王様と王子様の対面
金色と黒色が、向かい合っている。
青の瞳に互いの姿を映しあっては硬直している二人に、私はどうして良いものか分からずに見守るしかない。
親子の対面に私は邪魔だろうし、そっと端から見守っておくのが良いだろう。
……うん、エド君ちらっとこっち見られても私にはどうしようもないというかね。
頑張れエド君、ほんの一歩を踏み出すだけで良いから。
ぽん、と背中を軽く叩くと、意を決したように一歩踏み出すエド君。フィデリオはベッドの縁に座って、エド君が近寄るのを待っていた。
「……父上、お久し振りです」
掠れた声で恐る恐る呼び掛けたエド君は、また一歩踏み出す。
私は後ろから見守っているので表情は分からないのだけど、きっと緊張でカチンコチンなのだろう。会った事など殆どない、と言っていたから、距離感も分からないだろうし。
対するフィデリオはただ穏やかな眼差しで、近付くエド君を見上げる。何ら悪感情を抱いていないのが、エド君にも伝わると良いのだけど。
見ている此方がハラハラする対面、だけど……エド君はフィデリオの前で跪いた。
国王陛下に臣下の礼をとるのは当然ではあるのだけど、今このタイミングでするとは思わなかった。エド君、やっぱり背中からでもガチガチなのが分かる。
「楽にしてくれ。良いのだ、今この時は国王としてではなく、父親としてそなたと会うのだから」
「父上……」
「よくぞ無事に生きていてくれた。……何も出来ぬ不甲斐ない親で、すまない」
「そんな事は! 俺……私は、父上が王妃から庇ってくれたお陰で、今まで平穏に生きてこられたと思っています。父上が気にかけてくれなければ、私は今生きていなかったでしょう」
遠ざけてエド君に辛い思いをさせたのもフィデリオだけど、王妃が裏で手を回して殺しかねない状況で水際で防いでいたのもフィデリオ。
仕方ないとエド君も分かっているし、寧ろ感謝しているのだろう。
私も致し方ないとは思うけれど、もう少しやりようはあったのではないかなあ、とも思う。でも私がどうこう言えた義理ではないし、此処には口出しが出来ない。
「……感謝するのなら、そこの可愛い魔女殿にするとよい。無実の罪を着せられて逃げざるを得なかったそなたを助けてくれたのだろう」
「私は気紛れで助けただけだもの」
それが今ではかけがえのない存在になるなんて、何が起こるか分からないものである。
エド君は「彼女にはいつも感謝してます」と畏まってるけど、私の方がエド君に感謝してるのにな。
私の心の隙間を埋めてくれた、大切な人。
私の、唯一。
「私がエド君に感謝する側だよ。エド君が私に温もりを教えてくれたんだもん」
「……それは俺の台詞だよ」
跪いたまま、此方を向きはしなかったけど、穏やかな声で囁くエド君。フィデリオは、そんな息子を柔らかく見守っていた。
「信頼出来る相手が出来たのは、親としても喜ばしい限りだ。……選んだのが魔女、という事を考えると親子そっくりだな」
「そ、それは……」
「そなたは顔立ちはアドルフィーネ似だと思うが、中身は私に似ている。……私にはアドルフィーネを守りきれなかったが、そなたは違うだろう。好いた女性なのだろう?」
エド君は、一瞬の押し黙ったけれど、やがて頷く。
フィデリオは前回の私の反応から分かっていたらしくて、私にも慈しむような眼差しを向けてくる。それが何というか面映ゆくて、唇がもごもごと疼いてしまう。
「――彼女は、私の大切な女性です。彼女に添い遂げると誓っていますし、私のこの身はもう人のものではありません。彼女の側で生きる事を、許して頂けるでしょうか」
凛とした声で乞うエド君の言葉に、じわりと頬に熱がのぼる。
エド君から結婚するしずっと側に居る、とは聞いていたけれど、改めて懇願……ううん、宣誓を聞くと、何だかほんのりと恥ずかしいものがある。
それを受けたフィデリオは、ただ柔和な微笑みを浮かべてエド君を見下ろす。
「許すも何も、そなたは自由だ。もう縛られる事はないのだ、離宮から飛び立ったのだから、私が縛る事はない。許されるなら国を挙げて祝福すらしたいくらいだ」
それが出来ないのは、フィデリオ本人が知っているだろう。
今のフィデリオは軟禁状態、というのもあるし、国柄として魔を許さない風潮がある。薄れつつはあるらしいけど、未だに根強く残る差別があるのだ。
フィデリオは歯痒そうにしていたけれど、それでも私は認めてくれただけでとても嬉しかった。
エド君の実父が結婚を認めてくれる、それだけで口許が緩んだ。
私もエド君の側に寄ると、フィデリオは私に手を伸ばした。
そっと掌を包まれる。かさついた指はひんやりとしていたけれど、心なしか触れられた場所が温かくなった気がした。
「魔女殿には出来うる限り礼を尽くしても足りない恩がある。改めて、礼を言わせて欲しい」
「ううん、お礼なんて良いよ。私は大した事もしてないし」
「薬を貰って息子に会わせて貰ってまで居るのだ、礼を言うのは当然であろう。それに、息子に心をほどいてくれただろう」
「……まあエド君最初はツンケンしてたけど」
「それは言わないでくれ」
思い出したのか恥ずかしそうにするエド君に、フィデリオも生暖かい微笑み。
それからフィデリオの前で口調が崩れていると分かったのか慌てて口許を押さえていたけど、フィデリオは「よい、我等以外に誰もおらぬ。普段の口調でよい」と笑っている。寧ろ崩している方が嬉しそうですらあった。
「……魔女殿、今更親ぶるなど笑うかもしれないが、どうか息子をよろしく頼む」
「勿論。あ、でも私の方が結構世話されっぱなしなので、あんまり頼もしくないよ」
最初は全く家事が出来なかったけど、今では得意になっている。学習能力恐ろしい。これは所謂主夫になるというやつなのであろう。
私の報告にフィデリオは愉快そうに相好を崩して、エド君は羞恥に頬を染める。所帯染みているのを父親に笑われたのが恥ずかしいらしい。
「私に出来る範囲でエド君の力になるよ。エド君を害するものは全部取っ払っちゃうから」
「ふふ、頼もしい魔女様だ。……エドヴィン、彼女は誰よりもそなたの事を考えている。大切にしなさい」
「はい」
フィデリオはエド君が来る前にした会話を口にはせず、ただ穏やかにそう呼び掛け、エド君も真摯な眼差しで受け止めて頷いた。
和やかな空気になったのは良いのだけど、此処でもう一つ本題があるのでそちらに入らなければならない。
「フィデリオ、ちょっと相談というか、これからについてお話があるのだけど」
何が言いたいのかは二人とも分かったらしくて、居住まいを正している。尚、エド君はずっと跪いたままは流石に止めてくれと懇願されたので直立していた。
私がへらへら馴れ馴れしいのが間違っているのだろうけど、魔女が王様に従う筋合いはないので。フィデリオという一個人は割と好きなので、頼みも聞くけど。
「色々と聞きたい事はあるのだけど……そうだね。息子二人は王妃の言いなりなの?」
確認しておきたいのは、誰が敵で誰が味方……まではいかなくとも中立なのか。
王太子と第二王子揃って王妃の傀儡、なんて事態ならこの国はお先真っ暗である。というか半分破滅に片足突っ込んでるからね。
私トーレスに攻め込んできたらちょっと真面目に怒るよ。どうせ禁忌の森はシャハトとの国境付近だし戦禍が降りかかるから。
トーレスを守る、というつもりはないのだけど、降りかかる火の粉は払って当然だもの。
だから、魔女を敵に回したも同義なんだよね。もし兵を差し向けたなら、だけど。
「……王太子のクリストファーは、ヘルミーネに甘やかされて育ったし、ヘルミーネに従順になるように育てられてきた。恐らくは、ヘルミーネの命令には従うだろう」
「どうしてそんなの王太子にしたかな……」
「耳が痛い限りだ。……ブルーノは、恐らくだが、ヘルミーネに好かれていない。どちらもヘルミーネの腹から生まれた息子ではあるのだが……」
「じゃあ何故その第二王子だけ?」
「あの子は、どちらかと言えば私に似たし、ヘルミーネに反抗というか言う事を聞かなかったからな。どちらの息子にも同じように愛情は注いだが……クリストファーはやはりヘルミーネに従うらしい」
つまり私としてはそのクリストファーなる男がどうなっても良い、という事だよね。だって、邪魔だし。向こうもフィデリオやそのブルーノとやらを邪険に扱ってるのだから、私がどう思おうが勝手だろう。
けど、これは良かったかもしれない。
ブルーノはヘルミーネの事をよく思っていない、と想像出来るし、ヘルミーネに従う危険性は少ないのではないだろうか。このままではヘルミーネが結果的に王座に就くようなものだと分かっているだろうし、協力してくれそうな気もする。
「じゃあ、もしかしたら此方側に引き込めるかもしれない?」
「国思いの子ではあるから、接触出来ればもしかしたらはある。しかし、監視が私についているだろう。迂闊な事は話せまい」
「じゃあ部屋から連れてきたら良い?」
二人共固まるけど、それしかない気がするんだもの。
どちらにせよこのままではどうにもならないだろうし、一か八かにかけてみるのも良いと思うのだ。
もしヘルミーネ派だったとしても……脅しをかければ良い訳だし。
ちょこっと仕掛けをして、外部に漏らそうとした瞬間激痛が走るように……って出来たら便利だったんだけど、まあそんな事が出来る訳がないので口で脅す訳だけども。
あんまりにもさらっと言ったからか、二人はかなり困惑してる。
「でもそうしなきゃ聞けないでしょ?」
「それはそうだが……」
「内通者、というか城内で自由に動ける人が居た方が便利だし、第二王子が国を思う子なら頷いてくれる筈だよ。ちゃんと協力してくれると思う。それに――」
「それに?」
「ヘルミーネについてるなら、国が終わるって事だからね。今漏れて失敗した所で同じだよ」
もしもヘルミーネ派なら、国王を亡き者にしようとする動きに荷担しているという訳で。
たとえヘルミーネの罪を暴いた所で、結果として王位を継ぐものでまともなのが居ないという事になってしまう。フィデリオが助かろうが助からまいが、国としてちょっと不味い事になるだろう。
失敗して殺されかけそうになったら、私は病死か事故死を装ってフィデリオを連れて逃げるつもりだ。
私の優先順位はエド君に生きて欲しいと願われたフィデリオが優先であって、国ではないのだ。……ヘルミーネは、偽装さえ上手くいけばフィデリオ自身の事はそう気にしないだろうし。
「まあ、フィデリオが望まないなら止めておくけど」
「……いや、お願いしても良いか?」
「父上!?」
「駄目だった時は駄目だった時だ。……迂闊だと言うか?」
「……迂闊です」
「だろうな。だが、ブルーノを信じたいと思うのだ。……私としては、情を注いできたつもりである。どちらを取るか、聞いてみたいからな」
過ごした時を信じる、と言ったフィデリオにエド君はちょっと複雑そうな表情。きゅ、と歯噛みしたのは見える。
一緒に時を過ごしてきたのは、当たり前だけど他の息子達が多い訳で。ほぼ顔を会わせた事がないエド君からすれば、疎外感を感じるのかもしれない。
けど、エド君はそれ以上は反対せず、ただ「父上の御心のままに」とだけ返していた。