魔女様もお疲れの時があります
「……うぁー疲れた……」
勿論宣言通りに二週間……どころか十日で調合した訳だけど、疲れるの何の。
寝ずに釜を混ぜたり温度調整していたから、疲れる疲れる。
急な納品になるとこういう事がよくあるのだけど、その度に結構無理なペースで作っていたんだよね。
漸く終わって後は納品なので、ゆっくり出来る。
伸びをして、くぁ、と漏れそうな欠伸を手で押さえる。
ずっと釜を見張っていたから肩凝りも激しいし体が固まってしまっていた。コンディションが最悪すぎて解放感とか爽快感が全くない。
私が調合している間、エド君はずっと刺繍やらレース編みをしていた、のだけど……エド君が町に出たい、と言い出したのだ。
私が手を離す事は出来なかったので、まあそろそろ迷子にもならないだろうという事で鍵を貸してあげた。
ぶっちゃけ私は鍵がなくても町までドア開ける。単に手間を取らないようにする為に作っただけだもの。
鍵はなくさないように、とあまり目立ちすぎないように、という言い付けをしてからついでに買い出しを頼んだ、のだけど。
……エド君まだ帰って来てないんだよね。
まあまだ帰らなくてもおかしくはない時間帯だし、エド君も大人だから心配は要らないだろうけど。魔法で変装させてるし。
万が一バレたとしても、まあ、此方に帰って来てさえすれば、別の町に拠点を移せばなんとかなる。結構に馴染んだ町だったけど、仕方ないもの。
心配しすぎても仕方ないよね、と欠伸をしながら私は取り敢えず体をほぐそうとお風呂に入る事にした。
――で、いつの間にか意識が飛んだらしくて、浴槽の縁にもたれ掛かって爆睡していた。
すっかり冷めてしまった水に浸かっていて凄く寒い。即座に魔法でお湯を注ぎ足したけど、それでも一度冷えてしまったものは中々に温まらないのだ。
というか、体がかなりふやけている気がする。私は一体どれだけ寝ていたのだろうか。
くちゅん、とくしゃみが出る。それだけ冷やしたのだろう。二時間は優に寝ていた筈だ。
ゆらりと湯船にたゆたう長い髪をぼんやりと眺めながら、そういえばエド君は帰ってきただろうか、と緩やかにしか動かない思考をつつきながら考えてみる。
窓から見れば日も暮れていて、流石にそろそろ帰る頃だろうな、帰ってきてなかったら探しに行かなきゃな、なんてゆったりと考えてはうとうと。
まだ、寝足りないみたいだ。そりゃあずっと起きて調合していたから、仕方ないのだけど。
……眠くて、湯船に浸かっていても、寒い。その癖、顔だけは熱いから困ったものだ。
そろそろ出ないとな、とゆっくりと立ち上がって、タオルで体を拭いて、着替えた所で……もう一度私は意識を吹き飛ばした。
起きたら、ベッドに寝かされていた。
体を起こそうとすると、重くてちょっと動きにくい。それどころか頭も重い。
「……起きたか」
どうやら、エド君がベッドに運んでくれたらしい。
いつの間に帰ってきたのやら、エド君が心配そうな表情で私の顔を覗き込んでいる。
「帰って来たら脱衣所でぶっ倒れてるし熱はあるしでびっくりしたんだからな。何熱があるのに風呂に入ってるんだ。もし浴槽で意識失って溺れ死んだらどうするんだ」
叱るようで優しく諭してくるエド君。
どうして優しいんだろう、と思ったら熱が出ていたらしい。
「……んー、順序が逆なの。お風呂で寝ちゃって冷えたから、風邪引いて熱出たんだと思う」
「どっちもどっちだ、ばか」
頬をつねられてしまった。
ただ、エド君は私の頬に触れた途端に顰めっ面になっていて「思い切り熱出てる」と呟く。……そんなに熱が出ているのだろうか。頭がぼんやりして体は熱いとは思っていたけど。
魔女兼薬師が風邪引くとか笑えないなあ、と苦笑する私に、エド君は「無理したからだろう」と正論を突きつけてくる。ごもっともです。
「……エド君、お使い終わった?」
「終わった。頼まれたものは全部向こうに置いてある」
「よーし、じゃあ今から……へぷっ」
「誰が動いて良いと言った。大人しく寝ておけ馬鹿なのか」
起き上がろうとしたのだけど額を小突かれてまたベッドに沈んでしまった。
普段ならこんな攻撃なんて無視出来るのに、呆気なくベッドに戻されてしまって、自分がどれ程に弱っているのかを思い知らされる。
魔女は、人間よりも病魔に耐性がある。それなのに風邪を引いた、という事は余程疲れていたのだろう。
あと、私の肉体は先天的な魔女のものではないというのも、あるんだろうけど……まあ、これは今言う事でもない。
起きたらエド君がうるさそうだし、私も多分作業中に倒れる自信があるので、大人しく寝ておく事にした。
今日はどうやらエド君が優しいらしく心配そうに此方を見ているので、付け上がってやろうと思います。
「エド君エド君、お水のみたい」
「水か? ちょっと待ってろ」
我が儘を言ったら直ぐに持ってきてくれた。
エド君に起こして貰って、水をぐびぐび。熱くて喉乾いていたから助かった。
ちょっと口から零してしまったので舌で舐め取っていたら、何故かエド君は目を逸らしてしまうのだけど。
ぷはー、と生き返った感覚に満足して頬を緩めつつ、ふらふらとエド君に寄り掛かる。
うん、エド君の事だろうから固まると思ってたよ。ほんとエド君ってうぶというか。
普通、こんなちんちくりんにどうも思わないだろうに。というかいつも一緒に寝てるから慣れて欲しい。
今日はエド君が引き剥がす様子がなかったので、そのまま寄り掛かって体を預ける。
正直、自力で起きてるのが辛いってのもあるんだけど。うーん、風邪如きで此処まで弱るとか思ってなかったよ。
……それにしても、熱が出るなんて久し振りだなあ。
熱の時に、誰かが側に居るのも。
「ふふふ」
「どうした、熱で頭がおかしくなったのか」
「失礼だねえ、ほんと。……一人じゃないって良いなあって思っただけ」
ああほんと、エド君の言う通りだ。熱で頭がどうにかしてるのだろう、私は。
こんな事言うつもりじゃなかったんだけどなあ。私は、そんな心が弱い女ではなかったつもりだったんだけど。
エド君の顔は、見えない。私が俯いて体を預けているから。
エド君は、私に何も声をかけない。かけあぐねているのか、それともかけるべき言葉はないと思っているのか。
どちらでも良かった。言葉が欲しい訳でもなかったし。
私はエド君に何を期待していたのだろうか。
エド君の胸に寄りかかっていた私は、ゆっくりと顔を上げる。
青い瞳は、ただ静謐な光を宿していて、逆に安心してしまった。
よいしょ、と声を上げて、私は自分からエド君を突き飛ばす。正しくは、自分からベッドに倒れ込んだのだけど。エド君はびくともしていないし。
ぽすん、と着地した私は、ぼんやりとエド君を見上げる。
びっくりしたようなエド君には、微笑んでみせて。
「エド君、私体は強い方だから、一日で治るよ。そんな心配しなくても大丈夫だからね。……おやすみ、エド君」
これ以上口を滑らせるのも良くないので、私は自らエド君に背を向けてさっさと寝る事にした。
しおらしい私なんてエド君は見たくないだろう。明日になったら、きっと元気だし、へらへら笑っている筈だ。
毛布で顔を隠すようにして、私は瞳を閉じた。
『――リア』
懐かしい声。居る筈のない、もう過去に置き去りにした師の声。
『……さあ、リア――』
これは夢だ。
熱にうなされていても分かる。師匠は死んでいる。もうこの世界に塵の一つも残らずに消えている。
残ったのは、力だけ。
だから、これは夢だ。夢だって分かっている。
分かっている、のに。
『……――て、おくれ』
嫌だ。その場面を見せないで。
儚く微笑んだ師匠。襲い掛かる痛み。
ああいやだ、私は。
「おい、リア!」
全部再生される前に、意識は現実に引き戻される。
私の名を呼ぶ声に、気だるいのを押しきって瞼のカーテンを開けると、薄暗い部屋と、焦ったようなエド君の顔。
私が目覚めた事で、エド君は気が緩んだように安堵したけれど、また顔を引き締めて私の手を握る。
あれ、珍しいねエド君が手を握ってくれるなんて。初めてじゃないかな、名前読んだのも。
「……どうしたのエド君、まだ朝来てないよ」
「お前が魘されていたから起きたんだよ」
「ああ、ごめんねエド君、起こしちゃって」
嘘つきだねエド君。目元に隈あるのに。
けどそれを指摘した所ではぐらかすだろうから、何も言わない。私も聞かれたくない事はあるから、お互い様だろう。
エド君は何を見ていた、とは決して聞かない。
ただ、気遣わしげに此方を見てくる。その気遣いが今ほどありがたいと思った事はない。
「……大丈夫か」
「平気だよ。ちょっと熱で魘されただけだからね」
……嘘は言っていない。熱が出て弱っていたからこそ、あんな夢を見たのだろう。
大分熱も下がっているし、あともう一眠りすれば綺麗さっぱり熱は引くだろう。
エド君は心配性だね、と微笑むと、エド君は唇を噛む。私が何も言うつもりがないと分かっているから。
優しい人だ。素直じゃないけどね。
「もう一回、寝るね。ああそうだエド君」
「何だ」
「名前、初めて呼んでくれたね。ちゃんと覚えてくれていたんだね」
名前呼ばれないから、てっきり忘れられたとばかり思っていたんだけど……どうやら、違ったようだ。
指摘にエド君は顔をさっと赤らめて「聞こえてたのか」と呻いているけど、聞こえるよそりゃあ。
……エド君のお陰で、一番嫌なシーンは見ずに済んだから感謝してるんだよ。
何で名前を読んだだけで恥ずかしがってるのか分からないけど、まあエド君なりに思うところがあるのだろう。
くすっと笑みをひとつ投げて、私はそのまま瞳を閉じる。
未だに繋がれた掌からは、優しいぬくもりが伝わる。
――今度は、悪い夢は見ないだろう。そんな気がした。
一晩中様子見して側に居てくれたらしいエド君のお陰で、私は翌日にはけろりと治っていたのだけど。
「エド君ごめん、風邪移した。誠に申し訳ない」
完治した私と入れ替わるようにエド君が風邪を引いてしまったので、私は逆に看病に奔走する事になったのだった。