覚え始める一つの感情
「いらっしゃいませ……あっ、エドさん! それにリア様も!」
エド君に連れられてエレナの一家が経営する雑貨屋に到着した。入る前に手は離されている。
入ったら入ったで笑顔のエレナが迎え入れてくれた。
相変わらず、お日様みたいな少女だ。素朴ながらに可愛らしいと評判だもの。
心なしか、いつもより頬が赤らんで楽しげな表情。信愛を表す眼差しは、エド君に向けられている。
なるほど、ヴィレムが言っていたのはそういう事か。
「今日はどうなさったのですか?」
「……納品に来ただけだ」
エド君はそんな眼差しにも平然としていて、というか気にした様子はなくて、ただ作品を仕舞っている袋を手渡す。
レース製のリボンやらチョーカー、おまけに手袋とか最早服飾店の方で高値が付きそうなものをせっせと拵えていたみたいだ。
……エド君、何か最近熱中してないかな。というか最初のものより遥かに気合いが入った作品なんだけど。
リアも感嘆の声を上げつつ「これは然るべき所で売るべきでは……」と困惑している。
うん、服飾の専門店で売った方が良いと思うよ。
「……流石にコネもないのに売れなくてな」
「でしたら、私の方から紹介状を出しておきますので」
「そうか、助かる」
ふ、と少しだけ、エド君の顔が緩んだ。
……。
「リア様?」
「え? ううん、何でもないよ。ただエド君の技術は凄いなあと思っただけ。それよりリア、お母さんの体調はどうだい?」
気のせいか、と胸の辺りを押さえながら微笑むと、エレナの顔が少し曇る。
「リア様のお薬で小康状態ではあるのですが、いつ悪化してもおかしくないですし……」
「そうか。……私は医者ではないからね、薬を作る事は出来ても、深く根差したものを取り除く事は出来ないんだ。ごめんね」
「いえ! その、いつも取り計らってお安くして頂いていますし……これ以上は、無理なのも分かっているのです。生き長らえるだけでも奇跡なのだ、と」
気丈に微笑んだエレナ。
エレナも分かっているのだ、病に巣食われた体を薬では治せない事に。進行を抑えるのが精一杯なのだと。
それでも、エレナはお母さんに生きて欲しいと願って、薬を買って飲ませている。
良い子だな、と改めて思う。……うん、良い子で、可愛い子だ。だから、仕方ないのだ。
「せめて、母には生きている間心配をかけないようにしたいんです。だから、頑張らなくては。リア様もいつもありがとうございます」
ペコリ、と腰を折った彼女の髪に揺れるレースのリボンを見て何とも言えない気持ちにちょっぴりなったものの、表には出さずに微笑んだ。
「エレナもレースのリボン付けてたね」
店を出て、思わずぽつりと零してしまった。
別に、おかしい事ではない。エド君は作品を売っているんだから、その作品を気に入ったらエレナ本人が買って身に付ける事もあるだろう。
それなのに、何故もやっとするのか。
「ああ、失敗作紛れ込んでて買い取り出来ないからどうしたものかと思っていたら、彼女がちょっと安めだが買ってくれてな」
「そっか」
うん。エド君は作品を売りに出してるんだから、そういう事もあるだろう。
売れないものを買い取ってくれたのだから、寧ろラッキーだ。
……ううーん。
どうしてだろう。何か、面白くない、気がする。
「何で微妙そうな顔してるんだお前」
「え? いや、そんな事ないよ。エド君凄いなあって思ってる。ただ」
「ただ?」
「……私だけじゃないんだなあって思うと、ちょっと、面白くない」
人に使って貰える事程嬉しいものはないと思う。
だから、エド君の作品が身に付けられるのは良い事だし、看板娘のエレナが身に付けて宣伝してくれるなら言う事はないだろう。
喜ぶべき事だと思ってるし、実際エド君が自立していくのは嬉しい。頼りきりでも全然良いのだけど、エド君としては自立した方が生活に張りが出るだろうから。
うーん、何て言ったら良いのだろうか。
凄い苛立つとかじゃなくて、こう、もどかしいというか、ちくちくする。上手く消化しきれない感じ。
内側に淀んでる気がして、良くない。どうしたらすすげるかも分からない。こんなの初めてだ。
どう表現して良いものか分からなくて眉を寄せる私なのだけど、エド君は何故か押し黙ってしまった。
むすっと、何かを堪えるような表情で、私を見下ろす。少しだけ、視線が左右に揺れているけれど。
「エド君?」
「……いーや。拗ねるな馬鹿。お前はお前で別に作ってあるから、そっちやる」
「や、わざわざ良いよ別に。売った方が良いよ」
そこは遠慮しなきゃ、と思って断ったのだけど、エド君は眉を寄せて一気に不機嫌そうになってしまった。
「な、何で怒るの」
「怒ってない。ただ、お前は色々と残念なやつだな、と」
「えっ何でいきなり」
「うるさい」
額を小突かれた。
最近エド君遠慮なくなってる気がするんだけど気のせい?
むむ、と小突かれた額を押さえながら見上げると、エド君はやっぱり不機嫌そうで、でも呆れを表情に滲ませている。
「……贈り物くらい素直に受け取るのが女だろう」
「エド君こそ私からの贈り物は素直に受け取ってくれなかったじゃない」
「あれはお前に全部負担させていたからだろう。……それとも、要らないというのか」
「……何か凄いもの作ってそうで気後れするというか」
「そんな大したものでもない。材料は糸と布だけだ」
「……エド君のは技量が半端ないんだよ、もう」
だって、エド君の作品はとっても丹念に作られていて芸術品みたいだもの。綺麗で、身に付けるのが勿体ないくらいだ。
私にあげるより、本当は売ってお金にした方がエド君の為になると思うんだ。
でも、なんというか、私の為に、って思うと、凄く嬉しい。申し訳なさはあるけど、でもやっぱり嬉しいのだ。
良いの? と窺うと、エド君は「お前のサイズに合わせてある」との事。……いつ私のサイズを知ったのだろうか。
その疑問が顔に出ていたらしくて「手首とか掌のサイズだからな誤解するなよ」ときっちり訂正してくれた。なるほど、触ってたら大体分かるよね。
うん、分かったから顔を真っ赤にしなくても良いから。
くすっと笑うと、エド君は顔を染めたままだったけど、何処か満足げに頬を緩めた。
……あ。
「何だ」
「ううん、何でもない」
少し、すっきりしただけだよ。
その後紹介状を持って、作品を服飾店に持っていってみたら予想以上に受けた。
というかエド君の作品が繊細で人目を惹くというのがあったのだろう。
結構あっさりと買い取って貰えた、どころかついでに刺繍のお仕事を頼まれていた。
これはエド君にとって躍進のチャンス、と後押ししたので、エド君は躊躇いながらも引き受けた。それでも、充足感に満ちた顔をしているから、やっぱり嬉しいのだろう。
「そういえばオラリスでシャハト兵が見付かったらしいんだよな」
「ああ知ってる、なんかボロボロで発見されたらしいよな。ちょっとおかしくなっていたらしいけど」
じゃあ今日はお祝いに外食でもしようか、とお店に入って注文した品が運ばれてくるのを待っていた所で、そんな声が聞こえてきた。
オラリス。……私がこの間兵士さんを置いてきた道に一番近い村だ。
という事は彼は無事に発見されて治療されたのだろう。良かった、のかな?
エド君もそれが件の人だと気付いたらしくて、隣のテーブルから聞こえてくる会話に耳をそばだてている。
「何か知らないが、本人曰く禁忌の森に入ったとか」
「うわ、馬鹿じゃないのか。あそこは立ち入ったら死ぬ魔女の領域なのに。逆に生き残ったのがすげえよ」
「女神を見たとかなんとか。幻覚作用のあるハーブを摂取していたからそれのせいだろうな」
いやエド君私のせいじゃないからそんな見ないでよ。顔隠してたから違うよ? 幻覚だよ?
「しかしまあ、命知らずだよな。あの森は立ち入るべからずってトーレスでは子供でも知ってるのに」
「化け物のような魔女が居るらしいからな。おっかねえおっかねえ」
びちゃ、とエド君の持っていたグラスから水が零れた。
エド君、表情表情。別にそれくらいでは怒ったりしないから。
魔女は恐れ敬われる存在。親しみを持たれるよりそうして遠ざかってくれた方が良いんだよ。禁忌の森に入られてしまうよりはずっと良い。
というか、怒ってくれるんだね、エド君。ちょっと、むすっとしてる。
「何処が化け物なんだか、能天気な女じゃないか」
ちょっと小声で何を言ってるのかなエド君。まあ良いけどさ。
てい、とテーブルの下で蹴ってやると、エド君が軽く応戦してくる。ぺしぺし、と足の甲側で蹴ってやると、表面では平然としつつ同じ事をし返してくるから可愛いものだ。
こういう他愛ないやり取りが出来るくらいには、信頼関係が結べたのかなあ。
ふふ、と笑うとエド君は子供っぽい遊びだと気付いたのか、恥ずかしそうだ。
……随分と、柔らかくなったなあ、エド君も。
「なんだよ」
「何でもないよ」
良い変化だとは思うけど指摘したら拗ねちゃうから、黙って私は運ばれてきた料理を見て誤魔化すようにまた微笑んだ。