第1話 「しびれるようなパスを出せ」
2015年11月から2017年4月まで、およそ1年半かけて完結した初めての長編小説です。読者は地元のサッカー好きの友人2人のみ。自分の中に長年凝縮されたものを全てぶち込みました。1話ずつが非常に長いのでこのサイトには向かないかもしれませんが、その分読みやすさに注力したつもりであります。
この作品が、私がこの世に生を受けて生きた証です。
東京オリンピックまであと一年とちょっとになった、まだ肌寒い五月の午後。
俺はY市の陸上競技場でサッカーの試合を見ていた。見ていたと言っても、場所がチームのベンチだというのが他の観客と違うところだ。
今日はインターハイ予選Y県大会第一回戦。
うちの学校、本河津高校はここ四年連続で一回戦敗退を繰り返している。今日もここまでで0-3。ワンサイドゲームと言っていい展開だ。
時間はすでに後半二十五分。
反撃の気配は無い。フィールド上の先輩たちもそれは同様に見えた。今も相手チームの右ウイングに左サイドバックが簡単に抜かれている。
それにしてもなぜ先輩たちは同じ失敗を何度も繰り返すのだろうか。
敵の右サイドが上がってきたところで必ずしも全力でチェックに行く必要は無い。その選手が大してアイディアを持たないサイドプレイヤーならあえて放っておくのも手だ。どうせやれることは、長目のパスを放り込むか、ドリブルで仕掛けるか。後ろの上がりを待つ展開ならサイドが上がってきた意味が無い。だからもっと怖くない。
その少ない選択肢からボールの着地点を予測して、奪って速攻につなげられれば、あるいは。
「未散」
誰かが俺の名前を読んだ。藤谷未散が俺の名前だ。女の子みたいで好きになれない名前だが、人付き合いの悪さが幸いしてか、下の名で呼ぶのは今声をかけた幼なじみ茂谷直登くらいだ。
「何だ?」
俺は直登を見た。男の俺から見ても惚れぼれするような、整った顔立ち。背も百七十二センチしかない俺に比べて百八十二センチ。社交的で女の子にもまーモテるモテる。
そんな万能イケメンが、なぜか小四の時から俺にばかり構ってきてしょっちゅうつるんで、同じ高校のサッカー部で一緒にベンチに座っている。この男は何が面白くて俺とばかりつるんでくれるんだろう。一度聞いてみたいものだ。
「そろそろ出番かもよ。アップ行こう」
直登はジャージを脱いで立ち上がった。
「監督に何か言われた?」
俺もつられて立ち上がる。ジャージはまだ脱がない。むろん寒いからだ。
「見てれば分かるよ。鈴木先輩と佐藤先輩がバテバテだ。多分、僕と未散が出るよ。だから早くジャージ脱げって」
「やーだー、寒いー」
俺は抵抗した。体を温めるからウォーミングアップなのに、冷えたら無意味じゃないか。そう反論するより先に、直登の手が俺の上ジャージを強引に脱がしにかかる。
「いやーっ!堪忍してー!」
「バカなこと言ってないで行くぞ、背番号10」
「それは言うな!」
そう、俺の背番号は10。エースナンバーと呼ばれる番号だ。なぜ二年に進級したばかりの俺が10番を背負い、そしてなぜベンチにいるのか。
それはひとえに謙虚でおくゆかしい先輩方が「恥ずかしい」という理由で10番の譲り合いを繰り返し、いつのまにか俺に押し付けられたという心温まるエピソードゆえである。
ちなみに俺が選ばれた理由は「中盤でパサーだから」。
そんな理由で10番をつけている、俺が一番恥ずかしい。
同じ理由で、普通なら取り合いになるであろう7番も、「かっこつけてるみたいで恥ずかしい」という謎の理由で譲り合い、今は直登が背負っている。ちなみに直登のポジションはセンターバックである。
「藤谷、茂谷、出るぞ」
直登とキャッキャしているうちに、本当に監督の声がかかった。
出雲秀人。五十歳。
サッカー経験は無いがラグビー経験を買われてなぜかサッカー部顧問に。口癖は「スクラム組んで全員サッカーだ!」。指導法は精神論が9割で残り1割はメンタルトレーニングという多種多様なもので、チームの成績が良くも悪くもならなかったのは奇跡と言えよう。
俺はジャージ上下を脱いで、白一色のいかにも貧相なユニフォーム姿になる。同じユニフォームなのに直登が着ているとかっこよく見えるから不思議だ。
直登と二人でストレッチをしているうちにボールがラインを割った。交代の番号をはめこんだプラカードがかかげられる。14番の鈴木先輩と俺、5番の佐藤先輩と直登だ。二人並んでライン際で待っていると、鈴木先輩と佐藤先輩が腰に手をあてて歩いてきた。鈴木先輩は言った。
「藤谷、あとちょっとだけど、意地見せろ」
「はあ」
「何だよ、気合が無いなあ。シャキっとしろ、10番」
鈴木先輩は俺の背中をバンと叩いてベンチに下がっていった。意地と気合があれば、本来あなたが10番なんでしょ、14番さん。
直登にも背中を叩かれ、俺はフィールド中央に歩いて行く。ボールは反対側でスローインを待っている。急ぐ必要は無い。
「おい、10番!さっさと来い!」
急ぐ必要は無いというのに、せっかちな怒鳴り声が放たれる。見ると、茶髪の小柄な男が俺をにらんでいた。大変に目つきが悪い。そして腕組みをして偉そうに立っている。
冬馬理生。
同じ二年だが、五月の頭という中途半端な時期に編入してきた転校生だ。身長は百六十センチギリギリくらいで周りと比べても飛び抜けて小柄である。だが転入早々サッカー部に現れた冬馬は信じられないほどのスピードとテクニックを皆の前で披露し、一日でスタメンの座を獲得した。ポジションはFW。生粋の点取り屋とはこういう選手のことを言うのだろう。どこかのユース崩れじゃないかと噂されたが当人が「どこだっていいだろ」と言ったきり何も答えなかったのでそれ以上誰も追求していない。
「何だよ、人を番号で呼ぶな、9番」
スローインでゲームが再開していた。まだ反対のライン側で小競り合いをしている。冬馬はそれを見ながら言った。
「あの14番は使えない。自分が完璧な体勢にならないとパス出さねえから、全部読まれる。アホだ」
いまいましげにベンチをにらむ。
「にらむなよ、気づかれるぞ」
「勝つぞ」
「は?」
俺は聞き返した。今何と言った。
「何だと」
「勝つぞと言ったんだ。まだ時間はある」
冬馬はニコリともせず言った。この人は何を言っているんだろう。
「早く行ってボールもらって来い。そして俺に、最高のパスを出せ」
「おい、冬馬」
「いいな、最高のパスだぞ。しびれるようなパスを出せ。そしたら俺が決めてやる」
冬馬は走りだした。それを追う間もなく、俺のいたセンターサークル付近にボールがこぼれてきた。俺はボールに向かって走った。
「10番温存か?余裕だな」
相手チームの6番が体を合わせてくる。守備的な中盤だ。言っちゃ悪いが大してうまいとも思えない。
まったくどいつもこいつも10番10番うるさいな。
「余裕なんて無いですよ。あと、好きでつけてる番号じゃありません」
俺はボールに先に触ろうと、左足を出した。
6番は俺より先に体を入れて妨害し、先にボールに到達した。俺は6番の背中の一部に触れて右側に回りこむような動きを見せる。
それを察知した6番が左に方向転換した瞬間、俺は股の間に右足を出し、ボールをつつき出す。
「チィッ!」
6番がこちらを振り返った時には、俺はすでに走りだしていた。つつきだされたボールは上がっていた直登がキープし、俺の足元に返ってくる。
ゴールまで二十メートル付近。
ゴール前の味方は冬馬一人、俺の前にはまだ相手選手が三人ほどいる。安易な浮き球もスルーパスも読まれて弾き返されるだろう。俺は左サイドの味方選手に目をやりつつ、左から相手DFを抜こうとする。
大柄なセンターバックが長い足を伸ばす。
俺は足の裏を使ってボールを右側に引き戻し、体全体を右前方に急加速した。DFが尻もちをつく。一人抜いた。のんびり考えているヒマはない。抜かれた二人がすごい顔で追ってきている。俺は全員を抜くのをあきらめ、冬馬を探す。
冬馬はオフサイドラインとマーカーとの位置関係を気にしつつ何かを狙っているかのように見えた。俺はペナルティエリア右側にドリブルし、右足を振り上げた。
「ぬおおおおお」
獣のようなうなりごえとともに先ほど抜かれた二人がスライディングを仕掛けてきた。執念深いやつらだ。振り上げた右足でボールを軽く浮かしてスライディングをジャンプでかわす。ゴール前の冬馬を見る。
いない。どこだ?
俺は浮いたボールをそのまま、左足で巻くようにゴール前へと蹴りあげた。ボールには少々の回転が加わり、ゴールに向かって進んでいく。
「冬馬ー!」
俺は叫んだ。なぜだか分からない。さっき見た時はいなかったが、そんなことはどうでも良かった。あの小柄な男は、きっといるはずだ。
「しびれるようなパスを出せ」
あんな恥ずかしいことを大真面目で言い放つ男が、このボールに無反応でいるだろうか。
どうしたいのかは分からないが、口だけじゃないのなら、反応してみろ。このボールに。
ゴール前に上げられたボールに相手GK、DFがジャンプする。
結局ダメか。
いつ、かは分からなかった。
確かにGKとDFが競るはずのボールだった。だがその両者に達する直前、目の前をさえぎるように茶髪の小男の頭が信じられないジャンプ力でボールに触れた。
方向を変えられたボールは地面にたたきつけられ、ゴール右隅に入っていったのだ。
後半三十三分、得点、冬馬理生。スコア1-3。
味方ベンチから歓声が聞こえたような気がした。
ホイッスルが鳴って、両チームが自陣に戻る。決めた冬馬が先輩たちに祝福されている。当人は面白くもなさそうな顔で受け流している。愛想の無いヤツだ。
「ナイスゴール」
俺は声をかけた。冬馬はジロリとこちらを見てニヤリと口の端を上げた。
「今のはまあまあだ。10番」
「だから番号で呼ぶなって」
とても友好的なコミュニケーションを交わした後、自陣へ戻ると直登がまぶしいほどのスマイルを見せる。
「やったね、未散。本領発揮だ。素晴らしかったよ」
「お前は俺を褒めすぎだ。最初のカバーありがとな」
「いやいや、わざと相手に取らせてすぐ取り返すなんて、相変わらず根性が悪いよね、未散は」
「頭脳派と言って。あと褒めるんなら最後まで褒めて」
ホイッスルが鳴って再開。冬馬はすぐにDFラインに張り付いていく。
徹底している。
でもFWがチーム全体のことを考えて下がったり守備をすることに俺は懐疑的だから、ヤツとは気が合うんじゃないかとも思った。FWが守備をした場合、確かに守備は助かるが、そんな労働者タイプのFWが相手チームへの脅威になりえるだろうか。エースストライカーは常にゴールのことだけ考えて、気を抜いたら殺られる、という緊張感を相手DFに与えるべきだ。
むろん出雲監督の「スクラム組んで全員サッカー」には反する考えだけど。
一点を返された相手校はより慎重になった。パスは回しても決定的な縦パスもドリブルによる仕掛けもしてこない。
考えてみれば当たり前だ。一回戦突破が目の前なのにリスクを侵す意味は無い。俺も同意だ。だが一人だけ違った男がいた。
「おい!お前ら何やってる!さっさとボール取れ!パスをよこせ!」
その小柄な体のどこから出ているのか、ひときわ大きな声で冬馬ががなりたてている。DFに入った直登も取りには行きたそうだが、抜かれたら追加点は免れない。
俺はため息を一つついてボールをキープしている相手の10番に近づいた。
「お、さっきの天才少年か。来たな」
「やめてください」
眉をひそめて抗議する。さきほどの6番とはさすがに実力が違う。こちらがどう動いても動じることなく周りにボールを預けつつキープを繰り返す。
「俺らみたいな弱小校に必死すぎませんか?ベスト8実績あるんでしょう」
俺は声をかけた。
「みんないつだって必死だよ」
さすがは三年生。動揺する気配もない。
それでも俺は後ろの直登とアイコンタクトを繰り返しつつ、ボールの行方をある方向に近づけていった。
6番の方に。
俺が何度目かのチェックをやや強引にボールめがけていくと、10番はクルッと体をかわして6番にパスを出す。直登が走った。
俺は早々に10番から離れ、6番の斜め前に走って行く。反対側から直登が距離をつめて左側を塞ぐ。6番は反対側の俺を見ると明らかに顔色が変わった。
根に持っている、絶対。
6番の位置から、もう一度10番にパスを戻せるだけのコースを開けた。そして俺は6番の持つボールに足を出す。6番はインサイドキックで10番へのパスを戻す…と見せかけ俺を抜こうとした。俺は体を反転し左足でボールに触る。こぼれたボールは直登の足元へ収まり、俺は相手陣内へダッシュした。
「未散!」
「おう!」
やや早めのスルーパスが俺の前を走っていく。追いついて軌道修正した後、カタパルトで出動を待っていた冬馬が目の端に入った。
行ける!
走りながら右足でラストパスを出そうとした瞬間、ユニフォームの首がギュッと締まり、フィールドに思い切り尻もちをついた。
痛い、何が起きたんだ。
ホイッスルが小刻みにけたたましく何度も吹かれ、主審が走ってくる。胸ポケットから赤いカードを取り出して、俺の後ろで呆然と立っている6番に高く掲げた。
うちのベンチがまた湧き上がった。そしてやっと、俺に二度コケにされた6番が後ろからユニフォームを引っ張るというファウルを犯したと理解したのだ。
6番は無言で俺をにらみつけた後、うつむいてベンチへと歩いて行った。
「未散、大丈夫か?」
直登が俺の腕をつかんで引っ張り上げる。俺はお尻の草を払いながら立ち上がった。
「ありがと。一瞬何が起きたかわからんかった」
「ちょっといじめすぎたね、6番」
「弱点が見つかったら、攻めないとね」
俺は返ってきたボールを手に取り、ゴールを見つめた。正面やや左。距離は二十メートル弱。
「蹴っていいですか?」
振り返って先輩たちに聞く。先輩たちの顔には「疲れたから早く帰りたい」とあった。つまりOKだ。
直登が肩に手を置いた。ただでさえ細い目をさらに細めた。
「久しぶりに見られるかな。楽しみだ」
「さあね」
俺は気のない返事をしてボールをファウルを受けた位置にセットする。
相手校がワラワラと壁を作る。
味方が退場したことで何となく浮足立っているようにも見えた。
壁の間には先輩が一人入っているが、特に何の打ち合わせもしていないのでただいるだけである。
俺は五歩ボールから距離を取った。
チャンスをつぶされた冬馬はイライラしていたようだが、すでにゴールと俺を何度も見直して低い姿勢で待っている。ああいうFWがいてくれると、例えGKに弾かれても詰めてくれる希望があるから少し気が楽になる。
ホイッスルが鳴った。
深く息を吸い込んで吐き出す。
ゆっくりとボールへと近づいていき、徐々に加速する。
全身の力は抜いて、あくまで柔らかく。
右足をしなれるだけしならせてムチのように使う。
左足を踏み込んで、振りかぶった右足の内側をボールの斜め下に潜り込ませる。
あとは正面にこするようなイメージで振りぬく。
放たれたボールはジャンプした壁の上をかするように抜けていき、ゴールへ向かう。
そのまま飛んで行ったら、ゴールバーの上を越える高さで。
相手GKが一瞬追うのをやめようとした時、ボールはククッと左へ方向を変えて落ちていく。GKは一歩も動くことなく、ネットに吸い込まれるボールを見送った。
ホイッスル。
後半三十八分。得点、藤谷未散。スコアは2-3。
味方ベンチがまた湧いた。先輩たちが周りに集まってくる。
口々にさすが10番とか何とか。俺は無表情で全部受け流す。
冬馬が自陣に戻りながら近づいてきた。
「あそこは直接と見せかけて俺にパスだろ。取りやがって」
「チームメートに祝福は無いのか」
「フン!」
冬馬は走り去った。何てヤツだ。
「未散、ナイスゴール。相変わらずエグいフリーキックだね」
「ありがと。直接決まったのは久しぶりだ。気持ちいいわー」
直登とハイタッチして俺も自陣に戻る。
試合は残り二分。
さすがにもう厳しいだろう。だが冬馬はまた相手ゴールをにらみつけている。まだやる気か。
再開のホイッスルが鳴った。
相手校はさきほどにも増して無難にボールを回しだす。アディショナルタイムも一分あるかどうか。追いかけまわしてるうちに終わるかな。
「未散」
センターバックに入っていた直登がいつのまにか真後ろにいた。
「何だよ、後ろいいのか?」
「先輩にフォロー頼んだ。それより、行くよ」
「お前もまだやる気か?さすがにしんどいぜー」
「冬馬はそう思ってないよ。それに、火をつけたのは君だ、未散」
直登の目は真剣だ。男前だけに迫力がある。セリフはちょっと気持ち悪いけど。
「君と僕と、冬馬の三人で、もう一泡吹かせよう。僕たちならできる」
俺は一つため息をついて両手を上げた。
「分かった。やってみるよ。とりあえず直登は右サイドを詰めてくれ。多分、あのレベルを追い込めばロングパスで逃げるから」
「OK」
直登が走りだし、俺は逆サイドに走りだした。
冬馬とは何も打ち合わせていないが、点を取るという目的に適した行動ならどこかで落ち合えるだろう。
ボールを持った相手の11番に直登がしつように絡む。足技にそこそこの自信があったような11番はしばらく抵抗した後、左足で切り返して右足で大きく逆サイドに蹴った。
ボールの勢いと相手の右サイドの選手を見て俺は走り出す。
大体の勘だが、当たってくれ。
ボールの落下地点に相手選手が到着する寸前、俺は目の前をさえぎり胸で強引にトラップする。そのまま右足でのトラップに移行し、前に蹴りだして左サイドでドリブルをスタートする。
相手校が一斉に自陣へ下がっていく。全員でゴール前を固めれば、残り一分弱は守り切れる。当然の選択だ。
その人混みの中に冬馬がチラリと見える。
あれだけ偉そうなクセに、ゴール前ではしっかり気配を消している。さすがだ。嫌なヤツだけど。
俺は守備を固めたゴール前に左足で逃げるようなボールを上げた。
狙いは相手の端っこの選手。あれだけ背が高ければ、必ずヘディングでクリアするはず。
果たしてクロスはヘディングでクリアされた。クリアされたボールは、待ち構えていた右サイドの直登の元に。
「直登!」
クロスを上げた直後から中央に走りだしていた俺が、直登に向かって叫ぶ。叫ぶ?いつ以来だ。
「未散!」
クリアされたボールを直登がダイレクトで中央へ折り返す。ゴール前に固まっていた集団が少しほころぶ。
折り返されたボールをペナルティエリア外で胸トラップし、落ち際に右足を振りかぶる。
途端に相手DF二人が襲いかかってきた。
俺は振りかぶった右足でボールをチョンと高く浮かすと自分の左側に持っていく。そして落ち際を前方にはたく。DF2人の突進を受けて俺は倒れこんだ。痛い。
ボールはゆるやかなスルーパスとなり、釣り出された相手守備陣が慌てて戻ろうとした。
しかしそのパスに一番最初に追いついたのは冬馬だった。
「打て、冬馬!」
声が出ていた。
GKがボールを抑えこみにかかる。
冬馬が右足を必死に伸ばしてボールに触れる。
GKの手をかすめるように、ボールは冬馬のつま先で方向を変えた。
ゴール前の全員がボールの行方を追っている。
注目を一身に浴びたボールはゴール右隅に転がって。
ポストに当たり、ゴールの外へと弾き出された。
相手選手が外れたボールを大きく蹴りだしたと同時に、長いホイッスルが鳴り響いた。
試合終了。スコア2-3。本河津高校、五年連続インターハイ予選一回戦敗退。
GKと激突した冬馬は変わらぬ仏頂面で立ち上がり、センターサークルへ歩き出した。
「惜しかったね、未散。自分で打てばよかったのに」
直登が肩に手を置いた。
「あそこからボレーで行けるのはプラティニくらいだよ。入ってもオフサイドだしな」
「ちがいない。でも未散なら、いつか決められると思うな、僕は」
「そんなこと言ってくれるのはお前だけだ。整列行こ」
両チームセンターサークルで整列し、あいさつ。さて帰るか。
「おい、10番」
相手の10番が呼び止めた。
「何ですか?」
俺は首だけ振り返って返事をする。「めんどくさい」という精一杯の意思表示だ。
「お前、何でそんな学校いるんだ?もっと上に行けただろ。うまいよ、お前」
「買いかぶりですよ。そっちが引いてくれたから自由に動けただけです」
これは事実だ。10番はそれ以上何も言わず戻っていった。
スコアボードを見る。2-3。0-3から残り十分で二点。個人的には一得点一アシストだ。二年の公式戦初出場としては悪く無い。悪くないが。
いつのまにか、冬馬がスコアボードの前に立っていた。俺は近づいて声をかける。
「惜しかったな、最後」
冬馬は答えない。怒っているのか。最後のパスがいまいち息が合わなかったことか。
「冬馬?聞いてるのか」
「何で最後打たなかったんだよ」
冬馬が背を向けたまま言った。やはり怒っているのか。
「一番確率の高い方に賭けた。お前の決定力は本物だ」
冬馬は答えない。
自分にパスをよこせと言った手前、決められなかった自分に怒っている。
でも試合に負けるのはもっと嫌いだから、俺がシュート打てば延長に持ち込めたのではないか、という可能性も浮かぶ。どっちにしろ怒るしかない。難儀な性分だ。
そしてもっと難儀なのは、さっきから胃の上あたりがチリチリと焦げるような熱を持っている自分だ。
「なあ冬馬」
「あん?」
人生に分岐点なんてものが本当にあるのなら。
「あと一点、何が足りなかったのかな?」
十五年という短い時間で分かるはずもないと思う。それでも俺には分かった。
「お前は大きな勘違いをしている」
冬馬は振り返った。あの口の端を片方上げる笑いを浮かべ、Vサインを出した。
「あと一点じゃない。あと二点だ」
胸のチリチリが心臓の鼓動を早める燃料になり、俺は悟ってしまった。
ああ、俺は勝ちたいんだ。勝ちたくて仕方ないんだ。
そして今日この日が、俺の人生の分岐点なんだと。
つづく
たぶんしなくていい名前の由来解説
藤谷未散……ミシェル・プラティニ
茂谷……シレア
出雲秀人監督……デイヴィッド・モイーズ監督
冬馬理生……ロマーリオ
鈴木先輩、佐藤先輩……よくある苗字