もうひとりの魔女
体の内側で起こる改革の負担を全部受け止めるエド君は、それから寝込んでいた。
普段なら私に世話されるのすら嫌がるだろうエド君は、力なく私に全部預けて、されるがまま。
寧ろしおらしいというか若干甘えるような眼差しをして来るので、ついつい余分にお世話を焼いてうざがられたけども。
エド君が暫く熱を出し続けていたので、流石の私も一緒に寝るのは邪魔だろうから、師匠の部屋で寝る事にした。
何かあれば飛び起きてエド君の元に駆け付けるつもりだけど、エド君には「お前が体調崩したら駄目だろう」との事でちゃんと休むように言われてしまった。熱でふらふらしているというのに、律儀に私の心配して。
……私の心配する前に、自分の心配すれば良いのに。
でも、そういうエド君はとても優しいし、素敵だと思う。
うん、なんと言えば良いのかな、これ。言葉に出来ない温もりがある。考えると熱がある訳ではないのに、胸が熱くなって顔もぽかぽかしだすから困るというか。
ころん、と一人きりのベッドで枕に顔を埋める。
清潔な香り。エド君の匂いはしない。そりゃあそうだろう、此処は元師匠の部屋だから。干してそのまま使われなかったベッドだもの。
……うーん、隣にエド君居ないとしっくり来ないのだけど、流石に今の状態でくっついたりしたら邪魔なだけだろう。
隣に別の魔力がある状態だと中々落ち着かないだろうしね。
はぁ、とちょっと溜め息をついて今日も師匠のベッドで一人、仮眠をしようとして……ふと、肌をなぞる違和感。
空気というには物理的で、でも物というには形がないような、そんな感覚が、触れるのだ。
ばっ、と起き上がると匂い立ちそうな程の、濃密な魔力。
エド君が覚醒しきったのかと思ったけど、これはエド君の物ではない、けど感じた事のある波動。
……突然現れた、私でもエド君のものでもない魔力。この森に入れば察知くらい出来た筈なのに、意識をすり抜けるようにいきなり出たなんて。
その魔力は、エド君の側に居る。
よく分からないけれど飛び起きて急いでエド君が寝ている部屋に駆け付けると、エド君の枕元には一人の女性が居た。
黒瑪瑙を細く繊細な糸にしたような、艶やかな黒髪の女性。
白皙を月明かりにうっすらと浮かばせた、誰がどう見ても綺麗だと評価するような美貌。だからといって人工的に整えられたようなものでなく、暖かみのある柔らかな美しさがあった。
吸い込まれそうな程に透き通った紫の瞳を緩やかに和ませて微笑む。その紫水晶の焦点は、エド君にある。
艶やかだけど穏やかで慈しむような眼差し。夜だというのに陽だまりのような柔らかさを此方に印象付けるその笑みは、私にも見覚えがあった。
私の登場に、彼女は動じた様子もない。
ただ、視線を滑らせて、今度は私に静かに微笑みかける。どうやったらそんなにも、綺麗に微笑めるのか分からないくらいに、美しく。
「もう大丈夫。……この子をお願いするわ」
それだけ朱唇から零して、一瞬にしてその姿は闇に溶けるように掻き消えた。最初から居なかったみたいに、影も形もなく、姿を消して。
大丈夫、その言葉にエド君を見れば、もう平常通りの顔色で穏やかに眠っている。
近寄れば、その寝顔がとても安らいだものなのがよく分かった。
そうして、枕元には、いつの間にか輝きを取り戻した青の石が置かれていた。
「……やっぱり生きてたんだね、アドルフィーネ」
来るなら家主の許可くらい取ってよね、と小さく零す。
多分、石が役割を終えたから、気付いたのだろう。
そして石が再び輝きを取り戻したのは、また魔力を込めたから。……何か仕込んでいったみたいだけど、私にはちょっと分かりそうにもないや。
何しに来たのか、はっきりとはしないのだけど……魔女の道を選んだエド君を、見に来たのだろうか。
もう大丈夫、そう言って消えていったアドルフィーネ。
その言葉通り、エド君は容態も落ち着いて安らかな寝顔を浮かべている。もしかしたら、アドルフィーネが何かしたのかもしれない。その現場に居なかったから分からないけども。
「この子をお願いする、か」
去り際に告げた言葉を反芻して、エド君の頬を撫でる。
言われなくたって、私が面倒見てあげるもん。エド君は、私の大切な……大切な、何だろうね。大切な人、よりも適切な言葉がある筈なのに、思い付かないなんて。
でも、大切なのには間違いない。
私の、特別。
静かに寝息を立てるエド君につい頬が緩んでしまって、私はもう一度頬を撫でた。
朝起きた時のエド君は、実にすっきりとした顔だった。
そりゃあ此処暫くうんうん唸って熱に侵されていたので仕方ないのだけどね。
でも、解放感も格別だろう。熱と倦怠感から解き放たれたのもそうだし、内側にある魔力は活力にもなるからね。
慣れないと万能感があるから、気を付けなきゃだけど。
これで、エド君は魔女になった。
まあ、名もなき魔女なんだけどね。正式にアドルフィーネから継いだ訳でもないし。
無名で野良の魔女。領域も持たない、見習いのようなものかもしれないね。
でも私と一緒に暮らしてくれるんだから、領域なんて此処で良いし名前は『エドヴィン』だけで良いのだ。
「……エド君、これで魔女になったんだね」
起きてお風呂に入ってさっぱりしてきたエド君に微笑みかけると、エド君はソファに座った私の隣に腰掛ける。
もう、体は完全に魔女のものになったようで、落ち着いている。見掛けが変わったとかではないんだけどね。寧ろ、変わらなくなるし。
「そうだな。お前と、同じだ」
「……馬鹿だよね、ほんと。ばか」
「お前に言われたくないな」
なんか酷い言い種だ。……でも、エド君からすればそうなのかもしれない。
でも、馬鹿でいいよ。エド君も私も馬鹿だから、結果的に一緒に居る事を選んだのだ。
「良いんだよ、俺の選択だから責任は俺がとる。それに……」
「それに?」
「……お前、責任とれって言っただろ。一人が寂しくなったって。責任、とってやるよ」
照れ臭そうに、でも自信に満ちた表情で断言してはぽん、と頭に掌を乗せるエド君。
……一緒に、居てくれるんだもんね。
「……うん」
「……意味分かってるのかお前」
「うん?」
「だ、だからだな」
「……だから?」
「……俺は、お前の側にずっと居る、から」
「うん」
それは分かった。エド君だから言葉を覆す事はないだろう。
私の隣に、ずっと居てくれる。もう一人にはしない。それは、とても幸せな事だ。
宣言通り受け取ったつもりだったけど、何か違ったのだろうか。
首を捻るとエド君が顔を掌で押さえだすものだから、何か間違ってしまったかもしれない。
何か間違ったかな、とエド君の腕に凭れて見上げると余計に顔を隠している掌に力が入った。その反応は何なのか。
「……もう良い。取り敢えず今のところは。この馬鹿」
「む。……そりゃあ馬鹿かもしれないけどー」
「ああ大馬鹿だ。ったく」
呆れたような声でちょっぴり悪態づいて、それから私を腕に収めたエド君。
「わ。エド君? どうしたの急に」
「……うるさい。お前成分を補給してるんだよ。数日別だったからな」
「な、成る程。じゃあ私もエド君成分補給する」
私成分なるものはあるのだろうか……と思ったけど魔女的なあれがそれなのかもしれない。
何言ってるんだって感じだけど、分からないでもないんだよね。
私も、エド君に触れると充足感と幸福感がないまぜになった感覚がするのだ。これが所謂エド君成分というやつなのかもしれない。
今現在でも中々にエド君成分を享受している訳だけど、もっと欲しいとエド君の胸に頬擦りしてみる。
……うん、中々に良いぞこれ。温いし、エド君の匂いするし、まあ硬いのは仕方ないとしても、心地良い。
喉を鳴らして体を預けて、すっかり熱も消え去った胸に凭れる。
……エド君は魔女だ。この鼓動に乗る魔力が如実に示している。
もう、私のもの。離さないもん。一緒に居てくれるって、約束したから。
「……最近ね、エド君居ないと落ち着かないの。これもエド君のせいだよ、責任取ってね?」
エド君が来るまでは、こんな事なかったのにね。エド君のせいだもん。
……責任取ってくれると言ったのはエド君だから、遠慮なく責任の所在を求めてあげる。
じぃ、と腕の中から見上げてほんのりと悪戯めいた笑みを浮かべると、エド君は全力で顔を逸らす。
次の瞬間には私の顔はエド君の胸に沈められていた。こっち見んな、と言わんばかりに、包み隠そうとするエド君。
……伝わってくる鼓動は、早い。
「……ああもうくそが」
「何で罵倒されたの」
「うるさい。黙ってろ」
やけくそ気味に言われてぎゅうぎゅう抱き締められたので、私は大人しく黙る事にしておいた。
……そういうエド君の方が、此処、うるさいんだけどなあ。
まあ、言わない方が良いよね。私も、心臓うるさいんだもの。内緒にしておこう。
代わりにひっそりと笑って、私はエド君の胸に顔を擦り寄せて喉を鳴らした。
(※まだくっついてないよ)
これで章が終わり……の予定ですが、もう一回エド君視点入れようか悩ましい。ほぼ毎章の終わりにエド君視点が入ってるので。
次で多分最終章……の予定です。