劇を終えて
幕が下りきってから、朋夏は俺から離れた。
音を立てないように立ち上がって、舞台を後にする。
長い通用口を抜けて、俺たちが使っていた楽屋の前まで歩いた。
ドアを開けるのを一瞬ためらって、すぐに思い直して、ノブを捻る。
重苦しいドアから楽屋の情景が徐々に見え始め、
俺は意を決して楽屋の中に入る。
「選べなくてごめん」
集まった視線に対して、俺はすぐに頭を下げて謝った。
「即興劇やって欲しかったんだから、僕の脚本なんてどうだっていいよ。
どうしたんだよ、春人。劇、よかったじゃないか。」
「いや、まぁ、そうではあるけど」
「なーに煮えきらないこと言ってんだ。
結太の言う通りよかったじゃないか。
袖で見てたけど、終わり方もそれっぽくまとまってたし、上出来だろ」
「いきなり、脚本にまったくないこと言われて、びっくりしたけどねー」
楽しそうに薫が笑う。
でも、その頬に涙の跡が残っている。
「いや、劇はよかったのかもしれないけど、
でも、俺は誰かを選ぶべきだったよ」
「は?」と結太が言って、
「だから、別に脚本は無視しても良かったんだって。
リアルな即興劇がやりたかったんだ。
その点で言うと、みんなの表情とかリアルで、
いや、演技じゃなくてリアルにびっくりしてたんだろうけど、は
はは、よかったよ」
「そういうことじゃなくてさ。
こういう機会を与えてもらったのに、誰も選べなかったことを俺は……」
「もしかして、春人くん」
大泣きして、まだ涙声の直ってない八代が俺を見据えた。
「さっきのが舞台を借りた告白かなんかと勘違いしてるんじゃない?」
小馬鹿にしたような声色を作って八代が言う。
あれだけ涙まで流させたのに、
そんな言葉までを言わせてしまって、俺は申し訳ない気持ちになる。
『これ以上、私に待てっていうの? こんなことまでさせて!』
さっきの八代の言葉が蘇り、俺の胸に突き刺さる。
俺は二の句が継げない。
「ふっ」
誰かが笑った。
紅音先輩だ。
「そ、それはないでしょ、流石に。ふっ、ふ、ふ。
いくらこいつがアホだからって、
そんな、え、なんて言ったっけ?
そうそう『舞台を借りた告白』、それ。それはないでしょ」
紅音先輩は悲しい時、いつも以上に明るく振る舞おうとする。
最年長だから、場を和ませようとしているんだろう。
1歳しか違わないのに、お姉さんであろうとする。
「え、ほんとなの? 春人くん」
俺が黙っていると、薫までそんな事を言い始めた。
「え、まって、春人、なんか本気っぽくない?」と唯。
あれ? と気づいた時には、室内の全員が笑っていた。
あれ? と思ったのは、その笑いが演技っぽくないからだ。
人って演技で、こんなにおかしそうに笑えるもんなのか。
俺は自分がまだまだだな、ってことを痛感した。
演技する上で、笑うのが一番難しい。
ずっと演技演技の人生だったのに、
俺はやっぱりまだまだなのかも知れない。
「ほんとごめん、みんな」
俺の言葉を聞いて、笑い声が大きくなった。
「ちょっと、春人お前天然かよ!
新しいキャラ見つかったじゃん! よかったな!」
ばしばしと俺の肩を叩きながら、紅音先輩が言った。
なんか、痛いんですけど。
手加減してないっぽいんですけど。
他の人より、笑いの濃度が低い結太に目を向ける。
状況を説明して欲しい。
「あっはっはっは。いや、笑っちゃ悪いな。ごめん春人。
リアルさが欲しくて、そういう風に仕向けた部分はあるけど、
こ、こ、こんなに春人が純粋だと思わなかった。ごめん」
所々、笑いを噛みしめるようにして結太が言った。
腹を抱えて、満面の笑みの八代は、
俺の肩に寄り掛かってみんなに俺を紹介するように俺を押し出す。
「くっくっくっくく。春人くん、サイコー。面白過ぎ。
今までつまんないヤツだと思ってたわ。ごめんね」
……なんか馬鹿にされてる?
俺は、さっきの劇の出来事が悪いとは思いつつも、
でも、少し腹が立ってきた。
「確かに俺が悪かったのは認めるけど、
そんな言い方するのはないじゃないか。
八代さんの気持ちに気づけなかったのは、俺が悪いよ。
でも、だからってそんな風に笑うなんて」
「きゃははははっ。
もう、これ以上笑かさないでよ。
そ、それマジで言ってんの? え? 私って春人くんが好きなの?」
「恋人同士の役をやって、
役の延長で相手を好きになっちゃうこと、あるじゃん」
「え、うん、そりゃ、そういう事もないとは言い切れないけど。
え、なに、それマジで言ってんの?」
八代は、きょとんとした顔をしている。
……まだ自分の気持ちに気付いてないのかもしれない。
それとも、素直になれないんだろうか?
「そうでもなきゃ、あそこまで怒れないし、あそこまで泣ける訳ないだろ」
「やっぱマジだ。マジなんだ、この子。
天然記念物! 凄いよ、この才能!」
「春人くんかわいー」なんて言いながら、薫が腰の辺りに抱きついてくる。
楽屋の笑い声がさらに大きくなった。
むしろ、笑い声というよりは既に喧騒だった。
みんな、身体を折って、腹に手を当てて笑っている。
「ちょ、ちょっと、みんなお兄ちゃんを笑わないでくださいよ。
よ、よかったよ。お兄ちゃん。劇、すっごくよかったよ。
くっくくく。わ、わ、私感動しちゃったよ。
く、くふふふふ。みんな笑わないでくださいよー。くくっ」
朋夏は、笑わないでと言いながら、笑みをこらえきれず超笑ってる。
口に手を当てて、笑みを抑えようとしているけど、
隙間から哄笑が漏れている。
俺は、みんなが場を和ませる為に笑ってるとかじゃなくて、
完全に俺のことを小馬鹿にしていることを理解した。
恥ずかしいという感情は俺には、なかった。
一人一人が楽しそうに笑うのを見て、俺はどんどん真顔になっていった。




