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第17話 「女子高にご招待」

新ユニフォームを決めよう

広瀬が泣いている。


どうしよう。電話に出さない方がよかったのか。それとも、何かこう、別の理由で感極まって泣いてるのか。

思わずポケットを探るが、練習着にハンカチが入っているはずもなく、俺はその辺の先生の机にある箱ティッシュからシュシュッと数枚拝借した。


広瀬に差し出すと、彼女は少し驚いたような顔をしたものの、微笑んでティッシュを受け取った。そして静かに涙をぬぐう。

その一連の動作は何とも可憐で、惚れていることを自覚してしまった今となっては心臓の高鳴りを助長する効果しかない。


さっきまでだって、一条さんに電話がつながるまで必死すぎて忘れていたが、誰もいない職員室で二人きりというシチュエーションにかなり緊張していたのだ。バレてなければいいが。


「うん。また後で。じゃあ、うちのキャプテンに代わるね」


広瀬がスマホを俺に戻す。


「もしもし、藤谷です」


言うと、電話の向こうから、最初に話した時とは違った、親しげな声が返ってきた。声自体は変わらず凛々しい。


「藤谷君、ありがとう。君のおかげで、なっちゃんと、いや、夏希と久しぶりに話せたよ」

「そうですか、あの」


俺は広瀬に背中を向けて、一条さんだけに聞こえるようなヒソヒソ声で聞いた。


「今、広瀬が泣いちゃってるんですが。失礼ながら、どういうご関係で?」

「元チームメイトだよ。小学生の時。夏希がサッカーやってたの、聞いてない?」

「それは聞きました。特別仲良しだったんですか?」

「気になる?」


少し意地悪な調子で聞き返された。なぜだろう。俺は関わる女みんなに意地悪されている気がする。


俺の脳裏に、昨日公園で赤い目をした広瀬が言った言葉がよみがえる。



『来てくれたのは、一個上のキャプテンやってた子だけ』



試合中のケガで入院した広瀬に、唯一お見舞いに来たキャプテン。


一条さん本人に確認したい衝動に駆られたが、昨夜二人きりの時に聞いた内容をここでペラペラ話すのは、何となくためらわれた。


「気になりますが、あとは本人に聞きます」

「そ。賢明だ」

「ところで、練習試合の件ですが」

「そうそう、忘れてた」


忘れないでくれ。一番大事な本編の用事だ。


「来週は無理だけど、再来週の日曜日はどうかな。十六日」

「え、本当にいいんですか!?練習試合」


驚くほど話がスムーズに進んでいる。思わず聞き返してしまった。


「ああ、すまない。こちらとしてはOKだ。他ならぬ夏希の頼みだしね」

「あ、ありがとうございます。日程はもう、そちらに全ておまかせします」


とにかくご機嫌だけは損ねないようにしよう。

一条さんは続けた。


「どうせなら、こっちに来て合同練習って形にしないか?そしたら二試合くらいできるだろう。私たちもインターハイに向けて、ちょうど刺激のある練習をしたいと思ってたところなんだ」


桜律女子高校で合同練習?

それって、つまり。


「じょ、女子高にご招待していただけるんですか?」

「そうだよ。不満?」

「とんでもないです!むしろ、我々男子が足を踏み入れてはいけない聖域かと」


一条さんは笑った。


「普通は許可されないけどね。でも、サッカー部は結果出してるから、大抵の無理は通るんだよ」

「なるほど」


ここでふと、基本的な疑問が頭に浮かんだ。


「一条さん。こういう話って、顧問の先生とか監督を通してから決めるんじゃないんですか?」


一条さんは「ああ」と答えた。


「大丈夫。うちは特殊でね。実質私がほとんど仕切ってる。監督が頼りなくて」


奇遇ですね、うちもです!と言いたい気持ちをグッとこらえ、具体的な日時の話に入る。

俺は広瀬に紙とペンを頼み、広瀬は迷うこと無くその辺の先生の机から両方を拝借して渡してきた。土曜とはいえ、職員室をガラ空きにする方が悪いのだ。





必要事項をメモして、ひとまず通話を終えた。俺は広瀬に向き直る。

彼女はもう泣き止んでいた。幸い赤い目にはなっていない。


「大丈夫か?」


聞くと、


「大丈夫」


といつもの調子で答えた。それが本音なのか強がりなのか、俺の女性経験値ではわからない。


「OKもらえたんだね」


広瀬が言った。ちょっと鼻声だ。


「ああ、広瀬のおかげだ。何とご招待された」

「うん、聞いてた。なかなか大胆」

「そうだよな。あとはみんながどんな反応するかだ」


言って不安になる。特に冬馬は、女と試合ができるかって、嫌がるかもしれない。


「いいじゃない。嫌なヤツは置いてくって言えば」

「そんなわけに行くか」


鬼軍曹、広瀬。俺は心の中でそう呼んだ。




「そういや広瀬って、なっちゃんて呼ばれてたんだな」


職員室を出て練習場へ戻る途中、俺は笑いをこらえながら聞いた。夏希だからなっちゃん。小学生の時なら普通の呼び名だ。何もおかしくはない。

でも、似合わない。


広瀬はあからさまに赤面して、ジロリと俺をにらんだ。


「それ、みんなの前で言ったらスパイクの裏で蹴るからね」

「墓場まで持って行きます」

「よろしい」


本気で怖かった。軍曹から少尉に昇格させよう。


「でもさ、お前がそんな涙もろいタイプだとは思わなかったよ」


よせばいいのに、追い打ちをかけるようにからかってしまう。絶対怒られるのに。俺、Mかもしれない。


「どこかのいじめっ子のせいで、だいぶ泣かされましたから」


みぞおちの辺りに罪悪感という名の衝撃波が走る。やばい。また謝ってしまいそうだ。


「へ、へー。また悪いやつがいたもんですなー」


精一杯の勇気でとぼける。広瀬はさらに怖い目でにらんできた。中尉に昇格決定。





練習場に戻ると、なぜか冬馬、伊崎、菊地の3人が脱力したようにへたりこんでいた。肩で息をしている。


何があったんだ。


その横では、軽部が涼しい顔でスポーツドリンクを飲んでいた。


「何やってんの?」


ベンチでタブレットに何やら入力している小林さんに、俺は聞いた。


「あ、お帰りなさい。あのですね、タブレットで能力テストのランキングをみんなで見てたんですけど、伊崎君と冬馬君が三十メートル走で競い合っちゃって」


なるほど。負けず嫌いのあいつらがやりそうなことだ。


「で、菊地は何で一緒になってゼエゼエ言ってるの?」

「菊地君は、藤谷君の五十メートルの記録を抜こうとしてました」


俺がいないうちにこっそり抜こうとするとは。セコいやつだ。


「で、どうなったの」


小林さんはタブレットの画面を切り替えて、俺に見せた。


「最後に参加した軽部君が、走力の記録を全部塗り替えて、今に至ります」


そりゃ脱力するな。現役陸上部に勝てるわけがない。


「ところで、毛利先生は?」

「体調が悪いって、帰りました」


何しに来たんだ、あの先生は。


俺は皆に言った。


「みんな、緊急ミーティングするから部室に集まってくれ」

「練習試合、決まったんですか?」


伊崎が目を輝かす。


「ああ、そうだ。詳しいことはまとめて話すから、ほら、ちゃっちゃと動け」


試合が決まった、と聞いて皆が嬉しそうに声を上げた。女子高と聞いたらどんな反応するだろう。広瀬には、男はみんな女子高と聞いたらテンションが上がると自信満々に言ったけど、本当は怖い。

みんなの白ける顔が。


「未散」


広瀬が呼んだ。実はまだ名前で呼ばれることがくすぐったい。そして呼ばれるたびに、昨日のことを思い出す。

細くてやわらかな彼女の手を。


「何だ?」

「部室で私から話したいことあるから、先に時間ちょうだい」


広瀬の目は何かを決断したような、力強い光を宿していた。


「わかった。好きなだけ使え」





部室に全員が集まると、さすがに少しせまく感じる。全員分のパイプ椅子もなく、あちこちに立ったり地べたに座ったり。

初めて部室に入る小林さんは、珍しそうに中を見回している。


広瀬が立ち上がった。自然と皆が注目する。


「えっと、キャプテンの前に、私から、みんなに話があります」


広瀬がこちらを見る。俺は黙ってうなずいた。みんなの方に向き直り、我らがチーフマネージャーは語りだした。


「私は、小五まで、サッカーをやってました」


いつも通りとはいかない。ところどころつっかえながら、広瀬は話した。兄にくっついてサッカーを始めたというくだりのところで、兄貴がプロサッカー選手の広瀬春海だと分かってどよめいたりもしたが、試合中のケガが原因で辞めたところまで、静かに、淡々と話し続けた。


つらい記憶のはずなのに、なぜかその声はつらそうには聞こえない。他人に話すのは二度目だからだろうか。お見舞いに一人しか来なかった件はなぜか話さなかった。


部員たちは冷やかすこともせず、質問もせず、黙って広瀬の話に聞き入っていた。それは彼女の、まっすぐでよく通る綺麗な声も関係していたかもしれない。愛想は控えめだが、広瀬は声もいいのだ。


「あとは、昨日、勝手に休んでごめんなさい」


ぺこっと頭を下げる。広瀬が頭を下げるところなんて初めて見た。

しばらく部室に静寂が訪れた。


「別にいいって。どうせ藤谷が余計なこと言って怒らせたんだろ」


菊地が沈黙を破るように言った。言い返したいが、大体あってるのが悔しい。


「広瀬先輩、今でもボール蹴れるんですか」


黒須が聞いた。


「あんまり激しいプレーはできないけど、そこそこは」


伊崎が立ち上がる。


「じゃ、じゃあ、一緒にミニゲームなんかやってくれるんですか?」

「私はいいけど」


広瀬がこちらをチラリと見る。


「俺を見るなよ。この流れでダメなんて言えるか」

「ありがと。いいって」


一年たちが歓声を上げる。こいつらは広瀬と遊べればそれでいいのかもしれない。


「未散。私の方は、もういいから」

「おお、わかった」


忘れそうだった。練習試合の内容を説明しないといけない。

俺はイスから立ち上がり、広瀬と場所を交代する。


「えー、練習試合の相手が決まった。相手は、桜律」

「桜律!?」


部員たちの間にざわめきが走る。「すげー」という声が聞こえる。確かに実現したらすげーが。


「の、女子だ」


俺が続けると、部室がシーンと静まり返った。

ああ、気まずい。


「ちょっと待てよ。女子と試合するってのか?」


予想通り、冬馬が顔全体で不満を表している。他の皆は何と言っていいのか分からない感じだ。

一人を除いて。


「キャプテン。もう少し詳しく」


普段俺のフォローなど一切しない芦尾が、珍しく真剣な顔で先をうながす。初めてキャプテンて呼んだな、こいつ。


「ついでに言うと、桜律女子キャプテンのご厚意で、向こうに招待されて一日合同練習させてもらうことになった。これはもう決定事項だ」


広瀬が後を受ける。


「女子って言っても、去年全国二冠で、今年もインターハイ出場決めてるんだから、馬鹿にしてるとボコボコにされるよ」


特に冬馬を見て言った。冬馬は「フン」と鼻を鳴らしてそっぽを向く。相変わらず広瀬とは合わないようだ。


「招待ってことは、俺たち、女子高に入れるのか?」


芦尾が目を大きく見開いて、立ち上がった。


「当たり前だ。最寄り駅からシャトルバスを出してくれる予定だ」

「シャトルバス!普段桜女の生徒が乗っているシャトルバスか?」

「だろうな」


芦尾のテンションが異常だ。ちょっと気持ち悪い。広瀬の顔を見ると、同じ気持である事がわかった。


「キャプテン、女子高ってよその男子が入っていいんですか?」


黒須が心配そうに聞いてくる。こいつは常識人で助かる。


「サッカー部は結果出してるから、無理がきくんだってさ」

「入った瞬間、セコムの警報鳴りませんか?」


狩井が心配そうに言った。俺たちはルパンじゃない。


「昼間は切ってあるだろ。もしあればだけど」

「桜女の生徒たちに、殿方が迷い込んでらっしゃるわ、とか笑われませんか?」


国分が続く。


「国分、それは女子高じゃなくて女学校の時代だ」

「イイイイィィィヤッッホウッ!」

「皆藤、うるさい」


女子高に入れる、というエサのおかげで女子と試合という話はどうでもよくなったようだ。冬馬も何だかんだ文句いいつつ、試合となれば出たがる性分だから心配ないだろう。


「俺は、正直気が進みません。女子と試合なんて」


照井が珍しく自己主張した。しまった、こいつは硬派だった。


「今月って話だと、他にはみんな断られたんだ。こらえてくれ」

「照井」


黙って聞いていた軽部が、照井に声をかける。そういえば、今日もちょくちょくしゃべっているみたいだし、いつの間にか仲良くなっていたようだ。


「競技に男も女も関係ねえ。おれは陸上部で、とんでもねえ女たちもたくさん見てきたから分かる。そりゃトップクラスの記録見れば差があるかもしんねえけどな。強えやつは男女関係なくどこにでもいるぜ」

「……はい」


照井は素直にうなずいた。そのうち軽部のことをアニキとか言い出しそうだ。


「でもよ、いくらそのキャプテンが物好きな人でも、よく受けてくれたよな。無理がきくって言っても、やっぱかなりの特例だぜ」


菊地がもっともな疑問を呈した。俺は広瀬を見る。彼女は小さくうなずいた。


「桜女のキャプテンは、広瀬の元チームメイトなんだ。仲が良かったらしいから、それもあるかもしれん」

「何だ、結局広瀬の手柄かよ」

「う」


言い返したいが、大体あってるのが悔しい。


「馬鹿か、お前ら」


冬馬がかったるそうな口調で言った。皆が注目する。


「練習試合を受けたってことは、相手が男でもここ程度の学校なら勝てるって踏んだからだぞ。ナメられてるんだ、俺たちは」


部室が静まり返る。

……試合が決まった喜びで気にしてなかったけど、つまりそういうことだよな。


「だったら、試合で証明するしかないだろうな。僕たちをナメたのは間違いだって」


ずっと黙っていた副キャプテン、直登がやっと口を開いた。

一番かっこいいセリフをこのタイミングで持って行きやがった。この男前を女子高に放り込むのが一番心配ではあるんだが。


とりあえず収まったところで、俺はもう一つ温めていた議題を提示することにした。


「もう一つ、話がある」


皆を静かにさせて、俺は言った。


「この練習試合に合わせて、ユニフォームを新調する!そしてみんなの背番号を決めるドラフト会議を月曜に行う!」


一瞬の沈黙の後、なぜか拍手が巻き起こった。皆口々に「ダサいと思ってた」「イヤだった」と現行のユニフォームの悪口を言い出した。同じ不満を持っていたようだ。


「ドラフト会議って、どうするんですか?」


黒須が言った。


「別に大したことじゃない。希望の背番号を書いて、誰かとかぶったらくじ引き。それを繰り返すだけだ」

「何で月曜なの?」


広瀬が聞いてきた。


「月曜は一日中雨の予報で練習無理そうだからな。放課後に視聴覚室でも借りてやろうと思ってる。その後すぐにユニフォームのデザインと一緒に、番号とネームを駅前のショップに申し込めば、一週間か十日で出来上がるはずだ」

「あの」


小林さんが小さく手を上げた。


「何?」

「せっかく視聴覚室を使えるんだったら、あの大きなスクリーン使いませんか?」


視聴覚室には、滅多に使われない超薄型液晶の大型スクリーンが設置されている。大金を出して導入したはいいものの、そもそも授業のための映像資料を用意する暇など多忙な教師たちには無く、ほぼ無用の長物と化している。芦尾は「一度でいいからあの大画面でAVを見たい」と大きいのか小さいのか分からない夢を日頃から語っている。


「どう使うの?」

「ネット上で、プロ野球のドラフト会議みたいな画面を作れるプログラムソースが公開されてるんです。それをちょっと手直しすれば、大画面でドラフト中継みたいにできます」

「そんなことができるのか!じゃ、頼むよ」

「はい」


プログラムソースが公開、あたりの専門用語はイマイチピンと来なかったけど、小林さんなら何とかしてくれるだろう。


「ユニフォームは、どんなのにするの?」


広瀬が楽しそうな顔になっている。元美術部だけに、デザインが気になるのか。俺は家でプリントアウトしてきた画像を何枚か見せる。駅前のサッカーショップのHPだ。


「一応みんなの意見は聞くけど、俺は上から下まで、青一色がいいと思う」


若干春瀬高校とかぶるけど、あっちは青のグラデーションだ。微妙に違う、はず。


「ストライプはダメですか?」


伊崎が言った。


「ストライプは、ただでさえ貧弱な体がさらに細く見えるから却下だ。あと、有名なメーカーで、柄が増えれば増えるほど高くなる、と考えてくれ」


部員たちがドヤドヤと集まって、あれこれと言い合っている。俺としては、よっぽど恥ずかしい派手なデザインとか、貧素な体格が際立つデザインじゃなければたいてい何でもいいんだが。


「ねえ、未散。この昇華プリントって何?」


広瀬が一枚の紙を持ってきた。印刷してある範囲の端っこのバナーだ。


「昇華プリントってのは、真っ白なユニフォームに最初からデザイン込みで印刷するんだって。だから上から貼っつけるタイプみたいにロゴが剥がれることもないし、オリジナルのデザインも可能だ」


春瀬の青のグラデーションユニフォームも多分これだろう。


「へー、いいね。それにしようよ」

「だが高い。倍はする」

「お金足りないの?」

「そのプリントにしたら、部費がカツカツだ。ホーム、アウェイ、それぞれ二枚ずつかける十五だぞ」


幸い引退した三年たちが今年度の部費をあまり使わずに去っていったので、予算はある。しかしだからと言って無限にあるわけではない。


「足りない分は徴収すればいいだろ」


菊地が当たり前のように言った。


「いいのか?」

「全部部費だけでまかなってる部活なんてねえよ」


知らなかった。そういうものなのか。


「あ、でもデザインからオリジナルにしちゃうと出来上がりが遅くなるから、なるべく既成のデザインにしてくれ」


広瀬は自分のバッグからノートを取り出し、ササッと半袖ユニフォームの輪郭を描いた。器用だ。


「とりあえず、希望の色とかデザインを入れていって、その上で既成品の中から近いものを選ぼうと思うけど、どう?」

「わかった。それで頼む」


皆が広瀬の周りを囲む。俺は何となくポツンと離れて座ったままになり、隣に小林さんがいるのみとなった。


「人気者ですね、広瀬さんは」


小林さんがポツリと言った。


「そうだね。特に一年が懐いちゃって。あれで結構姉御肌だから」

「そうですね。広瀬さんは優しいです」


言って、なぜか嬉しそうにしている。本当に人の良い子だ。


「小林さんは、どんなユニフォームがいいと思う?」

「えっ、わ、私は、サッカーのユニフォームはわからないです」

「じゃあ、色は?」

「色、ですか。色は、藍色がいいと思います」


藍色。濃い目の青っぽい色か。


「何で?」

「藍染めって、何千年も前から記録に残っているくらい古いものなんです」

「へー。ジーンズもそうだよね」

「そうです。アメリカではインディゴ・ブルーって言いますけど、あれは藍染めの匂いを毒ヘビが嫌うからっていう、カウボーイが身を守るための知恵で」

「へー。そうなんだ」


さっきからへーばっかり言っている。実に物知りな子だ。


「歴史の資料って、結構色が失われてしまうものが多いんですよ。だから、何千年も前の人たちと同じ色を見てるってすごいなって、藍色を見るといつも思うんです」

「ふーん」


俺は小林さんの顔をマジマジと見つめた。


「な、何ですか?」


小林さんは真っ赤になって焦っている。


「いや、小林さんてロマンチストなんだなと思って」

「そ、そうでしょうか」


耳まで赤くなってしまった。可愛らしい。俺、Sかもしれない。




「キャプテン!決まりました!」


伊崎がノートの切れ端を掲げて仁王立ちした。


「お、そうか。見せてくれ」


紙を受け取る。そこには、広瀬が描いたユニフォームの輪郭線の中に、ヒョウが全身を伸ばしている躍動感あふれるロゴマーク、肩に走るシャープな三本線。そして胸全体にスピード感を表す鋭い曲線がシュッと描かれていた。


「何なんだ、これ。三大メーカー全部入ってるじゃないか!広瀬も止めろよ!」


広瀬はサッと島の後ろに隠れた。


「ごめん。つい面白くて」

「やり直しだ」


伊崎は不満げに紙を受け取って戻っていった。本気であれで行こうと思っていたなら、かなりのバカか大物だ。





結局、試行錯誤を経て出来上がったのは、青一色で袖の付け根に白い線が入り、脇腹も同じ白。パンツにも太めの白い線が入るデザインで、丁度既成品にもあるシンプルなデザインに落ち着いたようだった。

右胸に学校のエンブレム、左胸にMOTOKOのロゴ。腹と背中とパンツに番号が入って、背番号の上にそれぞれの名前が入る。


「また極端にシンプルになったな。俺は好きだけどさ」

「俺たち、大事なことに気づいたんです」


伊崎がいつになく真面目な顔だ。


「何だ」

「どんなにユニフォームに凝ってかっこいいの作っても、すぐ負けたら最高にダサいって」

「伊崎、分かってくれたか」


そうなのだ。どんなユニフォームでも勝てばかっこいい、負けたらダサい。だったら最初からシンプルな方がいいんだ。

しかし俺はこの時、安易に考えたユニフォームの新調が、あんな大事件になるなんて知るよしもなかったのだ。






つづく

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