王子様、ゲットです(居候的な意味で)
ひとまず敵意はなくなってくれたみたいなので、私達はソファでお茶を飲みながら事情説明をする事になった。
「……飲まないなら飲まないで良いけど。私全部飲むし」
「いやこれお茶じゃないだろ」
「薬草茶だよ、歴とした。効能もばっちりだし」
淹れた薬草茶を警戒しているのか、彼は口にしない。
折角疲労回復と自然回復力増大のある薬草を煎じたものなのに。
体が疲れているのは分かるから気を使ったんだけど、まあ飲みたくないなら飲まなくて良いよ。私飲むから。
彼の視線を感じつつ、真緑のどろりとした液体を軽く揺すって混ぜ、そのまま口にする。
口に広がるのは、爽やか……だったらよかったのだけど青臭い薬草の香りと土臭さ、苦味とえぐみ。
ほんの少しだけ後から舌に刺さる酸味がアクセントになっていて……うん不味い。我ながらよく不味く作れたものだ。
しかしながらにして良薬は口に苦しというので、これも甘んじて受け入れるのだ。
まあどう足掻いても美味しくはならなかったので諦めたんだけど。
「それで、君の事を聞かせて欲しいんだけど」
信じられないといった彼の視線も気にせずに飲み干して問い掛けると、彼は少しだけ眉を寄せて、それからゆっくりと口を開く。
「……俺はエドヴィン。……シャハトの第三王子だ」
「王子様ときたかー。これまた偉いもの拾ったなあ」
第三王子。
シャハトと言えば、魔法を嫌う大国だ。
かつて魔女の力で彼の国は滅亡の危機を迎えたから、相容れないものという認識になっている。
なので当然魔女と折り合いが悪い、というかそもそも互いに絶対に近寄らない不可侵の不文律がある。
その、第三王子がトーレスに来て、何の縁か禁忌の森に住まう魔女に拾われた、と。
これが嘘ならとんだ大法螺吹きだけど、多分それはないだろう。身なりからして身分の高そうな感じだったし。
ただ、シャハトと言えばこの禁忌の森のあるトーレスの隣であり、王子が一人お供を付けずに来るなど有り得ないとも思う。
そもそも、王族が越境するならトーレス側にも連絡が行く筈なのだけど。トーレス側からもお迎えがあってもおかしくない、正規の訪問なら。
まあ護衛が死んで命からがら逃げてきた、という説も有り得るのだけど……うーん、どうも違いそうな気がする。
だって、彼は祖国に帰りたい、なんて顔をしていないもの。
それにしても、シャハトの第三王子。
……何処かで、聞いた事のあるような……。
「……信じるか信じないかはお前に任せる。……俺は、義母の策で王宮を追い出されて、追っ手を掛けられた」
「それで命からがら逃げたけど、逃げ込んだ禁忌の森で力尽きたと。ははぁー、王宮の争いって面倒そうだねー。何でまた追い出されたのさ」
「……俺が、呪われているのだと、不幸を撒き散らす者で王に危害を加える存在だ、と。身に宿してはならない力を宿しているから、存在そのものが罪だ、と」
屈辱に顔を歪ませたエドヴィンは、拳を作る。やりきれない思いで一杯なのだろう、悔しそうに、唇を噛み締めている。
これだからシャハトの制度は嫌なのだ。
疑わしきは罰する。魔女を含めて魔を繰るとされた者は殺される。
もう少し前の時代では魔女を磔にし火炙りにするという時代錯誤な処罰をしていたのだから。
当然、その刑を受けたのは無実の人々だ。
何故ならば、魔女達はそんなもの逃げられるし、やろうと思えば断罪者共を倒すくらいやってのけるのだから。
まあ、もうそんな事はしない……筈なのだけど、エドヴィンはそんな前時代的な処罰をされそうになって逃げてきたらしい。
でも疑う要素がなければ、今の時代は処罰されない筈。
……ん? いや待てよ?
シャハトの第三王子といえば、王家からは生まれる筈のない黒髪を持って生まれた、と聞いた事がある気がする。
そして、目の前の彼は、黒髪の綺麗な青年だ。王系に継がれる、深い青の瞳。
ああそうか、意味が分かった。
「ああ、そういう事か。君は落とし物でも落とし者でもなくて、堕ちた者か」
「ッ!」
「落とされたんじゃなくて、捨てられたんだね。王国から」
黒髪は、シャハトでは凶事を招く存在だと言われている。
シャハトの王族はシャハトでは選ばれた者と言うのだけど、つまり、彼は黒髪故に堕ちた。正しくは堕ちたと勝手に決めつけられたのだ。
黒は魔の色だから、魔の方面に魂が堕ちたとされる。
まあ髪は遺伝的なもので、先祖に居ればときたま先祖返りで親達とは違う色が生まれる事もある。
黒髪云々は迷信みたいなものなのだけど、シャハトの王族ともなればそうはいかなかったようだ。魔を否定する国家だからこそ。
彼に何ら罪はない。ただ黒髪に生まれてしまっただけ。
それだけで、彼は奪われた。享受する筈だった、王族としてのものを。
この歳まで育ったのは、きっと権力のある誰かが庇っていたのだろう。でなければ生まれて直ぐに殺されたであろうから。
私の言葉にエドヴィンはぶるりと体を震わせ、それから机を勢いよく叩く。
カップは浮かしたから被害はないけど、机はミシミシと嫌な音を立てている。
壊さないでと言ったんだけども……今言っても逆効果だろうな。顔が怒りに染まった彼に、そういう事を言っても無駄だろう。
「お前に何が分かる! 俺の、何が!」
「そうね、本質的な所では分からないかもしれないよ。でも境遇は似たようなものだから親近感は覚えるのだけど」
「何が言いたい!」
再び触れれば切れてしまいそうな鋭い視線を向けてくるエドヴィン。
此処で何か間違った事を言えば、激情から首でも絞められるかもしれない。それだけ、今彼は取り乱しているし怒りを覚えている。
八つ当たりと言えば八つ当たりだけど、私が言い方を考えなかったのも悪いのだ。
今にも掴みかかって来そうなエドヴィン。
もし危害でも加えようものなら魔法で退かすのだけど、わざわざ神経を逆撫でするのも趣味ではないから。
「君、この国では赤目は不吉の表れであり忌避されるって知ってるかな」
「は?」
「シャハトでは黒髪が、トーラスでは赤目が災いの証と違うんだよ」
亜麻色の髪を一房掬い、指に巻き付けて弄りつつエドヴィンが口につけていないカップを見ると、緑の水面にうっすらと赤い瞳が映っている。
……あまり思い出したくないのだけど、私はこれのせいで散々な目に遭ってきた。
具体的な内容は私のトラウマを刺激するので自主規制するのだけど、そりゃあもう人としての権利なんかなかったよね。
師匠に拾われるまでは、私は人として生きてこなかったもの。
「私は君と同じようで、逆なんだよ。私は小さい頃に捨てられて奴隷みたいなものだった。師匠に救われてからは、禁忌の森にこもってこうして平和に生きているのだけど」
師匠に救われなかったら、今生きてはいないだろう。私の命は師匠に助けられて、師匠と共に在る。
一度地獄を見てきた身としては、彼の境遇には同情するし師匠と同じように救いの手を差し伸べたいとは思う。
けど、自分ばかり不幸なのだと酔いしれないで欲しい。
「……君は王族だから、もし隔離されていたとしても最低限の衣食住を与えられていたでしょう? 飢えて死にそうになったとか、凍え死にそうになった事とか、通り掛かりの誰かに暴力を振るわれた事とか、ある? 野草の味とか、土の味とか、腐ったご飯の味とか、そういうもの味わった事ある?」
何なら野草の味と土の味ならそこにある薬草茶で教えてあげられるよ、と微笑みかける。
固まった彼の表情からして、最低限のものは与えられていた筈。
衣服だって綺麗なものが与えられていたみたいだし、体つきもしっかりしていて飢えていたようには見えない。羨ましい限りだ。
私はこう見えて生きてくのに必死で色んなもの食べてきたもの。
お陰でこのとんでもなく不味い薬草茶も馴染んでしまったのだけど。あ、不味いものは不味いのよ、ただ普通に飲めるってだけで。
「まあ、不幸自慢はどちらの為にもならないから止めておこうか。不毛だから」
それともまだ言いたい? と聞くと、エドヴィンは微かに息を飲んでから首を振った。
すっかり彼は落ち着いたようで、何とも言えない風に顔を歪ませている。
私の事をどう思っているのかは、分からない。けれど、もう乱暴に怒る事はないだろう。
落ち着いてくれたようで何よりだ。私もわざわざ昔の事を掘り出してきた甲斐があるよ。
「それで、君はどうしたい訳? 復讐を望むの? それとも、ただ祖国に帰りたいの? ただ単に行き場がなくて困っているの?」
彼は逃げてきて、何がしたいのか。
この後どうするのかによって、私も対応が変わってくる。助けてあげたいとは思うけれど、復讐となると無闇に魔女の力を使う訳にはいかないもの。
逆に言えば、彼の気持ち如何では手助けするつもりは充分にある。同情、といえば彼は嫌がるだろうけども。
「……俺に、行く当てはない。祖国に帰れる訳でもない。国は憎いが、どうこうする程俺には力もないし、するつもりもない」
「つまり、どうして良いのか分からないと」
彼は唇を噛んで押し黙るのだけど、それは無言の肯定にしかならない。
現状に憤りはあるけれど、それをどうにかする術を持たなければ、そこまでやる気力もない……といったところだろう。
まだ、周囲の環境に振り回されて、目的も何もかもない状態。ただ生存本能に従って逃れてきただけ。
……やだなあ、過去の自分に重なる。
「……なら、この家に暫く居れば良いよ」
元より、行く当てがないならそうするつもりだった。
そもそも拾ったのは私だし、ポイ捨てなんてみっともない真似はするつもりがなかった。責任は取るつもりだ。
言葉を受けて青の瞳を瞬かせる彼は、直ぐに冗談だろと言いたいばかりに瞳を細める。
「そんな事をしてお前に何の得があると言うんだ」
「そうね、どちらかと言えば損しかないと思う。厄介事の種ってのは明白だし、食料とかその辺の問題も出てくるね」
「なら、」
「でも、落ちていた君を拾ったのは私だ。なら、君は私のものだし、無責任に投げ捨てるつもりはない。面倒くらい見てあげるよ」
私は魔女だし、かつての師匠のように人一人くらい養える。
……成人男性の食欲がどんなものかは知らないけど、まあ何とかなる筈だ。
彼は私の言葉に「俺はペットか何かと思ってないか」とぼやいたけど、大体似たようなものだと思う。
だって着の身着のまま逃げてきて地面に転がってたし。捨てられたとあれば拾ってあげるしかないだろう。
「勿論、君に選択権はあるよ。行く当てがあるならどうぞ?」
「ないと言ってるのにそう聞くのか。お前を頼るしかないだろう」
「そうだね。自活できるならそれでも良いのだけど。……どうする?」
「……手を取るしかないに決まっているだろう。どうせ、俺には何もない」
最後は自嘲紛れに呟かれたもので、何だか聞いていて面白くないというか……昔の自分を思い出してむかつくのだろう。
聞いてて面白いものじゃないのよね、聞く側になって漸く分かったのだけど。
身の上のせいでかなりやさぐれている王子様に、やれやれと肩を竦めて手を差し出す。
「じゃあ、君は今日から私のもの。君の悩みも感情も私のもの。私の下に居る限り、生活は保証してあげる。……それで良い?」
「選択権がないのに良いもなにもないだろう」
口では不満そうに言っているけれど、彼にはそうするしか生きる道がないとも分かっているから、突っぱねる事はしない。
重ねられた手は、やはり綺麗なものだ。
剣の心得があるのか手にはまめが出来ていたけれど、それでもやはり、外を知らない手だった。
彼を見やれば、分かりやすくツンとした表情で私を睨んでいる。本当に、機嫌が顔に出やすい人だ。
まあ笑顔で包み隠されるより余程ましなのだけど。
よろしくね、と笑うと、彼は僅かに眉を寄せてそっぽを向いた。
そんな訳で、本日から王子様を拾って家に住まわせる事になりました。