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第25話 「兄さんのバカ」

広瀬兄登場。

今日、一学期の終業式が終わった。部屋のカレンダーを三枚めくる。


県大会初戦まで、あと三ヶ月。


終業式の日は午後の部活は休みというのが慣例で、私は寄り道することもなく帰宅した。ベッドに寝転んで、スマホのメールフォルダを開く。


件名:カリスマ監督になる予定の兄より


『今日の午後、そちらに着くよ。誰か車で迎えによこしてくれ。タクシー代がもったいない』


日付は今朝八時。登校中に届いた事務的で即物的なメール。もっとこう、早く妹に会いたいとか、そういう愛想は無いのだろうか。もっとも、言われたら言われたで「バカじゃないの」って返すしかないのだけれど。

未散に教えたら、「いつ練習見に来られるか、聞いといてくれ!」と興奮状態で頼まれた。確かに練習を見てみたい、とは兄さんも言っている。

けど、今日実家に帰ってきた理由は、多分そんなことを気軽に頼めるかどうか分からないもので。


外から、車のエンジン音が聞こえてきた。駅までは姉が運転して迎えに行っている。しばらくして、車のドアがバタンと閉まる音がした。

「お兄ちゃんだ!」

秋穂がウォークマンのイヤホンを外してダッシュで部屋を飛び出す。私も秋穂に続いて走りだし、途中で足を止めた。そしてゆっくりと玄関へ歩いて行く。

「ただいまー」

姉の光冬が疲れた声を出している。今年はポーランド、マチュピチュと海外旅行を連発したせいで金欠になり、最近は夜までみっちりバイト漬けの生活になっている。大学の仕組みはよく分からないけれど、あれで卒業できるのかな。

「お兄ちゃーん」

秋穂の甘えた声が玄関から聞こえる。兄さんは年の離れた妹である、私と秋穂をよく可愛がってくれた。兄さんは大学進学と同時にせっかく一人暮らしを始めたのに、しょっちゅう実家に帰ってきて私たちと遊んでくれたっけ。

私たち、って言ったけどほとんどサッカーのために私が独占して、秋穂は必死にチョコチョコ追いかけてきたり、あきらめて寂しそうにしたり。その時の秋穂の顔を思い出すと、今でも胸がチクンと痛む。


私はひょこっと玄関を覗き込んだ。

「うわ」

思わず声が出る。リハビリの数ヶ月間で何があったのか。黒髪で細面で、角度によっては男前に見えたはずの兄、広瀬春海は、伸び放題の茶髪に無精ヒゲでちょっとほほがふっくらとした容貌に変わっていた。ヨレヨレのTシャツに太めの綿パン。どう見ても、ニセブラッド・ピットだ。

「よっ」

玄関に立つ兄さんが、私に気づく。

「やっ」

私は右手を上げてそれに応える。すると兄さんが目を閉じて両手をスッと広げた。

「……何してるの?」

私が怪しんで聞くと、兄さんは拳を額に当てて嘆くように首を振った。

「昔は、『お兄ちゃんお帰りー!』って胸に飛び込んできてくれたのに……。ああ、あの頃の可愛い夏希はどこへ行ってしまったんだ」

「可愛い夏希は健在ですけど、高二でそんなことするわけないでしょ」

こういうバカなことを言わなきゃそこそこかっこいいのに。


「お兄ちゃん、ちょっと渋くなったねー」

代わりに秋穂が兄さんに抱きつく。兄さんは途端にだらしない顔になり、秋穂の額をつついた。

「はっはっは、こいつう。身内おだてたって、何も出ないぞ」

「何かこう、牙も爪も抜かれた、戦わない男の渋みって感じ」

兄さんの顔が引きつる。そういえば、秋穂は兄さんを慕ってはいるけど、昔私ばかり構っていたことを根に持ってもいたっけ。

「ぐっ………はっはっはっ、こいつうぅぅぅぅ」

「やーん。お兄ちゃんのアイアンクロー久しぶりー」

兄さんの手のひらが秋穂の顔を覆い隠してギリギリと締めていく。

このバカ兄妹は何をやっているのだろう。


私は二人の脇をすり抜け、サンダルをはいて外に出る。ちょうど姉さんが、車のトランクから兄さんのスーツケースを下ろしているところだった。

「お姉ちゃん、お疲れ。手伝う」

「おー、夏希ちゃん。助かるー。この重い方お願い」

「重い方って、そんなはっきり言う?」

スーツケースの取っ手を引き出して、バッグをもう一つ肩にかつぐ。

「夏希ちゃん、大丈夫?」

「へーき」

小さな段差だけひょいと持ち上げて、玄関にドサッと荷物を置く。

「兄さん、遊んでないで自分の荷物下ろしてよ」

「うっ、ヒザが……」

急に左足を抱えてうずくまる。

「靭帯切ったの、右でしょ」

私がにらむと、兄さんは一つ咳払いをして振り返った。

「光冬、残りの荷物は?」

「これで最後」

姉さんがスポーツバッグをかかげる。兄さんは玄関から戻ってバッグを受け取った。

「お迎えご苦労だったな。可愛くない方の妹」

「世界中のどの部族でもそれは感謝の言葉じゃない」

姉さんが不機嫌ににらみつける。この二人は私が生まれる数年前まで二人だけの兄妹だった。だからなのか、年の離れた私と秋穂、二人への接し方よりもかなり遠慮がない。ケンカに発展しそうでハラハラする時もあるけど、ややキツめの冗談でやり合っている特別な関係は、私にとってうらやましいもので。


「ただいまー」

兄さんがバッグを肩にかついで台所へ向かう。台所では、お母さんが朝から気合を入れて息子の好物を用意しているはずだ。

「夏希ちゃん」

姉さんが私の顔をのぞきこむ。

「何?」

「変わったね」

「誰が?」

姉さんの指が私をさす。

「どこが」

「自分から荷物を運びに出てくるなんて。前はそんな子じゃなかった」

そうだっけ。でも確かに記憶にないかも。

「だから言ったでしょ。夏希ちゃんは望めば何にだってなれるって」

私の返事を待たずに、姉さんはさっさと家の中に入って行った。


言いたいこと言って立ち去らないでほしい。


一時間後、父を除いた五人で夕食。兄妹四人が揃って食卓を囲むのはいつ以来かな。ちょっと記憶にない。

テーブルの上には、コロッケと豚の角煮。あとポテトサラダ。

「兄さんさ、どうせなら高い食材好物にしてよ。そうすれば私たちも分け前にあずかれたのに」

姉さんが勝手なクレームをつけている。

「好きなんだから仕方ない。うちのコロッケは肉屋のより上だ」

兄さんが言うと、お母さんは得意気に笑った。

そしてふと、兄さんが流し台のそばに置いてある弁当箱に目をとめる。

「あれ、俺の弁当箱じゃないか?誰が使ってるんだ」

みんなの視線が私に集まる。一人暮らしのキャプテンに食べさせるため、としぶしぶ説明すると、兄さんは再びわざとらしく嘆きの顔を作った。

「夏希……お前はいつの間に、そんなふしだらな子になったんだ。お兄ちゃんは悲しい」

「何、ふしだらって」

「男の子に弁当調達するなんて、付き合ってるとしか思えないじゃないか!しかも俺の弁当箱で」

「春海、いい年してくだらないこと言わないの。それにお弁当は私が趣味で藤谷君に作ってあげてるんだから。弁当箱使われるのがイヤっていうなら、変えるけど?」

お母さんがピシャリと言って、お兄さんは黙った。昔からこのパターンだ。


「あー、ところで」

兄さんが話題を変えるように言った。

「俺、正式に現役引退したから」

訪れる沈黙。それを破ったのは姉さんだった。

「まだ現役だったの?」

兄さんのハシを持つ手がビクッと固まる。

「光冬」

さすがにお母さんが姉さんをとがめる。姉さんは「はい、ごめんなさい」と言ってコロッケを取った。

「で、これからどうするの?うちに無職の穀潰しは置いとけないよ」

続くお母さんの言葉に、兄さんはテーブルにハシを取り落とした。常に一番厳しいのはお母さんだ。

「日本代表の監督になるの?」

秋穂が身を乗り出す。兄さんはハシを持ち直して笑った。

「それは難しいかもしれないね。でも、指導者のコースを今取ってる。来月は研修合宿があるんだ」

合宿。

未散もやると言っていた。場所を聞いたら目をそらしていたけど、あれは多分学校に泊まるくらいしか考えてなかったのを言い出せなかった顔だ。


「そういう合宿所って、サッカー専用なの?」

私は聞いた。

「そうでもない。もちろんサッカーコートはあるけど、他のスポーツの施設もあるよ」

「予約はいつも一杯?」

「どうかな。天然芝コートが二つあるような、設備のいいところは私立の強豪が押さえてるだろうけど、人工芝や土グラウンドなら探せば色々あるよ。旅館が合宿プランを出してるところもあるし」

「なるほど」

後で未散に教えてあげよう。


「サッカー部の方は、順調か?」

「うん。まあまあね」

答えて、ちらりと私は兄さんの顔を見た。よし。

「前に言ってた、うちの練習見にきてくれるって話、覚えてる?」

「ああ」

「来れる?」

「今月中ならな」

「本当に!?」

身を乗り出す私に、兄さんは少しのけぞった。

「落ち着け。でもライセンスが無いから指導はできないぞ。違反になる」

「うん。それでもいい」

夕食後、部屋に戻って、メールで未散に今日のことを報告した。合宿所は探せばまだ可能性があるということ、兄さんが今月中なら練習を見に行けること。


しばらくして返信が来た。


『素晴らしい仕事をしてくれた。グッジョブだ。また詳しい続報を頼む。合宿所は俺も探してみる』


珍しい。たくさん誉められてしまった。やばい、顔に出ないようにしないと。

「夏希ー。いいかー?」

ドアの外で兄さんがノックした。

「はーい」

ガチャリとドアが開いて、兄さんが顔を見せる。

「ちょっと三条マートまで行かないか?」

三条マート。家から歩いて十五分ほどの、この町内の人にしか分からない超ローカルなスーパー。大手スーパーには無い謎の商品も多く、隠れファンが多い。

「何か買うの?」

「おしるこドリンクおごってやる」

「行く。着替えるから待ってて」

七月におしるこドリンクを常備している店。それが三条マート。


部屋着からTシャツに着替えて外へ出る。

夜七時になってやっと薄暗くなってきた。これだけ日が長いと、もうちょっと遅くまで照明無しで練習できそう。


先に出て待っていた兄さんと、並んで道を歩く。ケガをした右ヒザをかばう仕草もなく、スムーズに歩いている。

「足は、どうなの?」

「順調だ。もう走れる」

「そう」

「マネージャーの仕事はどうだ?」

「チーフマネージャーに出世した」

「やるじゃないか」

兄さんが笑う。ボサボサの茶髪になっても、無精ヒゲだらけでも、その笑顔は昔の兄さんのまま。

でもほんの少し寂しそうに見えるのは、私の考え過ぎかな。

「大きくなったな、夏希は」

頭ひとつ分上から兄さんが言った。

「中三から伸びてないよ」

「じゃあ俺が縮んだんだな」

「そうだね」

「否定しろよ」

「髪とヒゲは伸びた」

「似合うだろ?」

あごをさすりながら得意げな顔になる。

「私は前の方がさわやかで好き」

兄さんがわざとらしくため息をつく。

「この渋さがわからんとは、まだまだ子供だな」


その後、私はサッカー部のみんなのことを問われるでもなく話し続けた。特に伊崎君や芦尾君のことが多めになってしまう。ほとんどクレームだ。

「それで、キャプテンの彼とはどうなんだ?」

「どうって、何も」

私は思わず口ごもった。

「聞いたぞ。ケンカして泣きわめいて、学校休んだそうじゃないか」

「誰に聞いたの!?」

「秋穂」

後でおしおきだ。

「行っとくけど、泣きわめいてはないからね」

兄さんはニヤニヤと冷やかすように笑う。

「いいことを一つ教えてやる」

と言った。

「何」

「どんなに見た目が地味なヤツでも、キャプテンという立場でがんばってる男子は段々もてるようになるぞ」

「実例は?」

「俺だ」

「へー。もう着いたよ」

「あ、信じてないな!高校の時は本当にモテたんだぞ!」

「はいはい」

段々もてるようになる。あの藤谷未散が?


「おごるとは言ったけどな」

三条マートを出た後、兄さんが手に下げたビニール袋を見てため息をついた。

「七月におしるこドリンクをケースで買う女子高生がどこにいるんだ」

「ここ」

閉店間際のお店は、中学生の息子さんが店番を務めていて、その子とは「あ、おしるこですね」と出してもらえるお馴染みさんだ。

「せめて自分で持て!ケガ人だぞ」

「ねえ」

「何だ」

何だかんだ言っても、結局重い荷物は持ってくれる。それが私の兄さん。

「現役生活、お疲れ様」

私は立ち止まってペコリと頭を下げた。兄さんも立ち止まって、

「ありがとう。もうちょっと長く、かっこいい姿を見せてやりたかったけどな」

と笑った。

「十分見た」

「そう言ってくれるのはお前くらいだよ」

私の頭をくしゃっとなでて、兄は先に歩き出す。真っ暗になった夜道を歩く兄の背中は、私に何も語ってくれなかった。


二日後。

美容院で髪を切り、三条マートで買った髪染めで黒髪に戻す。無精ヒゲも綺麗に剃っている。薄いグレーのスーツをパリッと着こなし、ちょっと顔がふっくらしたことを除けば、現役時代とあまり変わらないスタイルだ。

朝八時。今私たちは、学校の校門前で最後の服装チェックをしている。兄さんが、校長先生や部活動全般の責任者にあいさつしておきたいと言って昨日から準備していたのだ。

サッカー部の練習場はただでさえはしっこにあって誰も注目してないんだから、こっそり見に来るだけでいいと言ったんだけど、「大人には大人の事情がある」と言い張ってパリッとしてきてしまった。あまり見ないスーツ姿が新鮮だ。

「それアルマーニ?」

「惜しい。アオヤーマだ」

「洋服の青山でしょ」

目を細めた私を無視して、両手で髪をなでつける。

「美容院で一緒に染めてもらえば良かったのに」

「カラーリングは高すぎる。節約しないとな」

「ちょっとムラがある」

「気にするな。それも味だ」

こんなに自分のミスを認めない人が、いいコーチや監督になれるのだろうか。


結論から言うと、兄さんの判断は正しかった。


夏休みで日曜なのにたまたま出勤していた校長先生や、主任の先生たちは地元出身の元プロ選手という兄さんの経歴を大いに喜んだ。物腰柔らかい態度と爽やかな笑顔で、プロとしての自分の経験を地元に還元して恩返しがしたい、と歯の浮くようなセリフを感情を込めて語り、校長先生とガッチリ握手までしてしまったのだ。見てられない。

でもそのおかげで、ライセンスは無くても指導者になるための研修の一環として一週間だけ校内の範囲ならコーチOKという許可まで取り付けることができた。あわてて未散に連絡すると、「イヤッホウ!」と皆藤君のような返信が送られてきた。喜んでるならいいか。


兄さんは昔から外面はいい人だったけど、プロの世界で揉まれてさらに強化されたみたいで。おかげで連れの私も苦手な愛想笑いを先生相手に連発するハメになり、練習前からグッタリだ。

「相変わらず付き合いが苦手なヤツだな」

平然とした顔で兄さんが笑う。

「職員室行って心底ニコニコする生徒はいません」

文句を言いつつも、ちょっとだけ兄さんが誇らしいのは内緒だ。


練習場に向かいながら、私は聞いた。

「本当にコーチまでしてくれるの?」

「そう言ったろ」

「見に行くだけって言ってたのに」

「お前のせいだ」

私は眉間にシワを寄せて顔で問いかける。

「おととい、部員のみんながいかに楽しくて素質にあふれた連中かって散々プレゼンされたからな。興味が出てきた」

「プレゼンなんてしてない」

「してたようなものだ。それに、キャプテン」

「キャプテンが?」

「お前をサッカーの世界に引き戻して、ケンカして泣かせた男をしっかり見極めたいんだ。兄としてな」

そう言う顔は真剣だ。怒ってるわけじゃなさそうだけど。

「大げさだってば。それにそういうの、公私混同って言わない?」

「言うよ。そのための口実を、今作ってきたんだ」

兄さんは不敵に笑った。


事前に未散に連絡したこともあり、練習場に兄さんが着く頃には全員が揃って待ち構えていた。

みんなソワソワしている。

冬馬も珍しく時間通りに来て並んでいる。未散が連絡して念押ししたのかもしれない。


「は、は、はじめみゃして、キャプテンの藤谷でゅす!」


一歩前に出た未散が、見るも無残なほどに緊張したあいさつをした。別に疑ってたわけじゃないけど、好きな選手というのは本当みたいだ。

「はじめまして、藤谷君。夏希がいつも世話になってるね」

スッと右手を差し出す。未散は一瞬ビクッと固まり、ギギギと音が出そうな動きで握手をかわした。

そして兄さんは部員みんなに向き直り、唐突に頭を下げた。途端にみんながざわつきだす。

「知ってる人もいるかもしれないが、広瀬夏希の兄、広瀬春海だ。妹がいつも世話になっている。ありがとう。今日から一週間、指導者になるための勉強をしに練習に参加させてもらう。みんなの邪魔はしないし、偉そうに口を出すつもりもない。でも、プロでやってきた僕の経験や考えが役に立ったら嬉しいとは思っている。よろしく」

自然発生的に拍手が起きる。でも兄さん、いちいち挨拶に私を引き合いに出さないで。恥ずかしい。


みんながアップに行くために解散し、私たちはベンチに向かった。紗良ちゃん、盛田先生、そして久しぶりに顔を出している毛利先生たちとあいさつをかわす。盛田先生はなぜか顔を赤らめ、毛利先生は人見知りを発揮して気絶寸前だ。

「夏希ちゃんのお兄さん、かっこいいですね」

紗良ちゃんが私にそっと耳打ちする。

「そう?身内は見慣れてるから、何とも思わないけど」

私が言うと、

「夏希ちゃんはぜいたくです!」

なぜか怒られてしまった。


午前の練習中、兄さんは私の隣に座って、あれこれ部員について質問しながらずっと練習を見ていた。時折、持参したノートに何かメモしながら。

「何書いてるの?」

私がのぞき込んで聞くと、

「企業秘密」

と笑ってノートを閉じた。ケチ。


そして反対側に座る紗良ちゃんに声をかける。

「小林さん。こないだやったっていう、練習試合のスコアはすぐ出せる?」

「はいっ、これです」

紗良ちゃんがタブレットを渡す。紙で書いたのを取り込んだわけではなく、紗良ちゃんがタブレット用にサッカーの試合スコア記入専用ソフトを作って打ち直したものだ。ボールの動きや選手の動きを表す線が、指で自由に記入できる。そんなソフトが女子高生に作れること自体驚きだ。

兄さんは嬉しそうにタブレットをいじり、

「すごいね、このソフト。細かいデータもタッチですぐに呼び出せるし。販売はしないの?」

と聞いた。

「用途が限定されていますし、既存の技術の組み合わせなので、訴えられたら負けます」

「そうかー。もったいない」

「良かったら、インストーラー付きでディスクに焼いて差し上げますけど」

「おお、頼むよ。君は優秀だ」

兄さんがこんなにデジタル機器に興味があるとは思わなかった。でも確かに、新しもの好きなところはあったかな。


しばらくスコアを見たり、試合動画を見たりしていると、少し真面目なトーンで兄さんが呼んだ。

「夏希」

「何?」

「このチームの戦術は、本当に藤谷君一人で考えたのか?」

「基本の発想はね。それを、紗良ちゃんが計算とシミュレーションで精度を高めてるの」

「驚いたな」

兄さんがあごに手を当てて言った。

「そうなんです!すごいんですよ、藤谷君は」

紗良ちゃんが自分のことのように嬉しそうだ。

「藤谷君は、一年の部員にはしっかり指導してるな」

兄さんがコロッと話題を変えた。何かに集中しだした時の悪いクセだ。

「割とね。みんなもキャプテンの言うことは素直に聞くし」

慣れっこの私は前後のつながり無しで会話に対応する。

「二年はどうだ?」

私は少しうなって思い出す。

「芦尾君、あの、ぽっちゃりした13番のビブス。彼にはしょっちゅうあれこれ言ってる。あと9番の冬馬とも動き出しのタイミングとかよく話し合ってるかな」

金原君、梶野君、銀次君たち未経験者組にもよく声をかけてプレーについて話しているのを見る。

そう伝えると、

「やっぱりな」

と兄さんはあごをなでた。

「何が?」

「11番の菊地君と、7番の茂谷君。この二人には、あまり細かいことを言ってないんじゃないか?」

そう言われれば。菊地君はなぜかいつも未散に対抗意識を燃やしているし、茂谷君はプライドの高い負けず嫌いで幼なじみだ。未散も気をつかってか、その二人に細かい注意をしたところは見たことがないかもしれない。

「そうかもしれないけど、それが何か問題?」

「うーん」

兄さんはガリガリと頭をかいて、

「初日から悪役にはなりたくないなあ」

とつぶやいた。

その言葉が後にどんな事態を引き起こすか、その時の私には何も分かっていなかった。


兄さんのバカ。


つづく

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