王様と魔女様の本音
あれから数週間。
体に蓄積した毒をなくす為の解毒剤と、常に食事に含まれている毒をとる前に中和する薬が用意出来た、のは良いのだけど。
「……エド君、そんなに緊張しなくても」
さあフィデリオに渡しに行こう、という時になって、エド君は見るからに顔を強張らせて眉を寄せた、ちょっと厳めしい表情に。
不快とかそんな訳ではなく、ただ単に緊張からガチガチになっているのは傍目から見ても分かる。殆ど会った事のない実父に会う事にかなり戸惑っているのだろう。
別にフィデリオはエド君を嫌っている訳ではないと思うし、気楽にとは言えないけど、何もそこまで身構えなくても。
「あのな、分かってるが、それでも俺にはほぼ記憶にない父親なんだぞ。……今更どんな顔をして会えば良いのか、分からない」
「うーん、向こうはそう気にしないと思うんだけどなあ」
「そうは言ってもな」
「じゃあまた今度にしとく?」
「……いや、会う。俺が拒まれようが、一目見て言葉は交わしたい」
そこはきっぱりと断言したエド君。
……拒むとは全く思わないんだけど、やっぱり怖いものは怖いよね。私もエド君に拒まれたら立ち直れそうにないもん。
そう考えると心配性だねえ、と笑えないので、エド君には「そっか」とだけ返して頭を撫でた。エド君が拗ねたけど、緊張はほぐれたので良しとしよう。
くすっと笑って、ローブを身に纏う。魔女の盛装だから、というのと、この闇に溶け込むローブは身を隠しやすいし色々と道具を格納出来て便利なのだ。
「じゃあ行こうか。……と、思ったけど、エド君ちょっとお留守番ね」
「え?」
「先に話を通しておかないと、フィデリオも混乱するでしょ?」
向こうにも心の準備が必要だろうし、と言えばエド君も納得してくれた。
まあ、それもあるのだけど、出来ればエド君抜きで話したい事があったから先にその話を済ませてしまおう、というのが大きい。
という訳で先にフィデリオの所に転移したら、フィデリオはなんとまだ起きていた。起こす必要がなかったのは有り難いのだけど、私の登場にフィデリオは瞳をぱちくりと瞬かせている。
即座に防音処置を施して近寄ると、ほんのりと笑みを浮かべてくれた。相変わらず、顔色は悪いけれど。
「久し振りだね」
「そうだね。約束の薬を持ってきたの」
先に用事は済ませておきたかったので、作った薬を渡しておく
。因みに隠しやすいように粉末上にしたものを魔法で圧縮して固めてある。
水さえあれば粉薬を飲むよりは楽に飲める筈。
「こっちの緑のものが解毒剤と回復の促進を兼ねたもの。毎朝起きたら服用してね。こっちの黄色のものが食前に飲んで欲しい食事に含まれた毒そのものの中和剤。それから、この赤のものが……お医者様に診て貰う前に使ってね」
「これは……?」
「一時的に体調を悪くする薬。なるべく快方に向かってるって知られたくないもの」
もし回復してると知ったら別の薬に切り替えられたり、直接手段に持ち込まないとも限らない。
だから、お医者様の監視がある時にはこれを使って乗りきって頂きたい。まあ侍女の目はフィデリオの演技力に任せるしかないのだけど。
効果は保証するよ、と笑ったらフィデリオは「可愛い魔女様は随分と調合が得意なんだな」と微笑まれた。
そりゃあ町では薬師をしてるからね。師匠もお墨付きの腕前だもの。
また何回か補充に来るね、と言っておきつつ、私はフィデリオの目を覗き込む。……エド君そっくりの青い瞳は、以前よりも力強い。生きる希望が少し湧いたのかもしれない。
「ねえフィデリオ、聞きたい事があるの」
「……聞きたい事?」
「うん。フィデリオは、ヘルミーネを愛している?」
問いに、フィデリオは言葉を詰まらせた。
一瞬の逡巡の後に、首を振った。方向は、横に。
「……私が愛するのは、アドルフィーネだけだ。無論、王族としてヘルミーネを迎え入れているし、王妃として彼女を求めた。大切にはしてきたつもりだ」
アドルフィーネにエドヴィンを産ませた時点で説得力はないが、と自嘲するフィデリオ。
でもそれがなければ私はエド君と出会う事はなかったので、責めるつもりもない。寧ろアドルフィーネを愛してくれてありがとうとお礼を言いたいところだ。
……エド君の分と、アドルフィーネの分を。
魔女が魔女と知った上で愛してくれる人を見付けられる可能性は、本当に少ないのだ。本当に純粋な人間としてアドルフィーネを愛したフィデリオは、アドルフィーネにとってかけがえのない存在だった筈だもの。
「別に責めるつもりはないよ。どうあろうが分を弁えず殺そうとしてるのは向こうだもの。あなたに責がないと言えば否だろうけど、私はエド君と会えて良かったから、ありがとうとしか言えないし」
「……そうか。責められた方が楽ではあるのだがな」
「責めていいのはヘルミーネでしょうけど、彼女ももう取り返しのつかない過ちを犯してるから、どっちもどっちだよ」
心情的にはフィデリオを庇いたいけど、本人が良いというのだから仕方ない。
それに、今日はそんな事を聞きにきた訳ではない。
「……まあ、これなら良いかな」
「良いとは?」
「フィデリオも分かるとは思うけど……魔女は、本当に大切なものを決めたらなりふり構わないの」
魔女は人と価値観が違う。あくまで自分本意な生き物。私だってそうだ。極論、私は自分さえよければそれで良いように、私の在り方も変わってしまっている。
私はエド君さえ良ければそれでいい、という結論を出しているのだ。
「だから、もしどうにもならなくなったら、私はエド君を優先するよ。一番手っ取り早い手段で、エド君の憂いをなくすから」
今ので、フィデリオには私が問い掛けた意味が分かっただろう。
此処にエド君を呼ばなかった理由は、これに尽きる。だって、エド君が知ってしまえば、嫌がるんだもの。
エド君は優しいから、多分正当な裁きを求めるのだろう。私もエド君の意思を優先するつもりではある。
でも、そんな悠長な事を言っていられなくなった場合は、私はエド君を優先する。そのエド君が一番優先するのがフィデリオの身の安全だから、それを叶える為に後は切り捨てるつもりだ。
勿論最善を尽くして時間がなかった場合、だけど。
「……諸外国に響きそうだが」
「止めはしないんだね」
「止められないのは分かっている。魔女は、決めたらテコでも動かないからな」
アドルフィーネがそうだった、と思い出したのか苦笑にも似ていて、けれど慈しむような眼差しで笑んだフィデリオ。
「なるべくそうならないように努力はする。……あなたとしては、どうして欲しい?」
「……国の事も考えれば、離宮に幽閉が望ましくはある。表沙汰にする訳にはいかないからな」
「夫であり国の柱を殺そうとするのに?」
「公に断罪をしてしまえば、国交に影響が出るからな。まあ、それも遅い気もするが」
今度こそ苦笑いを浮かべたフィデリオは、シャハトの現状を知っているのだろう。
おざなりになりつつある国交。トーレスへの出兵。王妃主導で行われる、民への圧政を。もしかしたら、王妃は責任を全部フィデリオに転嫁するつもりなのかもしれない。生け贄として生かしている、とも読めなくはないし。
どちらにせよくそくらえなので、阻止するけども。
「……兎に角、私としてはあなたを助けたいし、上手くやれるならそれだけに留めておくつもりだけども」
まあそれまでに彼女が余計な罪を重ねなければ、なのだけど。流石に本気でトーレスに喧嘩を吹っ掛けたら、穏便な事を言っていられない気もする。
その辺りは私よりもフィデリオ本人やアレクに任せた方が早いから、私は何も出来ない。
「……取り敢えず、必要な事は聞けたから良いよ。さて、もう一つフィデリオに聞きたい事があるんだけど」
「どうしたんだい?」
「エド君に会うつもりある?」
さらっと言ってみたら、フィデリオは固まった。
「エド君がね、フィデリオに会いたいって言ってるから。フィデリオが良ければ連れてくるけど」
「それは……エドヴィンさえ良ければ、会うが……」
エドヴィンは恨んでいないのか、と親子揃って同じ事を言い出した。二人してそこは後ろ向きだね。当然と言えば当然なのだけど、会いたいと言ってるんだから。わざわざ嫌いな人に会いに行かないでしょうに。
恨んでないよ、と苦笑しつつ告げて、一番手っ取り早くエド君を連れてくる事にした。




