悩み
脱衣所の女性用籠の蓋が開いていた。
自分で下着を見るなと言っていたのに、なんともだらしのない限りだ。
俺は目をそむけながら、脱衣籠の蓋を閉めて。
その隣にある男性用籠の蓋を開けて脱いだ衣類を放り込む。
湯船に漬かると、身体が弛緩してため息がでる。
けれど、昨日までと違って肩のコリや身体の怠さはそれほどでもない。
精神的にも胸にわだかまっていた渦だか
霧のようなものがすっかりと抜け落ちた気がする。
何年も四六時中演技をしてきたとは言っても、
慣れることはあれ、知らない内に重りにはなっているのだろう。
それは朋夏も。
そして千秋も。
朋夏は結婚できる年齢を過ぎた。
俺も来年で18歳になる。
朋夏は義父の言いつけを守って俺と結婚するつもりでいる。
俺以外の人間と結婚するという可能性を端から捨ててしまっている。
選択肢が多すぎる事が良い事だとは思わないけれど、
それでもたった1つしか道がないよりは選ぶ余地があった方がいいだろう。
何も来年すぐに結婚という事にはならないだろうが、
そろそろ真面目に別の選択肢を与えてあげないといけない。
長兄の俺が義父に逆らうべきだ。
もしかしたら、義妹たちだってそれを期待しているかも知れない。
我が家は演技期間の合間に休憩期間が入り、
演技期間の関係が一度リセットされる。
かと言って、休憩期間に一切の演技をしないという訳じゃない。
誰だって、少なからずは演技をする。
コミュニケーションを円滑にする為に。
コミュニケーションを円滑にし過ぎない為に。
桐原の家ではどこまで言っても演技は切り離せない。
元々、俺らは兄妹ではない。
個別に集められた養子でしかないのだ。
ぎこちなさを何年も経過した後に今がある。
血の繋がりもない俺らは、少なからず
演技をしないと相手と交流できないのだ……。
旧い記憶が思い起こされ、脳裏に数々の光景が浮かぶ。
それらは全部、この家の中でのモノだ。
同じような情景がずっと続くから、
それが時系列を持つのか全然分からない。
同じ事を始めて、終わらせて、そして繰り返す。
何度も。
何度も。
何度も。
こんな事をやって、こんな事を監視していつになったら義父は飽きるんだ?
そう思わずにはいられない。
学校の演劇とは違って、家での演劇はループでしかない。
休憩期間で関係がリセットされて、
演劇期間でまたゼロから関係が始まる。
ぎこちない兄妹の恋愛を始めなければならない。
口には出さないけれど、本音では話せないけれど。
俺は「面倒」という言葉以外にも言いたい事が沢山ある。
妹だって、きっとそうだ。
「いつまでこんな事をやればいいんだ」っていう不安が常にある。
演技は人を蝕んでいく。
最初は演技をしていたつもりでも、
そういった行動や言動に自分が縛られていく感覚を俺は知っている。
鈍感な人間であれ、と言われて俺はそれを演じた。
それがいつの間にか、
俺の性格そのものになっていく気がして俺は恐れている。
だから、俺は自分の事を頭の中では超敏感系
(そもそもそんな言葉は存在しない)とか
自分を茶化すようにしないと間が持たない。
元々の自分を保てなくなってきているのだ。
物語の主人公で鈍感と呼ばれる人間は多い。
それは単なる物語の構造上でそういった性格の方が物語を広がらせる
(あるいは延命させる)ことができるから、そうなっているだけだ。
可愛い女の子が沢山いて、
誰かを選んでしまうと物語が収束していってしまう。
だから、主人公を、特に恋愛において鈍感にすることで
物語が狭まっていくのを防いでいる。
その方が都合いいから。
でも、と俺は思う。
それって他人の気持ちを踏みにじる行為じゃないのか?
他人に好意を伝える事は勇気のいる事だ。
それを「聞いていなかった」だのというのは不誠実だ。
不誠実だと、俺は思っている。
そして、俺はそんな人間にはなりたくない。
これは俺だけの問題じゃない。
妹だって、キャラ学のみんなだって少なからず同じなはずだ。
他人から言われたキャラ性を演じるなんて、
自分をすり減らしていく事に他ならない。
演技が性格を浸食していくのを防げない。
だから、部活のグループのみんなで言えば、
メンバーを固定してグループ内で演劇をしていくのは良い事じゃ無い。
世間のニーズから、恋愛を避けて通る事はできないから
おのずと男に好意を寄せるようになる。
濃淡の差こそあれ、既に俺のグループでそうなっている。
好意は演劇の中だけだと言う人が多いだろうけど、それは嘘だ。
元々は接点すらなかったはずなのに、
そこには確かに好意が存在しているし、育まれていく。
俺はその作られた関係性が、どうしても不安で、それに……、




