28話
待ちに待った秘湯旅行1日目の朝が来た。
昨晩の雨のせいで地面はかなりぬかるんでいるが、今は清々しいほどの快晴であるためすぐに乾き切るだろう。
「英雄様おはようございます。
今日はよろしくお願いしますね」
「ああおはよう。
…………なぁマール、そんな畏まった挨拶はやめよう。
そこそこ気心の知れてる間柄だろ?」
「ええ、まあそう言われればそうですが………」
「だったら『英雄様』は無しだ。
あ、そうだな紹介しておくか」
一台の馬車を引き連れてやってきたマールは優人を見つけた途端に頭を下げる。
流石にそこまでの事をされるのは気恥しいので、話を逸らすことにする。
優人は横に立っていたニレの肩に手を置く。
「今日俺と同乗するニレだ。
マールは会った事が無いだろうから紹介しておこうと思ってな。
ニレ、自己紹介を」
「はい、ユートさんのメイドをしていますニレ・カラバスです。
どうぞよろしくお願いいたします」
「まだ小さいのにしっかりしている子だね。
自分の名前はマール・カラクラム、王国第三騎士隊隊長補佐をしています。
よろしくね、ニレちゃん」
マールがさっと手を出し握手を求める。
ニレは一瞬戸惑って優人の顔を見るが、優人が頷いてやるとぎこちないがしっかり握手していた。
特に不穏な空気になりそうでもないため、とりあえず一安心である。
「しかし英ゆ……ユートさんも物好きですね。
海棲族をメイドにするなんて」
「そうか?」
「ええ、海棲族は腕のヒレや鱗のせいでメイドには向かない種族だと言われていますから」
へぇ、と優人は素直に驚く。
しかしそれと同時に疑問も浮かぶ。
普段のニレの家事を見ても大して不憫なくやっている。
その事を踏まえると「偏見だ」と言いたくなってしまうのだが
「でもまぁ、ユートさんの事ですし上手くやってるんでしょ?」
などと言われてしまったため、優人も思うように言い返せない。
「ま、その、何だ。
ニレは良い子なんだよ、何でもそつなくこなすし、気は利くし」
「ユートさん、それは褒めすぎですっ」
「ははっ、ユートさんの気持ち分かりますよ。
こんなにいい子そうなメイドなら、種族とか関係ないですね」
「………今の発言、浮気と取ってカノンに報告してやる」
「え?………冗談ですよね?
ちょっユートさん!?目が怖いですってやめてください!!
本当に勘弁してくださいよ殺される……」
きっと何かしらの事でカノンを怒らせた前科があるのだろう。
流石に気の毒だと感じた優人は冗談だと告げる。
その時のマールの笑顔は優人にとって忘れられないものとなった。
「さて、そろそろ出発しましょうか。
───ああ、出発前に馬車の運転手の紹介をしておきますね、オトーさんです」
一瞬「ん?」となってしまったが馬車の運転手席から降りてきた40代ほどの人間の男性を見て納得する。
「運転手のオトーです。
この名前のせいでよく『お父さん』と呼ばれるんですが恥ずかしいので『オトー』と呼び捨てでお願いします」
日本ならそれでもダメだが、と優人は思うがさすがにそんな野暮な事は言わない。
「というかマールさん!!
オトーって呼んで下さいっていつも言ってるじゃないですか!」
「いやーまあ、そこは親しみを込めてというか」
「全く……………………
ではそろそろ向かいますので馬車にお乗り下さい」
「ああ分かった。
ナナ!!そろそろ出発するからしっかりついて来いよ!」
はーい、と元気な声が確認できたところで早速馬車に乗り込む。
「そう言えば、ソフィアさんとズィナミさんが見えないですね」
馬車の中は対面式でニレの横に優人が、その対面にマールが座る形になった。
先に座っていたニレはキョロキョロ辺りを見渡して、本来同乗する二体の精霊が居ないと気付いたらしい。
優人は慌てることなく、ゆっくりと腰を下ろした。
「あいつら、今日の朝まで口論続けてて眠たいから寝てるってさ。
家に防護魔法はかけてあるし、戸締りもしっかりしてるから安心しろ。
起き次第ズィナミの魔法でこっちに来るらしい」
「はぁ、そうですか。
何だか、自由ですね」
「そういう奴らだろ、精霊だし」
「ふふっ、ですね」
揺れる空間の中が、ちょっとした笑い声に包まれる。
マールは何の話をしているのか分かっていないようで、終始首を傾げていた。
「英雄………ユートさん、ソフィアの事は知ってますがズィナミ?というのは一体?」
「ああ、悪い。
この間精霊契約を交わした精霊の事だよ」
「……2体目ですか。
もう、何て言っていいか分かりませんね」
大げさだ、と首を振る優人。
「そう言えば、ここからガージス村までどれぐらいなんだ?」
「そうですねー、この馬車は速い方なので6時間程ですね」
「となれば、向こうに着くのは2時過ぎって所か」
「予約を入れている宿では少し遅めに昼食を出させるように言ってあるので、宿に着いたらまず昼食にしましょうか」
「ああ、そうしよう。
その後なんだが────」
「あっ、私もその事で話が───」
ニレも交えての旅行プラン討論会が始まり、馬車の中は声で満たされていくのだった。
いよいよ始まった旅行先で何が待ち受けるのか………
次回投稿は5/9(火)13:00予定です
※誤字脱字、感想等何でもお待ちしておりますm(__)m
同時掲載「死神が死神をやめるまで」も読んで頂ければ幸いです。




