第2話 「考えさせて」
ヒロイン登場
本河津高校サッカー部が、インターハイ予選五年連続一回戦負けを喫した二日後。
俺は教室でノートを広げ、自分が置かれた状況について考えていた。
俺はただ勝ちたいと思っただけだ。
スポーツに関わってる人間なら皆同じだ。なのになぜ俺は、サッカー部のメンバーの名前を書き出して眉間にシワを寄せて悩まねばならないのか。俺が何をしたと言うのだ。
話は一日前にさかのぼる。
昨日の放課後、背番号14のキャプテン鈴木がサッカー部員全員を部室に集めた。広さは八畳ほどしかない部室だが、このひどい成績で取り上げられてないだけマシだ。三年十二人、二年六人、一年四人が全員並ぶ。
鈴木先輩が一つ咳払いをして言った。
「えー、みんなお疲れ様。昨日のインターハイ予選一回戦敗退を踏まえて、みんなに報告がある」
ざわついていた部室内が一瞬静まり返る。
「我々三年生一同は、受験勉強に専念するために、本日をもってサッカー部を卒業します!」
部室は一瞬の間を置いた後、2年と1年のざわつきで埋めつくされた。一体どういうことだ。
「と同時に、キャプテンの引き継ぎを行う」
ざわつきなど何も無いかのように鈴木先輩が続ける。実にマイペースな人だ。
一年の時からよく声をかけてくれたし、優しい先輩ではあった。キャプテンのくせにちょっと無責任でいい加減なところはあったけど。
それより三年生全員やめちゃったら試合できるのか?
「藤谷。お前が次のキャプテンだ」
そうかー、藤谷君かー。大変だなー。
……は?
部員が一斉に俺の方を見る。この先輩は今何と言ったのだ。俺か?俺が次のキャプテンだと?
「先輩、無理です。俺、そういうタイプじゃないです」
俺は必死にまくしたてる。やばいぞ、これはやばい流れだ。
「これは決定事項だ。拒否することは許されない」
「だから無理ですって!」
鈴木先輩はそれには答えず、手に持っていた黄色いキャプテンマークを俺に握らせた。
「頼んだぞ、藤谷。お前がチームを引っ張ってくれ」
「話聞いてますか?」
俺は泳いだ目で直登を探す。心優しきイケメンの幼なじみは、ニヤニヤとこちらを見てうなずく。口の動きで「がんばれ」と言っているのが分かった。
裏切られた!親友に裏切られた!
俺は鈴木先輩に向き直り、
「ちなみに聞きますけど、3年生が全員やめたら試合できませんよ。チームを引っ張る以前の問題です」
「心配するな。1年はまだ仮入部の時期だから、もう少し待てば何人か追加で入るだろう」
なんて無責任な。こういう人なんだ、この人は。
「副キャプテンは新キャプテンのお前が自由に決めろ」
「じゃあ茂谷君にお願いします」
間髪入れずに答える。直登の方を伺うと、仕返しに憤慨するどころか嬉しそうに笑顔を返してきた。もうイヤ、この人。
「えー、実は私からもみんなに報告がある」
そばで座っていた出雲監督が立ち上がって言った。
「急な話で申し訳ないが、来週から北高のラグビー部監督に就任することになった。みんなとは今日でお別れだ」
室内が一瞬静まった後、ざわめきが一際大きくなる。
捨てられた!要するに捨てられたんだ、俺たちは。
いくら精神論だけの無能な指導者とはいえ、腐っても大人だし監督だ。確かに勝てないチームではあるが、引っ張る立場の人たちが放棄するって許されるのか?
出雲監督は俺の方を見て、
「後任は未定だが、決まり次第後でキャプテンに連絡がいくことになってるから、心配するな」
と何食わぬ顔で言った。
この状況でよくも心配するななどと言えるものだ。だんだん腹が立ってきた。
鈴木先輩はみんなに向き直って言った。
「えー、今年の冬の選手権は正直厳しいと思うが、来年も含めた長期的ビジョンで、藤谷を中心にがんばってくれ。以上」
結局その日は解散。
二年と一年の部員にはとりあえず週末の金曜まで部活は休みと伝えた。新キャプテンとしての初仕事が休みの連絡とは前途洋々だ。
もっとも、これからどうするか、色々考えたかったし、無責任な元監督や先輩のことを忘れる時間もも欲しかった。もらったキャプテンマークは捨てて、新しいのを買おう。
それはともかく、一気に減ってしまったメンバーを何とか補充しなくてはいけない。金曜までの二、三日で簡単に解決する問題でもないが、ちょっとはアテを作っておきたい。
「よ、新キャプテン」
教室に戻ろうとした時、直登が肩をたたいた。
「何だよ、裏切り者」
俺は仏頂面でにらむ。
「裏切り者とは心外だな。僕は君がキャプテンをやることに賛成なんだから、自分の気持ちは裏切っていないよ」
「そうじゃない、そういうことじゃないんだ」
どうしてこの男には伝わらないんだ。俺は一つため息をつき、
「それはもういいとして、メンバーどうするんだ。1年でサッカー経験者なら大抵4月に来てるはずだろ。これ以上増えるか?中学ではサッカー部だったけど、高校では文化部に入ろうと思ってますって1年が密かにいるとか」
「いないだろうね。あとはスカウトするしかないかな」
「スカウトねえ」
自慢ではないが、俺は知らない人に自分から声をかけるのが大の苦手だ。例え相手が下級生でも。
しかも迷惑そうに断られたり、さらには傷つけないように気をつかって断れる場面を想像すると、冷や汗が出てくる。
「実際に声をかけるとしたら、お前に頼むぞ。人当たりいいし」
「どうかな。僕はよく笑顔がウソくさいって言われるし」
どうしてそこで「任せてよ、未散」とは言わないのか。付き合いは長いが全く読めない。
「冬馬」
俺は目の前を通りすぎようとする冬馬に声をかける。さっきのミーティングで意外にも一言も発言しなかった。勝つことにこだわるなら一言くらい文句があってもよさそうなものなのに。
「あん?」
冬馬がバッグをかついで振り返る。とても目つきが悪い。というか怖い。
「よく怒らなかったな」
「何で怒るんだよ」
「だって、勝利からさらに遠ざかる話だろ」
「アホだな、新キャプテン」
まったくどいつもこいつも。10番の次はキャプテンか。人を番号や役職で呼ぶな。
「あんな使えない連中、何人いても邪魔なだけだ。ヘタで勝つ気が無くて、学年だけ上って理由で偉そうに発言するなんて最悪だ」
お前は理由なく偉そうだけどな、とは言わないでおいた。
「でも頭数は必要だ」
冬馬はしばらく空を見つめた。珍しい。この男が何か考えてる。
「走れる左サイドバック、反応のいいキーパー、あとスピードのあるセンターバック。最低でもあと3人必要だ」
俺は冬馬をまじまじと見つめた。
「何だよ?」
冬馬が一歩後ずさる。
「いや、お前がチームのために建設的な意見を言ってくれるなんて思わなかったから」
「お前は俺をバカにしてるのか」
さらに怖い目でにらみつけ、フンと鼻を鳴らして冬馬は歩き出した。
「冬馬ー!」
俺はその後姿に呼びかける。冬馬は振り向かない。
「頼りにしてるからなー」
最後まで、小柄な男の背に反応は見られなかった。
誰もいない部屋に帰ると、俺はパソコンの電源を入れた。誰もいないのは親がまだ帰ってないというわけでもなく、そもそも俺には親がいない。
幼稚園に入る前くらいの時、母親がノイローゼになり育児放棄。直後に離婚し、父親も親権を放棄。結局、子供ができなかった父方の叔父夫婦が養子にして引き取ってくれたのが小学校に入る直前だったという話だ。実の両親の記憶は全くない。なくて良かったと思っている。
叔父夫婦は優しい人たちで、同情を差し引いてもよくしてくれたと思う。好きなサッカーをさせてくれて、地元のクラブチームにも通わせてくれた。クリスマスも誕生日も毎年何かプレゼントがあった。文句を言ってはバチがあたるくらい恵まれた幼少時代だ。
叔母がガンで若くして亡くなったのが2年前。そして今年の初めに叔父はアメリカに転勤となり、日本に残りたいと言った俺にアパートを借りてくれた。2DKのロフト付き。高校二年生の子供には過ぎる物件だ。
ネットでいつも見るサイトにアクセスする。各スポーツ新聞の内容をひとまとめにした、朝のワイドショーのようなサイトだ。新聞社の人たちには申し訳ない気もするが、便利なのだから仕方ない。
「うわ」
あるニュースを見て思わず声が出た。
県内唯一のJリーグチーム、サンティエンヌ河津が来年度のユースチーム新規募集を停止するという。
J1とJ2の間を行ったり来たりするエレベーターチームであるサンティ(通称)は以前から経営がやばそうだという噂は流れていた。ユースチームも作ってはいるものの、力の入れ方は他チームとの付き合い程度のものでトップチームに戦力を送り込むという役割を果たせているとはお世辞にも言えない。
それでも、今はサッカーのうまい中学生の第一選択肢はプロのユースチームという時代だ。県内のうまい選手はほとんどユースに入っていて、Y県のサンティユースにもかなり地元の人間が入っている。その分高校サッカー部は全体にレベルが低下し、スポーツ特待で選手を集めている、桜律、春瀬など少数の強豪校との間に大きな隔たりができている。我が本河津高校はそんな事情に関わりなく弱小だけれど。
とにかく、県内の有望な選手を集めていたサンティユースが無くなるとどうなるか。
今ただでさえ強い強豪校にさらに良い選手が入るようになり、中レベルの高校にも分散され、全体に底上げされる。。他県のユースや高校という選択肢もあるが、通わせるのは最終的には親だ。地元に良い選択肢があれば優先するだろう。
まずい。非常にまずい。
もし今のサッカー部を何とか強化して来年勝負しようとしても、ユース廃止にともない進学した選手たちが一年とはいえレギュラーに入ってバリバリやっていることだろう。そしたら勝ち目はあるだろうか。?
インターハイも、冬の選手権も夢のまた夢だ。今年だって桜律や春瀬の強さは段違いなのに。
あと五ヶ月。今年中に何とかするしか無いのか。
パソコンをシャットダウンし、座椅子の背もたれによりかかって大きく伸びをした。俺はスマホを取り出し、直登の番号を呼び出した。
「やあ、未散。珍しいね、電話苦手なのに」
三コールで直登が出た。
「苦手とか言ってる場合じゃないからな。ちょっと聞いてほしいことがある。ものすごくバカげてるけど、笑わないで聞いてほしい」
「分かった。聞くよ」
直登の返事はいつも通りだ。本当に伝わってるのかな。
ともかく俺はさっきネットで見た内容を踏まえて、今年が勝負だという考えを直登に伝えた。そして聞いた。
「どうかな。やっぱりバカげてるか」
「そんなことはない。極めて合理的だ。全く君らしいよ」
「俺は真面目に聞いている、副キャプテン」
「僕も真面目さ、キャプテン」
直登は言った。
「僕はね、嬉しいんだよ。未散がようやく本気になってくれて」
少しだけ、声の調子がいつもと変わった。
「何だよ、それ」
「言葉通りの意味だよ。ともかく僕は、キャプテンの言うことについて行くつもりだ。君が望むことならね」
どうも話が噛み合ってないようだが、これ以上同学年の友人に甘えても仕方がない。支持すると言ってくれただけありがたいじゃないか。
「わかった。聞いてくれてありがとな。じゃあ明日」
「ああ、明日」
電話を切って、俺は冬馬の言った言葉を思い返していた。走れる左サイドバック、反応のいいキーパー、スピードのあるセンターバック。
空から降ってこないかな。
そして現在、昼休みにコンビニで買った練乳フランスをかじりながら、俺はノートを険しい顔でにらんでいる。
内容は、以下のとおり。
GK 島 薫二年。安定感はあるがジャンプ力や動物的反応には欠ける。
DF 茂谷 直登二年。センターバック及びリベロ。全てをそこそこにこなす万能型。計算できる戦力。
DF 照井 譲二一年。センターバック。実力はまだ未知数だが、体格があるので動ければ戦力。
MF 黒須 秀太一年。守備的MF。よく走ってバテない。つなぎ役で期待したい。
MF 菊地 泰郎二年。左サイドハーフ。生粋のドリブラー。左利きだったら言うことないが、残念ながら右利き。髪を切れ。
MF 皆藤 歩一年。右サイドハーフ。ドリブルもパスも平均点。スタミナだけは無尽蔵。頼もしい。
FW 芦尾 陸二年。前線で唯一ボールを止められるFW。堅実。もうちょっとシュート練習してほしい。
FW 伊崎 風一年。細い割にスピードがあってこぼれ球への嗅覚がある。スーパーサブで取っておきたい。
FW 冬馬 理生二年。とにかくパスが通れば決まる確率が最も高い。頼りになるエース。
今まで練習や試合で見てきたうえでの戦力分析だ。
FWは揃ってる。冬馬は外せないにしても組み方は色々あるし。
MFも今のところ俺を入れて四人。控えが心もとないが、あと一人くらいユーティリティーを作れば何とか回せる。
問題はDFだ。圧倒的に人が足りない。そもそもサッカー経験者で根っから守備が大好きでDFになる選手はあまりいない。みんなFWかMFをやりたがる。これは別に某サッカー漫画の登場人物が攻撃側にばかりかっこいいキャラを作ったからというわけでもなく、単に球技を始めてすぐの男子はボールを持ちたがるからだ。その中で抜群にうまいのがMFやFWとして残り、足の早い選手が何人かサイドバックに回され、背の高いのがセンターバックに回される。そういう仕組みだ。少なくとも俺が通っていたクラブチームではそうだった。
俺はノートの下部に書き込んだ。
目標・サイドバック二人、センターバック一人、キーパー一人、中盤一人。あとできれば女子マネージャー二人ほど。
強い運動部には美人のマネージャーがいる。これは鉄則なんだ。
「ねえ」
しばらくノートをにらんでいると、隣から女子の声がかかった。よく通って綺麗なのに、絶望的に愛想のない残念な声。隣の席の広瀬夏希だ。
このクラス、いやこの学年、いやこの学校全体でも一、二を争う美人と言われていて、実際美人である。
鼻筋がスッと通って、整った顔立ち。大きな目は綺麗な二重でまつげもマッチ棒が乗るほど長い。
肩より少し長い髪はシャンプーのCMに出られそうなほどサラサラで、百六十センチ半ばであろう身長と、細い割に出るところは出たスタイル。
神がこの女を造形した時はよっぽどノリノリだったのだろうと思わざるをえない。
広瀬は俺の無遠慮な視線を気にするでもなく、小さなミカンを差し出した。
「昼ご飯、そのパンだけなんでしょ?これあげる」
広瀬夏希とは一年でも同じクラスだったのだが、何の共通項もない自分には遠い存在で、業務連絡以外話したことはない。
二年に進級して現在の隣の席になってやっとあいさつくらいはするようになった。だが一度も笑顔を見たことはない。
もっともあまり笑わないのは俺が嫌われてるというわけではなく、よく一緒にいる友人たちとも笑顔で話している印象は無い。
ごめんなさい、嫌われてる可能性は考えたくないです。
「いいのか?デザートなんだろ」
広瀬はもう一つ、ミカンを見せた。
「うちのお母さん、一つでいいっていうと必ず二つ入れるの。二つも食べないから」
小さいミカンだが、この鮮やかな色合と香りはダンボールで一箱いくらではなく、温室ミカンという名で六個パックで売っているちょっと高いものだ。ありがたい。
「ありがとう。ちょうどビタミンが不足してると思ってた」
「不足してるのはビタミンだけじゃないでしょ」
冷静かつ的確な指摘だ。
「確かに」
スポーツ選手たるもの、食事にも気をつかうべきだとはわかっているのだが、自分で毎朝早起きして弁当を作るガッツもなく、通学路の途中でコンビニに寄るのが日課になってしまっている。朝の二度寝の誘惑に勝てるほどのメンタルは俺には無いのだ。
いただいたミカンを丁寧にむき、一房ずつ味わって食べる。甘酸っぱい香りが口中に広がり、ひとときの幸福が訪れる。ミカン最高。
「あんた普段何食べてるの?」
そんな俺を見てか、あきれたように広瀬は言った。珍しく食いついてくる。普段俺のことなど気にもしてないはずなのに、何なんだ一体。そんなに幸福そうな顔でミカン食べてたのかな。やだ、恥ずかしい。
「普段は、コンビニのパンとか冷凍食品とか」
「ふーん」
終了。
何だよう、キャッチボールする気がないなら投げるなよ。俺が答え方間違ったみたいじゃないか。
その後も会話が盛り上がることはなく、俺は再びノートに向かう。
女子マネージャー、か。
もう一度チラリと広瀬の横顔を見る。もし広瀬がマネージャーになってくれたら、部員は死ぬほど練習がんばるだろうな。直接の恋愛感情が無くても、可愛い女子が見てると男子はがんばる。これも世の鉄則だ。
「広瀬」
俺は思い切って話しかけた。何でもなく装っているが、美人に話しかけるのは勇気がいる。胃が痛い。
「ん?」
広瀬がこちらを向いた。
「広瀬って、何か部活やってた?」
「ううん。帰宅部」
第一関門クリアー!
で、どうする?この流れでフランクかつポップに「サッカー部のマネージャーやってみない?」などと聞こうか。
「はぁ?」と冷たく返されて終わりそうだ。何といっても敵は愛想がない。
やはりここは、軽い気持ちではなく真剣な気持ちだと分かってもらえなければならない。
GOだ!
「ちょ、ちょっと話したいことがあるんだけど、授業終わったら時間作ってもらえないかな?」
声が裏返って、途中で「ピュイッ」って音がした。我ながら情けない。
広瀬は一瞬、ただでさえ大きな瞳をさらに見開いて、すぐにいつもどおりの顔に戻って言った。
「いいけど、どこで?」
いいのか!ど、どこでだと?何も考えてない!
「ばばば、場所は後で教えるから連絡手段をくれ」
俺が言うと、広瀬は目を細めてこちらをジッと見た。何だろう。場所を決めてないのがまずかったか。怒らせちゃったかな。
「LINEでいい?こっちから送るから、番号教えて」
一つ息をついて広瀬が続ける。
「……いきなりLINEでいいのか?」
「うざかったら簡単にブロックできるでしょ」
なるほど。
俺は番号を口頭で伝える。しばらく待つと、スマホがポキポキツと鳴った。
見ると、「広瀬夏希」の名で友達が追加されている。
プロフィール画像には、広瀬とあと二人、同じくらいルックスの良いよく似た女の子が3人で写っている。姉妹だろうか。一人は広瀬より明らかに年上で、もう一人は年下っぽい。
「広瀬の家って三姉妹?」
「違う。四人兄妹で、一番上が男でその下が三姉妹」
「そ、そうなのか。大家族だな。というか、プライベートなこと聞いてすまん」
「別に。隠すようなことじゃないし。それより、そっちからも何か送ってよ」
スマホには広瀬からのメッセージで「テスト」と送られていた。
シンプルだ。
俺は返信として「テスト成功」と返した。特にリアクションは無かった。
俺のプロフィール画像はボルドーのユニフォームを着たフサフサだった頃のジダンなのだが、マニアックすぎてスベッたようだ。
隣をチラチラ見ないように必死に我慢し、それでいてソワソワしながら午後の授業を耐え切った後。
ついに一大イベントがやってきた。
学校で一番かもしれない美人のクラスメートをマネージャーに勧誘するのだ。人生でそう何度もあることじゃない。
そういえば昼休み終了間際、広瀬とのやりとりで周りが一切見えていなかった俺に、クラスメート数人群がってきた。
「告んの?やめとけ」
と、しゃべったこともない男子が同情顔で身を案じてくれたり、
「広瀬さんのこと好きなの?」
と、やはりしゃべったことない女子が目を輝かせて聞いてきたが、「企業秘密だ」とごまかした。
他人の恋愛話にピンとこない俺には分からない世界だ。
俺は授業終了直後に「北館の裏、焼却炉のところで4時30分に来てください」と送った。改まりすぎて敬語になってしまったことを今では後悔している。
待たせてはいけないと、俺は十分前に北館裏に着いた。
いる。
広瀬がいる。
北館の壁に寄りかかって。
何で?いつの間に?
パニックになりそうな頭を鎮めつつ、俺は近づいた。
「よお、は、早いな」
「あんたもね」
広瀬が寄りかかっていた壁から離れて正面を向いた。
「で、話って何?」
正面から立ち姿を見ると、改めて美人であることがわかる。短めのスカートから伸びる脚の長いこと。O脚の俺とはえらい違いだ。
「おう、そ、それなんだけど」
俺はばれないように深呼吸した。覚悟を決めよう。
「サッカー部の、マネージャーになってくれっ!」
二人の間を、五月の風が通り過ぎた。
広瀬が顔にかかる髪をかきあげる。俺には永遠とも感じられる沈黙。
ああ、こんな気まずい思いをするなら誘わなきゃ良かった。
「あのさ」
広瀬がやっと口を開いた。
「何で、私なの。今日ミカンあげたから?」
「ち、違う。それは断じて違う」
考えるきっかけになったのは事実だ。でもそうじゃない。考えろ。隣の席になってから短い時間しか経ってないとはいえ、何かあったはずだ。
「二年になったばっかりの頃、俺がさ、その、鼻血出したこと覚えてるか?」
特に何の前触れもなく、一時間目から鼻血が出たことがった。あいにくとハンカチもティッシュも持っていなかった俺は手の甲で必死に鼻をおさえつつ、授業が早く終わるのを祈っていた。
そんな時、俺の目の前に無言でポケットティッシュが差し出された。隣の広瀬がくれたのだ。
「そんなこともあったけど、あれは朝から隣で血だらけな人を見るのがイヤだったのと、こっちに血がつくのもイヤだったから」
「それでも、俺には救いの手だった。あと、授業で指されて聞いてなかった時、助け舟出してくれたり、今日も、ミカンくれたり」
「やっぱりミカンじゃない。余計なことしなきゃよかった」
しまった。広瀬は片手を腰に当てて時計を見ている。いかん、ここが踏ん張りどころだ。
「つまり俺が言いたいのは、広瀬には他人が言葉には出せないでいる困ったこととか、必要なことを察して助けてくれる才能があると思うんだ」
広瀬は答えない。俺は続けた。
「今サッカー部は、監督の出雲が突然やめて、3年生が全員やめて、見捨てられたような状態だ。無理やりキャプテンも押し付けられた。でも俺は、それで良かったと思ってる」
良かった?本当か?
「ここまでの状態になったからこそ、新しい、勝てるチームを作ろうと思えた。メンバーは、その、まだ足りてないけど」
最後の方は声が小さくなった。余計なこと言ったかな。
黙って聞いていた広瀬が口を開いた。
「メンバーはいいとして、どこ目指してるの?公式戦1勝?」
「今年の冬の選手権だ。五ヶ月後の県大会優勝を目指す」
この目標はハッタリじゃない。事実だ。
「それ本気で言ってる?常識で考えて、ありえないでしょ」
「確かに常識で考えればな。でも根拠がある。そんでどうしても今年じゃなきゃいけない理由があるんだ」
ヒザがカクカク震えてきた。
広瀬が怖いのか?
いや違う。
自分の言葉の強さに戸惑っている。そこまで強い気持ちが自分にあるのかどうか、分からなかったんだ。こうなるまで。
細くて形の良いあごに手を当てて、広瀬はしばらく動かなかった。
「金曜日の夕方、新しく始動する予定だからさ、グラウンドに見に来るだけ見に来てくれないか。そこで、やる気が無いように見えたら断ってくれていい」
何か言ってくれ。口を開いてくれないと、沈黙が怖くてどんどん余計なことしゃべってしまいそうだ。
俺はしゃべりたくて仕方がない口をピクピクひきつらせてこらえつつ、返事を待った。
忍耐だ。こういうのはガツガツ焦ったらダメって、ナンバーワンホストの書いた恋愛指南本に書いてあったんだ。
「考えさせて」
広瀬は言った。シンプルな答えだが、断りではないと俺は受け取った。これがナニワの商人の返事なら遠回しの断りだが。ここは関西地方じゃない。
俺は全身から力が抜けていくのを感じた。気付かなかったが、体がガチガチになっていたようだ。
「うん、返事は今すぐじゃなくていいや。とりあえず、聞いてくれてありがとな」
今更リラックスして話せている気がする。遅い、遅すぎる。
「じゃ、私帰るから」
「あ、うん。またな」
立ち去る後ろ姿を見ながら、俺はゆっくりと両ヒザを地面につく。しばらく動けそうもなかった。
「やるじゃないか、未散」
帰り道、電話でスカウトの顛末を報告すると、直登は全力で冷やかしてきた。本人は褒めているつもりらしいが、そんなふうに聞こえたことはない。
「どうなるかわからんけどな。希望はつながったよ」
「それにしても、隣の席でしゃべったことがあるとはいえ、よく広瀬さんに行ったね。普通は臆するよ」
確かにそうだろう。
「何となくな、話は聞いてくれそうな気がしたんだよ。愛想はないけど、根がいいやつかなと思って」
「その愛想がない、は本人に言っちゃだめだよ。嫌われるから」
モテる友人のありがたい忠告だ。覚えておこう。
「未散ががんばってくれたようだから、今度は僕もがんばるよ。運動部の知り合いに、明日何人か当たってみる。サッカー経験者、部をやめようとしてる人、顧問と折り合いが悪くて干されてるのとか」
「おお、そうか。頼りにしてるぞ、副キャプテン」
「任せてくれ、キャプテン。お疲れ」
「お疲れ」
電話を切って、広瀬とのLINEトーク画面を開く。「テスト」「テスト成功」。
「ここからかー」
思わず声に出る。
左サイドバック、センターバック、キーパー。
どこかに落ちてないかな。
つづく
たぶんしなくていい名前の由来解説
島薫……シュマイケル
照井譲二……ジョン・テリー
黒須秀太……シュテファン・シュヴァルツ(シュヴァルツ=ドイツ語で黒)
菊地……ギグス
皆藤……デレク・カイト
芦尾陸……ヘンリク・ラーション
伊崎風……フィリポ・インザーギ
広瀬夏希……プロシネツキ