世はすべてこともなし
「仲里くん、演技の方はどうだった?
あたしの所で直すところとかあるかな?」
「伊本さんは、基本的に良いんだけど、
もうちょっと前に前に出てほしいかな。
もっと掛け合いの部分でキャラクター同士の主導権が
行ったり来たりしている感じが欲しい」
唯は唇に手を当てて上を向き、
それから分かったというように頭を上下に振った。
「あと、朋夏ちゃんなんだけど」
急に名前を呼ばれて、唯の隣にいた朋夏は肩をびくりとさせた。
結太の方に視線を向ける。
「主役ってことで緊張してるのかな?
ちょっと演技が堅いかもしれない。
いつも通りやってくれればいいんだけど」
「いつもどおり」
「そう、あんまり劇の事を気にしなくていいよ。
いつもの部室でのやりとりをそのまま出してくれる感じで良いんだ」
朋夏はぴんと来ないのか、頭を傾げる。
「……分かりました。やってみます」
そんな事より、と前置きをして紅音部長がずんと前に出てきた。
「おい、仲里。私はどうすりゃいいんだ」
「望月部長は特に俺からは言うことないです」
「なんだよ、それ。私にも愛のあるお説教くれよー」
「さっきの所、先輩の台詞数える程しかないですし。
指摘しようにも無理ですよ」
「私の出番もっと増やせよー。
唯一の年上なんだぞ? もっと、演出していけよ。
先輩の魅力ってもんをさ! 希少価値だろー?」
希少価値は「希少価値だろ?」なんて言わない。
希少価値ってのは、
消え入りそうな自分をあくせく必死で生きるようなモノだ。
でも、紅音先輩のそういった強引さが俺は好きだ。
時には、強引さが想像もしてなかったような場所に運んでくれる。
気がする。気がするだけなんだけれど。
まぁでも思いきりの良さとか、そういった性格ってのは、
はっきりしていると見ていてさっぱりした気分になれる。
「まったく、みんな文句ばっかりだよ。
ついでに聞くけど、春人は何か言いたいことはある?」
隣にいる結太が声をかけてくれる。
でも、俺は物語に関して言いたい事は特になかった。
「いや、別に。
いつものように引っ張り回されてるだけで終わってくれるから、
俺としては凄くら楽だよ。リラックスしてできる」
リラックスしちゃ駄目でしょ、
と周りのみんなが俺の背中を叩きながら笑う。
そりゃそうだ。
俺は鈍感系主人公なんだから、どぎまぎしてたりしなきゃ駄目だ。
でも、結太の演技指導が入らないって事は、
俺はカメラの前ではちゃんと役割を演じられているのだと思う。
俺が頭の中でリラックスしていたとしても、それはカメラには映らない。
そして、カメラに映るのは鈍感で優柔不断でどぎまぎしてて、
それでいてなぜか憎めないようなキャラなのだろう。
そんな抜けている所にヒロインたちは惚れたり萌えたりして、
主人公は優しいから放っておくと誰かに取られちゃうんじゃないかって、
びくびくどきどきしながら主人公に近づいてくるのだろう。
言葉にすると凄くチープだ。
でも、そこに何か見出せるものがあるからこそ読者はいるんだと思う。
演じている側の俺には分からない何かがそこにあるのだろう。
一仕事終えた後のみんなは、やりきったとでも言うように笑っている。
キャラ学は毎日が文化祭とか、その準備期間みたいなもんだ。
みんなで何かを作るってことは、思っている以上に大変で清々しい。
だから、一区切り終わる度に「いやー疲れた」
とか言って笑いながら休憩をいれる。
その中で、俺と朋夏だけが演技をしている。
みんなと一緒に笑って、騒いで。
それから、少し悩んだフリをしたり、しんみりしたりするフリをする。
いつもの帰り道、「朋夏ちゃん最近元気がないね」
とか、唯は気を使いながら世間話をする。
その会話の中から、
朋夏の気持ちのとっかかりを掴もうという意図が見え隠れした。
唯本人には、その意図が漏れてしまっている事に
気づいていないのかも知れない。
でも、その気持ち自体は有り難い事だと思うから、俺は唯に感謝する。
朋夏がどういった自分を演じているのかは、
外から見れば分かるけれど、内はどうなっているか分からない。
朋夏は唯に何を聞かれても「ええ」とか「はい」とか心ここに非ずだ。
朋夏は俺の隣で歩き、朋夏に話かける為にもう一方の隣で唯は歩く。
俺の隣には朋夏以外の女の子はいない。
世はすべてこともなし。