第18話「背番号ドラフト会議」
ドラフトとやっとタイトルの意味
週が明けた月曜日。
衣替えして最初の平日は、朝から週間予報通りの雨だった。その割には雨のおかげで涼しいというわけでもなく、梅雨らしいジメジメとした空気が肌にまとわりつく一日だった。全ての授業が終わった今も、この鬱陶しい雨が止む気配はない。
すでに土曜から予約済みの視聴覚室に向かうべく、俺は立ち上がった。
今日は運命の日なんだ。
「もう行くの?」
隣の席で、英語の教科書をしまいながら広瀬が言った。
「先にD組に行く。こばっちが重たい機材持ってきてるから」
「そう。私も行く」
土曜、日曜の部活を終えて、小林さんは"こばっち"になっていた。理由は主に、疲れてくると早口になる俺のクセにある。
小林さんがこばやっさんになり、その後こばっさんになり、語呂の良さでこばっちに落ち着いた。他の皆も同じように呼び始め、一年に至っては「こばっち先輩」という敬意の有無がよくわからない呼び方になっている。
「未散は紗良ちゃんには優しいよね」
広瀬は広瀬で「紗良ちゃん」「夏希ちゃん」と呼び合うようになっている。女子同士は仲良くなるのが早い。
「そんなことないって。機材は全部こばっちの家から持ち出しなんだから、せめて運ぶくらいはしないと」
「ふーん」
こばっちとは仲良くしゃべっているくせに、こういう時だけ遠回しにチクチクつついてくる。別にこばっちだけ特別えこひいきしているつもりは無いのだけど。
広瀬は女子の中ではかなりさっぱりしたタイプだと思っていたが、やはり女子なのだ。
呼び名といえば、今日は広瀬が俺を未散と呼び出して最初の平日でもあり、クラスの連中に冷やかされるかと朝から警戒していた。しかし実際は、俺の方が広瀬と苗字で呼び続けていることで「主従関係が決まった」とみんなに認識されたにとどまった。それはそれでほぼ合っているので構わないけど、男子としてのプライドは無いに等しい。
二人でD組に向かうと、教室から丁度こばっちと軽部が歩いてきた。軽部の両手には見たからに重そうなバッグが下がっている。
「何だ、銀次が持ってくれたのか」
実は軽部も昨日、自分の軽部という苗字はバカっぽくて好きじゃないと、全国の軽部さんを敵に回すようなカミングアウトをして、みんな銀次と名前で呼ぶようになった。
仲が良い後輩の照井は譲二という名前なので、銀次と譲二という、チンピラの兄弟みたいになったな、と密かにほくそ笑んでしまう。これからはモト高の任侠ブラザーズと呼ぼう。
「銀次君、男らしい」
広瀬が誉めているのか冷やかしているのかわからない調子で言った。多分両方だ。
「同じクラスなんだから荷物くらい持つって。先に行っちまうような薄情者じゃねえよ」
当然のように言いつつも、確実に照れている。練習中はこばっちとそんなにしゃべってなかったのに。
「銀次君、重くないですか?」
こばっちが心配そうに聞いた。
「ケーブルだけに見えるけど、そんなに重いの?」
広瀬が聞くと、
「ケーブルの下に、予備のバッテリーが二つ入ってるんです」
とこばっちは答えた。
「うん、それは重い」
広瀬がうなずく。まるで経験者のように。
四人でしゃべりながらのんびり視聴覚室へ行くと、教室前の廊下にざわざわと人だかりができていた。ほとんどが運動部の生徒だ。
思わず広瀬と顔を見合わせる。おかしい。予約はしているはずだし、カギもしっかり持っている。
その人混みの中に菊地を見つけ、声をかける。
「おす、菊地。何ごとだこれは」
「おお、藤谷。やっと来たか。実はな」
菊地の話によると、ちょっとでも会議を盛り上げようと同じクラスで放送部のヤツに司会を頼んだところ、ギャラリーがいないと寂しい、と言い出した。そこで、朝からの雨で地味な筋トレくらいしかやることが無かった運動部の連中に声をかけた結果、この人だかりになったということだ。みんなサッカー部の背番号に関心なんて無いくせに、筋トレがイヤなもんだから口実に使ったとしか思えない。
菊地にそう言うと、俺にもう一言耳打ちした。
「それもそうだけどよ。広瀬目当てに集まったやつらも多いぜ。というか、男子はほとんどがそうだ」
「なるほど」
ちょっと前までは「へー、やっぱ美人はモテるのー」くらいにしか思わなかったが、今は何というか、こう、モヤモヤする。ギャラリーの中に、広瀬の好みドンピシャの男がいたらどうしようなんてバカなことも、割と真面目に考えてしまうのだ。
「はいはい、ちょっとごめんなさいよ」
人混みをかき分け、視聴覚室のカギを開ける。ドヤドヤとギャラリーが入室していく。
視聴覚室は普通の教室と違って、木の机ではなく白いプラッチックのような素材でできた、気取った長机が並んでいる。一つの机につき二人がけ。椅子も木ではなく、会議室によくあるちょっとふわふわした畳まないタイプのパイプ椅子だ。
教室正面にはホワイトボードが設置してあり、天井からはスピーカーが2つ下がっている。大液晶は当時の最新技術である、曲げて収納できる液晶画面で、布のスクリーンのように天井に丸まっている。英語の授業で何度か使ったことがある教室だけど、正直ここじゃなきゃできない内容でもないと思う。使っているという実績が必要なのだろう。
ふと見ると、ギャラリーの生徒たちが次々と席に座っている、いかん。サッカー部が主役の会議なのに座る場所が無くなっては困る。まったく、ギャラリーを呼ぶなら仕切りも呼んどけって話だ。
「はい、そっちー。詰めて詰めて。立ち止まらないでー。観客は後ろ半分まで。前は行かないでねー」
放送部員らしき男子生徒がギャラリーをうまいこと誘導している。仕切りもちゃんと呼んでいたようだ。あの人は三年かな。受験勉強しなくていいのかな。
「藤谷君」
振り返ると、フチ無しメガネに温和な笑顔を浮かべたひょろっとした男子が立っていた。やたら声がいい。もしかして。
「君が菊地と同じクラスの放送部の人?」
「そうだよ。E組の古市達矢。声かけてくれてありがとう。今日はよろしく」
さわやかに握手を求めてくる。同じ高二なのに、ずいぶんひねたやつだ。
「こちらこそ。でも、ちょっと大げさじゃないか?単なるサッカー部の背番号決めだけど」
握手をかわして軽くクレームを入れる。
「まあまあ。でも、わざわざ視聴覚室の大液晶使ってドラフト会議って、面白そうじゃないか。高校生活でこんなイベントを実況できるチャンスめったに無いよ」
「普通は無いだろうね」
そうなんだ。背番号を決めるだけなら、単に部室で話しあえばいい。何なら、キャプテン権限で適当に割り振ってもいいのだ。
俺が今回ドラフト会議なる回りくどい方法を理由。それは。
「未散。機材のセット、終わったよ」
広瀬が報告しに来た。古市君が広瀬を見て、「おお」と声なき声をあげる。
「あ、広瀬。頼みたい仕事がある」
「何?」
「みんなが書いた希望の番号、読み上げてくれ。それをこばっちが入力して表示する」
「いいけど。どうやって?」
古市が割って入ってきた。
「どうも、広瀬さん。実況担当の放送部古市です」
「どうも」
広瀬が戸惑い気味に会釈する。
「ドラフトの読み上げと言えば!やはり、第一回選択希望選手、しかないでしょう。今回は背番号なので第一回選択希望番号、となりますが。極力早口で、よどみなく、一気に」
古市が手のひらを上に向け、広瀬に向けた。
「何?」
広瀬がけげんな顔で聞いた。
「続いてください。第一回選択希望番号」
「だ、第一回選択希望番号」
「もっと最初の音をはっきりと。後半にスピードアップする気持ちで一気に!」
「第一回選択希望番号!」
「OKです。今の忘れないで。読み上げるタイミングは僕が指示しますから。では僕も準備に向かいます」
古市はスクリーン脇に設置された実況ブースに歩いて行った。
「別に、好きな読み方でいいんだぞ」
古市が遠ざかったのを見て小声で俺が言うと、広瀬は「今ので行く」と首を振った。
「やるからには、ちゃんとやりたい」
目立つことはイヤがるかな、と思ったが、結構乗り気で引き受けてくれている。根が真面目なんだな。
俺は実況ブースと反対側のスクリーン脇に向かった。
「こばっちー、システムはどう?」
「はい。準備OKです」
こばっちが指でOKマークを作る。念のためのお願いしておいた、抽選箱も用意済みだ。
こばっちの家には型落ちの家電が多くあり、つまりはそれを入れる箱もたくさんあると言うことになる。今回、抽選箱用に小さめの箱を畳んで持ってきてもらった。それにしても入部以来、機材などをこばっち個人に頼りっぱなしだ。今度何かおごろう。
部員たちも前の方の席にきちんと着席している。一瞬国分の顔を忘れそうになったけども、サッカー部全員揃っている。それぞれ、紙に番号を書いてシミュレーションしたり、「俺、何番でもいいけどなー」と駆け引きを始めている者も。何番でもいい?バカな。そんなのウソに決まってるだろう。
「よし。じゃあ、始めるか」
振り向いて教室全体を見渡す。最初の印象と違ってすごい人数というわけでもないけど、六十くらいある席の後ろがほぼ埋まっている。
こいつらが、今から歴史の生き証人になるんだ。
古市がマイクに向けて第一声を放つ。
「皆様、大変長らくお待たせいたしました。全身の筋肉をぜん動させて、熱き魂を白と黒のボールに乗せる男たち。そんな選手たちのもう一つの顔とも言える背番号。果たして、憧れのエースナンバーは誰の手に!ここに、本河津高校サッカー部、第一回背番号ドラフト会議の開催を宣言いたしますっ!」
流れるような口上がスピーカーから視聴覚室に響き渡る。教室中の生徒が割れんばかりの拍手で応える。こんな変人、いや逸材が同じ学年にいたとは。
「実況は私、放送部二年古市達矢。解説は本河津高校サッカー部、芦尾陸君にお越しいただきました」
「どうも、芦尾です」
いつのまにか、芦尾がちゃっかりと古市の隣に座っている。
「おい、何だ解説って。余計なことしゃべったらお前だけダッシュ五十本にするぞ」
釘を刺してみたが、芦尾のやつ、聞こえないフリしてやがる。
俺はこばっちに、そっとGOサインを送る。こばっちは立ち上がって、教室備え付けのスイッチを押した。
ズイーンと音を立てて、丸まっていた視聴覚室名物大液晶がゆっくりと伸ばされていく。スクリーンと呼べる大きさに広がった大液晶画面を確認して、こばっちがノートPCを操作した。
ギャラリーも、部員たちも「おお」と歓声を上げた。
画面に映し出されたのは、テレビのドラフト中継でおなじみのあのドラフト板。部員は十五人なので横3×縦5の十五マスで、それぞれのマスに部員の名前があらかじめ打ち込んである。FWから順に発表するように並んでいて、理由は読まれるのが遅いとFWの冬馬が飽きて文句を言いだすと思ったからだ。
「これは素晴らしい。もはや趣味ではない、プロの仕事といった出来。製作は、サッカー部が誇る天才技術者、小林紗良さんであります」
「て、天才じゃないですよ」
こばっちが真っ赤になって手をぶんぶん振っている。誰が情報を提供したのか知らないが、かなり面倒くさい原稿になっていそうであります。
「そして読み上げますのは、本河津高校一の美少女にしてサッカー部に舞い降りた黒髪の天使。チーフマネージャー広瀬夏希さんでございます」
後方の男子から地鳴りのような歓声が上がる。女子たちも一緒になって拍手している。美人は同性から妬まれると思っていたけど、突き抜けると憧れになるようだ。
「……誰か、あの人止めて」
当の広瀬は耳まで赤くなり、実況席をにらんでいる。古市君は知らん顔だ。盛り上がればいいという価値観なのか。いさぎよい。
「さあ、早くもサッカー部の勇者たちが自らを象徴する背番号を記入しております。ポジションのイメージに忠実な番号か。はたまた既成概念をくつがえすチャレンジが行われるのか」
部員たちが配られた紙に、規則で決まっている1から17のうち希望する背番号を記入し、四つ折りにして表面に自分の名前を書く。それをスクリーン脇の広瀬にまとめて渡し、広瀬が読み上げる順番に並べ直す。準備は整った。
「まず一番手はFW冬馬理生選手。今年五月に転入し、彗星のように現れた天才ストライカー。体格には恵まれていないものの、類まれなるスピードと駆け引きによるポジショニングの妙。まさにザ・ゴールといったところでありましょうか」
古市君が広瀬に合図を出す。広瀬は若干緊張気味に、一人目を読み上げた。
「第一回選択希望番号。冬馬理生、9番」
ギャラリーが「ほお」という感じでどよめく。冬馬は当たり前、といった顔で座っている。表情一つ変えない。自分の番号だと信じている。
「おおっと、冬馬選手、大方の予想通り9番を選択!まさにエースストライカーの代名詞とも言える、背番号9。続きましては、同じFWにして冬馬選手最大のライバル、新進気鋭のスピードスター、一年の伊崎風選手。こぼれ球の位置を予測していたかのような得点感覚、一瞬の反応、どれを取っても未来のサッカー部を担うのに十分な素質の持ち主であります」
「そ、そうかな。ぬふ」
伊崎がまんざらでも無い顔で頭をかいた。しかしその目は冬馬を鋭くとらえているのを俺は見逃さなかった。
広瀬が紙を開く。
「第一回選択希望番号。伊崎風、9番」
今度は視聴覚室全体がざわついた。最前列の冬馬がバッと伊崎を振り向いてにらみつけている。してやったりの顔をしていた伊崎が隣の島の後ろに隠れる。
「こら、冬馬。後輩おどかさないの」
ちょっとだけ嬉しそうな広瀬が冬馬をたしなめる。冬馬が一瞬動揺したところを見て日頃の溜飲が下がったみたいだ。
「チッ!」
舌打ちをして、冬馬は面白くなさそうに腕組みをして座り直した。
「おおっと!これはのっけから競合だー!何ということでしょうか。これは後輩から先輩への挑戦状。まさに仁義無用の下克上であります!」
スクリーンのドラフト板には冬馬と伊崎の並んだマスに9の数字が表示され、マスの背景が両方とも赤くなった。競合の印だ。とりあえずクジ引きは後でまとめてやる段取りで、古市君は淀みなく進行する。
「続きましては、こちらの解説席にいらっしゃいます、FW芦尾陸選手。ねちっこいボールキープとタメにタメて打つ強烈なシュートには定評があります。まさに本河津のティーガー戦車と言ったところ。果たして芦尾選手は何番を選択したのか!」
「第一回選択希望番号。芦尾陸、13番」
若干戸惑ったようなざわつきが生まれる。あいつ、最初から争いを避けて無難に控え番号狙っていったな。やるじゃないか。
「これはどういった狙いなんでしょうか、芦尾さん」
「そうですね。私の考えとしましては、FWは9番以外はこれと言って番号のイメージが決まっていないポジションだと思うんですね。でしたら、誰かとかぶる可能性のある番号よりは、FWのイメージである奇数でそこそこかっこいい番号ということで13に決めた次第です」
なるほど。芦尾もスケベなことだけ考えてるわけじゃないんだな。次は俺だ。
「さて、早くもこのドラフト会議の最初の山場、新生サッカー部を作り上げた我らがキャプテン!稀代の天才パサーにしてフリーキックの魔術師。本河津の若き将軍、藤谷未散選手です!」
「……誰か、あいつを止めろ」
恥ずかしい。何なんだ、若き将軍て。年はみんな若いじゃないか。
それはそうと、あの四つ折りの紙を開いたら、広瀬はどんな反応をするだろうか。
俺が、10番を誰かに押し付けようとしてるって知ったら。
「第一回選択希望番号。藤谷未散」
広瀬の読み上げが止まった。皆が広瀬に注目し、古市君も黙って先を待っている。広瀬を見ると、ジーッと怖い目で俺をにらんでいる。確実に怒っているな、あれは。
「失礼しました。第一回選択希望番号」
広瀬が仕切り直してもう一度読み上げる。さっきまでと比べて明らかにテンションが低い。
「藤谷未散、7番」
本日最大級の戸惑いとざわめきが視聴覚室を支配した。
そう、俺がドラフト会議なんてものを思いついた理由。それは、つけてるだけで冷やかされる10番を、公正な方法で誰かに押し付けるためだった。
ちなみに7番はCBの直登がつけていた番号で、日頃からCBに7番は変だ、と言っていたのでまず今回はかぶらない。あとは皆藤と菊地というサイドの選手だが、菊地は多分お気に入りの11番。皆藤は8がいいと部室で言っていたのを聞いた覚えがある。
決まりだ。
「何ということでしょう!ここでキャプテン藤谷選手、10番の返上を宣言いたしました。解説の芦尾さん。これは」
「ええ。もともと押し付けられて嫌がっていた番号ではありますが、最近はあきらめたと思っていました。ずっと返上の機会を狙っていたということでしょう。気持ちはわかりますが、部員としてはちょっとガッカリですね」
好きなように言っていればいいさ。押し付けられた10番で冷やかされる気持ちなんて、付けた人間にしか分からないのだ。広瀬を盗み見すると、まだ何となく機嫌が悪そうだ。別に俺の背番号が何番だっていいじゃないか。広瀬が怒ることじゃない。
そこからしばらくは無風のドラフトが続いた。「左四十五度のスラローマー」こと菊地が予想通り11番。「右サイドの永久機関」皆藤が8番。ちょっとだけ意外だったのは、てっきりCBの誰かが取ると思っていた4番を、「影の司令塔」黒須が取ったことだ。そういえば、インハイ予選決勝を見に行った時、春瀬の4番別府をずっと注目して見ていた。何か思うところがあるのだろうか。できれば黒須に10番を取ってほしかったが。
続いて「ミスター・オールマイティー」国分が6番。6番は中盤の底、CB、左SBまで幅広く付けられている番号だ。実に国分らしい。
「堅実王子」という誉められてるのかどうだか分からない異名で呼ばれた狩井は、右サイドバックの定番、2番をゲット。「フィールドの風」こと銀次は左SBの3番。狩井に定番の背番号を教わったのだろうか。さわやかすぎる異名にはしきりに照れていたが。
さて、次は直登の番だ。
「女子の皆様、お待たせいたしました。サッカー部随一のハンサムボーイにして、キャプテンを陰で支える副キャプテン。美しきセンターバック、もはやクリスタルウォールと呼ぶべきか!茂谷直登選手!」
後方からキャーとかイヤーとか歓声が飛ぶ。直登のファンもいたか。
広瀬がすでに落ちきったテンションで紙をゴソゴソと開く。しかしその中身を見た瞬間、パッと目が輝いた。その目で俺の方を見て、ニヤリと笑う。おい、ちょっと待ってくれ。まさか。
「第一回選択希望番号。茂谷直登、7番」
してやられた!
「ここにきて7番が競合だー!まさに、大どんでんがえし!」
俺は窓際に座っている直登に、立ち上がって言った。
「おい、直登!お前センターバックに7番は似合わないって言ってたじゃないか!」
直登は微動だにせず、
「最初はね。でも付けてるうちに、愛着がわいてきたんだよ」
と、悪びれもせず言い放った。
「ぬうぅぅぅぅぅ」
いかん、計画が台無しだ。スムーズに7番に移行する予定が台無しだ。もう一度言う、台無しだ。
いや、でもまだ終わったわけじゃない。クジ引きで勝てばいいのだ。その時は、直登を10番のセンターバックにしてやる。
落ち込んだ俺に構うことなく、ドラフトは続く。「仁義の壁」照井は一年ということで遠慮してか、15番。「地上三メートルの支配者」金原は自信満々にセンターバックの5番。残るキーパー二人は、「モト高の守り神」島が1番。梶野は島に気をつかってか、12番を取っていた。梶野の異名「瞬速のスパイダーマン」は今日一番恥ずかしいデキであろう。言われた当人は結構気に入っていたのが謎だ。
「これで1一巡目の番号が出揃いました。競合は、9番の冬馬選手、伊崎選手、7番の藤谷選手、茂谷選手の二組であります。それではまず冬馬選手、伊崎選手、前の方へお願いします」
冬馬と伊崎が抽選箱を持つこばっちの前に立つ。後半飽きつつあったギャラリーも固唾を呑んで見守っている。
箱の中には封筒が二通入っており、事前に当たりは二重丸、外れには俺が個人的になぐさめの言葉を書いて入れてある。
緊張した面持ちの伊崎が抽選箱に手を入れる。かなり迷って、封筒を取り出し、広瀬に渡す。広瀬が封筒から折りたたまれた紙を取り出し伊崎に渡した。残された封筒を取った冬馬も同様だ。古市が声を張る。
「両者ともに引き終わりました。開けてください!」
二人同時に紙を開く。
「おおっと、高々と、右手を上げた冬馬理生ー!サッカー部のエースストライカーは俺だと言わんばかりの立ち姿!見事に9番を勝ち取りました!伊崎選手、ガックリとひざをついています。先輩の壁はやはり厚かったかーっ!」
クジ引きで先輩の壁も何も無いと思うけど。伊崎は多分、俺が書いたなぐさめの言葉に癒やされていることだろう。
「キャプテン!何ですかこれ!こんなちっちゃい字でドンマイとか書かれても余計腹立つだけですよ!」
伊崎がガミガミ抗議してきた。背番号など気にするな、という深いメッセージだったのだが、彼には伝わらなかったようだ。
「伊崎君、残念だったね。次の番号、空いてるのから選んでおいてね」
こばっちが伊崎に優しく新しい用紙を渡す。伊崎はへの字口のまま「はい」と紙を受け取り、席に戻っていった。
今度は俺と直登だ。さっきから妙にニヤニヤしている広瀬が抽選箱を持っている。
「はいはい。ちゃっちゃと引いて」
「何だよ、扱いが悪いな」
「10番から逃げたダメ将軍にはこれで十分です」
言い返したいが、さっきまでの不機嫌な顔よりはマシだと思おう。俺はちょっと迷って封筒を引いた。ハズレのなぐさめの言葉にはあと何があったかな。適当に書きすぎて忘れてしまった。
直登が残った封筒を引いて、共に広瀬から中身を渡される。
「では、両者開けてください!」
古市のコールで俺と直登が一斉に紙を開く。
「クールに決めたガッツポーズは茂谷直登ー!見事に7番を獲得いたしました!」
俺の紙にはちっちゃい字で「そのうちいいコトあるさ」と書かれていた。
「うるせえ!」
一時間前の自分を殴りたい。こんな言葉でなぐさめられてたまるか。
涙をぬぐって笑い続ける広瀬から新しい紙を受け取り、俺は仏頂面で席に戻った。どうしよう。残る番号は、10、14、16、17。
抽選負けは俺と伊崎だけ。伊崎は次に何番を選ぶだろう。
FWっぽさで言えば17か。いや、単にかっこいいという理由で14の線もある。16だって無いわけじゃない。しかし10だけは多分書いてくれないだろう。
いや、そもそも9を冬馬に取られた時点でだいぶ伊崎のテンションも下がっているし、もうこだわってないかもしれん。
俺は次の希望番号を紙切れに記入して、四つ折りにして広瀬に渡した。
「ん。今見るなよ」
「ちゃんと書いたでしょうね?」
広瀬がジッと俺を見つめる。
「……もちろん、ちゃんと読める字を書いたさ」
「そういう意味じゃ……あ、コラ」
目をそらし、そそくさと広瀬から遠い端の席に移動した。怒られるのは怖いが、背に腹は代えられぬ。緊急事態なのだ。
古市が実況する。
「さあ、抽選で外れた二人の再投票が終わりました。では広瀬さん、お願いします」
広瀬が四つ折りの紙を開く。俺のだ。
「第一回選択希望番号。藤谷未散」
開いた紙を見た途端、眉間にシワが寄り、俺の方に顔を向ける。俺は窓の外を降りしきる雨に視線を移す。
「……17番」
ギャラリーから半分失笑、半分どよめきの声が上がった。
「往生際が悪いヤツだなあ」
少し離れた席から、菊地があきれたように笑う。
「フン、何とでも言え」
「藤谷先輩、広瀬先輩こっち見てますよ」
近くにいた黒須が心配そうに言った。
「怒ってるか?」
「多分……あ、伊崎の開きます」
広瀬がマイクに向き直り、伊崎の再投票用紙を開く。
「第一回選択希望番号。伊崎風」
読み上げると、広瀬は再びこちらを見た。
今度は人の悪い笑みを浮かべて。
「……17番」
どよめきの中に、失笑どころか爆笑も混ざっている。
「キャプテン!何で10番行かないんですか!もし10番が欠番になんてなったら、敵チームにナメられますよ」
伊崎がブーブー言ってきた。
「うるせえ、ナメたいやつにはナメさせときゃいいんだよ!それより何でお前も17なんだよ」
「FWは奇数の方がかっこいいじゃないですか!」
「知るか!」
抽選箱の用意が済んで、俺が先に引き、残りを伊崎が引いた。
「両者ともに引き終わりました。開けてください!」
隣で伊崎の雄たけびを聞きながら、俺は両膝を床についた。
自分の汚い字で書かれた慰めの言葉、『受け入れよ』を見つめながら。
顔を伏せて肩を揺らす広瀬をにらみつつ、俺は次の番号を考えた。
ここで10以外を選んだら、今度はさすがに広瀬も笑って許してはくれない気がする。それにさっきはナメさせとけばいいなんて言ってしまったけど、10番が欠番というチームは「うちは自分に自信の無い人間しかいません」とわざわざアピールしているようで、試合前から白旗を上げているようなものかもしれない。
結局俺は、最後に渋々10番を書いた。
これをもって、俺が二日かけて考えた、「10番を誰かに押し付けるためのドラフト開催作戦」は失敗に終わった。最終的な背番号は次の通りである。
1:GK 島薫 2:DF 狩井昴 3:DF 軽部銀次
4:MF 黒須秀太 5:DF 金原史緒 6MF 国分涼
7:DF 茂谷直登 8:MF 皆藤歩 9:FW 冬馬理生
10:MF 藤谷未散 11:MF 菊地泰郎 12:GK 梶野至
13:FW 芦尾陸 14:なし 15:DF 照井譲二 16:なし
17:FW 伊崎風
この番号と、ローマ字表記のネームを新ユニフォームのプリントデザインに入れ込む。忘れかけていたが、この会議はユニフォーム作成の一環でもあったのだ。
「これで全ての背番号が決定いたしました。背番号10はやはりキャプテン藤谷のもとに舞い戻って参りました。これはもう運命としかいいようがありません。10番の若き将軍が、チームを全国の舞台へと導くことができるのでありましょうか。それでは、ここで実況席からお別れいたします。芦尾さん、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
最後は古市がサラリと締めて、会議は終わった。ギャラリーたちがガヤガヤと視聴覚室を出て行く。俺は古市の実況ブースへ向かう。
「やあ、キャプテン。お疲れ様」
気づいた古市が帰り支度を始めながら言った。
「お疲れ様じゃないよ。恥ずかしすぎるぞ、あのキャッチコピー」
古市は俺の抗議に悪びれること無く笑った。
「いやあ、ごめんごめん。しゃべりだすとつい乗っちゃって」
「ちょっと資料見せてくれよ」
手元の資料を借りてめくってみる。そこには部員の学年、氏名、ポジション、プレースタイルが簡単に書かれているだけだった。
「あれ、全部アドリブだったのか!」
「そうだよ」
当たり前のような顔をしている。同級生にこんな怪物がいたなんて知らなかった。
古市は「貴重な経験をありがとう」と言い残して帰っていった。ああいうやつが、将来名物スポーツアナになったりするのかな、とぼんやりと思いながら、彼の背中を見送った。
「よお、残念だったな、若き将軍。せっけーこと考えやがって」
銀次が笑いながら俺の肩を叩く。いつのまにか集まった部員たちもみな笑っているか、笑いをこらえている。つまりは全員笑っている。
「うるさいよ、フィールドの風。このプレッシャーは付けた者にしかわからん」
「注文はショップに直接行くの?それともネット?」
広瀬が言った。彼女も怒ったり爆笑したり忙しい日であったが、すでに何事もなかったような顔をしている。やれやれ。
「ネット注文は、連絡がつかなくなることがありそうで不安だから、とりあえず俺が今からショップまで行く」
「そういう仕事はマネージャーの仕事でしょ。私も行く」
言って、広瀬はこばっちを見た。
「紗良ちゃんも、時間あったら一緒に行かない?昨日、ジャージ欲しいって話してたでしょ」
「いいんですか?」
なぜかこばっちが遠慮がちに俺を見た。
「こばっちもマネージャーなんだから、いいに決まってる」
広瀬と二人きり、という状況は本来なら歓迎すべきところだが、それなりに緊張もするし話題も尽きがちになる。情けないけど、誰かいてくれた方が助かるという切実な理由もあるのだ。
「じゃあ、俺も行っていいか?スパイクの相場が見てえんだ」
銀次が言った。女子二人に男子一人では立場が弱いと思っていたところだ。良かった。
「もちろん。それより、まだスパイク買ってなかったのか」
金原と梶野はすでにスパイクやグッズを揃えている。それぞれ直登と島に色々聞いて決めたようだ。
「ちっと金がな。四月に陸上用のシューズ新調したばっかでよ。そん時ゃサッカー部に入るなんて思わなかったしな」
「あ」
そうか。全然考えてなかった。うちは昔から父さんが、道具に妥協するなと言って色々買ってくれていたから、必要なら買うのが当たり前だと思っていた。
俺はまだまだガキだな。
窓から外を見る。雨はもう上がっていた。
四人で駅前のサッカーショップへ向かう道中、俺は散々な言われようであった。
「未散は往生際が悪いし、せこい。わざわざ10番から逃れるためだけに、ドラフトなんて大掛かりなもの考えるなんて、信じられない」
広瀬がビシビシ撃ってくる。機嫌は直ったかと思っていたら、それと言いたいことは別みたいだ。
「せこいのは否定できないけど、大掛かりにしたのは菊地のせいだ。古市が来るなんて知ってたらやってない」
「クジ引きで外した時のおめーの顔は思い出しただけで笑えるぜ。これぞ絶望って感じだ。しかも先に引いたくせによ」
銀次がさもおかしそうに笑う。
「あれは直登が悪い。絶対わざとぶつけてきたんだ。そういうヤツだ」
「でも、藤谷君は戦略家ですね。本当の目的を隠したまま、気をそらすためにイベントを起こすなんて。策士です」
優しいこばっちがフォローしてくれる。いい子だ。頭をなでなでしたい気持ちをグッとこらえる。小柄だから頭がちょうどいい位置にあるのだ。
「策士、策に溺れるを見事に体現してたけどね」
広瀬がこばっちのフォローを台無しにする一撃を見舞う。こばっちまで笑い出した。
もういい。そのうちいいコトあるさ。
駅前の商店街にあるサッカーショップ『エリックス』は、細長いビルの一階がジャージとユニフォーム、二階がスパイクやトレーニングシューズと分かれている作り。完全な個人店ではなく、県内に三店舗を構えるグループ店だ。特に通っていた店ではないけど、学校帰りにも寄れる範囲で、何よりチームオーダーが一番安かったのが決め手になった。店内には各メーカーイチ押し商品のポスターが所狭しと貼ってあり、店内のモニターには海外リーグの試合映像が流れている。有名チームのマフラータオルやマグカップなどのグッズも各種並んでいる。
いかん。色々見てたら楽しすぎて本来の用事を忘れてしまう。銀次は一足先に二階のスパイクコーナーに行き、広瀬とこばっちは二人ですでにジャージを物色している。サッカーショップとはいえ、女子二人で服を選ぶのだ。待たされることはあっても俺らが急かされることは無いだろう。
「すいませーん」
俺はレジの奥へ声をかけた。
「あいよー」
奥から野太い声が返ってくる。でてきたのは、百九十センチ近い長身で口とアゴにヒゲを生やした四十過ぎのおじさん。ヒゲには白いものも混じっている。顔が長く、眉が下がっていて奥目である。体格は怖いが顔は怖くないという複雑な人だ。胸のネームプレートに嘉藤とある。
「いらっしゃい」
「ユニフォームの、チームオーダーお願いしたいんですけど」
「おお、もしかしてサッカー部のユニフォームかい?」
嘉藤さんが言った。嬉しそうだ。
「ええ。本河津です」
「すぐ近くじゃないか。野球は去年いいとこ行ったよね」
「そうみたいですね」
世間話をしながら、嘉藤さんは書類を渡してきた。サッカー部の実績には触れないあたり、客商売の大人だ。
「そこに、枚数とか色とか、必要事項が書いてあるから、記入してね。デザインはどうする?」
俺はカバンからユニフォームのデザインが描かれた紙を取り出す。広瀬のノートを白黒コピーしたものだ。カラーコピーは高い。色なんて後で指定すればいいのだから。
「これなんですが」
嘉藤さんは紙を受け取って、
「ああ、これなら一週間でできるよ。昇華プリントでやる?」
「はい、お願いします」
部員たちのローマ字ネームと番号一覧表を先に嘉藤さんに渡して、書類の記入に集中する。俺はこの書類への細々とした記入が苦手だ。イライラしてきてしまう。
「どう?」
広瀬とこばっちがレジへやってきた。すでにジャージをそれぞれ手にしている。
「早いな。もう決めたのか」
女子なのに。
「うん。見る?」
何で女子って、素直に見てって言わないんだろう。めんどくさいな。
広瀬がジャージの上を広げる。白地に赤と紺の太い線がところどころに入るトリコロールカラー。いたってシンプルで、フランス代表の匂いもしてオシャレに見える。可愛いというよりクールなデザインだが、広瀬が着れば絵になるだろう。
「いいんじゃないか、スッキリしてて。俺はてっきりピンク選ぶかと思ったよ」
「ピンクは私です」
こばっちが自分の選んだジャージを見せる。しかし、黒だ。
「こばっち。黒いが」
「ラインです」
見ると、黒一色のジャージではあるが袖口や襟、線という線がピンクになっている。なかなかやるじゃないか。
「おお、黒一色のストイックと見せかけて、しっかりピンクで女子をアピールとは。やるな、こばっち」
こばっちが八重歯を見せた。
「お客さん」
嘉藤さんがトントンと書類をつつく。まだ途中だった。
「ちょうど良かった。広瀬、書類の記入頼むよ」
「未散はどうするの?」
「上で銀次が一人だから、様子見てくる」
借りたボールペンを広瀬に渡して、俺はバッグをかつぎ直す。
「ちょっと待って。君、もしかして藤谷未散君?」
嘉藤さんが呼びとめた。
「そうですけど。何で名前知ってるんですか?」
広瀬とこばっちも不思議そうに俺と嘉藤さんの顔を見る。
「五年前かな。ここで少年クラブの大会あったでしょ?多分あの時見たんだよ、君を。ちょっと待ってて」
嘉藤さんは店の奥に引っ込んだ。何となく、いやな予感がする。
しばらくして嘉藤さんが戻ってきた。
「これこれ。君でしょう?」
古いサッカー雑誌を開いて嘉藤さんが指したところに、得点王の賞状を持って、泣きそうな顔をした少年の写真があった。
得点王 FCスパーダ FW 藤谷未散君
「未散だ!」
「わー、藤谷君だー。かわいー」
マネージャーズがキャッキャ言って喜んでいる。いやな予感は的中した。
この大会は覚えている。決勝戦で俺は二点を決め、得点ランクのトップになり、3-0とリードした残り十分。その大会で一度も試合に出ていなかった選手と俺が交代を命じられた。監督の言い分としては「もう十分だろう」というものだったが、俺は納得行かなかった。結局半泣きになって無理やり引っ込められた後、相手チームのFWが1点を返し、その選手と同点で得点王を分け合う形になった。
表彰式は、優勝して得点王になった俺が険しい顔で半ベソになり、負けて得点王になった相手がまるで優勝したかのように喜ぶ、という妙な構図になっていた。
今思えば、点を取ることに執着しなくなったのはあの試合がきっかけだったのかもしれない。
その試合を最後に、俺はクラブの練習に行かなくなった。
「あれはかわいそうだったよ。試合に出てない選手の記念と言ってもね、エースストライカーを引っ込めることはないよ。ずいぶん泣いてたね」
「もういいですから!しまってください。大体何でそんなに知ってるんですか?」
俺が真っ赤になって抗議すると、嘉藤さんはちょっとだけ得意気に胸を張った。
「その大会、うちの店の親会社がスポンサーの一社になってたんだよ。当時スタッフとして駆りだされてね」
なぜよりによってこの店を選んでしまったのか。しかも広瀬が一緒にいる時に、恥ずかしい写真を見られてしまった。死にたい。
「よー、まだかー?」
銀次が二階から降りてきた。聞くと、新品のスパイクが思いのほか高額だったため、ちょっと考えるとのことだった。
「銀次君、これこれ」
広瀬が銀次を手招きして、俺の写真が載っているページを見せた。
「何だ?……だーっはっはっはっ!おい、これおめーじゃねーか!何で賞状持って半べそかいてんだよ!」
今日は厄日だ。ずっと小馬鹿にされている気がする。
「君たちはマネージャー?」
嘉藤さんが広瀬とこばっちに聞いた。
広瀬は書類に記入しながら、
「はい。二人ともそうです」
「へえ、いいね。で、どっちがどっちと付き合ってるの?おじさんに言ってごらん」
広瀬の手が止まる。俺も急に喉が乾いてきた。こばっちもなぜか緊張し、銀次は「何が?」という顔をしていた。
「いえ、その、そういう関係ではなく、たまたまこの四人で来ただけです」
広瀬がぎこちなく答える。どうした、チーフマネージャー。もっとさらっとかわしてくれよ。
「なーんだ。つまんないなあ」
慌ただしく書類への記入を終えて、広瀬が嘉藤さんに渡す。
「はい、これで全部です」
「はい、どうもー。来週の月曜か火曜には、そちらの学校に箱で届くと思うよ」
何となく気まずい雰囲気になって、俺たちは店を後にした。途中で俺と広瀬、銀次とこばっちに分かれて帰途につく。
いつもとは違う道を広瀬と歩く。駅前は学校帰りのカップルがちらほらと目について、どうしても意識してしまう。何を話そう。「俺たちカップルに見えるかな」などと言っても冷たい視線が返ってくるだけだろう。本当に話題が無い。弱った。
「ねえ」
黙ったまま時間が過ぎ、駅前を離れた頃、広瀬は口を開いた。
「ん?」
「怒ってる?」
広瀬はちょっと不安げな目で俺を見ている。
「いや、まったく。何で?」
「ずっと黙ってるし。ちょっとからかいすぎたかなって」
写真のことか。確かに恥ずかしかったけど。
「別に怒ることでもないって。それより、前に広瀬が、部室で昔の写真からかわれた時の気持ちがわかったよ」
「そう」
再び沈黙。そろそろいつもの帰り道に合流する。
「ねえ」
「ん?」
「どうして、FWから中盤になったの?その決勝戦が理由?」
からかっている風でもなく、広瀬が聞いた。そんなに気になるのか。
「理由といえば理由かな。あの後練習行かなくなってクラブやめて、別のクラブに移ったんだ。そこがまた弱くて。前線で待ってても全然ボール来ないから、自分から下がってボール取ったりパス出す方にまわったってのが理由」
「ふーん。でも、勝てなくなったでしょ?」
「まあね」
「悔しくなかった?」
「どうかな。そこでは卒業まで続いたから、満足してたんじゃないかな。俺は思うんだけどね。勝ちたいって気持ちもさ、ずっと意識して持ち続けてないと、川岸がちょっとずつ削れていくみたいに気がついたら無くなってるものなんだよ、きっと」
それ以上、広瀬は追求しなかった。
いつもの交差点。ここで広瀬と別れる。二人の時は話すネタ探しに苦悩していたのに、いざ別れる場所に来ると胸にポッカリ穴が空いたような寂しさが襲う。我ながら重症だ。
「じゃあな」
俺は右手を上げた。
「未散」
「ん?」
広瀬がさっきみんなで見ていた雑誌のページをひらひらと見せた。おれの写真がしっかり写っている。
「コ、コピー取ったのか!」
「ジャージ買ったからサービスだって。紗良ちゃんの分もね。あのおじさん親切」
「よこせ。俺が処分する」
俺は手を伸ばしてコピーをひったくろうとした。
「やめてよ、私のだから」
「そんなことは知らん!」
俺は筆箱を取られたいじめられっ子のようにコピーを奪取しにかかる。広瀬は器用にそれをかわす。チクショウ、運動神経がいいマネージャーって反則だ。
と、視界の端に、ものすごいスピードで大きな影が入ってきた。俺は反射的に広瀬の腕をつかみ、歩道の端っこに引っ張りこむ。
「わっ!」
抵抗する間もなく広瀬がよろめき、生まれたスペースをスポーツタイプの自転車がハイスピードで突っ切っていった。
「あっぶねー。何なんだ、あいつ」
「未散」
声が近い。引っ張られた広瀬が、正面から俺に体を密着させていた。広瀬の体温が、息づかいが、すぐそばにある。
「わ、す、すまん」
慌てて腕を離す。広瀬は下を向いたまま、二、三歩後ずさった。
「未散」
「だからごめんて」
「ううん。ありがと」
広瀬は顔を上げた。とても柔らかな笑顔で。
「今日、10番から逃げてちょっと男らしくないって思ったけど、今のでチャラにしてあげる。じゃあね」
言って、くるりと振り返って足早に立ち去った。俺の体には広瀬の温かさが残り、頭には『そのうちいいコトあるさ』のハズレクジがぐるぐると回っていた。
一週間後の月曜日。サッカーショップのエリックスから大きな段ボール箱が職員室に届いた。放課後、部員たちで協力して部室に運び、皆を集める。俺は部員を前にして言った。
「えー、ただ今より新ユニフォームの開封式を」
「んなこといいから、さっさと開けろよ!」
菊地が急かす。風情のないヤツめ。
カッターで、段ボールを閉じているビニールテープを切ってフタに手をかける。この中に、大空か、はたまた大海を思わせる青い新ユニフォームが詰まっているのだ。
俺は勢い良くフタを開けた。
「……え?」
俺も、部員たちも、一様に固まった。
なぜなら箱には、燃えるように真っ赤なユニフォームがギッシリと詰まっていたのだから。
つづく
たぶんしなくていい名前の由来解説
古市達矢……古舘伊知郎
『エリックス』の嘉藤さん……エリック・カントナ




