魔女様の不可思議な感情
私とエド君はどういう関係なのか、少し、考えてみた。
最初は、ある意味ではご主人様とペットのような関係だった。拾ったって自分で言ったからね。
同情から、置いてあげる事にした。
そこに、私がどうこうしたいとかはなかったし、別に居なくなるなら居なくなっても構わなかった。出ていくなら引き留めるつもりもなかったのに。
――それが、今は居なくならないで欲しいなんて。
私とエド君の関係は、曖昧だ。
一緒に住んで、隣で寝て、生活している。同居人と言えばそうだ。多分これが傍から見た時に私達の関係を言い表すに相応しい言葉なのだろう。
けど、私はどうやらそれ以上の関係を望んでいる、らしい。
何処にも行かないで欲しい、側に居て欲しい、ずっと一緒に居て欲しい。そんな考えばかりがぐるぐると胸の内側を巡っている。馬鹿な私、エド君は、人間なのに。
……エド君が魔女だったらなあ、って思うけど、それは単なる我が儘だもの。
ずっと私と一緒に居るなんて、有り得ない。だって、たとえ魔女になったとしても、寿命が延びれば私なんて飽きてしまうだろう。数百年共に在る存在をそう決めてしまえる訳がない。
隣に寝ているエド君を眺めて、嘆息。
……エド君は、どう思っているのだろうか。側に居てくれる、のだろうけど……ずっと、って訳じゃないもんね。
たとえ一緒に居てくれたとしても、エド君は人のままなら直ぐに死ぬ。私とは違うから。
……ずっと一緒、って訳じゃないんだよなあ。
そう考えると、きゅっと胸が締め付けられて痛い。
ああ、執着なんて最初はするつもりなかったのに。どうしてこんなにも、エド君に拘るようになってしまったのか。
私の、特別。
特別が何なのか、自分でもよく分かってない。ただ、大切な人になってしまったというのは確かだ。
居なくならないで欲しい。
この温もりがいずれなくなってしまうのは怖くて、今本当に隣に居るのかも不安で、私はこっそりとエド君の胸に顔を埋める。
くっつくと途端に安心感が訪れるのだから、私も随分と単純なのだろう。
慣れてしまった彼の匂いをすんすんと嗅いで、それから温もりを一杯に感じようとぴったりと寄り添う。
……そのまま寝てしまおうと思ったのだけど、ふとくっついた胸からいつもより早い鼓動が届いたので、顔を上げた。
エド君は、瞳を閉じている。
「エド君、起きてない?」
「……起きてない」
「起きてるじゃない」
起きていたなら早く言って欲しい。そうしたら、こんな事……いやしたかもしれないけども。
じい、と見詰めると観念したのか、瞳を開いてはちょっと気まずそうに目を逸らすエド君。
「さっきから溜め息ついたり不安そうな顔したりしてたから気になったんだよ。そしたらくっついてくるし」
「ごめん」
「……何かあったのか」
エド君から見ても私はちょっとおかしかったらしくて、探るというか窺うというか、そんな眼差しを向けてくる。
未だにくっつかせてくれているのは、そのせいでもあるのだろう。
……エド君に分かる程顔に出ていたのか。
けど、こんな事言うのは少し、躊躇われる。……だって、子供っぽい気がするし。エド君だって、こんな事言われたら困ると思うんだけどなあ。
「……笑わない?」
「何で笑うんだよ」
何か面白い事なのか、と言われて首を振ると「じゃあ笑わない」と真面目な顔。
……笑わないとは思うけど、呆れそうではあるんだよね。
「……エド君が居なくなるの、寂しいなあって」
「は?」
「エド君居なくなっちゃうんだなあと思うと、寂しくて」
私にとってはそう遠い未来でもないのだけど、エド君にとっては遠い先の話に聞こえてしまったのだろう。
綺麗な青の瞳をしばたかせ、それからいきなりどうしたんだと言わんばかりの眼差しを投げてくる。
「出て行くとか言ってないだろう」
「ううん、そうじゃないの。……魔女はね、寿命が人より長いの。人の何倍も生きる。最古の魔女である師匠の力を継いだ私も、元が人の体とはいえ多分それなりに生きる」
ただの魔力持ちならいざしらず、この体は師匠に作り替えられた、魔女の体だ。
優に数百年は生きる事が確定しているこの身は、人のものではない。……人とは違う時を歩む体だ。
「当然、エド君は人だから、私よりずっと早く死んじゃう。ずっと一緒には、居られないんだなあって」
勿論エド君が出ていくならもっと早いけど、と笑う。
「もし側に居てくれたとしても、私はエド君より寿命が長いから。エド君が老いるのを、見ていくしか出来ないの」
たとえ、側に居てくれても……あと数十年経ってしまえば、エド君は死んでしまう。最期まで一緒に居させてくれるなら看取るけれど、死んでしまうのには変わりない。
エド君は、私を置いていってしまう。皆、私を残して逝ってしまう。
それが嫌なの、とぎこちなく笑ってみせると、エド君は何だかあほを見るような眼差しを向けてくる。
「じゃあ俺が魔女とやらになればいいんだろう。魔力あるんだろう、俺」
――え?
エド君が言った事を一瞬理解出来なくて、固まった私。
魔力がある事を、知っていた? いつから? 兵士が来た時は知らなかった筈だ。エド君が気に病まないように隠してきたし、もう少し落ち着いてから言うつもりだったのに。
「……、……何で知ってるの?」
「ごめん、盗み聞きした。わざとじゃないんだが……」
この間アレクが来た時に、と躊躇いがちに告げられて、私は失敗を思い知った。
……もうちょっと、周囲に気を配るべきだった。気にしていればエド君の魔力で気付いた筈なのに。
きゅ、と唇を噛み締める私に、エド君は怒った訳ではなくて、ただ困ったように、眉を下げて曖昧に笑った。
「……俺の母は、魔女だったんだな。だから、魔力を持ってたのか」
「隠しててごめんなさい。……エド君のお母様は、魔女だ。エド君は魔力を持ってるし、目覚めさせれば魔女になるし、私はその術を知っている」
隠していた事に対しては、怒っていないらしい。
ただ、自分の出自を知って困惑している、のが多いのだろう。隠していた私に怒ってくれても良いし寧ろ怒って当然なのに。
何で、エド君はそんな……少しだけ、頬を緩めて笑うのか。「じゃあ丁度よかったな」なんて、笑うのか。
「でもねエド君、魔女にはそう軽々しくなれるものじゃないの。危険を伴うし、一人の人生が狂ってしまうんだよ。……身も心も狂ってしまうかもしれないのに、出来ないよ」
強大な力を譲渡するのではなく、あくまで自身のものを覚醒だから、私の時よりずっと難易度は下がるだろう。
それでも、人として生まれたエド君が魔女として目覚めるのには、危険が伴う。身を焼かれる苦痛だってある。一歩間違えば精神が壊れてしまう可能性だってあるのに。
……それに、魔女になれたとしても、魔女には魔女の苦痛がある。親しい人を作っても、直ぐに置いていかれるんだよ。
一定の場所に留まり続ける事は出来ない。老いない事に不審感を抱かれてしまうから。
だから、そんな「じゃあいこうか」とお出掛けするみたいにあっさりと出来るものではないんだよ。
「……俺が側に居るのは嫌なのか」
「違うの。……どう言ったら良い? あのね、魔女になったら殆ど体の成長は止まるし、老いなんて殆どない。力尽きるまで勝手に生き続けていく存在になってしまう。停滞だらけの生き物なんだよ、魔女は。私は、エド君にそれを強いたくない」
側に居て欲しいと望むけれど、それを求めてはならないのも薄々理解している。
私と違って、エド君は普通の感性だ。私みたいに、壊れてないんだもの。常識的で、良識的で、普通の感性をしているから。
「……何百年も生き続けるのは、多分、エド君には無理だよ。私みたいに何かしら壊れてる人じゃないと。……側に居て欲しいのは、ほんとだよ。でも、エド君は人として生を終えた方が良いと思う」
「俺の事を勝手に決めないでくれ」
「……じゃあ、エド君は……一時の感情の為に、長い年月を共に生きてくれるの?」
人って、直ぐ飽きちゃうでしょう? 何百年も一緒に居るなんて、きっと耐えられなくなってしまう。
人の心のままでは、きっと長い年月を生きるなんて鬱屈で恐ろしい程変化のない毎日には耐えられない。
私は、元から壊れてたから、こうして魔女として生きていけるけど。
でも、エド君は違う。今の衝動をどれくらい続けられる? 側に居たいなんて、数十年もすれば消えてしまうよ。
「エド君、私エド君と一緒に居るの、楽しいよ。でも、駄目だよ」
「……リア」
「エド君。……魔女になるのはとてもリスクがある事なんだ。それに、失敗すれば体が朽ちてしまうかもしれない。私は、そんなの嫌だもの」
「リア」
「……この話は、此処でおしまいにしようか」
「リア!」
「エド君、お願い。聞き分けて……っ」
どうして分かってくれないの、と訴えようとして……エド君に、おまじないをされた。
何で今の瞬間、と思ったけれど、互いにヒートアップしていたのも事実だ。
ぎゅ、と抱き寄せられて、離さないと言わんばかりに触れられる。触れ合った唇が熱くなるけれど、心は不思議と凪いだ。
心臓は、少し高鳴っているけれど……どうして分かってくれないの、という気持ちは、落ち着いていく。
「……俺は、お前が隣に居るなら、それで充分だと思う。俺は、お前の隣に居たい」
ゆっくりと唇を離されて、それからそんな言葉を掛けられる。
……隣に、居たいと、思ってくれるの?
エド君は嘘を言うタイプでもないだろう。多分これは本心だ。今現在の、だけど。
……それはとても嬉しいけれど、素直に喜べない。
自分が魔女にされた側だからこそ分かる。絶対に目覚めた力に困惑する。人を傷付けてしまうかもしれない。恐れられるかもしれない。私が、アレクに恐れられたように。
……そんなのは、嫌だ。エド君までこの道を選ぶ事になるなんて。
「……お願い。考え直して」
「嫌だ」
「……エド君、お願いだから。私に師匠と同じ事を、させないで」
「引き継がせる訳じゃないんだからお前は死なないだろう」
「それでもっ」
「嫌だ。……同じ立場で側にさえ居させてくれないのか」
同じ立場に立ってくれる、寄り添ってくれる。
それはとても甘美な響きで、何もしがらみがないのなら私はそうしただろう。エド君を魔女にして、ずっと一緒に暮らす事を夢見たのだろう。
でも――エド君は、徐々に、人との繋がりを築いている。私が居なくても、エド君の面倒を見てくれる人だって居る訳だ。
それを崩してしまう事が、私には許されるのか。
「……っ、……あのねエド君」
「心配しなくても、お前を一人にはしないから」
……ああ、本当に意地悪だ、エド君。誘惑ばっかり。
そう言われたら、私はエド君を離さなくなるのに。本当に、私のものにしてしまうのに。
「だ、だめ、だよ。……私、」
「リア」
「……う」
「今すぐにしろ、とは言わない。ただ、……俺に、選ぶ権利くらい与えてくれ」
優しい囁きに、全部身を委ねられたら、きっと楽だろう。私は寂しさをなくせるし、毎日幸せなのは間違いない。
でも、それはエド君に苦痛を強いてしまう事にもなるのだ。……体を作り替えるのは変わらないから、とても痛いし、人々との関わり方も、変えなくてはならない。
小さく「うん」とは答えたものの、不安が押し寄せてくる。
一人にしないでくれるのは、嬉しい。ただ、エド君の人生は、私によって塗り替えられてしまう。
それは、果たして良い事なのか。
……そもそもの疑問として、エド君はどうして、側に居てくれるのだろうか。
拾った恩はあるけど、一生を捧げるものではないだろう。偶に意地悪だけど優しくしてくれて、温もりをくれて、その上で途切れない繋がりを作ろうとしてくれる。
エド君は、どうしてこんなにも、私を大切にしてくれるのか。
「どうして、此処までしてくれるの……?」
「……それを俺に言わせるのか」
純粋な疑問だったのにエド君に締め付けられた。
抱き締める力を強くする程度だけど、エド君の力は思ったよりも強くて、ちょっと苦しい。
それでも、嫌とか全く思わなくて、寧ろくっつけて気持ちいいのだけど。
「……少しくらい、自分で考えてみろ」
エド君は、それだけ呟いて私を腕にすっぽり包み直して、離さない。
顔は見られたくないのか私の頭の上に顎をのせて、静かになってしまった。
どうして、なのか。
それはまだ分からないけれど、確かなのは……エド君は、私の事、大切にして側に居てくれる事を望んでいる、という事だ。
一生を共にしてくれるくらいには、私に心を許してくれているのだろう。
……私も、エド君と同じ感情なのだろうか? 大切にしたくて、ずっと側に居て欲しくて、全部さらけ出したいと思うこの気持ちと、エド君の抱くものは、一緒なのだろうか。
この感情を、何と名付ければいいのだろうか。
エド君、と小さく呟くと、胸がじわりと炎を落としたように熱くなる。
火傷のような痛みを伴う熱ではなくて、内側からじわりと染み入るように広がる穏やかな熱。これは、何だろうか。
……分からない、よ。エド君が教えてくれたら、名付けてくれたら、良いのに。
不可思議な熱と衝動に耐えきれなくてエド君の胸に顔を擦り寄せて、私は暫く訳の分からない感情の正体を内側でぐるぐると掻き混ぜて確かめるのだった。
答えなんて、出そうにもないのだけど。
年内更新はこれで最後となります。
ちょっと忙しくてこっちの連載が数日おきになっているのが申し訳ない限りです。いつも感想や評価等励みになっております。
今年は皆様ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。