アイしてる
結太の作品である『「ツンデレ」キャラの人間関係構築に関する考察』
は正当に評価された。
これを見るだけでツンデレのテンプレートを網羅できる作品であった為、
よく出来ていると色々な人が褒めている。
アニメエンジンを通してアニメ化してはいるが、
元々の役者である俺と唯も同様に高い評価をしてもらって万々歳だった。
けれど、監督兼作者である結太は満足がいかないようで、
しきりに頭を掻き毟っている。
上位入選、2位と言う結果が気に食わないらしい。
順位がというよりは、1位の作品そのものに
完膚なきまでに叩きのめされた、と本人は言っている。
1位に輝いたのは、『アイしてる』という作品だった。
俺もこれを見たけれど、率直な意見としては
「え? これ規約違反だろ?」と作中ずっと思っていた。
出てくるキャラクターが3人いたのだ。
課題の前提として、登場人物は2人だけという話だったから
どう考えてもおかしい。
冒頭部から3人出てきて、どういうことなんだ?
と考えている中、1人の男の子を巡って2人の女の子が
延々と争っているという作品だった。
ラストシーンになって、その理由が明かされる。
片方の女の子は、実は男の子が作った人工(A)知能(I)を
搭載したアンドロイドでした、という事が明かされて、
これまたびっくりさせられた。
『アイしている』の「愛」と「AI」をかけている訳だ。
ふーん。
確かに2人の女の子の会話がどうもかみ合わないな、
と思っていたので納得がいったけれど。
機械と人間だから、話しに齟齬が生じていたのだ。
でも、それを知った後でも「いや、それってありなの?」
という気持ちは拭えなかった。
女の子同士のテンポが良い会話の応酬などは飽きなかったけれど、
思うのは「それって、ただのこじつけでしょ?」と言う感想だった。
そういうのが認められるのなら、
同じようなテンポの良さはいくらでも用意できたようにも思える。
その事を落ち込んでいる結太に言ってみたら、
そんな事は分かってる、と怒って言った。
「そういう話じゃないんだ。
創作活動ってのは、本来すべてがこじつけみたいなもんだ。
『そう都合よく行くわけがないだろ』ってね。
結局、何を表現したいのか、だよ。
だから、
こじつけでも良いからよりよい表現の仕方を模索するべきだったんだ。
それでもっと良い作品を作るべきだ。それが作家というものだ」
頭の中の言葉を吐き出してしまうと、結太は落ち着いたらしい。
「ごめん」と謝って、結太は肩の力を抜いた。
自分の事が許せないんだろう、
それを他人にぶつけた事を悔いているようだ。
「こじつけだろってのは、教師たちも思ってるはずだよ。
けど、それを覆すくらい良い出来だった。だから1位なんだ」
確かに良い出来ではあった。
それに、こじつけとはいえ課題の前提条件を逆手に取っている。
だからこそ、最初から最後まで「え?」の連続で、
時間が早く過ぎていったのを思い出した。
特に最後が驚かされた。
AI搭載アンドロイドは、実は争っている女の子を基にして作られていた。
男の子は、女の子に憧れを抱いていて、その子をストーカーして
情報を集めて、それらを機械として実現させたのだ。
皮肉なことに、ストーカー騒ぎのせいで憧れの女の子が
やっと振り向いてくれた。
そして、冒頭部の喧嘩から始まる訳である。
その喧嘩の模様を見て、男の子は憧れていたはずの
女の子の知らない一面を知っていく。
そして、女の子に幻滅し、
最後には自分で作ったAI搭載アンドロイドを選んだ。
男の子は、女の子の表層しか見ておらず、
しかし、自分が好きだったのは表層だったんだと言って、幕を閉じる。
こういう物語は、大抵は人間側を選んでグッドエンド! になる。
だから、ちょっとだけ驚いた。
とはいっても、別段それほど凝った話でもない。
課題を逆手にとって、驚かせる事だけを考えて作った作品だろう。
けれど、それを「この学園でやることの意味」みたいなのを俺は考えた。
考えさせられた。
俺たちは表層を演じ切る。
いくら中身を取り繕っても、俺たち本人がそのキャラじゃない限りは、
結局はどこまで役になりきれるか、という話でしかない。
つまり、
表層を取り繕っていることをどれだけ感じさせないか、でしかない。
その演技を教官やら友人やらお客様に見てもらうのが、
俺たちキャラ科の人間だ。
仮にその演技をしている誰かを愛してしまったとしても、
それは表層であり、その人そのものでは足りえない。
そんな表層を愛してしまったら、それは悲劇だろう。
いや、そもそも他人の表層以外の部分を見ることなんて可能なんだろうか?
関係性が変われば接し方が変わる。
そういった部分を含めて、
他人を理解しきることなんて可能なんだろうか?
現実には台本なんて存在しない。もちろん心理描写も。
フラグや好感度、なんてある訳がないし、
ハッピーエンドの後にも退屈な日常という続きが待っている。
人生のある期間だけをピックアップすれば、
誰もがハッピーエンドを持っている。
けれど、現実の物語は死ぬまで続く。
だから、大抵の人間はハッピーでもバッドでもない、
平坦な日常を過ごしていくのだろう。
ずっと。