8.試験・Ⅱ
※注意!
非常に不快かつ不潔な内容を含んでいます。
「ではこれより試験を開始する。」
試験官がこれまでどおり練兵場で凛とした声を上げた。
恵とルトロは試験の日まで交流を深め、互いに全幅の信頼とまでは言わないが、それなりに互いの事を把握することができていた。
「試験内容は簡単だ。とにかくこの森を逃げ回ってもらう。期間は一ヶ月。ルトロ一等候補生に地図を持たせる、その地図に試験エリアが記されている。その範囲内を歩逃げ回るだけだ。」
ルトロに一枚の紙が手渡される。この世界には皮紙しかないと思っていた恵は、植物由来であろうその紙に少し驚いた。
「貴様らが出発した三日後に、捜索隊が出発する。捜索隊に捕獲されると試験は失敗とみなす。ケイ、貴様がリーダーだ、ルトロはケイの判断に従え。以上だ、質問は許可しない。直ちに出発しろ。」
恵とルトロは追い出されるように森へと出発した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「追手の規模や装備、性格とかは教えられるか?」
森に入り、一時間ほど歩いてから恵はルトロに訊いた。
「教えられないし、そもそも私にもわからない。」
「地図は…見せてくれないんだよな?」
「ああ、重要な機密情報だ。絶対に見せられない。領域外が近くなったらその都度、私が警告する。」
なんとも不親切且つ不利な訓練だ。とりあえず恵は山から離れようと南の方角へと進んでいる。
「とりあえずここで一旦休憩。これからどうするか考える。」
「了解。私はケイの判断に従うよ。」
恐らくルトロは自分の試験官も兼ねているのだろうな、と恵は考える。人を適切に評価するのは重要な役職には欠かせない能力だ。同時に、一等哨戒兵候補なる役職がどの様なポジションのものなのかはわからないが、候補生が試験官というのは何となく気が楽になる。
「とりあえずは水源の確保を目指そう。捜索隊とやらが出発する三日間で根拠地の策定と構築を目標にする。なにか意見や質問は?」
「特にない。」
ないってこたないだろうと恵は思ったが、ルトロはひたすら恵に追随する気の様だ。少しだけ目の前のエルフの試験結果が心配になる。
「これから話すのは俺の推測で、独り言だと思ってくれていい。」
恵はそう前提したうえで話し始める。
「俺がこれまで拘束されていた練兵場は、俺が偵察していたオークの集落の真北に位置しているんだと思う。その集落から東に進むともう一つオークの集落があって、その近くに川が流れていた。その川は練兵場の東の森…つまり現在の試験エリアにも流れているはずだ。」
恵はルトロの瞳を見ながら話していたが、エルフの濃い黒色の瞳からは何の反応も得られそうにない。
「というわけでその川を目指そうと思う。意見質問等あればどうぞ」
「ない。ケイがリーダーだ、部下の私はその決定に従うだけだ。」
「…自分で言うのもなんだがルトロはそれでいいのか?俺がドジして捕まったらルトロの試験結果にだって響くだろう。」
「…答えられないな、今の発言には。」
なんとも秘密主義の相棒を持ってしまったなと恵は思いつつ、進路を南東にとり進んでいく。逆にルトロは恵の評価を上方修正した。
(普人種の男と聞いて失望していたが、中々優秀なようだな…この三日間の緩んだ顔つきとは違う顔になっている。司令部の位置の推定も見事だ。上官らの過大評価もあながち間違っていないかもしれない。)
恵とルトロは食糧となる物資を調達しつつ進む。食べられるキノコや木の実についての質問に関しては、ルトロは答えていた。恵は他人との会話に飢えていたため、積極的にルトロに話しかけた。対するルトロは試験中に無駄話をする恵に眉を顰めていた。
「なぁケイ、まだ捜索隊は出てないが少し油断しているんじゃないか?無駄話が多い気がするぞ。」
「んっ、ああ、そうか、ごめん。うん、ごめん」
動揺する恵にルトロは不思議そうに首を傾げる。
(ま、まずいな…自分でも驚くほどに俺は他人との会話に飢えていたらしい。ルトロは同格…まぁ今は部下待遇だからか口が軽くなるな。)
「そ、そういえばルトロは俺のことどれだけ知っているんだ?試験官…とか君の上司にあたる人物から何かしら聞いてるだろう。」
注意されたことで動揺し、それを悟られぬように話をそらそうと恵は考えたが、結局それは無駄話になる。
「何を動揺しているんだ…?まぁまだ雑談をする余裕があると考えようか。どれだけ知っているか…うんこれは話してもいいだろう。」
そう言ってルトロは恵について知っていることを話し出した。恵の予想に反してルトロは恵について多くの事を知っていた。この世界とは違う異世界からやってきたこと、恵の母国、その文化や科学技術や政治形態、恵の祖父についてまでルトロは知っていた。
「お、驚いたな。そこまで知っているとは…そこまで知っているってことはじいちゃんはやっぱり君らと何か関係があったんだな?」
「エイジ・オオイについて詳しくは答えられんな。だがケイの母国やその世界については興味深かったよ。こことは全く違う…まさに異世界だ。にわかには信じられんな。」
「俺としてはこっちの世界の方が信じられないけどね。まぁ文明はだいたい俺のいた世界の千年くらい前?のものと似ている気がする。…歴史について詳しく勉強しなかったから自信はないけど。」
この世界に来たばかりの、まるで海外の映画の世界に入り込んでしまったような感覚を恵は懐かしく思い出す。
「けど向こうには魔法なんてなかったから一概にこっちの技術が劣ってるとは言えないかもなぁ。向こうの科学技術も今思えば魔法と大して変わらないようなものもあったけど。」
「魔法は限られた者しか使えないが、そちらの科学技術とやらは使い方さえ訓練すれば誰でも扱えるのだろう?そちらの方が便利そうだがな。」
「あっちには病気を何でも治す術はなかったからな。技術の頂点だけ考えればどちらかが優れていると判断するのは難しいだろうね。まぁこっちでも完全回復魔法はごく限られた人しか受けられないらしいけど…おっ日が暮れてきたな」
「そうだな。野営の準備に入るか」
恵とルトロが話しながら歩いているうちに、日が暮れようとしていた。回りが背の高い木々ばかりなので、早めに野営の準備に入る必要がある。
「うん、野営地を作ろうか。といっても俺の野営地作りは君らのものとは違うかももしれないけどね」
「別にかまわないよ、早く始めよう。」
そういうと恵はルトロに穴を指定した寸法通りに掘ることを伝え、自分は周囲に質素な警戒装置を設置するために離れて行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
暗い中で恵は目を覚ます。天井の穴から漏れる弱い朝の陽ざしを頼りに壁に付けた傷を見る。
「今日で三十日目、だな。ルトロ。」
恵は暗闇に話しかけるが、返事はない。ルトロは衰弱して身体を横にし、返事もままならない。馬鹿げた方法で捜索隊をかわし続けた男を弱弱しく睨むだけだ。
「そんな顔するなよ。ルトロの案じゃ絶対捕捉されてたって…まぁ、ルトロの魔法のおかげで『家』もできた。感謝してるよ、君がいなければ試験は絶対に失敗していた。」
恵とルトロは試験開始から二日目の昼ごろに川にたどり着いた。そこで恵は川から少々離れた地点に拠点を構え、残りの日数をひたすら見つからないことを祈って動かずに隠れ続ける計画を提案した。ルトロは強硬に反対した。期間中ひとつの場所に留まらず、絶えず移動を続けて逃げ回るべきだと。ルトロはそう教育を受けていたし、何より三十日近くをひとつの拠点から動かないで過ごすなど不可能だと思った。
「人間やろうと思うとなんとかなるもんだなぁ、ルトロ。」
恵は労わるようにルトロの銀色の髪を撫でた。脂ぎってゴワゴワになっていたが、恵にはその原因が自分の手が不潔なのかルトロの髪が脂まみれなのか分からない。ルトロが先ほどより強い視線で恵を睨み、恵の手から逃れるように毛布の中でもぞもぞと動く。
恵は大きな木の根元を掘り、その中をルトロの土魔法で多少強化し、拠点とする。掘り返した土は川まで運んで少しずつ流した。更に土を魔法で固めて水瓶を数個作り、川の水を入れて貯蓄する。食糧は途中で採取した木の実やキノコや蛇などの小動物、またそれらが少なくなってきたら木の根やミミズなどの虫を口にした。恵は祖父との生活で非常に悪食になっており、大抵の生物ならば毒のないものを除き口にできる精神を持っていた。ルトロは木の根や虫を口にするなど考えたことなどなかったので、激しく恵に抗議したが、それしか食べるものがないので仕方なく口にしていた。火が使えないので食材は全て未調理のまま口にしている。寄生虫が怖かったが帰還してから治療を受ければいいだろうと恵は考えていた。流石に試験中に受けた怪我や身体異常については治療が受けられるだろう。
土の中は通気性も最悪で、捜索隊の魔力探知を嫌って魔法も一切使えない状況だった。身体は水を節約するために身体を洗えず不潔で、身体洗浄魔法も使えない。かがむのが精いっぱいの狭い拠点内に二人の体臭と排泄物の臭気が充満している。大して食料も水も摂っていないので糞便の量は少なかったが、それでも用意した便所用の穴がほぼ満杯になるほどには排出している。
「いててて…屈んでばっかだから腰が痛い…ついでに葉っぱで拭いてたからお尻も痛いな。」
この期に及んで話せる恵の精神力にルトロは驚きたいが、すでに驚くほどの体力、精神力は残っていない。この男は一体どのような訓練を施されてきた?
「そろそろ出よう。もう試験期間も終わりだ…まずは川で体を洗おう。」
そう言って恵はたった二つしかない照明兼通気口を拡げ始める。あっという間にそれは人一人が出入りするのに十分な広さになる。
「歩けるか?俺も微妙だが歩けないなら担いでやるぞ?」
ここでルトロは密かにとっておいた最後の魔力回復剤を飲んだ。錠剤型だったが口が乾いて上手く飲み込めない。恵が少しあわてた後に水瓶から水を手ですくって飲ませてやる。
「今何飲んだんだ?自決剤かと思って焦ったけど違うよな?」
しばらく時間を経てからルトロは弱弱しく返事をする。
「魔力回復剤だ、馬鹿…これで、体力はともかく精神力は回復する…魔法で体も洗えるが、川で水浴びをしたいな…」
「ああ、あんま精神的に弱ってると魔法使えないんだっけ?俺は簡単な生活魔法しか使えないからあんまわからんけど…けどその様子じゃ歩けそうにないな、担いでやろう。」
そういうと恵は簡単な体操をして体をほぐしてから、ルトロの腹の下に頭を突っ込み、首と肩を使い無造作にルトロを担いだ。予想外のルトロの軽さに恵は驚いた。ルトロを担ぎ、歩きながら恵は話しかける。
「おおう、軽いな…ナメクジとかミミズばっか食ってるからこうなる。」
「うるさい、食べさせたのは誰だ、糞野郎。」
「お前の言うように森中を逃げ回ってたら、今頃とっくに捕まって練兵場で人並みの食事が食べられてただろうな。」
「ケイ、とりあえず体を洗って、帰還して文明的な食事を摂って気力体力を回復させたら何回か殴ってやる。覚えていろよ、私は本気だ」
「それだけ喋れる元気があるなら今殴った方が早いぞ。とにかく俺は軽いとはいえ人を一人担いで川まで行かなくちゃいけないんだ。感謝しろ感謝。」
ルトロは担がれたまま恵の脇腹のあたりを非常に弱い力でぽすんと殴った。恵は少し笑いながらルトロに話しかける。堂々と声を上げて会話するのは久しぶりだ。恵とルトロは久々の会話を存分に楽しむ。周囲より追跡されている気配を二人とも感じていたが、気にしなかった。木の実を見つけたのでそれを二人で分け、齧りながら川へと進む。恵は両手がふさがっており、ルトロが恵の口元に木の実を運んでやっていた。
「川だ。ルトロ、見えるか。川だぞ」
幾分か興奮した様子で恵は担いだルトロに話しかける。二人は川にたどり着いた。恵は思わずルトロを川へ放り込みたいほど喜んでいた。
「見えている…見えてるよ。単なる水の流れにここまで感動するとは今まで生きてきて考えたこともなかった。」
「そうだな…あれ?そういえばルトロって何歳?エルフは見た目と年齢が必ずしも合致しないって聞いてたけど。」
「オスがメスに年齢を尋ねるのはマナー違反だろ?放っとけ。…それよりまだ体がまだ上手く動かせん、こんなこと頼みたくないが仕方ない。私の身体を洗ってくれ。」
「おいおい互いに大便する姿まで見せ合った仲だろ。今更遠慮することないって。」
今度は先ほどより強く脇腹を殴られ、恵は軽くうめき声を上げる。
川の流れの穏やかな場所を選び、恵は慎重にルトロを寝かせる。川の上流らしく、石の粒が大きく寝るには痛そうだ。ルトロの汚れた服を脱がし、首より下を川に浸してやる。
「あぁ、気持ちがいいな…私は魔法で体を清潔にするより、水やぬるま湯で体を洗う方が好きだ。」
「同感…俺も入っていいか?てか入るぞ」
恵はルトロ同様汚れた服を脱ぎ捨て、川へ入る。そこで恵はルトロの視線に気が付いた。
「おい…何俺のちんこ凝視してんの。見せもんじゃないんだよ」
「そういえば明るいところで見たのは初めてだったなぁと思ってな…なんというか、萎びてるな。」
「萎びてるとか言うなよ!身体洗ってやんねーぞ!」
「ふふふ…悪かったよ、体を洗ってくれ。」
恵は無言でルトロの身体を手で洗い、汚れを落としていく。褐色の肌が水と陽光を浴び、本来の輝きと瑞々しさを取り戻していくのを見ながら恵は綺麗だな、と思った。
「んっ、うん…魂ごと洗われていくようだ…非常に気持ちいい。感謝するよ。」
恵は返事をせず、黙ってルトロの身体を洗い続ける。形の良い乳房を洗いながら、恵は元の世界の元恋人を思い出していた。
「なんだ?黙ってしまって…あ、ケイ、もしかして君は私の身体に欲情したのか?こんなに疲れてるのに普人種のオスというのは本当に浅ましいというかなんというか…」
「違うわ!腋毛が伸びたなぁとか股の間が特に汚いなぁとか考えてただけだ!」
恵は動揺して言い返す。その言葉にルトロは大いに腹が立った。腋毛が伸びたのも股が汚いのも貴様がバカげた計画を立てたからだ。…しかし腹は立ったが、今はとにかく自分の身体から汚物が洗い流されていく快感に身を任せることにする。
「嘘をつけ。我々は美人が多いらしい、私も美人に違いないんだろう。ケイは恥ずかしがらなくてもいいんだぞ。」
確かにルトロは恵から見て美人であった。三十日間の土中生活でその美貌と肢体は汚れきっていたが、会ったころから美人だとは思っていた。
「お前は男についてなんにもわかってないな。あそこまで色々と互いに汚い部分を見せつけて、かつ一ヶ月も不潔な生活してたら性欲なんて吹き飛ぶわ。なにより大したもん食ってないから睾丸に送るエネルギーがない。」
身も蓋もなさすぎるな、この会話は
恵はそう思い、苦笑しながらルトロの身体をひっくり返す。背中を洗ってやるためだ。
「そういうものなのか。」
そういうもんだ、と恵は返事をし、ルトロの身体を百八十度回転させ頭を濯いでやる。
「よし、これでいいだろ。あとは俺が身体洗うから、それまで寝っ転がって身体乾かしてな。…ああそうだ、服も洗うか、ルトロのも洗っていいよな?」
「ああ、頼むよ。」
ルトロは川辺に寝かされ、体と服を洗う恵を見ていた。川に浸した服を絞ると、あまり直視したくない色の水が絞り出される。
(思えばこの男とも仲良くなったものだ)
ルトロは少しだけ笑った。いくつか答えてはいけない質問に答えてしまったかもしれない。訓練生であるとともに恵の試験官としての任務もあったが、すっかり恵の世話になってしまった。
固い石だらけの川辺に寝かされ、様々な思考がルトロの頭の中を入り乱れる。
(とりあえずは今は…)
仲間たちの元へ早く帰ってこの経験を同僚に自慢したいと思った。
同僚の中でいち早く外界の人間と会い、濃密な時間を過ごした。試験結果は今はどうでもよかった。ひたすらに眠い。川の中で素っ裸になって服を絞る男を見ながら、ルトロはゆっくりと瞼を閉じていった。
くさそう




