいにできないほど赤い。

「兄さんの思いつきでも、約束破るのは気持ち悪いし」

「そ、そうか。俺は気持ちよかった」

「スケベ」

「正常な男子の反応だ」

急に開き直った。やっぱり男の子はわからない。


何となく会話も途切れて、しばらくして分かれ道の交差点にさしかかる。未散が「コーチによろしく」と言い残して歩き出す。

あ、そういえば。

「未散」

「んー?」

立ち止まって振り返る。私は言った。

「兄さんさ、今日茂谷君見て、彼は時間がかかりそうって言ってたんだけど、どういうことかわかる?」

未散はしばらく考えて、首を振った。

「わからん。別にケガもしてないし、むしろ金原や銀次の指導の方を頼みたいんだけどな」

「そうだよね」

未散とわかれて、私は兄さんが言ったもう一つの言葉を思い出す。

「茂谷君のようなタイプには、なじみがあるんだ」

と、兄さんは言ったのだ。


つづく

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