王子様の見えてくる境遇
結局、エド君とはいつも通り隣で寝るようになったのだけど……何というか、エド君が段々距離を縮めてくれているというか?
カーテンの遮りがなくなる日が、多くなった。
エド君には「何ら疚しい思いはないからな」と幾度となく言い聞かされて、そのまま一緒に寝ている。そこは心配してないのになあ。
私としては、エド君の側で寝るのは落ち着くので大歓迎なんだけど、エド君はエド君で思う事があるのか若干気まずそうだ。
別に、私必要以上にエド君にくっつこうとかしてないし、そんな意識しなくても良いと思うんだけどな。もしエド君にくっつかれても気にしないし。温いもん。
試しに背中に触れると、びくりと揺れる体。
まだ寝ていなかったらしい。振り返りはしないけど、何となく体が強張ったのが分かる。
つぅ、と指先を滑らせると、またびくり。
そのまま悪戯するように文字を書いて遊んでいたら、我慢しきれなくなったらしいエド君が寝返りを打った。
やば、ちょっかい出しすぎたと後悔したのだけど、エド君はむすっと眉を寄せたまま、私を抱き締めた。
へ、と声が漏れた私にエド君は背中に手を回して――。
「ふひゃん!?」
擽り始めた。
エド君に慈悲はなかった。やり返すと決めたらやり返す人だから、私が腕の中で悶えるのも変わらずに容赦なく擽りまくったよね、うん。
ごめんなさい、と息も絶え絶えに謝るのだけど許してくれなくて、暫く擽られたよ。
終わった頃には涙目になったし顔に熱が集まって、全身も熱かった。やはり悪戯するのは良くない、と身を持って学んだ。ほんとエド君からかいすぎるとやり返されるって分かったよ。
背中がぞわりとする感覚に喘ぎながらエド君を見上げると、エド君は顔を真っ赤にして、それから何故か抱き締められる。今度は、擽らずに押し潰されそうだけど。
押し付けられたエド君の胸からは、どくんどくんと心臓がうるさく鼓動をたてている。
……エド君、照れるくらいなら抱き締めたりしなくてもいいのに、どうしたんだろうか。……でも、この温もりは凄く好きで、睡魔が誘われる。
体がぽかぽかしているせいもあって、心地好くて……私はもう気にしなくていいか、と結論付けて、エド君の腕の中でそのまま寝てしまった。
「――って感じなんだけど」
突撃お宅訪問実施中のアレクに昨夜の事を話すと、アレクは何とも言えなそうに一瞬鼻白んだ。それから、呆れを瞳に込めるのだけど。
因みに、エド君はただいま森にて薬草を取ってきてもらっているのでこの場には居ない。
「リアはもう何かエドヴィン君に試練を課すのが好きだよね」
「試練?」
「うーん。まあ今回のは割とエドヴィン君の自業自得でもあるけど。というか、君達はやけに仲良くなったよねえ。距離近付き過ぎじゃない?」
アレクに指摘されるのだけど、それは自分でも思う。
というか、エド君が打ち解けてくれた……とでも言えば良いのかな。昔は自分から触れるなんてほぼなかったのだけど、今は普通に触れてくれるもの。
まあ抱き締めてくれるのは珍しいのだけど。
「普通、抱擁して寝るとかないからね? もう君達くっつけばいいのに」
「くっついて寝たと思うんだけど」
「いやそうじゃなくてね。一緒に住んで、一緒に寝て、互いに悪しからず思ってるんだろう? それは恋とかそういうものじゃないのかなって」
……恋。
それはあれだよね、異性として魅力的な相手を好ましく思う事だよね。
私が恋?
「リアはそういう所本当に鈍いしエドヴィン君が哀れになるから、ちょっと卑怯だけど僕から突っつかせてよ。……別に隣で寝たり抱き締められたりしても嫌じゃないし落ち着くんだろう?」
「それは、まあ」
「触られるのが嫌でなくて嬉しい、もっと触れて欲しい、抱き締めて欲しい、それ以上に望むなら、恋と言えるとは思うんだけどね」
どう? と聞かれて、私は答えるのに躊躇を覚えた。
確かに、触られるのは嬉しいしもっと触れて欲しい。エド君の温もりは心地好くて、堪らなく幸せだ。この人の側なら安心出来ると確信を抱いている。
それ以上……って具体的に言われなければ何か分からないのだけど、多分、嫌ではないだろう。
それが恋というものなのだろうか。
「好きとかそういう事、思ったりしないの?」
「んー……何というかね、エド君にはずっと側に居て欲しいし触れて欲しいけど」
「けど?」
「私が抱いてはならない類いの感情なんじゃないかなって」
あまり、考えたくはないのだけど。
私はエド君を大切に思っているし、手放したくないとは思う。叶うなら、ずっと側に居て笑っていて欲しい。一緒に生きて欲しいとは思うんだ。
でも、それと同時に、私は心の奥で理性が嘲笑うのだ。
お前は魔女だろう、人間とは相容れない存在だ、と。
「エド君には側に居てもらいたい半面、私抜きに幸せになって貰いたいとも思うんだよね。だから、私が引き留めちゃ駄目なんじゃないかなって」
「何でそうなるかな」
「アレク。私は魔女なんだよ。……生きてる時間が違うもの」
私は人と違う。価値観も、常識も、寿命も。人間のそれからかけ離れている。
元人間だからましといえばましなのだけど、それでも私は人ではない。人の数倍は余裕で生きるだろうこの体は、これ以上多分老いもしない。もう此所数年成長が止まっているもの。
私とエド君では、生きる時間が違うんだよね。
今はまだいい。問題は、これから先だもの。……エド君もアレクも、人間だから。私とは違って、成長してやがては老いていく。
それを見守るつもりではあるけれど、エド君は変わらない私の側に居るのが辛くなりそうだもの。
「……ちょっと自分でもどうかしてると思うの。私、何で執着してしまったんだろう。最初は同情だったのに」
離れて欲しくない。
……最初の頃は、行き場がないから置いてあげていただけなのに。
どうして、こんなにも側に居て欲しいと望むのか。
「リアはエドヴィン君にどうしたい訳?」
「どうもこうも、どうもしないよ。……エド君が居たいなら居て貰うし、出ていきたいなら、引き留めちゃ駄目だと思うの」
「いやそうじゃなくてさ、たとえばエドヴィン君と恋人になりたいとか」
「……分かんないよ、そんな事。だって、私とエド君は、違うもの」
……恋人、とか私には分からない。
けど、駄目なのは分かるよ。生きている時間が違うから、どちらとも結果は不幸にしかならないのは目に見えてるんだもの。
「……まるで魔女が恋してはならないって感じだねえ」
アレクの、困ったような、呆れたような、不可思議な響きの呟きに、私はエド君を思い浮かべる。
……私の、特別。それには違いない。
けれど、それ以上をエド君側に求めたらろくな事にならないのも分かっているんだ。だから恋と定義してはならないとも思う。
「どうしろと言うの。エド君は、人だよ。私は魔女だ。根本から違うでしょう?」
「違っても結ばれる権利くらいあると思うのだけどね」
「……そもそも、それエド君の意思無視じゃない。私だって、恋なのか分かんないし」
仮に私がエド君に恋していたとしても、エド君側がそうとは限らないじゃないか。
「ははー、これだから恋愛初心者は」
「むむっ、それアレクに言われたくない」
「いやいや、僕は酸いも甘いも噛み分けた人間だからね。初恋なんてとうの昔に終えてるから」
「えっ」
「というか、初恋は自分から折ったからね。初恋の女の子を手酷く傷付けてしまったから」
アレクにそんな衝撃な事実があったとか聞いてないんだけど。
「そんなの聞いてない。なんで内緒にしてたの」
「うんうん、それでこそリアだ。いいよ気にしなくて、というか気にしないでくれているのなら良かった。あーそうそう、今日はそんな事を話に来た訳じゃないんだよね」
誤魔化すように笑ったアレク。
視線をわざと逸らし、自身が持ってきたらしい包みをほどいている。
中から出てきたのは、額縁と……中に入った、一枚の絵。
「リア、これだけ手に入った」
「……これ」
「シャハト現国王の寵愛を受けていた妃……アドルフィーネ、つまりはエドヴィン君の母君だね。その姿絵だよ。ちょっととあるツテから入手した」
いやー苦労したよー、とへらへら笑っているけど、これを手にするにどれだけ手間が掛かったのか想像もつかない。
どうやって、とかその辺りは聞いても教えてはくれないだろう。
静かにありがとう、と呟き、手渡された絵に視線を落とす。
描かれているのは、美しい銀髪と紫の瞳、たおやかな美貌のとても美しい女性だった。
見ているだけで慈愛に満ちていると分かる、穏やかで優しげな微笑み。妖艶というよりは清純で清楚といえる、清らかな美貌。
誰もが見惚れそうな笑みとその視線の先には、きっと彼女が愛した人が居るのだろう。
「……そっか、そういう事かぁ」
「リアの懸念事項は当たってたの?」
「……うん、まあ」
それしかない、とは思っていたんだけどね。
この絵姿は精巧だ。私の記憶の彼女と、合致している。もうほぼ確定のようなものだ。
「確信してるなら、教えてくれるかな」
興味本意で聞かれている訳ではないとは、分かっている。
言うべきか、悩んだのだけど……アレクは此処まで調べてくれた。私の我が儘みたいなものだったのにね。
だから、私の推論くらいは語るべきなのだろう。
「エド君にも言わなきゃいけないんだけどね、いずれ。――エド君のお母様は――」
「お帰りエド君、薬草一杯取れた?」
アレクが帰って数十分後、エド君が帰って来た。
手にしていた籠には、沢山の薬草が盛られている。エド君も成長したよね、ほんと。もう大体見分けつくようになってるんだから。
「ああ、取れたが……アレクが来ていたのか?」
「うん。お菓子お土産に持ってきてくれたの」
おまけで持ってきてくれたおやつに気付いたのだろう。如何にも高級そうなおやつはアレクが持ってくるからね。
何しに来たんだあいつ、とぞんざいな言葉を漏らしているエド君に苦笑しつつ、私は手にしていた額縁をエド君に差し出した。
薬草籠を置いたエド君が一瞬遅れて姿絵を見て――固まる。顔を見た事はないらしいけど、もしかしたら絵くらいはあるのかもしれない。
「……これは」
「エド君のお母様の姿絵だって。どうやって手に入れたんだろうね、ほんと。エド君が持ってるのが良いと思って」
私は、確認がしたかっただけだから、所持する必要はない。持つべきは、息子であるエド君だろう。
丁重な動作で受け取ったエド君は、私の隣に座って、静かに姿絵を見つめている。
表情は、歓喜とは言えない。どちらかといえば、困惑に近いだろう。実感がなさそう、にも見えた。
実際には会った事がない、母親。
私はこれっぽっちも実の母親に興味を抱けないけれど、エド君は違うだろう。
謎多き寵妃である、エド君の母君。エド君は、どう思っているんだろうか。
「……綺麗な人だよね。エド君に似てると思う」
私は素直な感想を口にして、ぺと、とエド君の頬を撫でる。
どうして、最初の時点で気付かなかったのか。
姿絵と並べてみたら一目瞭然だ。彼は目付きこそ悪いけれど母似。
何故魔力を持っていたのか、その疑問はこれで解決した。
エド君の母君アドルフィーネは、魔女だ。私も、一度だけ会った事のある、美しくたおやかな魔女だった。
……さて、此所で一つ、問題があるのだ。
じゃあ、何故私はアドルフィーネと会った事があるのか?
産褥熱で死んだとされるアドルフィーネが、私と会った事があるなんて時系列がおかしいじゃないか。
エド君と私は同い年だから、産褥熱で亡くなったなら私と会える筈がないのに。私が師匠に弟子入りしたのは、年齢が一桁後半の時。本来会う事など有り得ないのだ。
なら、答えは一つだろう。
――アドルフィーネは、何処かで生きている。
これを、エド君に伝えるのは悩む。全部言わなければならなくなってしまうから。
けど、同時に少し喜ぶ自分も居るのだ。
エド君は、魔女の血を引いている。魔女に子が宿るのは力の特性上珍しいのだけど、魔女の子供に生まれたなら当然魔力も多い。
魔女になるに相応しい程には、エド君には魔力が宿っているのだと思う。
もしエド君が魔女になってくれたら、と考えて。
魔女になって、これから先もずっと側に居てくれたら、私は寂しさを忘れるだろうし、きっといつまでも暖かく幸せだろう。
けれど、私からそれを望んではならない。彼には人としての生を終える権利がある。彼の母君だって、それを望んだからこそあれを託していたのだろう。
あの石は、魔力を抑え込み隠す為にあるのだから。
「……リア?」
「え、あ、な、何でもない。エド君はお母さん似なんだなあって、まじまじと見てたの」
不審そうな目を向けてくるエド君に、私は笑って誤魔化して瞳を閉じる。
……エド君がずっと一緒にいてくれたら良いのにな、と思うのに、人としての生を捨てて欲しくない私が居るのも事実で。
どうしたら良いんだろう、と小さく呟いて、エド君にそっと凭れた。




