王子様を変身させましょう
「それで、今日は町に行こうと思うの」
丁寧に朝露を採取してささっと薬を調合してきた私が二度寝……というか雰囲気的にふて寝に入ったエドヴィンを起こす。
ただまあ、起きてからというものエドヴィンは私と視線を合わせようとしない。
反抗的というか、地味に気まずそうにしている気もする。一緒に隣で寝た事が居堪れないという感じだろうか。私は気にしないんだけどなあ。
「……おい、背中」
「背中?」
「何でもない」
何でもない事はないと思うんだけど。
背中……ああいや、見えたのかな。髪で隠れていたとは思うんだけども。
あまり見せたくないものではあるけど、これから同居する相手だし別に見られて駄目というものでもない。
まあ、見えていたのならそれはそれで構わないのだけど……それにしてはやけに気まずそうな。
「……エドヴィン?」
「うるさい」
「まだ名前呼んだだけなのだけど……まあ良いか。話は戻るのだけど、取り敢えず君に必要なものを買わなきゃいけないので、町に行くつもりなの」
「……町にって、魔女が?」
どうやら魔女は俗世とは離れて暮らしている、という事は知っているらしい。
確かに人となるべく関わらないようにはしているけど、全くの無関係で生きていると思われていたなら、それはとんだ誤解だ。
幾ら私が魔女とはいえ、基本的に人間の体には変わりない。
生理現象はあるし、当然栄養を取らなければ餓死する。禁忌の森に閉じ籠っていて手に入るものなんて限りあるからね。
その上、消耗品は購入しなくてはならない。衣服だってそうだ。流石に葉っぱを服にするような原始人的な生活は勘弁願いたいし。
だから、必要最小限に留めるけれど、人と関わりはするのだ。
物を買う為にはお金が要るから、薬を売って生計を立てている。
赤目さえ魔法で誤魔化してしまえば、私は十人並みの顔だと思ってるし、紛れてしまえるから。
そういう点では、エドヴィンの方が余程外に出るのは向かない。……いやだって、顔綺麗だもの。
「私をなんだと思ってるのか知らないけど、必要な分は関わるよ。ご飯や服は何も居ない所から出てくる訳じゃないんだから」
私の言葉に、エドヴィンは押し黙る。
……嫌味ったらしくなってしまったかもしれない。彼は、見放されていたとはいえ王族で、出されるのが当たり前だったから。
でも、此処に住むんだから、生活くらいはこっちに合わせて欲しい。
身分のないものは日々の食事を得るのも一生懸命という事を知って貰おう。
あ、因みに働かざるもの食うべからずなので、彼も傷が完治したら私の雑用をして貰います。
いやはや、採取とかの人手が欲しいと思っていたのよね。
「町に行って、服と当面の食料を手に入れるつもり。服のサイズは分からないから、出来れば君にもついてきて欲しいのだけど……うーん、今の服だと悪目立ちするかも」
本当は家で安静にして欲しかったけど、こればかりは仕方ない。動くのは問題なさそうだし、力仕事さえ頼まなければ傷には響かないだろう。
「……仕方ないだろう。この服のまま逃げてきたんだから」
「分かってる分かってる。だから、ちょっとお留守番かなあ……いや、師匠のローブで誤魔化せるかな」
師匠、という言葉に体を強張らせるエドヴィンなのだけど、何もそこまで反応しなくても。
……師匠の事は仕方ないし、服くらい私も師匠の借りたりするから良いのに。お部屋は、ちょっと触って欲しくないものとか沢山あるから、出来れば入らないで欲しいけど。
師匠は長身だったから、ローブくらいなら多分、エドヴィンも問題なく着られるだろう。
あとは、ちょちょいと魔法で色を誤魔化せば多分、エドヴィンが逃げている王子だとは誰も気付かない筈。
「良いのだよ、服くらい。というかそうでもしないと困るだろう。ちょっと待ってて、仕舞ってあるの取ってくるから」
そう言って、エドヴィンを置いて元師匠の部屋にゆっくりと足を踏み入れる。
一応、定期的に掃除はしているので、綺麗なものだ。
……師匠の使っていた、年季の入った机。沢山本の詰まった本棚。傷んでいるけど形は綺麗な本。そして、研究成果が書かれた資料に、日記。
全部、あの時のまま。
……感傷に浸るのは、後にしよう。壁にかけてあるローブを持っていくだけでいいのだから。
懐かしい師匠のローブを手に取り、一度だけ、抱き締める。
今は居ない、私の命の恩人であり、私を人にした、偉大なる師。
もうその姿をこの瞳に映す事は叶わないけれど、私の心に焼き付けてある。
そっと抱えたまま、エドヴィンの所に戻ろう。
大切に抱えていたのがばれてしまったらしくて、受け取るのは渋ったけど……良いから、と押し付ける。
着るものがないんだから仕方ないじゃない。それに、師匠だって有効に使ってくれた方が喜ぶだろう。
「多分サイズは合うと思うのだけど……どう?」
「……問題ないが」
「そう、それなら良かった」
早く袖を通して、とせっつくと、ちょっとだけ申し訳なさそうにしつつもローブを身に纏うエドヴィン。
その姿に一瞬だけ師の姿を見たけれど、次の瞬間にはそっぽ向いてツンと澄ました表情のエドヴィンが立っている。
ちょっぴり丈が短い気がしなくもないけれど、許容範囲だ。
後は、髪と瞳をちょっと誤魔化すだけだ。
そっとエドヴィンの漆黒の髪に手を伸ばすと、思い切り弾かれる。
ヒリヒリとした痛みを手の甲に覚えて目を丸くすると、エドヴィンの瞳が気まずげに揺れた。
……ああ、髪の事で散々言われてきただろうから、神経質になっているのだろう。
私が何かするつもりは……いやちょっと見た目変えるからするけど、害をなそうとは思わないんだけどな。
「大丈夫、怖い事はないから」
もう一度手を伸ばすと、今度は弾かれなかった。
艶のある黒髪は、黒瑪瑙にも似た濡れたような滑らかさのある漆黒。
これが災いを呼ぶものだと言われるなんて、昔のシャハトも審美眼に欠いたものだ。 こんなにも、綺麗なのに。
それに、見掛けなんて変わるものだから、見掛けでレッテルを貼る事程下らないものはない。
けど、こんなに綺麗なものを晒すと町では目立ってしまうし追っ手がかかっているかもしれないので、お出掛けの時はちょっとだけ色を変えさせて貰おう。
頭頂部にそっと掌を乗せ、魔力を込める。
自分でも変装用に魔法をかける事はあるので、手慣れたものだ。見た目だけ変えるというのなら、然程負担がある訳でもない。
そうして魔力を込めると、根本の辺りからじわりと金が滲む。
溢れる黄金の波のように、眩い金が漆黒を追い払うように染め上げて、十秒もすれば毛先まで完全な金色に染まっている。
思わず金髪にしてしまったのだけど、うん。
……これは、結構に、似合っているというか……如何にも、王子様のような見掛けになってしまった。
金髪碧眼なんてそうそうに居ない。逆に目立つ気がする。
「……本当に変わるのか」
お日様の光みたいに明るい金髪に変化した自分の髪を摘まんで、やや眉をひそめながら呟くエドヴィン。
「ええ、まあ見た目だけだし帰ってきたら戻るようにはしてるんだけどね。……でも、これで分かったでしょう?」
「分かった?」
「見掛けなんか幾らでも変えようがあるのに、見掛けでどうこう言ってくる人は愚かでしかないと。だから、そんな国から逃げて来られたのは幸いって事で良いんじゃないのかな」
まあ、赤目の私が偉そうに言える事ではないのだけど。未だに迫害対象だからね。
「……だが、本質は変わらないだろう」
「そうね。でも君の本質って、人に不幸を撒き散らす事なの?」
「違う!」
「なら良いじゃない。君が傷付けたくないと望むなら、不吉を招くというくだらない迷信が本質だなんて言えないでしょ」
そんな事でうじうじしなくても。……ああいや、私も昔うじうじしてたし世界を呪っていたから気持ちは分からなくもないんだけどね。
「いつか、理解者が現れるよ。私にとっての師匠のように、君にも」
「……ふん、どうだか」
プイッとそっぽを向いたエドヴィンなのだけど、照れ隠しというのは分かりやすかった。
一日も過ごしていない訳だけど、何となくエドヴィンの人柄は分かり始めた。
割と正面から好意的にされるのには慣れていないのだろう。
というか疑心暗鬼過ぎる。生い立ちがそうさせたんだろうな、とは分かるのでちょっと悲しいのだけど、それは今からでも変わりようがある。
その内ちょっとは丸くなるのかな、と期待しつつ、柔らかな金糸を手に取る。
多分、この髪に生まれる筈だったのだ、彼は。だからこそ、最初から自分のものだったように似合っているのだ。
「こうしてみると、王子様みたいね。本物なんだろうけども」
「王子らしくなくて悪かったな」
「私としては爽やかで如何にも好青年な王子様よりは君みたいなひねくれた王子の方が可愛げがあると思うの」
正直理想みたいな王子様なんて、現実に会えばロクなやつが居ないのだ。どっかの馬鹿王子とか馬鹿王子とか馬鹿王子とか!
多分、奴はエドヴィンは会わせない方が良い。身分がバレるとか以前にエドヴィンの血管が切れそうだ。
まあなんにせよ、エドヴィンが王子様っぽくなった、という事は確かだ。
でも、黒髪の方が似合っていると思う、とは流石に本人には言えないな。本人は黒髪を忌避してるから。
「……うーん、駄目だなあ。これじゃあ、目立っちゃう。顔が良いと派手な髪と相乗効果で余計に目立っちゃうね。無難な茶髪にして、瞳も同色に揃えた方が良いかなあ」
「……無駄に触るな」
「はいはい」
私が変えたのが原因なのだけど、金髪碧眼なんて目立ちすぎるので、やっぱり町に紛れるような地味めの色合いにした方が良いだろうか。
まあ頬に触れたらエドヴィンに払われてしまったので、なるべく触らないようにして色を変えるとしよう。
何色が良いかなあ、とエドヴィンの顔を見ながら考える私に、エドヴィンはやっぱり視線を合わせようとせず目を逸らした。