舞台袖での準備
今回演じる作品は、あの日、ラブコールを貰って以来、
さらにみんなに恋心を加速させてしまっているように見える。
最初は、ヒロインルートの甘々なイベントを斜めに見て
小馬鹿にしている感じが多少なりともあった。
けれど、何度も繰り返すことによって、
みんな真剣そのものに変わっていった。
あのやる気のない八代ですら、ヒロインルートでは、
ぐっと引き込まれるような演技で、俺に迫ってくる。
そして唇を重ねる(ように観客に見えるくらい顔を近づける)。
自分のルートを選ぶのは作品として不適切だと言った八代。
選ばれる可能性の最も薄い八代ルートを彼女は懸命に演じる。
普段、「全部面倒。なにもやりたくなーい」なんて言っているのに、
ヒロインルートの彼女は真剣そのものだった。
他のヒロインたちだって一緒だ。
紅音先輩には1年の時から先輩として凄くお世話になっている。
出会った当初は「こんなからかいがいのある弟が欲しかった」
と言っていたが、何度も恋人同士の作品をやっていくうちに、
その視線は弟を見る目ではなくなってきている。
紅音先輩は、付属の大学に行くと言ってたが、
俺にもそうするように何度も薦めてくる。
まだ一緒にいたいと思ってくれているのだろう。
薫と朋夏が、仲がよくていつも一緒にいるのは。
境遇が似ているからだ、と前に朋夏が話してくれた。
薫の家は、どうしても女の子が欲しくてそれを薫に押し付けた。
女らしく生きるように、と。
小さい頃は、それが自然なことだと思っていたらしい。
でも、少し大きくなれば異常だということがよく分かる。
薫は、『男の子だからこそ、女らしくありたいと思う』
とよく言うけれど、それが本心からの言葉なのか、分からない。
唯とは幼馴染で、家の外に出ればずっと一緒にいた。
俺と朋夏が蔑まれても、俺たちといることで唯自身が傷つけられても、
それでもずっと一緒にいてくれた。
いくら感謝してもし足りない。
小さい頃から俺に好意を寄せてくれていることは、よく分かってる。
鈍感系なんてふざけて茶化さないと、
俺たちの関係は進み過ぎてしまうだろう。
それが俺には怖かった。
朋夏。
朋夏のことはどう考えていいのか分からない。
孤児院の友達。
幼馴染の従姉妹。
最愛の妹。
桐原冬人、義父さんの言いつけを守るなら、
俺と朋夏は結婚しなければならない。
結婚したらどうなるんだろう。
そして、結婚しなかったら俺らはどうなるんだろう。
俺には何も分からない。
お兄ちゃんなのに、何も特別なことはしてあげられない。
俺は今の曖昧な関係が好きだった。
決断をせずに出された選択肢を放棄すれば、今が続くと信じていた。
いや、それは嘘だろう。
俺だって、こんな毎日がずっと続くなんて思っちゃいない。
けど、それを出来るだけ引き伸ばしたかった。
それだけだった、はずなのに。
この1ケ月、あっという間に過ぎ去ってしまった時間は。
たった1日の中の数時間をあっという間に消し去ってしまった。
「『あいまいガールフレンド』出演のみなさん、そろそろ用意してください」
実行委員の生徒に言われて、俺たちは練習を中断してスタンバイする。
単なる学園もののラブコメディなので、
衣装も特殊でもなんでもなくて、既に着替えている。
後は、心持ちを確かに持つだけだ。
「春人ー。誰を選ぶのか、私にだけこっそり教えてくれよ」
紅音先輩が近寄ってきて、ニヤニヤと楽しそうに笑っている。
でも、目だけは本気さが潜んでいる。
……ように俺には見えた。
「勘弁してくださいよー。
今までの全部無駄になるじゃないですかー」
俺は困っている風を装う。
俺の目にどうか本気さが漂っていませんように、と願って。
「もー何やってのよ、春人。
もう始まるんだから、気を引き締めなさいよね!」
唯が怒ったような響きで言った。




