オトコノコの本気
「オ・ト・コ・ノ・コ、だよ? 男のむすめと書いて、男の娘。
やだなー、何度も言わせないでよー」
細い白い腕のどこにそんな力があるのか、椅子から無理やり立たされた。
両者の顔が触れ合わんばかりに近接する。
めっちゃ睨んでる、めっちゃ睨んでる!
アイデンティティを脅かされた薫は、暴走しそうだ。
あ、やっちゃった、なんて思い返すがもう遅い。
顔が近づいたのをキスだと勘違いしたのか
「きゃーーー(はぁと)」みたいな歓声があがる。
その歓声がどういった意味合いでの歓声なのかは不明だ。
黄色い声に反応して、薫は恥ずかしそうに俯いて俺の襟を正した。
「ねぇ、みんな注目してて恥ずかしいから隣の部屋、いこ?」
言って、手首を掴まれた。
薫が男の娘であることを知っている男子生徒が、
ふざけて「ピューイ」と、指笛を鳴らす。
もーやめてよー、
などと言って薫は頬を朱色に染めながら左手をばたばたと上下に振った。
客観的に見れば、俺らは公認のカップルみたいだ。
でも、手首をつかんでいる腕が、
尋常じゃない程の力で引っ張ってくることを俺だけが知っている。
ずずず、っと足を引きずるようにして俺は抵抗する。
「ちょ、ごめんって。ごめん、言い過ぎた。俺が悪かったよ」
「何言ってるのー。もう! オンナノコに恥かかせないでよー」
オトコノコじゃなかったんかい、と突っ込みなど入れられない。
怖い、えらく怖い。
「朋夏、お前ヤンデレだろ! お兄ちゃんを助けてくれ、まじで」
恥も外見もなく、朋夏に空いている方の手で椅子ごと抱きついた。
薫が暴走してるなら、こっちだって最終兵器を覚醒させてやろう。
お兄ちゃんLOVEという名の殺戮を見せつけてやる。
俺が助かるならこの場が血の海に沈んでしまったって構いやしない。
しかし、朋夏は無情にも言い放った。
「うーん。薫なら別にいいかな。
身体は男の子なんだし、それに私もちょっと興味あるもの」
サノバビッチ!
妹はまったく使い物にならない。
周りに見渡すが、みんな一様に好奇の視線を
送ってくるだけで誰も助けようとはしてくれない。
酷いヤツなんかは、手に8mmビデオカメラなんぞを
持って撮影まではじめている。
創作学科の人間としては、その行動は正解ではあるが。
薫にずりずりずりと引きずられる。
ついには、俺は朋夏が座っていた椅子の足にしがみつく形になる。
俺と椅子と朋夏の重さが薫にかかっているはずだが、
それでも少しずつ椅子ごとずっずっずと音を立てながら動いていく。
椅子の背にまたがった姿勢で朋夏が見下ろしてくる。
下から見上げると、
スカートの端が垂れ下がっているのを覗くカタチになる。
太もも露わになっている。そこはかとなくいい匂いがする気がした。
重要な部分は隠れて見えないけれど、少し淫靡だった。
しかし、当然ながらそんな情景を堪能している暇などない。
「アンタいつまでデレデレしてんのよ!」
唯が椅子を握っていた俺の手を引っ張り始める。
面倒くさいのが参戦した。
痛い、めっちゃ痛い。
裂けちゃう、さーけーちゃーうー。
自分の頭の中で繰り広げられる極寒な光景にげんなりしつつ、
現実で起こっている痛みに身体が悲鳴をあげる。
「まじで痛いよ。ちょっと、やめて。
いや、フリとかじゃなくて本当に痛い……」
かと言って、唯も薫も体重をかけながら引っ張っているので、
手を離されると倒れる込むことになる。
これがラブコメなどの創作の世界であれば、
俺かどちらかにがかぶさっていつの間にやらキス!
とか、あるいは、唯か薫のスカート
(そう。こいつは女装までしているのだ。
しかも、ふりふりのスカートでちょっと可愛い)
の中に俺が頭を突っ込むとか、になる。
が、これは現実だ。
創作のように誰かに見られる事を
前提としたシチュエーションになることはない。
俺らキャラ学の生徒は誰かに見られる事を前提とする必要はあれど、
そんな(偶発性を装った)ラブコメ展開を計算して行うのは無理だ。
それは演出の中の世界であり、
タイミングを見てカメラを切り替えるとかしないと不可能!
現実は無情である。
無情なのが現実なのである。
俺は自分の為にも薫の為にも、あるいは唯の為にも必死に耐えた。
ラッキースケベなど、現実にはありはしないのだ。ありはしないのだ。
伸びあがった腕が軋みをあげ、両腕が痛くても耐えた。