王子様の大切なもの
「ただいまー」
取り敢えず急いで帰ったのだけど、エド君を大分待たせてしまったようだ。
ソファに座って待ち構えていたエド君。
因みにウルグズの葉は洗って綺麗に一枚一枚並べて天日干しにしてあった。流石エド君。よく分かってらっしゃる。
「遅い。何してたんだ」
「んー……何というかねえ。何といったら良いものか」
果たして、エド君にこれを話すべきだろうか。
エド君の事には変わりないけど、本人に言うべきなのか。本当は聞きたい事はあるけど、踏み込んでしまって良いものか。
私の躊躇いに、エド君は眉を寄せて。
「……服から血の匂いがする。あと別の薬草の匂い」
「エド君どっかの傭兵なんじゃないの。よく分かったね。あ、言っておくけど私が何かした訳じゃないからね!?」
「分かってるよ」
「む。それはそれでどうかな。私は冷酷な魔女なんだからね」
「冷酷」
鼻で笑われた。ちょっとむかつく。
むぅ、と唇を尖らせて、ローブを脱いでエド君の隣に。
自然と隣に座ってしまうのだけど、最近のエド君は隣に座っても逃げないんだよね。昔のなつかない黒猫が嘘のようだ。
ただまあくっついてみたら嫌がられるので、そこは少しずつ慣れて欲しい。いや別にくっつくのに意味はないんだけどね。
「で、何だったんださっきのは。言いたくないなら言わなくても良いが、言えると思ったら言ってくれ」
何か事件があったと感付いているらしいエド君。
ううむ、どうしようかなあ。一応、言って駄目という訳ではないのだけど。
エド君は聞きたがってるみたいだから、言っておこう……かな?
「……えっと、シャハトの追っ手が居たというか、何というか」
シャハト、という単語に、やっぱりエド君は反応した。そりゃあ、そうだろう。エド君が居た国で、今逃げて隠れている最中だもの。
一気に申し訳なさそうになってしまったエド君。私に対処させてしまった事に罪悪感を抱いているみたいだ。
「……すまない」
「良いよ、別に言い争いになったとか戦闘したとかじゃないから。相手が魔物に襲われて負傷してたんだ。そりゃあ魔除けなしに入ったら襲われるよね」
思えば、エド君は本当に外縁部ぎりぎりだったから助かったんだよね。境界付近に居たから襲われず、且つ追い剥ぎに遭わなかった訳で。
……あの兵士さん、追い剥ぎに遭ったらごめんね。
でも金目のものとかなさそうだったから多分大丈夫。助かっただけ儲けものと思ってね。
「取り敢えず情報聞き出して、手当てして外に放り投げてきた。多分数時間の記憶は混乱してるから大丈夫な筈」
「助けたのか」
「……そのまま放置して死んで貰っても良かったんだ。私が見つけなければ同じ事だし。まあ、今回は助けておいた」
「そうか」
「駄目だった?」
エド君的には、そのままにして追っ手の可能性を少しでも減らしておいた方が良かっただろうか。
「いや。……好きで入ったのではないだろうからな」
「それでも侵入者には違いないんだけどね。……まあ、最終的に見逃したのは私だから何かあれば私がどうにかするよ」
もし、禁忌の森に大勢で乗り込んできたら、そもそもトーレスから抗議して貰うし……私の領域に入った事を後悔させてやるつもりだから。
侵犯をしたならば容赦しなくても良いだろう。魔女の怒りを思い知る事にならないと良いね、シャハトは。
「それで、ええと……多分なんだけど、エド君は生死問わず、なんだよね。エド君を探してるんじゃないと思う」
「……じゃあ何で」
「革袋を探してるんだって」
革袋、という言葉に、エド君はやっぱり反応した。反射的に懐を押さえているから、多分そこに仕舞ってあるのだろう。
エド君にとって、それは大事なものに違いない。肌身離さず持っているみたいだから。
表情の強張りからも、よく分かる。
「よく分からないけど、革袋の中身がどうしても必要らしいよ。王妃が求めているみたい」
「……やっぱりか」
やっぱり、というからには心当たりがあったのだろう。
上着の中から、そうっと優しく取り出した小さな革製の巾着。掌に載るくらいのサイズで、エド君はなんとも言えない複雑そうな顔をしている。
前から気になってはいたんだけど、何なんだろう。私はあの時見なかったから、中身は知らない。
ただ、大切なものという事だけ知ってる。
「中身、聞いてもいいの?」
「……母の形見だ。母から、俺に贈る筈だったものらしい」
少しだけ躊躇いがちに、告げられた言葉。
「……その、お母様は」
「産褥熱で亡くなったらしい。全部、人伝に聞いたんだけどな」
俺が赤子の時だからな、と肩を竦めているエド君は、悲しそうというより、困ったような表情だった。
……無神経だったかもしれない。
私にとっての母親など顔も知らない他人で、どうでも良い存在だ。
でも、エド君にとっては、そうでないんだ。
ごめん、と謝ろうとすればエド君に制される。
気にするな、と首を振って、それからゆっくりと手にした巾着を開いた。
エド君の手によって中身が日の目を浴びる。
それは、掌で包める程の大きさの、青く楕円形をした石だった。
――え?
我が目を疑った。
エド君の掌の上で輝くのは、言葉に表せない程に綺麗な宝石。
蒼穹を思わせるような、濁りは一つも見えない澄んだ青。
光に透かさずともその透明度が分かる青は、淡い燐光を内包している。
お陰で、内側から文字通り輝いている。その曇りなき青を見せつけるかのように。
誰が見ても、感嘆の吐息を零して目を奪われたままでいそうな、美しいもの。
宝石の最高峰と言っても過言ではない程に、見事な結晶だ。
ただ――見る人が、いいや、見る魔女が見れば、これは別のものに変わる。
ただの宝石なんかじゃない。この石は――。
「……これを、あの女は求めていた。たかが石の為に、俺を陥れて。気に食わなかったのもあるんだろうがな」
ただの宝石なのにな、と苦いものを噛み締めながら呟くエド君。これの為に、エド君は追われた、と言った。
確かに、見た目は神々しいまでに美しい宝石だ。人々を魅了してやまない、神秘の塊のような結晶。
美しいものが好きなら喉から手が出る程には欲しがるだろう。
でも、これはそういうものじゃない。これは鑑賞用のものなんかではないのに。真価を発揮するのは……。
「……これ、エド君のお母様が?」
「ああ。大切なお守り、らしい。俺に絶対に持たせなくてはならないもの、らしくてな。俺にはただの宝石にしか見えないんだが……」
宝石の為に人の命を奪おうとするんだから笑えないな、と掌の上の宝石をつつきながら呟いたエド君。
……うん、エド君それは手元に置いておいて正解だったよ。それは、王妃が持っていても、何の意味がないのだから。
「――そう。それ、肌身離さず持っていてね。絶対に」
「言われなくても持つが……どうしたんだ?」
「ううん、何でもない。……エド君のお母様はエド君を愛していたと思うよ」
「そうだと良いんだがな。死人に口がないように、考えていた事なんて分かりはしない」
都合よく勘違いはしたくない、と呟いて大切そうに石を仕舞うエド君。
でも、声は優しくて何処かで縋るような響き。きっと、そうであって欲しいという願いの裏返しなのだろう。
……アレクに聞かなきゃいけない事が増えたな。でも、情報を照らし合わせて確定するまでは絶対に口には出せない。
何故母親が、息子の誕生祝いにコレを贈ろうとしたのか。
考えれば簡単だけど、確証を得るまでは言えないな。
……一番は、シャハトの国王に聞くのが良いのだけど……私が近付ける筈もない。
や、正攻法でなくて良いなら会えるんだけど、流石に王様の寝所に忍び込む訳にもいかないし。
ちょっと手段を考えなきゃな、と思いつつ、改めてエド君を見る。
相変わらずの、艶やかな黒髪に王族に遺伝する青い瞳。シャハトでは不吉の証の黒髪は……とても、綺麗で、そして見覚えがあった。
「何だ」
「ううん。……ああそっか、……うん」
黒瑪瑙にも似た滑らかな黒髪を手に取って、困ったように笑う。
「綺麗な黒髪だね」
「どうしたんだ突然。というか触るな」
ぺちぺち、とちょっぴり煩わしそうに私の手の甲を叩くエド君は、払いはしなかった。
大分態度も柔らかくなったエド君に「……ううん、なんでもないよ」と誤魔化すように笑って、もう一度エド君の髪を撫でた。